現在はネットでなんでも買える時代だ。 ちょいと実装石さえ小突けばストレス発散できる俺にとって、 酒も博打も風俗すらも無用の長物。 結婚のあてすらなく貯めた貯金を、いざ何かに使おうかと悩んでみれば、 近場は某県の片田舎、廃棄された校舎が売りに出されている。 それなりの値段ではあるが、買えないこともない。 ふーんと思いつつ、写真をクリックしているうちに、あるものが目に止まった。 一時期、実装石界隈で流行ったアレが試せるんじゃないか? 長めの休暇を前にして、早速業者に連絡をとってみた。 ******************************************* 親指の世界 序章 ******************************************* 改めて買ったのは、目の細かいネットを何枚か、それとかなり大量の砂利、そして土だ。 トラックで運んだそれらを、今回の目玉、廃校のプールにセットしていく。 そう、俺が買ったのは屋外式のプールだった。 廃屋の更に一部、それも全体の買い手がついたら明け渡すという条件で、 あまりにも手軽な価格で権利を手に入れることができた。 水は止まっているが、下水は整備すれば使えるという、いうなればただの水槽。 人間が使うにはどうしようもないが、底に浅く砂利と土を敷けば、巨大な植木鉢が完成する。 試しに放水してみれば、ちゃんと排水機構も働いているようだった。 周囲の金網を補修し、空には鳥除けのネットを張り巡らせる。 15m×25mの巨大な箱庭の完成である。 さて、お楽しみはここからだ。 植木屋から、あるいは山中からこっそりと入手した数々の植物、大きめの岩、あるいは礫や砂をあちこちに配置。 中でも姫リンゴやろうや柿など、実のなる小さめの木を多めに植える。 浅めのプラスチックトレイや塩ビパイプを割ったものを組み合わせて水の流れる場所を作り、 丘や崖といった地形もそれに合わせて設計。 さらにビニールや道具などを土の中や茂みの陰などに隠しておく。 なかなか満足のゆく「世界」が完成した。 主役たち……親指実装を迎える準備が整ったわけだ。 * * * 用意した親指実装の中で、まずスタメンを張るのはうち30匹。 バラバラに入手(まあ野良の所から連れ去ったりペットショップの廃棄物を貰い受けたり様々だ)したそれらで、 15匹ごとのチームを作る。 片一方のチームからは靴を奪い取り、もう片方のチームの親指は全員ハゲにする。 これらの作業は睡眠薬で深く眠っているうちに速やかに行い、処理が終わったチームはまとめて 「世界」の対角線の反対側に設置した。 親指たちが置かれた「世界」からはプールの縁は遥か上空にあることになる。 普通に生活するには壁として意識することすらできまい。 さて、これらの親指たちはいったいどのような行動を起こすのだろう。 俺がやろうとしているのは、かつて「ボックスサム」と呼ばれた親指の多頭飼い。 プールサイドに作った観測基地……まあテントだ……の横に伏しながら、双眼鏡で長期的な観察を開始した。 ******************************************* 最初に気がついたのは裸足チームの一匹だった。 眠たそうに起き上がると、キョロキョロと周囲を見渡す。 「テチ?」 何かが違うと判断したのだろうか。立ち上がろうとして、靴がないことに気がつかず、 いつもと違う塩梅に転んでしまう。 「テェ…テェェェン テェェェン」 あまりにもか細い親指の声だったが、薬の効果が切れかけた他の親指たちが目覚めるには十分な刺激だったらしい。 「テェェ」 「テチャァァァ」 「テチ? テェェ? テェェェ? テェェェェン」 いつも庇護してくれた親はいない。小さい身体で守ってくれた姉もいない。 ただ見覚えのない世界に放り込まれた。 その事実だけに怯え、啜り泣く親指たち。 * * * 小さな声とはいえ、15匹も集まればかなりの騒ぎになる。 微かに聞こえる鳴き声に、対角線の向こうで、同じようにハゲチームが覚醒する。 「テェェ」 「テチャ」 「チプププ」 「チプ」 ただし、ハゲチームは裸足チームと少し様子が違った。 目が覚めて違和感は感じたのだろうが、次々目を覚ます知らない同族がハゲであるのを目の当たりにして、 その異常な光景に思わず笑ってしまったらしい。 「チプププペペペペ」 「チペペペペ」 「チペ?」 「チ…テ…テテ?」 「テチャァァァァ!」 しかし、お互いに笑いあうということは、自分を見て笑っている同族も入るということ。 ふと気がついた一匹が恐る恐る自らの頭に手を伸ばすのを皮切りに、15匹に自分こそハゲであるという驚愕の事実が伝播した。 「「「「「「「「テチャァァァァァァ」」」」」」」」 * * * 「テチィ!」 遥か彼方から聞こえるハゲチームの悲鳴に、今度は裸足チームの一匹が反応する。 本能で同族の悲鳴による危険信号を感じたのだろうか。 その一匹は未だに啜り泣く同類に一喝する。 「テチェ! テッチェ! テッチャ!」 それを聞いた裸足チーム、びくりと反応すると、全員が恐る恐る立ち上がった。 そして一喝した親指は手早く周囲を見渡すと、近くにある茂みに向かって走り出す。 続く14匹。 誰から教わったものか、実装石の中でも特にひ弱な親指実装。 緊急時の生き汚さは仔実装よりも強いと言われているが、納得である。 全員が茂みの中に隠れたことを確認すると、今度は周囲をびくつきながらも警戒する例の一匹。 どうやら、裸足チームの中では一番臆病かつ判断力に富んだ個体らしい。 いつの間にか他の裸足達はこの親指の言うことを聞いてしまっている。 これが後に裸足リーダーと呼ばれる個体が最初に見せた個性だった。 * * * その一方で、ハゲチームの方にも動きがあった。 悲鳴を上げたあとは呆然と立ちすくむ親指の中で、一匹だけが猛然と横にいる一匹を殴り飛ばしたのだ。 「テベッ」 「テチィィィィ!」 殴り飛ばした親指は、15匹の中でも少々体が大きめの一匹。 さっきまでまさに自分を指さして笑っていた一匹を殴り飛ばすと、そのまま馬乗りになって拳を振るい続ける。 「テッチェ テッチェ テッチェ テッチェ」 「テベ テボ テブベ ベボ」 軽い親指の拳とは言え、何度も振るえばそれなりのダメージになる。 馬乗りになって逃げ場もないとなればなおさらだ。 「テッチェ テッチェ テッチェ」 「ベ ボ ……! … … 」 よほど悔しかったのか、我が身への理不尽の怒りの吐き出し口を真っ先に見つけたのがこの個体だったのか。 やがて殴られ続けた親指は完全に動かなくなった。 ゆっくりと立ち上がる暴行親指。 その様を呆然と見ていた他の13匹がびくっと後ずさる。 「テチェェ」 周囲を見渡した暴行親指が何と言ったのか結局わからなかったが、 これが後にハゲリーダーと呼ばれるこの親指が群れを掌握した瞬間だった。 ******************************************* 双眼鏡から目を離し、軽く目を揉む。 時計を見れば、観察開始からそれほど時間も経っていない。 なるほど、生き物が生涯に刻む鼓動は皆同じということか。 特に寿命の短い親指実装ともなれば、まともな実装よりも圧縮した時間を生きているのかもしれない。 とりあえずは軽く監察結果をメモり、ハゲチームの項目に×マークをひとつ書き込む。 これから一週間。庇護者たちから切り離された生き物たちがどう動くのか。 早くも群れとしてまとまり始めた両チームの次の一手に期待しながら、まずはその晩のキャンプの用意を始めた。 続く ******************************************* 中将◆.YWn66GaPQ また少し余裕が出来たのでリハビリに細々と観察モノを 親指たちの声はピンとこなかったので仔実装のものと共通させていただきます
