【シリアナ】 ※本作はフィクションであり、 実在の団体・宗教・その他とは関係ありません。 ■Dデイ/ゼロアワー・マイナス12分 通勤客で、文字通り立錐の余地もない山手線。 サラリーマン、あるいはOLが車両を占領する中、 背が高く、浅黒い肌を持つ男が目立たない筈がなかった。 が、誰もがすし詰めの車内で別のことに意識を奪われ、 彼がさり気なく網棚に鞄を置いたこと、 そしてその鞄を網棚に置いたまま、乗客をかき分け、 次の駅で降りたことを不自然に思った者はいなかった。 この国は平和ボケもいいところだ──20世紀から21世紀にかけて、 部族間の抗争、大国の代理戦争、そして冷戦後の大国の介入と、 あらゆる形で祖国を戦火に焼かれた男は呟いた。 ■Dマイナス16日 その公園には、「先生」と呼ばれた実装石が暮らしていた。 元飼い実装で仔はいない、いや産みたくても産めない体である。 人間に飼われている頃にひどい虐待を受け、生殖機能を奪われ、 挙句に公園に捨てられたのだ。 「先生」は、もちろん元の飼い主につけられた名ではない。 非常に物知りであること、そして身寄りのない仔実装を引き取り、 教育を施していることから周囲が自然とそう呼ぶようになったのだ。 「先生」は、段ボール・ハウスで実装石のあるべき姿を仔に教える。 「我々実装石は、今、たいへんな苦しみを味わっているデス。 本来我々は、歌を愛し、花を愛で、仔を育て、平和に生きる生き物デス」 「先生」は仔実装たちに語りかける。 力強くうなずく仔実装もいれば、あくびをかみ殺しているものもいる。 仔実装たちが腹の足しにもならない説法を我慢して聞いているのは、 この後で餌にありつけるからである。 訳知り顔で大きくうなずいている仔実装は話を理解しているからではない、 その振りをすれば「先生」に気に入ってもらえ、 自分だけたくさん餌を貰えるのではないかという計算だった。 「先生」はどこからか食糧を調達してきて、 三度三度仔実装たちの腹を満たした。 調達先を探ろうとした野良実装もいたが、 例外なく公園から姿を消すことになった。 「先生」という呼び名には、畏怖の念も込められている。 「ワタシたちに苦しみを与えているのは、ニンゲンデス。 ニンゲンは万物の霊長として振る舞い、 ニンゲン以外の動物を一方的に支配しているデス。 ワタシたち実装石はニンゲンに近い存在でありながら、 いえ、近いゆえに、弄ばれ、抑圧され、『浄化』されているのデス」 我慢の限界を迎えつつある仔実装たち。 自分のぱんつの中に手を入れたり、隣の仔実装の髪の毛を引っ張ったり、 空腹を感じてか自分の手を齧り始めるものもいる。 この仔たちも粛清しなければならないか、と「先生」はため息をつく。 そして、力強い視線が自分を捉えていることに気づいた。 「確か、あの仔は……」 ■Dデイ/ゼロアワー・マイナス8分 暗闇の中、仔実装は「先生」の言葉を頭の中で反芻する。 「殉教者になれば、来世で幸せになれるテチ」 ごくりと、唾を飲み込む。 「本当に、殉教者になれば来世でママと幸せになれるテチ?」 暗闇に浮かんだ「先生」が、そうだと力強く頷いた。 仔実装は、ポケットの中のものをぎゅっと握り締め、 それから何も考えないようにして、「それ」を口の中に放り込んだ。 ■Dマイナス25日 ある公園に、貧しいけれど幸せな実装親子が住んでいた。 優しい母親実装に利発で母親思いの仔実装が4匹。 その夜も、親子が身を寄せ合って段ボール・ハウスで眠り、 朝の訪れを待っていた。 「うんち出るテチ」 三女が便意をもよおし、トイレへ立つ。 一家の決め事で、用便は段ボール・ハウス近くの 茂みで済ませることにしていた。 寝糞、立ち糞当たり前、家の中は糞まみれ、の野良実装には珍しい 衛生観念が、彼女の運命を決めた。 三女が段ボール・ハウスを後にした直後、 塾帰りの中学生たちが公園の実装石を無差別に襲撃した。 突入してきた自転車によって、母も姉も妹も、 段ボール・ハウスごとひき潰されてしまったのだった。 母親にとって救いだったのは、三女がこの難を逃れたことだった ──彼女が死の間際に目にしたのは、茂みの向こうで用を足している、 三女の尻穴だった。 ■Dマイナス7日 「ワタチのママも、お姉ちゃんも、妹も、ニンゲンに殺されたデチ」 「そう、ニンゲンは何の理由もなく、我々実装石を殺すデス」 「ワタチは、ニンゲンに復讐をしたいテチ。 博識な『先生』なら、その方法を知っている筈テチ」 「ニンゲンは強い、それにワタシたちより賢いデス」 「けれど『先生』は、『聖戦』を断行することで、 ニンゲンに対し『意志の勝利』を収められると教えてくれたテチ」 「……」 「『偽石が割れることはあっても、実装石の魂が敗れることはない』、 『先生』はそう教えてくれたテチ」 「……覚悟は、できているデス?」 「先生」は、仔実装の肩に手を置いた。 仔実装は、ゆっくりと頷き、「先生」の目を見据えた。 「先生」は、かすかに微笑んだ。 ■Dデイ/ゼロアワー・マイナス3分 薬が効いてきた。 腹部が、激しく慟哭する。 これまでに感じたことのない強烈な便意が、仔実装に襲いかかる。 「まだ、まだまだテチ」 腸が、まるで別の生き物のように腹の中で暴れる。 激しく暴れると同時に、さらにその内側で驚異的な蠕動運動。 まるで体内にピストン機関が埋め込まれ、爆発を始めたみたいだ。 「デデデ」 思わず声が漏れる。 あと少し、もう少しと仔実装は我慢をする。 逆流しそうになる便を、両手で口を塞いで抑える。 「もう駄目テチ、ワタチの尻穴は限界テチ」 ■Dデイ・マイナス1日 段ボール・ハウスには、あの聡明な仔実装が一匹。 「先生」はどこからかヴィデオ・カメラを持ってきて、 仔実装を撮影する。 「……現世は、蛆ちゃんの抜け毛ほども価値がないテチ。 ワタチのママ、お姉ちゃん、妹、みんな殺されたテチ。 悪いのは全てニンゲンテチ。 ワタチたちは平和に生きたいだけテチ。 だからワタチは、実装石の聖戦に身を投じるテチ」 仔実装の声は、そのまま記録される。 後で、このヴィデオ・テープを利用する人間が字幕をつけるので、 実装リンガルは用意されていない。 「ワタチは殉教者となって、来世に生きるテチ。 そこではママやお姉ちゃん、妹のような良い実装石に幸せが約束され、 ニンゲンのように悪い生き物には地獄の苦しみが与えられるテチ」 撮影後、仔実装には金平糖をはじめとする好物がふんだんに与えられた。 ■Dデイ/ゼロアワー・マイナス64分 段ボール・ハウスの外に小さめのボストン・バッグが置かれていた。 「先生」はファスナーを開け、仔実装は何も言わずに中に入る。 「先生」は金平糖そっくりの形をした薬を仔実装に手渡した。 うなずき、手の中の薬を見つめる仔実装。 「先生」は仔実装に抱きつき、仔実装もそれに応える。 力強いハグ。 ずっとこのままでいたいという欲望に打ち克ち、 仔実装は両手で「先生」の体を押し、バッグの中で仰向けに寝る。 「成功」を確信して、ファスナーを閉める「先生」。 その直後、仔実装はふわりと体が浮く感覚を覚えた。 ■Dデイ/ゼロアワー ボストン・バッグは中から簡単に開く仕かけになっていた。 顔を出す仔実装。 眼下には無数のニンゲンの頭。 気圧されつつも、仔実装は叫ぶ。 「これでも喰らえテチ、馬鹿ニンゲン!」 乗客が一斉に、仔実装を見上げる。 仔実装は、全てを放出した。 小さい体のどこにそれだけ入っているのか、 理解を超える壮絶な量の緑の糞便が、 「ドドンパ」の爆発力で山手線の車内にぶちまけられた。 強烈な悪臭が身動きの取れない乗客を襲う。 糞便の直撃を浴びた者、逃げようとする者、恐慌をきたす者、 車内は阿鼻叫喚に包まれた。 尻穴から体が裂かれ、絶命する瞬間に、 仔実装は自爆テロが成功したことを悟った。 「これで……みんな……幸せになれるテチ」 ■Dデイ/ゼロアワー・プラス7分 国営放送と民放各局は放送中の番組を中止し、 あるいはニュース番組の中で、臨時報道を行った。 「本日八時三十分頃、通勤客で満員の山手線で自爆テロがありました。 詳しい被害状況はまだわかっておりません。 この事件に、アラ・カユイダ系のテロ組織『緑の仔たち』が 犯行声明を発表しています」 テレビのチャンネルを次々切り替え、 どの局も判で押したように同じ対応をしているのを見て、 浅黒い肌を持つ男は笑う。 この調子なら、全国にパニックが広がるのは時間の問題だ。 恐怖をもってこちらの主張を通すこと、それがテロルなのだ。 しかし、チャンネルを切り換えていた男は不意に表情を曇らせた。 「これは、一筋縄ではいかないかもしれない。 この国にも、どうやら強い意志の持ち主がいるようだ」 ──テレビ東京だけは、断固としてアニメの再放送を流し続けたのであった。
