—————————————————————————————————————— ○はじめに 『 楽園 』 『 楽園より二ヵ月後 』 『 青い部屋の中で 』 の続きにより、その後に読む事を推奨します。 —————————————————————————————————————— 夕陽が町全体を赤く照らしていた。 陽は建物も人へも分け隔てなく照らし、その影は細く長く伸びてゆく。 勤めから帰宅途中の会社員、親の待つ我が家へ足を運ぶ子供達。 日は沈み、夜の帳を迎えようとしていた。 街中を冷たい北風が吹きぬけていく。 『 えぐ…ひっく……。 』 その中、ランドセルを背負った女の子が泣いていた。 夕日に照らされながら目を抑え、涙を流しながら歩いている。 だが、誰一人として女の子を慰める者は居ない。 すれ違う人は興味本位の視線を向けるが、それまでだった。 女の子が一人で泣いていた。 『 冬香、また学校でいじめられたの? 』 『 ひっく……うん……ひっく……。 』 『 ほら、元気出しなさい…。 』 家に帰ると、夕飯の支度途中だった母親が慰めてくれた。 父親は単身赴任で家には居ない。 母親は昼間の仕事や家事が忙しくて満足に構うことができない。 『 ……。 』 自室。 今、家には冬香以外誰も居ない。 テレビを点けるでもなく、音楽を流そうともしない。 冬香はベッドの上で蹲り、大きなヌイグルミを抱きかかえながら母親の帰りを待っている。 窓からの夜景を眺めて、時が過ぎる。 部屋の中に響くのは時計の針の音だけ。 冬香はいつも一人ぼっちだった。 内気な性格のため友達もできず、学校でも孤立して一人。 いつも部屋の中に一人で佇んでいた。 ある秋も深まった頃 『 ねぇ、ねぇ、私の可愛いでしょ〜? 』 『 うん、この子、すっごい頭良いね〜! 』 母親に頼まれてお使いに行った帰り、近所の子供達の話し声が聞こえる。 街角の近所の子供達が数人、緑の服を着た小人を囲んでいた。 「 デスゥ!デスゥ〜! 」 子供達が連れていたのは実装石だった。 愛くるしい外見と仕草に、興味を持った子供達が取り囲んでいる。 実装石が何か動きを見せるたびに、子供達から歓声が上がった。 実装石もまた、そんな子供達の反応を見て楽しげに声を上げて笑った。 その光景が冬香には実に楽しそうに見えた。 同時に、その中に自分だけが居ないのがとても寂しく思えた。 そして同時に思う。 ( 私も実装石を飼ったら…みんな仲良くしてくれるかな? ) 実装石をきっかけにして、近所の子達と仲良くなれるかもしれない。 それに、家では1人で居る事が多いけれど、話相手の実装石が居れば寂しくないかもしれない。 だが、冬香の家には様々な意味で実装石を購入する程の余裕は無かった。 実装石の値段もさることながら、その世話や躾をしなくてはいけない。 いつも忙しく働き回っている母親の仕事を、更に増やす事になる。 更にペットショップで売っている実装石の値段は、冬香のお小遣いで買える金額では無い。 飼い実装だけでなく、様々な付属品や専用の食料品を揃えれば、かなりの金額に昇る。 家計的にそれほど裕福でない冬香の家にとって、飼い実装は過ぎた代物だった。 けれども、一旦欲しいと思った感情は収まらない。 せめて、お金を払わずに実装石を手に入れるためには…。 帰り道、冬香は買い物籠を手に提げたまま、立ち止まった。 真横を振り返ると、その先に見えるのは近所の公園。 この街で野良の実装石が巣食う唯一の場所。 他に実装石達が住処とできる場は無く、付近の個体の大多数はここに集まっていた。 真っ直ぐに帰れば母親の待つ自宅、曲がれば実装石が生息している公園。 立ち止まった冬香は、どちらに進むか暫く考え込み…。 『 ……少しだけ。 』 冬香は振り返った先に歩を進め、そのまま近所の公園へ向かった。 当時の冬香は小学3年生。 成体となった実装石は人間の身長の1/3〜1/2程度。 だから一回り大きな実装石ならば、冬香と体格的にはさほど変わらない。 そのため小学生などの児童には学校側や親から、野良実装には注意するよう呼びかけられる。 人間に比べて非力な実装石であるが、それでも犬歯は存在し顎の力も強く、肌へ直に噛みつかれれば出血は免れない。 尚且つ、小石を投げる程の腕力も備えており、小さな子供達にとっては決して油断できない相手である。 だが、実装石全てが必ずしも人間に危害を加えるとは限らない。 ある程度の知能を持ち、社会性の有る実装石ならば、絶対に人間に逆らっていけない事を知っている。 特に街中の公園ともなれば、真っ先に駆除対象区域として挙げられるだろう。 だからこそ実装石達も身の程を弁えている。 残飯や気紛れな人間の施しが無ければ、自分達は生きてはいけない。 心の奥底では人間を見下しながらも、その辺りを割り切って媚びる実装石は数多い。 寧ろ、人間に危害を加えようとする個体は他の同属から駆逐されるであろう。 それは人間に敬意を払っているからではない。 あくまで自分達の生活を維持するためなのである。 また、自治体側としても駆除するのに少なくない予算を割く必要が有る。 愛護派の目もあり、駆除に反対的な意見も時々寄せられる。 だから実装石達が特に問題を起こさなければ、公園での生息は黙認された。 この公園の実装石達は、自らの分を弁えていたのだ。 そして冬香の住んでいる近所の公園は非常に小さかった。 住宅地の中に有り、声を出せば隣の家からすぐに人が駆けつけてこれる。 北門から南門まで僅か25メートル程度。 冬香は以前、少数ながら実装石達が住み着いているのを前に見かけた。 今も公園の敷地外の道路から、公園の中を覗き込んでみる。 園内に点在するダンボールハウスと出歩いている実装石達の姿が見えた。 時計を見ると、まだ夕飯まで時間は有る。 冬香は賢い仔実装がいないかと期待し、公園内へ足を運んだ。 「 デッスデス〜! 」 入り口の門から中に入ると、早速親仔実装が冬香の姿を見つけ近寄ってきた。 親実装は仔実装を両手に持ち、誇らしげに冬香の方へ見せ付ける。 「 テチュテチー! 」 『 えっ、えっ、え!? 』 当然だが冬香は実装リンガルなど持ってなかった。 この突然の親実装の行為に冬香は戸惑う。 親実装は自分の仔を見ろ、可愛がれ、食べ物を寄越せ、私達を飼え、と図々しい主張をしているが冬香に分かる筈も無い。 ただ少し見て気付いたのは、親仔共々非常に服が汚い事。 野良のためだが、冬香には耐える事のできない汚れ、そして臭いだった。 『 ご、ごめんなさい! 』 冬香は脇をすり抜け、親仔を振り切って奥へ入っていった。 公園の中は、幾つかの実装石のダンボールハウスが点在する。 その中からは物音と実装石の鳴き声。 敷地内で、親実装に手を引かれて歩く仔実装達。 途中、自分を見た実装石が何匹か近づいてきたが、どれも汚くデスデス騒ぎ、 冬香はそのたびに敬遠して逃げた。 飼うとすれば産まれたばかりの小さな仔実装が良いと思った。 可愛くて賢い、近所の子達が連れていたような実装石に育ってくれる仔実装を望んだ。 『 あ…。 』 しかし冬香は自分が浅慮だったのに気付いて立ち止まる。 仮に良さそうな仔実装を見つけたとしても、冬香に交渉する手段は無い。 実装石とコミュニケーションを取るのに必須の実装リンガル。 小学生の冬香が所持している筈も無い。 もし冬香が虐待派、または乱暴な性格ならば仔実装の1匹くらい強引に取り上げたかもしれない。 仔実装を1匹取り上げ、そのまま全力で走ってしまえば、実装石の脚力では追ってこれない。 けれども冬香は、強引に仔実装を親から取り上げるつもりは無かった。 親から仔を奪い取るような真似は出来なかった。 公園の中、途方に暮れて立ち尽くす。 思いつきでここに入ったものの、自分には何もできない事を思い知った。 ふと気付けば、時計の針が予定よりも大きく先を回っている。 早く帰らないと、母親に叱られる。 手にぶら提げていた買い物袋に気付き、自分がお使いの帰りなのを今更だが思い出した。 『 お母さん、待ってるね…。 』 門へ振り返り、あきらめて帰ろうとした時…公園のトイレの方から大きな声が上がった。 「 デェアアア!デスデスゥゥ!! 」 『 な、なに!? 』 トイレの近くで、成体実装石が1匹の仔実装……小さな実装石を蹴飛ばしていた。 「 テ、テェ……テェ… 」 蹴飛ばされた仔実装は、地面を転がり、その身体を土埃で汚した。 仔実装は衰弱しているために立ち上がる事もできず、鳴き声も弱々しい。 『 や、やめて…! ダメよ、そんなことしちゃ! 』 「 デェ!? 」 瞬間的に冬香は駆け出していた。 成体実装石は突然自分を押しのけ、目の前の仔実装を助け上げた冬香を驚いた目で見上げた。 「 デッス!デスス!デスデスデェ〜ス!! 」 成体実装石は、冬香の手の中の仔実装を指差して抗議をしているようだ。 その抗議には怒りが混じっているのが感じ取れる。 しかし今の冬香には、その言葉が分からない。 『 えっと……その……これあげるから! 』 冬香は苦し紛れに、買い物袋の中を漁った。 「 デスデス!!デェ………デッス〜ン♪ 」 その中から買い物で買ったお菓子の飴玉を取り出すと渡し、口に入れれば急に機嫌が良くなる。 その飴に気を取られている隙に、少しづつ後ずさりをしながらその場を離れ…駆け出すと公園の外に出た。 『 ここまで来れば大丈夫………ん……このネバネバは…何? 』 持ち上げた感触から、その仔実装が粘液で覆われているのが分かる。 だが、そんな事は気にしてる暇は無かった。 仔実装は今まで蹴られていたため身体中が痣だらけで、しかも弱っていた。 「 テチィ……テチィ… 」 寒さのため、身体を震わせて凍えているのが分かる。 早く暖めてあげないと死んでしまう。 冬香は仔実装を手に抱えたまま、急いで自宅に走っていった。 『 お帰り、冬香。買い物、遅かったわね………どうしたの? 』 『 ご、ごめんなさい、お母さん!今、急いでるから…! 』 『 冬香、それは……? 』 母親の制止も耳に入れず、仔実装を隠すように抱えながら冬香は風呂場に行くと、桶にお湯を張った。 湯加減が丁度良い頃合に、仔実装を桶の中へ浸す。 「 テェー… 」 暖まったのか、震えは止まった。 『 さぁ、綺麗にしないとね… 』 冬香の小さな手の指先が仔実装の服を脱がしていった。 そして、その身体を丁寧にこすって洗い、張り付いていた粘膜を落としていく。 手、足、身体……優しい手つきで丁寧に洗われていった。 『 ……あれ? 』 その洗っている最中、幾つか不思議な事に気付いた。 冬香は実装石の生態など詳しくは知らない。 緑の服を着て、少しだけ頭の良い生き物くらいだという知識しか無い。 だが、この仔実装には手に小さな爪が生えている。 服を脱がして分かったが、身体中は僅かだが毛で覆われている。 また、仔実装にしては一回り身体が大きい。 冬香が助けたのは、間引かれようとした出産直後の獣装石だった。 『 冬香、これはどういうこと!? 』 居間に戻ると、母親の説教が始まった。 綺麗になった仔獣装は、タオルで包んで暖かくして寝かせている。 その仔獣装を前にして、母親が冬香に厳しく言い聞かせた。 『 死にかけてたから……それで……。 』 『 夕ご飯までに捨ててきなさい! 』 『 そ、そんな……あの仔、死んじゃう……。 』 『 いいから捨ててきなさい! 』 母親は一切聞く耳を持とうとはしなかった。 『 う……ひっく………。 』 冬香は強引に仔獣装を持たされて外に追い出された。 どこへ行くアテも無く夕暮れの街を彷徨い歩く。 道端に仔獣装を捨てても拾ってくれる人は居ない。 朝には冷たくなっているだろう。 冬香は間引きの事を知らなかったが、あの親実装の元へ返しても殺されるのは勘付いていた。 「 テェ……ェ-ー… 」 胸に抱えられた仔獣装が安らかな寝息を立てる。 そんな姿を見て、冬香には、どうしても捨てる決心が付かない。 仔獣装を捨てる事もできず、家に帰る事もできず。 冬香と抱かれた仔獣装は冷たい風の吹き抜ける街を歩いていった。 日も完全に落ちた頃、冬香は神社の境内に辿り着いた。 その賽銭箱の前、木の階段に座り、胸に抱えていた仔獣装をあやしている。 「 テェー♪テェー♪ 」 『 はは……この仔ったら…。 』 暗がりの中で仔獣装は小さな手を振り回し、その手に冬香の指が触れる。 その度に仔獣装は楽しげに鳴いた。 冬香の事を自分の母親と思っているらしい。 だが、冬香の面持ちは重い。 灯りの一切が無い境内は暗闇に包まれる。 冬香も仔実装もお互いの顔が見えなくなってきた。 『 …お腹空いたね。 』 辺りの民家に灯が点き、見上げると夜空に星が見えてきた。 既に夕飯時は過ぎ、育ち盛りの冬香に空腹は辛い。 しかし仔獣装を置いて帰る事もできなかった。 『 ふぅ……。 』 「 テェ…? 」 仔獣装が冬香の辛そうな気配を察して首をかしげる。 空腹と疲労。 冬香は階段に腰を降ろしたまま眠ってしまった。 『 …冬香、冬香! 』 誰かに呼ばれて目を開けた。 目の前には母親が…自分の肩を揺すっていた。 『 お、お母さん…。 』 『 こんな時間になっても帰ってこないから、どうしたかと思えば…さぁ、帰るわよ? 』 『 けど…。 』 冬香は胸に抱えた仔獣装を見た。 それを見て母親が両手を腰に置いて大きく溜息をつく。 『 …仕方ないわね。 』 『 え…飼ってもいいの? 』 『 その代わり、しっかり世話だけしなさいね。 』 『 うん!ありがと、お母さん! 』 冬香は立ち上がり、仔獣装の顔を覗き込む。 「 テェ〜♪ 」 先ほどまでの暗い面持ちから一転して明るくなった冬香を見て、仔獣装も笑った。 『 冬香にも困ったものね…てっきり、またあそこに行ったかと思ったわ。 』 『 あ……。 』 冬香はすっかり忘れていた。 母親には悪いと思いつつも、最初からあの場所に行けば何とかなったかもしれないと。 『 あまりお父さんやお母さんを困らせないでね? 』 『 う、うん…。 』 母親に釘を指され、歯切れの悪い返事をしつつも行かないのを約束した。 『 そういえば、お母さん……この実装石、少し変なの。 』 『 何がおかしいの? 』 『 手に爪が生えてて、身体が毛むくじゃらなの。 』 『 へぇ……変わった実装石ね………けど、こうして見ると可愛いわ。 どんな生き物でも子供の頃は……あら? 』 仔獣装の顔を覗き込んでいた母親が怪訝な表情を浮かべ、更に覗き込んだ。 母親の指が仔獣装の顔に触れる。 『 お母さん、どうしたの? 』 『 この仔……。 』 『 なに…? 』 「 テェ…? 」 仔獣装が冬香の方を向いた。 家まで持ち帰る間、それまで仔獣装は目を閉じていた。 そして家を一度追い出され、連れ歩いてる間、ようやく起きても辺りが暗くて分からなかった。 今まで急いでいたため、落ち着いて仔獣装の顔を見る余裕が無かった。 冬香は仔獣装の顔に近づいて凝視する。 『 この仔……片目が無い…? 』 仔獣装の右目は潰れていた。 『 奇形なのかしら……可哀想だけど……。 』 『 うん…。 』 けれども冬香はこの仔を捨てるつもりは無かった。 なら尚更、自分が大切に育ててあげようと…大事にしなければいけないと思った。 『 …それで冬香、その仔の名前は決めたの? 』 『 あ……そういえば… 』 『 どうする? 』 『 どうしよう…。 』 この仔は爪が生えていて、しかも片目の実装石。 とてもじゃないが可愛らしい名前は似合わないと冬香は思った。 それに冬香は日頃から弟が欲しいと考えていた。 だから男の子らしい格好いい名前を。 逞しく育ってくれる事を。 誰よりも強い仔になってくれる事を冬香は望んだ。 『 …ねぇ、お母さん!あの…えっと…なんて言うんだったかな? 』 『 何を? 』 『 だから…片目の事を……ほら、難しい呼び方で、なんて言うのかなって…。 』 『 難しい呼び方? 』 『 うん、ほら……時代劇なんかで、よく片目の人を呼ぶ時に使う言葉…。 』 『 あぁ、それは…… " 隻眼( せきがん ) " ね。 』 『 そうそう、それ! だからね、この仔の名前は " セキ " にするの! 』 『 セキ…? 』 『 そう、この仔は " セキ " ! 隻眼の " セキ " に決まり!! 』 冬香はセキと名付けたばかりの仔獣装を両手で高く持ち上げた。 「 テェ〜♪ 」 遊んで貰えてると思ってか、セキが嬉しそうに鳴いた。 街燈に照らされた帰り道 冬香と母親 少女の胸には 新たに住人として加わった隻眼の仔獣装が抱かれていた
