1 その瞬間に気付いた者はほとんどいなかった。 「デス……?」 草むらに背中を預けた禿裸の成体実装は、夜空を見上げながら不思議な感覚を味わった。 深夜。ちゃんとしたねぐらを持つ他の野良実装石はすでに眠っている時間である。 不幸にも野良猫の襲撃で仔たちを失ったあげく、住処の段ボールハウスを同族に奪われリンチを受けたこの個体は、まもなく生を終えようとしていた。 産まれてからずっと、生き延びることだけに精一杯で空など見上げる余裕もなかった。 最期に気付くことのできた宝石箱のような星々。 その素晴らしい景色に抱かれ、今日の辛い体験を忘れて現実逃避している最中にそれは起こった。 全身を何かが貫くような感覚。 それは一瞬で通り過ぎたが、不思議と心地の良いものだった。 彼女の頭に過ぎるのは辛かったけれど幸せだった日々のこと。 中実装まで必死に育ててくれたママ。 糞虫になることなく良い仔に育ってくれた三人の娘たち。 不幸な襲撃によって突然終わりを迎えたけれど、思い返してみればいい事しか浮かばない。 いまわの際に彼女に幸せな気持ちを与えてくれた不思議な感覚。 飼い実装も野良実装も、ほとんどが眠りについている夜中の三時。 それを体感として感じられた者はほとんどいない。 「デス……ワタシ、きっと幸せだったデス……」 彼女がその感覚の正体に気付くことはなかった。 穏やかな気持ちに包まれながら、閉じた目は二度と開くことはなかったのだから。 2 いい夢を見た。 それは幸せなことだったけれど、気持ちを切り替えて今日も一日頑張って生きなければ。 ほとんどの野良実装がそんなことを考えながらいつもの朝を迎える。 最初に異変に気付いたのは早朝のゴミ漁りに訪れた仕事熱心な実装石だった。 「デギャ!? ゴミがないデス!」 賢い個体は人間が生ゴミを捨てる日を覚えている。 それは間違いなく今日であり、安定して食料を得られる絶好の機会のはずだった。 なんど袋を破かれ中身を漁られても一向に対策をとらず、荒れるがままに任され清掃局員たちに頭を抱えさせるそのゴミ捨て場は、 近くの公園に住む実装石にとって宝の山も同然である。 十分な量の食料が供給できるため、その場所を縄張りとする複数の実装石は争うこともない。 今日もおちついて日々のエサ探しを行うことができるはずだった。 ところが、その日はあるはずの生ゴミの山がなかった。 「デェ……日付を間違えたデス?」 「そんなはずはないデス。透明な容器の次の日デスから、間違いなく今日が生ゴミの日デス」 「ニンゲン共、ゴミ出しをサボってるデスか!?」 「どっちにせよ、ゴミがないんじゃ意味がないデス……」 ある者は悲しみ、ある者は怒りながら仕方なくその場を去ろうとする。 そんな彼女たちを同じく食料にありつけなかったカラスが襲撃した。 「デエェェェェ!」 3 次に異変を感じたのは早朝に散歩するいつもの愛護派老人を待つ仔実装たち。 茂みに隠れる母に見張られながら、エサを持ったカモを待つ。 しかし一向にいつもの老人は現れない。 「あのヒゲのニンゲン、とうとうくたばったテチ?」 「それは困るテチ。くたばるならせめてフードだけでも代わりのニンゲンに運ばせろテチ」 上手く媚びを売れずにフードをもらえず帰ってくればママの折檻を受ける。 だからこの仔実装たちは見た目によらずしたたかで知能も高い。 けれどエサを持った人間が現れないのではどうしようもない。 「まあ、アイゴハはヒゲだけじゃないテチ。昼まで待てば別のニンゲンがやってくるテチ。新参のニンゲンもワタシの可愛さでメロメロにしてやるテッチュン」 だが、待てども待てども愛護派の人間は現れない。 普段ならば実装石に無関心な家族連れがやってくる時間になっても、誰一人現れない。 「いつになったらフードを持ってくるデスー!」 「テチィィィィ!」 仔実装たちが空腹のあまりにとち狂った親に襲撃されても、人間は誰ひとり現れなかった。 4 公園近くのコンビニでは、人間のおこぼれに預かろうとする怖いもの知らずの実装石が物陰に隠れて様子を窺っていた。 車に轢かれるなどのリスクも高いが、上手くいけば公園では絶対に手に入らない甘味にありつける可能性もある。 夜になれば託児を狙う実装も現れるが、こんな時間からコンビニにいるのは勇敢、言い換えれば無謀であまり頭の良くない実装石である。 「なんで今日は誰もいないデス?」 彼女もまた、普段ならひっきりなしに現れるはずの人間が影も形も見えないことに疑問を抱いていた。 狙うのはコンビニから出てくる人間である。 建物の中に入ろうとすれば容赦なく駆逐されることくらいの知識はある。 だがこの実装石は頭が悪く、また好奇心旺盛であった。 「ニンゲンがいないなら酷いことをされることもないデス」 いつもと違う状況に用心することなく、楽観しながら建物の前までやってくる。 普段ならホウキを逆さに持った店員が駆けつけてくる所だがそれもない。 自動ドアの前に立つと、軽快なメロディと共に扉が開いた。 いつも食べ物を持った人間が出てくる建物。 その中は彼女にとって未知の楽園であった。 「デエェェェェッ!」 太陽ほど眩しくはない人工の光。 外よりもずっと快適な空調の効いた室内。 棚に整然と並んだ無数の珍しい食べ物や面白そうな品物。 あの高い台の向こうにいるはずの人間は——いない。 「甘々がいっぱいデス! 食べ放題デス!」 幸運なる命知らずは、この後しばらくこの世の天国を謳歌した。 5 とある飼い実装。 幼体の頃から厳しい躾けを受けて育ち、成体になった今はほとんど人間の手を煩わせることのない優秀な実装石になっていた。 必ず飼い主より先に起き、飼い主と自分の分の皿をテーブルに用意し、飼い主が起きてくるのを座って待つ。 ドアが開いて飼い主が現れたら元気よく言うのだ。 「おはようございますデス、ご主人様!」と。 早起きは苦痛ではない。彼女は飼い実装の立場をしっかりとわきまえていたし、何より厳しいが優しい飼い主を愛していた。 こうして朝早くに起きてご主人様を待っているこの時も幸せなのだ。 粗相をしたら厳しい罰が待っているが、そんな事はもう半年以上ない。 正しく振る舞っていれば、辛いことなど何一つない生活だった。 もうすぐだ。壁のゆっくりまわる短い針が一番下の隣に来た頃に、ご主人様は起きてくる。 彼女が元気よく挨拶をすると、眠い目を擦りながら気だるそうに挨拶を返してくれる。 いつものように頭を撫でて戸棚の奥から朝食の実装フードを開けて与えてくれる。 フードの場所は知っているが勝手に漁るなど許されない。 ご主人様に怒られるし、それ以上に嫌われるのが怖いから。 だから彼女は黙って待った。 短い針が一番下から二つ隣に来ても、黙って待った。 「ご主人様、寝ぼすけデスゥ」 悪態ではない。その声には親しみが籠もっている。 きっとお仕事で疲れているんだろう。今までも起きてくるのが遅いことは何度かあった。 そんなとき、ご主人様は実装石である自分にも申し訳なさそうに謝ってくれる。 ごめんな、お腹空いただろ。 って。 そんなとき、彼女は自分がご主人様の家族の一員なんだと強く実感する。 だから彼女は待った。 大好きなご主人様が起きてきて、朝食を用意してくれるのを待った。 大好きな笑顔を見せてくれるのを、ひたすらに待った。 6 日が傾き始める頃には、さすがに公園に住むほとんどの実装石も異変に気付いていた。 人間がいなくなった。 その現実に対する実装石たちの感想は様々である。 「ニンゲンがどっか行ったデス! きっと我々実装石に恐れを成したの……デェェェ! 来るな、ニャンニャン野郎は来るなデスゥゥゥ!」 公園の外を恐怖の世界たらしめている人や車がいない。 その事実に喜び勇んで遠くを目指そうとして猫やカラスに襲われる者。 「デェェ……どうして今日はゴミ箱に何も入ってないデス……」 普段通りの生活を心がけつつ、それが人間の残した廃棄物に頼ったものであったと気付かず普段より少ない成果に愕然とする者。 来ない飼い主を待ち続ける者。 恐ろしい虐待を受けず安堵する者。 運良く人間の領域に入り込み、味わったこともない食べ物にありつき幸せを謳歌する者。 好奇心の有無や立場の違いがもたらした状況は千差万別だったが、概ねしてその日は「少しだけいい日」だった実装石が多かったかもしれない。 普段よりも若干だが実装石の死が少なかったこの日。 そこそこの食料を家族で分け合いながら、なんとなく段ボールハウスの外を見たとある成体実装石は呟いた。 「あれ、なんか今日は暗いデス……」 公園をいつもの常夜灯が照らすことはない。 「デプププププ! あれも美味いデス! これも美味いデス! まだまだ食べるモノはこんなにあるデス! これは世界一可愛いワタシに神様が与えてくれたご褒美なんデース!」 道路を挟んだ向こうのコンビニでは、暗闇の中、入ってきた自動ドアが二度と開くことはないことにも気付かずに好奇心旺盛で頭の悪い実装石がしばしの幸せの中に身を浸していた。 つづく

| 1 Re: Name:匿名石 2016/03/08-20:26:27 No:00001952[申告] |
| 先が楽しみになる展開、糞蟲ぶりが清清しい
GJ! |
| 2 Re: Name:匿名石 2016/03/26-15:00:48 No:00002071[申告] |
| 飛び切りの糞蟲もそれが人間様のおこぼれの不法取得であると認識しないのは糞だが糞なりに行きてるやつもよく弁えた飼いも
全てがこれから崩壊していくのか…… |