『先生、例の患者さん、今日で何の連絡もないまま2日デス』 「……そうか」 ナース実装の連絡を聞き、「」野は深いため息をついた。 ふいに扉のガラスから、中を見やる。 奥のケージに仲睦まじい実装親仔の姿があった。 飼い主から彼女たちを預かって2日が過ぎる。 親実装の手術で預かったのだが、飼い主から連絡がない。 どうしたものかと対処に苦慮していた矢先、電話が鳴った。 「もしもし。こちら「」野クリニックです」 『……先日、実装石の親仔を預けた者ですが……。少しお話したいことが——』 糞い巨塔 Ⅱ 『「」野の遊戯』 『いいデス? おまえたちはきっと幸せになるデス。だから良い仔にするデス』 『わかってるテチ、ママ。私たちはイイ仔になるテチ』 『そうテチ。ご主人さまの言うことをいっぱい聞いてお役に立つテチュ』 ケージのひとつから、そんな他愛もない家族の会話が聞こえてくる。 そこは、実装石専門の病院のケージだ。 個人経営している腕利きの医師のもとへ、実装親仔——トキの一家は入院していた。 先日から、とある手術をするためにここへ連れてこられたのだ。 しかし、手術はいつまで経っても開始されない。 訝しげに思いながらもトキは、心配で一緒に連れてきた4匹の仔実装の教育に余念がなかった。 この仔たちを立派な飼い実装に育てる。 それがトキの生き甲斐になっていた。 恵まれたことに、この仔たちは賢く愛情深い。 多少、優しすぎるが、飼い実装にそれは弊害にならないだろうとトキは思う。 仔実装たちの頭を撫でてやる。 仔実装たちは「チー」と気持ち良さそうに甘える声で鳴いた。 可愛い仔どもたち。 私の宝物。 ああ、幸せになってほしい……。 「やあ」 この病院の先生が優しい笑顔でトキ一家に挨拶をしてくれる。 『先生、こんにちはデス』 「「「「こんにちはテチ!」」」」 「うん。いい挨拶だ」 『先生、手術はまだデス?』 「ああ。それなんだが、少し様子が変わってしまってね」 苦い表情の「」野を見て、トキは「?」と疑問顔になった。 「実は、キミたちはご主人さまに捨てられてしまったんだ」 …………。 ……え? トキは信じられない言葉を聞いて、一瞬思考が飛んだ。 意味がわからない。 何を言われたか、理解できない。 「突然、先ほど電話があってね。キミたちを飼えなくなったそうだ。 お金の問題とか言っていたよ。実装石の親仔を飼うのはお金がかかるからね」 『デ……。ど、どういうことデス?』 「だから、キミたちは捨てられたんだ。もう、お家に帰られないんだよ」 一拍開け、 『デェェェェェェェ!?』 トキは目を見開いて素っ頓狂な声をあげた。 「テチ……? ママ、私たちはお家に帰られないテチ?」 「ご主人さまはどうしたんテチ?」 「ママ?」 親の突然の声に仔どもたちも心配げだ。 そして、事態をよく理解できないでいる。 当たり前だ。 「捨てられた」、そんなことを突然受け止められるはずがない。 先日まで、幸せが約束された環境にいたのだ。 優しいご主人。安全な環境。 可愛い仔どもたち。 幸せな生活。 それらが当たり前のようにあって、それを噛み締めながら生きてきたのだ。 これからだって、それが当たり前だと……。 『な、なんでデス!? 私がご主人さまにご迷惑をかけたデス!? それとも仔どもが何かしたデス!?』 「さあ、私に訊かれても何ともコメントのしようがないんだがね……」 『デ……』 トキは考えてみても、ここ最近迷惑をかけたことがなかった。 飼い実装になるため、厳しい躾とブリーダーの愛情で育ったトキは、 飼い主に迷惑をかけないことをすべて費やしてきたのだ。 何が悪かったの……? 考えてみても、思い浮かぶものはない。 いや、知らず知らずのうちにご主人様を傷つけていたのかもしれない。 そう思うと、胸が締め付けられる。 『デス……』 トキはいつの間にか涙を流していた。 捨てられたショックよりも、ご主人さまに嫌われてしまったことが辛かったのだ。 ご主人さま……。 許してください……。 仔実装たちも困惑しながらも、母へ擦り寄っていく。 トキは仔実装たちを抱きしめながら、すすり泣いていた。 「ショックなのはわかる。けれど、捨てられてしまったのは事実だ。 だけども、飼い実装として育ったキミや仔実装たちをこのまま外へ放り出すのもヤボだ。 どうかね? 里子として他のご主人様のもとへ行きたくはないか?」 「」野の言葉を聞き、トキは顔をあげた。 『私は、ご主人さまのもとへ帰りたいデス……。と言っても無駄デス?』 「ああ、無駄だね」 『……わかりましたデス。少しだけ考える時間をくださいデス』 「そんなに時間をかけてもらっても困る。キミたちの代わりに入院したい患者はいるんだ。 明日までに答えをくれ」 それだけ言うと、「」野は去っていった。 里子……。 もう、ご主人様と会えない……。 会いたい、ご主人さま。 トキの脳裏をご主人さまと過ごした楽しい時間が通り過ぎていく。 しかし、仔実装たちを見ると現実に引き戻される。 自分一人では外では生きていけない。 この仔たちを失ってしまうかもしれない。 それだけはイヤだ! トキはご主人との思い出を振り返りながら、仔実装たちを抱きしめ、夜を過ごしていった。 次の日、「」野はトキに返事を訊いた。 彼女の返事は「イエス」。 どうやら、一晩寝ずに結論を出したようだ。 目が充血し、少しばかり頬もこけているように思える。 賢い選択だ。 温室で育った実装石にとって、外の世界は地獄そのもの。 特に子連れで捨てられた場合、ほぼ確実に仔実装は環境に耐えられずに死ぬだろう。 良い選択だ。 それでこそ……。 「」野はトキ一家をケージから出すと、別室へ連れて行く。 広い室内。 室内にあるのは水槽が三つだけ。 水槽のひとつには、すでに先客がいた。 野良実装の一家だ。 身なりは綺麗にしているようだが、飼い実装と比べてしまうと服の質は歴然だった。 「」野の姿を確認すると、怯えるように親仔で抱きしめあう。 「」野は、空いている水槽へトキ一家をおろすと、部屋の真ん中へ移動する。 トキ、野良一家の両方へ笑顔を送った。 「これから、両家族には里子に送り出すためのテストを受けてもらうことになる」 『テスト……デス?』 トキが訊くと、「」野はニッコリ微笑む。 「ああ、そうだよ。キミたち一家は飼い実装だったけれども、すでに『ただの実装石』だ。 そちらの野良一家同様、差別なく受けてもらう。異論は?」 『……ないデス』 「そうだろうね。キミたちはただでさえ、躾を受けている。野良よりも条件は有利だ。 野良一家もOK?」 『はいデス……』 野良の親実装も恐る恐る同意した。 「やってもらうことは、1週間ほど、ここで過ごしてもらうだけだ」 『……それだけデス?』 「ああ」 簡単そうに思える試験内容を聞いて両家族は安堵の表情を浮かべた。 「ああ、『それだけ』だ」 その両家族を見て、「」野は心底不気味な冷笑を浮かべていた。 トキは、この部屋に来てから環境を見渡してみる。 自分の水槽にあるのは、トイレ、水、そして寝床となるタオルケットだけだ。 対面の水槽も同様のようである。 自分たちの水槽と対面の水槽の間にある、もうひとつの水槽が気になってしまう。 何も置かれていない水槽だ。 あれは何の水槽なんだろうか……? どちらにしろ、テストに合格して里子に出させてもらうしかないのだ。 それしか家族が皆助かる術はない。 ふいに対面の水槽にいる野良実装と目が合う。 あちらは恐る恐る頭を下げてきた。 トキも同様に頭を下げる。 あちらの仔どもも四匹。 全匹、親の影に隠れながらこちらへ目を向けていた。 こちらの仔どもたちもトキの影に隠れている。 『……あなたはどうしてここへ?』 トキは野良の親実装へ問う。 親実装は顔を向けて、小さく口を開いた。 『……飼い実装になるためデス』 『……?』 『……実は——』 野良の親実装は重い口を開いた。 彼女はとある公園の生まれだ。 ある日、「」野が現れ公園に住む全実装石に向けて高らかに宣言した。 「私の出す試験に合格したら、飼い実装にしてやろう」 その日から、公園はテスト会場と化す。 試験は様々だった。 競争、探し物、体力テスト、そして殺し合い——。 それらをパスして、目の前にいる彼女はこの場にいる。 『……私はたくさんの実装石を殺してここまで来たデス。 この仔たちの幸せのためにも、絶対に合格するデス』 『ママ……』 仔実装を抱きしめる野良実装の瞳は強い決意を映していた。 その気迫に気圧されそうになるが、トキだって負けていられない。 必ず、合格するのだ! この仔たちのためにも! トキはこの時、自らの決意の強さと彼女の決意の強さに差が生じていることに気づいていない。 野良の親実装は、例え他の実装石を殺しても飼い実装になりたかったのだ。 『殺す』という概念は、トキには芽生えていない。 ここに来て一日が過ぎようとしている。 トキは異変に気づいた。 『ママ……、お腹が空いたテチ』 『デス……』 ご飯が一向に運ばれてこない。 仔どもたちはすでに腹ペコ状態だ。 自分だってお腹が空いている。 育ち盛りの仔実装は一食抜いただけで大変なものだ。 対面の野良実装を見やるが、あちらもご飯を食べた様子はない。 グゥゥゥゥ……。 情けない腹の音が、両家族から発せられる。 そのとき、扉を開けて「」野が入室してきた。 彼は部屋の真ん中に来ると、開口一言。 「さて、テストだ。仔実装を一匹貸してくれないか?」 そう言うと、トキの水槽から仔実装を一匹取り出し、野良のほうからも一匹取り出す。 真ん中に置かれた何もない水槽へ仔実装をおろした。 「さあ、どうぞ」 「」野はそういうだけで、他は何もしない。 水槽に下ろされた二匹の仔実装は怪訝な顔つきで辺りと親を交互に見渡すだけだ。 親実装たちも「」野の真意が知れず困惑気味だった。 彼はただただ時計を見ているだけだ。 10分ほど経過したあと、「」野は「それまで」と言い、仔実装たちを元の場所へ帰した。 「じゃあ、明日もこの時間に来るから」 それだけ言い、この場を去ろうとした。 『ま、待ってデス! ご、ご飯をくださいデス! みんなお腹を減らしているデス!』 トキは去っていこうとする「」野に嘆願した。 「」野は鼻からフンと鳴らして言う。 「餌? そんなものはないよ。水とトイレ、寝床しか与えない」 『じ、じゃあご飯はどうやって——』 『デピャピャピャピャ!』 野良の親実装は突然笑い出した。 『お医者さま、あなたはやはりクズデス。やっぱり、そういうことデス』 彼女は何かを察したようだ。 『現地調達、デス?』 野良実装の言葉に「」野は笑顔を浮かべた。 「ああ、そういうことだ」 『? ? ?』 その時は、トキの一家だけが疑問符を浮かべていたのだった。 次の日。 仔実装たちは朝から腹を空かして、元気がない。 『ママ……、ご飯はまだテチ?』 『デス……』 トキは心底困り果てていた。 なぜ、ご飯をくれないのだろう? 空腹をガマンすることが里子に出される条件? トキにはそれが理解できない。 飼い実装になってから、空腹を体験していないトキと仔実装にはこの仕打ちは辛いのだ。 いままで決まった時間にご飯が出て、腹を満たしていた。 空腹なんて夢のなかの出来事だ。 野良になったら、こんな思いを日々体験せねばならないのか? そう思うとトキは戦慄する。 やはり、飼い実装に戻るしかない。 そのためにはテストに合格せねばならない。 きっと、ご飯を手に入れる術ぐらい身に付けないといけないに違いないのだ。 そうだ、野良実装が何かご飯について感づいていた。 それを訊いてみよう。 トキは野良実装に話しかける。 『……あなたはご飯の手に入れ方を知っているデス?』 『…………』 昨日よりもさらに無表情で野良実装は黙り込んでいる。 しばしの沈黙ののち、野良は一言だけ発した。 『……もうすぐ、ご飯の時間になるデス』 『……?』 やはり、トキには真意がわからなかった。 ある程度、時間が経ったとき、「」野が再び入室してくる。 昨日同様に、水槽から一匹ずつ取り上げ、真ん中の水槽へ下ろす。 「さあ、テスト開始だ」 また意味のわからない言葉を投げかけてくる。 だが——。 『やるデス! 相手をやるんデス!』 野良親実装が吼える。 『ヂィィィィィィィ!』 親の咆哮を聞いた野良の仔実装は、途端にトキの仔に向かって走り出す。 その双眸には危険な色が映し出されていた。 『テ?』 いまだに状況が飲み込めないトキの仔実装が、腹に一撃を食らう。 野良の仔実装が頭突きをかましたのだ。 『デチィィィ! 死ねデチィィィィィ!』 野良の仔どもは狂ったように、倒れたトキの仔実装に馬乗りで殴りかかる。 『ヂャァァァァッァァァァァァッァァ!!』 トキの仔実装は痛みと恐怖で悲鳴をあげる。 『デ!? デズゥゥゥゥゥ! 止めてデスッゥゥゥゥ!』 トキは突然目の前で繰り広げられ始めた信じがたい光景を見て、水槽を叩いた。 『先生! 助けてあげてデスゥゥゥ!』 涙を流して懇願するトキを、「」野は鼻で笑った。 「これがテストだ。そして、『ご飯』だよ」 『???? 何をいってるデス? 『ご飯』って何デス!?』 『ママァァァァァァァッァァァァァァ!!』 こうしている間も可愛い我が仔は暴力を受けている。 顔が腫れ、鼻から目から口から血を流していた。 『デチィィィィ! デチィィィィ!』 野良の仔どもは嬉々として手を振り下ろす。 実力の差は歴然だ。 温室育ちの仔実装は暴力を知らない。 生まれてからずっと暴力の世界で生きてきた仔実装に初めから勝てるわけがなかったのだ。 仔実装の悲鳴が室内を駆け巡っていき、 トキの傍にいる仔実装たちは眼前の地獄を見て、トキにしがみつき恐怖から糞を漏らしていた。 「さあ、終わりだ」 「」野は野良の仔実装の暴力を止めると、仔実装を野良のもとへ戻す。 そして、体中から血を垂れ流すトキの仔実装は、 トキのもとへは帰らず野良一家の水槽へ入れられた。 『なんでデス!? その仔をどうしてそっちに持っていくデス!?』 トキの疑問に「」野は答えない。 そんなものを尻目に野良実装はトキの仔実装を掴む。 『ヂィ……』 体中を腫れさせて、弱弱しく鳴いているトキの仔実装。 『デス!』 ガブリ! 『ヂッ!』 ブチン! 野良実装はトキの仔どもを頭から齧り付き、一気に頭部を噛み千切った。 頭部を失った首元から、血が飛び出る。 トキとトキの仔実装は、目の前で何が起こったのか理解できないでいた。 野良はさらにトキの仔実装を歯で噛み千切り、自分の仔実装たちに分け与える。 野良の仔実装たちは至極普通にそれを口に入れていく。 『テチュ〜ン。お肉美味しいテチュ』 クチャクチャ。 『よく噛んで食べるデス』 ペチャリペチャリ。 『ママ、元飼い実装は美味しいテチ』 ムシャリムシャリ。 ナニ ヲ シテイルノ? 私の仔どもが食べられている? え……。 だって、それは食べ物じゃないでしょ? それは仔実装……。 私の可愛い可愛い仔ども。 将来が楽しみな仔ども。 共に幸せになろうと誓い合った大切な仔ども。 どうして——。 どうして、食べるの? 我が仔が食われる光景を呆然と見ているトキに、「」野は言う。 「飼い実装のおまえにはわからないかもしれないが、野良実装は共食いするんだよ」 トモグイ? 何、それ。 「目の前のとおりだ。実装石ってのはな、腹が減れば同属を食らうんだよ。 テスト期間中、餌が与えられないとわかった野良のほうはすぐに理解したようだ、システムに。 真ん中の水槽に仔実装が入れられたとき、戦って勝ったほうが餌を得られるってね。 そう、餌は仔実装だ」 『お肉美味しいテチュ』 『デギァァァァァァッァァァァァッァァァァァァーーーーーーーーーーーーッッ』 トキの絶叫が室内に鳴り響いた。 その日から、野良仔実装たちはヨダレを垂らしながら、こちらを見るようになった。 『美味しそうテチュ』 『早く食べたいテチ』 『お肉お肉お肉テチューン♪』 『静かに待つデス。時間が来れば、活きのいいお肉が食べられるデス そのためにもお前たちには頑張って暴れて欲しいデス』 『任せてテチ! あんな元飼い実装ごとき私たちがボコボコにして肉を締まらせてやるテチュ!』 彼女達がトキの仔を見る目は、すでに狩人のそれだった。 『ママ、なんでオトモダチが私たちを食べるテチュ!?』 『イヤテチュ! 食べられたくないテチ!』 『お家に帰りたいテチュ……。ご主人さまに会いたいテチュ……』 仔どもたちは恐怖に彩られ、身を震わせてトキの傍を離れない。 『こんなの嘘デス。どうして同属同士が食べあわなくちゃいけないデス!』 トキはただただ我が仔を抱きしめながら、理不尽な現実に震えていた。 そんなトキ一家をよそに「」野は三度現れる。 「さあ、テストだ」 彼は野良一家から仔実装を取り出す。 『頑張るデス』 『お姉ちゃん、お肉よろしくテチ♪』 『任せるテチ! 餌を取ってくるテチュ』 野良の仔実装はやる気十分のようだ。 「さあ、こちらも」 「」野はトキのいる水槽にも手を入れて、仔実装を取り出そうとする。 『ヂィィィィィ! イヤテチュゥゥゥゥゥ!』 『デェェェェェェエ! この仔たちは渡さないデスゥゥゥ!』 「うるさいな。テストを受けると言ったのはキミたちだぞ? 私を失望させるな」 「」野はトキを一発殴ると、近くにいた一匹の仔実装を取り出した。 『ママ! ママ! ママァァァァァァァァッァァ!』 仔実装は涙と糞を垂れ流しながら、「」野の手の中で暴れる。 しかし、「」野は意にも関せずに真ん中のバトルフィールドとなる水槽へ仔実装を入れていく。 『ヂャァァァァァァァァ!』 水槽に入れられたトキの仔実装は母のほうへ逃げようとするが、水槽の壁が親仔を分かつ。 『デェェェェェェェェ!』 トキも水槽にへばりつき、我が仔を助けようと水槽の壁を叩き続ける。 そのトキの視界には、野良仔実装が笑いながら我が仔に迫る姿が映りこんでいた。 このテストは最初にシステムに気づき、最初に餌を食らったほうの勝ちだ。 腹が減っている状態では、同属の味を知り、腹も満たしているほうに勝てるわけがない。 無知なほうが死ぬ。 たとえ、飼い実装で、躾を覚え、愛情深くても『賢く』なければ死ぬのだ。 真意に気づく。 それをなさねば生き残れない。 幸せに生き、幸せを願うだけではダメだ。 『ヂャァァァァァァァッァァァァ!!』 今日もトキの仔実装が、野良の仔実装に嬲られ、野良一家の腹に収まっていく。 『ママァァァァッァァァァーーーーーーーーー!!』 『うるさいデス!』 『今日は踊り食いテチ』 『ママ、臓物が美味しいテチ♪』 『イダイデチィィィィ!! タベナイデェェェェェェェ!!』 仔実装は生きたまま、足を食われ、手を食われ、ハラワタを食われていく。 『ヂッ……』 パキン。 偽石の割れる音が響く。 絶望的な表情を浮かべたまま、トキの仔実装は死んだ。 トキは、水槽の隅に座り込みブツブツと独り言を呟いていた。 手元に仔実装は一匹もいない。 すでに野良一家に食われたのだ。 彼女は三匹目が食われたとき、泣くことを止めた。 信じがたい現実から逃れるためもあったが、野良実装の一言が決め手になっていた。 『仔実装なんて、里子になってから産めばいいデス。親だけ生き残るのも手デス』 それを聞いたとき、彼女のなかで何かが変わった。 最後に残った我が仔が連れていかれても威嚇することもなく、すんなりと「」野に渡したのだ。 『ママァァァ!?』 母の意外な行動に最後の仔実装も涙を流して、ジタバタと母を最後まで呼んでいた。 その仔も先ほど、食われてしまったわけだが。 ゲプッ。 野良一家のゲップが聞こえてくる。 我が仔を食ったあとのゲップだ。 最初は酷い嫌悪感に苛まれたが、いまではどうでもいい。 次の仔は幸せにしてやろう。 いまはそれだけで頭がいっぱいだった。 里子になることが最優先である。 そのあとで、新たなご主人のもと、仔を産もう。 仔さえ産めればそれでいい。 『デププ』 彼女はいつしか嫌な笑みを浮かべていた。 約束の五日後——。 「キミたちは合格だ」 仔実装を食らった野良の一家と、五日間何も食べずに痩せ細ったトキは合格を得た。 『これで飼い実装デス♪』 『テッチュー♪』 野良一家が満面の笑みで部屋を連れ出されていく。 残されたトキのもとへ「」野が戻ってくると言った。 「さあ、次はキミの番だ」 そのとき、トキは「」野に何かを噴きかけられ、酷い眠気に襲われる。 そして、彼女は昏倒した。 次の日。 トキは「」野に起こされ、野良一家の見送りをさせられていた。 幸せそうな笑みを浮かべ、野良一家は里子先の人間に連れられていく。 野良の親実装が、最後にこちらへ嘲笑を向けたが、そんなことは今ではどうでもいい。 「あいつらを持っていった飼い主は虐殺派だ。あっちに行った直後から地獄が始まる。 素晴らしいね」 「」野がそんなことを言ってくるが、それもどうでもいい。 いまは里子先の新たな主人のもと、早く仔を作りたい。 新しい仔実装たちに『幸せ』をあげたい。 「さあ、キミの新しい主人が来たぞ」 優しそうな女性が姿を現す。 この人が新しいご主人さま……。 もう二度と、捨てられてたまるか。 私は仔どもと共に幸せになるんだ。 そのためなら、何度でも人間に頭を下げてやろう。 言うことだって聞いてやる。 私と仔実装さえ、幸せなら、それでいい。 彼女は思考はすでに狂い始めていたのだ。 「こんにちは」 新しい主人が挨拶してくる。 『こんにちはデス』 トキは頭を下げながら、キチンと挨拶する。 最初は肝心だ。 なんとか、人間の機嫌を取らねばならない。 「あら。ちゃんと挨拶出来るのね。偉いわ」 当たり前だ。 私は元飼い実装。 そこら辺の腐った実装石どもと一緒にするな。 「…………?」 新しい飼い主は、トキの顔をジロジロと訝しげに見ている。 「ねぇ、先生。どうして、このコは片目が『青い』の?」 ……青い? 「ああ、以前飼っていた彼女の飼い主さんが、最後に避妊手術をしてくれと言ってきましてね。 こうして、片目を青い義眼にするんです。実装石は目の色の変化で簡単に妊娠、 出産してしまいますからね。こうすれば安心です」 ……避妊? 「じゃあ、このコ、仔ども産めないんですか?」 「ええ。完璧な手術をしました。 たとえ、義眼をくりぬいても妊娠出来ない最新の手術を施しましたよ」 トキは近くあった鏡を覗き込む。 青い目。 避妊? 産めない? 何を? 仔実装を産めない? トキは「」野を見上げる。 彼は笑顔で言ってきた。 「キミが眠っている間に手術したんだ。 キミは二度と仔どもが産めない体だよ。飼い主さんと仲良くね」 仔どもが産めない……。 幸せは……。 私と仔どもの——。 『いいデス? おまえたちはきっと幸せになるデス。だから良い仔にするデス』 『わかってるテチ、ママ。私たちはイイ仔になるテチ』 『そうテチ。ご主人さまの言うことをいっぱい聞いてお役に立つテチュ』 デギャァァァァッァァァッァァァォオオオォォォォォーーーーーーーッッ!! その日、一匹の実装石の絶叫が院内を包み込んだ。 プルルルル。 電話に呼ばれ、「」野は受話器を手に取る。 「もしもし。こちら「」野クリニックです」 『こんにちは、「」野先生』 女性の声だ。 「」野は聞き覚えがあった。 「おや。この声は……」 『はい。トキの飼い主です』 「これはこれは。ビデオはどうでしたかな?」 『はい! 最高でした! やっぱり、愛情深い親仔が壊れていく様は最高ですね!』 ビデオとは、『テスト』中の光景を収めたビデオのことだ。 トキの仔実装が野良に食われていく様は好評のようである。 「ハハハ。あなたもすっかり『賢く愛情深い糞蟲を虐殺する会』の会員ですな」 『本当、入会して正解でした』 彼女は、「」野にこう言ってきたのだ。 『トキには想像出来ない実装石の世界を見せてやってください。 その上で避妊手術をしてください』——と。 彼女は短期間で『賢く愛情深い糞蟲を虐殺する会』でも有名な会員となっていた。 その理由は、とにかく愛情深い実装石に避妊手術を施すからだ。 金もすべて彼女が出している。 バカに出来ない手術代も彼女は嬉々として捻出した。 すべては愛情深い実装石が崩壊する様を見るためだ。 トキは、真実を知ったあと、精神を崩壊させた。 ヨダレを垂らし、時たま子守唄を歌うだけの肉塊へ変貌したのだ。 彼女はその壊れた実装石を引き取り、さらに虐待を加えているという。 トキをもらいにきた里子の女性は、トキの飼い主の友人だ。 『トキって名前は以前飼っていた碧(へき)という糞蟲と、 その友達のトコって糞蟲の名前を一文字ずつ取った名前なんですよ〜。 もう、高いお金を払って買ったときから名前は決めてたんです。 本当、デタラメな出産するんで、9匹いた仔実装は5匹を里子に出すと言って、 全部にこの世の地獄を見せてやったんです。 いまはそのときの風景をトキにビデオで見せてるんですよ〜。ほら』 デギャアァァァァァァァ 電話口から、トキらしき実装石の悲鳴が聞こえてくる。 『アハハハハハハハッハハハハハハハッハハハハハハーーーーーー!! 楽しい! 楽しいですよねぇぇぇぇ! 本当、こいつら殺すの楽しすぎ! アハハハハハッハハハハハハハハーーーーーーーッッ!!』 狂っている。 この女性も狂ってしまっている。 以前、友人の糞蟲師から避妊に拘る虐待師がいるとは聞いていたが、確実に彼女のことだろう。 この女も、実装石に狂ってしまった者の一人だ。 自分も入会している『賢く愛情深い糞蟲を虐殺する会』。 そこにはまともな人間などいない。 全員が狂っている。 「そろそろ、予約の方がいらっしゃるので、いずれまた」 笑い続ける彼女に「」野はそう言うと、電話を切った。 息をつき肩をすくめる。 「さて、殺めた分、助けてやりましょうかね」 わかっている。 自分も実装石に狂っている。 糞い巨塔 Ⅱ 完 ----------------------------------------------------------------------- 前回の感想ありがとうございます。 糞蟲師の最終話とネタがカブりますが、彼女のその後ということで。
