長い雨 (3) 里帰り −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 翌日、ミーはまた寝坊をした。 目を覚ましたのは10時を少し回ってからであった。 起こす要素がないこの部屋では、泥の様に眠り、自発的時間感覚が無いか薄い実装石には、 習性として決まった時間に寝りに付かない限りは、決まった時間に起きるのは不可能であった。 その点で言えば、多くの野良たちが規則正しく早朝に起きて、朝の散歩する人へのおねだりやゴミ捨て場漁りに出るのは、 日が暮れてしばらくして、することが無いが為に早い時間に寝るからである。 好き勝手にさせれば、10時間以上…昼寝を入れて16時間の睡眠をとる本能がある。 体内時計より正確な”本能時計”が実装石には存在する。 飼い実装は人間サイクルになるために8時間睡眠になる事が多い。 それでも1日の合間合間に睡眠を入れ、結局は16時間を眠りに費やす。 現実は飼い主と共にという事が無ければ、この様である。 勿論、それで昨日の失態を繰り返すことは無かった。 「思った時間に起きられなかったデス…」 時計を見ながらミーは呟く、そして、男と写っている写真に触れると仔達を起しに掛かる。 「「テチャ!朝のご挨拶テチュー…ご主人様!?」」 「寝ぼけないデス…ご主人様は”遠いところ”でお仕事デス」 寝ぼけている仔達だが、ミーが落ち着いて諭すので、昨日のパニックは起こらない。 ゆったりと身支度を整える。 飼われている人間臭を消しなさいと教えられたのに、水筒にポーチを欠かさないのは、 ミー達が、所詮は飼われていた実装石の思考での危機管理レベルであろう。 状況が異なれば、こんな格好で、高級シャンプーの匂いを振りまく者は集団排斥の一番手に上げられる格好だ。 「今日は皆でナカマ達の生活を勉強するデス」 外に出ると、昨日とは違い、大量の実装石が、人間の商店街の様にザワザワと行き交っている。 ちょうど、夕方まで攻撃的ではない人間が公園の入り口付近に集まったり休憩する。 そのおこぼれに預かるために、1日で最も活発な時間帯でもあった。 勿論、そんな事はミー達には判らず、既に獲物を獲得したり、エサに預かれなかった者達が、 特にすることも無く、戻ってきたりしているだけの姿を成すすべなく家の前で見つめている。 いざ、勉強すると出てきたもののミーには何からするべきかが判らない。 同時に、目立つ格好の為に注がれる視線に、身の危険を感じて戸惑うだけだった。 「デププププ何デス!?あいつらは…あの不恰好…ヘンな家…デプププ」 「昨日、大騒ぎしたヤツデスゥ…まだ飼い主が来てくれると思っているおバカデスゥ」 「ママー、あんなお家あったテチィ?」 「見ちゃダメデス…あんなのに関わるとヘンな事を吹き込まれるデス」 やはり襲い掛かっては来ないが、飼い実装とは違う、よどんだ目で見られているのは気持ちのいいものではない。 それでも、通りを歩く他の親仔連れを真似て、通りを闊歩する事にした。 1列の隊列を組み、大きいものから順に縦に並んで歩く。 これは、飼い実装と野良で差は無い。 公園は本来の”通り”…石畳風のパネルの広い道が入り口から中央の円状にベンチが置いてある中央広場に通じている。 その通りに沿ってびっしりと実装石達の家が立ち並ぶ。 普段の散歩では、人間の歩けないこんな団地の奥を歩く事は無い。 何故実装石が、この様に雨ざらしの不効率な場所に、雨に弱い家を建てているかといえば、 無秩序な世界であっても、家を建てることは自分の知能などを誇るステータスである事に変りはない。 家を建てる技量の無いもの、材料が得られないものは野宿となり、 自然と茂みの下等の雨風を凌げる場所の奪い合いで固まっていく。 その差をわざわざ誇示する為に、見えやすい開けている場所に建てようとする傾向が強い為と考えられる。 賢い者の中には、雨による家の侵食を防ぐ為に離れた茂みに家を隠すが、 こうした連中は基本的に”団地”の実装石とはソリが合わない。 団地実装からは排除対象視され、彼らは係わり合いを避ける。 絶対数が少ないので少数派として追いやられてしまうし、徒党を組むほどは纏まれない。 団地に住むものが、完全な馬鹿だけなら恐れる事も無いが、彼らは野良実装石として中庸な知能の持ち主だ。 賢い種も賢いとはいえ、簡単に他の実装石を扇動したりまとめたりする力を持つものは少ない。 自然の猛威より、現実的な恐怖として付きまとうのは”数の暴力”であるだけに、 賢いながらも、家の耐久力と排除される恐怖を天秤にかけて、団地に行く事を選択するものも居る。 その為に、団地実装からは、賢い種も野宿組と同列視され、 公園中央に住むものと外周部に住むものでいがみ合う…というより一方的に差別される。 コミュニティーは無いが、そうした貧富格差や差別は、実装石だけにハッキリしている。 家々は、器用に作られているもの、不器用で今にも崩れそうなもの、 新しいもの、風雨によって変色してしまった古いもの、木箱を流用した家もある。 そういう意味では、ミー達の家が明らかに人の手が加えられた真新しいとわかるものでも、 公園の実装石たちの基準では、それほど目立たないのかもしれない。 住むものが無いのか、既に崩れた残骸が野ざらしになっているものもあれば、 空いたところに、何処から拾ったのか吹きさらしでヨレヨレのダンボールを形にしようとしては、 風で崩れて疲労困憊している親仔も居る。 おそらく根本的に不器用で、本当は家を建てる知識の無い者が、見栄の為に見よう見まねの建築をしているのだ。 家は風雨を防ぐ実用性以上に、ステータスという意味合いが強いだけに、建築にチャレンジしない実装石は居ない。 疲れて倒れる親の横に居た仔達の何匹かが、別の実装石に連れ去られるのをミー達は見てしまった。 親は仔の叫びに気が付いて慌てて数を数えて少なくなっていると知りうな垂れた。 仔を捕獲した連中は、特に飢えている様子は無いが、ニンゲンから餌がもらえなかったと不満を漏らしている。 連れ去られた仔達は、少し離れた場所で大勢の実装石が通り見ている中で髪を引き抜かれた。 ストレス解消と、自分達の力の誇示も兼ねているのだろう。 叫び声を上げても誰も助けには来ない。 親仔連れが、せいぜい自分の仔の数を再確認するか、無関心を装って足早に避けていくだけだ。 ミー達もそれに習うしかなかった。 ”ここでは弱者は助からないデス、救われないデス” ミー達が1つ、野良生活に向いている行動があるとすれば、 下手にお節介を焼かないのがソレであろう。 普通の飼い実装なら、甘やかされているだけに、他者に寛容であったり恩を感じたりする。 教えられた事を守ろうとする為、教えられた基準や価値観でしか行動できない為、野良に対しても同じ行動をする。 状況によって行動を変える・選択するという判断が出来ないのだ。 ”野良は違うんだ”という区分けの基準を盛り込んだ本能教育と齟齬をきたさない飼い主の指導がよい方向に働いた。 ゴミ板をキレイに組みあげた家の前で、完成の喜びをバンザイしている親仔が居れば、 その家の裏や横から、次々と壁の材料を取っていく実装石達が居る。 しばらく余韻に浸った親仔が戸をくぐると家の半分がなくなっていて、 仔がショックで憤死し、親が怒りながら逃げる連中を追いかけると言う、人間が見ればコントの様な光景も見られる。 複雑な道具が使えないだけに、下手に固いゴミ材だけを組んで丈夫な家を建て様とするとこんな目に遭う。 彼らには接着剤や釘やはめ込みの加工が出来ないからだ。そもそもその知識も無い。 かろうじて手や簡単な道具で加工でき、そして比較的容易に手に入るものがダンボールなのである。 それ以上の固い材質で建てようとする行為は、知能がある事をひけらかす侮蔑行為として、 こういう嫌がらせを受ける元となる。 ミー達は下手に知識を振りかざしても、自分達には大したことは出来ない。 ボロが出てしまえば全てがだめになる事を学んで肝に銘じた。 少し歩けば、今まさに差別対象として、複数の実装石によって家を取り壊されているものも居る。 おそらく、元富裕実装なのだろう豪華なフリルまみれの実装石3匹がその3倍の数に取り押さえられている。 家にもかなりの数の実装石が外から中から叩き、蹴り壊している。 観衆からも家めがけて糞が投げつけられている。 「無礼者デス!ワタシ達のお家になんて事をするデス…崩れる…崩れるデスゥゥゥ ワタシにこんな事をするなんて、ニンゲンにボコボコにさせるデスゥ! ゴ・ゴ主人様!!ご主人様ァァァァタスケテデスゥゥゥ」 1匹は、手にしたボロボロの実装フォンを握り締めて叫んでいる。 ミー達が見ても、壊れていると判る実装フォンに向かって叫びを上げながら糞を身体に垂らされる。 「オネイチャン!もっとガンバッテニンゲンを呼びつけるデスゥ!! ヤ・ヤメルデスゥ!服は破くなデス!髪ぃぃぃ!髪はもっとヤメルデス!どっちもやめるデス! ウ・ウンチもイヤデ…ムグゥ!ゲボベボァ」 どうやら、3匹は成体のクセに姉妹のようだ。 野良では、成体となると互いの生存競争で親離れ、姉妹離れしていくのだが、 飼い実装だと、その危機が少ない為に姉妹が仔実装の頃の家族の絆を持ったままで居る事が良くある。 纏めて捨てられたのか逃げ出したのだろう。 だとすれば、実装フォンに助けを求めても無意味なのだ。 「何が不満デス!下等なお前達はワタシ達に奉仕するのが当然デ…ブベラァ! 家の報酬デスゥ!?報酬のコンペイトウ1人3個デスゥ?そんな約束してな…デボグァ!! コンペイトウ1人5個にするから許すデスゥゥゥゥゥゥ! ワタシがニンゲンを呼びつければそんなものいくらでもデ!デバラァァァァ オ・お・おネいひャん…はひゃく、役立たふニンへンをよひつけるヘフゥゥゥゥゥ」 どうやら、飼い気分の抜けない姉妹は、金平糖で釣って野良をこき使ったのだろう。 その態度の横柄さと報酬がもらえないことに、働かされた連中がキレた。 そして、背後にちらつかせていたニンゲンの影が偽りだと知られたのだ。 その大体の経緯はミーにも理解できたのか、少し離れた場所で仔達と共にそれを眺めていた。 姿形の似た自分達は狙われないだろうか… 震えて怯えていると思われてはいけない… ミーは震える仔達を周りから少しでも隠そうと可能な限り両手で庇いながら、自身は震えを隠して見守った。 自分達も人間臭をチラつかせていると誰かの癪に障るかもしれない…。 ミーはぎゅっとポーチに手をやって握る。 ココに来て、自分達が、この場でとてもふざけた格好である事に気が付いたのだ。 しかし、いまさら脱いだり、まして捨てるなどと言う選択肢は存在しない。 コレもアレもソレも、全て、大切なご主人様がくれた物であり、大切な絆であり心の拠り所なのだ。 大体の事が判っていながら、肝心の”自分の事”となると割りきりが出来ないのがミーが飼われていた甘さである。 あの姉妹の服や実装フォンもそうなのだろうか? そう思うと、姉妹の痛みが伝わってくるようだった。 関係は無いが、あの姉妹は服や持ち物を失う事にミー程の人間への忠義心を髪の毛1本分も持っていないのだが…。 ”これが…お外の生活デスゥ!?ワタシ達が普段見ていたナカマの生活は何だったのデス!?” 実装石が、頭で考えて”判っている”と答えるときが一番危険だ…。 それは、飼育マニュアルの基礎で、まさに温室育ちのミーの様な実装石のための言葉だ。 家が糞をぶつけられ、多数の実装石の手でボロボロに壊され、 姉妹がボロクズになってショーは終わった。 後には、申し訳程度残ったがほぼ禿裸にされた3匹が潰れた家の残骸の上に置き去りにされた。 長女は下半身を腹まで食われ、糞を食わされた口でまだ握り締めた実装フォンに向かって、 「お家…ワタシのお家…崩れたデス…無くなったデス…お家…お家…お家に帰るデズゥゥゥゥ」と叫んでいた。 次女は両腕を食われ、やはり糞を口に溜め込んだまま「デァー…デァー…」と鳴き続け、 手が無い為に起き上がれずに転がりまわっていた。 三女は顔面を原形を留めぬほどに殴られ、蹴られ、脳も潰れたのか、 排泄口からピューっと細い筋の水のような糞を出しながら、ピクピク痙攣していた。 「怖いテチィィィィ…ワタシ達もあんな事されるテチュ?」 「ご主人様の言う事を忘れなければ、きっと大丈夫デス…」 不安がる仔達に耳打ちする。 ミー達はコレで終わったと思った。 襲っていた大量の実装石は去り、見物実装達も歩き出す。 確かに実装石達の怒りは静まり解放されたが、3姉妹が救われたわけではない。 何処からとも無く現れたマラ実装が数匹…。 「「デププププ…丁度良い”肉袋”があるテスゥ〜♪」」と、壊れた家の残骸の上に捨てられた姉妹に群がった。 まさに姉妹は”肉袋”であった。 下半身が無くても関係なく、糞まみれの口を犯される。 別に生殖行為がメインではないので、穴と感触があれば何でもいいのだ。 長女はマラが後頭部を突き破るまで弄ばれ、三女は脳死のまま犯されて、どちらも再起不能となった。 次女だけが精子まみれで野ざらしにされた。 長女の形見ともいえる、壊れた実装フォンに向かって「テァー…テァー…」と壊れたように話しかけている。 面白い反応が無い為、誰かにそれ以上危害を加えられるわけでもないが、助けられることも無い。 ミー達は震えながら、少し住宅地から離れた場所に逃げ込んだ。 野良の生活があんなにも怖いものだとは思いもしなかった。 逃げ出したい気持ちと、逃げられない思いが葛藤する。 もし、ミーが普通のペット実装ならば、”使命”から逃げるにしても留まるにしても、 心から野良になりさえすれば、それで悩みから開放されるし、その選択の方を容易に選ぶだろう。 しかし、ミーには”その”器用さは無い。 少なくとも今までのペット実装石よりは格段に”飼われる為だけに作られた”実装石だからだ。 仔達も恐怖心が限界に達しているのか、周りにナカマが居ないところまで来ると、 屋外だと言うのにパンツを降ろしてウンチングポーズを取ってトイレをしだす。 一昨日までなら考えられない行為だ。 まだ、人前を避けるまで我慢できるだけパニックにはなっていないようだが、 ポーチから尻拭き用の紙を取り出す手も震えておぼつかない。 「おウンチ…おウンチ…テリュ〜♪気持ちが落ち着くテチュ〜♪」 「テリャ!紙が…紙がウンチに落ちたテチィ…テェェェェェ」 「テ・テ・テ・テァ!ウンチが手についてしまったテチィ」 動揺する仔達の世話をするのは大変な苦労だった。 礼儀作法を教えるときの様にはいかなかった。 普段頼りになる長女のキーも、今は一番小さなメーと大差は無い。 ポーチから予備の紙を出して、渡したり、手を拭いてやったりと大忙しだ。 ミーの心配事は、 自分の手足として負担を減らしてくれるはずのキーが、急速に手間が掛かるようになったと感じることと、 もう1つが、物資の問題である。 ついつい、こうして使ってしまうが、新聞紙も柔らかいテイッシュもいつまでもあるわけではない。 ソレなのに、自分達は何1つ外の生活を知らなかったと言う”現実”が圧し掛かる。 ミーは、重い気持ちのままリュックからシートを広げるとポーチから保存食を出して昼にする。 確かに、昼時…ミー達の居る場所からは入り口付近で、 公園にやってくる人間から何かを貰おうと屯している連中が見受けられる。 ミー達は、アレぐらいなら自分達にも出来るだろうかと考えながら餌を食べる。 物資の問題を認識しながら、こうして人間のものに頼ってしまうのが実装石知能であろうか…。 それに、危機を認識しながら、まったく危機意識の無い行動を取るのもそうだ。 ”団地”から離れた場所が、”団地”から来た実装石にとってどれだけ危険な場所か。 それをミーは想像すらしなかった。 茂みの中からミー達を見る目がある。 その目は”団地”の野良たちとは根本から違う。 より攻撃的な獲物を狙う目である。 彼らは、外周部にすむ実装石、家を持てない連中だ。 基本的に知能は低いが、厳しい生活と迫害によって、より動物的な行動に関しては特化している。 彼らは”団地”からやってきた連中を見て、馬鹿にされる事を嫌って一旦茂みに隠れた。 しかし、僅か5匹である。 それでも警戒した。 姿や行動が”飼い実装”だからである。 人間のペットに手を出せば大変な目に遭う認識だけは備わっていた。 しかし、辺りには人間の姿がいつまでたっても見られない。 同時に、優雅に美味そうな物を和気藹々と食べる姿に、彼らの限界は突破した。 普段、人間に餌を貰いに行く事が許されない彼らの嫉妬心は、こういうときに一気に牙を剥く。 普段やられていることをやり返すチャンスなのである。 ミー達がのんびり食事をしている間に、周辺から20匹もの野良が集められる。 「デェ?」 ミーが、その鼻の曲がるような異臭に気が付いて後ろを振り向いたとき、 茂みからガサガサ、ドタドタと騒がしく野良達が歩み寄ってきていた。 人間には判らないが、飼いとして命の危険無く育った物と野良では目がまるで違う。 ある種、上に登る事を諦めた濁りのある目をしている。 そして、今、ミーの眼前にあるのは、その濁りが深く”団地”の野良とは違う”殺気”を持っている。 その服や体、髪は、野ざらしの為に、より一層不潔で異臭に満ちていた。 汚れを洗い落とす事も気にするよりも、生きる事のみで斉一杯なのだ。 「お前達、ドコから来たデス?ずいぶん美味しそうなものを食べているデス…」 ビクゥ! ミーは、今まで自発的に漏らした経験が少ない。 それだけに、自分の下着がジワジワと生暖かい感触に変化する違和感を敏感に感じた。 仔達がミーの背後に固まる。 しかし、自分や仔達の糞の何十倍も…団地のナカマより何倍もの臭いが迫ってきている。 敵意が無い事を示そうと、ポーチから食べ物を出して差し出そうとするが、震えて落としてしまう。 「お・おいしいデスゥ…皆でお昼にしますデス」 その姿は、彼らには、”これをくれてやるから適当に食って去れ”という態度に見えた。 そこからも普段の彼らの”格差”や”扱い”が見受けられる。 20匹の野良は、その瞬間… 丸い顔の肉が醜く歪み、肉が顔の中央に向けて寄る。 血管は無いが、肉が動脈の様にいくつも浮き上がりピクピク痙攣する。 その為、開かれた口のAの形が中途半端に圧縮され、歯が剥き出される。 パリパリの前髪が逆立ち震える。 下が歯と歯の間で激しく細かく痙攣している。 僅かに上体が前傾し、首が少し沈み、肩が怒ったように見える。 その体勢で喉から空気が吐かれると、独特の低く鋭い連続音が発生する。 「デシャァァァァァァァァァ…」「デシァァァァァァァァ…」 「「デシァァァァァァァァァ」」 攻撃的な野良実装20匹による威嚇だった。 ミーは、やはりそれが何を意味するか判らないが、背筋が凍る危険を感じた。 8世代ペット実装は”威嚇”の概念が存在しない。 ミー達なら、小さな親指実装に、このような威嚇をされただけで、締りの良いはずの穴から漏らして謝ってしまうだろう。 しかも、20匹…そして、それが身を守る武器として使い慣れた連中の威嚇である。 ミーは意を決して、ポーチの中のありったけの物を正面に撒いてキーとピーの手を握る。 「手を繋いで逃げるデス!」 キーがメーを片手に抱え、ピーがポーと手を繋ぐと、ミーに引っ張られる方向に一斉に横一列で逃げ出す。 ミーがポーチの中身を撒いたときに一瞬怯んだ野良達は遅れてそれを追いかけだす。 圧倒的優位にありながら、ヒビリなのは、彼らに負け犬根性が染みているからであろうか…。 とにかく、お陰で僅かに距離をとって逃げられた。 さらに、先頭の何匹かがミーの撒いたものに興味を引かれたり、残していった餌に飛びついた為、 野良達は互いにぶつかったり、方向転換で足をもつれさせた為に混乱し、さらに距離を離した。 それでも10匹以上が混乱の中からミーを威嚇しながら追って来る。 ミーはまだしも他は仔実装である。 距離は開いても、足の遅さですぐに捕まるのは明白だったが、ミー達はそんなことを考える余裕など無い。 緑のものをボタボタと漏らして走り続ける。 ミーは無我夢中で”団地”に走った。 いつしか、仔達の手を離していることに気が付いた。 見れば、仔達はまっすぐに公園の出口を目指していた。 「デー!キー!!ダメデスゥ!まっすぐお家を目指すデスゥゥゥ!!」 しかし、仔達はそんな事など耳に入らず「デチァァァァァァァァァ!!」と走り続ける。 今度はミーも、仔達を追いかける羽目になった。 しかし、仔達が出口を目指したのは結果的に救いだった。 最初に気が付いたのは餌を撒いている愛護派達であった。 自分のペット実装の散歩ついでに、我が仔と遊んでくれる(と思い込んでいる)野良たちにパンくず等を与えていた。 「あら?どうしたのかしら?」 人間の手が止まった事で、餌をねだりに着ていた野良たちが人間の見た方向を見る。 顔のあらゆるところから水分を吐きながら必死の形相の仔実装が4匹駆けてくる。同じ服の親も遅れて追って来る。 糞を撒き散らしながらだらしの無い顔で、テトテトと向かってくるものに、 野良達は「テピャピャピャ…」と腹を叩いて笑い出す。 その後ろからは、この場の野良より遥かに汚れの酷いボロ野良の一団が「「デシァァァァァァァ」」と、 唸りを上げて間近に迫っている。 ミー達は、寸手で餌貰いの野良の集団に飛び込み、人間の後ろに駆け込んで震えだす。 仔実装達が、兎に角、安心できるものが欲しい為に取った行動だった。 人間を挟んで、低層野良の集団が対峙する。 「あら、嫌だ…この仔達ペットなのに襲われているのね?」 「嫌ですわ…ここも品が下がりましたわね…この臭い…うちのカトリーナちゃんが怯えているわ」 「ええ、危ないですわ行きましょうか…」 人間達は、自分のペット達を抱き上げると公園から去っていく。 キー達仔実装は「テリャァァァァァァテチァァァァァ」と狂乱して人間たちに助けを求めるが、 人間達の心配事は、自分のペットか、せいぜい自分の知っているペットにしか向けられていない。 ミーは、その仔達を背に、威嚇する野良たちに立ちはだかるしか出来なかった。 低層野良達は、人間が去っていき、取り残された連中が哀れにも救いを求め叫ぶ姿に、 威嚇を止めて、ニタリと口の形を緩めた。 だが、その低層野良の背後から「「デシァァァァァァァ…」」と威嚇が響く。 低層野良たちのさらに数倍の野良が、一斉に低層野良達を威嚇していた。 「お前達クズ達が何をしに来たデス!お前達のせいで人間が逃げたデス!!」 「よくもその醜い成りでワタシ達の前に出てこれるモノデス!!」 「キタナイお前達がここに姿を見せるなと、何度、身体に叩き込んでやれば気が済むデスゥ!!」 「デデッ!こ・これには…」 「「汚物は消毒デスゥ!!」」 「「デェェェェェェ(ブリブリブリブリ…)」」 餌の時間を邪魔された野良達は怒りの矛先を、人間達が嫌った低層野良達に向けた。 圧倒的な数の差を前に、萎縮した低層野良達は、負け犬根性も手伝って、戦力総比率は20:1にまで低下した。 ミーの撒いたものに気を取られていた連中も、馬鹿なだけに何が起きているかわからずに遅れて近寄り、 何も出来ずに腰を抜かして動けなくなった。 ミー達は、目と鼻の先で、激しい暴行…いや、虐殺劇を見学するハメになった。 最後に残ったプライドとも言うべき固まった髪や擦り切れた実装服が剥ぎ取られるのに10秒も掛からなかった。 1匹に6匹が太鼓を叩くように殴りかかっていたり、噛まれて手足が千切られ宙を舞う。 四肢を引っ張られ八つ裂きの刑にされるものも居る。 人間に餌をもらえなかった怒りが頂点なのか、ダルマにした相手にバックドロップを決めている者もいる。 毛や服、千切れたナカマの手足さえも、押さえつけた1匹の排泄口にブチ込んでいる者も居る。 1匹のナカマを押さえつけ、複数のナカマに殴らせて笑っている輪も発生する。 糞を食わされているものなど、次々に掛けられる糞が頭に山となり埋まって窒息している。 その光景に、4匹の仔が、再び半狂乱で道路に駆けていく。 「待つデス!危ないデス!」 「「イヤデジィィィィィ!!半年!お家!お迎えデチュゥゥゥゥ!!ご主人様お迎えするデジィィィィ」」 仔実装のダッシュ故、出だしならミーにも簡単に追いつける。 しかし、ミーが押さえようとしても、4匹の仔は歯をむき出し、掴む手を叩いて抵抗した。 パニックに陥った実装石はリミッターが切れたように力や持久力を発揮する。 特に仔実装の持久力は親がぜんまい仕掛けであるとすれば電池の玩具の様に動き続ける事が出来る。 勿論、ただ疲労を感じないリミッター切れ状態の為、 仔実装は肉体が動き続けてオーバヒートしたり酸欠でコロリと死んでしまう。 成体ですら、パニックで走り出すとかなりの確率で自然死するまで走る者が居るのだ。 「おうちぃぃぃぃぃおうちぃぃぃぃぃ」 「帰る帰る!コワイトコロイヤデヂュゥゥゥゥゥゥゥ」 「ダメデスゥ!あのお家にはご主人様は居ないデスゥゥゥゥ!公園のお家に戻るデスゥ!!」 ミーは、2匹を捕まえ逃げる2匹を追いかけ、その2匹を捕まえては、捕まえていた2匹に逃げられる。 「ご主人様ァァァァァ!カエルゥゥゥ!あそこイヤァァァァ」 何度も繰り返し、ミーは根負けした。 「判ったデス…お家に一緒に帰るデス!だから落ち着くデス… お願いだから落ち着いて欲しいデス…皆、体が熱いデス、死んでしまうデス…お願いデスゥゥゥゥ」 ミーの口から”帰る”という言葉が出てきたことにより、仔達は徐々に落ち着いていく。 激しく疲労し、その場に崩れ落ちる。 ミーは仔達への約束を守るしかなかった。 仕方なく、ミーは疲労の激しいメーを抱え上げると、トボトボとゆっくりした足取りで、 男の住んでいた…男と住んでいたアパートを目指す。 歩きなれた散歩道。 遠回りの散歩コースを戻っていく。 男と離れて、一番この道を歩いて帰りたいのはミーだった。 「お家には帰るデス…でも、ご主人様は居ないデス…半年はとてもとても長いデス ご主人様が居なければ、ちゃんと公園のお家に戻って、ご主人様を待つデス」 「判っているテチュ〜ン♪カワイイワタシを放っておくハズがないテチュー♪ きっと待っているテチュ♪帰ったらナデナデしてお風呂に入れてもらうテチュ〜ン♪」 キーが元気に跳ね回りながら答える。 途中、疲れたピーを背中におんぶして捕まらせ、片手でその漏らした糞の残る尻を支える。 小さいとはいえ、片手にメーを抱えたままでは辛いものがある。 しかし、キーは役に立たなかった。 ミーの拷問に近い体勢をよそに、遅い歩みに、ポーと小躍りしながら「はやくはやく」と急かすだけであった。 小躍りして歩くだけに、ポーもすぐに疲れだすと、ミーは、ピーとポーを入れ替えて歩き出す。 それも、すぐにピーが踊りで疲労する。 何度も、入れ替え、軽くなる暇の無いミー…。 唯一、キーだけが能天気に騒いでいた。 時間を掛け昼の15時過ぎにミー達は、慣れ親しんだ家の前にたどり着いた。 まだキレイな飼い実装の面影が残っている為、避けて通ってもらえたので命の危険は回避されていた。 ミーには判っている。 ここには、今は誰も居ない。 しかし、同時に、ミーはいつもと変わらずに飼い主の男が迎えてくれる事を願っていた。 キーが、ドンドンドンと扉を懸命に叩く。 「テチュ〜ン♪テチュ〜ン♪」甘く鳴く。 ドンドンドン 「テチュ〜ン♪テチュ〜ン♪」 キーが繰り返す度に、ピーもポーもメーも参加していく。 ドドドンドントドンドン 「「テッチュ〜ン♪テッチュ〜ン♪」」 キーは、一度ミーに振り向いて、こんな筈ではないという顔をすると狂ったように扉を乱打し出した。 「テキァァァァー、ご主人様ぁぁぁ、迎えに来テェェェェ!入れて!開けて!テァァァァァァァ!」 ミーは、それを疲れきった身体で見守るしかなかった。 「お外はもうイヤァァァァ!寒いの怖いのクサイのイヤテキァァァァァァ!!」 いくら小さい仔実装とはいえ、4匹が乱打し絶叫すればそれなりに近所迷惑である。 「わかったデス?ご主人様はここには居ないデス 遠いところに行っているデス!半年は長いデス! ご主人様の教えを守ればきっと迎えに来てくれるデス…守れなければ見捨てられるデス。 我儘を言っても何も出てこないデス!」 やがて、メーが疲れ果て、玄関の段差に腰をかけると「テェェェェンテェェェェン」と泣き出す。 ピーとポーもその力が弱くなっていく。 キーは、はたと思い出したようにポーチから実装フォンを取り出す。 「テチテチィ?テチテチィ!」繋がる前から呼びかける。 実装フォンの操作は単純だ。 2つ折の本体を開けばスイッチが入り通話状態になる。 また、同じ登録番号に繋げた者同士の複数相互会話が可能である。 (親実装フォンが通話していなくても、同じ番号にアクセスしている物同士会話できる) 料金などもバカ高い本体費用以外、通話でお金は取られない。 そもそも、基本的な部分は、電話と言うよりトランシーバーなどに近い。 でなければ、自慢したがる。すぐに助けを求める。気になったときに声を聞かないと落ち着かない。すぐ壊す。 そんな実装石に使わせれば、無限に金が消えていく事になる。 「テチテチィ!テチテチィ!」 しかし、いくら呼びかけようが、実装フォンは繋がらない。 「テチテチィ!テチテチィ!」両手で実装フォンを握り締め、膝を付いて涙をこぼして叫ぶ。 『テ・・テチ・・』 「!!テチィテチィ!テチテチィ!!ご主人様ァ!」 何か音が聞こえた気がした。 キーはパァッと顔が明るくなり、鼻水と唾を飛ばしながら大声で叫ぶ。 キーとピーとポーの3匹がそれぞれ、別の方に向かって同じ姿勢で叫んでいる。 キーの姿を見た2匹が、真似をしただけであった。 家族間通話で、3匹は、それぞれの声が聞こえてくるのを錯覚して叫び続けた。 電池が切れるまで…。 「判ったデスゥ?でも、気を落としてはいけないデス!ワタシ達を愛してくれるご主人様が心配していないハズがないデス。 ちゃんと、あの”公園”で頑張って待つデス」 もはや、精も根も尽き果てたのか、4匹の仔は「テチィー…」と力なく鳴いて、納得がいかない顔のまま従う。 まだまだ未熟な仔達でも一応は、優秀と言う触れ込みの飼い実装だけに永遠に我を通す事はしない。 できることをして、どうにも成らなければ、親の言う事が正しいと従う。 少なくとも、この状況下で”諦める”という事が出来るのは、 飼い実装としても優秀で、まだ道徳心が消えていない証である。 帰り道もまた遠かった。 幸い、彼女達に危害を加えるものは居なかった。 虐待派も少なく、人前で手を出すほど愚かではない。 実装石を連れていないのに街中で優しく手を差し伸べるのは、むしろ虐待派として警戒されるからでもある。 車を避け、信号を守り、歩道の隅を歩いて公園を目指す。 使い慣れた道とはいえ、飼い主に連れられているときとはまるで歩きやすさが違う。 下校の学生の自転車に轢かれそうになり肝を冷やす。 ミーは、公園の外に出るほうが直接的な危険が多い事を学習した。 公園に戻ってきたときには既に日が暮れていた。 相変わらず、日が暮れると公園の中の実装石は数が昼と比較して格段に少なくなる。 入り口には、昼の惨劇の余韻とも言えるミンチ肉片やシミが残っていた。 入り口から少し入ったところでは、禿裸で肉体を激しく損傷した実装石が何匹か四つん這いで這い回っている。 さらに何匹かの実装石がそれを木の枝で鞭打ったり、糞を食わせたりして楽しそうに遊んでいる。 彼らは、その服の不潔さから見て、低層実装ではあるが、昼の惨状を知らないのだろう。 団地実装たちが甚振って放置した物を、丁度良い玩具として遊んでいるのだ。 彼らには一時的な利害での協力関係はあっても信頼関係など存在しない。 同じ協力し合って生活するべきナカマすら、一旦、服や髪を失ったらナカマとしては見られない。 その現実をミーは改めて学習した。 一瞬、その実装石達と目が合うとミーは仔の手を引いて小走りに逃げ出す。 団地のある通路は、それに比較すれば格段に平和であると実感した。 何の気兼ねも無く歩く事が出来る。通り過ぎるナカマに挨拶をする必要も無い。 既に朽ち果ててかろうじて屋根が機能している家を見つけ、ボロの低層実装の親仔が「ここがいいデスゥ!」と入っていく。 近くでは、やはり住むものが無く朽ち果てた家を器用に解体して、新しい材料を持ってくる親仔が居る。 「この公園は住みやすそうデスゥ♪」 「流石ママテチィ〜、きっとママがこの公園一番になれるテチ〜ン」 半日もすればミーが覚えている町並みは一変している。 何らかの理由で、日に何十匹もの実装石が死に、あるいは追い出され、 住むものが無い家は、程度がよければ新しい住人が住み着くが、 長年の風雨で弱いものは崩されるかして新しい家が持ち込まれる。 住人だけではなく、街並みすら日替わりなのだ。 それでもミーは、迷わずに家に戻れる事を感謝する。 自分達の書いた絵が目印になるからだ。 家に戻ると食事をし、今日も風呂の為に小川に向かう。 ショックが深い仔達のストレスを少しでも忘れさせるためだ。 人間の生活臭を消さねばとも思うが、汚れすぎている状態も我慢は出来ない。 あの昼の低層実装たちの臭い、汚れ…。 いや、自分の周りに居る団地実装達の汚れ度合いすら我慢は出来ない。 それに、汚れに慣れるということは、飼いとして落伍したと男に思われたくない…そのプレッシャーもあった。 正反対の選択の中で、別に昨日も危険ではなかったし、注意すれば大丈夫とミーは選択をした。 水に浸かるまでは、文句を言ったり疲れきっていた仔達も、シャンプーを使えば一気にはしゃぎだす。 「テチィテチィ!シャンプー最高テチィ♪」 「オネイチャン達ズルイテチィィィィ…ワタシもそっちまで行きたいテチィ! 行くテチィ♪テァッ!(ゴポゴポ…)テ!テリャー…」 岸から手を離して溺れるメーを慌てて引き上げる。 「テェァァァァァテェェェェェェン」 「だから注意したデス…ドコに深いところがあるか判らないデス!」 「テェェェェェン!!オネイチャンばかり楽しくてズルイテチィ!浮き輪!浮き輪が欲しいテチィ!」 「そうテチィ!浮き輪があれば楽しいテチュン♪どうして持ってこないテチィ!ママは気が利かないテチュー」 「浮き輪浮き輪!テェェェェェン楽しくないテチュー!ママー、ご主人様みたいに泳がせて欲しいテチュ〜♪」 まだ小さいのに、自分でも辛いと感じる環境に置かれたのだ。 飼い主と一緒に居た事を懐かしんだりするのは仕方が無い…ミーはそう考えて許すしかなかった。 それで、長い生活に耐えられるのであれば… それで、飼い主との絆を忘れなければ… 部屋に戻れば、ミーが綿棒を使って仔達の耳を掃除してやる。 終われば、仔達は狭い部屋で、それぞれ玩具を使って遊びだす。 ミーは、移動の間着ていた濡れたままの服とタオルを部屋にあらかじめ張ってある紐に掛けて乾かす。 「ママー、髪がまだ乾かないテチュ…気持ちよくないテチィ…」 「暖かいドライヤーが使いたいテチィ…」 「ドライヤーは無いデス…でも電話を使えるようには出来るデス」 ミーは、部屋の奥から充電器を引っ張り出す。 コンセントなどないが、この充電器は、乾電池から充電できる。 充電器に実装フォンをはめ込む。 「テチィー!!コレでお電話が使えるテチィ!ママ、スゴイテチィ!」 「でも、こんなのご主人様が出なければ何の役にも立たないテチィン!!」 大人しいようで居て、キーは所々で反抗的だ。だんだん、その我が強くなってきていた。 「ダメデスゥ!キー…これはご主人様がくれた大切な大切なモノデス…。 ご主人様が出なくても、ワタシ達が離れ離れになった時に役に立つと思って渡してくれたデス。 優しさがこもっているデス。 今日のお前達を見て、その為にあると確信したデスゥ」 キーは納得していないようだが、元が心優しく育ったミーには、こういう時にどうして良いか判らない。 ミーの普段の指導が厳しいと言っても、それは、物分りの良い仔に対しての教育の範疇であり、 弱音を吐いたり、泣いて許されようとする仔を見抜いて叱る事は出来ても、 反抗的な仔をどう扱うべきか、どの加減でコントロールするべきかが判らない。 昨日は危うく…いや感情のままに殺してしまった記憶があるだけに、 余計に高圧的に抑制するという選択肢を避けるしかなかった。 「さぁ、風邪を引くデス…電話はママが使えるようにしておくデス。暖かくして早く寝るデス…」 ミーにはお茶を濁して場をやり過ごす事しか出来なかった。 仔実装が裸でタオルに包まって眠りに落ちると、ミーは実装フォンの充電を繰り返した。 充電を待つ間に、残した荷物の片付けと、トイレであるおまるの中身を家の横に捨てる仕事をした。 元が玩具同然の代物だけに、使用時間が短く、充電も早いのが救いだった。 最後に自分のポーチから実装フォンを取り出そうとする。 「デェェェ!!」ミーが青ざめる。 それもそうだ。 昼の低層実装の襲撃の時、逃げるために食べ物と一緒に中身を全て投げ捨てていたのだ。 「大切なご主人様から頂いた物デス…ワタシは何と愚かな事をしたんデスゥゥゥ」 しかし、実装石の抜けている思考でも、その物に固執する考えを捨てて緊急回避をしたことは正しかったのだ。 気を落とし、壁の写真を見る。 「この仔達は最初の仔達デスゥ…とっても可愛い仔達デス…今は立派なお家に貰われて幸せにしているデス… とってもいいところに行ったとご主人様は喜んでいたデス…お手紙も来ていたデス… デスゥ…デスン…デスン…デェェェェェェェェン」 ミーは、大の字でガリガリと歯軋りして熟睡するキーと写真を何度も見比べ涙を流して泣いた。 誰よりも寂しく、誰よりも助けを必要としていたのはミー自身だった。 自分の頼りなさに、ミーはひたすら泣く事しか出来なかった。 何故、こんな事になったのか…最初の事を思い出せないほどに…。 そして、最後に再び1日が経過した印をつける。 まだ、2日しか経過していない事に疲れが増した。 「きっと、慣れてくれれば元の大人しい仔に戻ってくれるデス…みんな良い仔デスゥ…デスン…デスン…」 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 長い雨… つづく
