ある公園に1匹の実装石がいた。 初秋に生まれた彼女は秋の実りの恩恵を受け、比較的賢い親の元で無事に初めての冬を乗り 切った。雪が降らないほどに温暖な地方だったことも幸いし、仔実装の頼りない体力でもさ して苦ではない冬越えだった。 そして春を迎えた彼女は成体となり独り立ちをした。 ある日彼女は食べ物の匂いに誘われて1台のトラックの荷台に忍び込む。しかし幾重にも梱 包された箱を開けることができず、そうこうしているうちにトラックは彼女を乗せたまま走 り出してしまった。 経験したことのない速度で過ぎ去っていく景色に飛び降りることもできず、彼女を乗せたト ラックは一路北国へ。 トラックの目的地である本州の先端まで連れて来られた彼女はそこでようやく運転手に見つ かり放り出された。 幸い運転手が実装石を野良猫か何かのようにしか思っていなかったため彼女は殺されること なく、実に数百kmという野良実装の実生ではあり得ないほどの距離を移動したのだった。 まったく知らない場所に放り出された彼女(以下旅実装)だが、意外にしたたかな性格ですぐ に近くにあった公園に居を構えることに成功した。 新天地には自然が多くあって食料にも不自由せず、また涼しげな気候のおかげで彼女は実装 石にとって地獄となるもうひとつの季節、夏をやはりさしたる苦労もなく乗り切れたのだっ た。 そして再び秋を迎えた旅実装は豊富な実りに浮かれて仔を作った。初産のためか生まれたの は4匹と少なかったが、その分栄養が行き渡り4匹の仔は全て仔実装として生まれてきた。 そこかしこに食べるものがあるため餌集めには困らない。彼女は育児をする傍ら、他の実装 石達が早くも冬篭りの準備を始めているのを見て笑っていた。 「デププ…、あいつら何やってるデス? 寒くなるのはまだまだ先デス。 ここはそんなこ とも知らないバカばっかデスゥ? デピャピャピャ…!!」 彼女には親の庇護にあった仔実装時代とはいえ一度冬を越えたという自負があった。その時 母に教わった冬越えのコツもしっかり覚えている。 彼女は今は豊富な実りをたっぷりと堪能し、年に一度の贅沢を楽しめる時期だと思っていた。 だからこそ今からバタバタと冬支度に奔走する他石達がとても滑稽に見えたのだった。 だが彼女は知らない。 数百kmという距離で生まれる気候の違いを…。 「デェェェ…、寒くなってきたデスゥ…」 ほんの数日前まで余裕を見せていた旅実装は急激に冷え込んでいく気温に驚いていた。 彼女の記憶ではまだまだ涼しい日が続くはずだったのだ。 「ママァ、寒いテチー」 仔供達も身を寄せ合って震えている。 「デェ…、仕方ないデス。そろそろ冬の準備をするデス。 お前たち、適当に葉っぱを拾っ てくるデス」 ようやく彼女は仔を連れて落ち葉を集めに行く。だがそれも非常にいい加減なやり方だ。 各々が両手に抱えられるだけの落ち葉を集めてきて終わりである。これだけではハウスの床 が僅かにかさ上げされただけだったが、彼女は十分だと判断した。 ふと見れば数m先に巣を持つご近所実装がせっせと落ち葉を巣に運び込んでいる。この実装 石(以下隣実装)は彼女のようにダンボールの家を持たず、木の根元に開いた洞(うろ)に住み 着いていた。 その巣には落ち葉や新聞紙が溢れんばかりに詰め込まれていて生活するスペースがまったく ないように見える。 ハウスを持たない隣実装のことを旅実装は内心蔑んでいたのだが、さらに不恰好になったそ の様子を見て堪らず笑い出した。 「デピャピャピャピャピャ…!! なんデス!?その無様なおうちは。 そんなにゴミを集 めてどうするつもりデスゥ?」 「何を言ってるデス!これでもまだ足りないくらいデス! 冬はとっても寒いんデスよ!?」 この隣実装は生まれも育ちもこの公園だ。過去2度冬を経験し、なおかつ生き延びている賢 い個体である。 この地方の冬の厳しさは身をもって知っている。どれだけ備えても足りることはないのだ。 だが旅実装はそんなことを知るよしもない。 「寒いからってやりすぎデース。 それじゃゴハンも食べにくいし寝転がってゴロゴロもで きないデス。 おまえビビリすぎデスゥ」 「デェ…、あなた冬は初めてデス? 悪いこと言わないデス。今からでもたくさん葉っぱを 集めるデス」 「バカにするなデス! 冬ぐらい経験済みデッス!! こうやってお布団を敷いておけば後 は家族のぬくもりでポカポカデスゥ。 そんなことも知らないデス?」 「家族って…、今からそんなに仔を抱えてどうするデス? 食べ物の蓄えは大丈夫なんデス か?」 「食べ物ならあっちのゴミ捨て場とかいうとこにたくさん落ちてるデス。それを取りに行け ばいいだけデスゥ。 そういえばおまえは固くて不味い木の実ばっかり集めてたデス。 ほんとになんにも知らない無能実装デース。 デププ…、かわいそすぎて笑えるデス!」 「ママー。こいつ、ワタチたちみたいなカワイイ仔供がいないからきっと幸せなママのこと を妬んでるんテチ。 カワイイって罪テチー♪」 「デェェェ…」 隣実装は混乱していた。目の前の実装石は冬越えの経験があると豪語している。しかしその 割にはあまりにも冬を舐めきっていた。 よれよれのダンボールハウスに僅かに敷いた程度の落ち葉。食料の蓄えもない。連れている 仔も非常食にでもするつもりなのかと思っていたがどうやら違うらしい。 どう見ても初めて冬を経験する迂闊な個体にしか見えないのだ。 それもそのはず、まさか実装石が数百kmも移動してきたなどいくら賢くたって考え付かな い結論だろう。旅実装がここの冬を知らないのと同じように、この隣実装もここ以外の冬を 知らないのだ。 「よくはわからないデスが…、忠告はしたデス」 冬を舐めて死んでいく実装石は珍しくもなんともない。わざわざ丁寧に教えてやったり手伝 ってやる義理も、そもそもそんなことをしている余裕すらないのだ。こうして立ち止まって 話をしている時間すら惜しい。 隣実装は踵を返して再び落ち葉集めに取り掛かった。 「ママー、あいつバカのくせにナマイキテチ!」 「まったくデス。 おまえたちがもう少し大きくなったらみんなで囲ってボコボコにしてや るデス。 そしたら禿裸にしてドレイにするデッス!」 「テチャー! 楽しみテチィ☆」 「さ、賢い私たちはおいしいゴハンを食べに行くデース♪」 落ち葉の中から拾い上げたドングリを大事そうにしまう隣実装を鼻で笑い、彼女はぞろぞろ と仔を連れてゴミ捨て場へと向かって行った。 翌日、南下していた寒気団が日本海側を襲った。その影響で僅か一晩で気温は昨日とは比べ 物にならないほど落ち込んだのだった。 それはこの地方では毎年のことであり本格的な冬の到来を告げる合図でもある。もっともこ の地域にとってこれぐらいはまだまだ序の口だったが、この時点で既に旅実装の生まれた地 域の寒さのピークに匹敵する温度となっていた。 「さ、さ、さ、寒いデスゥゥゥ!」 食料を取りに行こうとハウスを出た彼女は吹きすさぶ寒風に身を縮ませる。後から出てこよ うとした仔達は悲鳴を上げてハウスに駆け戻ってしまった。 「寒すぎてイタイテチィ! お外出たくないテチ。 ごはんはママが取ってくるテチッ!」 固まって少しでも暖を取ろうとする仔達から声が上がる。 「デェェェ…」 こんな寒さでは彼女だって外を歩きたくなんかない。せめて日でも出ていれば少しは違った だろうが空は灰色のどんよりした雲で覆われている。 外も寒いがスカスカのハウス内もかなりの寒さだ。風が防げるので体感温度はずいぶん違う が実際の温度的には外と大差がなかった。 旅実装は少し落ち葉の量を増やそうと思い足元の葉を抱え上げた。 その時、彼女の視界に白くて小さなものがひらひらと舞い落ちてきた。ふと空を見上げれば 同じものが大量に降ってくるのが見える。 「デェェェ…!! すごいデス! キレイデスッ!」 初めて見る雪に興奮した彼女は抱えていた落ち葉を放り出し、空に両手を広げてピョンピョ ンと跳ね回る。 突然ハシャギだした母親の様子に何事かと顔を出した仔実装達も舞い落ちる雪に夢中になり、 寒さも忘れてハウスから飛び出した。 「テチャァ! 白くて小さいのがいっぱい落ちてくるテチィ!」 「テッチィ! ママー、見てテチ!捕まえたテチ! テ…? なくなったテチ…」 「なんテチ!? ママッ、これはなんテチ!?」 「これはきっと高貴な私たちへの贈り物デスゥ!!」 光を反射してキラキラ輝く雪の中、旅実装親子達は踊ったり転げ回ったりと大騒ぎだ。 その脇にいつの間にか隣実装が現れ、険しい目で空を見上げていた。 「遂に始まったデス。 今年も何とか間に合ったデスが…」 チラッとハシャギまくる親子の方を見やり、隣実装は白いため息をひとつ吐いて自身の住処 へモゾモゾと潜り込んでいった。 しばらくして辺りにうっすらと雪が積もってきたところで旅実装親子の乱痴気騒ぎは終了し た。あまりの寒さに我に返ったのだ。 服も髪もビショビショである。仔達はハウスに戻り固まってさっきより激しく震えていた。 旅実装は落ち葉集めをしようとしていたことを思い出したが、雪の積もってしまった落ち葉 は濡れて冷たくなっており持ち帰るわけにはいかなかった。 なにより彼女自身今から外でひと仕事するような気分ではなくなっていた。 「デェ…、仕方ないデス。 また明日集めればいいデスゥ」 明日になればこの白いのも止むだろう。彼女はそう判断し、落ち葉集めも食料集めも止めに してハウスへと引き返した。 お腹が空いたと騒ぐ仔等を一喝し、彼女は仔の服を脱がす。さすがに濡れた服は着ているほ うが寒いということぐらいは知っていた。彼女も服を脱ぎ、家族は裸で集まって横になる。 しかし彼女の言うポカポカには程遠く、みんなガタガタと震えてなかなか眠ることができな かった。 次の日、旅実装は足に触れる冷たいものの感覚で目を覚ました。 「デェ…? 四女デス…?」 それは彼女の足にしがみ付いて寝ていた四女の体だった。 昨日、皆が親に寄り添って寝ているなかでスペースにあぶれた四女は仕方なく足に抱きつい て寝たのだが、今やその体は青白く氷のように冷たくなっていた。 「よ、四女ォォォ!! しっかりするデス!!」 足から引き剥がし必死に揺さぶるが、既に四女の目は白く濁り身体は完全に硬直してピクリ ともしない。凍死しているのは明らかだった。 母親の叫びで姉妹達も次々に起きてくる。 「テェェェェン! 四女チャァァァン! テチャァッ!?」 姉妹達は四女の遺体に泣きつくがあまりの冷たさに悲鳴を上げてすぐに離れる。 「デェック… デェック… 四女のことは仕方ないデス…」 涙を拭いながら旅実装は告げる。 「ちょっと葉っぱが足りなかったみたいデス。 もう少し集める必要があるデスゥ」 今更ながら用意した落ち葉では足りなかったと悟った彼女は取り急ぎ追加の落ち葉を集めて くることにした。 だが昨日脱いだ実装服はまだ乾いておらず、四女の体以上に冷たくなっていた。とても着る ことはできない。 ハウスの周りの落ち葉を集めるくらいならいいか、と裸で外に出ようとした彼女だったが、 いつもならちょっと押せば開くハウスの出入り口が今日はやけに重い。 「デーッス! デーッス!」 仔達にも手伝わせて全力で押していくと全開とはいかないがようやく彼女が出られる程度に は開けることができた。 「デェッ!? な、なんデスこれはぁ!!」 顔を出した彼女の視界に飛び込んできたのは一面の雪景色だった。地面も茂みも何もかもが 真っ白に染められている。昨日降り始めた初雪は止むことなく、シンシンと降り続けたのだ った。 現在の降雪量はおよそ5cm。試しに一歩踏み出してみた彼女はズボッと片足がなんの抵抗 もなくめり込んでしまい、バランスを崩して雪面にダイブするハメになった。 「デギャァァァ!! 冷たいデス! 痛いデスゥ!」 真っ裸で積もった雪の上に倒れこんだのだから当然だ。彼女は雪の上で七転八倒し、全身を 真っ赤にさせてハウスの中に飛び込んだ。そして近くにいた長女と三女を抱きしめる。 愛情表現のハグではない。ただ単に冷えた体を温めるカイロ代わりにしただけだった。 もちろん当の長女と三女は堪ったものではない。 「テヂャァァァ!! 冷たいテチ! ママッ、はなしテチィィィ!!」 キンキンに冷えた母親に抱きしめられた長女と三女はイゴイゴと必死に逃れようとするが仔 と成体の力差ではどうしようもない。結局母親が落ち着くまで抱かれ続け、ようやく開放さ れた時には顔面蒼白でぐったりと横たわるしかなかった。 「何なんデス…。 こんなの知らないデスゥ…」 開け放たれていた出入り口を閉めながら彼女は呟いた。何もかもが自分の知っているものと 違う。去年はこんな雪なんて降らなかったし、ここまで寒くなるのは一時だけだった。 だが今、すぐに止むと思っていた雪は未だ降り続いており、気温もさらに下がってきている。 彼女は自身の冬越えの知識がまったく通用しない現実に焦っていた。 「ママー、おなかすいたテチ…」 その背に仔から声がかかる。氷のハグから逃れていた次女だった。 「ガマンするデス。 こんな寒いのに外に出たら死んじゃうデス」 「でも昨日も何も食べてないテチ! このままじゃおなかがすいて死んじゃうテチ!」 「ガマンしろと言ったデス。 明日になればこの白くて冷たいのもきっと止むデス」 「イヤテチィ! 明日までガマンできないテチ! カワイイワタチが飢えてるテチ! さっ さとごはんを持ってこいテチャァ!!」 ついにキレた次女が暴言を吐きジタバタと地団駄を踏む。 その様子を旅実装は冷ややかに見つめていたが、やがてノシノシと近付くと次女の前髪を掴 んで持ち上げた。 「テッチャァァァ!! イタイテチ!はなしテチ! ワタチのお髪が抜けちゃうテチィ!」 暴れる次女をブラブラと揺らしながら彼女はハウスの出入り口に戻る。 「ワガママ言う仔は糞蟲デッス! そんなに食べ物が欲しければ自分で探してこいデス!」 そして僅かに戸を開き、その隙間から次女を放り投げた。 「チュベッ!」 落下した次女だが積もった雪がクッションになり大したダメージにはならなかった。 いや、だからこそダメージは深刻だったとも言える。 「テヂャァァァ!!」 積もった雪は成体の母親なら足が埋まる程度の深さだったが、仔実装の次女では半身が埋ま ってしまう。しかもそれは立った場合の話であり、投げ出されて倒れた次女は完全に雪の中 に埋没してしまった。 全身をふんわりと包み込みそれでいて刺すような痛みを与える新雪のパウダーの中で、まる で水の中で溺れているかのようにもがく次女。 その様子にフンッと鼻をひとつ鳴らして母である彼女はハウスの戸を閉めた。 「ママッ! ママァッ!! 寒いテチ! イタイテチ! 中に入れテチィィィ!!」 少しすると次女の叫びと共にぺすぺすと戸を叩く音がしてきた。 だが彼女はそれにアクビで応える。 長女と三女は抱き合って震えていた。今母の機嫌を損ねれば次は自分達がああなるとわかっ ていたからだ。 ハウスにはしばらく次女の声と戸を叩く音が響いていたが、やがて徐々に小さく力なくなっ ていき遂には静かになった。 「ママァ…」 頃合を見て長女が離しかける。 「なんデス…? おまえもゴハンを探しに行きたいんデス…?」 帰ってきたのは冷たい返事。長女は慌てて否定した。 「ち、ちがうテチ! ワタチは良い仔テッチュン☆ ゴハンはガマンするテチュ。 でも寒 いんテチ。ママに抱っこしてほしいテチィ」 抱き合っていた長女と三女だが仔実装同士の体温では一向に温まらない。この場でもっとも 高い熱源である母親にくっついていなければ体温は奪われる一方だ。 「おまえたちは良い仔デスー。 さ、ママのところに来るデス!」 結局長女にとっても生きるための打算だったが母親はそれを甘えと判断した。彼女は愛情深 い個体ではないが、慕ってくる分には自分の次ぐらいに仔を可愛がっていた。 結局その日も彼女達は食料を取りに行くことも寝床の保温性を上げることもできずに抱き合 ってただただ震えながら過ごすしかなかった。 次女と三女がいなくなった分よりいっそうハウスの気温は下がってしまっている。 「明日には晴れるデス…。 明日には晴れるデス…」 奥歯を鳴らしながらブツブツと呟く彼女の言葉は仔に言い聞かせるためか、あるいは天への 祈りであるのか…。 だが実装石1匹祈ったくらいで天候が変わるよしもない。雪は変わらずシンシンと静かに降 り続けるのだった。 そして翌日。 「デェェェ…。 まだ寒いデスゥ…」 ハウス内に旅実装の力ない声が響く。寒さに震えてほとんど眠れず、目の下には大きな隈が できていた。2匹の仔の顔も同じようなものだ。寝不足に加えて育ち盛りに2日も絶食させ られたこともあってむしろこっちの方が酷いくらいだった。 「マ…マ…。 寒い…テチ…。 おなか…、すいた…テ…チ…」 特に三女は衰弱が激しかった。凍えて死んだ四女ともうほとんど差がわからないような肌の 色になり、動くことはおろかまともにしゃべることさえできなくなっていた。 このままではマズイ。さすがに旅実装も本格的に危機を感じ出す。 とにかく自分の持つ知識がなんの役にも立たないことがショックだった。何かを参考にしよ うにも既にこの状態からでは何も…。 そこでふと彼女は起死回生のアイディアを思いついた。 「そ、そうデス! 隣のあいつデス!!」 彼女が思い出したのはほんの数m先に住んでいる隣実装のことだった。 「あいつはたくさん葉っぱを集めてたデス! 木の実もいっぱい溜め込んでいたデス! あ いつのおうちを襲って全部私たちのものにするデッス!! ついでにあいつは禿裸にして 出産石としてドレイにしてやるデース!」 雪の積もった中、落ち葉を集めたりゴミ捨て場まで餌を探しに行くことはできない。だがす ぐ近くに全てを持っている相手がいるのだ。だったら奪ってしまえばいい。 彼女はそれが最良の策だと考えた。 そうと決まれば善は急げだ。彼女は脱ぎ捨ててあった自身の実装服に数日振りに袖を通した。 相変わらず濡れていて氷のように冷たいが、雪の中を生身で行くよりはずっといい。それに もしかしたら隣実装と戦いになるかもしれない。強くて賢い自分が負けるなどと思っていな いが身を守れるものは多い方に越したことはない。 「じゃ、行ってくるデス! お土産はたくさんのお布団と食べ物デスゥ! ついでにドレイ も1匹デス。 お肉食べ放題デーッス!」 着替え終わった彼女は震えながらも勇ましく長女に言い放ち、ハウスの扉に手をかけた。 「デーッス! デーッス! デーッス!」 だがどうしたことか扉はビクともしない。昨日も確かに重かったがそれでも全力で押せばど うにか開くことができたはずだった。 動かない扉をしばらく押し続けて息も上がってきた彼女は、逆に戸をハウスの内側へ引き込 んでみることを思いついた。何かがつっかえていて押しても開かないが、内側に倒せば開く はずだ。 さっそく引っ張ってみると思ったとおり戸は簡単に動いた。 「デププ…。 やっぱり私は天才デッスーン☆ それじゃあ今度こそ行ってくるデス!」 気合を入れて残りを一気に引き倒す。 「デ…?」 だが目の前に現れたのは外の景色などではなく、真っ白な雪の壁だった。 その中にまるで地層に現れた恐竜の化石の様に、戸を叩く格好のまま凍死して固まった次女 の姿が見える。 そう、あれから止むことなく降り続けた雪はついにハウスを埋め尽くすまでに積もってしま ったのだ。 「デェェェ…!? どうなってるデス!? これじゃ出られないデスゥ!!」 試しに壁に手を付いてみるとズボッとやはりほとんど抵抗なくめり込み、その腕に冷たさか らくる痛みが走る。彼女にもこの壁が昨日の地面を覆っていたものと同じであることが理解 できた。 さらに触ってしまったことで壁が崩れてハウスの中に雪が流れ込んでしまった。足元を飲み 込んだ雪の冷たさに彼女は悲鳴を上げてハウスの奥まで退避する。 「デェェェ…! 知らないデス! こんなの知らないデス!! ママからも教わらなかった デスゥゥゥ!!」 自分の知識が通用しない。新しく考えたことも即座に否定される。八方塞がりの状況に彼女 の頭はパニック寸前だった。 「ママ…」 背後で長女の暗い声がした。 「三女チャンが死んだテチ…」 長女に抱かれている三女の目は白濁し、青ざめた顔には絶望の表情が張り付いていた。 寒さと飢えで衰弱し風前の灯だった三女の命は旅実装が戸を開けた際に入ってきた冷気で文 字通り吹き消されたのだった。 「四女チャンも次女チャンも三女チャンも死んだテチ…。きっとアタチもすぐ死ぬんテチ…」 暗い表情でつぶやく長女。実際彼女の体力も限界に近い。 「仕方ないんデス…、仕方ないんデスゥ…」 うわ言のように繰り返し、長女を抱きしめようとする旅実装。しかし伸ばしたその手は長女 によって払いのけられた。 「何がしかたないテチ!? ぜんぶママのせいテッチィィィ!!」 「デデッ!? 長女!?」 「ママがしっかり冬のジュンビをしなかったからこうなったテチ! おとなりみたいにもっ とたくさん葉っぱのおふとんをヨウイするべきだったテチ! ごはんもいっぱい集めてお けばよかったテチ! ママの言うことはぜんぶハズレだったテチ! 冬を越えたことがあ るなんてウソッパチテチャァァァッ!!!」 「ち、ちがうデス! こんなのはママも初めてなんデス! 前の冬は白くて冷たいのも降ら なかったんデス! こんなはずじゃなかったんデスゥ!!」 「ワタチが死ぬんテチよ!! 知らなかったで済むかテチィ!! ママは役立たずテチ!! ムノウジッソウはおまえのほうテッシャァァァ!!!」 「うるさいデス! 私がいなけりゃおまえたちなんかとっくに死んでるデス! 今まで生き てこれただけでも感謝しろデッスゥ!!」 極限状態でガマンしていたものが一気に噴出した長女。 小さなプライドを傷つけられて逆上する旅実装。 2匹の罵り合いはしばらく続き、そして… 「黙れデッシャァァァッ!!」 「チュベッ!!」 ついに旅実装が手を上げた。 顔面を殴られた長女は吹っ飛び、ハウスの壁に激突する。 陥没した顔を押さえて転がる長女に馬乗りになり旅実装はさらに拳を振り下ろす。 「このっ! 糞蟲がっ! 私にっ! 逆らうなっ! デスッ!」 「チュガ! ヂィッ! チバッ! チュボッ! ヂャッ!」 長女は一撃入れられる度に形が崩れ原型を無くしていく。 「ヂュッ…!」『パキン』 そして短い悲鳴と乾いた音を最後に長女は動かなくなった。 ズタボロになった長女を見下ろしながら旅実装は荒い息をつく。 「まったく…、どいつもこいつも糞蟲ばっかデス! わたしの言うことを聞かないからこう なるんデスゥ! お布団もごはんもあいつらがもっとしっかり集めれば良かったんデス!」 実際には言うことを聞いていたからこうなったのだが都合の悪いことは脳内で脚色するのが 実装石だ。ついでに今の状況も仔達のせいにして、彼女は長女の血に濡れた手を服に擦る。 「デ…。 おいしそうな匂いデス…」 ふと手についた血の匂いに鼻が反応した。仔実装ほどではないにせよ、連日の断食は成体で ある旅実装にも堪えるものだ。 そんな彼女にとって目の前の長女の死体はもはや新鮮な生肉でしかない。 「デッスーン☆ おいしいデスー♪ 叩いたお肉は柔らかくて絶妙な味デッスー!」 グッチャグッチャと仔だったものを食べる旅実装。食事をするのもそうだが肉を食べること 自体が本当に久々だった。 ついでにと凍死した三女と四女もかじってみたがこちらは冷えて固くなってしまい歯が立た なかった。 とりあえずまだ温かい長女の死体を完食し、腹を満たした旅実装はごろりと横になる。 「ゲップ! まったくバカなやつらデス。どうせ明日には晴れたデス。そうすればお布団も ごはんもお肉もいっぱい手に入ったのにデス。 まあいいデス。あいつらはデキソコナイ だから死んだデッス。 暖かくなったらもっと賢くてカワイイ仔を産めばいいだけデース」 根拠はまったく無いが明日になれば晴れると信じている旅実装はいつも通り寝て過ごそうと した。しかし体温を分け合う仔がいなくなった今、この場で唯一の熱源である彼女の体温は どんどんハウス内の冷気に奪われていく。しかも出入り口から雪崩れ込んだ雪が室内にさら なる冷気を送り込んでいた。 必死に落ち葉を抱き寄せて暖を取ろうとするが、両手に落ち葉を抱えた程度では大した保温 効果を得ることはできない。今まで以上の寒さにガタガタと震えながら彼女はひたすら耐え ていた。その顔は死んでいった仔達と同じくらい青ざめている。長女を食べて体力を得なか ったら彼女もすでに凍死していたことだろう。 だが、そうして一晩耐え続けた彼女に奇跡が起こった。 ハウス内の温度が上がってきたのだ。もちろんまだまだ寒いには寒いのだがそれでも一時期 よりはずっと暖かい。 「デェェェ…。 良かったデス…。 きっと晴れたんデスゥ…」 震えにより体力を奪われ、寒さで顔面を蒼白にした彼女は安堵の息を吐く。 これで外に出れる。ごはんを食べて力をつけ、隣の無能実装からすべてを奪って奴隷にして やる。そして春まで安泰に暮らしてカワイイ仔をたくさん産むんだ。 その一念でもはや満足に動かない体に鞭を入れ、彼女は未だ雪で覆われた出入り口へ進む。 『ミシリ…』 その時、ハウスの天井から何かが軋むような音がした。 それを皮切りにハウスのいたるところからメシメシメシと異様な音が聞こえ始める。 「な、なんデス!? 何の音デスゥ!?」 周囲から聞こえてくる異音に彼女は狼狽しキョロキョロと辺りを見渡す。 そして気が付いた。ハウスが潰れかかっていることに。 「デッ!? おうちが…、おうちが壊れるデッスゥゥゥ!!」 まるで何かが踏みつけているように天井が大きく陥没して迫ってくる。それに合わせて三方 の壁もくの字、あるいは蛇腹状に折曲がっていく。特に開けっ放しだった出入り口側はもう ほとんど潰れてしまっていた。 「誰デスッ!? やめるデス!! 潰れちゃうデス!! やめろデッシャァァァ!!!」 ミシミシと潰れていくハウスの天井に向かって吼える旅実装。だがそれに応える者はいない。 当然だ。そこには誰もいないのだから。 3日前から降り続けていた雪は今朝から猛吹雪へと変わっていた。凄まじい量の雪が降り、 場所によっては積雪が1mに達しようかという所もある。 もちろん旅実装の住む公園にも例外なく雪は吹き荒れ、彼女の家は白い粉に埋もれて消えた。 完全に雪中に埋もれたことで『かまくら』のような状態になって一時的にハウス内の気温が 上がったものの、さらに降り積もっていく雪の重みにヨレたダンボールの家が耐え切れなく なったのだ。 旅実装の見てる前でハウスの天井の綴じ目がメリメリと開いていく。そこからまるで砂時計 のように雪が流れ落ちてきた。 その後は一瞬だった。 「デギャァァァァァッ!!」 ドザーッと雪崩れ込んできた雪に飲まれて彼女は悲鳴を上げた。全身を襲う冷たい痛みから 逃れようともがく。だがそれは水の中で水から逃れようとするのと同じくらい意味の無いこ とだ。違う点といえばもがくことで呼吸ができる程度のスペースは空くといことか。 だがそれが返って苦痛を長引かせていることに彼女は気付かない。いっそ早々に窒息死でも してしまった方が楽だと思えるほどの地獄の苦しみを味わいながらも彼女は生へしがみ付き、 純白の粉雪を糞尿で緑に染めながら足掻き続ける。 しかしやがて体中が紫色に変化しだす頃になると彼女の動きは徐々に鈍くなっていく。冷え た体が意思に反して動かなくなっているのだ。 「なんでデス…? 私は間違ってないはずデス…。 これでちゃんと…冬を越せる…はず… だった…デ…」 『パキン』 未だ降り積もる雪の下で、静かに乾いた音がした。 それから数ヶ月が経った。この地方の冬は長い。ようやく気温も上がり、雪もあらかた溶け て春の訪れを感じられるようになった頃、公園の木の下に空いた洞から1匹の実装石が這い 出してきた。 「久しぶりのお外デス…。暖かいデスゥ…。 今回もなんとか生き延びることができたデス」 巣いっぱいに落ち葉を集め、余計なカロリーを消費しないようひたすらその中で丸くなって 過ごす。手を伸ばせば届くところに保存の効く木の実などの食料を溜め、少しずつ少しずつ 食べる。余計な食い扶持となる仔をこの時期に持つなど論外だ。 これが隣実装が母から学び、自身が実践してきたこの地方での冬越え、いや、冬篭りの方法 だった。 姉妹の中でもここまで完全に教えを理解できたのは彼女だけだった。おかげで今回で3回目 の冬を越えることができた。独り立ち以来他の姉妹には合っていないがおそらく生存してい るのは彼女だけだろう。 長く厳しいここの冬はどんなに注意していても僅かなミス、微かな不運が原因で実装石達の 命を奪っていく。 だが相変わらず毎年多くの実装石が冬を舐めて準備を怠り、春には凍死体となって見つかる のだ。 隣実装が数m先にあった旅実装の巣の方を見ればまだ溶けきらない雪の小山の中から苦悶に 満ちた旅実装の紫色の顔が突き出していた。 「だから言ったデス…。 そして、悪く思わないでほしいデス…」 隣実装は雪の中から旅実装の死体を引きずり出す。そして日の当たるところにそれを転がし ておいた。こうしておけばカチンカチンに凍りついた肉もじきに柔らかくなるだろう。 長い冬を越えた体は痩せ細り、すぐに大量の栄養を取る必要がある。その時もっとも手っ取 り早く効率がいいのが冬越えに失敗して死んだ同属の死体なのだ。 今回はわざわざ探しに行かなくてもほんの数m先に迂闊な同属の巣がある。冬篭りに入る前、 彼女にはきっとこうなるだろうということがわかっていた。 「もう少ししたらもっとポカポカになるデス。そしたら賢くてカワイイ仔をたくさん産むん デスー」 早くも解凍されてきた旅実装の足をかじりながら隣実装は呟く。 厳しい冬は去った。次の冬までまた幸せな生活が送れることを喜びながら彼女はクチャクチ ャと久々の肉を堪能した。 だがこの3日後、近年の異常気象が原因かこの地域一帯に時期外れの大雪が降ることになる。 人々の生活にも大きな打撃を与えたこの大雪が、春を迎えて浮き足立った実装石達に何をも たらしたのかは言うまでも無い。 <あとがき> と言う名の言い訳 新年1発目のスクを上げさせてもらいました。明けましておめでとうございます。 執筆中のパンチョ第4話後編がネタ詰まりでなかなか進まないなかで虹黒でチラッと振られ ていたネタにインスピレーションを受け、気分転換も兼ねて書いてみました。 しかしいざ完成してみると元ネタとは似て非なるものに…。難しいものデスね。 こんなのでも楽しめてもらえれば幸いデス。それでは皆様も良いお年を。 今年も実装にますますの悲哀があらんことを!
