タイトル:【哀】 影の棲む家 弐
ファイル:影の棲む家 弐.txt
作者:匿名 総投稿数:非公開 総ダウンロード数:1661 レス数:0
初投稿日時:2007/03/24-15:46:52修正日時:2007/03/24-15:46:52
←戻る↓レスへ飛ぶ

     (●A○) 筆者より (●A○)


 このスクは実装石スクですが、人間がメインの内容です。
 ちょっと変わった「探検」スクとして読んでいただければ幸いです。
 一応実装石虐待ネタはありますが、比率は少なめなので過剰な期待は
 しないでください。

 また、本文中に方向の表記として「東西南北」という表現が出てきますが、
ピンと来ない人は

 「北=前、南=後、西=左、東=右」

 と置き換えて読んでみてください。
 (但し主人公主観の方向ではなく、絶対位置です)

 以上、予めご理解願います。



【 前回のあらすじ 】

 自転車で旅行をしている廃墟マニアの男と、実装石ルミは、雨の夜にある和風の屋敷を発見する。
 中に入り込み、早速探索を始める男。
 しかし、その中には不気味な「何か」が蠢いていた。

 心霊関係を信用していない男は、無理矢理恐怖を振り払って、さらに探索を続ける。





     ※          ※             ※




【影の棲む家】 弐



 ルミと一緒に二階へ戻った男は、今度は廊下をぐるりと旋回し、南側の襖を開けて中に入る事にした。

 これから入る部屋は、さっきの部屋の南側奥に位置する。
 先程の経験から、思わず襖に当てる指に力がこもる。
 男とルミは目線を合わせ、小さく頷き合うと、ゆっくりと襖を開いた。


 そこは、今居る部屋とだいたい同じくらいの大きさの和室だった。
 西側にさらに襖があり、東側には押入れと思われる別な仕切りがある。
 南側の壁には木製枠の窓があり、薄い窓ガラスは風に煽られ微かな音を立てていたが、割れたりはしていない。
 物凄く薄い生地のカーテンが端に吊るされており、それが一瞬白い服を着た人間のように見えた。

 この部屋はがらんとしていて、家具らしい家具は何もない。
 そのせいか、ものすごく寂しい雰囲気が漂っている。
 ただ、一つだけ他の部屋と大きく異なるものがある。

 LEDライトは、中央に敷かれた一組の布団を照らし出していた。
  

「デェ! お、お布団デス! 膨らんでるデス! 何か居るデスゥ!!」

「し、静かにしろ!」

 ルミを押さえ込み、数歩後ずさる。
 ルミの言う通り、その布団は中央部分が大きく膨らんでいた。
 人間の大人がうずくまっているくらいはあるだろうか。
 布団の端から一部がはみ出たりはしていないため、詳しい状態はわからない。

 男が咄嗟に考えたのは、「廃墟の住人」のことだった。

 廃墟を多く巡っていると、たまにそこを根城にしているホームレスや流浪者に出くわす事がある。
 彼らは勝手に入り込み、そこらからかき集めてきた道具で生活し、まるでそこが自分の持ち家であるかのように振舞う。
 男も過去数回そんな連中と遭遇したり、生活の跡を発見したりしたものだ。
 或いは、廃墟だとばかり思っていたら現役の物件で、そこの正当な住人と出会い揉めてしまう事もありうる。
 こういう場合、無駄な争いを避けるために素直に退出するか、住人に気付かれないように探索を続けるしかないが、今回は
少し事情が違う。
 朝になるまでは、ここに居なければならないのだから。
 ここまでの経緯から、この屋敷が廃墟なのは間違いない。
 だとすると、この布団の主が正当な住人だとはとても思えない。
 男は、先程までの心霊疑惑で震え上がった気分がリセットされた事に感謝する反面、興を削がれたような気もして、少し
だけ憤りを感じていた。

「どうするデスゥ? ご主人様?」

「ここまで来たんだし…布団はほっといて、こっそり向こうの部屋を覗きに行こう」

「わかりましたデスゥ。じゃあ、静かに動くデスゥ」

 ひそひそ声で、ルミと密談する。
 爪先立ちで部屋に入り込み、布団を旋回して西側の襖へ接近する。
 本当は、先に押入れを調べたかったが、布団の主を刺激する可能性を懸念し、今はやめておく事にする。
 静かに、静かに、襖を開いて身を滑り込ませると、すぐに閉める。
 これで、ライトの光は遮断できる筈。
 男は、二階最深部と思われる小さな部屋をライトで照らし出し、観察を始めた。


 そこは、どうやら書斎のようだ。
 西側と南側にそれぞれ大きさの異なる窓があり、南西の角には小さな机と座椅子が置かれている。
 それ以外の壁は、背の高い本棚で覆われている。
 部屋自体はかなり狭いが、蔵書量はかなりのものに思える。
 どの本棚にもみっちりと本が詰め込まれており、一部入りきらなかったと思われる本が足下に束ねられている。
 本は湿気を含んでおり、かなり傷みが激しいようだが、中段より下の方は比較的まともな状態で保存されている。
 背表紙を見る限り、かなり古い農業関係の資料や果樹関係の記録がほとんどのようだ。
 かと思うと、一角には古い雑誌も詰め込まれており、その中には「オッス!」や「刑事」のような、60年代頃の漫画貸本や、
古い小説誌なども多数見られた。
 意外に多趣味だったようで、蔵書構成はバラエティに富んでいる。
 男は、一番机に近い本棚の下段付近に、実装石関係の書籍もある事に気付いた。

 適当に一冊取り出して、中をパラパラと見てみる。
 有名な実装石関連雑誌「実と装」のバックナンバーだったが、ピンナップやレイアウトに古臭さを感じる。
 奥付を見ると、76年12月とあった。

「三十年前か」

 本棚の中の実装雑誌は、毎号ではないもののかなりの数がある。
 一番新しい物でも、79年4月だ。
 男は、先程一階で見たあの不気味な実装石のことを思い出した。

 さすがにすべての本を見ていく気にはならなかった男は、最後に机を調べてみる事にした。
 机の引き出しの中にも、ノートが何冊か詰め込まれている。
 横書きの大学ノートに、ペンで記した簡素なもの。
 どうやら、日記のようだ。
 男は、少し罪悪感を覚えはしたものの、好奇心には勝てず、適当にパラ見してみる事にした。


 最初に手に取った日記は、76年付のものだった。


“昭和51年某日——曇

 娘が、我が家に戻ってきた。
 私達は、心の底から祝った。
 二人だけの生活は、とても長く、寂しかったが、それも今日までだ。
 
 いつもは物静かな妻も、今日ばかりは楽しそうに娘の世話を焼く。
 一昔振りの喧騒に、私は思わず目頭を拭う。”


“昭和51年某日——快晴

 家族が一人増えるだけで、これほどまで生活の様子が変わるとは、考えもしなかった。
 毎日が充実し、楽しく、自然に笑顔が浮かぶ。
 こんな明るい気持ちは、何年ぶりに味わったことだろう。

 夕刻、妻が体調不良を訴えたため、早めに休ませて、娘と二人で家事にいそしむ。
 家事に不慣れな娘と私は、台所で悪戦苦闘させられた。
 妻にどれだけ頼り切っていたかを、実感させられる思い。”
 

“昭和51年某日——雨

 妻の容態が芳しくなく、町医者を呼び診察していただく。
 元々身体が丈夫ではないので、色々と無理が祟ったようだ。
 疑いのある病名を聞き、愕然とさせられる。
 町医者に、精密検査と総合病院への入院を奨められるが、とても無理なため、自宅療養を選択せざるをえない。
 心の中で、妻に深く詫びを入れる。”


 そこまで読み、男は、思わず布団部屋に通じる襖を見つめた。
 そこから先は、どうやら「妻」の病状の変化と、看病に翻弄される「私」と「娘」主体の表記が中心らしい。

 なんとなく先を読むのが躊躇われたので、別な日記を手に取り、飛ばし飛ばしで眺めてみる。

 今度の物は、80年付のもの。
 さっきの物の、約四年後の日記だ。


“昭和55年某日——晴れのち曇

 筆が進まず、今日も仕事に身が入らず。
 娘の煎れてくれた茶を飲み、ただ窓の景色を眺める。
 そんな私を、娘はとても心配してくれる。
 その優しさに癒されはするが、やはり、いまだこの虚無感には慣れず。”


“昭和55年某日——雨

 今日もまた、アレを見た。
 何度目になるか、もうわからない。
 廊下の陰、風呂場の窓、襖の隙間と、最近は頻度が高まっている。
 何を求めているのだろうか?
 娘が、夜中にアレを見たと言い私の寝床に逃げ込んできた。
 これではまるで、我々をここから追い出そうとしているようではないか。”


“昭和55年某日——雨

 夕べ、娘が、死んだ。”


“昭和55年某日——快晴

 すべてが片付き、私は、独り残されてしまった。
 これから何をしていけば、いいのだろう?

 生きる事が、辛い。”


 ——なんだか、内容が段々重苦しくなってくる。
 男は日記を引き出しに戻し、ため息を漏らした。

 この家の主人は、どうやら家族を失い独り暮らしをしていたようだ。
 今から二十六年以上も前に、ここで一体どんな事があったのだろう?
 廃墟の中で、色濃く残された昔の生活跡を見つける事はままあるが、今回ほど濃厚なものにお目にかかった事はない。
 ぼろぼろになった座椅子の座り、男は、なんとなくこの家の主人の立場になって思考を巡らせようとしてみた。
 だが、まだ若い男には、理解する事は難しかった。

 日記の内容を反芻するうちに、気になる記述があった事を思い出す。
 主人が見かけた「アレ」とは、なんだろう?
 それをもう一度確認したいと思って、男は、再び引き出しからノートを取り出した。


“昭和57年某日——

 昼にそうめんを食す
 時期外れではあるが美味なり”

“昭和57年某日——

 田島氏が街への引越しを始めた
 この辺りも本当に寂しくなったものだ”

“昭和57年某日——

 散歩中近くの森で狐の親子を見かけた”

“昭和57年某日——

 そういえば私もそ”


「あれ?」

 どうやら、さっきとは違う日記を開いてしまったらしい。
 日付は82年頃で、一階で見つけたカレンダーの時期と一致している。
 どうやらこれが最後の日記のようだが、一番ラストの記述は不自然に途切れている。
 まだ2/3以上もページが残っているというのも、なんだか奇妙だ。

 再度さっきの日記を探そうとしたが、なんとなく面倒に思えて止める事にした。
 他に部屋を調べたが、特にこれといって興味を惹くものはなかった。
 男は、静かに襖を開け、布団部屋へ戻った。


 ——あの布団は、ぺしゃんこになっていた。


「デ! デデ?!」

「さ、さっき……膨らんでいた、よな?」

「デスゥ! デスゥ! 間違いないデスゥ!!」

 ルミが慌てて掛け布団をめくり上げ、中を覗こうとする。
 暗くてよくわからない様子なので、後ろからライトをあててやる。
 布団の中はドス黒いカビが繁殖しており、とてもじゃないが正視に堪えうる状態ではない。
 それ以前に、こんな中に人が潜り込んでいられる筈がない。
 男とルミは、無言で顔を見合わせ、そっと布団を戻した。




     ※          ※             ※


 間違いなく、ここでは何か異常な事態が起こっている。
 あの日記の内容とかみ合う部分も、多々ある。
 二階から退出し、最初のちゃぶ台部屋まで戻った。

「ど、ど、どうするデスゥ?! ここ、出て行くデスゥ?」

「う、ど、どうしようか凄く悩んでる」

 ルミに言われるまでもなく、本音はすぐにでも逃げ出したい心境だった。
 実装石の幽霊など、昼間なら笑い飛ばせるギャグ程度のものかもしれないが、こうして無人の廃墟の中で実際に見てしまう
と、まったくシャレにならない。
 男は実装石についてあまり詳しくはなく、今までは単なる「愉快生物」だと考えていた。
 公園で人間に媚を売り、バカな仕草を見せたり、愚かしい行為に走ったり。
 いわゆる虐待派や観察派の人間は、そんな滑稽さを他より多く求める人種だと解釈していた。
 それ以外特に何も感慨を持たずにいたが、まさか、ここまで恐怖心を煽る存在になりうるものだとは思っていなかった。

 しかし、この廃墟はそれを踏まえてもなお魅力的だった。
 二十年物の廃墟、造りはシッカリしていて生活の様子も色濃く残り、まして前住人の心境まで明確に残されているのだ。
 こんな好条件は、今後巡り会えるかどうかわからない。
 否、まずありえないだろうという気がしてならなかった。
 葛藤する恐怖心と好奇心。
 リュックの口を閉めかけた状態で硬直していた男は、しばし無意味に唸り、ようやく答えを出した。

「よし、決めた!」

「デェ? やっぱり逃げるデスゥ?」

「まさか! 俺はやっぱりここで泊まる!」

「デッ?!」

「今怖がって逃げ出したら、俺はものすごく後悔すると思う。やっぱり、一度決断したなら、余計な事は考えない方がいいに
 決まってる! もう、あんな辛い思いは二度としたくないし……」

「ご主人様、いったい何があったデスゥ?」

「この前網でな、メガハ●スのユ……いや、なんでもない。忘れてくれ」

「デスゥ?」



     ※          ※             ※



 屋根を叩く雨音が弱まったため、男は一旦外に出てみる事にした。
 降りこそ弱まってはいたが、途中から霧雨に切り替わっていた。
 これでは、どちらにしろ脱出は無茶だ。
 外に出たついでに自転車の様子を確認しに行こうとするが、ふと、母屋の脇に意識が向く。
 そういえば、何か別な建物が隣接しているような感じだった事を思い出した。

 母屋の西側・裏手に回りこんでみると、そこには、古い作りの「土蔵」があった。

 二階建ての母屋よりやや背が高く、南側に大きな鉄製の扉がある。
 数メートル上の方には小さな窓があり、なまこ壁ではないタイプのようだ。
 相当古い時代のもののようで、漆喰は下半分が大きくひび割れ、一部が剥げ落ちている。
 一部壁土や骨組の竹、藁などが露出していて、なんとなく人間の腐乱死体を想像させる。
 下からでは見えないが、恐らく瓦や屋根板なども相当傷んでいるのではないだろうか。

 外観は悪いが、廃墟マニア的には、かなり良さそうな物件である。
 特に、表面の破損度は男の魂をグイグイと惹き付ける。
 男は、霧雨に濡れている事も忘れ、土蔵に見入っていた。

「ご主人様ぁ、せっかく乾いたのにまた濡れちゃうデスゥ、おうちに戻るデスゥ」

「いや、待って……」

 まるで吸い寄せられるように、男は土蔵の扉に向かう。
 鉄扉に手を掛けようとして、取っ手になるものが取り外されている事に気付く。
 ダメ元で扉を強く押してみるが、当然ビクともしない。
 どうやら、完全に封じられているようだ。

「うげぇ…ここまで来て入れないのか…」

「諦めるデスゥ。それより、風邪引かないうちに戻るデスゥ」

「うう、仕方ないなぁ…でも、あとちょっとだけ。ちょっとだけ、な?」

「デデ、しぶといご主人様デスゥ〜」

 しぶとく周囲を回り様子を見たが、どうやら中にはどうやっても入れそうにない。
 壁を壊して中に侵入する考えも頭をよぎったが、今手元にある鈍器はルミしかないため、諦める。
 土蔵の東側は母屋と完全に密接しているようで、これなら、母屋の屋根から飛び移り……などという荒業も考慮したが、
生きて戻れそうにないのでやっぱり止めた。

 立ち入れない廃墟にどうにかして忍び込むのもマニアの腕前、と先輩廃墟マニアから言われた事があるが、時には諦めも
肝心のようだ。

 敗北感を味わいながら、男は再び母屋へ戻った。



     ※          ※             ※


 ちゃぶ台部屋に戻った男とルミは、濡れた身体をタオルで拭くと、適当に横になって休む事にした。
 昨日はほとんど一日走りっ放しだった事もあり、そろそろ寝ておかないと身体が持たない。
 色々と不気味ではあったが、それよりも体力回復の方が先決だ。
 隣でごろんと横になったルミが寝息を立て始めた頃、男にも、睡魔が訪れる。
 寝袋のチャックを改めて閉め、男は、静かに瞼を閉じた。






 
 ——どれくらい時間が経っただろうか。


 男は、急に寒さを感じて目を覚ました。
 まだ夜は明けていないようで、周囲はまだ暗い。
 寝袋の中から周りを見回すと、さっきまで横で寝ていたルミが居ない。
 時計を確認してみると、どうやら寝付いてから二時間も経っていないようだ。
 男は、急に不安に駆られて寝袋から飛び出した。


 居間、仏間、廊下を巡り、ルミの姿を探し、呼びかける。
 だが、どこにも反応はない。
 階段まで辿り着き、二階へ上がろうとした時、男は、まだこの廊下の反対側…階段で途切れた向こう側へ行ってない事を
思い出した。
 一階の廊下は、部屋の周囲をぐるりと取り囲んでいる構造だが、北西の角は階段になっているため、周回は出来ない。
 この階段の下にも、きっと何か設備がある筈。
 男は、どうしてさっき確認しておかなかったのかと、少しだけ自責の念に駆られた。



 時計と逆周りに廊下を進み、仏間の裏側・一階の西側廊下へ辿り着く。
 南西の角には浴室へ通じる木扉があり、もう少し北側へ進んだところで行き止まりになっているようだ。
 ライトの明かりで、廊下の袋小路を照らし出してみる。
 そこにも、木扉があった。
 浴室の扉より薄そうで、目線の高さ辺りに横長の小さな曇りガラスがはめられている。
 脇にある電源スイッチから、ここがトイレである事が予想できる。
 男は、なんとなく忍び足になって木扉に近付き、金属製の取っ手に手をかけた。


 ——デェェ——

 その瞬間、中から微かに実装石の声がした。

「ルミ?!」

 反射的に、木扉を開く。
 中には、とても狭い空間があった。
 汲み取り式の和風便器、漆喰で固められた白い壁、天井からブラ下がる電球——
 他には何もなく、誰もいない。
 ルミの姿もそこにはなかった。

 しかしここは、いわゆる「ボットン便所」である。
 最悪の場合、最悪の事態が、最悪の可能性で考えられる。
 男は、身を乗り出して便器の中を照らしてみる。
 永遠の暗黒が、ポッカリと口を開いていた。

「ルミ〜……居るかぁ? まさか落ちたりしてないよなぁ」

 囁くような声で穴に呼びかけるが、反応はない。
 どうやら、落ちたわけではないようだ。
 安心して、トイレから退出する。
 木扉を閉めた時点で、男はハッとした。


 ——じゃあ、さっきの声……誰?


 もう一度木扉を開けようとして、ふと気付く。
 木扉を引き開けるための取っ手は、成体実装石でも手の届かない高さに取り付けられている。


 ——デェェ——

 木扉の向こうから、また、不気味な鳴き声が響いてきた。

 男は、扉を開けずにトイレに背を向け、逃げるように走り出した。



 南西の角に辿り着き、左折しようとして足が止まる。
 いつの間にか、浴室の木扉が開かれていた。
 ここも、取っ手の位置は人間に合わせてあるから、自分以外の者が開けられる筈がない。
 中途半端に開かれた木扉の隙間からは、不気味な闇が染み出している。
 吸い寄せられるようにその隙間を覗き込んだ男は、暗闇の中に、緑色の微かな光を見止めた。
 それが実装石の片目だという事は、すぐにわかった。
 だが、ルミではない。
 全身の感覚が、そう訴えている。
 緑の光は、微動だにせずに男の方を向いている。

 男は、迷う事なく木扉を閉め、ちゃぶ台部屋まで走った。




     ※          ※             ※


 それから、小一時間ほどルミを探したが、どこにも見当たらない。
 だんだん心配になって来る。
 台所、仏間、居間を再度確認するが、痕跡すらない。
 とすると、いよいよ二階しかない。
 男は息を呑み込み、気合を入れると、階段をゆっくり昇る。
 ラジオと裁縫道具のある部屋に入ると、先程片付けた筈の棚が開かれ、あの作りかけ実装石人形が出されている事に
気付く。
 棚は荒らされたわけではなく、人形の入った袋だけを丁寧に取り出したように見える。

「ルミ、居るのか? いたら返事しろ!」

「——!」

 一瞬、声のようなものが聞こえた。
 布団部屋の方だ。
 あの不気味な部屋にまた入らなければならないのか、と思うと気が引けたが、やむをえない。
 襖をゆっくり開け、中を照らす。
 ぺしゃんこの布団が、ぼんやりと浮かび上がる。

「ルミ〜? 居るのか?」

「——ここデスゥ…」

 ルミの声が、書斎の方から聞こえた。




     ※          ※             ※


 書斎の襖の前で、ルミはぼんやりと佇んでいた。

「どうしたんだ、こんな所まで来て?」

 男の問いかけに、ルミはただ首を振った。

「わかんないデスゥ…急に目が覚めて、ここに来たくなったんデスゥ。ご主人様、ここを開けて欲しいデスゥ」

 ルミが書斎へ通じる襖を指差す。
 男は、そこはさっきじっくり見た事を説明したが、なぜかルミは駄々をこねる。
 仕方なく、男はもう一度書斎に入り込んだ。

 書斎は、先程来た時から変化はないようだ。
 ここに入らせて一体何をさせたいんだ、と思ったが、せっかく入ったのだからと、もう一度本棚や机を物色してみる。
 ふと、またあの日記ノートが目に止まる。
 一番上に置かれていた物の表題は、77年から78年となっていた。
 確か、これはさっき読まなかった筈。
 男は無意識に日記を手に取り、ページをめくり始めた。


“昭和52年某日——晴れ

 妻の容態は安定して来たようだが、相変わらず薬の効果は見られず。
 私も娘も、焦りを覚える。
 妻には不安を悟らせないように気遣っているつもりだが、素直な娘は顔に出してしまうかもしれない。
 夕食後、娘に言い聞かせる。
 一応理解を示してくれはしたが、まだ心配の種が取れたわけではない。”


 これを書き出しに、「妻」との闘病生活の様子が鮮明に記されている。
 日々の世話、精神的疲労、経済的問題、高価な薬品と見合わぬ効用、仕事への影響…
 読み進めていくうちに、この家の主人は文筆業を営んでいたらしき事がわかったが、ノートの後半はそれにほとんど手を
回せない状態になっていたようだ。
 血を吐くような、生々しい苦しさが切々と連ねられている。
 この日記は、まるで主人があえてその時の辛さを書き留めているかのようだ。

 男は、悲痛な気持ちに駆られながらも、思わず読みふけってしまう。
 だが途中で、そこまでとはまったく違う内容の記述を発見した。


“昭和53年某日——雪

 一階の廊下で、影のようなものを見つける。
 便所の方へすうっと走り、いつのまにか消えてしまった。
 また妻も、今朝方寝室の襖から小さな影が飛び出て来たのを数度見たという。
 娘は、まだ見ていないようだが。”



“昭和53年某日——雪

 夕刻、仏間に気配を感じ見てみると、どこから入り込んだのか実装石が居た。
 その姿は異様極まり、左腕がなく、片耳が削ぎ落とされている。
 ボロボロの服、死人のような肌の色は、死霊を思わせる気味悪さだ。

 それは、娘の悲鳴と共に掻き消えてしまった。

 その実装石の惨たらしい姿は、小さい頃の記憶を呼び起こさせるようだ”


「これは…」

 思わず口を突いて言葉が漏れる。
 主人が見たという実装石は、部分的にではあるが、先程男が見たものとよく似た特徴を持っているらしい。
 さらに読み進めていくと、この異様な外観の実装石の姿はやがて家人全員に発見され、次第に出現頻度を増していく。
 また、異様な外観の実装石は一体だけでなく、どうやら複数存在しているらしき事もわかった。

 日記の内容は、途中から闘病生活の様子だけでなく「異様な実装石」についての言及も始めている。
 男は、またさらに気になる表記を見つけ、ページをめくる手を止めた。


“昭和53年某日——曇

 身体に欠損を持つ実装石は、「実と装」によると、どうやら虐待を受けた者のように思われる。
 先日出くわした半身ケロイド状の片目裸実装は、火傷を負わされる事で回復能力を奪われた成れの果てなのかもしれない。
 もしそうだとしたら、彼女達が姿を現す理由は、一つしか考えられない。
 闘病中の妻は、不気味な彼女達の存在に怯え、次第に容態を悪化させている。
 また、娘の心理的影響も計り知れない。

 このままでは、いられない。
 私は、事の解決を試みる事にする。
 早速、明日土蔵へ入る事にしよう”


 ——土蔵?

 唐突に、気になる単語が出て来た。
 土蔵というと、当然表のアレの事だろう。
 主人は、これを書いた後にあの土蔵に入ったのか?

 さらに翌日の日記を確認する。


“昭和52年某日——雨

 若い人に協力してもらい、土蔵の隠し扉を開き、土蔵の中へ入った。
 立ち入るのは実に四十年振りになるが、残念ながらすぐに出てしまう結果になった。
 私と一緒に入ってくれた者達も、悲鳴を上げて逃げ出してしまった。
 ついに原因を究明できなかったが、あの土蔵に謎がある事だけはわかった。
 しかし、私はどうするべきなのだろうか?

 それとも、あの土蔵を取り壊したら、この問題は解決するだろうか?”


 「隠し扉」という表記に、男は興味を惹かれる。
 正面入り口以外から、あの土蔵に入る方法があるのか!
 しかし、若い人に協力してもらい、という表記が気になる。
 まして、主人は土蔵の中で何かを体験し、逃げ出したようだ。
 あの土蔵の中には、悲鳴を上げて逃げ出すほどやばい何かがあるというのか?
 物凄くカオティックな雰囲気を覚え始める。

 これではまるで、廃墟探索ではなく肝試し…いや、どちらかというとRPG的大冒険の感覚ではないか?
 さしあたり、あの土蔵はラスボスが潜む最後の敵陣(エリア)といった所だろうか。

 日記を、さらに読み進める。
 もはや、男は他人の日記を読む事に対する抵抗感をすっかり忘れていた。


“昭和52年某日——

 佳枝へ


 二年も、良く頑張り通せたね。
 本当に、よく頑張ったね。

 二十年間の、素敵な生活をありがとう。

 本当にありがとう。


 さようなら”


「え……」

 男は、また無意識に声を漏らした。

 「妻」の死を示している事は、すぐに理解できた。
 前にここで読んだ日記はこれの後に記されたもので、そちらでは「妻」がまったく登場しなかったため、もしやとは思っていた
が……
 涙もろい性質の男は、思わず目頭を熱くした。
 

 この主人は、その後に娘も死なせている。
 そして、それか何年かは独りぼっちの生活を営んでいたのだ。
 この家は、独りで住み続けるには大きすぎる。
 ましてや、亡き家族との思い出が残されているとあれば、せつなさは並大抵のものではなかっただろう。
 男は、いつしかこの家の主人に、深く同情するようになっていた。

 そして同時に、あの土蔵の中に何があるのか、何が起こっていたのか、どうしても突き止めたいと思い始めた。


 日記を片付け、布団部屋に戻った男に、ルミが声をかけてくる。

「デスゥ…ご主人様、これからどうするデスゥ?」

「ルミ、お前はここに出てくる実装石達の事、どう思う?」

「可哀想だと思うデスゥ。よくわからないけど、とても悲しくて、痛くて、辛い気持ちになるデスゥ…きっと、何かをルミ達に
 伝えたいんだと思うデスゥ」

「そうか。——でも俺は、なんとなく、あいつらからは悪意みたいなのを感じる」

「デェ?」

「俺達はともかく、前にここに住んでいた人達に対しては、あまり良い気持ちを持ってなかったんじゃないかな?」

「デェ……」


 日記の内容が全て事実なら、この家の中に出現する実装石は、まるで生活者達に不幸を与えているようにしか思えない。
 男は、なんとも言えない不快な感覚が胸中に渦巻いていくのを実感した。


「デヒ?!」

 突然、ルミが悲鳴を上げる。
 彼女の視線を追って、男は、例の布団を見た。


 布団の中心が、いつの間にか再び盛り上がっている。
 そして今度は、膨らみがウネウネと蠢いていた。
 それも、小さな何かが複数潜り込み、それぞれが好き勝手に動き回っているように見える。
 それなのに、何の音もせず、声すらも聞こえない。
 僅かな布の擦れる音と、男の荒い呼吸音だけが、室内に響いている。

 震えて自分の背後に回りこむルミをよそに、男は、覚悟を決めて掛け布団の端を思い切り蹴飛ばした。


 ぼふっ!


 半分ほどめくれ上がる掛け布団。
 そして、中から覗くドス黒い染みの数々。

 ——中には、何も居なかった。


「デェェェ!! ご、ご主人様ぁ! こ、怖いデスゥゥゥ!!」

「……上等じゃねぇか」


 男の眉に、力がこもる。
 心の中に、決意のようなものが生まれた。
 今の現象は、姿なき実装石達による自分達への挑発行為に感じられた。


「よし、土蔵の隠し扉を探そう。もう一度外に出るぞ」

「デェッ?! ほ、本気で中に入るつもりデスゥ?!」

「ああ、こうなったのも何かの縁だしな。こうなりゃ、どうしても土蔵の中に入り込んでやるさ」

「デ……」


 男にとって、もはや土蔵に侵入する事は、ここの家人達に対する敵討ちのような感覚になっていた。
 男は、昔から「その気になりやすい性格」だった。
 別な言い方をすれば「もの凄く熱しやすい」タイプ。
 主人の日記に対する思いが、今の彼を激しく過熱させていた。

 男は、このまま何もしないでここを出る気には、どうしてもなれなかった。
 この家の本来の住人達に対して、せめて雨宿りをさせてもらった礼と、勝手に日記を読んだ償いくらいはしたいと思っていた。

 ——言うまでもなく、それは単に、一時的に高揚した気分から来ているものなのだが……男に、その自覚はまったくない。


「もう一度、あの土蔵を調べてみよう。ルミ、手伝ってくれないか?」

「デェ、もう何を言っても止まらないみたいデスゥ。——わかりましたデスゥ」


 男は、ルミと共に階段を駆け下り、玄関へと向かった。
 再び、雨の降りが強まってきた。


(続く)

-----------------------------------------------------------------------------------


 

■感想(またはスクの続き)を投稿する
名前:
コメント:
画像ファイル:
削除キー:スクの続きを追加
スパムチェック:スパム防止のため3037を入力してください
戻る