※ファンタジーです。 【ヤクザに託児】 コンビニエンス・ストアの駐車場から、 タイヤを軋らせながら一台の外国車が飛び出した。 バックした際、「チュベァ」という悲鳴と破裂音がしたから、 野良実装を轢き殺したのは間違いない。 そう確信した男は、罪の意識を感じるより早く、 明日朝一番で洗車する億劫さを嘆くのだった。 コンビニエンス・ストアの袋を手にした男が日本家屋の中に姿を消す。 その表情は厳しい。 何ともバランスを欠いた光景である。 男は真っ直ぐに台所へ向かう。 姐さんが存命なら、あるいはウチの所帯がもっと大きければ、 自分がコンビニなんかに買い出しに行かなくて済んだのに、と男は嘆く。 組長一人、子分一人の組に未来などあるはずもない。 「親父は頑固だからな。 もっと分厚くシノいでもらわないと。 ITの時代だぜ? 中国人使ってRMTで稼げばいいんだよ」 覚えたての単語を並べて不満を口にしながら、袋を開ける。 絶句。 そして、自分が見ているものが間違いでないか、サングラスを下げて肉眼で確認する。 「テッテレー♪」 口元を汚した仔実装が万歳をして、満面の笑みを男に向ける。 袋の中は、組長の好物である季節限定の「とろけるふわとろプリン」が散乱していた。 文字通り、仔実装が食い散らかしたのだ。 男は組長に命じられ、夜の夜中に車を走らせ数軒巡り、ようやく確保したのだった。 ヤクザ者にふさわしく、男の沸点は低かった。 さてはあのコンビニで託児されてしまったか。 だとすると、車で轢いたのはこいつの親か。 手前、許しちゃおけねぇ。 ニコニコしながら首を左右に振って機嫌を取っている仔実装を左手で掴む。 衝撃が逃げないよう後頭部を固定し、顔面に拳を叩き込んだ。 鼻血が噴き出し、歯が折れた。 「ベギャア」と、恐怖と苦痛の入り混じった仔実装の悲鳴が響く。 その音が思いの外、大きく、男は焦る。 仔実装の首と胴体にさっさと永遠の別れを告げさせてやろうと、両手で掴んだ。 そこへ、何の騒ぎかと組長が入ってくる。 「こいつが、組長の『とろけるふわとろプリン』を食いやがったんでさぁ」 どういうことだ、と組長。 「実装石の『託児』って奴でさぁ。 『託児』ってえのは、食い詰めた親がコンビニ客の袋に仔を投げ込んで、 仔だけでも人間に飼ってもらおうという行為です。 うまくいけば自分も取り入ろうって、後をつけてくる親もいるそうです」 「何でぇ、じゃあ、お前と同じようなものじゃねぇか」 「お、俺は……」 「いいから、いいから。 それで、その仔実装の親はどうした?」 「ああ、その点は安心してください。 コンビニ出る時、轢き殺しましたから」 その一言が、組長の怒りに火をつけた。 「馬鹿野郎、手前、何てことしやがる。 ウチの組のモットーを言ってみろ」 「……お父さん、お母さんを大切にしよう」 「声が小せぇ、腹の底から声を出せ!」 「お父さん、お母さんを大切にしよう!」 「そうだ。 今時の若い者はすぐ親に対する感謝の気持ちを忘れちまうからいけねぇ。 親を大切に思えば、自然と家族を、自分の周りの人間を大切にして、 それが国を愛する心につながるってもんでぇ。 俺たちゃヤクザ者だがよ、その気持ちだけは大切にしてぇよな」 「へ、へぇ」 「いいか、その仔実装の親はなあ、必死の思いで託児したのかもしれねぇんだ。 自分はどうなってもいい、この仔だけはってな。 その親をお前、『轢き殺しました』だと? お前も人の子なら、その仔実装の親のことも慮ってやれや。 だいたい、大の大人がそんな小動物相手にむきになってんじゃねぇよ」 「……へぇ」 男は素直に頭を下げ、手の中の仔実装に視線をやる。 顔の下半分が潰れ、だらだらと血が流れていた。 その血をどうにか止めようと、仔実装は両手で潰れた鼻と口を押さえていた。 「おい」 「へい」 「そいつを飼ってやることに決めた。 お前の子分だ、ちゃんと面倒見てやれ」 「へぇ……はぁっ?」 「何度も言わせるな。 お前が親を殺したんだから、お前が親の代わりになれってんだ。 わかったら、まずコンビニへ戻って駐車場を掃除してこい。 堅気のモンに迷惑をかけるんじゃねぇ」 「へいっ」 「それから、『とろけるふわとろプリン』を忘れるな」 ※ 二人のやり取りを見て、仔実装はどちらにつくべきかを悟った。 潰れた顔で組長のほうを見て、 残された力を絞り出して「テチューン」と媚びてみせた。 その直後、気を失った。 翌朝、仔実装は規則的な打刻音で目を覚ました。 そこは小さな箱の中であり、一瞬、公園に逆戻りしたのかと思った。 しかし自分にはタオルがかけられているし、枕もあてがわれていた。 クッションが効いて、背中も楽だ。 生まれ育った公園の段ボール・ハウスではない。 上体を起こすと、治りかけの怪我の痛みが昨夜の記憶を甦らせた。 母親との別離。 袋の中の物に手をつけてはいけないと母親に言われていたが、 空腹に耐え切れずにプリンを食べてしまったこと。 それは「もう死んでもいい」と思えるほど美味だったこと。 そして黒い目をした──サングラスをかけた人間に見つかり、 痛い目に遭わされたこと。 仔実装は恐怖に体を震わせ、タオルの中に潜り込んだ。 そして、母親のことに思い至る。 「ママは、ママはどこにいるんテチ?」 思考が混乱して、永久の別れを誓ったはずの母親のことを思い出す。 そして、食べ物の匂いに混じって、かすかに母親の体臭を感じた。 「デヂャッ」と、勢いよくタオルを跳ね除ける。 箱の縁に手をかけると、重心のバランスが崩れて箱ごとひっくり返った。 仔実装が寝かされていたのは、ティッシュペーパーの箱だったのだ。 ともあれ、箱の外に出ることができた。 食べ物の匂いに惹かれそうになるのを必死でこらえ、仔実装は母親の匂いをたどる。 その足は台所から玄関へと向かう。 エプロン姿で朝食の用意をしていた男は、 「テチテチ」と言いながら台所を横断していく仔実装に気づいていた。 放っていると、玄関へ向かう。 しめた、外へ出たら逃げたことにしてしまえばいい。 仔実装の背後について玄関へ向かう。 仔実装は母親の匂いを追い求めるのに必死で、男の存在に気づかなかった。 仔実装は戸に手をかけうんうん唸っているが、もちろんぴくりともしない。 男はそっと戸に手をかけ、スライドさせてやる。 「テチューン」と、仔実装は自分の力で戸が開いたのだと思い、 喜び勇んで飛び出した。 向かった先は、この家の駐車場だった。 ママがすぐそこにいる。 しかしそこで目にしたのは、親実装の肉と体液で汚れた外国車の後部バンパーだった。 それが何を意味するのか、理解してしまった仔実装は、 その場にへなへなとしゃがみ込んでしまった。 漏らした便でパンツが膨らんでいく。 さっさと敷地から出て行ってくれると思った男は、それを見て舌打ちをした。 かつての自分を見るような思いだったのだ。 施設に預けられ、いつか母親が迎えに来てくれると思っていたあの日。 毎日毎日、日が暮れるまで門のそばで待ったが、 二度と母親の顔を見ることはなかった。 肩をいきらせて、ずかずかと駐車場に入っていく。 仔実装の腕を掴むと、声を荒げて言った。 「手前の母親はもういないんだよ、俺が殺したんだ。 殺したもんは仕方がないだろう。 お前は一人で生きていかなきゃならねえんだ。 その代わり、一人前になるまで俺が面倒見てやるから、強く生きろや」 仔実装は何を言われてるのかわらなかったが、思い当たる節はあった。 またも母親の言いつけを破り、人間の家で糞を漏らしてしまったのだ。 そうだ、きっとこの男は、そのことを怒っているのだ。 「ごめんなさいテチ、もうウンチ漏らさないテチ。 ウンチ漏らさないから、痛いことしないで欲しいテチ」 そう言って、仔実装は泣き始めた。 「そうか、わかってくれるか。 頑張って強く生きていこうな、お互い」 瞳を潤ませる仔実装を見て、男は勘違いした。 仔実装が泣いているのは自分の言葉に胸を打たれたからだと悦に入る男と、 ただただ恐怖で涙している仔実装。 「強く生きような、強く」 「ウンチ……、もうウンチは漏らさないテチィ」 男が上機嫌になって仔実装に話しかければ話しかけるほど、 仔実装は顔は恐怖に歪み、涙が溢れ出るのだった。 ※ こうして、組長一人、組員一人と一匹の生活が始まった。 仔実装の寝床は縁側の角に置かれた。 段ボール箱に毛布を入れただけの質素なものである。 仔実装は男に恐怖で支配されていた。 初めて顔を合わせた時に感じた殺意は、時を経てもなかなか消えるものではなかった。 男が声をかけると、直立不動で向き直る。 男が言うことには何でも従った。 自分は既に二回しくじっている。 これ以上しくじったら命はないと、仔実装は覚悟していたのだ。 男は仔実装を甘やかせることはなかった。 自分の仕事のうち、できることは全て手伝わせた。 中でも仔実装が喜んで手伝ったのは廊下の雑巾がけである。 男が絞ってやった雑巾を手に取り、「テチャー」と廊下を駆け抜ける。 何が面白いのかわからないが、行ったり来たり、 放っておくと疲れて倒れるまで廊下を走り回った。 それで足腰が鍛えられた。 風呂掃除もやった。 男に教えられた通り、両手にスポンジを持ち、円を描くように浴槽を磨く。 その手の動きは空手の型を彷彿させた。 食事は三度、組長と男が外出する時は、二人が帰ってくるまでお預けだった。 そして二人はほぼ毎夜、街へ繰り出した。 その間、仔実装は好奇心に負けてだだっ広い部屋を走り回ったりもしたが、 幸いにも仔実装の行動範囲には家具の類がなかったため、 物を壊したりということはなかった。 むしろ広い空間に自分だけがぽつんと存在していることを心細く思い、 寝床の毛布に身を包み、二人の帰りをじっと待つのだった。 組長が仔実装に直接接する機会は少なかったが、 稀に、プリンの相伴に預かることができた。 鬼瓦のような顔の組長が顔色一つ変えずプリンを食べる横で、 仔実装は緊張で脂汗をかきながら食べた。 万一粗相があってはならぬと、 男の瞳がサングラスの奥から仔実装を睨みつけていたからである。 男は二度と託児されないよう、コンビニ袋の持ち方を変えた。 片方の持ち手をもう片方の持ち手の間を潜らせ、口を閉じる。 こうする癖をつけておけば、うっかり託児される、ということを防げるのだ。 やがて、仔実装に甘えが出てきた。 仔実装が言いつけをきちんと守ることがわかると、男はあれこれ言わなくなった。 それが仔実装には寂しいらしく、わざと失敗して気を惹こうとした。 ある時、仔実装は手を舐り、障子に穴を開けた。 「テチーテチー」と男を呼んで、障子の後ろに隠れる。 開けた穴から男がやって来るのを見る。 それで隠れたつもりなのか、何かの遊びのつもりか、 「テププ」と笑い声を漏らすが早いか男に捕まった。 「エンコ、詰めろや」 いう言われても、まだ仔実装の表情には余裕があった。 しかし腕を掴まれ、短刀が鈍い光を放つと、 糞便を漏らして泣き叫ぶしかできなくなる。 「手前、やっていいことと悪いことがあるぞ。 こっちはなあ、お前を子分と思うて接しるんや、おう!? 調子こいてんじゃねぇぞ、この糞蟲が」 俎板の上に手を置き、短刀を添える。 「ヤクザはなあ、こうやって落とし前をつけるんじゃい」 体重をかけ、一息に仔実装の手首を切り落とした。 仔実装は手首を押さえて転げ回っている。 「大袈裟なやっちゃなあ。 どうせお前らは元通りになるくせに」 そう言って男は、欠損した小指を眺めるのだった。 ※ 鳴き声がテチからテスに変わる頃、仔実装に新しい仕事が言いつけられた。 庭の植木への水遣りである。 組長の亡き妻が育てた植木であり、以後は組長が世話していた。 どこから聞いたのか、「実装石は草花を愛する」と知って、 仔実装に任せることにしたのだった。 仔実装は毎朝毎夕、如雨露に水を汲み、汗だくになりながら植木に水をやる。 その時、事件が起きた。 それまでその庭を我が物顔に歩いていた野良猫が、 縄張りを荒らされたと思って仔実装に襲いかかってきたのだ。 並みの実装石であれば、猫を見ただけで逃げ出しただろう。 しかしこの仔実装は、実装石である前に組の「子分」であった。 背中を丸め、ガンを飛ばしてくる猫に、如雨露を持ったまま睨みつける。 両者、共に動かない。 先に動いたほうに隙ができると思っているかのようだった。 水の入った如雨露が重い。 わずかに仔実装の右肩が下がった。 たちまち野良猫は跳躍して襲いかかってきた。 二匹はくんずほぐれつ、庭を転がり回った。 そして呆気なく勝負はついた。 仔実装は一方的に攻撃を受け続けたのである。 髪は乱れ、実装服はぼろぼろの引き裂かれた。 野良猫の鋭い爪で皮膚に裂傷を負った。 動かなくなった仔実装にとどめを刺そうとした野良猫だが、 ふんふんと獲物の臭いを嗅ぎ、目をぱちくりさせて一目散に退散した。 仔実装が漏らした糞の臭いが目にしみたのだった。 「ざまあねぇな」 戦いの一部始終を見届けた男が、縁側から声をかけた。 仔実装は横になったまま涙を流した。 男は庭に下りると、足で仔実装を転がす。 「お、お前」 仔実装は組長から託された如雨露を大事に抱えていたのだ。 自分がどれだけ傷ついても、如雨露を手放すことはしなかった。 怒ったような涙目で男を見上げ、 「テスゥ」 と言って頷いた。 男は濡れたタオルで仔実装の傷と汚れを拭ってやった。 ボロボロになった服は、もう着られそうになかった。 服と、身を守る道具を用意してやらねぇとな。 翌日、男は傷の癒えた仔実装にさらしを巻いてやった。 「いいか、出入りの時は、まず乾いた新聞紙を体に巻く。 その上から濡れた新聞紙を、さらにその上に乾いた新聞紙を巻くんだ。 それからさらしを巻け。 そうすれば多少の刃物で斬りつけられても平気だ」 「テスッ」 言葉の意味が通じているのか通じていないのか、仔実装は力強く頷いた。 仔実装の表情はいつになく真剣だった。 「それから服……これを着ろ」 男が差し出したのは、七五三の着物。 「テッ!?」 「いいから、着ろ。 親分も、そのほうが喜ぶ」 仔実装はもちろん、男にも着つけの心得があるわけではない。 着物に袖を通し、腰紐を結び、マジックテープ式の伊達締めを締めた。 その上から、男が涎かけをつけてやる。 「これはな、お前の母親のものだ。 あの日、コンビニの駐車場に戻ったら、これだけが残っていた。 今までのお前は、まだ子供だったから渡せなかった。 きっとこの母親の形見に依存しちまっただろうからな。 だが、もう立派な大人だ、もう大丈夫だろう」 仔実装は涙が溢れそうになるのをこらえ、涎かけを力一杯掴んだ。 「デスゥ」 男の顔を見て、短く鳴いた。 ※ その日から、二人と一匹の組の団結が強まった。 身を挺して如雨露を守ったことに感動した組長が、実装石に名前をつけた。 その名を聞いた時、男は信じられないという顔をした。 実装石に姐さんの名前をつけるなんて、と。 組長は一喝した。 馬鹿野郎、この家には俺の女房以外の名を持つ女はいらないんだ、と。 以来、組長と実装石が一緒に庭にいることが多くなり、男は軽い嫉妬を覚えた。 そんな自分を馬鹿馬鹿しく感じつつも、実装石との接し方が微妙に変化した。 その変化をごまかすように、男は実装石に戦い方を教えた。 「いいか、ヤクザと一般人の違いはな、失うものがあるかないかだ。 一般人は失うものがあるから、守りに入る。 ヤクザにはそれがないから、捨て身で攻撃ができる。 お前らの世界で言えば、禿裸って奴か。 その割に禿裸は弱えけどな」 「デスゥ?」 「禿裸もヤクザも日陰者だ。 日陰者だからって、卑屈になるこたぁない。 日に当たる人間がいるからこそ、日陰ができるんだ。 日に当たる人間を支えるのが日陰者の役目なんだ」 「デスゥ」 「ま、禿裸に関係なく実装石そのものが日陰者か」 そう言って、男は笑った。 だからお前とは馬が合うんだな、という言葉は飲み込んで。 実装石が扱えるサイズの短刀を用意してやった。 指のない手でも力を込められるよう、手製のアタッチメントがついている。 素早くさらしから短刀を取り出し、目標を斬りつける練習を繰り返した。 チャカはどうしようもなかった。 第一、飛び道具は組長が嫌う。 しかし実装石には自前の飛び道具があった。 糞投げである。 着物の裾から股に手を入れるや、ノーワインドアップで糞を投げた。 着物を着るようになってから下着をつけなくなったため、 手が下着に引っかかることがなく、流れるようなフォームで投擲できる。 「スリークォーター気味に投げてみな」 中学の野球部ではエースをつとめた男がアドバイスする。 「そうそう、もう少し落としたほうがいいな。 サイドスローでどうだ。 それじゃあ相手に避けられるな。 うん、そうだ、体を沈めてアンダースローで投げてみろ」 面白いように的に当たった。 しかも低い位置から浮き上がってくる糞は人間の目の高さから視認しづらく、 気づいた時には眼前に飛び出してくる。 仔実装時代に鍛えられた下半身のバネが、実装石が持つ天性の投糞能力を高めていた。 男は後で掃除が大変になることも忘れて、目を細めて実装石の投げ込みを見守った。 自分もこのくらい、真剣に練習に打ち込んでいたら。 結局、自分は半端者だった。 上級生と喧嘩をして野球部を退部、悪い友人と付き合い始めた。 歓楽街で酔客に因縁をつけ、金を巻き上げる毎日。 そんな時、組長に出会い、あっさりと打ち負かされた。 以来、組長にずっと師事している。 父親の顔を知らず、母親に捨てられた男にとって、 組長は親父であり、姐さんは母親だった。 組長は昔気質のヤクザだった。 そのため時代に取り残され、組の存続は風前の灯。 組員は新興ヤクザの許へ流れていき、 あらゆる意味でかつての遺産で食いつないでいた。 男が指を詰めたのは、兄貴分の裏切りがあった時だった。 どうしてもその行為が許せず、男は兄貴分を半死半生の目に遭わせた。 しかし兄弟分を手にかけるのは仁義に悖る行為だと、組長から叱責された。 思い詰めた男は指を詰め、そのことが再び組長の逆鱗に触れた。 親から貰った体を傷物にしてどうする、と。 お前は一生、極道者として生きていくことになるのだ、と。 その日の夜、新興ヤクザとのトップ会談があった。 早い話、シマを譲れというのである。 組長はこれを拒否した。 拳銃も覚醒剤も扱う新興ヤクザが街へ進出してくればどうなるか、 よくわかっていたからである。 話は物別れに終わった。 組長は酩酊状態にあった。 二人が帰ってくるまで待っていた実装石は、男に手を貸し、組長を寝室に運んだ。 そのまま組長は実装石を押し倒した。 男はそっと、寝室を後にした。 組長は何度も、亡き妻の名を呼んだ。 「組長さん、真珠は反則デスゥ」 実装石のあえぎ声が寝室から漏れた。 ※ 何事もなかったかのように、それから数日が過ぎた。 実装石の変化に最初に気づいたのは、組長だった。 「どうした、お前、目が緑になっとるじゃないか」 「組長、これはおめでたです」 「何ぃ?」 「デッスーン」 頬を赤らめる実装石。 「そうか、じゃあ早速、病院で診てもらわないとな」 「それなら車を回します」と言う男を、組長は制した。 今日は、俺が運転して送っていくよと、照れながら言った。 俺の責任だからな、と。 男は少し不服そうな顔をしただけで、何も言わなかった。 それが、男と実装石との最後の別れとなった。 実装病院へ向かう途中、信号待ちをしていると、 後ろに止まった車から男が降りてきた。 男は無言で運転席に向かうと、組長に向かって二発、拳銃を撃ち込んだ。 窓ガラスは粉々に砕け、組長は血の海に沈んだ。 男は車に戻ると、信号を無視して走り去った。 「デシャーッ!」 チャイルドシートに身を沈めていた実装石は難を逃れた。 懐から短刀を出し、シートベルトを断ち切ると、ドアを開けて車外に飛び出した。 交差点での発砲事件で、辺りは騒然としていた。 被害に遭った車から、着物を着た実装石が、しかも短刀を持って飛び出してきたので、 騒ぎは一層大きくなった。 「組長さんを殺した糞ニンゲンは絶対に逃がさないデス」 犯人が逃走する直前、実装石は糞を背中に命中させた。 その臭いをたどっていけば、いつかは犯人を見つけられるはずだ。 野次馬の隙間をかいくぐって、実装石は走り出していた。 「この落とし前、ワタシがつけさせてもらうデス。 これがお世話になったニンゲンさんへの、ワタシの仁義の切り方デス」 ※ 体に包帯を巻いた組長が、病室でスポーツ新聞を読んでいた。 一発は確かに命中し、そこから出血したが、心臓を狙ったもう一発は、 組長が買ったばかりの実装リンガルを砕いたところで止まった。 犯人が小口径銃を使ったのが幸いした。 「あいつ、俺が死んだと思って飛び出して行ったんだよなあ」 「へぇ、思い込みの激しい奴でしたから」 「お前に似てな」 二人はへへっと笑う。 「俺は寝るよ、庭の植木に水をやっといてくれ」 そう言って、組長はスポーツ新聞を放り出した。 一面の見出しにはこうあった。 「新興ヤクザ“糞”死 凄惨な犯行現場/死体の顔に緑色の糞/鋭利な刃物で次々殺害」 左寄りの全国紙は、「さん」づけで死亡した組員の名前を報じていた。 ※ 如雨露を持って植木に近づくと、既に何者かが水をやった後だった。 草花は生き生きとして、嬉しそうに陽光を浴びていた。 男は煙草をくわえたまま、辺りをきょろきょろとうかがうが、誰もいなかった。 車に戻り、今度はコンビニエンス・ストアへ向かう。 親父にプリンを買って行ってやろう。 「とろけるふわとろプリン」は、 姐さんが作ってくれるプリンによく似た味がするらしいのだ。 自分は甘い物が苦手だが、今日はご相伴に預かろう。 会計を済ませた男は、ゆっくりと車へ戻る。 袋の持ち手を片方だけ持って。 黒髪の仔実装が託児されたらどうしよう、 ついそんな想像をしてしまい、男は頬が緩むのを止められなかった。 (終)
