『殺したい糞蟲』2 ────────────────────────────── サングラスとマスクをつけた人間と実装石は顔を見合わせると、同 時に頷いた。仕事をやり遂げたことを確認する。二人の前には、大 きな麻袋。中にいるジョゼフィーヌが暴れ、形が定まらない。 「デスデスデス、お前らタダじゃおかないデス!」 「おい、これが本当に金のなる木なのか?」 「はい、この実装石は優良種なんデスゥ」 「優良種ねぇ」 男は首をかしげて麻袋を見つめる。 「デッスゥーッ!」 袋の中から叫び声。 「おい、どうした?」 ここで死なれては元も子もない。 「うんこ出たデスゥ」 眉をひそめ、顔を見合わせる男と実装石。 意を決して、男は縛っていた紐を解き、袋を開ける。こみ上げてく る臭気。マスクをしていたことに感謝しつつ、中の実装石を確かめ ようとしたところ、袋の中からパンチが繰り出された。豆腐も潰せ ないほどの威力だが、当たり所が悪く、サングラスが飛ぶ。 「て、てめぇ」 「デシャアアア!」 威嚇するジョゼフィーヌ。 次の瞬間、漏らした糞を手に取ると、男に投げつけ始めた。身をか がめて避ける。壁に緑色の染みができる。 「だぁ、何てことを」 振り返って被害を確認した男の後頭部に、今度こそジョゼフィーヌ の糞が命中した。 「だああ」 「デププ、愚かな人間デスゥ。早くワタシを家に連れて帰るデスゥ」 「おい、マロン」 男は、タオルを手渡してくれた自分の実装石に言う。 「この糞蟲、虐待しちまっていいか?」 「としあきさん、駄目デスゥ。虐待したら、後々面倒デスゥ」 タオルで糞を拭き取ると、怒りに任せてジョゼフィーヌに投げつけ る。 「ああ、臭え。俺はシャワー浴びてくるから、マロン、お前こいつ を縛っとけ」 マロンと呼ばれた実装石は、渋々といった様子でジョゼフィーヌに 近づく。 「デシャアアア!」 「デ、デー」 ジョゼフィーヌの威嚇に怯み、尻餅をつくマロン。 「デププ。飼い主も間抜けなら、お前も間抜けデス」 ジョゼフィーヌは自ら袋から出ると、袋で尻を拭き、マロンを無視 して部屋の中をうろつき始める。 「本当に粗末な家デス。こんな家で暮らすお前が惨めデス。デププ のプ」 ジョゼフィーヌが暮らしていたのは70平米を超えるマンション。今 いるのは築20年を超える1Kの安アパート。ワンルーム・マンショ ンと違い風呂とトイレが別になっているのが救いだが、安普請で、 ジョゼフィーヌが歩くだけでぎしぎし床が鳴く。家具らしいものは なく、未開封のダンボールが多いことから、つい最近引っ越してき たばかりであることが窺えた。 「食べる物はどこデスー」 ジョゼフィーヌはキッチンへ行き冷蔵庫の扉を開く。 「ロクなものがないデスー。貧しい食生活デスー」 中にあるのは発泡酒が3本、それにマヨネーズとケチャップ。ジョ ゼフィーヌは目ざとく、冷蔵庫の奥にコンビニエンス・ストアの袋 に入ったままのプリンを見つけた。 「まずそうなデザートデスゥ。でも、我慢してやるデスゥ」 「駄目デス!」 マロンは飛び起きると、冷蔵庫に向かって駆け出した。 「それはワタシたちのデスゥ!」 勢い余って冷蔵庫の扉に激突する。 「デギャッ!」 冷蔵庫の扉に挟まれたジョゼフィーヌは、絞め殺された豚のような 悲鳴を上げ、そのまま気を失った。 浴室からとしあきが出てくる。冷蔵庫の前で、泡を吹き、床に伸び ているジョゼフィーヌを見つめる。 「マロン、虐待はなしじゃなかったのか?」 ※※※ 「こんな不味いもの、食えるかってんデスゥ!」 ジョゼフィーヌは与えられた実装フードに唾を吐くと、自由になる 足で皿を蹴り飛ばした。実装フードがマロンの顔に当たる。 「てめぇ、親切で食わせてやろうってのに」 「こんな不味いもの食べるくらいなら、死んだほうがましデスゥ」 「ワタシたちの食べ物を分けてあげているのにデスゥ……」 マロンは床に散らばる実装フードを集め、ジョゼフィーヌの唾を手 で取り除く。皿に入れ、もう一度ジョゼフィーヌの前に置く。置く や否や、ジョゼフィーヌの足がマロンの右手ごと皿を蹴った。 「デププ、聞こえなかったデス? こんな不味いものじゃなく、美 味しい食事を用意するデスゥ」 「この糞蟲が!」 「冷蔵庫の中にプリンがあるデスゥ。それで我慢してやるデスゥ」 マロンがとしあきを見上げ、ゆっくり頷く。 「お前……。あれはこの計画がうまくいった時のご馳走にって」 「いいんデスゥ。ジョゼフィーヌさんに無用なストレスを与えて偽 石が自壊してしまったら元も子もないデスゥ」 「何つべこべ言ってるデス? 早く持ってくるデス」 プリンを意地汚く食い散らかしたジョゼフィーヌは、鼻ちょうちん をふくらませながら寝ている。マロンととしあきは、人質が眠った のを見計らって、部屋の隅に置かれた1箱のダンボールを開く。 「テチュー!」 「大きいママと小さいママテチュー!」 「お腹空いたテチュー!」 中にはマロンの仔実装が3匹隠れていた。 「さ、これを食べるデスゥ」 マロンは実装フードをポケットから差し出した。文句をつけつつも、 ジョゼフィーヌは床に散らばった実装フードを再び集めさせ、その 殆どをむさぼり食った。マロンが仔実装に差し出したのは、その残 りである。仔実装たちは出されたものをたちまち平らげた。 まさかとは思うが、ジョゼフィーヌが同族喰いをしないとも限らな い。そこで家の中でダンボール・ハウスを用意し、マロンはその中 に仔実装を隠しておいたのである。 「まだここにいないといけないテチ?」 「お外に行きたいテチー」 「ママと一緒に遊ぶテチー」 仔実装たちは口々に不満を述べる。しかしマロンに似て賢い仔実装 だ。マロンが宥めると、「いい仔にしてるテチー」とおとなしくな った。 目を細めてマロンたちを見守っていたとしあきは、意を決し、バイ ト先のコンビニエンス・ストアの公衆電話へ向かったのだった。 ※※※ 「それで、うまくいきそうなんデス?」 「飼い主がセコい奴でさ、身代金50万円まで値切られたよ」 「デスゥ……」 もともと落ちている肩を、さらに落とすマロン。 「まあ、50万円もあれば、少しは借金も返せるし、しばらくは楽に 暮らせるさ。そのうち、俺も定職に就くし」 実装石を励ますようにとしあきは言う。 としあきは4年間勤めた会社を辞め、脱サラした。このまま会社勤 めを続けるより、大学の先輩が紹介してくれたダイエット健康補助 食品ビジネスで身を立てることに魅力を感じたのだ。「ネットワー ク・ビジネス」だとその先輩は説明し、としあきは大いに魅力を感 じたものだが、何のことはない、昔で言うところのネズミ講、今で 言うマルチ商法だったのである。 最初のうちは、うまくいった。会社勤めをしていたのでは得られな い収入を手にした。としあきがマロンを飼い始めたのはその頃だっ た。 しかし、程なくして製造元が無限連鎖防止法で訴えられた。製造元 は計画倒産を決め、としあきのもとには大量の在庫が残った。人の 好いとしあきにつけ込み、「子」が在庫を無理やり引き取らせたの である。儲けた金はその時の買い入れで全て消えた。ばかりか、消 費者金融で借金をする羽目となった。その総額、300万円。 借金を返済し、全てをやり直そう。飼い実装を誘拐し、裕福な飼い 主から身代金をせしめる──それがとしあきとマロンの計画だった。 奪った身代金は、いつか余裕ができたら返そう。 ターゲットを決めたのはマロンだった。同じペットショップで売ら れていたあの仔、ビューティ・コンテストのチャンピオン実装の血 を引くあの仔なら身代金を要求できる筈だ。 「ワタシはあのマンションで暮らすことになるデスゥ」 隣の豪華なケージに一匹だけ入れられた仔実装、後のジョゼフィー ヌが、マロンたち普通の仔実装に自慢する。 「ま、お前たちはせいぜい貧乏暮らしがお似合いデスゥ。それでな ければ不細工で引き取り手がなく、保健所送りになるデスゥ。デプ プのプ」 思い出すだけで腹が立つ、筈だが、醜く成長した今のジョゼフィー ヌを見ると、怒る気にもならない。仔実装の頃から性格は糞蟲だっ たけど、珠のように可愛かった。輝いていた。それが今は、手足の 肉はたるみ、豪華な服が張り裂けそうなくらい、腹に脂肪がついて いる。口をだらしなく開け、涎を垂らしている様を見ていると、不 思議と憐憫の情が湧いてくる。 首を振り、ため息をつくマロン。どうしてこう、何もかもうまくい かないのだろう。 ※※※ 翌日、男は部屋を片付けると、上機嫌で冷蔵庫からビールを取り出 した。 「独り身に、乾杯!」 一気に飲み干すとソファにごろりと転がってテレビをつけた。糞蟲 がいないというだけで、こんなに清々しい気分になれるなんて。こ んなことならあの糞蟲、もっと早く処分するんだった。そうしたら もっと器量の良い仔実装を買ってきて……。男は「デププ」と糞蟲 の笑いを真似てみた。 電話のベル。 「金は用意できたのか?」 「何、何だって?」 テレビの音が大きくてよく聞こえない。もちろん、真面目に話を聞 くつもりもない。 「か、ね、だ! 50万円用意できたのか!」 「ああ、すまん。まだだ。もう少し待ってくれ」 男の意識はテレビのお笑い番組に集中していた。 「お前、可愛い実装石がどうなってもいいのか?」 「いいよ」 ポロリと本音がこぼれる。いやいや、無用な警戒心を犯人に与えて はいけない。業を煮やして犯人がジョゼフィーヌを殺害する、とい うのがシナリオだ。そうそう、そろそろ警察に届けなくては。「事 件」扱いにしなければ、保険金が下りない。 「……じゃない、わかった。ちょっと待ってくれ。俺も今、苦しい んだ」 「明日までだ。明日までに用意しなければその時はジョゼフィーヌ の命をないものと思え」 がちゃりと大きな音を立て、電話は切られた。 「さらば、ジョゼフィーヌ! こんにちは200万円!」 そう言うと男は、受話器に勢いよく口づけした。 ※※※ 「まったく、あいつはどういうつもりだ!?」 としあきは怒りに任せて公衆電話の受話器を叩きつけた。肩を怒ら せながら、アパートへ急ぐ。 「自分の実装石が可愛くないのか!?」 ジョゼフィーヌを思い出す。可愛くない。糞蟲だ。 ※※※ 未だ椅子に縛られているジョゼフィーヌの、食事の世話、下の世話 はマロンの仕事だった。としあきが2回目の脅迫電話をかけに行っ ている間、濡らしたタオルで体を拭いてやっていた。 「デププ、私の下僕と話はついたデス?」 マロンがそれに答えないと、ジョゼフィーヌは言葉を続けた。 「ま、あの下僕、金回りは良いみたいデス。可愛いこのワタシのた めなら100万だって200万だって、ポンと出すデスゥ。そんなはした 金、貧乏なお前らにめぐんでやるデスゥ」 マロンは手の動きを止めた。 「だったら良いんデス……。50万円でも渋っているデスゥ」 「50万円!? このワタシがデスゥ?」 「それでも渋られているデスゥ」 「デギャアア」 プライドを大いに傷つけられたジョゼフィーヌは上半身を左右に大 きく揺らす。 「あの下僕、クビにするデスゥ! 殺してやるデスゥ!」 そう叫ぶと、ぼとぼとと糞を漏らした。掃除のやり直しだ。 床を掃除するマロンを見て、ジョゼフィーヌはふと気づく。 「お前、貧乏なくせに髪の毛がきれいデスゥ」 「毎日石鹸シャンプーしているデス」 「石鹸シャンプー? デププ、かわいそうデス」 「髪の毛と頭皮の汚れがきれいに落ちるデス」 自分の髪の毛を見るジョゼフィーヌ。仔実装の頃は、毎日下僕がシ ャンプーしてくれた。成体になってからは自分でしたが、段々面倒 になって放ったらかし。滑らかだった髪も、今や痛み放題。手入れ が全くなっていなかった。 よく見れば髪の毛だけではない、服もきれいだ。最初から身に着け る、例の粗末な服ではあるものの、丁寧に洗濯され、柔軟剤だろう か洗剤だろうか、良い香りがジョゼフィーヌの鼻腔をくすぐる。 ちょっと待つデス、よく見ればマロンは実装石としてはずいぶん可 愛い部類に入るんじゃないデス? ジョゼフィーヌは贔屓目なしで そう思った。すぐに「ワタシほどじゃないデス」と、他人を否定し て自分を肯定しなければ気が済まない糞蟲の性が顔をのぞかせたが。 「お前、この縄を解くデス」 「デスゥ!?」 「嫌なら、偽石を自壊させるデス。人質がいなくなったら、お前た ちに身代金は入らないデス」 渋々マロンは縄を解く。その縄を、ジョゼフィーヌが乱暴に奪う。 可愛かった仔実装の面影もなく、今の自分は醜く成体になった。た るんだ腹で、自分の足元も見えない。それに比べて目の前のマロン。 血統も何もない、ただの駄実装の筈なのに、余計な贅肉はついてお らず、かと言って痩せているわけでもない、「可愛い」と感じられ る微妙なバランスを保っている。 その可愛らしさは、本来なら最高の血統を引く自分が手にする筈だ ったのに。 エリザベート・バートリーは、美しさを保つために若い女中を殺し、 その血で風呂に入った。もちろん、そんな逸話を知る由もなかった が、ジョゼフィーヌはマロンを使えばその美しさを手に入れられる のではないか、と考えた。自分こそ、美しくあるべきである……。 「マロン──」 ジョゼフィーヌの影が、マロンの顔に落ちた。 ────────────────────────────── ※「ベッド・ミドラー」ではなくて「ベット・ミドラー」でした。 文字板でご指摘いただいた通り、前回は少し短かったので、今回は 長めです。次か、その次で終わりです。ごめんなさい。
