ハルのはじめ 餓えた獣ののような貪婪な目つきと足取りでバッグに得物を隠して公園へ急いで いた。陽気が続き湿潤とした大気で草木が芽生えるこの季節、動物もまた然りでボ ロボロと孕んだ子を産み落としてはまた孕む。実装石もまた例に漏れず、目前にし た公園からはここからでもテチテチテッキャーとした甲高い声が聞こえてきそうだ った。俺はそんな生まれたての仔実装が大好きだ、思わず口から涎が溢れそうだ。 平日の真昼にうろつくツナギ男が涎を垂らしながら歩いていればご近所の目にあき らかに不穏であろう、なんとか涎を飲み込む。 高い街樹に囲まれ鬱蒼とした公園には人気がなく、実装石の巣食う場所独特の臭 いが漂い、俺の欲望を刺激する。ここで子供を遊ばせる親は居まい、一般人にはい かにも不気味なありさまだ。遊具には悉く糞がこびり付いて、素手では触れられた ものではない。公園に一歩踏み入るや、たちまち茂みから葉や枝の擦れる音が響き だし、暗がりから赤と緑の一対の視線が侵入者に注がれる。その目は注意深く人の 挙動を探る。一匹として飛び出して来て媚びを売らないところを見るに、この公園 に巣食う実装共はなかなか利口なようだ。 俺はたまたま通りがかった一般人を装い、比較的綺麗なベンチに腰を降ろすと、 体温で表面の溶けた甘い匂いの強いチョコレートバーを包みから取り出して齧りは じめた。奴らの注意は俺でなく菓子に吸い寄せられていることだろう。ここいらの ゴミ捨て場は全てコンクリ壁と金属の扉で補強され、野良共は人間の廃棄物の恩恵 に与る機会は少ない。実装石に餌を与えることろを見つかれば罰金を被るので、動 物好きの一般人はおろか、愛護派も腰が引けて大っぴらに餌をやることはない。そ れでも、幾多の大規模な一斉駆除から生き延びて公園を占拠するまでに増えかつ満 ちているのだから、その生存能力と繁殖能力には全く頭が下がる思いだ。おかげさ まで俺みたいな虐待派の需要を満たしてくれているのだから、安い頭のひとつくら い糞蟲相手に下げたって惜しくはない。まあ、実際には相手の頭にキツイのを一方 的にブチ込んでは、土下座で許しを請われてばかりいるのだが。 チョコレートバーを半分まで食らって、口の中に張り付いた甘ったるい滓をペッ トボトルのお茶で流す。残りをベンチに転がし、煙草を吹かした。ウチからここま では徒歩で30分ほど、それなりの運動の後では、甘いものがそれほど好きでは無い 俺にも美味しく感じられた。実装共の注目を集めるためにわざとらしく奴らの好む 甘ったるい代物を齧って見せたのだが、少々惜しい。しかし、これだけ見せびらか しても仔実装一匹飛び出してこないところを見ると、ここいらの連中は随分我慢強 いらしい。脳味噌を母体に置き忘れて生まれ落ちたような糞蟲は自然と淘汰される 環境に暮らしていれば当然と言えば当然ではある。人間により手ずから餌を与えら れたこともなければ、そこらに落ちている甘味といえば駆除用の毒入りばかりで一 発で昇天という代物である。仲間の夥しい屍からいい加減、学ぶものもあっただろ う。それでも、味気ない草の葉や木の芽なんぞばかりの質素な食生活を送っていれ ば、甘い匂いの誘惑はそう簡単に振り払えないらしい。俺がベンチに放置したチョ コレートバーから、視線が逸れる気配はなかった。奴らにとっては人間の食べ残し というのは、毒見の済んだ唯一安全な食物であると見なされているのだ。まさに垂 涎の的といったところであろう。 おもむろに立ち上がると、迷いもなく公園から立ち去った。もちろんチョコレー トバーは残したまま。それからぐるりと公園の外縁を一周する。公園の方から、実 装石たちの喚き声が聞こえてくる。ひとの姿が見えなくなれば、途端にこれだ。愛 しくなるほど素直な反応に、思わず唇が引き攣る。再び公園の入り口に差し掛かる と、そっと陰から中を窺う。いるわいるわ、ベンチを取り囲んだ実装だかり。予期 した通りの光景に、すぐにでも飛び出したい衝動に駆られたが、自制する。奴らの 滑稽な姿を観察することも俺にとって虐待の一環だった。少ない食物を取り合って 同類同士で殺しあう様は実に壮観である。奴らの阿鼻叫喚を聞くだけで、自ら手を 下さずとも満足してしまうことさえある。たまたま殺し合いから五体満足に生き残 って、勝ち誇った様子で食物を貪ろうとした個体の前に立ちふさがる瞬間というの はえも言われぬ快感だ。絶望に目を見開いたその脳天に得物を振り下ろせば、性交 すら及ばぬ陶酔に腰が抜けてしまうほどだった。 だが、ここにきて俺の期待は見事に裏切られた。ベンチに殺到して這い上がろう と無様に競い合う姿を予想していたのだが、奴らは仔実装を担いでベンチの上に押 し上げ、あっさりとチョコレートバーを拾得したのだ。次に、その小さな個体が高 所から仲間を嘲笑いながら甘味にむしゃぶりつくであろうと思い込んでいたのだが、 ありうべからざることに自らを押し上げた大柄の個体に抱えたものを差し出したの だ。恐らくここのボスなのだろう、その体格にものを言わせて公園を牛耳り、食物 を独占する腹なのだろうが……、またも裏切られた。ご丁寧に破片を零さぬよう一 度包みに戻してから、手の中でチョコレートバーを砕いた。それから、周りに集ま った連中に小さな破片を分配しはじめたのだ。しかも、それに不服を表す者すらい ない。頭がこんがらがってきた。俺の実装観を根っこから揺さぶるような、大事件 とも言うべき光景であった。 自重を持ち上げる腕力はおろか、頭上までも届かない短小な腕という、登攀能力 を著しく欠いた構造の実装石にはベンチの上というのは結構な高みであろう。とて も単体で踏破できるものではない。それを、集団の環視の中で互いに妨害するでも なく協力して、頂きに達したのだ。簡単そうに見えるが、眼前の出来事はいくつか の高いハードルを越えなければ決して実現されることのない奇蹟ともいうべき光景 だった。協調するよりも自らの欲望を満たすことにひた走る、実装石らしからぬ振 る舞いである。実装石の集団を眺めているというより、見知らぬ異物を恐る恐る窺 っているような心境になる。 なんだか頭がこんがらがってきた。いままで幾多の実装石の生態を目の当たりに して、その性質は糞蟲と渾名されるに相応しいものであると確信していた。野生下 ではひたすら欲望のまま本能を抑える機能の欠落し堕落し呪われた生物という他な く、飼育下では峻別された個体すら執拗とも言える虐待じみた躾なしにはひたすら 人間に依存し増長し続ける生ける汚物でしかありえない。それが、手付かずの野生 下で、奴等にとってはすこぶる付きのご馳走である筈の甘味を、争うこともなくむ しろ協力し合って公平に分かち合っている。眼前に生じた光景を認めるなら、自分 の正気を疑った方がまだ易しい。 いつの間にか、汗ばんだ握りこぶしの中に得物を握っていた。それは板バネを細 長く切り出して木製の握りを取り付けただけの代物だった。見た目はやたらに長い パレットナイフのようだ。だが、使い勝手は素晴らしく良い。手首を返して面で打 ち付ければ鞭のように撓り、実装石程度ならば表皮まで削ぎとるような強烈な鞭撻 を与えることができる。物理的な破壊力という点ではバールに比べるべくもないが、 鞭というものの特製は対象に与える痛みの強さにある。一撃の元に受容できないほ どの激痛により偽石を崩壊させる実装石も居るくらいだ。何より、ノミで削ったよ うな患部を庇いながらのたうち回る糞蟲を見るのは心地が良い。更に、鞭の両端は 軽く研いであり、斬り付ければ実装石の四肢などは一瞬で解体できた。バールの一 撃で実装石を木っ端微塵にするのは爽快ではあるが、重いやら携行し辛いやら返り 血が酷いやらと使い勝手は良いとは言えない。ここのところ、板金屋の知人に頼ん で造ってもらったこの得物を専ら愛用していた。 必殺の得物を革製の鞘から抜いて、実装共の群へと向かう。こいつらはいびり殺 すよりも、皆殺しにするべきだ。あきらかな秩序と知能をもった実装石というのは あまりに危険だ。具体的にどんな悪事を働くかといえば答えに窮するが、少なくと も俺の精神衛生上は存在の許されない群体である。糞蟲なら糞蟲らしく振舞ってい ればいいものを、どうにも癇に障る。どうあっても受け入れることなぞできない。 このまま放置して帰れば、その存在を認めるようなものだ。実装石の隣人愛などは とても認めることができない。それは、今まで糞蟲と断じて実装石を処理してきた 自らへの裏切りにも等しい。矛盾を正せ、例外を排除しろ、俺が糞蟲の本性を暴き 出してやる……。 足音を忍ばせた上、相手はろくに口にしたことのないチョコレートの甘味に酔い 痴れて油断していると踏んでいた。だが、陰から身を乗り出して間もない内に、群 の中心にいた例の大柄の実装石に見つかってしまう。目敏い奴だ、目の前にご馳走 をぶら下げられていても、一瞬たりとも警戒を怠ってはいなかったらしい。奴がこ の群を治めるボスだというのは明らかだった。そんなボスの鋭い一声で、周りの実 装達も一瞬にしてこちらに対して身構えた。群から離れて遁走する者は一匹もいな い。人間を前にして、悲鳴をあげる者さえいない。成体実装たちはその子等の前に 生ける壁となって立ちはだかる。軍隊の演習を思わせる整然と迷いのない足並みで もって、防御陣形を一瞬にしてつくりあげたのだ。 俺は嘲笑を浮かべた。いくら守りを固めようと、所詮は紙のような実装石の塊に 過ぎない。奴等の頭上に得物をひと振りでもすれば、肉の壁は脆くも崩れ、たちま ち蜘蛛の子を散らしたように敗走をはじめるだろうと。そうなれば、トロくさい奴 等の首を刈り取ることなど造作も無い。迷いもなく歩を進める。だが、実装達の次 の行動には、思わず鼻白み、立ち止まった。前線に立った実装達はいきなりパンツ を脱いで、頭上に掲げたのだ。一瞬、白旗のつもりかと考えた。だが、どうやら俺 は、連中を甘く見すぎていたらしい。奴等の股座からいきなり大量の糞がひり出さ れ、その足の間に糞塊を築いて掬いあげると、一斉に俺を目掛けて投擲の構えをと ったのだ。 実装石の集団による一斉の排便により、公園には糞の臭気が立ち込める。俺は糞 つぶての射程に踏み入ることを恐れて、これ以上進むことができなくなった。だか らといって別に往生した訳ではない。実を言えば、実装石たちの鮮やかなまでの統 率された行動も、俺にとって大した驚異ではなかったのだ。バッグの中には高圧ボ ンベを外付けにした強力なエアガンを収めていた。その気になれば、奴等の投擲が 及ぶ遥か先からミンチにすることも十分可能だったのだ。だが、奴等はあまりにも 賢過ぎた。こんな手ごたえのない、味気ない得物で何の価値もない糞蟲と同じよう に皆殺しにするには惜しまれた。何より、このまま奴等を殺せば、子を背に庇って 討ち死にという実装石にとっては名誉を、人間にはただの虐殺者としての汚名を着 せることになる。例えそれを知るところが、俺一人だとしてもだ。 自らに生じ始めた実装石に対する印象の修正を認めたくはなかった。ひたすら実 装石の性悪説を信じ、目の当たりにして、胸を張って虐待派としての活動に勤しん できたのだ。世間の風向きが虐待派の背を押すようになったのはつい最近のことだ。 それまでは、愛護派や奴等の扇動に動かされた連中に後ろ指をさされることは度々 だった。だが、実装石を虐待する手をためらわせることはなかった。実装石とは人 間の庇護の元にあるべき愛らしい小動物などとは根本的に異なる、糞蟲であるとい う確信があったのだ。いつからそれを抱くようになったか、随分と遡る。虐待派の 過去を掘り返せば類型と呼べるくらい、よくある話。動物好きの少年が実装石を拾 って、育てる話。 ワガママ放題に付き合って愛情深く育てあげた結果、まるで注いだ愛情をそのま ま裏返したような糞蟲になり下がった汚物の塊。バールでその頭を打ち砕く寸前ま で、俺を嘲笑し、奴隷と蔑みつづけた。思い切って振り下ろした先にはあったのは、 今まで家族同様に愛していた者を殺したという後悔ではなく、胸の空くような快感 だった。以後、俺は自ら育てた糞蟲の分身を探して出しては、殺した。そして単純 な虐殺という手段では飽き足らず、技巧を凝らした虐待にも手を染めはじめた。同 じ悲劇を繰り返さぬ為の虐殺から、自らの快感を得る為の虐待へと目的が手段へと 転倒するようになった。いや、最初からそうだったのかも知れない。むしろ、それ は俺にとっても実装石にとっても幸運なことだったと思う。俺は実装石を必要とす るようになった。実装石は俺から必要とされる価値をもつようになった。ひたすら 害悪であるよりかはずっといい。 結果、糞蟲の行動様式に対する理解は深まり、いたずらに目の前の糞蟲を潰すよ りもより効率的な虐殺が可能となった。その性質を利用した仲違いを起こさせ殺し 合わせることなど、実に簡単だ。親子間の愛情すら希薄なのだ、近親とは言え他者 を殺し肉を食らわせるなど、造作もない。例え、目前で固い団結ぶりを見せる実装 集団が相手だったとしてもだ。 リンガルを取り出して、スイッチを入れた。俺は実装たちの群に向かって呼びか ける。群のリーダーと話がしたい、と。リーダーは案の定、周りからひとつ頭の抜 きん出た大柄の実装石だった。意外なことに——まったく、こいつらを相手にして いると意外なことばかりだ——群を押し分けて真っ直ぐにこちらへ駆け寄ってくる。 群を盾に隠れて通そうという気はさらさらなかったものらしい。奴は糞の投擲体勢 はとっておらず、指揮に専念していた。手には汚れひとつない。だが、その背後に はいまだ投擲体勢のまま俺の様子を窺う旗下の軍勢があった。少しでも妙な動きを 見せれば、すぐさま糞を浴びせ掛けてやろうと逸り立った気配だ。 『ニンゲンさん、ワタシがこの群のリーダーデス。今すぐ立ち去ってくれたら、ニ ンゲンさんに対して害を与えるようなことは決してしないデス』 こっちが許しでも請うと思っているのか、慇懃無礼な奴だ。旗色良しと見て、一 方的に要求を突きつける。実に気に入らない。実装石が相手となると尚更だ。思わ ず、一息に対等面した実装石の首を掻っ捌きたくなる。 「こっちもおまえ等の糞なんか被る気はない。だが、おまえ達には俺に賠償する必 要がある。キッチリ支払って貰えない場合、この場にいる実装石は皆殺しになるだ ろう」 俺の言葉に、リーダーの顔色が変る。明らかに、俺がわざと放置して行ったチョ コバーのことを思い出したのだろう。あれだけ熱心に観察してもらえば、俺の顔を 忘れてはいまい。それとも、俺の強気な態度に対して、何か察するところでもあっ たのだろうか。 『ふざけてんじゃないデスゥ! オマエはリーダーのお情けで生かしてもらってる クセに、要求なんてできる立場だと思ってるんデスか!?』 その声はリーダーでなく、糞を構えた実装石の前線から発せられた。一匹の実装 石が怒りに顔を真っ赤にさせて、こちらへ今にも糞を投げつけてきそうだ。声の主 は、どうやらこいつらしい。周りの視線も、その実装石に集まる。俺は、そんな挑 戦的な声を嬉しく思った。ここにきて、やっと威勢の良い糞蟲らしい糞蟲に出会っ たのだ。 『止めるデス! 確かにワタシたちは勝手にニンゲンさんの持物に手を出したんデ スよ』だが、リーダーは水を差すような言葉を浴びせる。 『リーダーは甘いデス! アイツが言ってるのはただの言いがかりデス、ワタシた ちが焦るのを見て楽しんでいだけのクソヤロウデス!』 糞蟲なりに賢い、いかにも俺は楽しんでいた。周りの実装石も糞蟲に同調しはじ め、俺を睨みつけ、威嚇するような奇声さえあげはじめた。まあ、飛び道具なしで は厄介な連中だ。遊具にこびり付いた糞の跡を見るに、いままで結構な数の人間を ここから追い出してきた自負もあるのだろう。人間に対して恐れ気もなく、好戦的 なようだ。 『本当にそうだったとしてもスジは通すべきデス。ワタシたちはニンゲンさんのお かげで甘くて美味しいお菓子を食べることができたデス。その恩を仇で返すような 真似をするのは恥だと思うべきデス』 だが、旗下の気勢に動じることもなく、リーダーは俺におもねるような調子でい る。やはり、俺の隠し玉に気付いているのだろうか。勘の良い奴だ。まあ良い、俺 がしたいのは奴等との知恵比べなぞではない。 「そうか、群のリーダーが率先してそう言ってくれると俺も助かる。それじゃあ早 速だが、今すぐ腹を掻っ捌いておまえ達が食った俺のチョコバーを返して貰おうか な」 予想通り、激昂した糞蟲の方から糞つぶてが飛んできた。かわすまでもなく、糞 は明後日の方向へ飛んで行く。一斉掃射ならまだしも、この距離で一発で相手に命 中させるほどの器用さと腕力など実装石にある筈もない。糞蟲は続けざまに糞を放 ってきた。リーダーは何度も声で制止するが、全く耳貸すつもりはないようだ。糞 蟲に釣られて、周りの糞蟲まで俺に向かって糞を構えだした。ついにリーダーが実 力行使で連中を止めようと駆け出そうとした。俺はその背を蹴倒す。バッグに突っ 込んだ手には、エアガンのグリップが握られていた。太いサイレンサーで発射音は ほとんどない。ベチベチと糞蟲の体に6mmベアリング玉が突き刺さる鈍い音だけが響 く。血と肉の飛沫があがり、周りの実装共の頭に雨のように降りかかる。糞蟲は一 瞬で物言わぬ肉片に変った。元気の良い糞蟲を亡くして、少し寂しい。 「デギャアアアアアアア!?」 「テチャァァァァ!!」 心地の良い悲鳴が、辺りから響いた。 貫通した玉は勢いを殺さず、その背後に居た仔実装へも牙を剥いたらしい。腕や 足を無くした仔実装が喚き出す。中には頭の半分を無くした者もいて、ヨタヨタと ゾンビのような足取りでフラついている。銃口の前に立った実装共は子も親も例外 なく股間から糞塊をひり出し、俺を凝視して震えていた。反抗の気勢は完全に削が れたようだ。他愛もない、だが、これだけやっても逃げ出さないのは立派だと誉め てやってもいい。それとも、逃げ出したのから狙い撃ちにされるとでも思っている のだろうか。全く、利口な連中だ。 「言っただろう、糞を被るつもりはないって」俺は足の裏に敷いたリーダーに向か って囁きかける。 『ゴメンナザイデスゥ……、こんなことするつもりは全然無かったデズゥ……』リ ーダーは眼前の惨状を前にして、嗚咽を吐く。 「それなら誠意を見せてもらおうか」 『全部ワダヂのせいデズ、仲間は殺さないで欲しいデズ』 「おまえ達が切腹したくらいで死ぬとは思えないけどな。まあいい、それじゃあ殺 しは無しにしよう。代わりに……それじゃ、群の責任者には責任を被ってもらおう かな」足の下でモゾモゾとリーダーが動いた。思いがけない譲歩を受けて、笑いで も抑えているのだろうか。まあ、ここからでは表情が窺えないが、どちらでもいい ことだ。 「とりあえず、責任者は笞刑に処す」そう言って、足を退ける。リーダーはゲボゲ ボと咳をしながら立ち上がる。肉片になった仲間と重症を負った仔実装に向かって しばらく立ち尽くしたが、くるりと振り返ると、俺の目を真っ直ぐに見上げる。 「おまえ、笞刑の意味がわかるのか?」 『わからないデスゥ……、だけど、命が助かるのならどんな罰でも受けるデスゥ』 「そうか、つい殺してしまったらゴメンな。ちなみに、笞刑ってのは笞打ちのこと だ」俺は手にした金属鞭を掲げて見せる。 『そ、それで叩くのデスか?』リーダーは頭上で輝く鞭に恐怖の眼差しを向ける。 「その通り、服が惜しかったら脱いでおいた方が利口かも知れないな。これを受け れば服どころか皮膚までズタボロになる、ま、それも無駄に終わるかも知れないけ どな」俺の言葉を受けて、リーダーの顔色は蒼白となった。死刑囚が断頭台に向け る眼差しというのはこういうものなのだろうか。顔色は紙のように白く、眼球がそ の上で別の生き物のように飛び出すほどにむき出されて、目蓋の筋がピクピクと痙 攣している。今から身に受ける痛みを想像しているのだろうか。幸か不幸か、知能 の高い実装石というのは幸せ回路の働きが活発でない代わりに、現実的な想像力が 豊かだ。こいつも只の糞蟲であれば、鞭を受けるその瞬間まで糞でも垂れながら俺 に向かって罵倒を浴びせて悦に入っていられたのだろうが。 「おい、俺は親切にも服を脱げと勧めたんだがな。お前の感傷にいつまでも付き合 ってられない。そのままで良いなら今すぐ始めるぞ」俺は棒立ちで阿呆のように空 を仰いだリーダーに向かって鞭をフリフリ話し掛けた。俺の声の調子は、実に楽し げなものだったろう。 リーダーはそれを聞くとハっと我に返り、いそいそと服を脱ぎはじめた。その間、 チラチラと仲間の方へ視線を送る。皆遠巻きに眺めるばかりで、身を挺して庇おう なぞという輩はいなかった。だが、下着一枚になったリーダーを嘲笑う者はいない。 仔実装すら何やら厳粛な面持ちをして、リーダーをじっと見つめている。リーダー はそんな仲間たちからの視線に勇気を得たようで、その表情からは自失するまでの 恐怖は拭いさられていた。何か、嫌な予感がする。実装石たちが奥の手を持ってい るなどと疑っている訳ではない。俺は、自らの心境の変化に戸惑っているのだ。 「よし、準備は整ったみたいだな。それでまあ、おまえに課せられた回数はと言う と……」俺は周りに落ちた濃緑の糞染みを声をあげて数えた。さっき殺した糞蟲が 投げた糞の跡だ。「……五つ、六つ、七つ、八つ、九つ……、九回か。それじゃあ 始めようか」裸の実装石を見て侮蔑どころか、殉教者に対して送るような敬虔な眼 差しを注ぐ公園の実装石たちに対して芽生え始めた、同情じみた考えを打ち消すよ うに、俺は刑の執行を宣言する。この儀式じみた行為が億劫になってきた。初めか らこのリーダーを片付けておけばよかった。中心を失った実装石の集団なぞ、多少 は賢いとは言っても追い詰められれば、結局その本能を露わにして早々に自滅の道 を辿ることだろうに。 『ニンゲンさん、ひとつだけ質問があるデス』俺を見上げながらそう話し掛けたリ ーダーの目には、理性の輝きのようなものが見られた。日頃よく手入れされていた と思しい、これだけの恐怖に晒されながら今だ染みひとつない純白のパンツがその 証明であるよう、俺の目に眩しく映る。我知らず、鞭を振り下ろす手を止めていた。 『その、鞭というもので打たれると、ワタシは何回で死ぬデスか?』 息が詰まった。俺は、こいつに見透かされていたのだ……。 「……何とも言えない。お前次第だな」正直、六回以上の鞭打に耐えた実装石はい なかった。皆穴という穴から体液を垂れ流しながら、苦痛に顔面を無茶苦茶に歪め て偽石を崩壊させた。仮死することすら許されない、剥き出しの精神を削りとるよ うな痛み。子煩悩の個体に死んだらその子も殺すと脅してやっても、子を守ること よりも苦痛からの開放、即ち死を選んだ。 『ワタシはまだ死ぬ訳にはいかないデス。仲間たちには指導者が必要デス。だけど、 ワタシの命ひとつで仲間のみんなが助かるのなら、それも仕方がないことデス。喜 んでその罰を受けるデス……』リーダーは続ける。俺にはそれが時間稼ぎだとも考 えることができず、ただ謹聴していた。ひとつきりの質問だと断っていたにも関わ らず、喋り続けることを咎め立てすることもしなかった。 『今のところ、ワタシの代わりにリーダーをやっていける仲間はいないデス。だけ ど、ワタシのたったひとりの子供は、すごく賢くて、仲間想いデス。その子が大き くなったら、きっとワタシなんかよりもずっと素晴らしいリーダーになる筈なんデ ス。だけど、ワタシの子は……ミミは……、虐待派のニンゲンに殺されかけてから ずっと伏せっているのデス。もっと食べ物があればあの子もすぐに元気になる筈な んデス。だけど、この公園では自分が食べる分を確保するのが精一杯デス。毎日沢 山の子供たちが死に、大人たちも日に日に数が少なくなっているデス。ワタシが死 ねば、あの子は絶対に死んでしまうデス。皆もあの子を養ってあげられるほどの余 裕が無い筈デス』 同情でも引くつもりだろうか。だが、興味深い話ではある。 春という季節も、人間の廃棄物から隔絶された実装石たちにはあまりその恩恵を 与えることはないらしい。ごちそうの生ゴミからあぶれたのは何も実装石ばかりで はない。実装石など及びもつかないほど素早く強い野生の犬や猫、カラスたちと市 街の公園に芽吹いた僅かな自然の賜物を奪い合って勝てる筈もない。むしろ、鈍く さい実装石こそが奴等の格好の餌とも言える。このまま春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が 過ぎ、冬を迎えれば……生き残る術など見当たらない。 賢明なリーダーを頭に置いた、比較的優秀な実装石の集団ですらそうなのだ。生 存能力と繁殖能力においてドブ鼠顔負けで、この公園で安住しているように見えた 実装石たちだが、リーダーの証言を信じるなら、見た目ほどワラワラと大勢で安楽 に暮らしてはいないようだ。繁殖能力の強さは、個体としての脆弱さの裏返しであ る。その個体数が公園で飽和する前に減少傾向を見せれば、そのまま最後の一匹に なるまでその数は減り続けるだろう。群としてまとまっていることは貧弱な実装石 が外敵から身を守る唯一の手段である。運の悪い、或いは不出来な仲間を犠牲に一 定の頭数を保持し、また此処の実装石たちのように積極的に攻勢に打って出ること もできる。だが、食料の供給が根元から断たれた実装石にとっては、それもせいぜ い僅かに全滅の時期を遅らせる悪あがきに過ぎない。いかに劣悪な環境という試練 から生き延びた優秀な実装石とは言え、子を満足に育てあげる手立てがなければそ の命脈は長くはないだろう。 『だから、ニンゲンさんにお願い……、希望したいんデス。どうか、ワタシの子供 を飼ってほしいんデス。決してご迷惑をおかけすることは無いと思うデス。もしも その子が糞蟲だと思われるのなら、いっそ殺してしまっても構わないデス』 意外な提案に、俺は口ごもった。実装相手に口ごもるなど初めてだ。元々は飼い 実装として暮らしていたのだろうか、愛護用でもない通常のリンガルでここまで畏 まった物言いが出来るあたり、賢いだけでなく教養もあるようだ。 「……虐待派の俺が、お前の希望なんざ聞くと思うのか? 俺がおまえの子を飼う にしても、それこそ死んだ方がマシだと生まれてきたことを呪うだろうよ」 だが、俺の脅し文句にさえリーダーは怯むことはなかった。 『虐待派のニンゲンに飼われるということがどんなことなのか、ワタシにも解って いるデス。それでも、生きていれば……、ワタシにとっても、仲間たちにとっても、 あの子が最後の希望なんデス……』 元は飼い実装に違いないリーダー。それが、人間に飼われるということに何ら幻 想を抱いていないにも関わらず、俺の手にその子を委ねるという。ただ生きている だけで良い、それなら親心として解るところだが、虐待されることを前提にしてさ え子に生を強要するのは不可解だった。何が親に対して、ここまで子を冷酷に—— むしろ過信させるのだろうか。 「それじゃあ、自分の為に子供の幸せを売るっていうのか? 色んな糞蟲を見てき たが、ここまで酷いのは初めてだな」 『その通りデス、ワタシの子供は自分の為にだけ生きていてはいけないのデス。そ の全ては種族の繁栄の為にあるのデス』 ここまで来ると親の欲目どころではない、狂信じみている。これほど賢い親を心 酔させる子というのは、どんなものだろうか。好奇心がムクムクと頭をもたげた。 虐待を通して実装石に対する理解を深めてきた身にすれば、変り種の実装石という のはそれだけで万金を賭してさえ手に入れたい一品である。虐待派に過ぎない俺で さえそうなのだ、コレクターや研究者からしてみれば、それこそ目の色を変えて飛 びつくことだろう。 だが、俺はやはり虐待派の人間だった。そんなそぶりを少しもリーダーには見せ ず、冷厳に言い放つ。 「そうだな、お前が笞刑に耐えきれば考えてもいい。お前が死ねば、お前の希望と やらも公園の片隅で朽ち果てるだろうよ」 無論、その子を家に迎える腹は決まっていた。こう言ったのは、並の実装石なら 即死しかねない鞭打を九度もその身に受けるリーダーへのカンフル剤代わりだった。 あっけなく死なれるとつまらない。さすがに、この場で偽石を取り上げて崩壊から 守ろうと処理するのは興が削がれる。 俺は息を一杯に吸って、呼吸を整えた。また、リーダーに対して妙な気を起こす まいと己を律する為だ。下手に手加減などしてみろ、俺は虐待派として二度と立ち 上がれなくなる。眼下に転がっているのは、俺の中に僅かに残った、実装石への愛 情だ。思い切り打ち砕け。例え、それでリーダーが生きようが死のうが、知ったこ とではない。 「最後になるかも知れない、名前を聞いておこうか」 『ワタシは名前を捨てたデス。ワタシは子供にとってのママであり、仲間にとって のリーダーでしかないんデス……』 「つくづく変った奴だな。お前のその気負いも子に継がせるつもりだったろうに。 ミミとか言ったかな、どうして名前なんてつけたんだ?」 『ワタシは、親としての愛情を捨てきれなかったデス……、あの子に名前なんてつ けずに、ひとり遊びなんて許していなかったら、アナタに頼ることなんて無かった デス……』 その時、俺の背筋に怖気が走った。もしかしたら、このリーダーというやつはこ うなることを見越して、俺と対峙したのではないかと。虐待派の手によって嬲られ た仔実装といえば、伏せるどころではない原型を止めぬまでの瀕死の有様だろう。 食料の乏しい中、野良の実装石の手で快癒させる見込みは薄い。相手が何者にせよ、 もしも人間の手にその子を託して存命の機会に与ることができたならば……。 頭に浮かんだその考えを振り払った。 まさか、実装石の手の内なんぞに転がされていたというのは信じがたい。あくま で成り行きに過ぎまい。鞭の柄を握り直した。事実、その命を俺の手中に握られて いるのはこの実装石の方だ。だが、その命を捨ててでもその子を守るという意思を 貫徹するつもりであるなら……、やはり俺はこいつの意のままに動いていることに なる。俺には、今すぐその子を殺すことなど出来ない。こんな座興はとっとと済ま せて、ミミという名の仔実装を目にしたい一心だったのだ。 リーダーに背を向けさせ、四つんばいに這わせる。人が笞刑を受けるときのよう に、口に詰め物をしたり体を固定したりはしない。鞭を受けて痛みにもんどり打っ たり悲鳴をあげる人間に対して、刑使といえども同情は禁じえないのだ。何より、 下手な部分を打って死なれたり、自ら舌を噛み切られたりしてはならない。まあ、 それも罪状持ちとは言え、人間が相手のときの話だ。実装石に対して同情もなけれ ば、死なれても構わない。そうでなくてはならない。こいつを他の実装石よりも特 別扱いすることはないよう、俺は努めてそうしていた。 「大したもんだよ、お前は。実装石がみんなお前みたいなのなら、俺もいまこうや って虐待派をやってはいなかっただろうな」鞭をふり上げながら、恐らく最後にな るであろう言葉を、リーダーに対して餞として与えた。それは多分に本音だった。 『それこそ、ワタシの望むところデス』リーダーは答えてそう言う。チラリと見せ た横顔には、微笑みが浮かんでいた。 鞭を振り下ろす。
