タイトル:【虐】 地獄から天国、そして
ファイル:地獄から天国、そして.txt
作者:匿名 総投稿数:非公開 総ダウンロード数:7119 レス数:0
初投稿日時:2007/01/27-01:14:34修正日時:2007/01/27-01:14:34
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「ちょっと待ってて、いいものあげるから」

 そういうと、理江は奥の部屋に消えていった。

 一人リビングに取り残された久美は、ぼんやりと部屋を眺めていた。
 しかし、頭の中では先日喧嘩別れをした彼氏のことばかり思い出される。
 何もしていないと、しらずそのことばかりを考えてしまう。
 それが彼女の気持ちをどんどんと泥沼の中に引き込んでいく。
 久美はため息をついた。
 理江に愚痴を言いに来たのも、そんな嫌な気分を忘れるためだった。
 それなのに、少しだけ話を聞いてくれていた友人は、先の言葉を残して
部屋から出ていってしまったのだ。

 ……なにをしてるんだろ、理江の奴。

 なかなか戻ってこない友人に少しイライラし始めていると、
「ごめんごめん〜」といいながら部屋に戻ってきた。

「テェー……テチュー……」

 その手には、小さな生き物がぶら下げられていた。
 首根っこを捕まえられているその生き物は、か細く鳴きながら体を丸めて震えていた。

「……なによ、それ?」
「実装石よ。知らない?」
「それは分かるけど——それ、理江が飼ってるの?」
「ん〜、まぁ、飼ってるといえば飼ってるかな」

 久美の質問に、理江はあいまいな返事をする。

 見る人が見れば彼女の持っているこの仔実装が躾け以上の苛烈な虐待を受けている
ということはすぐに分かっただろう。
 理江は生粋の虐待派だった。
 実装石を傍に置くのはすべて虐待のため。それ以上でも以下でもない。
 躾をするのも虐待のため、可愛がるのも虐待のためという具合だ。
 そんな理恵だから、久美の飼うという言葉は、いまいちピンとこなかったのだ。

「ところで、この実装石がどうかしたの?」
「だからさ、あげるよ」
「あげるって……この実装石を?」
「正確には実装石の子供。生後2週間くらいの仔実装だけどね。ほら!ご挨拶」

 鳴き声をあげずにただ体を丸めて震えていた仔実装を理江が乱暴に揺さぶる。

「テエエッ!!テェェエエン!」

 仔実装にしてみれば、女の子とはいえ立っているその手から吊り下げられると
相当な高さになる。
 そんな状態で乱暴に扱われて怖くないはずがない。
 ましてや相手は自分のことを生まれてからずっと虐待し続けているニンゲンだ。
 いつ気まぐれで落とされるかも分からない。
 実際、理江は何度もそうやって仔実装を虐待してきたのだ。
 その恐怖からまさに魂消ゆるかのような悲鳴を上げる仔実装。

「ほら、元気いいっしょ?この仔をあげるからさ飼ってみたら?気も紛れると思うよ」

 だが、そんな悲鳴も理江にとってはこんなものだった。

「そんなこといわれても……」

 涙を流して怯える仔実装を見て、久美は困惑した。

 久美は元々実装石に興味がない。
 公園で何度か見かけたことはあるが、彼女の中では実装石も野良犬や野良猫
くらいの感覚でしかなく、また害獣という扱いを受けているところから、
それらよりもいい印象はなかった。
 ペットとして売られていることも知ってはいるが、知っているだけ、
というくらいのものである。

「私、実装石なんか飼ったことないからどうしたらいいかわからないよ」

 本音を言えば飼いたくもなかった。
 友人の一応の思いやりを慮って出た言葉である。
 しかし理江は、そんな遠まわしの拒否の言葉を意に介さず仔実装を差し出す。

「大丈夫だって。こいつら案外丈夫だしさ。基本的な躾けは出来てるし、
餌だけやれば後は久美の好きなようにすればいいよ」

 好きなように——その理江の言葉は虐待師同士なら、虐め殺しても構わない
という風にすぐ理解されただろう。
 しかし虐待師ではない久美にとって、それはなんとも奇妙な押しの文句だった。
 どうしていいか分からず困っている久美の眼前で、吊るされたままガタガタと震える仔実装。

「……テチュー……」

 そんな仔実装が久美の視線に怯えながらもおずおずと鳴いた。
 理江はこの仔実装が媚びて鳴いたと思ったが、久美はまるで助けを求められているような気がした。

 よくみると服も髪もボロボロ。傷だらけの体を丸めて怯えるているのに、
でも何かにすがるかのようにか細く鳴く仔実装。
 表情は分からない。
 元々実装石は表情が非常に乏しい。
 その上虐待しか受けたことのないこの仔実装には、そんなものが芽生える余地などなかった。
 しかし涙を流し続けるオッドアイの瞳には、大きな怯えと共に宿る
何か悲痛な叫び声が聞こえてくるような、そんな気が久美はしていた。

 久美は今日何度目かのため息をついた。

「……そうね、折角だし、飼ってみようかな」
「それじゃ決まりね」

 言うが早いか、理江は仔実装を久美に向かって放り投げる。

「テェエエエエン!」
「きゃあ!」

 仔実装の悲鳴と久美の悲鳴が混じる。
 何とか仔実装をキャッチする久美。

「ちょっともう!びっくりするじゃない!」
「ごめんごめん。まぁ、落としても代わりがいるからさぁ〜」

 言いながらまた奥の部屋に消える理江。

「代わりって……」

 その物言いにさすがに呆れる久美。
 部屋に消えた友人を棒立ちで待っていた久美は、
仔実装を抱えている手が生暖かいのに気がついた。

「あっ!やだもう!」

 投げられたショックで仔実装がお漏らしをしていたのだ。

「テッ!テヒ!」

 久美の声に一際体をビクッとさせる仔実装。
 ペコペコと頭を下げると自分が粗相して汚してしまった久美の手を舐める。
 その間もずっと体は震えている。
 そんな仔実装の頭を久美は人差し指でクリクリと撫でてやる。

「テヒィ!?……テェ?」

 粗相をすれば腕を折られる。足を砕かれる。針を刺される。ご飯を抜かれる。
腹をしごかれ無理やり糞を搾り取られる。
 そんな目にしかあったことのない仔実装は、最初久美がなぜ自分の頭を
撫でているのか分からなかった。
 呆然といった感じで久美のことを見上げる。

「ごめんね、大きな声を出して。怖かったもんね」

 優しい声音。
 それ自体は今までも何度か聞いたことがあった。
 しかし今までのご主人様の前では、それはより激しい虐待の前触れでしかなかった。
 でも、今は違う。このニンゲンは温かい。指がとても温かい。
 この仔実装が生まれて初めて感じた温もりだった。

「テチュ〜……」

 仔実装はおずおずと鳴いてみた。
 指はまだ頭を撫でてくれている。

「テチチィ〜……」

 また鳴いてみた。
 ニンゲンの顔は笑顔のままだ。

「テチィ〜、テチチィ〜、テチィ〜」

 仔実装は鳴いた。何度も何度も。
 でも、いつものような痛いことも怖いこともない。
 それが嬉しい。こんなにも嬉しい。

「テチィ〜!テチチィ〜!テチュ〜!」

 仔実装は興奮して鳴き続ける。
 だが、それを遮る黒い影。

「うるさいよ」
「テチャアッ!」

 久美が気がついたときには理江のデコピンが仔実装の後頭部を捕らえていた。

「テェエエン!テェエエエ!」

 突然の不意打ちにいつも以上に泣き喚く仔実装。

「ちょ、ちょっと理江——」
「こいつらはコレくらいでちょうどいいのよ。黙らないといつものするよ!」
「テッ!テヒッ!」

 理江の怒声に鳴き声をあげていた仔実装が慌てて鳴くのを止める。
 しかし、それでもまだテヒッテヒッと小さなしゃくりをあげている。

「もうやめなよ、可哀相じゃない」
「まぁ、それは久美にあげちゃったからね。これくらいにしておくか」

 そういいながら理江は持ち手のついた小型のケージを持ってくる。

「こいつが今まで入ってたケージだからさ、コレもあげるよ。
わざわざケージとかトイレとか買うの面倒でしょ」
「あ、うん。ありがとう」

 理江がケージの入り口を開け、久美はその中に仔実装を入れようとした。

「テェエエー!テェエエン!」

 だが、仔実装は鳴いて、体を振り回して嫌がる。
 初めて感じたぬくもり。それがなくなってしまう。
 あのケージに戻されたら、また痛いことばかりされる。
 そんな風にでも仔実装は感じているのだろう。

「まったく面倒くさいわねぇ」

 そういうと、理江が仔実装の頭に強めにデコピンを打った。

「デチャ!」

 短い悲鳴を上げて気を失う仔実装。
 そんな仔実装を無造作にケージに放り込む理江。

「……大丈夫なの?」

 心配そうに尋ねる久美に、「大丈夫だって。丈夫さがとりえなんだから」と
理江はあっけらかんとしていった。



「ほら、出てらっしゃい」

 家に帰ると、久美はさっそく仔実装をケージから出そうとした。
 だが、中から仔実装が出てくる様子はない。
 まだ気を失っているのかと思って久美が中を覗いてみると、
 仔実装ははじめてあったときのように体を丸めて震えていた。

 先ほどはニンゲンから思いがけず与えられたやさしさに我を忘れて
鳴いてしまったが、基本的にこの仔実装はニンゲンを恐怖の対象としか見ていない。
 生まれてからずっと与え続けられた虐待の恐怖は、一度や二度のやさしさだけでは
払拭できるものではないのだろう。

「どうしたのかなぁ〜。はじめての場所で緊張したのかな?」

 久美は一向にケージから出てこない仔実装に首を傾げる。
 何度かケージの中に向かって呼びかけたり手でつかみ出そうとしたが、
その度に仔実装は悲鳴を上げて嫌がり、激しく震えた。
 久美も最後には諦めて、お腹がすいたら出てくるだろうと思い、
仔実装のことはひとまずおいて晩御飯の準備をすることにした。

 仔実装はひたすら怖かった。
 ご主人様とは違うニンゲンがやってきて、お家ごとワタチをどこかへ連れ出した。
 これから何をされるのかな?
 今度も酷いことをされるのかな?
 ニンゲンは怖い。お姉ちゃん達はニンゲンに虐め殺された。
 ママもワタチも痛いことばかりされる。
  でも、このニンゲンは痛いことをしなかった。
 気持ちいいことをしてくれた。
 このニンゲンはワタチを可愛がってくれるのかな?
 でも、そうじゃないかもしれない。
 虐められるのは怖い。
 やさしくしてくれるかもしれない、と思うのも怖い。
 怖い・怖い・怖い・怖い・怖い。
 ただ怖い。
 そうしてケージの中で怯え、震えるだけの仔実装。

 どのくらい時間がたっただろう。
 いつの間にか眠ってしまった仔実装の鼻にいい匂いが漂ってきた。

「……テェ?」

 美味しそうな匂いがする。
 こんな匂いは前にも嗅いだことがある。
 前はご主人様がいい匂いのする物をワタチの目の前まで持ってきて、
見せ付けるようにして食べていた。
 そのときワタチはずっとご飯を食べていなかったのに。
 とってもお腹がすいていたのに。
 ワタチには全然食べさせてくれなかった。
 食べさせて、とお願いしたけどくれなかった。
 お願いするワタチを見て、ご主人様はとても楽しそうに笑いながら食べていた。

「テェェ……」

 気がつけば、ずいぶんお腹がすいている。
 しかし、以前のことを思い出し、弱々しく鳴くことしか出来ない仔実装。
 だが、久美はそれに気がついた。

「あ、出てきたのね」

 声を掛けられて、仔実装は自分がケージから出ていることに初めて気がついた。
 匂いにつられていつの間にか外に出てきてしまっていたのだ。

「テッ!テチャア!」

 慌ててケージの中に逃げ帰ろうとする仔実装。
 だが、久美の手がそんな仔実装を捕まえる。

「テェエエ!テチャアア!」

 やめて!
 痛いことしないで!
 ご主人様、ごめんなさい!
 怖い!怖い!怖い!

 そんな感情を爆発させる仔実装。必死になって久美の手の中で暴れる。
 だが、久美はそんな仔実装をテーブルの上にのせると、
自分の晩御飯のおかずをとりわけて置いてあった皿の前に座らせる。

「ほら、晩御飯よ。あなた達は何でも食べるって言うことだから、大丈夫よね?」

 ニッコリと微笑む久美。

 その顔を見上げて、またも呆然とする仔実装。
 これがご飯?
 ワタチのご飯?
 食べていいの?
 目の前で取り上げられない?
 食べようとしたら痛いことをしない?

「……テチュ〜……」

 恐る恐る鳴き声をあげる仔実装。

「どうぞ」

 笑顔のままの久美。
 その顔を見て、仔実装は慌ててお皿に顔を埋める。

「テチュ〜ン♪」

 初めて食べるその味に、歓喜の鳴き声を上げる仔実装。
 先ほどまでの怯えがすべて吹き飛ぶほどの味。

 こんな美味しいものは食べたことがない!
 ご飯を食べても痛いことをされない!
 美味しい!嬉しい!美味しい!嬉しい!

「テチッ!テチュー!」

 知らないうちに涙を流しながらご飯を食べている仔実装。
 けっして綺麗な食べ方ではないが、一生懸命ご飯を頬張るその姿は、久美には
とても可愛らしいものに映った。

 まるで夢のような食事が終わり、生まれて初めて満腹というものを知った仔実装。

「テチー……」

 テーブルの上で大の字になってお腹を撫で擦る。
 その様子に目を細める久美。
 だが、少し臭いのすることに気がつく。
 はじめて見たときも思ったが、やっぱり服も汚いし髪の毛もボサボサで脂ぎっている。
 これは一度お風呂に入れなくては、そう思う久美だが、こんな小さな生き物を自分と
同じお風呂に入れていいものかと考えた結果、ある妙案が浮かぶ。

「それじゃあ、キレイキレイしようか?」
「……テェ?」

 嬉しそうにいう久美に、仔実装は首を傾げる。
 久美に抱えられても、もう仔実装は喚いたり怯えたりしなくなっていた。
 久美が今までのニンゲンとは違う、ということに気がつき始めたのだ。

 少なくとも、痛いことをするニンゲンじゃない。

 そんな認識が仔実装の中に出来上がりつつあった。
 久美は台所に行くと、バスルームから洗面器を一つ持ってきて、それにポットから
お湯を注ぎ適当に水で埋めてゆく。
 仔実装のための簡易風呂だ。

 そんな久美の様子を仔実装はオッドアイの瞳でまんじりともせず見つめている。

「じゃあ〜ん!仔実装ちゃん専用お風呂のかんせーい!」

 変にハイテンションな久美。

 一方の仔実装は逆にまた怯え始めていた。
 洗面器に張られた水。
 それには虐待のトラウマがたくさんあった。

 水につけられ溺れさせられる。
 沸騰したお湯に放り込まれる。
 逆に氷を溶かしたような冷たい水の中につけられる。

 どれもこれも生後すぐから繰り返し受けた凄惨な記憶。

 怖いテチ……やっぱりニンゲン怖いテチ……。

 洗面器を見て及び腰になる仔実装。
 
「それじゃあこの中に入りましょうか。え〜と……」

 しかしそんな仔実装の様子の変化に気がつかないまま、久美は仔実装の服を脱がせようとした。
 だが、実装石についてよく知らない彼女は、どう脱がしていいのかわからない。
 すると、仔実装は自分から服を脱いで裸になる。

「わぁ、君は賢いのね」

 そんな仔実装に久美は驚きと喜びを交えた声を上げる。

 しかしそれはこの仔実装が久美の意図したところを理解したからではない。
 理恵から受けた虐待の中で、服を脱がされることは何度もあった。
 そしてその度に激しく抵抗をして嫌がったり、媚びて甘えてみたりしたのだが、
結局服は脱がされ、挙句に抵抗をしたということでより酷い目に遭わされた。
 そのために、最近では服に手を掛けられると自分から服を脱ぐようになっていたのだ。
 より酷い目に遭わされないようにと覚えた処世術——無抵抗。
 ひ弱な仔実装が出来る、唯一の方法だった。
 
「テェェ……」
「それじゃあ服の方は洗っておくから、まずは君をキレイにしようかな」

 これから何をされるのかと少し怯える仔実装を尻目に、
 久美は楽しそうに仔実装を抱いて湯船につけてやる。

「テェ!テチチッ!!テチャアア!」

 仔実装の悲鳴が上がる。
 全身に残る痣や傷跡にお湯が染みる。

 やっぱり痛いテチ!ニンゲン怖いテチ!お願いだからやめてテチ!

 涙を流して暴れる仔実装に慌てる久美。

「ご、ごめんね。痛かった?力が強すぎたのかなぁ?」

 そんな仔実装の体をやさしくやさしく洗ってやる。
 すると最初こそ痛がったものの、久美の手が気持ちいいのか、テェ〜と鳴いて
うっとりする仔実装。

 気持ちいいテチ……やっぱりこのニンゲンはやさしいテチ……

 洗いながら久美は仔実装に話しかける。

「そういえば、名前をつけてあげなくちゃね。どんなのがいいかなぁ」

 ぶつぶつと独り言のように呟く久美を仔実装は見上げる。

「テチィ?」

 そして一声鳴いた。

「そうだ!テチィにしよう!今日から君はテチィちゃんね」
「テチィ〜!テチィ〜!」

 久美の言葉に仔実装は両手を振って喜ぶ。
 その手がパチャパチャとお湯を叩く。

「きゃあ!こら、テチィ!暴れちゃ駄目じゃない」

 そう怒る久美の声は微笑みを含んだものだった。

 仔実装は、もう何がなんだか分からなくなっていた。
 もちろんそれは喜びのためだ。

 生まれて初めてやさしくされた。
 生まれて初めて美味しいご飯をもらった。
 生まれて初めてキレイにしてもらった。
 そして、生まれて初めて名前を呼んでもらった。
 嬉しい・嬉しい・嬉しい・嬉しい・嬉しい・嬉しい・嬉しいっ!
 ワタチの名前は「テチィ」。

 仔実装——いやテチィは、最初感じていた怯えをすっかり忘れてしまっていた。
 そんな彼女達の楽しそうな声は、その日の夜遅くまで続いていた。



 それから久美とテチィの生活が始まった。
 まず久美は本などで実装石の飼い方について勉強をした。
 餌のやり方・躾けの仕方・習性など一通りのことを学んだ。
 そうして色々なことを学んでから、久美は初めてテチィに躾を施していった。
 しかし、テチィは最初に理江が言っていたように、トイレを含む基本的な躾けは
出来ていたので、久美が教えることといえば、久美との生活の上での約束事とか、
その程度のことでよかった。
 そのため、久美はこのテチィのことを、とても賢い仔実装なのではないかと考えていた。

 しかし、実際にはテチィはごく標準的な仔実装だった。
 むしろ生まれてからずっと虐待を受けていたため、普通の仔実装よりも臆病な性格になっていた。
 そのお陰か、実装の飼い主としては非常に甘い久美のもとにいながらも、
テチィは糞蟲といわれるような部分があらわれるようなこともなかった。


 テチィが久美の家にやってきてから二週間くらいがたっていた。

「テチィ〜♪テチュ〜♪」

 変な調子で歌のようなものを歌うテチィ。
 久美はそんなテチィに微笑を向けながら彼女の亜麻色の髪の毛をとかしていく。
 それは最初にあったときのようなボサボサのものではなく、
ふかふかで艶のある、そしていい匂いのする髪の毛になっていた。

 毎朝の髪のお手入れの時間——テチィはこの時間が一番好きだった。

 大好きな久美ちゃんがそばにいてくれる。
 髪をキレイにしてくれる。
 とっても気持ちがいい。

 髪をとかして整えると、ちょっと癖のある実装の髪の毛を久美は三つ編みに纏めていく。
 二股に分かれた髪をそれぞれ編みこみ、最後にリボンを結う。

「はい、出来上がり」
「テチィ〜♪」

 キレイに結われた髪の毛を振って大喜びのテチィ。
 しかし、それが終わると今度は久美が出かける時間になる。

「テチィ!テチューン!」

 テチィは鳴いて久美にせがむ。

 行かないで!
 連れて行って!

 そんなテチィを久美は「ごめんね、待っててね」というとケージに入れる。
 まだ小さなテチィには、部屋の中ですら危険が一杯なのだ。
 それゆえ久美はテチィをいつもケージに入れると外から鍵をかけてしまう。
 もちろん餌は十分用意しているので何の心配もない。
 しかし臆病なテチィは、久美がいなくなるだけでパニックになってしまうのだ。

「テェエエン!テチュエエエン!」

 ケージの壁をペスペス叩いて泣き続けるテチィ。
 結局テチィは久美が帰ってくるまでの間、疲れて寝てしまうまで泣き続けるのだった。



 そんな毎日が続いたある日のことだった。

「ただいま〜」
「テチュー!テチュテチュー!」

 久美の声にテチィが大きな鳴き声をあげて答える。

 お帰りなさい!
 遊んで!
 かまって!

 テチィは一生懸命久美にアピールする。
 だが、今日はそこにいたのは久美一人ではなかった。

「あれ、実装石を飼ってるんだ」

 久美の後ろから聞き覚えの無い人間の声がした。

「テェ!?」

 テチィはその声に驚いた。
 その脳裏によみがえるのは、以前の飼い主から受けた死んだ方がましとさえ
思えるような虐待の日々。
 テチィは久美には心をひらいているが、それ以外の人間には未だに拭いきれない
恐怖心しか生れない。

「うん。理恵に貰ったの。テチィっていうのよ」

 久美はそういいながらテチィのケージに近づく。
 その傍にいた人間——久美と同じくらいの年の男もテチィのケージに顔を寄せる。

 テチィは最初久美が近づいてきたときには「テチィ!テェエ!」と久美に向かって
助けを求めるかのように鳴いていたが、続いて男の姿が近づくと、今度は「テヂィイイイ!?」と
威嚇にも似た鳴き声を上げてケージの隅に逃げ込み、手を振り回してさらに鳴き声を上げる。

「ちょっと、テチィ。どうしちゃったの?」

 そんな風に問いかける久美に、テチィは必死に訴えかける。

 久美ちゃん!助けて!そのニンゲン怖い!怖い!

 ブルブルと震えるテチィに久美はやや困惑顔だったが、
 あまりに取り乱すテチィに、仕方なくケージごと別の部屋に移すことにした。


 男は、以前久美と喧嘩別れをした元彼氏だった。
 あれから一ヶ月たち、お互い頭が冷えたところで理恵の仲裁もあり、
また縁りをもどしたのが先日の話。
 今日は久しぶりに男が久美の部屋を訪ねてきたのだ。


「ずいぶんと嫌われちゃってたな、俺」

 テチィを別の部屋に移して戻ってきた久美に、男は肩をすくめていう。

「他に人を見たのが初めてだったから、人見知りしたのかも」
「実装石がか?」
「あら、結構賢いのよ、うちのテチィちゃんは」

 そんな談笑が聞こえてくるなか、テチィはケージの中でぶるぶると震えていた。
 いつもなら久美が帰ってきたらご飯を食べたりお風呂に入ったり
遊んでもらったり、とにかく楽しいことだらけだった。
 なのに、今久美は知らない怖い人間と一緒に楽しそうにしている。
 テチィは物凄く悲しい気分になった。

 久美ちゃん……遊んでチィ……

 テチィは仔実装用の毛布に包まり、いつの間にか眠ってしまっていた。


 それから男は頻繁に久美の元を訪れるようになった。
 最初は2〜3日おきくらいだったのが、それが隔日になり、
やがて毎日来るようになるまで、それほど時間はかからなかった。
 元々付き合っていた二人なのだから、当たり前といえば当たり前
なのかもしれないが、テチィにとっては久美との楽しい時間が徐々に
なくなっていくのはとても悲しかった。

 久美も最初の数回はテチィを彼に懐かせようと色々と努力したのだが、
何度引き合わせてもテチィが激しく取り乱して物凄い鳴き声を上げるので、
最近では彼が部屋に来ている間はテチィを別の部屋に隔離するようになっていた。

「それじゃ、また明日」
「うん、またね」

 そんなやり取りの後にバタンと戸の閉まる音がすると、テチィはようやく
ケージの中から出てきて、「チィ〜、テチィ〜」と甘えた鳴き声を出す。
 最近では彼の帰ったあとの、ごく僅かな時間がテチィの楽しみな時間になった。

「テチィ、なんでそんなに彼に懐いてくれないの?」
「チィ〜テチィ〜」
「彼はいい人だよ。そりゃあ喧嘩をすることもあるけど、
でもテチィをいじめたりするような人じゃないんだよ」
「テチュ〜ン、テチチィ〜」
「テチィが彼に懐いてくれたら、もっと嬉しいのになぁ……」
「テチィ〜」

 甘えた声で鳴くテチィに久美はため息をついた。

 久美は実装リンガルを持っていない。
 もちろんそういうものがあることは知っていたが、テチィとの意思疎通は、
リンガルが無くても十分取れていると思っていたからだ。
 事実、テチィの鳴き声や仕草で、嬉しかったり楽しかったりどうして
欲しいとか、そういうことは十分に伝わっていた。
 しかし、彼に引き合わせたときのテチィの言葉だけはどうしても分からなかった。
 何度か実装リンガルを使ってみようと思ったときもあったのだが、
もしそこに表示される言葉が今まで自分が信じてきたテチィ像を裏切るような
内容だったらと思うといまいち踏ん切りがつかない。
 結局久美もまた、テチィのことに関しては臆病なのだった。



 それから日を追う毎にテチィが久美と遊べる時間は更に短くなっていった。
 毎日来ていた彼が、たまに久美の部屋に泊まっていくようになったからだ。
 そんな日は、彼が久美の部屋にいる間中、テチィはずっと別の部屋に一匹でいる羽目になる。

 テチィは悲しくて寂しくてたまらなかった。
 自分だけに優しかった久美が、どんどん自分から離れていくことが。
 それはテチィの中に新たな感情を宿すことになった。

 あのニンゲンは怖い。
 でもそれ以上にワタチから久美ちゃんをとったことが憎い。
 あのニンゲンがいなくなれば。
 あの二ンゲンさえ。

 それは恐怖を超えた憎しみの感情。
 テチィの中で、いつしか彼氏は恐怖の対象から憎しみの対象へとその姿を変えていた。



 そんなある日のことだった。
 いつものように彼氏が久美の部屋に泊まりに来た。
 いや、今日はただの泊りではない。
 いつもより大きな鞄には、普段よりも多くの服が詰められている。
 それ以外にも本や身の回りの物が雑多に詰め込まれている。

 彼はこれから久美と同棲をすることを決めたのだ。
 そしてそれはテチィにとっては最悪の状況の始まりを意味していた。
 男が現れてからこっち、これまでどんどん削られていった久美との二人きりの時間。
 それがここに来て、いよいよほぼセロになった。

 テチィが久美と二人きりでいられるのは、彼に大学の講義があり、久美にはないという
僅かな時間のすれ違いのときだけ。
 それ以外はテチィはケージに入れられ、別の部屋に追いやられていた。
 それどころか、同棲することになって人が一人増えることにより、
それまでテチィを隔離するために使っていた部屋を彼のために空けることになり、
テチィの隔離場所は浴室かトイレの中になった。
 
 久美は別にテチィのことが嫌いになったわけではない。
 毎日夜はお風呂にも入れるし、朝には髪をとかしてやり、餌もちゃんと与えている。
 久美の感覚では、以前と全く変わらずテチィに接しているつもりだった。
 でも、そこには彼も一緒なのだ。
 それがテチィには耐え難く、また悲しい行為だった。

 一方久美は、最近お風呂や髪をとかすときに彼氏と一緒にしてやっても、
テチィが以前のように取り乱すことがないことに気がついた。
 前のように嬉しそうな鳴き声をあげることもなくなったが、悲鳴を上げることもない。
 ただ大人しくお風呂に入るし、髪をとかせる。

 そんなテチィに、久美はテチイがようやく彼に慣れたんだと思い、ほっとした。
 しかし実際は、そのときテチィは邪魔者である彼に対して激しい憎悪向けているだけだった。

 そんな一人と一匹の意識のズレは、やがて日常生活に暗い影を落としてゆく。



「ねぇ、今日はテチィと一緒にご飯を食べない?」
「え?大丈夫か?」

 久美の提案に彼は眉根をひそめて言う。

「大丈夫よ。最近は全然暴れたりしないでしょ?」
「そりゃまそうだけどさ。代わりになんだか前よりも目付きが悪くなったような気がするんだよなぁ」
「え〜?そんなの気のせいでしょ。気にしすぎよ」

 久美は笑いながらそういうと、テチィを浴室の中からケージごと連れてくる。

「テチィ。久しぶりに一緒にご飯食べよ」

 そういって、久美はテチィをテーブルに乗せて、テチィの分の晩御飯を
前のようにお皿にのせて置いてやる。
 テチィは久美の顔を見上げた後、チラリと彼の顔を見た。

「ん?」

 凡庸で特徴のない、でもどこか人懐こい感じのする顔だが、
今のテチィにはその顔は悪魔のようにしか見えていない。

 ——こいつさえいなくなればいいテチ……

 テチィはぷぃと彼から視線を逸らすと、脇目も振らずにかきこむようにしてご飯を食べた。

「ほら、大丈夫じゃない」
「そっか〜?なんだか変な感じで俺のこと見てたけど」
「だから、考えすぎよ」

 二人がそんなことを言っている間に、テチィは自分の分のご飯をすべて平らげた。
 そしてそのままトコトコと彼のおかずの皿のそばまで歩いていく。

「ん、なんだ?足りないのか?」

 てっきりおねだりに来たのかと思った彼の目の前でテチィはおもむろに
パンツを下ろすと、その場にしゃがみこんで盛大にウンチをしはじめた。

「デチー!」
「うわっ!なにすんだお前!」

 その行動に驚いた彼が思わず手のひらでテチィを跳ね除けた。

「チィイイ!?」

 大きくもんどりうって倒れるテチィ。
 脱糞の途中で転がされたため、あたりにテチィの糞が撒き散らされる。

「きゃあ!」
「汚ねぇ!」

 それはテーブルの上一面——久美や彼の夕食の上にも——しっかりと散布されてしまう。

 一方のテチィは久しぶりに受けた手荒い扱いに、急に目の前の彼のことが
怖いニンゲンあったことを思い出す。
 一種のフラッシュバックのようなものだ。

「テェエエン!レェエエン!」

 盛大に脱糞して泣き喚くテチィ。

「くそ!お前なんてことするんだ!」

 仰向けになり、糞を漏らしながらじたばたと暴れるテチィを掴むと
彼は台所にゆき、流しの中にテチィを放り込む。

「デチャア!!」

 叩き付けられたわけではなかったので大した怪我はしていないが、
手荒な扱いにテチィが一際大きな悲鳴を上げる。

「テチィ!?」

 そんなテチィに久美が慌てて駆け寄る。

「テェエエエン!テジャァアアア!!!」

 これまでにないほど泣いて怯えるテチィ。
 流しからシンクの上に助け上げても手を振り回して威嚇の鳴き声を上げ続ける。
 その様子に困惑していた久美だが、やがてその原因を作った彼に対して怒りの矛先を向ける。

「ちょっと!いくらなんでも酷いじゃない!」
「なに怒ってんだよ!お前もすこしは掃除を手伝えよ!」

 一方、夕食を台無しにされた彼氏の方も憤懣やるかたないといった様子で食卓の掃除を
しているため、自然と語気が荒くなる。

「テチィが完全にパニックを起こしてるじゃないっ!」
「知るかよっ!大体そいつが糞を漏らしたのが悪いんだろ!」
「あなたが変なことをしたんじゃないの!」
「するかそんなこと!お前こそ、そいつに糞の躾をしてんのかよっ!」
「してるわよっ!」

 お互いに激しく言い合う久美と彼氏。
 

「馬鹿らしい!お前掃除しとけよな!」

 だが、やがて彼の方がイライラに負けたのか、そういい捨てると乱暴に部屋のドアを開け、
どこかに出かけていってしまった。 

「……テチィ?」

 そして最初は取り乱していたテチィだが、自分の鳴き声よりも激しい声に落ち着きを取り戻し、
言い争う二人の様子をまんじりともせず見つめていた。



 その日を境にテチィの様子が変わった。
 久美がそばにいるときは、これまでと同じかあるいはそれ以上に甘えるようになり、
そして彼に対しては必要以上に威嚇の態度を示すようになった。

 テチィは学習してしまったのだ。
 彼を遠ざける手段を。

 ワタチが泣いて暴れるとクミちゃんと怖いニンゲンは喧嘩をするテチ。
 喧嘩をすると怖いニンゲンはどこかに行ってしまうテチ。
 
 なんとも子供らしい発想だが、テチィには名案のように思えた。
 事実、あの一件以来、久美はテチィを少し過保護気味に扱うようになっていたため、
少しでもテチィが悲鳴を上げると目を三角にして彼に詰め寄るようになっていた。
 一方の彼もそんな久美に嫌気が差してきており、口論するまでもなく腹立たしげに
部屋から出て行くことが多くなった。さらに一人きりになった久美がテチィを猫可愛がりするのも
この事態に拍車をかけていた。

 最初こそは子供特有の賢しらな我侭で通用していたかもしれないが、一旦転がり落ち始めた坂道は
加速度的にテチィをある場所へといざなっていった。

 糞蟲と呼ばれる実装石の、その行き着く先へと。




 転機はある日突然訪れた。

  
「なに、また喧嘩したの?」
「そういうわけじゃないんだけど……」

 久美は久しぶりに理恵の部屋を訪ねていた。
 テチィを譲ってもらって以来なので、四ヶ月ぶりくらいになる。
 今回もまた、彼氏絡みの愚痴を聞いてもらうためだった。

「冷戦って言うのかな……同じ部屋でいても殆ど口とか聞かなくて……」
「ふ〜ん……」

 毎度の愚痴をお菓子片手に適当に聞き流す理恵。
 
「やっぱり私たちってあわないのかなぁ……」

 溜息をついて落ち込む久美に、理恵はなんとはなしに尋ねてみた。

「ところでさ、原因はなに?」
「原因?」
「そ、冷戦だろうと何だろうとさ、揉めるにはそれなりの原因があるでしょ」
「うん、まぁ……」
「なんだ、心当たりあるんじゃん。で、なに?」
「テチィのことなんだけど……」
「テチィ?」

 それまで面倒臭そうに話を聞いていた理恵が眉根をひそめた。

 理恵はその後あの仔実装がテチィと名付けられ可愛がられているのを久美から聞いていたが、
特にそのことについて何かを言うつもりは無かった。
 久美にあげた時点でどんな風に扱おうと久美の勝手だと割り切っていたからだ。
 ただ、「テチィが——、テチィが——」と嬉しそうに話す久美を見るにつけ、
物好きな飼い方をしているなぁ、とは常々思っていた。

 そんな久美からこのタイミングでテチィの名前である。
 興味をそそられないわけが無い。

「テチィって久美にあげた仔実装よね。あいつがどうかしたの?」
「うん、テチィのことでいつも彼と喧嘩にね……」

 久美はこれまでのことを理恵に話した。

「どうしたらいいかなぁ……」

 ひとしきり話したら少しは気が紛れたのか、溜息をつきながらも微笑む久美。

「ねぇ久美」

 一方の理恵は先ほどまでの様子から一転し、その顔には険しい表情が浮かんでいた。

「一度そのテチィちゃんを見せてもらってもいい?」

 しかし、その口許にはぞっとするような微笑を浮かべていた。





 部屋の戸が開いた。
 テチィはそれが誰なのか、ケージの中から確認する。

 クミちゃんテス!

 入ってきたのは久美だった。

「テス〜テスス〜♪」
 
 甘えた鳴き声を上げて媚びるテチィ。
 しかし、それに続いて一緒に入ってくる彼氏の姿を見て、ピタリと鳴き止む。

 あの糞ニンゲンも一緒テス……またクミちゃんと喧嘩させてやるテス。テププ……。

 そう含み笑いをするテチィ。

 ——クミちゃんを独り占めしてやるテスゥ。

 そんなことを考えていたテチィは、次に入ってきたニンゲンの姿に体が硬直した。   

 
「お、結構デカくなってんね。もう中実装か」

 二人の後から入ってきて、テチィのケージを目ざとく見つけ近寄る、
その口調とは裏腹に剣呑な空気を漂わせたニンゲン。

「テ・テ・テ・テ・テ……」

 おこりのついたように体を震わせ、歯の根が合わさらないテチィ。  
   
「よ、久しぶり」

 そんなテチィにとっては場違いなほど軽い声をきいた瞬間——

「テッシャアアアアーッ!!テヂャヂャアアアッ!テギャアアアアッ!!」

 凄まじい悲鳴を上げてケージの隅に逃げ込み、両手を振り乱して暴れるテチィ。

 無理もないだろう。
 生れてからずっと、久美に引き取られるまで間、自分にこの世の地獄を見させてきた相手。
 せっかく忘れかけていた虐待の日々を鮮明に思い出させるあの目、あの声、あの口調。

 なんでテスゥ!何であのニンゲンがここにいるテスゥ!!

 頭から布団を被り、お尻丸出しで震えるテチィ。
 その丸見えのお尻のパンツの部分がこんもりと盛り上がってくる。
 これまで嫌がらせのために漏らしたことはあっても、恐怖のために脱糞をするのは
久美のところに来てからは初めてだった。

「やっぱり思ったとおり糞蟲になってしまったようね。典型的な」

 そんなテチィの様子に理恵が溜息混じりに言う。

「糞蟲って……」
「こういう状態のことよ」

 戸惑う久美に理恵はケージからテチィを強引に掴み出す。

「テヂャアアアアア!テシャシャアアァアアアア!デジュアアアアア!」

 テチィが再び激しく泣き喚く。
 そんなテチィに理恵がつとめて冷静にいう。

「人間に対して威嚇を繰り返す」

 そしてテチイをくるりとひっくり返してスカートをめくり、パンツをあらわにすると、
恐怖に脱糞してパンコンしたテチイの尻を見せ付けながらいう。

「教えた躾を忘れて守らない——これじゃあペットとして人間と一緒には暮らせないわね」

 溜息をつきながらテチィをケージに向かって投げ入れる理恵。

「テスァ!」

 顔面を床にぶつけ、こもったような悲鳴を上げると、再びケージ隅に逃げ、
布団を頭から被ってブルブルと震えるテチィ。
 
「どうしたの、テチィ?」

 そんなテチィに久美が心配げに声をかける。

 その声にテチィは我にかえる。

 そうテスゥ!ワタチにはクミちゃんがいるテスゥ!

「テスー!テススー!テッスー!!」

 がばりと布団を跳ね除けて、久美に訴えるテチィ。

 あのニンゲンはワタチを虐めた怖いニンゲンだからどこかにやって!
 早くワタチを助けて!

 一生懸命訴えるテチィ。
 これまでは芝居でそんな風にして、いつも彼氏と喧嘩をさせてきたテチィ。
 だが、今回ばかりはそうじゃない。心の底から久美に助けを求めている。 
 必死に。ただひたすらに。
 涙目で顔はぐしゃぐしゃ。さらに必死の形相のためまるで梅干のような顔になっている。
おまけにパンコンをして糞はパンツの裾からこぼれ落ちている。 
 
 そこには、仔実装特有の愛らしさは微塵もない。
 ただ醜くて汚い生き物が、糞を漏らして耳障りな鳴き声を上げているだけだった。

「やだ……テチィ、汚い……」

 久美は思わずそう呟くと、まるで汚物でも見るかのような眼差しを向ける。
 初めて見る本気のテチィに久美は戸惑ってしまっていた。
 彼氏に対して威嚇をするときもある。糞を漏らしたこともある。
 しかしそれはあくまでも半ば芝居じみた物。
 実装石の汚い部分を本能のままさらけ出したものとは全く違っていた。
  
「……テス?」

 そんな久美にテチィは棒立ちになる。
 自分が泣いて叫べば、いつもそっと抱き上げてくれた。暖かい手で撫でてくれた。
優しい言葉をかけてくれた。
 今日もそうしてもらえるはずだった。
 自分の訴えを聞いて、その怖いニンゲンをどこかに追いやってくれるものだと信じていた。

 でも、なぜ?
 なぜそうしてくれないの?

 テチィには分からない。
 初めて久美に温もりを与えてもらったとき、それはとてもとても大切で、ずっと大事にしたいと願っていた。
 しかし、それが日常になったとき、テチィはそれの大切さを忘れてしまった。
 だから分からない。
 失う理由も原因も分からない。
 ただうろたえるだけ。

 そして恐怖する。

 なんで?
 なんでそんな目で見るの?
 その目はまるで、昔ワタチを虐めていたあのニンゲンのよう——

 呆然と立ち尽くすテチィ。
 しかし、そんなテチィの中に新たな感情が芽生えてくる。

 なぜ?
 どうして?
 なぜ言うことをきいてくれない?
 なぜ言うことをきかない?
 なぜ言うことがきけないんだ、この糞ニンゲンは!!

「テスゥ!テッスー!テスァ!」

 先ほどまでと違い、久美に対しても激しく鳴くテチィに、
理恵は実装リンガルを使いその内容を翻訳してみせる。


『何をやってるテスゥ!ワタチの言うことをきくテスゥ!
ワタチの言うことをきいて早くその人間をどこかに連れて行くテスゥ!
そしてワタチだけを可愛がるテスゥ!そうすればいいんテスゥ!
言うこときかないなんて役に立たないニンゲンテスゥ!下僕テスゥ!!』


 久美はその内容を見て愕然とした。
 もしも自分のイメージしているテチィ像と違っていたら——
 そんな恐れから実装リンガルを使うことには抵抗があった久美。
 それがもっとも最悪の形で現れたのだ。
 
「最悪ね」

 テチィを呆然と見つめる久美に理恵は淡々と言う。

「やっぱりこいつのせいだったのかよ」

 そんなテチィに彼が吐き捨てるように言う。

 だが、テチィにも、そして久美にも二人の言葉は届いてはいなかった。
 久美は茫然自失に、テチィは完全に糞蟲に堕ちてしまい自分の要求を口汚く言い募るだけ。 
   
 そんなとりとめも無い状況を破ったのは、やっぱり理恵だった。

「テスゥ!?テスァッ!!」

 久美に向かって悪口雑言の限りを尽くしていたテチィを理恵はケージの中から掴み出す。

「テスゥ!テススゥ!!テジアアアッ!!」

 興奮状態になっているテチィは、先ほどまで怯えていたのが嘘のように理恵に向かっても威嚇を続ける。
 以前なら理恵に吊り下げられただけでガタガタと体を丸めて怯えるだけだったテチィ。
 それが今や前後不覚となり、相手と自分の力関係さえ見失って必要以上に鳴き喚く。
 そんなテチィに理恵は軽く溜息をつくと、おもむろにその両頬を張り上げた。

「テアァァ……」

 突然頬を襲った衝撃に我にかえるテチィ。
 そして目の前で薄ら笑いを浮かべるその顔に改めて過去の恐怖を思い出す。

「テッスゥゥ!テァアアア!テヤアァアアアア!」

 身をよじり、激しく抵抗をするテチィ。
 以前のテチィならこんなことはしなかっただろう。
 ただ大人しく吊り下げられ、なるべく人間の機嫌を損ねないようにしていたはずだ。
 ——無抵抗。
 テチィに出来た唯一の方法。
 しかし一度ぬるま湯に浸りきってしまったテチィは、そんな簡単なことも出来なくなっていた。

 心のどこかで、まだ久美に期待を寄せている。
 ニンゲンに淡い期待を抱いている。

 まさか自分を傷つけるような真似は出来ないだろう。
 こんな可愛いワタチを、と。

 頭では覚えている。
 理恵から受けた虐待の数々を。あの恐怖の日々を。

 しかし一度糞蟲に堕ちたテチィには、それさえも何かの間違いじゃないかとさえ思えてくる。
 幸せ回路——すべてを自分の都合のいいように解釈してしまう実装石の業ともいえる本能。

 もちろんそれはただの幻想。儚い夢。

 抵抗するテチィに辟易した理恵は、いとも簡単にテチィを握っていた手の拘束を緩めた。

「テェ〜〜〜〜」         グシャ

 間の抜けた、細く長い鳴き声に続いて汚らしい音が響くと、床に咲く汚い実装石の華。
 テチィの下半身は粉々に砕け、赤と緑の血溜りがじんわりと広がる。

「テ・テ・テ・テ・テ……」

 自分の惨状に身を震わせて短い鳴き声を上げることしか出来ないテチィ。
 事ここに到って、ようやくテチィの本能が生命の危機を訴えた。

 なんテス?なんでワタチの足が潰れてるテスゥ?
 おかしいテス?
 なんでテス?
 どうしてこんな目に遭うテス?
 なぜこんなことをされるテス?
 いやテス。
 いやテス。
 いやテス。
 いやテス、いやテス、いやテス、いやテス、いやテス、いやテス
 痛いのいやテス、痛いのいやテス、痛いのいやテス、痛いのいやテス、痛いのいやテス、痛いのいやテス、
 怖いのいやテス、怖いのいやテス、怖いのいやテス、怖いのいやテス、怖いのいやテス、怖いのいやテス、

 ——だれか助けてテスゥ!!

「テシャアアアア!?テッシャアアアアア!?」

 崩れてしまった下半身を床に沈めたまま、テチィは激しく鳴き声を上げる。
 そして涙を流しながらギョロギョロと周囲を取り囲む人間を見上げる。

 一人は嫌悪、あるいは恐怖をその瞳に宿し、
 一人は侮蔑、あるいは怒りをその表情に写し、
 そして一人は冷笑、あるいは失笑をその口許に湛えてテチィを見下ろしている。

 そこには、テチィの求めた暖かな物は一つもなく。
 テチィを救ってくれる物は何一つなかった。


「デギャアアアアアアアアア!!!!!」

 そしてテチィは初めて、成体の声で鳴いた。




「そんじゃこいつは連れて帰るね」
「ああ、頼む。いいよな、久美」

 テチィのことがよほどショックだったのか、そんな彼氏の言葉にも、久美は小さく頷くだけだった。
 その様子に理恵は小さく息を吐くと、少し窮屈になった手提げ式のケージにテチィを詰め込む。

「デギャアア!デジャァアアア!!」

 もはや成体と変わらない、その名前がすでに空々しく感じるほど汚い鳴き声をあげているテチィ。
 オッドアイの瞳は、今も久美を捕らえて放さない。
 涙を浮かべて必死の形相で鳴き続けるテチィ。
 それは今も久美に温もりを求めてなのか、それとも口汚く罵っているのか、
リンガルを使っていない理恵にもそれは分からない。
 そしてもうそれを聞こうと思う人間は、その場には誰もいなかった。





「デエェ……」

 実装石の弱々しい鳴き声がしたかと思うと、それは薄暗い部屋の中に沈んで消えていった。
 その実装石には髪はなく、服もなく、肌にはつやもない。そして体中がボロボロで、
幾度となく再生を繰り返した手足は歪に変形して、その体をなしてはいなかった。

 久美のところから出戻って一ヶ月。
 すっかり変わり果てた姿のテチィだった。
 成体になったテチィに、理恵は苛烈な虐待を繰り返した。
 それは以前テチィが仔実装だった頃、間近で見てきた母親に与えられるそれと全く同じ物だった。

 死んだ方がマシだとさえ思えるその虐待に、テチィが何とか耐えられていたのは、
やはり久美の存在だった。
 きっとまた久美が自分を助け出してくれる。
 テチィはそんなありえないことを心の支えにしていた。
 その脳裏には、別れ際にみた久美の冷めた眼差しの記憶はすでになく、
優しく自分の髪の毛をとかしてくれた、綺麗に体を洗ってくれた、
一緒に遊んでくれた優しい久美のことしかない。

 そして、最近テチィにはもう一つ心の支えが生れた。

「チィー」

 ぐったりとしたテチィ傍で心配そうに鳴く仔実装。
 そう。それは二週間ほど前に強制出産で生まされた子供の存在だった。
 強制的に生まされたとはいえ、この地獄の中ではじめて生れた心を許せる存在に、
テチィは何度も慰められた。

 しかし、その子供もニンゲンに虐待され、あるときは目の前で八つ裂きに、
あるときは仔実装同士で殺し合いをさせられ、またあるときにはただなんとなく、
というそんな理由で殺され、今では一匹しか残ってはいなかった。

「チィー」
「デェェ……デスゥー……」

 テチィは心細そうに鳴く仔実装に優しく鳴き返す。
 理恵のいない僅かな時間が今のテチィ親子の最も安らげる時間だった。

「さてと——」
「デェェ……」
「テチィイイイイ!!」

 しかし、そんな時間は長くは続かない。
 部屋にやってきた理恵に、テチィは力なく、仔実装は身を大きく震わせて
全身で悲鳴を上げる。
 そしてこれから起こるであろう酷い虐待に、二匹は身を寄せ合ってただ涙するしかなかった。

 しかし、今日はいつもと様子が違った。
 理恵はなにやら仔実装を見て呟くと、仔実装をひょいと摘み上げた。

「テェエエン!テェエエエン……」

 宙吊りにされ、鳴き声を上げる仔実装。

「うるさいよっ!」
「テヒィ!」

 理恵のデコピンのポーズに仔実装は悲鳴を上げて泣きやむと、
身を丸くしてブルブルと震えるだけになった。
 生れてからずっと虐待を受けていた仔実装は、今では理恵に反抗するだけの気力もなく、
脅されるとただビクビクするだけになっていた。 

「デェエエエ……デェエエエエ……」

 ——その仔を連れて行かないで、その仔を返して……

 震える仔実装にテチィはただ涙を流し、そして絶望するより他無かった。






「ところで、この実装石がどうかしたの?」
「だからさ、あげるよ」
「あげるって……この実装石を?」
「正確には実装石の子供。生後2週間くらいの仔実装だけどね。ほら!ご挨拶」






 そうしてまた、仔実装は別の誰かに貰われる。



 願わくは、今度こそ仔実装が糞蟲にならんことを——
 あるいは、今度こそ良い飼い主に恵まれんことを——


おはり


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昔書きかけてたものをなんとなく仕上げてみました
テンプレです お約束です
申し訳ありません
前作 ウチの馬鹿に感想を下さった方、ありがとうございました  

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