それは百葉箱によく似ていた。 家の前を流れる川の河原に建てられたそれは、頑丈な四本足でしっかりとコンクリに固定され、 あちこちに草原が茂る河原の中でその異様に目立つ白い姿を周囲に誇示していた。 百葉箱には鍵が二つ付いていた。 祖父について河原に散歩に行くと、祖父は大きな方の扉を開けて中を丁寧に掃除し、所々に油をさしていた。 横からのぞき込むと中は何段かの仕切りで上下に分けられており、特に中身はない。 気になるのはスロープのようなものがついているところか。 箱の下部、地上50cmくらいのところに跳ね板があり、そこを弄ると内部の棚?にあたる部分がぱたんと畳まれて底抜けになる。 満足そうに整備を終えて鍵をかける祖父に聞いた。 これはなに? と。 祖父は困ったような顔で答えた。 畑の守り神様だよ。 と ********************************* 河原の百葉箱 ********************************* 大雨や台風が近づくと祖父は小さな鍵をもって川の方へ行った。 雨が近づくと老人が川に近づくとよく揶揄されるが、畑や田んぼを持っているといろいろ気をつけなければならないことがある。 祖父の行動もそれだと思っていたのだが、ある時向かう先が畑や水門のほうではなく河原の方だということに気づいた。 出かけて、そしてすぐに帰ってくる。あとはテレビで天気予報をずっと見ている。 祖父が何をしているのかは、祖父の腰が弱り始めたころにわかった。 * * * 「とし坊、すまないが、本格的に雨が来る前に河原にいって、『箱』の小さい方の鍵をあけておいてくれないか」 よろける足で出かけようととし、母に止められた祖父が俺に頼んできた。 俺は頷いた。前々から興味があったことでもある。手間でもないので簡単に引き受けた。 河原について箱の下の方についた鍵を開けると、そこからは折りたたまれた階段のようなスロープが出てきた。 ……これはなんだ? 疑問が解消するどころかますます謎は深まった。これが雨と何の関係があるんだ? 好奇心を刺激された俺は一度家に帰り、祖父に鍵を返すと、こっそり外出して箱の様子をうかがうことにした。 戻ったときにはすでに事態は起こっていた。すでに河原に降りるのは危険だ。土手の上から観察する。 「デスー!」「テチャテチャ!」「レフー」「レフレフ」「デデッス」「テチィ…」 ジワリと水量を増した川に異常を感じたのか、周辺の野良実装が箱の中に仔実装たちを避難させている。 百葉箱はかなりの大きさとはいえ、さすがに親実装が入れるような入り口はない。 だが、スロープを伝えば、仔実装も親指実装も、蛆実装も箱の中に入れるはずだった。 仔が2匹、蛆を抱えた親指が……小さくて見えづらいな。2匹に、フリーハンドの親指が3匹か。 「テチテチィ?」「デス…デデッス」「テチィ」 賢そうな仔実装が親を気遣うように見上げている。 他の姉妹たちは大喜びで「新しい綺麗な白いオウチ」にさっさと入り込んでしまったのに。 おそらく安全な避難場所に自分達だけ逃げてしまい、親が入れないことを気遣っているのだろう。 「ティ…」「デス」「ティィ…」「デデッス」 目に涙をためている仔実装。それを安心させるように背を押す親実装。何度も振り返る仔。 実装石の親子にしてみれば、能動的に離れ離れになることなどまずないのだろう。 親は振り切るように箱を離れ、仔は賢明にも親のいうことを聞いて箱に入る。 あの親は単身別の場所に身を隠すのだろう。川の水が引いた後迎えに来るつもりなのだろうか。 川の水位がまた上がったようだった。 別の家族が箱に近づいてきた。また同じようなやりとりをしている。 今度は仔が3匹。親指が2匹。親にしがみついてテチテチレチレチ泣いている。 親は優しく仔らの頭をなでると、一匹ずつしっかりと抱きしめ、仔らを箱へ見送った。 別の家族も来た。この一家は駆け込むように仔を2匹箱に押し込んで、親はそのままどこかに避難した。 どうやら、付近の野良実装が、突如門戸が開かれた安全そうな白いオウチに仔を預けようと集結しているようだった。 箱は大きい。仔や親指なら十分に格納できる広さがある。さらにフロアも多い。 河原が水没するまでにかなりの家族が仔を箱に預けた。 あれは実装石の避難所だったのか…… そろそろ土手の方も気をつけないといけない。帰ろうとした俺の視線の先でそれは起こった。 増水して勢いを増して濁流然とし始めた水量が箱に迫る。箱には十分な高さがありその程度では飲み込まれない。 しかし、箱の底部にある例の……「50cmくらいに固定された跳ね板」は違う。 跳ね板が水に押された瞬間。 「レピャァァァァァ!」「テチャァァァァ!」「テジィィィィィィ!」 百葉箱の各フロアの底が一気に抜けたらしい。 濁流の中に、仔が、親指が、蛆が、次々と落とされていく。 ……一瞬の出来事だった。 水面に何度か緑色の塊が頭をのぞかせたものの、ちっぽけな実装たちは濁流にのまれて消えていった。 * * * 祖父が言っていたことがある。 梅雨時の仔は育つと夏に畑を荒らす。 台風の頃の仔はほっておくと冬を越して翌年大繁殖する。 畑のためにも何とかしないとなあ、と。 今、その「なんとか」の意味がわかった。 * * * その年から百葉箱の整備と毎回の「鍵開け」は俺の仕事になった。 * * * 百葉箱がないうちは、大雨になると実装たちはめいめい安全なところに避難していたらしい。 当然、散れば散っただけ全体での生存確率は上がる。 そこに、目の前にあつらえたような「素敵な避難場所」があったらどうだろう。 実装石は単純な思考回路を持つ。勝手に理想の答えひとつに選択肢が狭められる。 本来なら浮かぶべき忌避意識は糞虫思考に追いやられてしまう。 ー なんでこんなちょうどよく素敵なオウチがある? − ー それは素晴らしいワタシタチのために誰かがよういしたんデス − ー 誰か? それは罠ではないのか? − ー 罠ならこんな面倒なことをしないで直接襲ってこればいいんデス これは安全デス − 結果として、繁殖期に爆発的に増えるはずだった仔らは、親自らの手によって処刑機に預けられるのである。 * * * 俺は「鍵開け」の際に長めの棒を持ち歩くことにした。折り畳み式で伸ばせば相当な長さになる。 百葉箱を管理するようになってから気付いたのは、床抜けシステムは必ず毎回作動するわけではないということ。 増水が少ないと跳ね板まで水が至らず、箱は作動せず、その次の大増水まで処刑はお預けになる。 そうなると箱の中の汚れもひどくなり、整備が大変になる。 増水が不十分でも、仔実装を殺すに十分だと判断したら、土手から棒を伸ばし、跳ね板を手動でつつくことにしたのだった。 床が抜けて一気に水面に落とされる実装たち。 ただし水が浅ければそれに比例して死に損ねる個体も出てくる。 「テチャァァァ! テチャァァァ! テチャブゲボ」 水が浅かったのか一部の仔実装が半端におぼれている。ほどなく力尽きて下流にゆっくりと流されていった。 「ティィ! ティィィ!」 落下死した蛆の死骸を浮き袋にして難を逃れようとしている親指がいる。その涙は自分への憐憫か蛆へのものか。 判断付かないまま流されて川の本流に消えていく。 50cmというのは確実に仔を殺せる水量を見切って設定されていたらしい、 これを考案したのは祖父だろうか。 長年の苦労がしのばれた。 * * * その日は河原の様子が違った。 川の水が増すにしたがって、多くの家族が仔を箱に預けているのはいつもどおり。 ただし土手で様子を見る俺の傍らに親実装が一匹いた。 じっと百葉箱を見ている。仔を預けた後なのだろう。 自らも雨から逃れられる場所へ行けばいいのに、心配なのか名残り惜しいのか、祈るような姿で箱を見ていた。 俺は舌打ちをする。さすがにこの状況で親の前で跳ね板をつつくのは騒がれそうで面倒だ。 レインコートに長棒を携えた姿のまま、親実装にさっさといなくなれと念を送る。 結論から言うと、無駄であった。 いつまでも動かない親実装の目の前で、跳ね板は水に押され箱の底は抜けた。 「テッチャァアアアアアアアア!!!」 ひときわ大きな仔実装の悲鳴が響き、次いでとぽんとぽんと仔だの蛆だのが濁流に飲まれる。 「デエエエエエエエエエ!?」 親実装は叫んだ。そして、何を思ったか俺のほうを向いた。 「デッス! デデッス! デスデス! デェ!」 箱を、川を、そして俺の持っている棒を指さして何か訴えている。 箱を見ると、なんということだ。支柱の一本に仔実装が一匹必死にしがみついて流されまいと抵抗している。 反応を見るに、こいつの仔か? これは一大事だ。 俺が棒を仔実装の方に伸ばすと、親は安心するかのように息をついた。 俺は棒の先で仔実装の体をつつく。 「テチェ!?」 「デデエ!?」 てっきり助けてもらえると思ってでもいたのだろうか。仔と親が驚愕の声をあげる。 何を勘違いしているのだろうか。 俺は祖父にこの処刑装置の管理を任されているというのに。 「デッス! デッス!」 俺の足に泣きながらまとわりつき、ポスポスと足を叩き始める親実装。ええいうっとうしい、手元がぶれる。 「テヂ! テジャア! テビャァ!」 親が余計なことをするから、一思いに水の中に突き入れてやろうとする俺の棒先は狙いを外し、仔の足を突き、目をえぐり、喉を突いた。 なぶるつもりはなかったんだが、結果として仔実装は溺死するより先に首を変な方向に曲げて濁流に消えていった。 「デエエエエ…」 親ががっくりとうなだれる。そして俺を恨みがましい目で見上げる。 「デジャアアアアアアッス!」 そして血涙を流しながら殴りかかってくる親実装。俺はサッカーボールの要領で親を川に蹴り込んだ。 もとより箱の仕掛けを目の前で知ってしまった親を生かして帰すわけにはいかない。 親は放物線を書きやや上流に着水し、流れ、あろうことか百葉箱の足にしがみついた。 まったくめんどうな…… 「俺に手間をかけさせる意趣返しというわけか?」 まるでさっきの仔実装とおなじ姿の親に俺はため息をつく。 大雨の土手の上で長い棒をふるうのはリスクのある行為だ。それを二度も俺に強いるとは。 今度はミスらない。俺は親の腕を狙って棒を突く。 「デギャッス!」 親実装のウレタンめいた右腕がめきょりと凹んだ。 それでも親は果敢に左腕で支柱を抱え込む。 「グギ…ギギギ」 容赦なく左腕も棒で突き折ったら、今度は歯で支柱の薄板を噛み締めて耐えているではないか。 俺はゆっくりと親実装の額に棒の先を当てる。 ぐい 「ギ」 ぐいぐい 「ギギィ…」 親実装は血涙で濁った眼で俺に問いかけていた。 なんでこんなことをするんデス? ワタシタチが何をしたんデス? と。 「仕事の邪魔」 俺はそう告げて棒をひときわ強く押し出した。 実装石の歯が砕けるような手ごたえがあった。 口を潰され声を出せなくなった濁った一対の目はこっちを見据えたまま、仔の後を追って泥水の流れに消えていった。 * * * 月日が流れた。 俺が百葉箱の大扉を開けて中を掃除していると、息子がお父さん何しているの?と聞いてきた。 俺は祖父が俺にそうしたように曖昧に答えた。 息子がこれを知るのはまだ早い。 そして雨の日に川に近づく危険な仕事をまだ任せる気にはならない。 「畑の守り神様を綺麗にしてるのさ」 俺がそういうと息子は怪訝そうな顔をしながら百葉箱に手を合わせた。 この箱は多くの生き物の命を奪ってきた。 俺も息子に倣って、神様にするそれとは違う意味で手を合わせ、息子の手を引き河原をあとにした。 完 ********************************* 中将◆.YWn66GaPQ 季節ネタで増水ものをひとつ。

| 1 Re: Name:匿名石 2023/07/02-03:16:58 No:00007411[申告] |
| 実装石なんてどれだけ賢く愛情深くても農家からすれば一括に害虫だもんな
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| 2 Re: Name:匿名石 2023/07/02-04:11:41 No:00007412[申告] |
| 自分の為に畑に食べ物があると考える連中が自分達に都合の良く目立つ避難所が存在する都合に疑問や人間の介在を考慮出来ないというのは祖父からの上手い意趣返しだと思う
実装は面白い位に罠に掛かるの本質を突いてる気がする |
| 3 Re: Name:匿名石 2023/07/02-09:32:33 No:00007415[申告] |
| お爺ちゃんから孫へ、そして子へと知恵が引き継がれていくんだなぁ |
| 4 Re: Name:匿名石 2023/07/02-10:19:06 No:00007417[申告] |
| 素敵装置で感動したデスー
害蟲駆除お疲れ様デスー |
| 5 Re: Name:匿名石 2023/07/02-22:21:09 No:00007419[申告] |
| 名作感謝デス |
| 6 Re: Name:匿名石 2023/07/06-22:46:03 No:00007455[申告] |
| 「さあ入るデス」「ここが新しいお家テチー大きいテチー」
って入っていってその後床が抜けて全員落下ってのはドリフみたいで見た目も楽しそうでいいなあ 害獣に畑を荒らされたおじいちゃんの見事な対策に拍手! |