1/17 「24時間戦えますか」 昔の人間はそんなキャッチフレーズを真に受けて働いていたらしいが… 「さてお前たちは何時間戦えるかな?」 実験派の人間・間戸(まど)は防音隔離ケージの並ぶ実験室のモニターを見つめ独りごちた 間戸の関心は実装石の異常な生命力と回復力が 極限状態の不眠においてどう作用するかという一点にあった 人間の不眠記録としては1964年にランディ・ガードナーが記録した『264時間』が有名だ 人間は不眠が続くと4日目には妄想や幻覚を見始め 7日目には言語障害や記憶喪失などでアイデンティティの喪失に至る では脆弱でありながら肉体の復元力だけは異様に高い実装石が同じ状況に置かれたらどうなるか 実験室には公園から拉致された60センチ級の野良の成体実装石が10匹 1号から10号までの番号を振られて隔離ケージに収容されていた この過酷な観察が実装石たちをどこまで追い詰めるのか興味は尽きない 2/17 ケージは防音仕様で互いの気配は一切遮断されている 内部は広く自動給餌器と自動清掃機能付きの便器 そしてお漏らしした時のための掃除用具が置かれていた 便器以外での排泄は自己責任でこちらから手出しはせず放置になるが汚れても失格にはならない 劣悪な衛生環境は精神を蝕む要因になるが元が野良ならある程度耐性があるだろう 間戸は実装リンガル機能付きマイクのスイッチを入れた 「1号から10号までの実装石に告げる!これより『限界不眠耐久レース』を開始する! ルールは簡単寝ずに起き続けろ! 参加者は全部で10匹で最後まで寝ずに生き残った1匹は 私が引き取り一般的な『飼い実装石』として不自由のない暮らしを約束する!」 スピーカーから流れる間戸の声にケージ内の10匹の参加実装石たちは一様に色めき立った 誰もがその甘い報酬を信じて疑わず己の明るい未来を勝手に妄想し始める 檻の向こう側で待ち受ける地獄の深さなど知る由もない緑の塊が歓喜に震えた 3/17 「飼い実装になれるデス!?」 「絶対に寝ないデス!24時間でも何でも起きてみせるデス!」 スピーカーから響く非情なルール説明はまだ終わっていない 間戸はケージ内のモニターに映る彼女たちの様子を観察しながら言葉を続ける 「ルールはもう一つ!寝た者はその時点で即座に元の公園へ返す……ではスタート!」 間戸の冷徹な合図とともに実験室のシステムが一斉に起動した その瞬間から実験室の壁に設置された巨大なデジタル時計が非情な刻みを刻みだす 参加者たちはそれぞれケージの中で気合を入れ直し睡魔との闘いに身を投じた 元が過酷な野良の世界で生きてきた実装石たちにとって 衣食住が保証される『飼い実装』という果実は何よりも魅力的で輝いて見えた しかしそれが自らの精神と肉体をじわじわと破壊していく 底なしの蟻地獄の始まりであることに気づいている個体は1匹もいなかった こうして前代未聞の残酷な耐久レースは静かにその幕を開けたのである 4/17 実験開始から48時間経過—— 人間であればそろそろ強い眠気と注意力の低下や軽い頭痛を覚える頃 実装石たちはまだ『飼い実装』への執着で耐えていたが肉体的な限界は精神を削り始める 最初に脱落したのは3号だった ガクガクと膝を揺らし必死に壁に頭を打ち付けて眠気を覚まそうとしていたが 50時間を迎える直前立ったまま眼を見開いたまま舌を出し倒れ込んだ 「3号脱落——連れて行ってくれ」 間戸の指示でアルバイトの助手が無言でケージから3号を回収し元の公園へと放り込んだ 3号は長時間の不眠の反動により深い昏睡状態に近い睡眠に陥っていた 感覚が完全に遮断された眠りのなか3号は自分がセレブ飼い実装になり 極上のステーキを食べる夢を見ていた だが現実の彼女の身体は公園の暗がりに転がされている わずか5分後に夜の公園を徘徊していた同族喰いの野良実装が無防備に転がる3号を発見した 5/17 「でかい蛆ちゃんデス?……違うデス……でも動かない肉デス!」 引きちぎられ生きたまま腹を割かれて内臓を貪られても 3号の脳は眠ったまま痛覚を認識できなかった 自分が喰われていることすら気付かず幸福な夢の途中で3号の命の灯火は消え去った 実験開始から72時間経過—— 人間でいう『微小睡眠(マイクロスリープ)』が頻発する時間帯だ 本人は起きているつもりでも脳が数秒間だけ勝手に眠る現象である 5号と8号はこのマイクロスリープの罠に嵌まった 5号は便器に座ってうんこを漏らしながら 8号はケージの真ん中で立ったままでピクリとも動かなくなった 脳波データは完全に睡眠状態を示している 即座に失格となり2匹とも助手によって公園へ返され3号と同じ末路を辿った モニター室の間戸は冷淡にその哀れな脱落者たちのデータをシートに記録する 6/17 実験開始から96時間経過—— 人間の不眠実験において最も顕著な幻覚や妄想が現れるラインだ 防音ケージのせいで他の個体の状況が分からない孤独が恐怖を増幅させる 2号のケージから狂ったような悲鳴が上がった 「出せデス!影がワタシを寝かせようと引っ張ってくるデス!ニンゲン助けるデス!」 2号は幻覚に襲われていた ケージの隅の影が化け物に見えそれから逃れるために自分の髪を狂ったように引き抜き始めた 「髪の毛が重いから眠くなるデス!服が温かいから眠くなるデス!」 絶叫しながら緑の服をズタズタに引き裂き完全にハゲハダカになり精神錯乱状態となった しかしその自傷行為の激しい痛みすら押し寄せる睡眠圧には勝てなかった 2号はそのまま自分の引き抜いた髪の毛の海に頽れ深い眠りへ移行した 「2号脱落——連れて行ってくれ」 こうしてまた1匹の哀れな被験体が夜の暗闇へと静かに排除されていったのである 7/17 同じ頃6号はさらに異様な精神崩壊を起こしていた 「あうぅ……おろろん……ママお腹空いたデチ……」 強いストレスと睡眠不足により脳の防衛本能が働いた結果の幼児退行だった 成体でありながら仔実装石のような言動を始め排泄物をケージの壁に塗りたくり始めた 知性が退行したことで『起き続ける』という目的そのものを忘却した6号は そのまま赤ん坊のように丸くなって眠りに落ち失格となって連れて行かれる 実験開始から144時間経過—— 残るは5匹 人間ならアイデンティティが崩壊し自分が誰だかも分からなくなる時間だ 実装石の無駄に高い回復力で肉体はまだ動いていたが精神はとっくに限界を超えていた 9号はあまりの眠気の苦しさに常軌を逸した結論に達した 狂気に染まった赤と緑の眼球がギラギラと不気味に輝き 生存本能すらへし折るほどの圧倒的な睡魔がすぐそこまで迫っていた 8/17 「眼を閉じようとするから眠くなるデス 緑と赤の視界がチカチカしてワタシを誘惑するデス…… 眼が……眼がなければ……!寝ることもできないはずデス!!」 ゴボリと鈍い音がマイク越しに間戸の耳に届いた 9号は自らの両手を左右の眼窩へと深く突き刺したのだ 「ギャアアアアアアアアアア!!痛いデス!痛いデス!でも寝ないデスゥウウウウ!」 両方の眼球を自らの手で押し潰し鮮血と緑の体液を流しながらのたうち回る9号 凄まじい激痛で一時は脳が覚醒したものの実装石の脳は過度なダメージを受け ショックを和らげるために強制的に気絶を選択する 9号は痛みに叫びながらそのまま意識を喪失 激しい自傷行為の末の脱落だった 破壊された眼窩から流れ出る体液が白い床を染めるがそれすら無慈悲な記録の一部だ 助手が手際よくその残骸を片付けケージの中には再び静寂だけが残された 9/17 実験開始から180時間経過—— 4号のケージに異変が起きた 一言も発さずじっと壁を睨みつけて立っている だがその皮膚がじわじわとドス黒く変色し始めている 「あ……あ…あ…」 小さく声を漏らした瞬間『パキン』とガラスが割れるような音がケージ内に響いた 4号の体内にある『偽石』が過度なストレスによって自壊したのだ 白目を剥き一歩も動けないまま立った状態で4号は完全に死亡した 不眠に耐えきれずストレスで偽石が砕け散った哀れな末路だった 肉体が機能を停止してもなおその死体は不気味に立ち尽くしたままであった 精神の死が肉体の崩壊を招くという実装石特有の最悪のサンプルデータではあるが 不眠のストレスが偽石すら破壊するという事実は間戸にとって予測の範疇を超えない 間戸は冷徹にその死亡時刻を記録し助手に死体の撤去を命じた 10/17 実験開始から216時間経過—— 生き残っているのは1号と7号と10号 このうち10号は既に脱落した2号と同じように狂乱状態に陥っていた 「寝たら公園デス!あの糞便のまみれる公園には戻りたくないデス!」 10号は叫びながら服を千切り髪を毟り完全にハゲハダカになってケージ内を四足歩行で走り回る 「デアァーッ!デァーッ!」 ケージの壁に何度も突撃し打撲や擦り傷を作っても狂気が彼女の限界を超えて動かしている 一方7号はただただ静かだった だがその瞳からは赤と緑の涙が溢れていた 220時間を超えたとき7号は静かに膝を折り祈るような姿勢のまま微動だにしなくなった 脳波はフラットな睡眠を示し脱落 生き残りをかけた地獄の睡眠サバイバルはついに最終局面へと突入 残された2匹の脳内はすでに飼い実装への妄執だけで維持されている状態だ 11/17 残るは1号とハゲハダカの10号 間戸は2匹の様子を観察していたがどちらが最後の1匹になっても彼女たちには伝えない 実験は『限界』を知るためのものだからだ 実験開始から250時間経過—— 人間の最高記録に迫る領域 1号はケージの隅でお漏らしした自分の糞便の混じった水を啜るほどの錯乱を見せていたが 唐突に糸が切れた人形のように前へ倒れ伏した…限界の末に眠り脱落 この瞬間ハゲハダカの10号が『最後の1匹』となった だが間戸はアナウンスをしない 10号もまた自分が最後の1匹になったことを知らされぬまま虚空を睨みつけて震えていた 「まだデス……ワタシは飼い実装になるデス……」 執念だけで動く肉体はもはや生物としての限界を完全に突破していた 身体が悲鳴を上げ脳細胞が焼き切れる寸前になってもその呟きは止まらない 12/17 実験開始から270時間経過—— ついにランディ・ガードナーの人間記録を超えた しかしそこが実装石という生物の絶対の限界だったようだ 10号は自身の幻覚……まばゆいドレスを着た自分に向かって両手を伸ばしたまま バタリと床に倒れ込んだ 脳波が完全に深い睡眠に切り替わる 「270時間43分……これが成体実装石の極限不眠時間か素晴らしいデータだ」 間戸は満足げに手元のタブレットに数値を入力した 前人未到ならぬ前石未到の領域を観測できた満足感が実験室を満たす タイマーの数字が止まり生き残った唯一の個体のバイタルデータが画面に固定される 過酷な条件を最後まで耐え抜いた薄汚い緑の肉体はピクリとも動かない 倒れ伏したハゲハダカの被験体は静かに死と見紛うほどの眠りの深淵へと沈んでいった 過酷な耐久レースの幕はここに降ろされ静寂が部屋を支配した 13/17 実験終了から数日後 10号が目を覚ますとそこは冷たい隔離ケージの中ではなく柔らかいクッションの上だった 「気づいたか10号」 見上げるとあの実験室の人間・間戸が立っていた 10号は慌てて自分の体を見た衣服はなく頭もハゲたままだが傷は塞がっている 「ワタシは……どうなったデス?」 「お前が最後の1匹だ」 ロボットのような冷徹さで告げた間戸の顔には珍しく微かな笑みが浮かんでいた 「約束通りお前を私の『飼い実装石』として迎えてあげるよ」 10号の目から涙が溢れた……あの地獄のような270時間を耐え抜き 死に限りなく近い限界の淵から幸運にも目覚めついに栄光を掴んだのだ これからは温かい部屋で美味しいご飯を食べられるのだと確信した 悪夢の日々は終わりを告げ最高の幸福が約束されたのだと盲信していた 14/17 それからの生活は10号にとって夢のようだった 高級セレブのような贅沢品は与えられなかったが 毎日三食ワンランク上の飼い実装フード(実装肉・実装糞は一切不使用)や野菜のクズが与えられ 専用の段ボールのハウスと暖かい毛布が支給された ハゲハダカの姿はマヌケ過ぎると新しくシンプルな緑の既製服と小さなウィッグも与えられた 「幸せデス……あの日々を耐え抜いて本当によかったデス……」 10号は心から満足していた 間戸は毎日10号の血圧や心拍数や脳波を熱心に計測していた 10号はそれを「飼い主様がワタシの健康を心配してくれているデス」と信じて疑わなかった 実際には最も優れた個体のデータにしか興味のない間戸が 極限不眠実装石の脳や肉体がどのように回復していくのかという 貴重な『治癒データ』の採取に過ぎなかったのだが 与えられた偽りの平穏の中で10号の肉体は驚異的な速度で元通りに修復されていく 15/17 飼い実装生活が始まって3ヶ月が経ったある日 間戸は10号をいつもの実験室へと連れて行った 健康診断のつもりでついてきた10号は目の前の光景に首を傾げた そこには以前自分がいたのと同じ防音隔離ケージが10個新しく並べられていた 「飼い主様これは何デス?」 10号の問いに間戸は何でもないごくごく普通の声色で 「お前の回復データはすべて揃った……実に見事な復元力だったよ10号 そして今日から『第二次不眠耐久実験』を開始する」 「……デ?」 「今回は野良ではなく人間に不要になって捨てられたばかりの『元・飼い実装石』の10匹だ」 10号はホッとして胸をなでおろした 「そうなのデスね……新入りたち頑張るデス」 自分はすでに安全な特権階級の立場にいるのだと大きな勘違いをしていた 16/17 「何を他人事のように言っているんだ?お前も参加するんだよ10号」 「……デ?」 10号の思考がフリーズした 「私は約束通りお前を満足できる環境下で飼育したはずだ そして今日から新たに次の実験が始まるだけの話なのだが何かおかしいかね? 勝ち残ればまた飼うのだから不満が出る理由はないはずだが」 間戸は淡々と10号の首根っこを掴み上げた 「この第二次実験でお前が最後の1匹になれば引き続き飼い実装石 だが負ければ当然ルール通りその時点で即座に公園行きだ ちなみに第二次実験を生き残ったとしても 次は『実装活性剤・極』を投与して限界を底上げした『第三次不眠耐久実験』が控えている」 「デェェェェエエエエ!?」 絶望のシステムは最初から何も変わっておらず悪夢の連鎖を理解した10号は恐怖で漏らした 17/17 10号の絶叫と排泄音が実験室に響き渡る かつて自らハゲハダカとなる狂気の中で耐え抜いたあの地獄のカウントダウンが 再び幕を開けようとしていた 間戸は無慈悲に10号を防音ケージの中へと放り込み重い扉を閉め パチリとタイマーがリセットされ再び非情な数字が刻まれ始めた 冷たい床の上で10号はすでにガタガタと震えながら号泣する 約束された安息などどこにもなくただ次の脱落者が決まるまでの時間が進む 防音の壁の向こうでは新たなる犠牲者たちが同様の恐怖に怯えている 逃れられないレースの中で緑の囚人は再び己の限界を試されることになった 今回のレースの果てにはどのような崩壊が待っているのか 一度味わった贅沢な数ヶ月の記憶が今の10号にとっては耐え難い拷問となって脳を灼く 勝ち残ったプライドは完全に打ち砕かれただ怯えるだけの哀れな肉塊がそこにいた 電子タイマーの機械的な音だけが静まり返った部屋に虚しく響き続けていた
