田舎の道というのは轢死した獣の死骸がよく落ちているものだ。 鳥や犬や猫はもとより、タヌキやら時には大きな鹿やら。 悲しげに見開かれた真っ黒な瞳の鹿への憐れみはもとより、轢いた車の方も心配してしまう。 それくらいに大きいものだと流石にどこへやらと回収されてしまう。 ただ、犬くらいのものとなると、ただ車道から道べりに寄せられるだけである。 そしてそのまま、土に還るまで放置される訳だ。 実に、おおらかなものである。 死骸に目立った変化が現れることは先ずもって黒々と蝿がたかり、蛆を生ずるところだ。 目や鼻や口、あらゆるところからたっぷりと肥えた白い蛆虫が蠢き、溢れて零れる。 野良の猫や犬は死骸には目もくれず、生ゴミを漁る。 結果、道べりの死骸というごちそうに預かるのは主には蝿の子となる。 死骸を埋め尽くすほどに大量の蛆が湧くとは言え、その肉を食い尽くすには数日を要する。 やっと白い蛆が蛹から羽化して黒い蝿として飛び出した頃には文字通り骨と皮しか残らない。 その身を覆っていた毛皮はボロ切れのようになって骨格に貼り付いてる。 腹のあたりにはぽっかりと大穴が開いて、黄ばんだ肋骨を覗かせている。 四肢は風や雨に攫われて、真っ先に体から離れて草叢の奥に消える。 道端には、ただ胴と頭とがこびり付いたようにそこに残る。 それさえいつの間にか消えてしまい、アスファルトより尚黒ずんだ染みが死骸を思い起こさせる。 さて、私というのはそんな動物たちの腐敗の過程を観察することを趣味としている。 バラエティにはそう富んではいないものの、大小さまざまな生き物の死骸を観察してきた。 わざわざ車道くんだりまでやってきて車に轢かれてやろうというのはそう多くない。 そんな中で、実装石の死骸を発見したことははじめての経験だった。 ここいらではまだ野生の勢力が盛んなようで、野良実装というのは見かけない。 競争相手も少なく、生ゴミの多い都会の方が実装石が野良で住まうには向きであろう。 ただ、この田舎でも物好きが実装石を飼育しているというのはあるようだ。 実際、郊外のホームセンターには犬や猫に並んで実装石が檻の中で鳴いているのを見かける。 ということは、この実装石の死骸は恐らく飼われていたものであろう。 それが逃げたか捨てられたかして、結局路上で往生したもののようだ。 もの珍しい死骸である。 その知識に乏しい身としては、取り急ぎ実装石について調べることにした。 わかったことは、実装石というものは動物の中でもかなりの変り種でもあるということだった。 原生生物並の再生能力を持ち、雌雄交合なくしてもボロボロと盛んに子を産む。 更には、人語をほとんど正確に解し、知能も動物としては並外れて高いそうだ。 ただし、野生下で育ったものの素行は極めて悪辣であるらしく、飼育には適さない。 ペットとして流通しているものは峻別と徹底した調教を経て残った少数とされている。 もっとも、これらも死骸とあっては何ら意味を為さないのだが。 死骸観察家としての実装石への最大の興味は、その外観にある。 この変り種の生き物は、生来ワンピース状の衣服と白い下着を纏っているという。 おかげで、道べりに転がったその姿は、人間の子供を思わせてドキリとさせられたものだ。 実装石を見慣れていないここらの住人ならば、轢いた瞬間生きた心地がしなかったであろう。 アスファルトに濃く刻まれたブレーキの跡が、それを物語っていた。 車との接触は軽いものだったらしい、死骸には外傷らしいものは見られなかった。 化物じみた再生能力をもつ実装石がそれくらいで死ぬというのもおかしな話だ。 まあ、偽石という体中の核に衝撃をうけると、意外にあっさりと死ぬというのも事実らしい。 また、急激なストレスによっても偽石は崩壊をきたすものらしい。 実装石の死因がそのどちらかというのは判然としないが、別に掘り下げるつもりはない。 ただ、観察の対象としては挽肉よりも、原型を留めていたものの方がずっと興味深いのは確かだ。 実装石の死骸との最初の対面がそうなのだから、私としては幸運である。 簡単に死骸の外観をまとめてみよう。 衣服に関しては前述の通りだが、下着は大量の失禁で盛り上がっているのが認められる。 体長は人間の乳児くらい、達磨を思わせる肉付をしているので、体重はざっと倍はあろう。 体毛は前髪と長い後髪らしいものが認められるが、頭頂と体は頭巾と衣服に隠れて判然としない。 折角の無傷の死骸だ、ヘタに探りまわすよりも現状の保存を優先したい。 露出した素肌の面積というのは少なく、顔面と四肢くらいのものだ。 つるんとした表皮は肌色のゴムの塊のようで、既知の生物のどれとも異なる。 比喩にしたゴムの質感という作り物じみたものがもっとも近い。 まあ、死骸のことなので生体を見ればまた印象も変わることだろうが。 その容貌は実に扁平で、鼻すら顔の丸みに没している。 眼球はかっと見開かれ、左右赤と緑で色が異なる。 口は三つ口でいて、前歯が覗いている。 腕はとってつけたように短く単純なつくりで、先端には指の枝分かれというのはなかった。 足は手よりも一回りほど太く、纏足を思わせる先細りでいた。 よくこんなもので直立二足歩行ができるものだ、ここにも服と同じ色の靴がはめ込まれていた。 見れば見るほど、地球の生物体系とはかけ離れている。 オカルトじみた地球外生物説や人工生物説が唱えられていることも無理はない。 あまりまともに扱っていると、こちらの正気が危ぶまれる。 そういえば実装石の存在がはじめて世に知られた年、著名な生物学者の自殺が相次いだらしい。 おかげで生物学の進展が数十年も遅れるであろうと推測された。 事実、実装石の特徴である繁殖やら再生やらのメカニズムはほとんど謎のままに放置されている。 学者どころか生物全般にさして明るいでもない私としては、あるがままを受け入れるより他ない。 これから実装石の死骸がどんな推移を見せつけるにしてもだ。 むしろ、あたりまえの生き物のように腐って地に還られては興醒めといったところだ。 一日目に生じた変化は、死後硬直によるものらしい体位の変化と、表皮の収斂だった。 ぶよぶよとしていた肌は弛むというよりも内側から引っ張られるようにして引き締まる。 まあ、変化はないと言ってもいいくらいのもので、特筆すべきものはない。 季節はやっと長袖を着だした秋のはじめくらい。 正確な死亡時刻は推定できないものの、昨日の昼間から晩の間であることは間違いない。 それから半日経った現在、下着の中に漏らした糞から発するものより他、とりたてて異臭もしない。 これが動物であれば、強い死臭を発して粘膜周辺にびっしりと蝿の塊を黒く蠢かせているところだろう。 だが、実装石が相手となるとつれなく、一羽のカラスが降りてきて死骸を突付くとすぐに逃げるように飛び去った他、 腐肉食動物の訪問は観察できなかった。 実装石の肉というものは腐敗せず、他の動物の食料には適さないのだろうか。 今日は少し肌寒く、腐敗の進度も遅れると思しく、そう結論するには時期尚早ではあろう。 しかし、雑多な動物がうろつく田舎で無機質の人形のごとく放置されているのは確かだ。 実装石の肉は根本的に組成そのものが有機生物とは異なり、忌避されているのだろうか。 いくらなんでも、SF小説に出てくるようなシリコン生物ということはあるまい。 実装石自身の食性はただ底なしの大喰らいの雑食という他、偏食のきらいはないようだ。 有機物を食料としている以上、実装石もまた炭素生物であることは疑いない。 つまり、乾いた砂漠に放置されているでもなければ、その死骸は細菌による分解と 腐肉食動物による欠損は避けられまい。 生命の循環というやつだ。 もしも、実装石がその環から外れるものならば、繰り返される循環を堰き止める袋小路である。 それが事実であるなら、何かそら恐ろしいくもあり、実装石に対する認識を改めねばなるまい。 まあ、何も第一日目から結論を急ぐこともない。 実装石のデタラメな構造に関する資料を読み漁って、想像が飛躍しすぎたらしい。 本日は『変化なし』という刮目するべき死骸の現状に満足しておこう。 二日目の観察で私は失望とも安堵ともつかないものを感じた。 死骸は大きく変貌していたのだ。 昨日までの人形じみたものではない。 ただ、通常の腐敗とはやはり趣を異にしている。 空気の抜けた空気人形のように萎縮し、張りつめていたような肌には多数の皺がよっている。 その衣服も所々避けたり破れたりをして、素肌を覗かせている。 眼球は無くなり、落ち窪んだ眼窩が覗けるものの、やはり白い蛆の姿は見えない。 表皮から摩滅していくような腐敗とはことなり、それは内から喰らい尽くされていくようだった。 恐らくネズミ辺りの仕業であろう。 ネズミは肛門や口腔から死骸の内に忍び入り、トンネルを掘り進むように肉を喰らう。 牛馬のような大型動物の死骸の体内は、真っ先にネズミに潜り込まれるものだ。 表皮が厚く、しばらく時間を置かないでは虫の産卵管やカラスの嘴では歯が立たないのだ。 実装石の表皮はあまり頑丈そうには見えないのではあるが、食べるに適さない層が厚いのかも知れない。 蝿やカラスからは好かれなかったようだが、ネズミには振り向いてもらえたようだ。 ただ、妙なのは初日よりも臭気を増した糞の臭いだ。 糞というのは日が経つにつれて臭素が抜けて乾き、土くれのようなものに変わるものだ。 下着を盛り上げた糞は死後に体内から排出されたものか、量を増して決壊をきたしている。 そのこと自体は珍しくもない。 死の瞬間、更には死後硬直とその後の弛緩によって死後腸から糞をひり出すことはまま見られる。 ただ、その糞というのが二日前に生じたものとは思われないほどヌメヌメと艶を帯びて臭いが強い。 実装石の生存を疑ったものの、擬死にしては徹底しすぎている。 何かがおかしい。 三日目、結論から言えば実装石の死骸は腐ることもなければネズミに食われてもいなかった。 既に実装石と呼べるものはその衣服の残骸と表皮の一部しか残ってはいない。 代わりに、緑色の芋虫のようなものがウネウネともがいていた。 それは、実装石の幼生として資料の中に紹介されていた蛆実装だった。 蛆実装というのは実装石の胎児としての形態である。 成体の実装石の腹には卵子のように蛆実装が貯蔵してあり、雄性の生殖細胞との接触で成長が催される。 他者から供給される生殖細胞は蛆実装が四肢を供えた実装石へ変態する要因でしかなく、種別は問われない。 それこそ野花の花粉から人間の精液まで、ありとあらゆるもので妊娠が可能なようだ。 この事実をして、実装石の単体生殖が可能であると言われている。 ただ、生殖細胞の種別の如何による生まれる仔実装への影響は、多くの事例を待たねばなるまい。 通常、蛆実装はそのままの形で分娩されることはなく、外的ショックや瞳色を赤に揃えることによる 強制出産の手続きを踏まなければお目見えすることはないようだ。 また、親の栄養状態によって胎児の成長にばらつきが生じ、変態することもなく生まれる個体もある。 そうして生まれた蛆実装は虚弱な未熟児でしかなく、野生下では同属や親自身の餌になる。 そう言えば、実装石の死骸への動物の無関心が訝しく、新たに資料を漁るといくつかの疑問が解けた。 動物が食料として生きた実装石を襲った例もなければ、死骸を漁った例も皆無だということだ。 その原因は諸説あるが、実装石の肉というのがすこぶるつきに不味いというのが一番もっともらしい。 再生能力と生殖能力では化物じみた実装石であるが、一個の動物としては最弱の類であろう。 もしもその肉が美味であるなら、肉袋がそこらに転がっているようなものだ。 動物たちはそれこそ狂喜して実装石たちを狩り出し、人間は駆除どころか保護育成に努めねばなるまい。 むしろ人間の手により乱獲され、その命脈はあっという間に尽きていたであろうか。 かつて数十キロに及ぶ編隊を組んで空を覆い尽くしたリョコウバトさえ、人間の飽く無き食欲の 前に絶滅を余儀なくされたのだ。 ただし、実装石の同属食いは抵抗もなく頻繁に行われる。 群を組んでいる場合、屍食者は同じく実装石が主という訳だ。 ただ、不思議なことに、個体飼育されている実装石の死骸についての言及は見つからない。 とりたてて記述されていないということは、死骸一般と異なることなく腐敗の過程を辿るものなのだろうか。 では、目の前で蠢くぶよぶよとした蛆実装は一体何だ……。 実装石の腹に貯蔵された蛆実装は母体の状態に関わらず生きていたのであろう。 それが母体越しの衝撃により、排出もなされないまま目を覚ます。 そうしてある種の蜂の子のように、母体を食い尽くして発生したというところであろう。 結局、実装石の死骸はやはり実装石自身により消費された訳だ。 これでは腐敗の過程を観察することなど望めない。 親の衣服の下に蠢き這いずる、ぶよぶよと太った仔実装。 このまま放置しておけば食うものとてろくに摂れず、餓死は免れまい。 だが、その死骸はどうなる? また、マトリョーシカの如く小さな蛆実装を死骸から生じさせるのだろうか。 小さな蛆実装が更に小さな蛆実装を……、合わせ鏡のようにどこまでも無限に……。 「レフー、レフレフー」 蛆実装の人懐こい一匹が、私の足元に這いよってくる。 ナリは蛆でも、全身にタイツのような衣服を身にまとっている。 尻は尻尾のように先細りになり、せわしなく振り動かす。 排泄孔は境界の曖昧な尻尾の付け根あたりに開いて、糞をひり飛ばす。 いきなり仰向けになって寝そべったままの奇妙な腰振りダンスを踊る。 何気なく腹部に触れると、目を細めて尻尾をピクピクと痙攣させ、恍惚状態に陥る。 同腹もそんな蛆実装を見て、一斉に私の元へと這いよってくる。 私はその姿から、無数の蛆実装が波のように市街に押し寄せる光景を想像した。 実装石に対する興味より、自身の正気を保つことを優先しよう。 一匹残らず踏み殺した。
