1/7 ここは3年間誰も入っていない閉ざされた仔供部屋 壁に描かれた様々な実装石の絵を人が見れば哀愁を誘うだろう 最後にニンゲンサンが言い残していった言葉を胸に実装石は生きて来た 「しばらく帰って来れないけど食べ物置いておくから留守は任せたぞ」 埃の積もったペット用実装ハウスの中で一匹の実装石が奇跡的に生き延びている ニンゲンサンが残していった非常食ゼリーを執念で啜り続けた…が カサと乾いたプラスチックの音が静寂に包まれたハウスに響く 小さな手が愛おしそうに撫でているのは完全に空になったゼリーのパウチ 最後の数滴を絞り出してからどれくらい経っただろう 「ニンゲンサン……ちゃんとお留守番してるのデス……」 ボロボロに擦り切れた服の実装石は埃まみれのハウスの中からゆっくりと這い出てきた かつて艶やかだった髪は抜け落ちふくよかだった体は見る影もなく痩せ細っている しかしその両の眼——赤と緑の輝きだけは異様なまでの執念でギラギラと鈍く光っていた 2/7 床に降り積もった灰色の埃に細い足跡が点々と刻まれていく 這い出た世界はかつて彼女が知っていた『おうち』の面影を残しながらも完全に死に絶えていた 窓から差し込む日の光だけが空中を静かに漂う埃の粒をキラキラと照らしている 彼女はよろめきながら部屋の『境界線』へと向かった それは外の世界へと繋がる閉ざされた大きなドア 届かないドアノブを見上げる 「ニンゲンサンはしばらくって言ったデス ワタシの『しばらく』とニンゲンサンの『しばらく』は違うのデス きっとすごーくすごーく長いのデス」 空腹で胃が焼け付くが彼女は決して部屋のものを齧ったりはしなかった お気に入りのぬいぐるみもカーテンの裾もニンゲンサンが大事にしろと言ったものは 埃を被ったまま当時のままを保っている それを傷つけることは留守番の失敗を意味するからだ 3/7 ふらつく足取りで彼女は窓際へと向かった そこはかつてニンゲンサンと一緒に外の景色を眺めた思い出の場所 踏み台に脚をかけて見た窓の向こうには3年前と変わらない青空が広がっていた 初夏の風に揺れる街路樹に遠くを走る車の音 そして—— 「デププ!今日はいいゴミが落ちてるデス!」 「それはセレブなワタシが見つけたのデス!よこすデス!」 公園の方から聞こえてくるのは野良実装石たちの醜い罵り合いの声 その卑しい鳴き声を聞いた瞬間彼女の胸の奥からどす黒い感情がせり上がる 「あさましくゴミ漁りなどセレブならするはずが無いデス……!!」 そう強がり憤るものの飢えで頭がおかしくなりそうだった 窓ガラスの向こうにある緑の葉を見ればそれを毟って貪り食いたいという衝動が脳を灼く しかし彼女は自らのボロボロの色褪せた服を愛おしそうに撫でた 4/7 「ワタシはニンゲンサンに『留守を任された』実装石デス あんな風に誇りを捨てるくらいなら……ワタシは誇り高いまま死ぬのデス」 それが孤独な3年間を生き抜いた彼女の唯一のアイデンティティだった ニンゲンサンの言葉を信じこの部屋を完璧に守り抜くこと それだけが彼女をただの『生きる肉塊』に落とさないための命綱だった ぐぅぅぅ!とまるで鉄が軋むような音が彼女の酷使された体から響いた 内臓がそれ自体を消化し限界を超えて縮み上がっている 彼女は窓際からゆっくりと視線を外した 外で醜く争う野良たちには目もくれず彼女は部屋の『パトロール』を始める これもまた3年間1日たりとも欠かさず行ってきた『義務』である おぼつかない足取りで彼女は広い部屋をゆっくりと巡る 5/7 学習机のまわりはペン立てのペン一本一本も引き出しの角度ひとつ3年前から変わっていない 本棚はニンゲンサンが読み聞かせてくれた数々の絵本が並べられ心の中で涙が溢れる 壁の絵はかつて自分がクレヨンで描いたニンゲンサンと自分の絵が少し色褪せてしまった 「デス……今日もお留守番は完璧デス……」 満足げに呟いたその瞬間…凄まじい目眩が彼女を襲い体が震え視界が急激に色褪せていく 生きるための活力は完全に底を突いていた 非常食ゼリーがもたらした3年間の『奇跡の命』は今まさに終わりを告げようとしていた 彼女はもはや立つこともできず床の埃を拭うようにして這いながら移動し始める 目指すのは部屋の片隅にある我が家——ペット用実装ハウス ズサ……ズサ……と最後の力を振り絞ってハウスの中へ滑り込み 一番奥にあるニンゲンサンの匂いが微かに残る色褪せたタオルの上にそっと痩せ細った体を横たえる 空のゼリーパウチを抱き瞼を閉じて… そして彼女の耳にはずっと待ち望んでいた『あの音』がはっきりと聞こえた気がした 6/7 ガチャリ それは閉ざされたドアの鍵が回る音 「ただいまー長くなってごめんなーしっかり留守番できたかー?」 3年間いつだって忘れたことのない大好きなニンゲンサンの優しい声 「デス!お帰りデス!私はちゃんとお留守番できたデスーン♪」 元気いっぱいにニンゲンサンの周りを飛び回り頭を撫でてもらう 「デスーン♪私は世界一お利口な実装石デスーン♪」 カサっと小さな手から力が抜けゼリーパウチが床に転がった 誰もいない静まり返った仔供部屋には命も温かさも存在しない 3年という永い時間の果てに一匹の守護者は孤独のまま静かにその生涯を閉じた 冷たくなったその顔には外の世界の野良たちには決して手に入らない誇りに満ちた 最高に幸福な笑みが張り付いたままだった 7/7 実装生物化学研究所・第4実験棟 「——個体識別番号:C-08 完全停止を確認 生存期間 1099日と14時間」 無機質なアナウンスが響く部屋で白衣を着た男たちがモニターを見ていた 画面にはペット用ハウスの中で干からびた彼女の姿がバイタルデータと共に映し出されている 「まさか1カ月分程度の非常食で3年間も生き抜くとは……」 通常の個体から明らかに逸脱した結果に研究員も舌を巻く 同時にテストを始めた他7体の個体で一番長かったのでも2カ月持たなかった 男の一人が手元の資料をめくるとそこには様々な実装石での特殊プログラムの全容が記されていた 彼女の3年間の執念の留守番はただの『データ収集』のための時間だった 「しかし……これは流石にこの個体が異常なだけだったのでは?」 答えは出ない……そしてまた新しい研究データのため被験体たちが仔供部屋の住人となる…… 「ところで……教授が主導しているこの実験って一体何の意味があるんだろうな?」 彼らは知らない……教授がただの観察派で研究資金を私的流用して遊んでいるだけなのだと……
