【影の棲む家】 参 (●A○) 筆者より (●A○) このスクは実装石スクですが、人間がメインの内容です。 ちょっと変わった「探検」スクとして読んでいただければ幸いです。 一応実装石虐待ネタはありますが、比率は少なめなので過剰な期待は しないでください。 尚、一部本文中に、情報把握力を求められる部分が存在します。 前2編の重要情報は冒頭部(下記)にまとめさせていただきましたので、ご参照ください。 また、本文中に方向の表記として「東西南北」という表現が出てきますが、 ピンと来ない人は 「北=前、南=後、西=左、東=右」 と置き換えて読んでみてください。 (但し主人公主観の方向ではなく、絶対位置です) 以上、予めご理解願います。 【 前回のあらすじ 】 自転車で旅行をしている廃墟マニアの男と、実装石ルミは、雨の夜にある和風の屋敷を発見する。 早速探索を始めるが、その中には不気味な「何か」が蠢いていた。 二階書斎で発見されたかつての主人の日記から、過去にも屋敷内で怪異が起こっていた事を知る 男。 次の探索目的は、屋敷に隣接している「封印された土蔵」だ。 ●ここまでの情報整理: ・屋敷は、約24年半以上前から廃墟になっているらしい ・屋敷には、昔「主人」「妻」「娘」が住んでいたが、「主人」以外全員死亡した ・屋敷の中では、居る筈のない不気味な実装石が見かけられる ・屋敷の西側に古い土蔵があるが、正面入り口は閉じられている(但しどこかに隠し扉あり) ・二階書斎に、主人の書き記した日記がある(以下発見順) 1.書斎の日記(76年)→ 娘が戻ってきた / 妻が体調悪化 / 妻の容態悪化 2.書斎の日記(80年)→ 虚無感を味わう / 「アレ」を屋敷内でまた見かける / 娘が死亡 / 主人が独り残される 3.書斎の日記(82年)→ 特に何の特徴もない事が記されているが、2/3以上ページを残して不自然に途切れている 4.書斎の日記(77-78年)→ 妻の闘病生活の様子 / 「影」「身体に欠損のある実装石」などを屋敷内で目撃 / 主人、土蔵への侵入を図るが失敗(土蔵への隠し扉の情報) / 妻の死去 ※ ※ ※ 階段を下り、一階の廊下へ辿り着いた男とルミは、居間とちゃぶ台部屋を真っ直ぐ通り抜け、玄関 へ向かった。 途中、視界の端にありえない筈の「動く影」や「赤と緑の光」を捉えたが、あえて無視して突き抜ける。 土間を通過して外に出ようとした瞬間、これまで感じた事のないほど強烈な「悪寒」が、母屋の中 から感じられた。 「デ…とても嫌な感じがするデスゥ」 男の気持ちを代返するように、ルミが呟く。 まだ霧雨がしとしとと振り続ける庭に飛び出し、二人は先程の土蔵へ向かった。 あらためて周囲をじっくり巡り、観察してみるが、やはりこれといって変わったものは見つからない。 濡れた壁に耳をぴったり付けてみたり、拳でコンコン叩いて音の反響を調べる真似事をしてみたり したが、怪しい点は何も発見出来ない。 足下では、ルミが男の真似して、壁をペチペチと叩いている。 結局、ずぶ濡れになりながら小一時間は調べ回ってみたが、目新しい発見は出来なかった。 「くっそぉ、どこにあるんだよ隠し扉って奴は!」 「クチュン! ご、ご主人様、一旦中に戻るデスゥ」 「う〜、で、でもなぁ、せっかくここまで来たのに…」 「もう一度あのお部屋を調べてみるデスゥ、まだ何かあるかもしれないデスゥ」 「あ、ああ…そういえばそうかも」 ルミに言われて、土蔵の隠し扉についてろくに調べようともしていなかった事に、今更気付く。 元々自覚はあったが、男は自分の思慮の浅さをあらためて思い知らされた。 ルミの言う通り母屋に戻ろうとする途中、なんとなく、少し離れた場所から土蔵全体を見返す。 すると、今まで気付かなかった奇妙な点が、いくつか感じられて来た。 母屋に密着している、東側の壁。 母屋に比べて、劣化破損の激しい外壁。 間近で調べていた時には気にならなかったポイントが、こうして見ると妙に引っかかって来る気が する。 「ご主人様、どうしたデスゥ?」 母屋に向かおうとしていたルミが、足を止めた男を振り返り、呼びかける。 だが男は、思考にふけっていて応えない。 男は、以前これと良く似た環境の廃墟に行った事があるのを思い出した。 そこは、埼玉の鳩ヶ谷洋館廃墟。 信用組合施設として使われていたその廃墟は、昭和三十年代半ばから放置され続けている物件 だった。 コンクリートで造られたメインの建物は、四十五年以上経っても健在で目立つ劣化はあまり感じ られなかったが、その裏にある和風家屋のほとんどは、見事に朽ち果てていた。 そこにも土蔵があり、この屋敷の物同様かなりの劣化破損を見せていた。 男はそこを訪れた時、「よくまあこんなに劣化に差がついたものだ」と呟いた。 しかし、同行していた先輩の廃墟マニアは、男にこう言った。 『そりゃあ、両方の建物がまったく同じ時期に建造されたとも限らないしね』 なぜか、この時の言葉が脳裏にフィードバックしまくっている。 根拠はまるでないが、男は、ものすごくヒントに近付けたような気がしてならなかった。 「ご主人様ー!」 「ハッ! あ、ああ……えーと、あれ? お前誰だっけ?」 「何を言ってるデスゥ! ルミデスゥ!!」 「え? あっ、そうそう。…どうしたんだろうな俺、なんか変だ。頭が巧く回んねー」 「早く中に戻るデスゥ! もうお外はこりごりデスゥ!」 「そうだな、そうするか」 小走りで母屋へ戻り、体勢を立て直す事にする。 先程の激しい悪寒はもう感じられなくなってはいたが、なんだか、最初に入り込んだ時とは明らかに 雰囲気が変わっているように思えた。 ※ ※ ※ ちゃぶ台部屋まで戻り、服と下着を替える。 ルミは、ブツブツ言いながら再び実装服とパンツを脱いでいる。 濡れた物をまとめて固絞りして、干せそうな所に片っ端から干していく。 一通り準備が終わり、ルミも再びタオルルックになると、二人はあらためて二階を目指す事にした。 居間を通過しようとした瞬間、 ——ボーン… 突然、古い時計の音が鳴った。 心臓を鷲掴みにされたような衝撃を受ける。 「——な、な、な、何? 今の?」 「と、時計サンデスゥ」 「そ、そうじゃなくてさ、そんなの、何処にあった?!」 男は思わず居間を見返し、今鳴った時計の場所を探す。 しかし、どこにも時計は見当たらない。 数分後、仏間の壁…ちゃぶ台部屋側の襖の真上に設置されていた事に気付く。 「なんだ、こんな所にあったのか。うっかり見逃して——」 LEDライトに照らし出された古時計は、今では見かける事すらほとんどない振り子式の壁掛け時計 で、既に時を刻んではいなかった。 恐らく、ゼンマイもとっくの昔に切れているだろう。 無論、鳴る筈など、ない。 「な、鳴ってたよな、コレ、さっき?!」 「デ、デスゥ」 「ふ、ふ、古い物だしな、き、きっと何かの拍子で誤作動でもしたんだろ、ハハハ」 「止まっていたら、鳴りようがないと思うデスゥ」 「や、やかましい! 余計な事言ってると前髪引っこ抜くぞぉ」 「デジャアッ! 虐待反対デスゥ!!」 冗談半分で、ルミの前髪に手を掛ける。 ルミもそれがわかっているのか、笑顔で嫌がってみせる。 その途端—— ズ・シン……っっ!! 頭の上で、突然、物凄い振動音が鳴り響いた。 まるで、超重量の物体を床に落としたような。 「……」 「デ……」 数秒ほど硬直し、二人は、無言のまま仏間と居間を通り抜けた。 廊下に出て、階段の前に辿り着いたところで、顔を見合わせる。 「ご、ご主人様〜、ルミ怖いデスゥ…」 「もうちょっとだけ我慢しようぜ。まず、書斎に行かないとな」 「そのショサイから鳴ったんじゃないデスゥ?」 「うぐ……」 仏間の真上は、ルミの言う通り、確かに書斎だった筈。 RPGで良くある地下迷宮や塔に入り込むパーティの心境って、ひょっとしたらこんななのかなあ。 ……などと、男は余計な事を考えていた。 ※ ※ ※ おっかなびっくり階段を昇り、再び二階に戻ってくる。 裁縫道具と人形の部屋は、初めて来た時とは打って変わって、例えようもないほどの不気味さを 漂わせている。 先程実装石人形を見つけたあの棚も、今はなんとなく気味悪さを感じてしまう。 男は、恐怖心とは違った意味で居心地の悪さを覚えたが、我慢して先に進む。 襖の向こうは、布団が敷かれているあの不気味な部屋だ。 「お布団、どうなってるデスゥ?」 男の足の向こうから、ルミが恐々部屋を覗き込む。 例の布団は、さっき男が蹴飛ばしてめくれ上がったままだ。 どうやら、大きな変化は起きていないらしい。 またウネウネと蠢いている様子を想像していた男は、安堵の息を漏らした。 「よし、書斎に行くぞ」 「デッスゥ!」 わざと声を大きくして、気合を込める二人。 書斎の襖を開け、中に入り込む。 室内は、先程と大きく様子を変えていた。 「うわ……!」 思わず声を立てる。 文机の脇、西側にあった本棚の中身が、ほぼすべて床に落下していた。 一瞬、地震か何かで本棚が揺れたのかと思ったが、北側の本棚はぴくりとも動いた様子はなく、 また西側の本棚の中にも、不自然に残留している書籍がある。 あまりに不自然な落下の仕方だった。 この本棚は、「実と装」のバックナンバーや小説誌などが収められていた所だ。 男は、無意識に零れ落ちた本を拾い集め、文机の上で整理した後、本棚に戻し始めた。 廃墟で無理にやる意味のない行為ではあったが、男は、この部屋で色々と盗み読みしてしまった という気負いがあるため、せめてこれくらいはしておきたいと考えていた。 何回目かの拾い集めの時、男は、何枚かの写真が床に飛び散っている事に気付いた。 どうやら、崩れた本の中にアルバムが混じっていたようだ。 現在のようなポケットタイプではなく、分厚い台紙に写真を置き、上からフィルムを被せて固定する あの古い形式だ。 「うわっちゃ〜、こりゃ、どうすりゃいいんだ…」 途方に暮れるが、ひとまず拾い集めて出来る限り元に戻そうと試みる。 腹を開いて落下しているアルバムを拾い、文机に広げて写真の欠けた部分を探す。 ふと、あるページで手が止まった。 古い白黒写真…その一枚には、生まれたばかりの赤ちゃんが映っていた。 下の方に、ペンで日付が記されている。 昭和32年——1957年だから、今からだいたい50年くらい昔だ。 白い産着に包まれ、優しい笑顔を浮かべた青年の腕に抱かれている。 恐らく、この青年が屋敷の主人だろう。 少し細めで、真面目そうな顔立ち。 きっちりと整えられた短髪が、清潔感を覚えさせる。 別な写真には、和服を着た若い女性も一緒に映っていた。 きっと、これが奥さんなのだろう。 という事は、この赤ちゃんが日記に出て来た「娘」という事か。 男は、なんとなくしみじみした気分になり、思わずアルバムに見入ってしまう。 だが。 何かが、心の端で引っかかる。 この幸せそうな白黒写真の存在に、些細な…それでいて明確な違和感を覚えてしまう。 欠損部分に該当すると思われる写真を戻しながら、さらにページを進めて行く。 娘はすくすく成長し、幼稚園、小学校と進み、その度に両親と多くの撮影を行っていた。 家の中ではしゃいでいる写真や、襖などに隠れて笑っている写真などもある。 また、おいしそうに食事をしている場面や、あのタンス部屋でかくれんぼをしているような写真なども 見られる。 先程の恐怖体験も忘れ、男は、思わず微笑みを浮かべてしまう。 だが三冊目のアルバムを整理している時、後半くらいから突然娘の写真がなくなってしまった。 写真の内容は、家の周囲の様子やご近所と思われる人々、または何かの祭事の様子などに突如 変わり、不自然なほど家庭内の様子を写さなくなっていた。 男は、日記の内容を思い返す。 確か、娘が家に戻ってきたという内容の日記を読んだ記憶がある。 あれは昭和51年…76年頃の日記。 最後の娘の写真は、64年…昭和39年の日付で、七歳の時のものだ。 その差、12年。 という事は、娘だけどこか別な土地にでも引越して、十九歳の時に実家に戻ってきたという事なの だろう。 なるほど、と納得してアルバムを閉じようとしたが、何か妙だ。 ——七歳の時に一人だけで引越し、ってのも変だよなぁ……養女に行った、とか? よくわからなかったが、男はとりあえずアルバムの整理を続け、十数分後にはあらかた片付け終えた。 なんとか本棚を元に戻し、ほんのり達成感に浸る。 そのまま書斎を出ようとして、本来ここに来た目的を思い出し、慌てて踵を返した。 さっき一度目を通した「土蔵への侵入の失敗」を記した日記を見つけ、前後のページを読み返す。 だが、残念ながら土蔵の隠し扉に関する表記らしきものは、どこにも見受けられなかった。 途方に暮れながら、念の為、さらに古い日記も参照してみる事にする。 男は、もはや他人の日記を読む罪悪感をまったく感じなくなっていた。 文机の引き出しの奥から、今まで見て来たどの日記より古い装丁のノートが出て来た。 日付は、64年…娘の写真が途切れたのと時期だ。 もう何度もこの引き出しを探した筈なのに、どうして今までこれが出てこなかったのか不思議だったが、 男は、ひとまず中を読ませてもらう事にした。 “昭和39年某日—— 今日ほど、神や仏を恨んだ事はない。 あれほど必死で祈り続けたのに、あれほど全力で看病を続けたのに。 美幸は、もう二度と目覚めぬ世界へ、旅立ってしまった。 私達にとって、何物にも代え難い宝物だったのに。 たった七歳という若さで、娘は、この世に別れを告げてしまった。 美幸は、幸せだっただろうか? 私達夫婦の子として生まれ、喜んでくれていただろうか? 誰でもいい……教えて欲しい。” 「——え?!」 娘が…死んだ? 男は、そのページの前後を何度も何度も読み返した。 だが、やはり夫婦間に生まれた娘が亡くなった事は、間違いないようだ。 だとすると、別な日記にあった「娘」って、誰だ? 80年頃の日記を再び探し出し、もう一度読み返す。 その中にも「娘が死んだ」という表記がある事を、再確認する。 という事は、ここには娘が二人居たという事なのか? 最初の娘が亡くなった後に、もう一人生まれたというのだろうか? だが、手元にある日記を読み返した限り、それらしい表記は見当たらない。 仮にそうだとしても、二人とも死んでしまうというのは、なんという不幸なのだろう。 なぜかまばらな年代でしか残っていない日記のせいで、空白の期間の状況が辿れない。 男は、またも当初の目的を失念し、日記を読みふける。 もう一度、64年の日記を読む。 しかし、その日記は最後まで娘を失った事に対する悲しみの気持ちと、妻の落胆ぶりを記すだけに 留まっており、特に大きな情報は載っていなかった。 夫婦が、この時期とても失意に暮れた生活を送っていた事は、これ以上ないほど良くわかった。 自分の子供を失い、悲しまない親など居はしない。 あまりにも重苦しい記録に、男は胸を痛める。 だが、娘以外にも何かが引っかかり続けていた。 家族を失っていく主人の悲しみと、屋敷内に出現していた影達、そして土蔵。 まったく関連性のなさそうなこの3つが、何かで繋がっているような気がしてならない。 「あ〜…なんだろう、なんとなくわかりかけてんだけどな〜…」 文机にべったり頬を付け、男は、もどかしい気持ちに駆られる。 男は、自分の頭の悪さを全力で呪っていた。 汗ばんだ頬に、べっとりと埃が付着した。 ※ ※ ※ 文机に突っ伏した男の頬を、微かな風が撫でる。 ふと顔を上げると、文机の前の窓から、風が入り込んでいるようだ。 曇った窓ガラスのせいではっきりはわからないが、なんとなく、雨は止んだような気配を感じる。 どこから風が入り込んでいるのだろうと気になり、窓ガラスを確認する。 どうやら、下の方が少し割れているようだ。 なるほど、と納得しかけるが、良く見ると、割れた向こうに何かがある。 男は隙間に目を近づけ、向こう側の様子を窺った。 土蔵の壁が、すぐ近くに見える。 この窓が、土蔵の入り口側・南の壁のすぐ近くにある事を理解する。 なんとなく下の方を覗き込んでみようとした時、突然、黒いものが視界を塞いだ。 「?!」 何かが下の方からせり上がって来た。 何事かと驚く男の視界に、どこかで見たような緑色の光がぽつんと映る。 まるで、窓の向こう側からこちらを覗きこんでいるような、弱々しくもハッキリと浮かび上がる輝き。 ——それが実装石の左目だと気付くのに、男は数秒の時間を費やした。 「う、うわあぁぁぁ——っっ!!」 反射的に、窓から跳ね退く。 窓の向こうには、足場になるような物は見られなかった。 それなのに、実装石はこちらを覗きこんでいる。 鳴き声もなく、物音一つ立てずに、左目だけで。 ありえない位置に立ち尽くしながら—— トタトタトタ…… 次の瞬間、襖の向こうから、何かが駆け回るような足音が響いてきた。 人間ではない、もっと小さな者。 それが複数、多分三、四体くらいだろうか。 まるで、男が叫び声を上げるのを見計らっていたかのようなタイミングだった。 しかし、声はまったく聞こえない。 ただ、足音だけが不自然に伝わってくるのだ。 やがて、襖の一部が「ポスッ」と叩かれた。 大して力のこもっていない打撃だったが、はっきりと音と振動が伝わる。 やがて音はどんどん増え始め、襖が少しずつ揺れ始める。 ポスッ、ポスッ、ポスッ、ポスッ ポスッ、ポスッ、ポスッ、ポスッ、ポスッ、ポスッ、ポスッ、ポスッ ポスッ、ポスッ、ポスッ、ポスッ、ポスッ、ポスッ、ポスッ、ポスッ、ポスッ、ポスッ、ポスッ、ポスッ、 ポスッ、ポスッ、ポスッ、ポスッ、ポスッ、ポスッ、ポスッ、ポスッ、ポスッ 「う、うわ……!!」 やがて、襖全体がぶるぶると揺れ始める。 まるで、この向こうでは数十体もの「何か」が暴れているかのような迫力だ。 だが、それでも声は一切聞こえない。 男は畳の上に座り込み、襖から逃げるように、ずりずりと後退する。 窓の向こうからは、いまだに実装石の片目が覗き続けていた。 先程、土蔵へ向かう前の決意はどこへやら。 男は、完全に恐怖に支配され、その場で頭を抱えて丸まってしまった。 襖を叩く音は、まだ延々と続いている。 男は、独り書斎に閉じ込められた形になってしまった。 「——あれ、ルミは?」 男は、先程からルミが傍に居ない事を思い出した。 もしかしたら、布団の部屋で待機し続けていたのだろう? だとすると、襖の向こうで、どのような状態になっているのか? 向こう側には、何やら怪しい者達が沢山居る筈なのだが… もし、そうなら……滅茶苦茶ヤバくね? ポスッ、ポスッ、ポスッ、ポスッ、ポスッ、ポスッ、ポスッ、ポスッ 男は無理矢理身体を起こすと、覚悟を決めて、揺れ続けている襖に手を掛けた。 すると、襖の揺れと打撃音が一斉に停止する。 心の中で「いち、に〜の…」と呟き、「さんっ!」と口に出して一気に開ける。 ——ガラッ 布団部屋は、さっき男が通過した時のまま全く変化がなく、何かが暴れていたような痕跡は見られ なかった。 つい今しがたまで、襖を叩いてた者の影すら、そこにはなかった。 デス…… 裁縫道具と人形の部屋の方から、微かに成体実装らしき鳴き声が聞こえた。 隣室を覗き込むと、小さな影が、北側の廊下に向かってゆっくり歩いていくのが見える。 男は呼び止めながら、ライトを向けようとした。 「ルミ! おーい、待てよ!!」 廊下に向かう実装石の足が止まる。 そしてすぐに、ルミの返答の声が聞こえた。 「デスゥ?」 ——ただし、左方向から。 「ご主人様やっと出て来たデスゥ? 待ちくたびれたデスゥ」 「へ?」 男の左手側・タンスのある部屋の方から、眠たそうな顔のルミがひょこひょこと歩いてきた。 だが、男の前方視界には、北側廊下の手前で足を止めている、後ろ向きの影がはっきり映っている。 ルミも、男の視線を追いかける。 そして、次の瞬間…… 「で、で、出たぁ————!! デスゥ!!」 と、大声で叫び、腰を抜かして倒れた。 そのあまりの大声に、男はつい驚きの声を上げそびれる。 前方の影が、ゆっくりと、男の方を振り返った。 男の構えるライトの中に、浮かび上がる姿—— それは、確かに実装石ではあった。 だが、その原型をほとんど留めていなかった。 額の方に大きくずれ、歪みいびつな形をしている緑色の目。 もう片方の紅い目は、どす黒いケロイドに塗り潰されている。 顎と唇、右頬の皮と肉が削ぎ落とされており、毒々しい生肉を覗かせている。 その顔は、まるで子供の落書きのように異常なデッサン崩れを起こしている。 切断された右耳の傷口は、黄色い脂肪が湧き出て、ブジュブジュと音を立て腐った膿を吐き出して いる。 服を奪い取られた上、数箇所に渡ってへし折られた両腕と、切り口に無数の五寸釘を突き立てられた 片足。 そして、胴体全体に乱雑に巻かれた包帯と、その下から飛び出ている鉄条網。 肉は腐り、ケロイドは膿み、パサパサになった髪の毛はただ皮の表面に数本こびりついているだけ。 ぽたり、ぽたりと、腐汁が畳にしたたり落ちている。 見るからにおぞましい姿の実装石は、憎悪のこもった目で、男を見つめ…否、睨んでいた。 そいつは、一階の居間に出現したのとは、明らかに違う実装石だ。 その凄惨な姿に、男は恐怖心を通り越して強い衝撃を受けた。 ゴクリと唾を飲み込み、歪みきった姿に見入る。 否、もはや目が離せなくなっていた。 「デ、デ、デ………!!」 「ひでぇ……」 思わず、顔を歪め声を漏らしてしまう。 実装石に詳しくない男でも、それが過度の虐待によって変えられてしまった姿だという事はすぐに 理解できる。 そしてその思考が、一瞬男の意識から恐怖感を消し去った。 おぞましい姿の実装石は、男やルミに何もせず、何も言わず、まるで空気に溶け込むように姿を 消してしまった。 「なんだぁ…今の?」 「わ、わ、判らないデスゥ! でも、とても変な感じがして来たデスゥ!!」 「……」 同じ実装石のルミには、何かが通じたのかもしれない。 男は、おぞましい実装石が消えた所を見つめ続けながら、再び考え込む。 ——こんな奴が出てくるという事は……ここで、実装石虐待が行われていたっていう事なのか? だが、日記の内容からこの家の住人達に対する思い入れを抱いてしまった男にとって、それは受け 入れ難い結論だった。 あの優しそうな主人が、そんな事をしているとはとても思えなかった。 勿論、男は実装石に対する各人の適性を見抜ける程の眼力など、まったく持ち合わせてはいない のだが。 ※ ※ ※ いつの間にかタンス部屋に引っ込んでいたため、ここまでの騒動にまるで気付いていなかったという ルミに呆れた顔を向けると、男は、結局土蔵の隠し扉の情報はどこにもなかった事を伝えた。 「それは困ったデスゥ」 タンス部屋のカーペットに座り込み、男は、ここまでの情報をまとめてみる事にした。 日記によると、主人は片目のケロイド実装石なる者を見て、土蔵侵入を企てた。 ひょっとしたら、さっき自分達が見たのは、それと同じ奴かもしれない。 主人は、若い人に協力してもらって隠し扉に潜入したという。 しかも、四十年ぶりに入ったとも記してあった。 という事は、主人は年齢的に体力が弱っていて、「若い人の力を借りなければ隠し扉に入れなかった」 という事になるのだろうか? 主人一人では、とても辿り着けない場所にある隠し扉—— そこまで考えていて、男は、さっき書斎で見つけた「ある写真」のことを思い出した。 「……!」 「どうしたデスゥ? ご主人様?」 「なんとなく、見えてきた気がする。…隠し扉の場所」 「デェ?! それは何処デスゥ?!」 「それはな、多分…」 男の視線は、この部屋北西の角に空いている、不自然な空間に向けられる。 北と西で隣接する大きなタンスの棚を塞ぎ合わないように設けられた、デッドスペース。 男が思い出した写真は、娘がここで遊んでいるものだった。 角の空間の中に入り込み、頭の上半分を出して撮影者を見つめているという構図。 西側のタンスの向かって左端…つまり部屋の南側にも、若干の隙間が空いている事に気付く。 男は、そこをライトで照らした。 僅かに、カーペットを擦ったような跡が付いている。 このタンスが、過去にずらされた事があるという証拠だ。 「何かあったデスゥ?」 ルミの質問に返答せず、男はタンスの上によじ登ると、あの写真の娘のように角の隙間へ入り込んだ。 身を屈めて、西側の壁…タンスの後ろ辺りをライトで照らしてみた。 「——ビンゴぉ」 「デェ?! 見つかったデスゥ?」 「ああ、あった。タンスの裏側から、木の扉の端っこみたいのが飛び出てる。やっぱりここだったんだ」 「すごいデスゥ! 天才的発見デスゥ!! 他人の家を暴かせたら、きっとご主人様の右に出る者は居ない デスゥ!」 「全然嬉しくねーんだけど…」 土蔵の東側の壁と、母屋の西側がくっ付いている理由は、これだったのだ。 どういうつもりで、このような構造になっているのか、そこまでは想像出来ない。 ひょっとしたら非常口か何かのつもりだったのかもしれないが、今となっては知る由もない。 先程、表で土蔵を見た時に引っかかっていたものが、確実に氷解していく実感を得る。 さて、隠し扉の位置はわかったが、次はここへの潜入方法だ。 西側の壁側に置かれたタンスは、背は低いもののかなり大型で、しかも中身が詰まっている。 この扉を隠すために、わざと重そうなものを選んだのだろうか。 まず中身を全て取り出して軽くしてから、角の空間よりタンスを横に押すしかない。 西側のタンスの左側にも若干の空間があるため、理屈の上では実行可能だ。 男は、一旦角から出た。 「ルミ、手伝ってくれ。タンスの中身を全部出す」 「デェ! ママさんの大切な着物デスゥ!」 「ちょっとだけだよ、後で必ず元に戻す」 「デェェ……」 「約束するからさ」 ルミを言い聞かせ、早速、引き出しに手を掛ける。 上等な和服や装身具、それを保護している和紙や風呂敷などを、次々に、そして出来るだけ丁寧に 取り出し、ルミに預ける。 ヨタヨタしながら物を受け取ったルミは、何かブツブツ言いながらカーペットの上に置いていく。 十分ほどの時間をかけ、なんとか、タンスの中身をすべて出す事が出来た。 「じゃあ、やってみる」 「頑張ってデスゥ」 あらためて角の空間に身を沈め、西側のタンスの側面に手を掛ける。 そして、力一杯押す…… 「ん、んん〜〜!!」 「デェ? お、重いデスゥ?」 「か、か、かなり……なんてもんじゃ…ねぇ、もんのすげぇ重いっっ!!」 「デギャ! び、ビクともしてないデスゥ!」 随分硬くて丈夫な材質で作られているようで、中身がないにも関わらず、タンスは凄まじい重さを 誇っていた。 男は、主人が「若い人に手伝ってもらった」理由を、嫌というほど理解した。 なるほど、これじゃあ主人だけでは絶対無理だろう。 しかし、だとしたら、俺一人だけでも無理なんじゃ?! そんな弱気が、心を掠める。 「ぬぐぅ〜〜〜!! ぐいぃぃぃ〜〜!! どしぃぃ〜〜〜!!」 「頑張れ頑張れご主人様! 頑張るデスゥゥ!!」 ルミの声援を受けても、タンスはびくともしなかった。 数分間の格闘の末、ほとんど効果を上げられなかった男は、北側の壁に両脚の踵を押し付け、 全身を伸ばす力を加えて動かしてみようと考えた。 「ぬおぉぉぉ! 目覚めろ、俺の小宇宙〜〜っっ!!!」 「頑張れ頑張れご主人……デェ?!」 ——ずりっ 少しだけ、タンスが動いた! 「動いたデスゥ! ちょっだけど動いたデスゥ!! これならイケるデスゥ!!」 「よっしゃあ〜〜! いっくぞぉ〜〜!!」 さらに全身の力を込める。 踵の辺りで、ミシッという頼りない音が響いたが、必死の男には聞こえない。 さらに、数十秒後…… 「 ど っ せ い !! 」 ——ずりっ、 ズ・ズ・ズ・ズ………!! メキッ! 大きな摩擦音、振動音、そして微かな破砕音を立てて、西側のタンスは南側へ数十センチほど スライドした。 「よっしゃあ! 動いた!! ……って、あれ?」 「どうしたデスゥ?」 男の両踵が、北側角の壁に、ちょっと大きな穴を開けていた。 ふんばった瞬間にぶち抜いたらしい。 男は、初めて廃墟に大きな破損を与えてしまい、罪悪感に支配された。 「うわ…や、やっちゃった!」 「あらら、穴ボコ開いちゃったデスゥ?」 「やっぱいなぁ、ど、どうしようこれ…」 「それより、何が出て来たデスゥ?」 ルミが、開いたタンスの隙間から角を覗きこむ。 西側の壁・タンスの裏にあった木の扉が、ほぼ完全に露出していた。 高さ・幅共に約50センチほどの、ものすごく小さな木扉。 それは、梵字のようなものが記された無数の紙札を貼り付けられ、厳重に封印されていた。 それを見た男とルミは、思わず息を呑んだ。 「うっわ……!!」 「と、と、とてつもなく不気味な気配がプンプンしてるデスゥ!」 「こ、これ、やっぱり…剥がして入らないと、ダメ?」 「そうみたいデスゥ」 「ま、マジですかい!」 どうやら、壁に穴を開けた程度でへこんでいる場合ではないらしい。 ようやく目的の場所に近付いたというのに、男は、更なる決断を迫られている。 実は、他の廃墟でもこのような紙札を見かける機会はあったりする。 そして一部の初心者廃墟マニアにとって、これらは「恐怖心を煽るアイテム」の一つとして映って しまう場合がある。 張られている紙札の種類や状況から、その廃墟に棲んでいた人達の宗教観が判ったり、また執拗 に「何か」を忌み嫌っていたりしていた様子が窺い知れるが、たいがいにおいてそれは「元住人の 暗黒面」に属する情報だ。 例えば、一見ごく普通の住居だと思われた廃墟の一室にだけ、異常な枚数の紙札が貼り付けられて いたとする。 そんな物を見てしまうと、よほどの者でない限りその部屋には立ち入ろうとしたがらないし、まして 「何故こんなに札を貼る必要があったのか?」という疑問を抱かずにはいられない。 そしてそれらは、時間を置くにつれてどんどん妄想を膨らませ、やがては大きな恐怖の種へと変貌 する。 仮にその紙札には何の意味もなかったとしても、見た者はそうは思わない。 結果的に、そこは「過去何かがあった因縁のある場所」として扱われるようになるのだ。 紙札でなくても、要は見た者が怖さを少しでも感じるものなら、何でもいい。 「自殺電波塔」の天井に付けられた鉄製のフックや、「ホワイトハウス」の“階段がないのに存在する二階” なども、そういう物の一種だ。 現在「恐怖の心霊スポット」と呼ばれる廃墟のほとんどは、そのようなつまらない物が根元となり、 くだらないレッテルを貼られたに過ぎないのだ。 男も、過去数回こんなものを見た事があったが、どうせ何かの宗教絡みだろうと結論付け、あまり 深く考えなかった。 しかし、今回のだけは訳が違う。 明らかに、「やばいもの」だという裏づけがあるのだから。 それを破って先に進もうというのだから、たまらない。 先程まで「土蔵に潜入し、謎を解いてやる」と息巻いていた男だったが、さすがにこれは退いてしまう。 男は、来ては行けない領域に来てしまったという事を、これ以上ないくらい自覚させられた。 「デェ?」 扉の前で必死に悩んでいる男をよそに、突然、ルミが声を上げた。 「どうした?」 「閉まってるデスゥ! さっき開いてたのに、閉まってるデスゥ!」 「え?」 ルミの言う通り、いつの間にか襖が閉じられていた。 変化に、まったく気づかなかった。 先程の書斎での怪現象を思い出し、男は、襖に手を掛けようと立ち上がる。 だが、その途端…… デェ デェ デェ デェ デェ デェ ポスッ、ポスッ ポスッ、ポスッ、ポスッ、ポスッ ポスッ、ポスッ、ポスッ、ポスッ、ポスッ、ポスッ…… また、あの弱い打撃音が聞こえ、襖が揺れ始めた。 しかも今度は、向こう側から掠れるような鳴き声が聞こえてくる。 何匹も、十何匹分にも感じられる、実装石の鳴き声。 男は、また襖を思い切り開け放とうとするが、なぜか今度はビクともしない。 まるで、強い力で押さえつけられているようだ。 どんなに気合を込めても、襖は開く兆しすら見せない。 それなのに、打撃音と鳴き声は相変わらず続いている。 デェ デェ デェ ポスッ、ポスッ ポスッ、ポスッ、ポスッ、ポスッ 「な、な、なんだよこれぇ!」 「と、閉じ込められたデスゥ?!」 「ん、んなバカな! だって…」 この部屋から外に出るには、襖を開けるしかない。 だが襖を開けようとしても、外そうとしても、ピクリとも動かない。 もはや、あの木扉をくぐるしか、選択肢は残されていない。 二人の目が、木扉に貼り付けられた無数の紙札に集中する。 揃ってため息を吐き出すと、男とルミは、不安げな顔で互いを見つめ合った。 (続く) --------------------------------------------------------------------- 筆者注: 本作内に名称の登場する廃墟は、いずれも実在または過去に実在していた物件です。 今回出て来た「自殺電波塔」「ホワイトハウス」は、いずれも新潟県内に実在する廃墟です。 後者の「階段のない〜」は、単に肝試しに訪れたどこぞの連中がリアルヒャッハーして 破壊してしまっただけで、全然怖い話ではなかったりします。 尚、筆者が訪れた頃(約17年くらい前)は、まだ階段がちゃんと存在していました。
