愛しても、いいですか?2 2 ひろあきには、特殊な能力がある。 と言っても、決して超能力とか、改造手術で身に付けさせられた怪しげなチカラでもない。 ましてやミュータントでもなく、変な奴の血が混じっているのでもない。 魔界に住んでいたわけでもなければ、実験帝国にさらわれてフラッシュ星で訓練を受けたわけでもない。 一万年の眠りから目覚めた勇者(ゆうじゃと読む)であるわけもない。 どこにでも居る、ごく普通の、ありふれた人間だ。 ひろあきは、自分の態度を相手の調子に合わせる術に長けていた。 相手が好意的・敵対的であるか、こちらへの理解度が高いか低いかを瞬時に判断し、それに相応しい対応を行うと いうものだ。 言うまでもなく、これは誰でもある程度は持ち合わせている性質だ。 だがひろあきの場合、それが他人よりずば抜けている。 会話を始める前には、すでに相手のタイプと相応しい対応を見出しており、無意識に最適なスタイルを選んで接する 事が出来るのだ。 これだけだと、いわゆる「相手の顔色を伺って云々」という、あまり歓迎出来ないタイプにも思えるが、ひろゆきの能力 は、そんなレベルに留まらない。 時と場合によっては、あえて喧嘩腰になる場合もある。 その方が、こちらの言う事を相手に浸透させやすいケースもあるためだ。 だから、まともに接したら意向を伝えにくいと思われる時は、心にもない酷い事をあえて述べ、相手をわざと怒らせて 精神的な隙を作り、そこにつけこむ。 先の、四匹の野良実装石への対応が、そのパターンだ。 そういう切替を、無意識に行う事が出来るのが、ひろあきの特異な能力なのだ。 私生活のみでなく、会社でもいかんなく発揮されるため、彼の営業としての能力はかなり高く評価されている。 そして、実装石に対しても例外ではない。 たとえ、それがどんな糞蟲だったとしても、だ。 自宅に戻り、再び涙目でパンツをクリーニング行きに仕分けて着替えると、ひろあきは蛆実装の眠る水槽へ向かった。 お、予想通り。 レフー♪ レフレフー 蛆実装はすでに目を覚ましており、こちらの姿を見止めると、全身を震わせて喜んだ。 どうやら餌も食べているようで、体調は文句なしのようだ。 とても、さっきまで死にかけていた奴とは思えない。 そして、生誕後の第一次成長段階を経て、すでに一回りほど体格が大きくなっている。 そして当然、その糞の量も… 元気爆発な蛆実装は、その全身を糞まみれにして、水槽の底をディープグリーンに染め上げている。 「——ていっ! ひろあきツインスティック!」 シャキーン! 突然、懐から30センチほどの長さの菜箸を取り出す。 今までどこに収納されていたのかよく解らないが、ひとまずこれも、ひろあきの能力という事にしてしまおう。 ひろあきは、菜箸で蛆実装をつまみあげると、あらかじめ準備しておいた古タオルの上に乗せる。 そして、ウェットティッシュで全身を拭き、糞を落とす。 続けて、小さなトレイの中に水で薄めたお湯を注ぎ、簡易風呂を準備。 小指の先で温度を確かめると、ゆっくりと蛆実装をその中に入れた。 レヒ? レヒャアア♪ 喜びの声が上がる。 相当気持ち良いらしく、浅くはられた湯の中で、ぴちゃぴちゃ音を立てている。 その間に、ひろあきはもう一つ、別なお湯トレイを用意する。 そろそろ、また来る筈なのだ。 ぷりっ ぷりゅりゅっ ぷぺちゃっ それみろ。 早速きやがった。 誤差1秒未満ってとこかな。 あまりの気持ちよさに、湯の中で脱糞する。 それが身体に付くまでの一瞬を突いて、ひろあきは、蛆実装をもう一つのトレイに移す。 レフ? 急にお湯が新しくなって戸惑っているようだ。 ひろあきは、再び湯内脱糞をされるより早く、泡立てたソープで蛆実装の身体を洗浄し始めた。 ヘタに力を加えると、あっけなく潰れてしまう。 そうしないで洗うのが、匠の技なのだよ、わかるかね明智くん。 よくわからん事を考えながら、慣れた手付きで蛆実装を洗う。 お湯が冷め切るまでに洗浄を済ませると、再びガーゼで身体を拭き、新しい毛布に横たえる。 慌ただしいお風呂を経験した蛆実装は、不思議そうな顔つきで、ひろあきを見つめていた。 実装リンガルを用意して、静かに話しかけてみる。 生誕後の発育速度がでたらめに早い実装石だ。 よほどの知恵遅れでない限り、そろそろ会話が可能になっている筈だ。 ひろあきは、まずは手探りで、この蛆実装のタイプを判別することにした。 『もう大丈夫デス。綺麗になって良かったデスね。あったまったデスか?』 「ありがとうレフ。生き返ったレフ。とても気持ちよかったレフ♪」 お、なかなか好感触。 だが、まだ油断は出来ない。 こいつの願望度合いを会話から測定しておかないと、糞蟲度の大小が判断出来ないからだ。 ひろあきは、まず、こいつがどういう状況にあったのか、そして今何を求めているかを探ることにした。 『ところで、お前はどうしてあんな所に居たデス? ワタシが助けなかったら、お前は間違いなく死んでいたデス』 「レフレフ。蛆チャンのオネエチャンとイモウト達は、どうチタレフ?」 さすがに、覚えていたか。 生まれてから、他の姉妹の存在を認知するだけのゆとりがあったという事は、やはり、多少母親の手による愛護を 受けたらしい。 粘膜の件は、多分ひろあきの予想通りだったのだろう。 少しだけ悩んだが、ひろあきは、あえてありのまま事実を伝えることにした。 『残念ながら、お前の姉妹は全員死んでしまったデス。生き残ったのはお前だけデス』 「レフ? レ、レピィッ?!」 ぷり、ぷりぷりぷり よく漏らす奴だ。 まあ、そう来るだろうと思って、すでに毛布の上には古タオルの切れ端が置いてあるわけだが。 『悲しいだろうけど、我慢して聞くデス。ワタシは、お前のママを探して公園に行って来たデスが、それらしい実装石は 見つけられなかったデス』 「ママ…レエェェェン、レエェェェン」 こんな小さな奴でも、母親がいないというのは相当堪えるようだ。 多分、顔すらもほとんど覚えていないだろうに。 しかし、自分を守ってくれる筈の存在が、もういないと教えられたのだ。 悲しくならない方がどうかしている。 さっきまではしゃいでいたのに、今度は盛大に泣き出した。 『ワタシは、お前のママを探してやりたいデス。そこで聞きたいデスが、お前が生まれた所は、どんな場所デした? 覚えている限り教えるデス』 「レェェェン、レエェェン」 『いつまでも泣いてても仕方ないデス。ママに会いたいなら、我慢して話をするデス』 「レエェェン、ヒックヒック…」 蛆実装が九匹もまとめて瓶詰めにされたという事、そして、そのうち何匹かは母実装に粘膜を舐め取ってもらっている ということは、少なくとも出産時には、こいつらはそこそこ安全な環境にいた筈だ。 目立たない場所に建てられたダンボールハウスか、それとも雨風が防げる木の穴か、はたまたコンクリート壁の割れ目 か、それとも、たまたま人が来ていなかった公衆トイレの個室か… この蛆実装が、少しでも周辺環境に注意を向けている事を祈り、ひろあきは、返答を待った。 だが残念ながら、この蛆実装は、何も知らなかった。 覚えているのは、優しそうな母親の雰囲気と、他の姉妹の存在感。 そして、自分が粘膜を舐め取ってもらっている最中、突然母と姉妹達が叫び声を上げた事だけ。 次に気付いた時は、他の姉妹と一緒に、暗く狭い空間に入れられたのだという。 とてもじゃないが、これだけでは、とても元居た環境を推測できない。 予想はしていたのだが、これではあまりにも… ひろあきは、ため息を吐いて、再び話しかけた。 『そうデスか。では、出来る限りワタシがママを捜してみるデス。だからそれまで、お前はここで暮らすデス。面倒見て やるから、大人しくするデスよ』 「イヤレフゥ!! ママのところにすぐ帰るレフゥ!! こんなところは蛆ちゃん嫌いレフゥ!!」 ジタバタジタバタ。 おっと、早速癇癪か。 ここまで予想通りだと…フェアじゃない。 やむをえない。 だだこねが癖になる前に、早速躾を施さねば。 ひろあきは、先を折り丸く整えた爪楊枝を取り出すと、必殺技・ひろあきスティングを炸裂させた。 蛆実装の額に、ぷちり、と先端が食い込む。 ほとばしる、タキオン粒子! 「レヒャアアア!!! い、痛いレフ〜!! ぎ、ギャクタイレフ! ギャクタイレフ!!」 『静かにするデス!』 ぷちり。 第二撃。 「レヒャアアアッ!!!」 ブビビビブバッ パンコンしながら、悶絶する。 初めて受ける攻撃に、耐性のなさを露見させる。 ひろあきは、転がる蛆実装を爪楊枝で無理矢理止め、先端部を眼前に晒した。 『ママは捜してやるデス。だけど、最悪ママが見つからなかった場合、お前は高貴で素晴らしくてとてもお前などが 並び立てないような存在であるところのワタシが飼ってやるデス。だから、そのために必要な躾はするデス。ワタシは 厳しいデスから、容赦なくイクデスよ!』 「レエエェン、レエェェン、マ、ママァ…」 『とりあえず、今は大人しくするデス。さもないと、またこれでプスリと刺すデス』 「レ、レレレ…レフ…」 『飛騨の山中に篭りしこと十年、編み出したるこのひろあきスティングは、厚さ10メートルの鋼鉄の壁を一撃で貫けぬ 破壊力を持っているデス! その気になれば、お前の身体など、一瞬で木っ端微塵デス』 「レ、レヒィィッ!!」 『いい子にしてれば、ご飯もお水もお風呂も、ちゃんと用意してやるデス。ただし! 物覚えが悪かったらいつでも外に 放り投げるデスから、覚悟しておくデス!!』 「レレ…」 ブピッ またお漏らしか。 さすがに出し尽くしたのか、今度は量が少ないな。 この形態だと、まだトイレを使わせるわけにもいかないからな。 仕方ない、明日からは、せめて糞をする場所だけでも覚えさせよう。 ひろあきは、この後のしかかる世話の大変さを想像し、ポンポンと肩を叩いた。 まだ幼生体の実装石は、何より躾が大事だ。 究極の自己中心主義性質を持ち合わせて生まれてくる実装石は、他の者からルールを教わる事、それを身につける事 が大の苦手であり、その必要性をなかなか認知しない。 だからこそ、多少乱暴でも、力と傷みを伴うしつけを徹底しなければならない。 実装石を本当に可愛がるつもりなら、最初こそ、心を鬼にすべきなのだ。 それが出来ない自称愛護派の連中が、今までいったいどれだけの糞蟲を作り出して来たか。 ひろあきは、たとえ相手が死にかけの蛆実装であっても、躾に手を抜く気は毛頭なかった。 実装石は、自分と外観の違う者を、本能的に格下と判断する傾向もある。 恐らく、すぐにひろあきは自分以下の存在だと認知してしまうことだろう。 だからこそ、その認識が固定化する前に、立場というものを知らしめねばならない。 一杯世話もするし、最高の待遇もしてやるが、同時に、最高の躾もその身に叩き込む。 それが、ひろあきクオリティだ。 それから、一週間。 公園での聞き込みはまったく効果がなく、軍資金の金平糖も底を突いてしまった。 だが、ここまでの情報をまとめた限りだと、どうも公園には、あの蛆実装の親は居ないように思える。 だとすると、これはいったいどこから来たのか? 少なくとも、公園以外の離れた生息圏から運ばれてきたとは考えづらい。 もしそうなら、別に公園じゃない別なところに捨ててもいいわけだし。 ありうるとすれば、公園付近の住宅で飼われている実装石の子供を、飼い主が一方的に廃棄した可能性。 少なくとも、虐待派の飼い主でない事は確実だ。 虐待派にとって、蛆実装は大事なオモチャだから、よほどの事がない限り生きたまま廃棄されることなど考えられない。 しかし、この子の捨てられ方は、明らかに死滅を狙ったものだ。 ろくに粘膜処理もされず、雨が降ったら間違いなく全滅するような状況に追い込まれたのだから。 ひょっとしたら、捨てた本人は「即死させなかっただけまだマシ。それに、公園の傍なら別な実装石が拾って助ける かもしれないし」などと考えているかもしれない。 だがひろあきにとって、これは虐待派の仕打ちにも匹敵する、とんでもない行為だ。 これはもう、母親は見つけられないかもしれないな。 仮に見つけたとしても、親元に戻してやる事は出来ないだろう。 飼い主も拒否するだろうし、母実装も、育てたくても認めてもらえまい。 いよいよ、腹をくくる時が来たか。 ひろあきは、棚の上の水槽からこちらをじっと見つめる実装石に向かって、申し訳なさそうな表情を浮かべた。 「アンリ、やっぱり…あの子を育てることになりそうだ。悪いな、約束守れなくて」 でも、放っておけないんだ。 心の中で、そう付け加える。 水槽の中の実装石は、何も言わず、ただ相変わらず、ひろあきを見下ろしていた。 「テチテチテッチ〜♪ おい奴隷、ご飯まだテチか。お腹ペコペコテチ!」 空の食器をカチカチ叩きながら、すでに親指実装に成長した元・蛆実装は、ありったけの声でひろあきを呼んだ。 そろそろ用意してやらなきゃ、と思っていた矢先だったので、さすがに少しだけムッとする。 ひろあきは、実装フードの袋を開きながら、水槽の中を覗き込んだ。 『何が奴隷デスかドチビのくせに。何度も言うデスが、ここは世界でもっとも高尚で気高いワタシのテリトリーデス。 お前の方が居候だという事をとっとと自覚しやがれデス』 「そんな事どーでもいいテチ! とにかくご飯、ご飯、ご飯〜!! ご飯食べさせたら、ナデナデさせてやってもいいテチ♪」 『誰がお前の汚らしい頭など撫でてやるデスか。お前は蛆ちゃんの時同様、お腹プニプニの刑に処するデス』 「テチ? それでもいいテチ」 『まったく、いつまで子供のつもりデスか。とっとと食って少しでも大きくなりやがれデス!』 そう言いながら、皿に実装フードを盛ってやる。 高級品ではないが、栄養価も高く、親指には食べやすい食感の、評判の良い物。 これを、食べ過ぎない量に整えて給仕してやる。 「待ってたテチ〜! 早速食べるテチ〜!!」 実装フードに食べ慣れると、こやつらは文句を唱え始める。 幸い、今のところはまだ大丈夫のようだ。 しかし…こいつは、早速大事なことを忘れている。 『そのまま食べたら、ひろあきスティングお見舞いデスよ』 「エエ〜、なんでテチ?」 『食べる前にやることがあるデス!』 「あ! ——いただきます、テチ。これで文句ないテチ?」 『ちょっと態度がムカつくけど、よしとするデス。さあお食べデス』 「はいテチ! モグモグモグ…」 『まったく、お前はいつまで経っても世話の焼ける奴デス』 蛆実装は、本来未熟児中の未熟児だ。 四肢が極端に未発達な上、身体形状も不充分な状態で産まれてきたのだ。 これは、母体に何かしらの問題があった結果なのだろう。 栄養不足か、環境の悪さの影響か、それとも強烈なストレスか。 或いは、母体が成体になっていない、未成熟の状態で出産したのかもしれない。 いずれにしても、蛆実装として産まれてしまった者は、まともな実装石になる事はほとんどない。 そのままの姿で大きくなるか、せいぜい親指実装になるのが関の山だ。 また、寿命もとても短く、外因がなくても、ある時急に死んでしまうことがあるのだ。 だからこそ、ひろあきは焦って親探しを続けていた。 せめて最期は、親元で迎えさせてやりたかったのだ。 だが幸い、こいつは四肢の発達と尾の収縮が始まり、形態だけは無事実装石になりえた。 とりあえず、蛆実装の短命という宿命からは、逃れられたわけだ。 もっとも、実装石としてまともな能力と寿命を得るためには、この後、さらなる身体発達に至ってもらわねばならない わけだが… いずれにせよ、こうなった以上、もうこいつはひろあきの傍から離すわけにはいかなくなった。 一方親指は、すでに口の悪さ全開になっていた。 要求は一方的、こちらの言う事は聞かない、躾と言う名の必殺技は食らいまくり、挙句にこちらを自分の奴隷だと、 本気で思いこんでいる。 これはまた、見事な糞蟲成分分泌状況だ。 実装石の悪い部分が、こんな短期間で表出するとは思わなかった。 それでもひろあきは、執念深く躾を続けていた。 糞蟲成分ありと言っても、この仔実装は、一度身についた躾は滅多に忘れないという程度の賢さを持っていた。 どういう心境かはわからないが、一応、こちらの言う事を聞く必要性は、それなりに理解しているようだ。 散々苦労して教え込んだトイレと、食事の前後の挨拶、寝る前のおやすみなさい、起きた時のおはようは、一応 こなせる。 それ以外はてんでダメな上、時折忘れる事もあるが、少しヒントをちらつかせれば思い出すため、そんなにアホの 子とも言い切れない。 しかし、汚く食べ散らかす様子を見ると、やっぱりアホの子なのかも、という気がしてくる。 ぷすっ。 爪楊枝の折檻に慣れてしまったため、いまやマチ針使用にランクアップしたひろゆきスティングが、親指の足に炸裂する。 「テジャッ!!」 『食べ散らかすな、と教えた筈デス』 「人がいい気持ちで食事している最中に水を差すなテチ! このクソ奴隷!!」 ぷすぷすぷすぷす 深くは刺さず、先端部だけをしつこく刺し続ける。 長年の修行が必要な、プロの技だ。 「レギャアァァッッ?!?!」 『躾中に生意気こくと、連射攻撃デス』 「て、テチ〜! 血が出てるテチ〜! めっさ痛いテチ! なんて事するテチこのバカニンゲン!!」 『文句言わない! 悪いのはお前デス! 言われた事はきちんとやるデスっ!』 シャキン! ひろあきのマチ針が、怪しい閃光を放つ。 それを見た親指は、顔を真っ青にして、ガクガクブルブル震え始めた。 『漏らしたら、顔面に十連射デス。もう食事どころじゃなくなるデスよププププ』 「さ、サディスト…バカニンゲンはSの気があるテチ。ワタチは不幸なMっ子テチ」 『よくわかってるデス。そうでなかったら、ワタシは血のにじむような努力をして、こんな技を身に付ける事もなかったデス』 マチ針が、さらに輝く。 それを見た親指は、真っ青になりながら溢した餌を拾い集め、綺麗にする。 その後は、ちゃんと最後まで溢さずに食べ切ることが出来た。 ひろあきは、ごちそうさままで言えた親指の頭を、指先で優しく撫でてやった。 『よく出来ましたデス。お前はやれば出来る子デス』 「当たり前テチ。こんな程度の事、ワタチにやらせれば朝飯前テチ」 『朝飯前に食事するとは、ケッタイな実装石デス。まあいいデス。食後は早めにトイレに行くデスよ』 「うう〜、仕方ないから、今回だけは言う事を聞いてやるテチ」 そういいながら、トイレに向かって小走りする。 毎日「今回だけは」言う事を聞いてくれるのだから、随分サービスが良いものだ。 トイレの躾だけは、スムーズに行って本当によかった。 蛆実装の頃、丁寧に体を洗ってやったのが幸いしたようで、親指は、とても綺麗好きになった。 だから、糞汚れにも敏感になり、トイレの重要性を早急に把握できたのだ。 さすがに、用を足した後の始末までは自分で出来ないが、こんな短期間でここまで出来れば上等だ。 やっぱり、意外に賢いのかな。 『お前に、話しておかなければならない事があるデス』 トイレを済ませた親指を招き、ひろあきは、やや神妙な面持ちで話しかけた。 「何テチ? おやつくれるテチか?」 『続けてひろあきデコピンなら食らわしてやるデス』 「ヒィ、イヤイヤイヤ〜!!」 『お前も知っている通り、ひろあきデコピンの直撃を受けたら最後、ワタシの中指の骨など一撃でコナゴナになってしまう デス。そんな恐るべき破壊力が炸裂したら、お前など真っ赤なトマトデス』 「わ、わかってテチ〜! ち、ちゃんといい子でお話を聞くテチ〜」 『わかればいいデス。真面目に聞くデス。お前のママのことデス』 ひろあきは、自分の見解について、親指にもわかるように丁寧に説明した。 親指が、危険な状態を乗り切った事、母親とは再会できそうにない事、そして、このまま一人で野良に戻るのは、 死を意味するほど危険な選択である事、一番手堅いのは、このままここで暮らす事… 一通りの説明が終わった頃、親指は、いきなり嘲笑し始めた。 何事かと思って聞き耳を立てると、なんだかすごい事を言い始めている。 「テプププ。なんだ、バカニンゲンは、意外と寂しがり屋さんテチね〜!! そんな遠回しな言い方をしてまでワタチを 引き止めるなんて〜♪ ホント素直じゃないテチ。そんなにワタチとバイバイするのがイヤなんテチか?」 『——当たり前だろ!』 不意に口を突いて出た言葉に、一瞬、親指もひろあき自身も硬直する。 いつもの、実装風喋りにならなかった。 「テ…」 『あ、いや、ソノ…。ど、どちらにしても、お前をむざむざ死なせるような事はできないデス。もう少し大きくなったら、 散歩とか連れてってやるデスから、もうしばらくは我慢して、ここで大人しく飼われるデス』 「何を言い出すテチ! お前は、ワタチが飼ってるテチ! 立場をわきまえるテチ!!」 『糞蟲風情に、何を言ってもムダデスかね。もちろん、お前がどうしてもここから出て行きたいというなら、ワタシは 止めないデス。だけど、その後どうなるかは、今のうちにじっくり考えるデス。お前が思うほど、外の世界は楽しくも 無いし、楽でもないデス』 「そんな事わかってるテチ! ギャクタイハのニンゲンから逃げてればいいテチ。そんなの、ワタチにかかれば楽勝テチ!」 ぷすり。 「テギャッ?!」 不意を突いて、マチ針が手に刺さる。 いきなり、なんで? と言いたげな顔を向ける。 そんな親指に、ひろあきは、真剣な顔で言い放った。 『こんな一撃もかわせないクセに、いっちょまえな事言うんじゃないデス。ワタシが虐待派なら、お前はこの一瞬で、 十回は死んでいたデス』 「デ、デデデ?!?!」 『ここに来る前、お前がどんな目にあったか思い出すデス。外に出れば、あれよりも酷い目に遭う危険が常に付き まとうです。今のお前には、それに耐えられるだけの知識と能力と覚悟は備わってないデス』 「テ?!」 『お前が本当に高貴で誇りある立派な実装石だと言うのなら、せいぜいワタシを失望させないようにするデス。賢明な 判断に期待するデス』 それだけ言うと、ひろあきは腰を上げる。 ひろあきの態度に思わず黙りこくってしまった親指は、なんとも言い難い表情で、遥か上空にあるひろあきの顔を 眺めようとした。 『でも』 「?」 『お前がじっくり考えて、ここで飼われることを選ぶのなら、その時は、お前に立派な名前をつけてやるデス』 その言葉に、親指の顔がパァッと明るくなった。
