俺の職場の友人にいわゆる虐待紳士がいるんだが、これがまた地味な奴で、本当にそれが 虐待なのかどうかさえ疑わしい。奴曰く「俺には俺のこだわりがある」なのだが。 それを問うと自分の虐待法を見せてくれることになった。 休日。 待ち合わせ場所で待っていると友人の車が現れる。「よお」 「デスゥ!」助手席には実装石が乗っていた。ベビーシートできっちりと固定されている。 「…」いきなり先行き不安だ。 「乗れよ」 「あ、ああ」 俺が乗り込むなり友人は車を発進させた。「ちょっと遠回りするけどいいか?」 「いいけど、どこに行くんだ?」 「いいからいいから。じゃあ…行くぜ!」 いきなりロケットスタート。 「うおっ!」背中がシートに押し付けられる。 友人はガンガン速度を上げ、カーブもタイヤが鳴るのは当たり前。普段のコイツの性格から は考えられない激しさだ。 「デゥ…気持ち悪いデスゥ」 「そうか?」 「もうだめデス、もどしちゃうデ…」 「もどしたらあと一周追加な」 実装石は口を押さえて耐える。額からは脂汗がにじみ出ている。実装石の冷や汗なんて 初めて見た。確かに苦しそうではあるが。 「もしかしてこれが…」 「そう。虐待」 「………地味」 「さあ着いたぞ」車がきゅっと止まる。 実装石は車を降りるなりゲロゲロともどし始めた。「デロデロデボォ…ッ」 「…」前言撤回。かなり苦しそうだ。 「デボッ…デホッ…デゲゲゲロ…」 「大丈夫か?」思わず背中をさすってやっていた。 「だ、大丈夫デスゥ…」実装石は口を拭う。 「何やってんだよ。早く入れよ」一方の友人は飄々としたものだった。 「飯は?」 「いや。まだ」 「じゃあ作るか」 「ワタシもお腹すいたデス〜!」 「はいはい。じゃあゴハンにしようね」 「餌は?」 「最近はちょっと凝っててね」 「お、期待させてくれるね」とうとう本物の虐待が見れるのかと思うと素人ながらに どきどきする。 「いや、これなんだけど」 友人が見せたものはただのカップラーメン。っていうか実装石には贅沢過ぎるだろう。 友人は実装石が火傷しないよう温めのお湯で戻して、実装石に与える。 「オマエ、いっつもそれデスゥ」どこかで聞いたような台詞だ。そしてズルズルと すすり始める。もちろん手で。 「これのどこが虐待なんだ?むしろ愛…」 「わかってないな。毎日毎食これを食わしてるんだぜ?」 「なんて贅沢なんだ」 「お前、大丈夫か?毎食これだけしか食わしてないんだぞ?」 「カロリーは取れてるだろ。飢え死にするわけじゃなし…」 「デッ…」麺をすすっていた実装石が小さく声を上げた。「痛いデスゥ」 「おお。お前もやるねぇ。針でも仕込んだのか?」 「いや?何も?」 「はぁ?じゃあ何でコイツが痛がるんだよ」 「口内炎のトコ噛んじゃったデスゥ…」 「こ、口内炎?」実装石にそんなものができるなんて初めて知ったぞ。 「毎日カップラーメンなんか食ってたら栄養偏るよね」 「………地」 「可哀想だからオカズもつけてあげるね」 「本当デス?嬉しいデス!」既に口内炎の痛みなど忘れてしまっている。 「ほら、お前の好きなお刺身だよ」 「デッスゥン♪」カップラーメンそっちのけでかぶりつく実装石。 「おい、お前、本当に虐…」言いかけた時 「デヒッ…」再び声が上がる。「お醤油しみるデスゥ」 「………地味」 そして食後。 俺、友人、実装石のそれぞれがまったりと過ごす。しかし俺は気づいてしまった。 「この家具、なんかおかしくないか?」 机や箪笥、どれもぱっと見は普通なのだが床に近い部分にいびつな段差がついている。 といっても5センチほど幅がついているだけなのだが。 「ま、見てなよ」 「おトイレ行くデスー!」どてどてと実装石が走り出す。が「デァッ!」突然つまずき 「痛いデスゥ!痛いデスー!」足を押さえてごろごろと転げまわる。 「な、何が起きた?まさか電撃床?」 「そんな野暮なもの使うわけないだろ」 「で、でも…」 「小指ぶつけたデスゥ!」 「…」 「ほら、下の部分が段差になってるだろ?実装石って足元に目がいかないから、目線の 高さで大丈夫だと思ったら、そのままいっちゃうんだよね」 「まさかこれだけの為に家具全てを?」 「いいや。これだけじゃないさ」 やがて痛みの峠を越えた実装石がムクリと起き上がる。「痛かったデス」 「何もないじゃんかよ」 「まあまあ」 「ささくれ出来ちゃったデスゥ」 「な?」 「………地味」 「お、もうこんな時間か。そろそろ帰るわ」 「そうか。まだいろいろあるんだけど」 「いや。帰るよ。じゃあ、また明日な」 「送ってくよ」 しかし俺の中には何か釈然としないものが残った。これで本当に虐待と言えるのだろうか? もちろんそれは程度の違いに過ぎないというのも分かるし、その程度が各人異なるのも わかっているつもりだ。しかしこれは、違うのではないか? 友人の中のどこかでは良心に近いものが、虐待を拒んでいるのではないか?だからこそ こんな地味な形になっているのかもしれない。こういうタイプが一番危ない。そのうち 虐待してるのかどうか分からなくなって、気が付くと愛護派になり、実装石に振り回されて しまうようになるのだ。 どうやら俺の悪い予感は当ってしまったらしい。 その友人は近頃付き合いが悪くなった。飲みにいこうと誘っても「カネがないから」と 断られる。そしていそいそと帰宅してしまうのだ。飼っているあの生き物が関係している のは明らかだった。当然俺も友人として心配だ。実装石にはまりこんでしまった為に 人生駄目に、とはいかないまでもぎりぎりの奴は大勢いる。 「なぁ。お前、あの実装石にちょっとのめりこみすぎじゃないか?」 「そう、かな」友人の表情が曇る。図星か。 「給料もつぎ込んでるんじゃないだろうな」 「…わかるか?」 「モロバレだ。まさか情が移ったわけじゃないよな?」 「いや。そういうわけじゃないんだけど…」 「じゃあ何で給料つぎこんだりするんだよ!デパ地下でお前が高級惣菜買い込んでるの 見た奴だっているんだぞ!」とうとう言ってしまった。ここまで追い詰めるつもりは なかったのだが。 「…ばれちゃ仕方ないか」 「じゃあ認めるんだな?」 「認める。でも奴に情が移ったわけじゃないのは絶対だ」 「じゃあ一体何のつもりで…」 「わかった。特別に見せてやるよ」 「上がって」 「お邪魔します」友人は情が移ったわけではないと言っていたが、それも怪しいもんだ。 高級食材まで与えて何が虐待だというんだ。一時期流行った「上げ落とし」でもやる つもりか?内心、溺愛されて付け上がった実装石がこの家にいると思うと敷居をまたぐのも 気が引ける。見た瞬間にぶっ飛ばしてしまいそうだ。 「どうしたんだ?上がれよ」 「いや…」しかしどうも様子が違う。いつもなら客人がくるなりかまってもらいに来るはずの 奴が姿を見せない。家の中も静かなものだ。「…アイツは?」 「だからそれを見に来たんだろ?まあこっちに来て見てみろよ」 友人が案内してくれたのはいつも寝室に使っている部屋だった。部屋の真ん中には布団が あり、そこにいるのは実装石。手厚い介護を受けているようだ。 「…やっぱり」悪い予想が当ってしまった。結局こいつには虐待なんか無理なんだ。 「ただいま」友人の優しい声がそれを物語っている。 「お帰りなさいデス…寂しかったデス」 「ごめんな。今日のお土産は豚の角煮カレーだよ」友人は今日も帰りにデパートに寄って 買った惣菜を鞄から出す。 「いつもごめんなさいデス」 「…」いたたまれなくなって出て行こうとしたが 「もう帰るのか?」 「悪い。俺にはもう…」見ていられない。同情と嫌悪感がない交ぜになっていた。 「これからがいいところなのに」友人はぱっと布団をめくる。 「え?」 「行くぜ!」 そして床に臥せっている実装石の足を、吹いた。 デギャァァァアアアアアッ! 「え?え?」突然の絶叫に俺は固まる。 「もういっちょ!」友人は再び実装石の足に息を吹きかける。 再び絶叫。 「デギャギャァ!フーフーしないでデスゥゥゥウウッ!」 「な?」 息を吹きかけられるだけで、風が吹くだけで痛い。つまり————痛風。 たったこれだけの為に給料をつぎ込み、高級食材を食わせ続けていたのだ。痛風が贅沢病 といわれる所以を見事に実践した友人の根性には脱帽するしかなかった。 奴らしい、実に地味で、そしてまた遠大な計画だった。 ともすれば「もっと痛みを、もっと苦しみを」と、どんどん残酷になっていく、際限のない 虐待が主流を占める中で、奴の虐待はハッキリ言って受け入れられないだろう。 しかし奴は言う。 「派手なだけが虐待じゃないのさ」 羨ましいと思わずにはいられなかった。その笑顔に見え隠れする、どこか職人然とした誇りを。
