タイトル:【馬】 十文字実よし【厨】
ファイル:じつよし.txt
作者:匿名 総投稿数:非公開 総ダウンロード数:2546 レス数:0
初投稿日時:2007/03/16-16:19:21修正日時:2007/03/16-16:19:21
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割烹料理店実よし。
その奥には一枚の実装石の写真と共に、
十文字実よしと呼ばれる包丁が安置されている。

ことの起こりは半年前だった。

実よし内で一番の腕前を持つ板前がいた。
彼らは特に名前を呼ぶこともせずに仕事をこなすマジメな気質であり、
それも手伝ってか店員では固有の名前を持つ実装石はいなかった。

ここでは彼を実装石と便宜的に呼ぶことにしよう。
彼の包丁さばきは見事と言う他なかった。
肉でも野菜でも見事な切り口で見た目をそこなわない。
しかしこれは才能などではなく恐るべき努力によるものであった。

彼は仔実装の時分に実よしの軒下で行き倒れていたところを、
当時の店長石に拾われた身の上だ。

そのまま実よしの店員見習として働くことで彼は命を繋ぐことに成功した。
拾われた音を返そうと日々懸命に働くうちにその勤勉さが認められ、
ついには包丁を握れる日がやってきた。

多くいる実よし店員の中でも包丁を握れる者は少ない。
料理の見栄えを左右する重大な役ということと、刃物を持つことはすなわち人間に文字通り
刃向かうことが可能となるゆえに、迂闊な人選では店の将来までが左右されてしまうためだ。
マジメさを買われ包丁担当に抜擢された調理担当実装石であるが、思うようにはいかなかった。

縦に切っても横に切っても、包丁の入れ始めと終わりではナナメにズレてしまうのである。
真っ直ぐ切るということは人間でも料理に慣れていなければそこそこ難しい。
まして不器用の権化とも言える実装石ならばなおさらであった。

実装石はそこで2枚の金属板を用意した。
二つを真横にならべて中央に数ミリほどの隙間を残す。
2枚の金属板にはコードが繋がれ通電している。
その隙間へ包丁を降ろしていくのだ。
ナナメにずれれば接触した包丁から電流が流れ、実装石の体に通電する。

感電すれば体中から肉の焼ける匂いが立ち込め、信じられない痛みが襲う。
これを毎日、何度も何度も繰り返しついに彼は揺らぐことのない完璧な刃筋を我が物とした。
しかし何百回にも及ぶ失敗の通電により、彼の偽石はショックで半分割れかけていた。

そうして実よし随一の包丁担当として地位を得た彼は、
その代償に走るなどの急ぐ動きができない体となった。
すればたちまち偽石は崩れさってしまうだろう。

やがて今日1日の仕事を終え、軒先を掃いてから暖簾を
降ろするもりで外へ出た実装石はこちらに走ってくる実装石の影を見た。

一体はキズだらけの身を引きずり寄ってくる仔実装。
もう一体は鋭い爪を持つ毛むくじゃらの獣装石である。
仔実装が獣装石に狙われているのは想像に難くない。
助けてやらねばという気持ちも湧いた。
しかし野生の獣装石に手を出せば己の命が危ないうえ、
何より目の前で助けを求める仔実装とは他人である。

命を賭して助けるまでもない、と彼は店の中へ引き返した。
しかし彼は思い出したのだ。
自らもあの仔実装のように実よしの店の前に辿りついたことを。
そして、店員に助けられて命を繋いだということを。
過去の自分を見殺しにできるのか?
そう考え、彼が向かった先は店の奥だった。
実よしのオーナーである人間が縁起物として与えた
人間サイズの刺身包丁が飾られている部屋である。

刺身包丁を持った実装石が外へ出ると、
そこにはまだ無事に首と胴が繋がっている仔実装がいた。
獣装石が彼を見る。

彼の手に握られた包丁は実装石のサイズでは
ほぼ刀と言ってよい刃長であった。
武器を握った成体実装石を前にした獣装石は、即座に標的を彼に変更した。
実装石は少しでも攻撃を受ける範囲を少なくするために、体をひねって
右肩を突き出す姿勢で半身に構えた。

右手は左の腰に構えた刺身包丁の柄に添え、獣装石の挙動を見守る。
双方とも切れ味鋭い獲物を持ち、先に攻撃を当てた方の勝利になる。
極めて単純な法則がその場の空気を重く淀ませている。

切れ味の点で言えば、ただ指から生えているだけの硬質組織にすぎない
獣装石の爪よりも、人間の手で鉱石を精錬して作られ、なお刃つけを
施された刺身包丁に分があった。

獣装石の右腕がピクリと動く。
それでも実装石は包丁を振らない。
瞬発力、瞬間的な早さで言えば獣装石にはとうてい敵わないのだ。
まして重い包丁を握った右手の振りと、野生の瞬発力で繰り出される
素手の振りでは大きな差が生まれる。

包丁を振り始める助走の間に、獣装石の爪は喉を切り裂くだろう。
これに対抗するには、獣装石がしかけてくる攻撃をかわしながら
包丁を振り切りつけるしか方法がない。

恐怖に耐えきれなくなった仔実装がテェーと絶叫して駆け出したのが合図だった。
地面を蹴って獣装石の体が直線的に飛び込んでくる。
実装石は右腕を背後へ巻き込むような動きで頭を伏せ、腰をひねって溜めをつくる。
獣装石の爪が実よしの帽子を切り飛ばし、宙に舞わせた時には振りぬいた右腕が大きな隙を作っていた。

獣装石が右腕の勢いを緩め、次の攻撃に移ろうと試みている瞬間には
実装石が腰の溜めから包丁を引き放ち、勢いにのせ加速している最中であった。
右腕の一撃に相当の力を込めていた獣装の体は右腕にひっぱられる形で回転し、
実装石へ背中を向けてしまっていた。

がら空きの腰からわき腹へ、刺身包丁の一閃が跳んだ。
想像以上の早い動きをしたせいだろう、実装石の疲弊した偽石にぴしりと
ヒビの入る音が体内で反響する。
切りつけた場所から赤い血が噴出し、胴体の二割ほどを残して横からV字型に
切り口がぱっくりと口を開けていた。

不意の偽石損傷による深刻なダメージに実装石の視界が暗転した。
しかし今や獣装石は仕留められている。
次の刹那には命を落すだろう、今は即死の前のわずかな猶予にすぎないのだ。

スローモーションの世界で安堵の息をついた実装石だったが、
その目に衝撃的な光景が映った。
両手を上げて必死に逃げている仔実装は、獣装石の間合いにまだいたのだ。
右腕を振りぬいた勢いで真後ろまで向いている獣装石の左腕が持ちあがるのが見える。

仔実装を道連れにしてから死ぬつもりなのだ。
実装石の心臓が強く高鳴った。
攻防が終わった今は、獣装石が地面を蹴ってからまだ一秒も経っていない。

獣装と同じく自分も全速で切りつけた結果、体勢が流れている。
重い包丁の勢いが止まるまで待ち、それから刃を返し切りつけるのでは
その間に仔実装の首は飛んでいる。

やがて体が反転を終えて獣装と仔実装の姿が視界から消える。
その瞬間、実装は包丁を握る手からすべての力を抜いた。
腕の筋肉が弛緩し次の瞬発的な動きへの溜めがこの瞬間にでき、
続けて勢いにのって回っている包丁を頭上に振り上げる。
それと同時に体の回る方向に自ら回転し、元の位置に向き直った。
回転の勢いはそれを損なわず頭上の包丁に螺旋を描いて登り、
間髪入れずに縦へ全力で切り下ろした。

獣装石の頭から尻まで一直線の斬激が両断する。
獣装石がふりあげた左手が仔実装の体に届く寸前のことだった。
血を吹いて獣装石が倒れ込むと、後を追うように実装の体が倒れた。

崩壊寸前の偽石を持つ身で爆発的な瞬発力を発揮したのが原因だった。
彼の偽石は体内で乾いた泥のように砕けて粉になり、彼は息絶えたのだった。


翌日、店先で折り重なっている実装の死体と全身を震わせてへたり込んでいる
仔実装が発見され、実よしの店員に保護された。
道端に落ちた包丁、断死している獣装石、キズひとつなく死んでいる実装石……
この様子を見て店員達は昨夜ここで何があったのかを悟ったのだった。

そして現在、彼が獣装石を縦横に切り倒して仔実装を守った刺身包丁は、
獣装の死体の傷から名を取り、十文字実よしと名づけられて店の守護物として安置されている。
しめ縄の向こうに置かれた十文字実よしを見つめる1匹の若い実装石がいた。
彼の着ている年季を感じさせる制服こそ、十文字を振るった実装の遺品である。
あの時に助けられた仔実装は店で働きはじめ、成長したのがこの実装石なのだ。
彼は十文字と実装石の写真に手を合わせると、静かに目を開け調理場へと向かった。
今日もまた一日が始まる。

ここは割烹料理店実よし。
ここで生きる彼らの過去にどのような出来事があろうとも、それが人間の耳に
入る事はない。人間社会の中では取るに足らぬちっぽけな存在でしかないからだ。
それでも尚、十文字実よしとあの実装石が働き流す汗は輝いているのだった。




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