愛しても、いいですか? 1/5 としあきは、もうすぐ離婚して一年が経とうとしていた。 十年近くつき合ってから結婚したのに、妻は、外に男を作ってしまったのだ。 若さの至りか、焦って結婚したツケか、彼女は遊びたい気持ちを抑えきれなかったのだろう。 そんな油断が、ちょっとした気の迷いを生んだのかもしれない。 妻の浮気が発覚したのは、彼女の存在を、恋人から「自分の家族」として認識し始めた頃だった。 妻の両親と浮気相手から多くの慰謝料を受け取る事が出来たが、心の底から信頼し、愛していた妻と別れるという現実は、としあきの心に大きなダメージを与えた。 幸い、としあきは向上心も強く、逆境に屈しないタイプだったので、鬱になったり精神疾患を抱えたりすることはなかった。 半年も過ぎると、離婚の事は、過去の経験の一つと割り切れるようにまでなっていた。 だが、最近。 としあきは、独りで暮らす寂しさに、だんだん耐えきれなくなって来ていた。 それは、当初考えていたよりもかなり厳しいものだった。 すでに三十歳を過ぎ、いい加減オヤジと呼ばれる世代にさしかかった事もあり、としあきは、無意味に焦りを感じていた。 さすがに、もう新しい女を作ったり再婚を考えたりするほど馬鹿ではない。 どうせまた、同じような失敗を繰り返すだけなのだから。 とにかく、この寂しさを、なんとか紛らわしたい。 いつしか、としあきはそんな思いに突き動かされるようになっていた。 そんなある日、としあきはふとしたきっかけから、ネット上で話題になっている「実装石」に注目した。 以前から知ってはいたが、これまでまったく興味を持てなかった。 としあきが見つけたのは、どこかの掲示板上で無意味に晒されていた、実装石虐待妄想を集めた画像掲示板だった。 そこでは、イラストで描かれた可愛らしい実装石が、剥き出しの虐待願望のままに、無意味な残虐行為を受ける様子が描かれていた。 としあきは、そんな妄想をわざわざ描く事、そしてそんな馬鹿げたものを賛美する投稿者達を理解できず、同時に、心底腹を立てた。 「なんで、こんなに可愛い奴を無慈悲に殺せるのか?」 「こんなものを描く奴らは、きっと親から充分な愛情を与えられなかったんだろうな。まったく、サイテーの奴等だぜ」 「どうせ、堅実世界じゃ何もできない、底辺の奴等だろうしな。共感したくもないわい」 心の中で、虐待派の連中に悪態をつくうち、としあきは、いつしか実装石というものに強い興味を抱いていた。 虐待派だけでなく、愛護派も多く居る。 愛護派の運営する有名な実装石掲示板には、愛らしく幸せそうな飼い実装石達の写真が、沢山掲載されている。 彼らは皆、自分の飼う実装石を、心底愛しているようだ。 イラストの中で妄想をぶつけるだけしかできない虐待派より、愛護派の方に強い共感を覚える。 としあきは、そんな掲示板を眺めるうち、いつのまにか「実際に飼ったとしたら、どんな風に育てようか」などという妄想を思い浮かべるようになった。 妄想だと自覚してはいたが、それに浸っている間は、寂しさも気にならない。 「——いっそ、本当に飼ってみたらどうかな?」 としあきのそんな思いつきは、二ヶ月ほど経った初夏のある日、勤め先から支払われた賞与によって、現実化することになる—— 独り暮らしで、特に趣味らしい趣味も持たないとしあきは、ちょっと高めの給料の大半を貯金に費やしていた。 いつか何か大きなものを買おうと思っていても、その使い道が思いつかない。 そんな時に、実装石飼育を思い立ったのだ。 一度決断すると、そこからの行動は速い。 としあきは、愛護派掲示板上で質問を繰り返し、一番近い優良実装石専門ペットショップを見つけ出すと、そこに通い、店員から様々なアドバイスを賜った。 三日掛けてじっくりと選び抜いた末、一匹の躾済み仔実装を、飼育道具一式と共に購入した。 30,000円とかなり高価な仔実装だったが、野良実装を育て躾ける事の大変さと無意味さも予習していたので、ためらいはない。 手の中にのっかるほどの小さな仔実装は、「テチュ〜ン」と呟きながら、つぶらな瞳でとしあきの顔を見つめている。 『俺は、これからこの子を育てるんだ。自分の子供のつもりで、一生懸命育てるぞ』 仔実装の愛らしい様子は、としあきにそんな誓いを抱かせるほどの力があった。 結果、道具や餌など必要な物を揃えたら、十五万円ほどの大出費になった。 だが、としあきは後悔などしなかった。 「テチュ〜ン、テチ、テチ、テチ(ニンゲンさんは、ワタチのご主人様になる人テチか?)」 「ああ、そうだよ。これから、よろしく頼むな」 「テチテチ、テチチィ(優しそうなニンゲンさんテチ。よろしくお願いしますテチ。ワタチ、いい子にしますテチ)」 「招待するよ。俺達が、これから一緒に暮らす家だ」 若くして購入した一軒家…半分以上親の金で建てたものだが…に、新しい住人を招き入れる。 最高級の育成用水槽に、仔実装用の小道具や設備を置いていく。 一通り準備が終わったところで、輸送用ケースの中に居る仔実装を優しく取り出し、水槽の中に置く。 「さあ、ここが君の新しい住処だ」 「テチテチ、テチ(前のおうちよりおっきいテチ、ワタチ、ホントにウレチイデチ)」 「一番大きなものを選んだからな。さ、トイレはここ、餌箱と水入れはここに置くからね。まずは、置き場所を覚えるんだぞ」 「テチ!(はい、テチ)」 実装リンガルから、元気な仔実装の通訳音声が響く。 店員がダントツで勧めていただけあって、この子はかなり賢く、そして大人しいようだ。 この仔は、生まれ落ちた瞬間から親元より離され、専門のブリーダーによって厳しく躾られた個体だという。 パンコンはしないし、どんなにお腹が空いても、主人の断り無しに餌を摂ったりしないらしい。 だけど、だからと言って甘やかしたりは出来ない。 としあきは、この子に愛情を注ぐ事と、厳しく躾ける事を強く誓った。 「お前に、名前をつけてやらないとな」 「お名前テチか?」 「そうだ。今日から家族なんだから、名前がないと。——う〜んと、そうだなあ」 「ワタチ、お名前付けてもらえるテチ。なんだかワクワクするテチ」 些細なことのように思ったが、この仔実装にとって、名前がもらえることはすごく喜ばしいようだ。 ぴょんぴょん飛び跳ねながら、全身で嬉しさを表現している。 ぬ、これは、適当な名前はつけられんぞ〜。 だが、自分から言い出したものの、良い名前が浮かばない。 思いつくのは、ポチ・ペス・コロ・ミケ・チビとか、犬や猫の名前ばかりだ。 自分のネーミングセンスのなさを、痛感させられる。 「う〜、ぐ〜、む〜…」 「ご主人様、具合でも悪いテチか?」 「い、いや、そうじゃないけど…」 「でも苦しそうテチ。ワタチ、看病してあげたいテチ」 「ありがとな、でも、身体が苦しいわけじゃないから」 「テチ…」 散々悩み、三十分も経った頃、ひろあきは、観念したように一つの名前を提示した。 「ルミ、でどうかな?」 「ルミ…テチ? 可愛い名前テチ!」 「気に入ってくれたなら、嬉しいよ」 ルミと名付けられた仔実装は、嬉しそうな笑顔を浮かべた。 だが、なんとなく顔色が悪い気がする。 さっきまでのように、飛び跳ねたりしない。 「どうしたんだ、ルミ?」 「あ、あの…」 「ん?」 「お、おトイレ、いいテチか?」 「えっ? まさか…俺が名前決めるの、待ってたのか?」 青ざめたルミが、こっくり頷く。 どうやら、待っている途中で便意を催したらしい。 内臓構造の関係で、実装石は長時間便意を我慢できないと聞いている。 それなのにこいつは、自分が悩み続けている間、席を外さず、ずっと待ち続けていたのだ。 「いいよ、行っておいで。そこに用意しているから」 「は、ハイテチ〜〜!!」 慌てて、専用便器まで駆けていくと、ルミは、きちんとパンツを下ろし、腰掛けた。 ぷりぷり、と排便の音がする。 随分溜め込んでいたようで、なかなか音が止まらない。 あまりじっくり長めているのも悪趣味かと思ったが、粗相のないように、一応監視しなくてはならない。 たっぷり時間をかけ、すっきりしたらしいルミは、紙で丁寧にお尻を拭くと、パンツを戻して再びとしあきの傍に駆け寄ってきた。 「さすが、躾が行き届いてるな、えらいぞルミ」 「テチ〜♪」 「それと、ごめんな。待たせたりしちゃって」 「そんな、当然の事テチ。ご主人様がお話してくれてるのに、勝手にどっか行ったらいけないテチ」 「ほお、えらいな」 これは、予想以上によく躾けられている。 店員が、ダントツで勧めるだけのことはある。 「よし、えらかったから、まず一撫でだ」 「テチ?」 としあきは、手を伸ばして、指先でエミの頭を優しく撫でてやる。 突然頭を撫でられたルミは、最初こそポカーンとしていたものの、これがご褒美の行為だとすぐに理解したようで、にっこりと微笑んだ。 「ご主人様、優しい人テチ。ルミ、とっても嬉しいテチ♪」 とても可愛いじゃないか。 こんなに愛らしい実装石を、どうして虐待したり、殺したりできるのか。 ふと、掲示板の事を思い出したとしあきは、内心、腹立たしさを覚えていた。 だが、態度には出さず、ルミを笑顔で見つめる。 「よし、じゃあ次は食事だな。ご飯を用意するから、待ってろよ」 「はいテチ。ルミ、いい子で待つテチ!」 水槽の真ん中でちょんと正座すると、専用の餌入れの準備が整うのを待つ。 としあきは、仔実装用フードを用意して、餌入れに注ぎ込む。 躾け済みの仔実装は、食べ物にも贅沢を言わないように徹底的に教え込まれているという。 その躾け具合がどんなものなのか、興味深い。 としあきは、餌入れをルミの前に差し出し、そっと様子を窺った。 「テチ!」 「…」 「テチ〜?」 「…」 「?」 じっと黙っているとしあきを、不思議そうに見つめ返す。 だが、決して食べ物に貪り付こうとしない。 としあきの態度にしばらく悩んでいたが、やがて思い出し、ペコリと頭を下げた。 「ありがとうございますテチ。いただいてもよろしいテチか?」 「よし!」 ちょっと時間がかかったが、求めていた条件は見事満たした。 ルミの頭を再び撫でてやると、としあきは、ルミに食事を勧めた。 嬉しそうにフードを頬張り、今日一番の笑顔を見せる。 その笑顔は、まるでつられて自分も食べたくなってしまうような気にさせられるほどだ。 「おいしいか?」 「…♪」 口に物を入れている最中だから、喋ったりしない。 ルミは、無言で微笑みを返した。 食べ方も綺麗で、決して食い散らかしたりしない。 本当に、大したものだ。 としあきは、すっかりルミに感心しきっていた。 「ごちそうさまテチた!」 綺麗にフードをたいらげたルミは、手を合わせ、としあきに頭を下げる。 「よし、良くできました。晩ご飯は、いつもこの時間にしような」 「はいテチ」 食事が済むと、次は風呂を教えなければならない。 としあきは、風呂についての説明を軽く行い、ルミをそっと抱き上げた。 手の平の中にすっぽり収まってしまうほど小さなルミを、落とさないように慎重に運ぶ。 食事を済ませた後のせいか、ルミの身体はとても温かかった。 自分以外の者の体温を、久しぶりに感じた気がする。 「えーと、専用の湯船と、ポディソープとベビーオイル、シャンプー…と。あと、浮き輪だっけ。ルミー、服を脱いで待ってろよ」 「はいテチ」 言われるまでもなく、ルミは既に脱ぎ始めていた。 慣れた手付きで服を脱ぐと、なんと、きちんと畳んで隅に置き始める。 先に手渡しておいた小型のタオルで、前を隠して待っている。 準備を整え、腕まくりをしたとしあきは、ルミの支度の手際良さに、また驚きの声を上げた。 「さすが、慣れているなあ」 「はいテチ」 「よし、いいお湯だぞ。さあおいで」 「テチ〜♪」 転ばないように手で軽く支えながら、湯船へと導いてやる。 わざわざ温度計で適温に整えた湯に浸かると、ルミは、幸せそうな声を漏らした。 「テチュ〜ン♪」 「熱くないか?」 「大丈夫テチ。とってもいい気持ちテチ♪」 「そっかあ、それは良かった!」 ルミは、元々穏やかな顔付きのせいか、笑顔がとても良く似合う。 しかも、見ているこちらまで思わず吊られてしまうような、柔らかな笑顔だ。 聞く所によると、実装石は人間に媚びるためのノウハウを多く持っているという。 この幸せそうな笑顔も、こちらを油断させるためのものだったりするのだろうか? 「テチ〜、テチテチチ〜♪」 「おっ、歌かい?」 「はいテチ。ブリーダーさんが、お風呂でよく歌ってたテチ」 「ふ〜ん」 ルミが口ずさんだのは、とても静かで落ち着いた曲調のものだった。 何かの歌のようだが、さすがに歌詞までは覚えられなかったようで、大雑把なメロディラインだけをハミングしているだけだ。 よく聴くと、同じフレーズだけえんえんと繰り返しているみたいだ。 だが、気持ち良さそうに歌っているようなので、あえて何も言わず、そっと耳を傾けてみた。 「おーし、そろそろ、身体と髪を洗おうか」 「お願いしますテチ!」 「よーし、任せろ!」 ルミは、としあきの言いつけを良く聞き、決して反抗せず、素直に従う。 本当に大したものだ。 いまや、犬や猫よりも人気のあるペットになりつつあるというのも、なんとなく頷ける。 すべての実装石がルミのように素直ではないのだろうが、愛護派の気持ちが、とてもよく理解できる。 この調子なら、ルミは、俺にとって最高のペットに…いや、家族になれそうだ。 今度こそ…きっと。 ルミを風呂から上げ、髪と頭をタオルで拭いてやりながら、としあきはそんな事を思っていた。
