1 地球に春が戻ってから十年の時が過ぎた。 一時期はこの地域でたった二匹にまで数を減らした実装石だったが、ある程度を個体数を回復してそれぞれの生活を送っていた。 ただし、そのあり方は氷河時代以前とは少し異なっている。 この時期の実装石には大きく分けて二種類いた。 「今日もいい天気テチ!」 「おはようテチ! さあ、頑張って働くテチ!」 木の生い茂った低い山地に背の低い丸顔の実装石たちがいた。 開けた土地に地面を軽く掘って木の枝を立て、藁で覆った住居を作っている。 それがいくつか集まり、原始的な村を形成。 そこにはおよそ一〇〇匹ほどの実装石が集まって暮らしていた。 彼女たちは雪解けの後に山へと向かった小型丸顔実装石の子孫である。 みな始祖と同様に成体になっても仔実装程度の体格である。 自称ではないが、彼女たちを便宜上『マルガオ族』と呼ぶことにしよう。 「今日は収穫の日テチ。もぎもぎするの楽しいテチ」 「遊びじゃないテチ。大切な食べ物を傷つけないよう真面目にやるテチ」 彼女たちは一定の場所に留まり、作物を育て日々の糧を得ていた。 主要作物は『ト=メィトゥ』と呼ばれる背の低い木に成る赤い果実である。 ト=メィトゥは果実を摘んでも一週間程度でまた新しい実をつける。 しかも実装石のみ耐性のある毒を持っており、他の生物に奪われることもない。 そのくせある程度の栄養はあるという、実装石にとって天からの恵みのような食べ物だった。 ただし水加減を間違えれば簡単に枯れてしまい、新たな苗木から実をつけるまで育つには一月ほど掛かる。 「ふたりとも待つテチ! ちゃんと朝のお祈りしてから行くテチ!」 果樹園に向かおうとした二匹を別の実装石が呼び止める。 二体は顔を見合わせて「しまった」という表情をした。 収穫予定日に浮かれて大事な毎日の約束事を忘れていたのだ。 「も、申し訳ないテチ」 「すぐに行くテチ」 集落の真ん中、ひときわ大きく作られた竪穴住居に向かう。 その途中で何体かの成体実装(ただしみな仔実装サイズ)と合流する。 中央の住居の中には奇妙な形の石があった。 下部の大きな瓢箪型であり、手足のような四つの突起がある。 村の長がその前に立ち、小首をかしげて顎に手をついた神聖なる姿勢で祈りを捧げていた。 「ニンゲンサン、どうかワタシタチに大地のお恵みをくださいテッチュ〜ン」 ここは村の神殿である。 マルガオ族の成人実装石たちは代わりばんこに神殿に入ると、熱心に祈り続けている長の後ろで同じように顎に手を当て小首をかしげ、心からの祈りを捧げる。 「テッチュ〜ン」 「テッチュ〜ン」 いつ、どこの時点でこの習慣が始まったのかは定かではない。 少なくとも始祖の丸顔実装石はこのようなことはしていなかった。 まだ体系化されていない原始的な宗教。 マルガオ族は人智が及ばない現象に『ニンゲンサン』という神を重ねて信仰していた。 果実の実りはニンゲンサンの恵みであり、嵐や山火事はニンゲンサンの怒りである。 「さ、お祈りも住んだし収穫に行くテチ!」 改めて果樹園に向かおうとすると、小さな実装石がテチテチと駆け寄ってきた。 「ママ! 行ってらっしゃいレチ!」 「長女チャン、ずいぶん早起きテチ!」 かつてなら親指実装と呼ばたサイズの実装石。 これがマルガオ族の仔実装だった。 マルガオ族は小柄だが、産まれてすぐに成長が止まるわけではない。 ゆっくりと時間をかけて親指サイズから仔実装サイズまで成長するのだ。 「目が覚めちゃったからママを見送りに来たレチ!」 「えらい、えらいテチ。ママが働いている間、ちゃんと勉強するテチよ」 「わかってるレチ! いっぱい勉強して村のために頑張るレチ!」 宗教ともう一つ、マルガオ族には独自の特性があった。 教育である。 以前の実装石は生活に必要なことをすべて親が仔に教えていた。 だがそれは家族単位での生活が基本だった時代のこと。 か弱く、集団で協力して生きるしかないマルガオ族は、幼い仔実装たちにより効率的に知識を伝えるために学校のようなシステムを作っていた。 「良い仔にしてるテチよ。オマエがカナシイコトになったらママは悲しいテチ」 「レェ……ワタチは絶対に大丈夫レチィ」 この学校システムではいわゆる『糞蟲』個体の識別が行われる。 二つの大飢饉を乗り越え、自分勝手な個体は多くが淘汰された。 しかし種の性質として残った悪しき遺伝子は完全には消滅しない。 ごく希にだが、他者に攻撃的で何よりも己の欲望を優先する仔も産まれる。 そう言う仔は例外なく発見次第、殺害され埋められた。 親もそれに対して文句を言わないよう『教育』された個体ばかりである。 愛情がないわけではない。 我が仔よりも全体の利益を優先するという公共心が勝っているだけだ。 群れを、我が身を、突き詰めれば我が仔たちの未来を守るために。 「いっぱい採れたテチー!」 「これしばらくは安泰テチ」 藁を編んだ簡素な籠にト=メィトゥをいっぱいに詰め、果樹園から村へと戻る二匹のマルガオ族。 そんな彼女たちを見据える影があった。 「……デス」 実装石に危害を加えるような肉食獣はほとんど山にいない。 ただし、彼女たちにも天敵がいないわけではなかった。 それは普段、麓の低地に住み、食料が不足したとき散発的に小集団でやってくる。 「テェ? なにか行ったテチ?」 「何も言ってないテチ。きっと空耳……」 その姿を見た二体は揃って籠を取り落とす。 捕食者が目の前にいた。 姿形は自分たちに酷似している。 ただし顔は歪んだ下ぶくれ。その体格は三倍近い。 「腹が減ったデス。お前たちの身体を寄越すデスゥゥゥ!」 「テェェェェェッ!?」 それは彼女たちと同じ実装石。 便宜上の呼称はシモブクレ族としよう。 氷期を生き残った下ぶくれ実装石を始祖に持つ部族である。 2 シモブクレ族は廃墟に住んでいる。 かつて灰色のコンクリートで覆われていた町は、完全に植物の支配する異形のジャングルと化していた。 そこには多くの動物が住んでいる。 「オラァ! くたばれデスゥ!」 「ワォーン!」 シモブクレ族はマルガオ族とは逆に、かつての平均的な実装石よりも遙かに優れた体躯を持っている。 成人の平均身長は50センチほど。 膂力に優れ、成体ともなれば実装石とは思えないほど高い戦闘力を持っている。 その上、比較的器用な手を使って己の攻撃力を強化するための武器を装備していた。 この実装石の武器は石でできたハンドアクス。それをヒモでくくりつけ腕に固定している。 もはや猫もカラスも天敵ではない。 野犬が相手でも三匹くらいまでの集団なら負けることはない。 彼女らは積極的に獲物を狩り、その肉を喰らって生活していた。 「デェッヘヘヘ……血の滴るいい肉デスゥ……」 「ママ、ワタシにも分けてテチ!」 「一口分はくれてやるデス。それ以上喰いたければ自分で取るデス」 「わかったテチ。次に肉を見かけたらワタシがブッ殺すテチ。邪魔するならママでも躊躇なく駆逐するテチ」 「いい度胸デス。その殺意が生き残る秘訣デス」 仔実装でも大きさはマルガオ族の成体とほとんど変わりないくらい。 性格は非常に好戦的。多くの集団を形成せず、古来よりの習性に従って家族単位で生活する。 シモブクレ族と一括りにしたが、彼女らにとって他の家族は獲物を奪い合うライバルである。 それぞれ特異な身体をもっていたの二匹の始祖。 その子孫は全く別々の環境で育ったため、同種ながら全く違った習性を持つようになった。 あの日にまた会おうと交わした手は今、互いを傷つけ合うための武器を掴んでいた。 3 「仲間がやられたテチ……」 果樹園から帰る最中に襲われた二匹のマルガオ族はシモブクレ族に食い殺されていた。 実装服の抜け殻と、散乱するト=メィトゥ。 そして血の跡を別のマルガオ族が発見したのである。 わざわざ服を脱がして食うやり方はシモブクレ族しかあり得なかった。 「ママァ、ママァ! レェェェン! レェェン!」 殺された実装石の仔が声を上げて泣いている。 死んだ個体は村の裏手で土葬されるのが常であった。 簡単な葬式の後、村の年長者たちは神殿前に集まって今後の対策を練っていた。 「麓の食料事情が悪くなってきたんテチ……?」 「ここもそろそろ引き上げの時期テチ」 まとめ役としての長はいるが、あくまで村の方針は年長者たちが話し合って決める。 彼女たちはシモブクレ族と事を構える気はなかった。 三倍の体格差を持つ相手に勝てるわけがないからだ。 とはいえ、家族単位で行動するシモブクレ族が村まで襲うことはほとんどない。 腕力と体格に劣るマルガオ族とはいえ、木の枝を削ったような簡単な武装は持っている。 群れのために命を投げ出す覚悟を持った一〇〇体の集団が本気で戦えばいつかは倒せるだろう。 だが、できれば戦いたくない。 戦えば必ず大きな犠牲が出るし、それは群れのためにならない行為だ。 彼女たちはとりあえず、村のみんなにしばらく集団で行動するよう呼びかけた。 あまりシモブクレ族が居座るようなら、もっと奥まった場所に新しい村を作って引っ越す必要もある。 果樹園も一から作り直しになるが、飢えて見境がなくなったシモブクレ族と戦争になるよりマシだ。 「異論がなければ明日から移動の準備を開始するテチ」 長が確認すると村の年長者たちは一様に首を縦に振った。 幸いにもシモブクレ族の襲撃は止み、これ以上の犠牲者が出ることはなかった。 4 かつて人間が暮らした町。 今は植物に覆われた異形のジャングル。 郊外の建築物は腐食とシロアリによってほとんど消滅したが、都心にあるいくつかの大型ビルはまだ原形を留めている。 シモブクレ族の多くはそれらビルの一角に住み着いていた。 今は数少ない人が残した遺産。 それを奪って居座ることは彼女たちのプライドを大いに満足させる。 実装石に住み着かれた区画はある程度劣化が緩和される。 もちろん人間の手による補修とは比べるべくもないが、自然の浸食に任せるより遙かに綺麗な状態を保っている。 ビルの上階には鳥が巣を作り、それを狙って猫や蛇なども集まるので食料には事欠かない。 その中でもひときわ高い一五〇メートル級のビルがある。 かつては町の中心部に聳える白亜のオフィスタワーであったが、今はツタと苔に覆われた巨大な緑の墓標のよう。 このビルの最上階は、シモブクレ族にとって憧れであった。 「今日〜も良い天気デ〜ス。遠くの山まで見渡せるデ〜ス」 「チププププ。他の動物共はゴミのようテチ」 ここに住まう一家はいつからか『オウサマ』の称号を名乗り始めた。 「ママ、命知らずの馬鹿がまた挑戦に来たテチュ」 オウサマ一家は実装石の中で一番の存在であるが、引き替えに気が休まる時がなくなる。 その地位と称号を狙って他のシモブクレ族が挑んでくるからだ。 「上等デス。さっさと返り討ちにしてやるデス」 「テェェ。ママ頼もしいテチュ」 「ママは苦労して少しずつ這い上がって、ようやくオウサマになれたんデス。この場所は誰にも譲るわけにはいかないんデス」 ちなみにオウサマとはこの成体実装個体のことで、仔はあくまで付属品に過ぎない。 大抵は親が死ぬと同時に挑戦者に殺されるのだが、そんな事は知らずに特権階級気分を味わっている。 奪い合うのはオウサマの座だけではない。 少しでもいい住処を得ようと、シモブクレ族は絶えず同族同士で争いを繰り広げていた。 緑の墓標の最上階でオウサマが挑戦者を返り討ちにした頃。 遙か下界ではみすぼらしい二階建ての小さなフロアを奪い合う者たちがいた。 「デボワァ!? や、やられた……デス……」 「はぁ、はぁ……こ、これでこのフロアはワタシの家デス……ようやく寒い高架下とはおさらばデス……」 食料を得るためだけでなく、プライドのためにも命を賭けて戦う。 その姿はまさに戦闘民族。 彼女たちは紛れもなくこの廃墟における最強の種族だった。 マルガオ族が総数一〇〇体ほどで一箇所に集まって暮らしているのに対し、シモブクレ族はバラバラに生活しつつもその数は二〇〇〇体を超える。 それだけの数が日々命がけで争っていれば、中には特殊な個体が現れることもある。 「セイヤッ、デス!」 その実装石は腕にした鈍い緑色に光る剣を閃かせ、瞬く間に野犬の首を切り落とした。 それを見ていた別の実装石が驚き顔で尋ねる。 「な、なんデスかその武器は……」 「これは『デスクスクソード』デス。ワタシが開発した最強の剣デス」 天才タイプ。 どんな天啓にうたれたのか、一足飛びで超技術を得てしまう個体がいた。 この実装石は独自の冶金技術で持って他者とは隔絶した攻撃力を持つ武器を生み出した。 彼女はこのしばらく後、次のオウサマとなって長くその座に君臨する。 「やられたデス……さあ、ワタシを殺すがいいデス」 「殺しはしないデス。オマエのその力、ワタシのために役立てる気はないデス?」 「な、なにを言ってるんデス……?」 「ワタシタチみたいな最底辺でも徒党を組めばオウサマを狙えるデス。ワタシがリーダーになるデス。共に上のやつらと戦おうデス」 「ゆ、夢物語デス……でも、オマエを見てたらなんかできそうな気がするデス」 カリスマタイプ。 それほど強い力を持たずとも、仲間を率いることで一定の地位を得る者。 彼女はオウサマにこそなれなかったが、ダウンタウンのリーダーとして長く影響力を示した。 ほとんど突然変異と言えるこのような特殊な実装たちだったが、決まって残念な共通点があった。 「わ、ワタシはもうダメデス……仔たちよ、最後にこの『デスクスクソード』の作り方を教えるデス。オマエが次のオウサマを継ぐんデス」 「テェェ、わかったテチ。教えてくれテチ」 「まずは翠鉱石を石炭で還元し純粋な翠石の液体(翠水)を作った後、 用途に応じて微量元素や炭素量を調整して鋼翠鉄を作るデス。 さらに最終工程として圧延を行うと鋼翠鉄が鍛えられ強度が高るデス。 ハンマーで叩いたり水で急冷したりの作業を工業的に行い少しずつ切れ味を高めるデス」 「……? 何を言ってるのかわからないテチ」 「デェェ!? なんでわからないデス!? オマエは馬鹿デス!?」 「馬鹿はママテチ! もっとわかりやすく言えテチ!」 「こ、これ以上わかりやすく言うなんて無理デ……ス……」 「テチャァ! ママ、死ぬなテチィ!」 「わ、ワタシはもうダメデス……お前たちの中から次のリーダーを選ぶデス。次の世代では必ずオウサマを狙うデス」 「わかったデス。ワタシがこいつらを率いるからリーダーは安心して眠るデス」 「ちょっと待てデス。なんでオマエが次のリーダーなんデス」 「その通りデス。リーダーとなり得るのは高貴なるワタシデス」 「は? 寝惚けてるんじゃねえデス。ワタシがリーダーデス」 「ちょ、オマエたちケンカするなデス! チームには調和が何より必要だって教えたデス!」 「いくらリーダーの命令でもこんなやつの下にはつけないデス」 「ワタシが尊敬してるのは今のリーダーであるアナタデス。別のリーダーの下になるくらいなら勝手にやらせてもらうデス」 「それはこっちのセリフデス。真っ先に殺してやるから覚悟してるデス」 「なんで……バラバラになっちゃダメ、デス……」 『り、リーダーーーーッ!』 天才もカリスマも決して後には続かない。 どんな技術もシステムも一代限りで廃れてしまうのだ。 そして次の世代からはまた元通り。 シモブクレ族はこんなふうに時たま尖っては、長い目で見ればそれほど変わらない生活を続けていた。 5 マルガオ族は争いを好まない。 というより、小柄で非力な彼女らは外敵から逃げ回るしかできないのだ。 天敵のいない山中に引きこもり、飽きもせずト=メィトゥを栽培して食べる。 村が破綻することを何よりも恐れるため迂闊に仔も増やせない。 その結果、死者が極端に少ないにも関わらず、シモブクレ族の二〇分の一以下の個体数しかいなかった。 「今日も果実いっぱい採れたテチ」 「帰ったらのんびりするテチ。たまには子どもたちと遊ぶテチ」 穏やかで変化のない生活。 危機になりうるものいえば、時々麓から登ってくるシモブクレ族のはぐれ一家くらい。 それもたいていの場合は二、三体のマルガオ族を喰らっては満足して山を下りていく。 「遊ぶのも良いけど、たまには勉強会でも開くテチ」 「それもいいテチ。家の建て方の復習をするテチ」 欲望の限りを尽くすことで天才やカリスマを産むシモブクレ族と違い、マルガオ族は徹底して欲望を抑えて生きてきた。 実装石は肥大化した欲望によって容易く理性を失う。 そうなった者は自己の利益しか考えられなくなり、いわゆる『糞虫』と呼ばれる個体になる。 糞蟲が考えられるのは自分、どんなに手を広げても家族のことまで。 それ以上の集団のコミュニティにとって糞虫の存在は致命的な崩壊要因となる。 脆弱な脳をマルガオ族たちは教育によってみごとに補強していた。 忍耐、忍従は実装石の本能に逆らう行為である。 生きるためにはそうするしかないから、彼女たちはそれを選んだだけだ。 「レチャァ! 面白いモノを発見したテチ!」 「何レチ?」 「この枝レチ。こっちを押さえてこっちに乗ると……チャァ!」 「レェ!? 飛んだレチ!」 この日、村の仔どもたちが集落の外れで遊ぶのを一匹の成体が見守っていた。 しなった木の枝が戻ろうとする反動を利用して、小さな石ころを飛ばす仔実装。 それを見て成体は思わず丸い目を大きく見開いた。 「お、オマエたち、今のもう一回やって見せるテチ」 「レェ? おばちゃんも遊ぶレチ?」 もう一度、彼女の目の前で石が飛ぶ。 それは力強いとは言えなかったが、手で石を投げるよりも遙かに飛距離が長かった。 「は、はやくみんなに知らせるテチ! 大発見テチ!」 それはこの時点では仔どもの遊びに過ぎないもの。 具体的に何の役に立つと考えて皆に知らせたわけではない。 だが、教育を通して智を伝えるマルガオ族は確実に知識を蓄積する。 そして二世代後、彼女たちは画期的な発明をした。 「いくテチ……」 二人がかりで固定したやや屈曲した木の枝。 そのそれぞれの先端にひもをくくりつけ、先っぽを尖らせた枝と一緒に引く。 「テ……テ……テチャァ!」 ある程度まで引き絞った時点で思い切って手を離す。 飛んでいった尖った枝は一メートルほど離れた木に突き刺さった。 原始的な弓矢の発明である。 「す、すごいテチ! これなら遠くから敵を攻撃できるテチ!」 威力はけして高いとは言えない。一本射るのに時間も掛かる。 実装のやわい身体ならともかく、これでは鳥を落とすこともできないだろう。 だが、彼女たちの智は蓄積する。 次の世代はもっと改良してくれるだろう。 仔たちが遊びの中で発見、それを見た親が発明、集団で改良を加えて実用化させたのは弓矢だけではない。 「木の棒の先に石をつけると高い所の葉っぱも落とせるレチ」 手持ち石刀より遙かにリーチの長い槍を作り。 「木を擦るとあったかくなるレチュ……寒い日にはこれで暖まるレチュ……レェェ!? 燃えたレチ!」 摩擦熱による火の発生の仕組みを知り。(三体ほど巻き込まれて焼死したが) 「レェ! 食べ物を火に落としたら固くなっちゃったレチ! ……でも、食べれるレチュ」 ト=メィトゥを熱することで保存の効く状態に加工する術を覚え。 「レェェン。おもしろかったヤワヤワの土がカチコチになっちゃったレチィ」 粘土質の土を日干しすることで煉瓦を作った。 一度覚えたもの決しては忘れない。 マルガオ族全体で共有し、それを仔たちに伝えていく。 天才は現れない。カリスマもいない。 けれど彼女たちは少しずつ、少しずつだが進歩を繰り返していった。 そして四十年後。 二体の始祖が袂を分かってから五〇世代目の時。 大事件が発生した。 6 シモブクレ族の今代のオウサマが、捉えた野犬の死肉をビル最上階に持ち帰り、生のまま囓っている時のこと。 ピシリ、ピシリと嫌な音が彼女の耳に届いた。 「デ? 何の音デス?」 「マ、ママ……あれ……」 人間のメンテナンスを得られなくなって二〇〇年近くが経つ。 鋼鉄製建造物とは言え、これまでよく持った方だと言えるだろう。 大きな音を立てて窓ガラスが一斉に割れ始めた。 それに続いてビルの壁に亀裂が走る。 「デェェェェェ!? わ、ワタシの居城が壊れるデス! 崩れるデス!」 「テチャァッ! 傾くテチ! 滑るテチ!」 「一体何が起こってるんデスゥゥ!? 最強のワタシが、こんなところで死ぬわけに——」 哀れな動物たちの悲鳴をかき消し、轟音と共にビルが倒壊する。 シモブクレ族にとっての栄光の象徴である緑の墓標。 それが見るも無惨にへし折れ崩れ、瓦礫となって廃墟の空に降り注ぐ。 衝撃は周囲に伝播し、他の高層建築も連鎖的に倒壊を始めた。 地下水脈となっていた地下道路が衝撃に耐えきれず陥没する。 何とか形を保っていた都市は一夜にして崩壊した。 何が起こったのか理解できた生き物はほとんどいなかっただろう。 わずか数分のうちに廃墟に住まう無数の動物たちは瓦礫に埋もれて息絶えた。 この時点で二五〇〇体ほどいたシモブクレ族の実装石たちも、九割以上が潰れて死んだ。 廃墟の崩壊はマルガオ族たちも察知していた。 地響きを聞きつけ山の高いところに登り、見下ろした町の姿は昨日までと一変していた。 「高い高いのが崩れちゃったテチ」 「テェェン、テェェェン」 茫然自失としている者もいる。泣いている者もいる。 ここにいるのはみな成体だがニンゲンサンを神と崇める者たちである。 それが何かを知らずとも、その遺産の崩壊には深く感じ入るところがあったのだろう。 だが、事はそれだけで終わらない。 「これは、大変なことになるテチ……」 呟いたのはマルガオ族の今代の長。 彼女の不安は的中した。 7 「麓のやつらが攻めてくるテチ!」 情報収集の大事さを知るマルガオ族は常に斥候を麓に放っている。 そのうち一匹から恐るべき報告が届いた。 大崩壊で多くのシモブクレ族が死亡したが、およそ二〇〇匹ほど生き残った。 やつらはエサを求めて被害の及ばなかった山を目指している。 「食い物……柔くて美味い糞蟲の肉……」 やつらはマルガオ族が育てているト=メィトゥに興味はない。 喰わんとしているのはマルガオ族の身体そのものである。 今回は敵も死にものぐるいだ。逃げたところで戦いを避けることはできそうにない。 「戦闘の準備テチ!」 長の号令でマルガオ族の皆は一斉に動き出す。 予想された状況とは違ったが、いつか麓のシモブクレ族が攻めてくることは想定していた。 その対処方が確立したのがおよそ一〇世代前である。 「ママァ、怖いテチ……」 「大丈夫。ワタシタチは負けないテチ」 いま、彼女たちが住まう家は木と藁の竪穴式住居でなく、粘土を灼いて固めた強固な住居になっている。 村の外周には同じ素材で街壁を作り、高い位置から矢を射れるようにした見張り台もある。 麓からここまでの山の途中にはいくつかの落とし穴を作った。 以前は戦いを避けることしか考えていなかったマルガオ族。 生き残るために考え、学び、必死に防衛陣地を作った。 二種族間の力の差はいつしか別種族と言っても良いほどに開いてしまている。 果たして彼女らの叡智はそれを埋めることができるのだろうか。 戦争が始まった。 「ぶっ殺すデス! チビっこい一族は一匹残らずエサにするデス!」 「近寄られる前に撃つテチ! 頭を正確に狙うテチ!」 「オラァッ! 舐めんじゃねえデス!」 「テェッ! 塀が壊されたテチ! 早く応急処置半を呼ぶテチ!」 「デェェ!? なんデスこの石は、よくわからないけど恐ろしいデス……!」 「ニンゲンサンの石像に触るなテチィ!」 「調子に乗るなデス! 丸かじりにしてやるデス!」 「敵は怯んでるテチ! 一斉攻撃をかけるテチ!」 「レェェン、ママ、ママ、助け……レチャッ」 「デプププ。糞蟲のガキは美味ぁいデスゥ」 「次女チャァーン! おのれ、よくも、よくもワタシの仔をテチィ!」 「デェ、デェ……い、いい加減に降参するデス! 弱い糞蟲は大人しく滅びろデス!」 「ワタシタチは滅びないテチ! 何が何でも生き延びてやるんテチ!」 「死ぬのは——」 「滅びるのは——」 『オマエタチデス!』 『オマエタチテチ!』 石刃が振るわれ、矢が飛び交う。 死んでしまえと怒号が巻き起こり、我こそが生き延びるぞと勇猛な声が轟く。 勝敗を左右した要因はいくつもあった。 シモブクレ族の上位陣が大崩壊でほとんど死んでいたこと。 天才やカリスマの類いの突然変異体がいなかったこと。 空腹のあまりに捕食しながら戦わなければならなかったこと。 エース的な存在が人間の石像に怯えて怯んだ隙に倒されたこと。 そして、マルガオ族が十分な技術を得てから戦ったこと。 「デボァ……」 「今テチ! 火を、火を放つテチ!」 この五〇年、どちらの種族の生き方が正しかったのかはわからない。 だが、このただ一度の戦闘を制したのは——マルガオ族だった。 「ハァ、ハァ……」 「終わった……テチ……?」 最後のシモブクレ族を四方から槍で突き刺した上、火矢を射かけて絶命させると、戦闘は完全に終了した。 長く苦しい戦いだった。 数と個々の腕力で勝るシモブクレ族は手強く、最終的に村の中にまで入り込まれた。 一〇〇匹いたマルガオ族は仔どもを含めて二〇体にまで数を減らしていた。 「テェェン……テェェェン……」 シモブクレ族は絶滅した。 けれど勝ったマルガオ族の中にも笑顔はない。 歓喜の声も上がらない。 ただ誰もが仔どものように涙を流し、この戦いが終わったことに安堵していた。 「さあ、いつまでも泣いてないで、また村の立て直しテチュ」 赤と緑の涙を流しながら、生き残ったマルガオ族のひとりがそう呟いた。 つづく
