盛夏。烏帽子山はいつもの登山客だけでなく運動部の合宿や子供会のハイキング、キャンプに来た青少年たちで溢れ返っている。 中腹の宿泊施設の芝生広場で自然教室の生徒たちが敷物を広げ弁当を食べている。 午前中に当初予定していた池の水棲動物の観察を取りやめて、林道を散策した彼らはまだ元気が有り余っているようである。 引率している市職員が困惑した表情で小学生の参加者の話を聞いている。 「先生、最近ぜんぜん魚が釣れないんだけど」 高学年の生徒は講師に相談というよりはむしろ報告するような口調で言った。 「港や河口の当たりでは変わったことは無いんだよね? 烏帽子山の池だけ?」 少年は頷いた。自他共に認める釣りキチの彼は山腹の遊水池の魚が急減した理由を尋ねるためだけにわざわざ参加したらしい。 「それになんだか臭い」 「だよねえ…」 池から異臭が漂うようになり生き物の数が減ったため湖に生息する生物の観察は中止せざるを得なかった。 「そおれ!デス!」 大小二匹の実装石が息を合わせて取っ手の欠けたバケツの中身を川にぶちまけた。 大量の緑色の糞が流れていく。 大きいほうの実装石は川に尻を向けると気持ちよさ気に糞を始めた。成体になりたてらしい小柄なほうが不平をこぼす。 「デエ… お姉チャン、ウンチ運びはもうイヤデチィ…」 「ペエイ、我慢するデス。がんばればそのうちもっとラクで楽しい仕事ですむようになるデス…」 草を踏み固められてできた道をたどって水汲みに来たらしい実装石が姉妹に気づき叱責した。 「デエイ! 何やってるデスか! ここは洗濯用の場所デス! ウンチを捨てるのはもっと川下と決まってるデス!」 二匹は首をすくめて村に帰った。 村内をテチテチと楽しげに声を上げながら十匹ほどの仔実装が駆け回っている。 村の人口は倍近くに増えている。 開拓村のリーダーであるゴロは村政会議に仔たちの教育、揉め事の仲裁に掟の制定と寝る暇もない忙しさだ。 山の自然をよく知る山実装のロクが代わりに食料調達隊を率いている。 賢い元飼い実装サンダルの指示のもと開拓者たちはさらに進んだ分業体制を執るようになっていた。 締りが悪くよく漏らすデエイは調達隊から外されて村のトイレの清掃を押し付けられ、妹のペエイと共に汲み取り石と不本意な役職名で呼ばれている。 村の真ん中に人が集まっている。 ゴロがこれから大人の仲間入りをする仔実装たちに村の外に出るにあたっての心構えを話して聞かせているのだ。 その後ロクがぶっきらぼうな口調で山中の食べられる虫が取れる場所、木の実のなる木の見分け方を語った。 「口で言っても身につかないデス。歩き回って覚えるデス」 それだけ言ってさっさと山歩きの支度を始める。 「他はそのうちおいおい教えてやるデス」 つぎは餌運びの手順だ。 「おらおらチビども、このハヤアシお姉さんの技をよく見てろデス」 ハヤアシがお姉さんの部分を強調しながら実技指導を始めた。前掛けを折り返して結んでどんぶりを作り、頭巾をはずして広げ風呂敷包みにする。 「不器用な仔が下手にズキンをほどくと結べなくなるからやっては駄目デス」 少し離れたところから見ていたサンダルが忠告する。 「ゴハンをパンツに入れて運ぶとかデエイみたいな真似したらぶっ飛ばすデスよ」 ハヤアシが冗談めかして言うと仔実装たちがどっと沸いた。 ゴロはサンダルに話しかけた。 「もう少し落ち着いたらアナタも仔を産んだらどうデス?」 「やめておくデス。子育てと皆さんのお手伝いは両立できそうにないデス。…それにワタシは子供を産めない体デス」 ゴロは言葉に詰まった。まさか子供が産めないとは想像もしなかった。 でもサンダルは飼い実装だったからそういうこともあるのかもしれない、そう考えて納得した。 「でもいいんデス。この村の子供達はみんなワタシの仔です」 サンダルは優しい目で仔実装たちを眺めている。 それから一週間後。今日も村では元気よく仔実装たちが走り回っている。 無邪気に遊ぶ仔たちとは裏腹に村の公会堂にこもるゴロとサンダルは浮かぬ顔だった。 「帰ってこないというのは誰デスか?」 村近くでの採集と見回りを仕事にしていた成体の行方が昨日から知れない。 小柄で少々思慮に欠けるところがあったため激務の調達隊には加えずにいたのだが、とサンダルが淡々と語った。 「結果的にひとりで働かせることになったのが裏目に出たデス」 二人組みにするべきだったかもしれないとゴロも嘆息した。 「ママは上のほうの森を見てくるって言ってたテチ! 探してくださいテチ」 事情を話していた行方不明実装の仔がべそをかきながら懇願する。 「村の周りを二まわりほどしたけど影も形もないデス」 ずぼ、と入り口から顔だけ突っ込んでハヤアシが報告した。 公会堂といっても二つつなげた段ボールを草で葺いただけだ。四匹も五匹も入れるスペースはない。集会のときはほとんどの村民が外で突っ立って話を聞くのだ。 テェェンテェェンと仔が泣き出す。 「よーし、お姉さんが遊んでやるデスよ」 ハヤアシは仔実装を抱えてずりずりと後ずさりして出て行った。 「捜索隊を組むデスか」 サンダルは答えなかった。 その日は手すきの者に加え普段はサンダルの下で雑務をしている見習い実装石を繰り出し捜索に当たらせた。 ゴロは自ら山頂広場まで出向き探したが何も手がかりは得られなかった。 夕方に帰ってきたロクは捜索に出す手があるのなら調達隊に回せと言い放ちみなの顰蹙を買った。 翌朝の捜索中のことだった。 「デ… デ、デェェェ!!」 村から遠くない森のはずれに無残な死体が転がっていた。 半狂乱の実装石がばらばらになった手足を拾い集めて元に戻そうとしている。 行方不明になった実装石ではなかった。ころりと転がる小さな丸い手は成体の大きさではない。 「ワタシの、ワタシの仔が!」 オロローンと泣き声をあげる親実装の周りに実装石たちが集まってくる。 「デギャアアアア! なんでデスゥ! 今朝確かに元気にデデデデゲッ」 ショックのために戻している実装石の背中をさすりながらゴロが本当にアナタの仔か、となだめる。 実装石の鼻は子供の匂いにだけは特別敏感だ。間違いは無いことはゴロにも分かっていた。 ロクがそっぽをむいたまま、 「おおかた勝手に出歩いて、犬にでも襲われたバカな…」 言いかけて仔実装の残骸を見て首をかしげる。 「…こんな傷跡は見たことがないデス。山の獣じゃないデスね。…アナタたちがときどき言っていた『ギャクタイハ』とやらにでも襲われたデスかね」 くすくすと笑い声が聞こえてくる。 はっとゴロが振り返り威嚇の声を上げる。 「だれデスゥ!」 「ルトー♪」 小さな影が梢から飛び立ちパタパタと羽音を立ててあたりを飛び回る。 虫の翅が生えた十五センチほどの少女のような姿。 「な、なんデスかあれは」 「あれは実装燈という生き物デス。ワタシたちの遠い親戚にあたるデス」 サンダルがこんなときにすら落ち着いて説明する。 ホバリングしつつゴロたちに向き直りこほんと一回咳払いをする。 実装燈が歌い始めた。 黒い影に身を変えて 闇夜を獣が駆けてゆく 大ばさみを握り締め ひ弱な蟲の血に飢えて! 高らかにうたうと実装燈は哄笑し、開拓団の頭上を二度飛び回ると上昇して森に消えた。 ゴロたちは仔実装の遺骸を村で埋葬した。 仔実装は生後すぐの選別で落第し間引きされた者を除けば開拓村初の犠牲者である。 行方不明の実装石の仔が我が事のように号泣している。母の末路をおぼろげに感じ取っているのだろう。 ロクはたとえ死んでいても同族を食べないという掟に面食らったようだった。 「あの歌は、…何だったデスか」 「あの子を殺した犯人を歌っているように聞こえるデス。でもただの偶然で何の関係も無いのかも」 サンダルは首をかしげた。 「ロクの姐さんよ、あの歌を前に聞いたことはあるデス?」 ハヤアシが訊いた。 「あの飛んでいた奴は時々見かけたデスし、あの歌も聞いたことがあるデス」 じゃあ偶然デスね、よかったよかったとうなずいて名前どおりのスピードで村へ駆け戻っていく。 「…歌詞が少し違った気もするデスが」 山頂の展望台。今日は自然教室の一行は山頂まで登ってきたらしい。 引率の職員が子供達に山の豆知識を開陳している。 「みんなはここがなぜ烏帽子山という名前か知っているかな?」 生徒の一人があっさり答える。 「烏帽子に山の形が似てるから」 山名の由来は展望台の近くの掲示板に大きく書き出されている。 「似ていると思う?」 講師はちょっと意地悪な質問をした。 「わからない。烏帽子とか見たことないし」 「烏帽子というのは昔の男の人が被っていた帽子のことだね」 「山の形が烏帽子に見えるからって言うのが定説だけどもう一つ説があるんだ。この山には昔化け物が出たという伝説がある」 退屈そうにしていた子供も妖怪話になるととたんに興味がわいたようだ。 「おれ聞いたことある。平安時代の頃鬼が住んでたって」 「そう。その鬼は烏帽子をかぶって角を隠し、人の振りをしては旅人に近づき襲ったという話だよ」 「山賊や夜盗を妖怪視したんじゃないかな」 児童の一人が大人びた口調で分析する。 「烏帽子鬼などと呼ばれていた、と古い文書にはあるね」 「じゃあ烏帽子鬼が烏帽子山の名前のもとになったに決まってるじゃん」 「さあどうだろう。烏帽子山に現れたから烏帽子鬼って名づけられたのかもしれないし」 「デエェェェ…」 かさかさと音を立てて何者かが森の奥に動いていく。 展望台の上で和やかに談笑する人間たちが階下の潅木の茂みの緑色をした影に気づかなかったのも無理は無かっただろう。 ハヤアシが持ち帰った山中に跋扈するという悪鬼の噂は開拓村を大混乱に陥らせた。 健脚を買われ彼女はこのごろ離れた山頂展望台まで単独でゴミ漁りに出撃していた。 「よく聞こえなかったけどニンゲンはこの山には怪物が出るって話してたデスゥ!」 あまり物覚えがよくないハヤアシはもともと途切れ途切れにしか聞こえなかった会話にだいぶ尾ひれをつけている。 「死んだのはそのナントカ鬼にやられたに違いないデスー!」 ハヤアシは口から泡を飛ばして熱弁した。 「のど渇いたテチー」 「我慢するデス。今みんなが川まで水を汲みに行っているデス」 それから二週間のうちに五匹の実装石が村はずれで切り刻まれた姿で見つかった。 いずれも水汲みや資材探しといった軽作業を単独で行っていた者たちである。 一日中山野を歩き回る食料調達より楽なはずの水汲み洗濯に志願するものは激減し、今は手槍で武装して最低五人以上で川辺まで行くようになっている。 「やはり犬や猫にやられたとは思えないデス。助けを呼ぶ声も争う音も誰も聞いていないというのは不自然すぎるデス」 公会堂で行われる村政会議は頻度と深刻さを増している。 「もしギャクタイハの仕業だとするなら下手に抵抗するのはかえって危険デス」 もちろん大人しくしていたところでせいぜい早く楽になれる位だということはゴロにも分かっている。 「ゴロ、このままじゃまずいデス。冬を越せないデス」 まだ貯蓄に手をつけるまでには至っていない、が越冬のための食料の調達が遅々として進まない。 ロクはみなに山の冬の厳しさを切々と説いた。 「今は水の不便程度で済んでいるデスが…」 働き手がさらに減るようなことになれば村が機能不全に陥るとサンダルが警告した。 「これ以上村民を増やせそうにないデス。…選別を厳しく」 「名案があるデス! 間引いた糞蟲を食べるデス…デギャ!」 「糞漏らしは黙ってろデス。ワタシがこれまでの倍働くデス」 デエイを後ろから張り倒しハヤアシが勇ましく宣言した。 あたりはすでに薄暗い。 「デッチ、デッチ…」 成体になりたてのペエイがずるずると糞まみれのバケツを引きずって歩いていく。 姉のデエイは最近公会堂に出かけることが多くトイレ清掃の仕事を自分に押し付けてばかりいる。 本来単独で村外に出ることは禁止されているのだが、仕事を放棄するわけにも行かなかった。 周りに手助けを求めなかったわけでもないが誰も糞尿の運搬を手伝おうとはしなかった。手伝ってそのままなし崩しに汲み取り係に任命されるのを嫌がってのことである。 さっきから自分についてくる足音が聞こえる。 「お、遅いデチお姉チャン。ゴロさんに言いつけるデチよ」 後ろの足音は答えない。 きっと川に用がある村の大人だろう。無理にそう思い込む。振り返る勇気はなかった。 岸辺に着いた。 震える足取りで流れに向かう。 足音が背中に近づいてくる。 揺れる水面に映った影は自分の背丈の倍をはるかに越えていた。 仰天して振り向く。すう、と喉のあたりを撫でられる感触。 デェェェェ、と叫んだつもりだった。 ロクがぴくりと耳を動かした。 「ちょっと静かにするデス」 聞き覚えのある歌が聞こえてくる。 「川のほうからデス!」 村の大人たちが川原に駆けつけた。みな槍や盾、石つぶてなど思い思いの得物で武装している。 川岸に人型の影が立っている。 手に握られた何かがもがいている 川の上空を実装燈がさえずりながら飛び回っている。 鋏鬼! 鋏鬼! と実装石たちの耳には聞こえた。 「ニンゲンデス!?」 実装燈が叫ぶように歌い出した。 あそこで踊るは人ならず お前のように脆くはない お前に抗う術は無く 一人ぼっちで山の中! ゆらり、とそれは実装石たちに向き直った。 目深に被った帽子のために顔は窺い知れない。破れ衣を巻き付けるようにして着ている。 異様な鬼気に押され誰も動くことができない。 さかさまにぶら下げられているのは実装石だった。 両足を掴んで力を入れる。 実装石は体をよじり首の傷口から血をしぶかせる。ばたつかせるはずの手は切り落とされ悲鳴を上げようにも喉には大穴が開いている。 めりめりと音を立てて体が裂けていく。 鬼が実装石を真っ二つに引き裂いた。 左右に分かれた実装石の骸を投げ捨てると川を一跳びに跳び越え、夕闇に消えた。 「デ、デギャアアアア!!」 デエイが悲鳴を上げる。その声で我に返ったように実装石たちが動き出す。 デエイの足下に変わり果てた妹が転がっていた。 (続く)
