冷たい風が吹き抜ける十月の終わり。 多くの実装石は冬越えの準備をしている時期だった。毛布代わりになるタオルや新聞紙 を集めたり、保存の利く木の実を集めたり、また目端の利く者は緊急用の武器となる金属 類を探したりもする。 「困ったデス……」 一匹の実装石が草陰で腕組みをしていた。いわゆる賢い個体。実装服の上に、マントの ようにタオルを羽織っている。不格好であるが、防寒効果は高い。 「子供たちはどうするデス……」 実装石が考えているのは、秋に生まれた仔六匹をどうするかである。 越冬前に生まれた仔実装は成長が遅く、春や夏生まれの仔ほど餌を必要としない。それ でも、越冬用食料を圧迫するのは確実である。秋生まれの仔を越冬時の非常食として考え る者もいるが、この実装石はある程度仔に愛情を持っていた。 「ワタシも覚悟決めないといけないデス」 辛くても、間引かなくてはいけない。そこで妥協して全滅の危険性を高めるほど、親実 装は甘くはなかった。何匹間引くか、それが問題である。 だが、その問題は突然解決した。 「テチャァッ!」 「テヂィィィ、ヂュッ……!」 「ママァァァァ……テッ!」 段ボールハウスの方から響く仔実装の悲鳴。 「何事デスッ!」 親実装はすぐさま仔実装の元に走る。少し離れた所にいたため、戻るまではいくらかの 時間がかかった。時間にして十数秒。 段ボールハウスのある場所にたどり着き、親実装は足を止める。 「これは、何デス……」 遊んでいたはずの仔実装が、バラバラになっている。まるで刃物で斬ったように、真っ 二つになって地面に散らばっていた。辺りに漂う血の臭い。さっきまで元気だった仔実装 たちは、全員血塗れの斬殺死体となってる。偽石も砕けていた。 赤と緑の血の筋が一本、仔実装の破片から近くの草むらに伸びている。仔実装たちを殺 した者の痕跡。その先がどうなっているのかは分からない。 「デェェ……」 血の筋を見ながら、親実装は動くこともできず数十分固まっていた。 それが、始まりだった。 「——とまあ、こんなあらすじなんだけど、どうよ?」 俺はひらひらと手を振る。 ソファに座っている居候薔薇実装の紫電。相変わらず何考えてるのか分からない無表情 で、黄色い片目を視線を空中に動かしてから、 「構成ノ厚ミガ、足リナイ……」 「うあ」 率直な意見に、仰け反る俺。 紫電は物語を食べる突然変異種ということもあり、創作物の質を味として感じることが できるらしい。俺の家に居着いてるのも、俺の小説生原稿を食べられるからだ。ただ、俺 の文章は高級料理というわけでなく、非常に舌に合う家庭の味らしいけど。 手近にいた批評家もどきとして、これから書く予定のホラー系短編のあらすじを聞かせ た反応がコレ。味とか質とか以前に、構成の駄目出し喰らった……。 「チクショー。ホラーなんて書いたことないのに、何で引き受けたんだよ……俺?」 卓袱台のノートパソコンに向き直り、ガシガシと両手で頭を掻く。俺の専門はちょっと 不思議な日常系物語。ホラーは専門外だってのに。でも、引き受けたからには書かないと いけない。それがプロってもんだ。 にしても、実装に駄目出し喰らうって……。 「うぅ」 俺はノートPCのキーボードに突っ伏した。 家主さんの書こうとしていた小説。 自殺した女性が大切にしていたハサミが、女性を自殺に追い込んだ男女を襲っていくと いう話だった。考えて間もないあらすじなので、味は無い。ちゃんと調理すれば美味しい 話になると思うが、料理の材料を生で食べさせられたというのが紫電の感想である。 「モウスグ、冬ニナル……」 晴れた空を眺めながら、紫電は川縁の道を散歩していた。 地面から少し浮かんでの移動。歩いているわけではないので、散歩という表現は正しく ないが、それで誰が困ることもない。 サッ、カサッ…… 草をかき分ける音が聞こえる。 同じくして漂ってきた血の臭いに、紫電は振り返った。 「デッ……助けて、デスッ……」 枯れ草をかき分け、一匹の実装石が現れる。 「カワ、イソ……ウ……?」 紫電は足を止め、その実装石を凝視した。 全身を刃物で滅多切りにされている。 実装石は紫電に気付かず、前に走っていた。何かから逃げるような必死な足取りで。片 目は潰れ、実装服も千切れている。残った片目もまともに働いていないようだ。全身に刻 まれた傷口から、血が流れている。 斬られたのは、ついさっきだろう。鋭利な刃物を用いて乱暴に斬りまくったような、不 自然な創傷だった。偽石にも傷が付いているのが見て取れる。 「誰か……痛、いデスゥ……」 ぱたりと倒れる実装石。 パキ、と偽石の割れる音が聞こえる。 恐怖は無い。 紫電は右手に水晶の剣を作り出し、辺りに眼を向けた。まっさきに思いついたのは、虐 待派。だが、すぐに違うと判断する。人間の仕業ではない。 冷たい風が川縁の草を揺らしている。高さ六十センチから八十センチのイネ化植物。名 前は知らないし、知っている必要性も無い。葉の擦れ合う音が、静かに響いていた。周囲 に人間の気配は無く、生き物がいる気配もない。 だが、微かに感じた視線。 「誰……?」 紫電がそちらに目を向けると、枯れ草が微かに揺れている。気配は無いのに、何かがそ こにいた。距離は二十メートルほどだろうか。草に遮られ姿は見えないが、ソレはじっと 紫電を見つめている。 枯れ草越しに、見合うこと数秒。 不意に草の揺れが紫電から遠ざかっていく。紫電には興味を持たなかったらしい。速さ は人間の小走りくらいだろう。草の間から金属の光沢が僅かに見えた。興味を持たれなか ったのは、幸運と言える。 ほどなく草の揺れが消えた。 視線の主は、どこかへ行ってしまったらしい。 「コレハ、一体……」 実装石の死体を前に、紫電は水晶剣片手にしばらく固まっていた。 小学校の近くの道路を歩く、獣装石と実蒼石。 駅前交番のアオゾラとビースだった。 「今日も何事も無かったデス」 「平穏はいいことボクゥ」 いつもの日課の下校の見回りを終え、駅前交番へと帰るところである。いつもと変わら ない平日の夕方。冬も近いため、子供たちの服装は厚くなっていた。 アオゾラやビースの服も季節に合わせて冬用へと変化していた。実装生物の服は身体の 一部のため、夏は生地が薄くなり、逆に冬は生地が厚くなる。動物の夏毛冬毛のような、 夏生地冬生地だ。 「ボク?」 「デス?」 二匹同時に足を止め、顔を動かした。視線を感じたのである。 二匹が目を向けた先は、空き地だった。背の低い木が何本か並んでいる。誰かが手入れ をしているようだが、誰が手入れをしているのかは、アオゾラたちも知らなかった。そこ に生えたお茶の木目的に、夏頃から実装紅が一匹住み着いている。 しかし、その視線は空き地の実装紅のものではない。 「今、視線を感じたボク……。変な視線だったボクゥ……」 「気のせいじゃないデス。でも、実装紅さんじゃないデス」 顔を見合わせる二匹。数秒の思索から、お互いに首を傾げる。 自分に向けられる人間の視線、実装生物の視線、犬猫カラスの視線、どういう相手が見 ているのかは何となく分かるのだ。しかし、今のは生き物の視線とは全く違う。あえて言 うなら、無人のカメラに似ているかもしれない。 「ダワ゛ッ!」 実装紅のくぐもった悲鳴に、二匹は一度頷き合い、走った。 道路から空き地の現場までは二十メートルもなく、二匹が現場にたどり着くまでは、ほ んの数秒。短い距離を走り抜けた先に、実装紅が仰向けに倒れている。 左胸に小さな穴が開いていた。砕けた赤い石が地面に落ちている。もう息はない。左胸 を何かで貫かれ、偽石も砕かれ、ほぼ即死状態だ。 「何事ボクゥ……」 ハサミを取り出しながら、アオゾラは周囲に目を向ける。ビースも両手の爪を構えて、 辺りに警戒の眼差しを向けている。 誰かが実装紅を殺した。 見た限り虐待派などの人間ではない。野良犬や野良猫、カラスなどの動物でもない。実 蒼石、獣装石、薔薇実装などの実装生物でもない。 何かが実装紅を殺した。 その相手はすぐ近くにいるかもしれない。いるかもしれないのに、それらしき気配が何 も無い。二匹は言い知れぬ恐怖に震えながらも、勇気を振り絞って辺りを見ている。不意 に日常に割り込んできた、不可解。 五分ほど構えてから。 相手が近くにいないと判断し、二匹はゆっくりと実装紅の死体に近づいた。 「アオゾラサン、地面を見るデス。引きずった跡があるデス」 ビースが地面を示す。 実装紅の傍らから、血の筋が伸びていた。二十センチも進まぬうちに血の筋は途切れて いるが、地面の砂に微かな跡が残っていた。 細長い物を引きずったような跡。 道路の近くの草むらから実装紅に近づき、一度途切れてから、実装紅の傍ら反対側の草 むらに消えている。おそらく何者かが草むらから現れ、アオゾラたちを見てから実装紅に 近づき、胸を貫いて立ち去った。 「さっきの視線はこいつだったボク……。でも、おかしいボクゥ……」 地面の跡を見ながら、アオゾラはハサミを下ろす。 引きずった跡と一緒に足跡でもあったなら、少しは納得できただろう。しかし、地面に あるのは何かを引きずった跡のみ。地面には実装紅の足跡が残っているのに、実装紅を殺 した者の足跡が残っていない。見た限り実装紅が抵抗した様子もない。不意打ちで胸を刺 されている。 奇妙だった。 「気味が悪いデス……」 ビースは空き地を見回しながら、そう呟く。 しばらく考えてから原因不明と結論づけ、二匹は実装紅を空き地の隅に埋葬した。 小説のネタが浮かばない時は、とりあえず散歩。それが俺の創作方法だ。 朝七時過ぎのまだ寒い中、町内を適当に歩き回る。道順は大体決まっていて、時折知合 いとも出会うことがあった。出会って話し込むこともあり、そのまま挨拶だけということ もある。 「お?」 道に立っている老人を見かけた。 七十ほどのお爺さん。利藏さんだった。 「おはようございます」 「おお、黒野さんか」 声をかけた俺に気付き、軽く右手を持ち上げる利藏さん。 ちなみに、黒野ってのは俺の名字ね。 利藏さんの散歩コースと俺の散歩コースは一部重なっているらしい。時々こうして顔を 合わせることがある。でも、一ヶ月くらい前の実装石駆除活動以来か。 「どうかしたんで……ん?」 そちらに歩くに従い、微かに鼻を突く臭いが漂ってくる。これは実装石の血の臭い。俺 は虐待派のはしくれだけど、最近は実装石に関わりたくない時間の方が多い。でも、実装 石ってのは一度関わると、完全に無視するまでとことん関わってしまう。 利藏さんが見ているのは、小さな公園だった。 そこに、実装石の死骸が転がってる。成体が四匹、全身を滅多切りにされている。バー ルのような鈍器類じゃなくて、鋭利な刃物で乱雑に滅多切りだった。傷口から流れた血。 偽石は砕けてるらしく、全て実装石は目を白濁させている。 「黒いニンゲン……?」 自分で言った言葉に、俺は身震いした。 以前、双葉町を騒がせた虐待怪人。ひとしきり話題を掻っ攫ってから、ぷつりと消息を 絶っている。うちにも被害者の実装さんと実装紅来たな。二匹治療するのに、諭吉さんが 吹っ飛んでいったっけ。思い出すと、目頭が……。 実蒼石と薔薇実装、実装石が斬られていたのもこの公園だ。 「いや、今回はそいつじゃないようだ」 利藏さんが指で実装石たちに指を向ける。 指差しているのはその傷口だった。鋭利な刃物で斬られてるけど、黒いニンゲンのよう なきれいなものじゃない。あの切り口は一目見て並の技量でないことが分かる。でも、こ の実装石たちは適当に刃物を振り回したような、そんな雑な傷だ。 「凶暴化実蒼石がいると噂になってるよ。保健所が動いてるらしいが、見つからないと聞 いている。君のところの薔薇実装は徘徊癖があるから、注意した方がいい」 「はぁ……」 おそるべし、老人情報網。 凶暴化実蒼石か。厄介なモンが現れたな。ある意味、野良実装石の公園占拠よりもタチ が悪い。1/4サイズのヒトガタがそこそこ斬れる刃物持ってるんだから。 紫電にも言っておくか。普通の薔薇実装なら実蒼石1ダースが相手でも互角以上に戦え るのに、あいつは普通の実蒼石にも身体能力が届かないらしい。 「しかし……」 利藏さんが腕組みをする。 神妙な表情で、実装石たちを見ていた。 「ワシの見立てじゃ、こいつら実蒼石に殺られたんじゃない。少なくとも……実蒼バサミ で殺られたんじゃない。多分、人間の作った刃物で斬られてる」 「俺には見分け付きませんけど……」 首を傾げる。俺は虐待派のはしくれだけど、実装石を傷付けるのが苦手だ。血とか肉と かそういうグロいのが苦手。というか、薬品フェチです、ええ。 言われてみても、実装石を斬った刃物が何かは見当が付かない。 利藏さんがふっと白い息を吐き出した。 「ところで、実装石処理スプレー持ってるかい?」 「一応」 俺はポケットから150mlポケット処理スプレーを取り出した。 双葉山近くにある小さな双葉橋。双子川を跨ぐ、長さ三十メートルほどの小さな橋であ る。橋の根本は雨風の凌げる環境のため、数匹の実装石が巣を作って住み着いていた。車 の通る音がうるさいことが欠点であるが、慣れればどうということもない。 「来るなデギャァアァァァ!」 「助けてデシャアアァァ!」 仲間の悲鳴が後ろから聞こえていた。 日の暮れた薄暗い川縁。襲撃者は突如としてやってきた。夜目の利かない実装石。どん な相手かも分からず、右往左往しているうちに、なすすべなく襲われていく。 「バケモノが出たデスゥ!」 一匹の実装石が闇雲に走っていた。 のたのたと、ただ死に物狂いで。パンツからこぼれた糞が点々と地面に落ちている。た またま用を足しに橋の下から離れていたため、襲われずに済んだのである。まさに九死に 一生を得た幸運だった。 だが、それも長くは続かない。 「デッ、川デスッ!」 目の前には双子川があった。 闇雲に走っていたため、川の方へと来てしまったのである。運良く川に気づけたが、一 歩間違えていれば川に落ちていただろう。 「とにかく、逃げないと殺されるデ——」 別方向に逃げようと身体の向きを変えたその時。 視界の端に銀色の光が映った。 「ギャ……!」 喉から漏れる短い悲鳴。焼けるような痛みが身体を襲う。誰が何をしたのかは分からな いが、何かされた。仲間を殺したバケモノが、自分を殺しに来たのだと理解する。 ドボン。 耳に入ったそんな音。 実装石は川に落ちていた。水の冷たさに息が止まり、身体が強張る。しかし、意外と速 い流れのおかげで、すぐに川岸から離れることができた。 「デェェ……ェッ!」 水に流されながら、実装石は川岸に目を向ける。 川岸に佇む、小さいヒトガタの何か。 それが何者か考える暇も無く、実装石は川の流れに飲み込まれた。 「いい苗床ルトー」 嬉しそうに呟く実装燈。 その下には、実装燈の麻痺羽針を刺されて動かない実装石が一匹いた。 「デ……ェ……」 身だしなみもきれいで血色も良く、健康そうな個体である。しかし、毒のせいで意識も 朦朧としているため、自分がどうなっているのかは分かっていない。 ご存じの通り、実装燈は実装石に仔を寄生させる。基本的に寄生相手は実装石であれば よく、その気質はほとんど影響しない。 しかし、この実装燈は賢い実装石を選んでいた。賢い方が仔が成長するまで生き延びる 確率も高く、栄養状態も良いため元気な仔が生まれやすいからだ。 この実装燈も、普通よりも知能の高い個体である。 「それじゃ、仔を生むルト」 実装石の首筋に噛みつき、口から吐き出した小さな卵を産み付けた。小さな砂粒のよう な卵。偽石の種と表現する方が正しいかもしれない。傷口はほどなく回復し、卵を体内へ と閉じ込める。 「春には元気な娘が生まれるルトー」 心此処に在らずといった実装石の頭を撫で、実装燈は飛び上がった。これから自分も越 冬の準備をしなければいけない。そんな事を考えながら。 スッ……。 実装燈は地面に落ちる。 「どうし、た……ルト……?」 訳が分からず、両手を動かす実装燈。飛び上がったと思ったら、いきなり地面に落ちて しまった。痛みはないが、なぜ落ちたのかが分からない。 飛び上がった直後に、腹を一文字に断たれて地面に落ちたのである。誰かが端から見て いたら、実装燈がいきなり上下に分かれたように見えただろう。それを行った犯人は、実 装燈の目に入る場所にはいない。 「ワタシの腰と足ルト……」 落ちていた下半身を見つける実装燈。 内蔵のこぼれ落ちる傷口を見て、自分が上下真っ二つに斬られたことを理解した。 「ジャンクになっちゃっ、たル……ト……?」 他人事のようにそう呟いてから、ゆっくりと目を閉じる。 それきり実装燈が目を開けることは無かった。 『凶暴化実蒼石がいるので、注意するように』 ほどなくそういう話が広まり、子供やペット、その他実装種は外出を控えるようになっ た。しかし、保健所職員がいくら頑張っても、凶暴化実蒼石は姿を見せない。 逆に斬殺される野良実装は着実に増えていた。 神社近くにある、少し大きな民家。 そこで飼われている実翠石の翡翠は、家の掃除をしていた。 「お家をきれいにするですぅ♪」 実装用ホウキを持ち、家中を丁寧に掃いている。父親は会社、母親はパート、子供達は 学校へと行っている。翡翠は一匹で留守番をしながら、自分ができる家事をこなす。それ が翡翠の昼間の日課であり仕事だ。 それはリビングを掃いていた時である。 カチッ……。 「何で——」 後ろから聞こえた軽い金属音に、翡翠は振り向いた。その時持っていた実装ホウキが、 生死を分ける。"一番贔屓された実装"と言われたり言われなかったりする実翠石。 換気のために少し開けておいた窓。 そして、閃く白刃。 「すぅ……?」 翡翠は蹌踉めくように倒れた。 右胸が熱い。なのに身体は冷たい。手足から感覚が消えている。自分に何が起こったの かは分からなかった。ただ、横向きに倒れて動けないのはぼんやりと理解する。朦朧とす る意識なのに、どこかが異常に冴えていた。 右胸から溢れる血が、リビングの絨毯をゆっくりと赤く染めていく。 「お部屋汚しちゃったですぅ……」 翡翠は他人事のように呟いた。 胸を斬られて仮死している翡翠を見つけたのは、その家の長女だった。 可愛い飼い実装の変わり果てた姿に一度はパニックに陥りかけたものの、気合いで冷静 さを引き戻し、的確な処置を取った。その精神力は特筆に値するろう。 翡翠は病院に運ばれ一命を取り留める。 「ホウキを持っていなかったら、死んでいた」 それが医者の言葉だった。 鋭利な刃物による、右胸の創傷。一歩間違えば偽石を壊されていただろう。偶然にも実 装ホウキに刃物が当たり、軌道が逸れて偽石への直撃を回避したのだ。 実装石ならば、希釈活性剤一発で元通りだが、他の実装生物ほどの再生能力を持たない 実翠石ではそうもいかない。完治までは一ヶ月程度の入院が必要だった。 それでも、命が助かったのは幸運だろう。 「犯人は人間の可能性が出てきたか……」 俺は回覧板を見ながら、呻いた。夕方のニュースでもちらっと話題になっている。 室内にいた実翠石が斬られていた。換気のために窓を少し開けていたので、入る気にな れば誰でも入れただろう。だが、凶暴化実蒼石とはいえ普通は人間の家に入ってまで他実 装を攻撃することはない。 利藏さんが警察の知合いから聞いた話によると、犯人が室内に侵入した形跡はないらし い。室内はもちろん、外にも犯人らしき痕跡は無い。ただ、何か細い刃物を引きずった跡 だけが残っていたとか。おそるべし老人情報網……。 「なんか、怪奇現象だよな」 まるで刃物が勝手に動いて実装生物襲ってるみたいだ。 ノートパソコンの画面に表示された警察のホームページ。 『弐地浦市警察 双葉町実装斬殺事件』 今回の一件の話が書かれている。 双葉町近辺の実装生物が鋭利な刃物によって斬り殺される事件。現在は凶暴化実蒼石と 人間の犯行、両面から捜査中。一ヶ月前に現れた不審者との関係性は不明。 要約すると、そんな内容だった。 黒いニンゲン、か。 あれも、謎な事件だったなぁ。 俺はソファに座って辞書を読んでいる紫電に声をかけた。 「お前も気をつけろよ?」 「分カッテイル……」 返事はいつも通り淡泊だった。 双葉町にある林の中。 「ボクッ!」 一匹の実蒼石が振り向きざまにハサミを振った。食べられるものを探していたら、不意 に背後に殺気を感じたのである。それを迎撃するようにハサミを一閃。 キィン……。 澄んだ金属音を響かせ、実蒼バサミが地面に落ちた。刃の付け根から冗談のようにきれ いに切断されて。地面に落ちた刃先がふたつ。 「ボォォクゥゥゥッ!」 赤と緑のオッドアイを見開き、実蒼石はハサミを凝視した。 命の次に、いや自分の命である実蒼バサミ。多少の刃毀れなら自己修復するが、ここま で壊されてしまえば、直る余地はなかった。 特殊な接着剤でくっつければ治るのだが、一介の野良実蒼石が実装用接着剤の存在を知 るはずもなく、知っていても手に入れることはできない。 だが、実蒼石が自分のハサミについて嘆く時間は短かった。 「ボッ……」 短い悲鳴が上がる。 頭を貫かれて偽石を砕かれ、実蒼石は仰向けに倒れた。 ただならぬ自体が起こっていると言っても、それに対処できるのはあくまでも人間と、 人間の庇護下にいる幸運な者のみ。野良実装たちは自分に不幸が降りかからぬことを考え ながら、日々を過ごすしかなかった。 それでも、誰もが自分は大丈夫と根拠も無く考えてしまうものである。 「これで終わりデスゥ」 一匹の獣装石が、枯れ枝をゴミ捨て場に片付けていた。 神社公園の群れの若い獣装石である。春に生まれた獣装石で、現在は重作業及び戦闘担 当の七班に所属している。身体能力も高く、賢く真面目で働き者。観察派には期待の新星 などと呼ばれていた。 「もうすっかり夜デス。日が暮れるのが早くなってるデス……」 両手を叩き埃を落としてから、獣装石は空を見上げた。夜の色に染まった空には、星が 輝いている。五時半くらいだというのに、空はすっかり夜のものだった。辺りも暗く、外 灯が無ければ何も見えないだろう。 「デェ、寒いデス……」 ひとしきり空を見上げてから寒さに身を震わせる獣装石。 「早くご飯食べてお休みするデスゥ……」 白い息を吐いてから、振り返り—— 動きを止めた。 「デス?」 最初に目に入ったのは、銀色の刃物だった。刃渡り三十センチくらいの細長い、真っ直 ぐな刃物。それを持っているのは、実蒼石のようである。 ボロボロの実蒼帽子を頭に乗せているので、多分実蒼石だろう。禿裸で実蒼服は着てい ない。両目は無く、黒い空洞があるだけ。左腕は根本から千切れている。皮膚も腐ったよ うな色で、所々肉が削げ落ち、骨が見えていた。明らかに死んでいる風貌。 「オバケ、デス……?」 「ボォォ……ゥゥ……」 実蒼石の低く小さな唸り声。 と、同時に動いた。動けるはずのない身体で。尋常ならざる速度で。 「デアァッ!」 獣装石は咄嗟に横に転がり、振り抜かれた刃を躱す。 だが、左腕だけは逃げ切れなかった。根本から斬り落とされている。閃いた刃物を咄嗟 に受け止めようとした前腕と、その腕の根本を。地面に落ちた腕の断面と肩から、血が流 れ出ていた。焼けるような痛みが、傷口から広がっている。 「何なんデス……?」 「ォォ……クゥゥ……」 実蒼石がゆらりと獣装石に向き直った。 そして、走る。足音も立てず、目にも留まらぬ速度で。実蒼石は実装生物の中でも一番 素早いが、このオバケ実蒼石は並の速度ではなかった。 「何なんデスゥゥゥ!」 襲い来る刃を紙一重で躱しながら、獣装石は叫んだ。 ただ出鱈目に刃を振り回すだけ。その速さが常軌を逸している。非常に運動神経のいい 獣装石でも、避けるだけで精一杯だった。時々刃が身体を擦っている。 実蒼バサミならダメージ覚悟で受け止めることも出来ただろう。しかし、この刃物は絶 対に防げないという確信がある。 「やめるボクゥゥッ!」 ガッ。 一匹の実蒼石が、オバケ実蒼石の頭を蹴り抜いた。神社に住んでいる実蒼石である。獣 装石の悲鳴を聞きつけ、助けに入ったのだ。 オバケ実蒼石は風船のように宙を舞い、ふわりと地面に落ちる。 「ボクゥ……。これは、何者ボク……?」 ハサミを取り出しながら、虚を突かれた声を漏らす実蒼石。オバケ実蒼石を目にして、 助けに入ったことを、うっすらと後悔しているようだった。普通はこんなよく分からない モノが獣装石を襲っているとは思わない。 獣装石は残った右手を構えながら、涙声で言い返す。 「それはワタシが訊きたいデスゥ……」 「ボォ……ォ……」 オバケ実蒼石は、眼球の無い眼窩で現れた実蒼石を見やり。 滑るように闇に消えた。 オバケ実蒼石の話は瞬く間に広まった。 獣装石と実蒼石から神社公園のボスへ、ボスから神主へ、神主から警察、保健所へ。 途中、話が枝分かれしつつも、犯人はオバケ実蒼石であると広がっていった。そして、 噂を聞いた者はその真偽を確かめようと集まってくる。 「今話したのが全部デス……」 木の台に寝かせられた獣装石。オバケ実蒼石に斬られた傷口を包帯で覆っている。 公園の隅っこにある、実装石の治療スペースだった。治療担当の四班が、治療を行って いる。消毒と止血を行っただけだが。神社公園では重傷でない限り、活性剤などは使わず 治す決まりだった。 「不気味デス」 「改造実蒼石かもしれないボクゥ……」 「でも、相手は分かったカシラー。これで何とか対策立てられそうカシラ」 その前には、神社公園の実装たちに加え、周囲から集まった賢い実装たちが話を聞いて いた。実装金と実装燈姉妹、アオゾラとビース、紅姫、さりげなく長老とその娘も集まっ てきている。野次馬実装集団だった。 「面会は終わりデス」 「患者を休ませたいデス」 「みんな、大人しく帰るデスー!」 四班の実装石たちが、押し寄せた野次馬達を帰そうとしている。野次馬がこれだけいた のでは治療に専念することもできない。治療内容は、回復力を高める薬草を傷口に塗った りするだけだが、これで治療具合はかなり変わる。 騒がしく押し合いへし合いする医療実装石と、野次馬たち。 その騒ぎをすり抜け、紫電は獣装石の横に来ていた。 「ヒトツ、気ニナルコトガアル……」 「紫電サン……」 獣装石が顔を向けてくる。 紫電も時折神社公園の手伝いをしているので、群れの実装石たちには知られていた。大 人しい薔薇実装というだけでも、かなり珍しいものである。 紫電は右手を持ち上げ、水晶の刃を作った。 「アナタヲ斬ッタ刃物ハ、鋏デハナク……、コンナ形ノ銀色ノ細長イ刃物……?」 作った水晶の刃を獣装石に見せる。長さは約二十センチ、幅は二センチ弱、厚さは約三 ミリ。反りの無い真っ直ぐな刃。水晶で作られた刃のレプリカだった。 「そんな感じだったデスゥ。実蒼バサミじゃなかったデス……」 「ソウ……」 紫電はレプリカ刃物を消し、包帯の巻かれた獣装石の左腕を見やった。 切り落とされてからおよそ一日。健康状態のよい実装石ならば、機能はともかく見た目 くらいは再生しているはずだ。獣装石の左腕は斬られたままの状態である。 「アナタノ左腕……」 「再生しないデス……」 獣装石は目を逸らし、悔しげに唇を噛んでいた。理由は分からないが、オバケ実蒼石に 斬られた箇所はほとんど再生していない。辛うじて血が止まっただけだ。腕だけでなく、 あちこちに出来ている傷も酷く直りが悪かった。 「カワイソウ……」 紫電は獣装石に背を向け、その場を後にする。 保健所の若い職員が、社務所の横手のベンチに座っていた。外では吹いている風も、神 社の敷地内ではそれほど強くない。右手には高性能リンガル。 隣には一匹の実装金が座っている。 「先に報酬を頂くカシラー」 「これでいいかな?」 職員は荷物から弁当箱を取り出し、実装金の前に差し出した。 中身は弁当箱いっぱいの卵焼きである。この実装金への報酬はいつも、この大量の卵焼 きだった。それは、得られる情報からすれば破格なものだろう。 蓋を開けてから、卵焼きの一切れを口に入れる実装金。 「やっぱり卵焼きは美味しいカシラー!」 喜びに目を輝かせながら、涙を流している。 実装金は卵焼きを好む。だが、野良実装金が卵焼きを口に入れる機会はまずない。 お茶類の葉を体内発酵させて紅茶もどきを作れる実装紅や、体内の乳酸菌を用いて乳酸 発酵が可能な実装燈は自力で好物が作れるし、甘いもの好きの実装石もなんだかんだで結 構金平糖などの甘味を口にしている。 しかし、調理済み卵焼きの入手は、それらに比べて非常に難しい。 しばし感激してから、実装金は職員に向き直った。 「さあ、何でも訊くカシラ。この町の実装の噂なら何でも教えるカシラー!」 神社に住むこの実装金の、趣味とも使命とも言える噂集め。市の保健所職員との取引に よって卵焼きを手に入れるのも、その目的のひとつだった。いわゆる実装情報屋。 職員は鞄からメモ帳を取り出し、 「ここ最近で、実蒼石が実装石に殺されるような事はあった?」 「双葉橋の下に住んでる実装石たちが、実蒼石を倒したって自慢してたカシラ。ここ三ヶ 月じゃそいつらだけカシラー」 「ふむ」 職員が頷く。 オバケかゾンビのような実蒼石。実装石に襲われた実蒼石の慣れの果てと、保健所職員 の多くは推測している。瀕死の状態から何かのリミッターが外れて暴れる実装生物という のは、稀に存在するののだ。 「そいつらは四日前に殺されてるカシラ……」 実装金が目をそらす。 職員は眉を落とした。重要参考実装石として捕獲しようと考えていたのだが、どうやら 無理のようである。想定外とも言えないが、少ない選択肢がひとつ消えるのは痛い。 だが、実装金は続けた。 「でも、一匹だけ逃げ延びたみたいカシラー。双葉山に逃げ込んだという噂は聞いている カシラ。でも、それからどこに行ったのかは知らないカシラ……」 「それは困ったな」 双葉山は小さな丘だが、実装石一匹を探すのには十分に広かった。市の保健所の予算と 人員での山狩りは、無理がある。実行してもまず見つからないだろう。 「他に質問はあるカシラー?」 「いや、今は無い。でも、また機会があったら頼むよ」 メモ帳をしまい、立ち上がるが。 実装金が口を開いた。 「ひとつ質問があるカシラー」 「ん?」 「オバケ実蒼石に斬られた実翠石はどうなってるカシラ? オバケ実蒼石に斬られた獣装 石は左腕が治らないカシラー。翡翠は大丈夫カシラー……?」 不安げな実装金。話を聞く限り、実翠石とは知合いらしい。 実蒼石に襲われて生存が確認されているのは、現在実翠石と獣装石の二匹のみ。他はこ とごとく殺されている。一撃で殺される者もいれば、滅多斬りにされる者もいた。 「実翠石は回復してるよ。獣装石は再生しないらしいけど、実装石だからかな? 今生き てるのは、その二匹だけだからどっちが正しいかは分からないけど」 「ありがとうカシラー」 そう言って、実装金は頭を下げた。 双子川の川辺。 芝のような背の低い枯れ草が地面を覆っている。所々に、背の高い枯れ草が茂みを作っ ていた。冬前の今では緑色を残している草もほとんどない。 川を下るように吹いている冷たい風に、紫電の髪が揺れている。 「黒イ、ニンゲン……」 獣装石が言っていた刃物の形状は、黒いニンゲンが持っていた剣に似ていた。杖に仕込 まれた細い刀。紫電を刺し、雪華実装を一蹴し、初期型実装石を襲った武器。 「ここに来れば、私に会えると踏んだのか?」 「!」 目の前に、黒いニンゲンが立っていた。 いつ現れたのかも分からない。どこからか歩いてくる姿は見ていない。だが、紫電の目 の前にいる。まるで空中から現れるように、ただそこに立っていた。 高級そうな黒い服と黒い帽子に身を包んだ、落ち着いた雰囲気を持つ老紳士。右手にス テッキを持っている。左手は——無かった。上着の袖が風に揺れている。顔の左側を縦に 走る真新しい傷跡。左目も潰れているようだった。 「さすが初期型と言ったところかな。引き分けに終わったよ」 凶暴な微笑みを見せる黒いニンゲン。どんな戦いがあったのか、紫電には知るよしもな い。だが、その戦いで黒いニンゲンはある程度渇きを満たせたようである。 「本題に入ろう」 黒いニンゲンが右手だけで杖を腰に差し、音もなく剣を抜いた。抜き放たれた剣は、根 本から二十センチほどのところで折れている。初期型との戦いで折れたのだろう。 「今この町で実装を斬っているのは、私の斬実剣だ」 「ナゼ……実蒼石ガ、ソンナ剣ヲ……」 大きく息を吸ってから、紫電はなんとか声を絞り出す。透明な威圧感に身体を貫かれ、 まともに身体を動かせない。左目と左腕を失い、武器も壊れている。しかし、黒いニンゲ ンはその程度で弱体化するほど甘くはないはずだ。 黒いニンゲンは仕込み杖に残った刃を眺めながら、 「この斬実剣は常に実装の血を求める。折れた刃は使い手を捜していたのだろうな。実装 を恨んでいる、自分を使ってくれる、丁度いい傀儡人形を……。ふふっ」 折れた剣を鞘に収め、楽しそうに笑っていた。 黒いニンゲンは今双葉町で起こっている事態を完全に把握している。その上で、どう流 れが進むか傍観しているのだ。 「君たちがどうやってアレを止めるか、楽しみにしているよ。おや?」 わざとらしい身振りで足元に目を向ける。 「おい、ニンゲン。ここはワタシたちの縄張りデス!」 「縄張りテチー!」 黒いニンゲンの足元に実装石親子が立っていた。親実装に、仔実装四匹。川縁に居着い た実装石だろう。いつのまにやってきたのか。紫電は黒いニンゲンに気を取られていたせ いで気付かなかった。 「勝手に入った罰として、コンペイトウよこすデスッ!」 ふわっ…… 実装石親子が空中に浮き上がり、地面に落ちる。 一瞬にして禿裸となり、さらに手足の関節を壊され、犬のような四つ足になっていた。 黒いニンゲンの右手が空中を舞ったと思ったら、この姿である。何をしたのかも見当がつ かない。さながら魔法だった。 細切れになった実装服と髪が風に流されていく。 「デッ、デズッ?」 「テチー、ッチャー!」 喉も壊され、ただの無意味な鳴き声しか出せなくなっていた。自分がどうなったか分か らずじたばたしていたが、自分以外の姿を見て自分の姿を理解する。 「デゲゲギャァ!」 「テチチャー!」 暴れながら抗議する実装石だが、黒いニンゲンの姿は無くなっていた。 「私は殺さない主義でね」 そんな声だけが聞こえた。 木の洞に隠れたまま、実装石は怯えていた。 橋の下で怪物に襲われ、運良く川に落ちて生き延び、何とか岸に這い上がった。それか ら、あの怪物が来ない場所へと必死に逃げたところである。 双葉山にある大木の洞だった。 「痛いデスゥ……」 実装石は自分の右腕を見る。 根本から切られた右腕と、顔を縦に走る大きな傷口。あの怪物にやられた跡だった。普 通の生き物なら致命傷であるが、非常識な再生力を持つ実装石にとっては、即座に命に関 わる傷でもない。数時間もすれば再生が始まる、 しかし、傷口はいまだに血を流し続けていた。じくじくと痛みが続いている。 「傷が治らないデス……。デェェ……お腹空いたデス……」 空腹を訴える腹の音を聞きながら、洞から外を眺めた。 どこにあの怪物がいるか分からないため、洞から出られなかった。時々食べ物を求めて 外に出ても恐怖からすぐに洞に逃げ込んでしまう。ここにいるのも外を歩くのも危険性は 変わらないが、それでも外は怖かった。 外は明るいものの、言いようのない不気味な空気を漂わせている。ただの晩秋の森の景 色だが、実装石には異形の風景に見えていた。 「ここにいたか……」 「デヒッ!」 突然聞こえた声に、大袈裟なまでに身体を強張らせる。 しかし、それが人間の声と気づき、その恐怖は消え去った。実装石は本能的に人間を庇 護者と見なす。人間の庇護下にいれば絶対に安全という考え。 「助けてデスゥゥゥゥ!」 泣きながら、実装石は洞から飛び出した。 飛び出して、自分に声を掛けた人間の姿を探す。 周囲に人間の姿は無かった。地面に落ちた枯葉、葉っぱの落ちた枯れ木。冷たい風が流 れている、晩秋の森の中。人間は影も形も無い。 「少しだけ、手助けしてやろうか」 その言葉を最後に、実装石の意識は途切れた。 その日、保健所に一匹の実装石が届けられた。差出人は不明。右腕を失い顔に深い傷の ある実装石だった。それを見た職員は、オバケ実蒼石に襲われた実装石と判断、すぐに事 情聴取を行った。 実装石は泣きながら、自分たちが実蒼石を襲った事を告白した。 結果…… 「どうして、こうなるデェェェスゥゥゥッ!」 木の棒に縛り付けられた実装石が、泣きながら暴れている。 双葉町の空き地の一角に、実装石は囮として捕らえられていた。被害分布のほぼ中心部 に位置する空き地。ハンマーで地面に打ち込まれた木の棒に、頑丈なロープでしっかりと 縛り付けられている。 「なにぶん相手は変な実装だから、我慢してくれや」 中年の男が、乾いた笑いを浮かべて実装石を見やった。 六十センチほどの棒と、透明な盾を持った三十過ぎの男である。白い駆除用作業着を着 て、あちこちにボディアーマーを装備していた。似たような格好の男が三人、空き地の周 囲に隠れて、お互いに無線で連絡を取り合っている。 男の近くには保健所で飼っている対実装用実蒼石が控えていた。人間と同じように、身 体の要所をボディアーマーで覆い、ステンレス製のハサミを持っている。 人間四人、実蒼石四匹という構成。 「オバケは来るボク……?」 「分からん……」 実蒼石の一匹の言葉に、無精ヒゲの男が首を振った。 普通の凶暴化実蒼石ならば、罠などを用いて捕獲する。だが、今回は相手が特殊な実蒼 石なので、かなり荒っぽい捕獲方法を取っていた。囮作戦。 デスデスと泣きながら死に物狂いで暴れる実装石を一瞥。 「これで上手くいくと良いんだが……」 「駄目なら、実装研に協力を要請するらしい。多分、実装研頼みだろうな。この作戦も駄 目元だし、市行政だけでどうにかなる相手でもないよ」 無線にぼやいたヒゲの男に、別の男が答える。 時間は午後五時頃。日は沈み、辺りは冷たい風が吹き始めている。雲ひとつ無い空は、 黄昏の紫色に染まっていた。 「日が暮れるのも早くなったな」 一番年長のチームリーダーがそう呟く。 その直後だった。 「バケモノ出たデエエエスゥゥゥゥ!」 「来た……」 四人の人間、四匹の実蒼石が、一斉に身構える。 「何だ……こりゃ……?」 一番若い男が、怯えた声を漏らした。 ボロボロの実蒼帽子を頭に乗せた、禿裸のヒトガタ。両目も無く、そこには黒い空洞が あるだけ。左腕は根本から千切れている。皮膚も腐ったような色で、所々肉が削げ落ち、 骨が見えていた。明らかに生きているはずのない風貌。だというのに動いている。 オバケ実蒼石。 その右手には、刃渡り三十センチほどの細長い刃を持っていた。持ち上げることもなく 引きずっているため、切先が地面に引っ掻いたような跡を付けている。 「……ォォォ……クゥゥゥ……」 「デギャアアア……ァ……。デヒュッ!」 あまりの異常な容姿に、実装石は絶叫してから恐怖のままに失神した。糞抜きと偽石摘 出処置を施していなかったら、自壊していたかもしれない。 ゆったりと歩いていたオバケ実蒼石が、突如走る。 「速い!」 リーダーの呻き。 オバケ実蒼石の走る速度は、並のものではなかった。目見当で並の実蒼石の二、三倍。 足音も立てず、さながら矢のような突進である。二十メートル以上離れていた距離を、二 秒程度で消し去り、実装石へと襲いかかった。 リーダーが右手に持ったスイッチを押す。 キュィュインッ——! 文字にすればそんな音だろう。耳を貫く異音とともに、閃光が空き地をを白く染め上げ た。実装用スタングレネード。実装生物を無力化捕獲するための専門道具だ。大量発生し た実装石の生け捕り、凶暴化実蒼石や薔薇実装の捕獲などに使われる。囮実装石の近くに 事前に埋められていたものだ。 「……ボォォ…………ゥゥゥゥ……」 しかし、オバケ実蒼石は意に介さず、実装石に襲いかかる。銀色の刃物が閃き、実装石 を斬り裂いていった。ロープを斬り、その身体に何度も何度も刃物を叩き付ける。見る間 に壊れていく実装石。 オバケ実蒼石の背中に、吹き矢が突き刺さった。リーダーが放った速効性コロリ入りの 吹き矢。実装さんですら即死するほどの、超強力駆除用薬品である。普通ならばそれで終 わりなのだが——やはり効果はない。 「ちっ。行くぞ!」 男四人と、実蒼石四匹が空き地に展開する。 実装石は滅多斬りにされ、原型すら留めていない。細切れになった肉片がそこに落ちて いた。それが元々実装石だとは、言われなければ分からないだろう。 「ボクッ」 二匹の実蒼石が、オバケ実蒼石へと斬り掛かる。 しかし、ハサミは空を切った。 オバケ実蒼石は半ば身体の構造を無視した動きでハサミを躱し、二匹の実蒼石の傍らを 駆け抜けた。ネズミのような小動物を思わせる俊敏性で、包囲網の隙間へと走る。足音も 立てず、まるで幻のように無音で。 「ォォォ……!」 「人間、舐めるなァァァ!」 気合いの雄叫びとともに、リーダーが逃げるオバケ実蒼石に棒を投げつけた。 一瞥すらせず、跳んできた棒を躱すオバケ実蒼石。両目が無く、視覚など働いていない のに、まるで見えているような動き。 「ふンぬぅァッ!」 その胴体を、リーダーの振り抜いた盾が擦った。 盾の角に、腹の肉が抉り取られ、地面に落ちる。 しかし、オバケ実蒼石はそのまま林へと姿を消した。 「……何だ?」 左脇腹をごっそり削られながらも、何事もなかったように動いている。空き地の地面に は腐った肉が一掴み分ほど落ちていた。 「本当にゾンビかよ?」 「こっちルトー」 「逃がしちゃ駄目ルトー」 実装燈姉妹の声。ライトの明かりが、暗い林を白く照らす。 無言のまま林の中を歩いているオバケ実蒼石。さきほど実装石に襲いかかった時ほどの 速さはないが、十分に速い移動である。 「うにゅにゅにゅにゅーっ!」 「止マリナサイ……!」 走っていたオバケ実蒼石の前に、実装雛の背に乗った紫電が立ちはだかった。行く手を 遮られ、オバケ実蒼石が足を止める。 横をすり抜けるのは可能だっただろうが、立ち止まってくれた。 空き地から少し離れた林の中。紫電は保健所の人間の捕獲活動を見ていた。オバケ実蒼 石が現れ、実装石を滅多斬りにして逃げるのを確認。後を追ったのである。相手は速かっ たが、実装雛の移動速度の方が勝っていた。 「死者ハ、オトナシク死ンデイナサイ……」 実装雛に乗った紫電は、一メートルほどの笹の棒を両手で構えていた。さながら騎兵槍 のように。普段付けている眼帯も外してある。 「……ォオォォ……クゥゥゥ……?」 オバケ実蒼石が空洞の目で紫電を見つめ、不思議そうに首を傾げた。 全身の肉や骨が腐り、左手を失い、左脇腹がえぐれているが、動きに支障は無い。そも そも偽石自体無く、肉体は死んでいるのだ。その死体をおかしな方法で無理矢理動かして いるだけに過ぎない。本体は右手に持った斬実剣の破片である。 「年貢の納め時ボクゥ……」 「覚悟するデス……」 ビースに乗ったアオゾラが現れた。紫電を追ってきたのである。 アオゾラが持っているのは、いつも使っている実蒼ハサミではなく、紫電と同じ一メー トルほどの笹の棒。斬実剣に対して実装生物の構成物は、豆腐も同然だった。実装ハサミ や薔薇実装の水晶も、苦もなく斬られれてしまう。 だが、普通の物質に対しては、普通の刃物としてしか働かない。 笹の槍は十分有効な武器であり防具である。 「突撃……!」 「行くボクゥゥ!」 紫電とアオゾラのかけ声。 「突撃ナノー!」 「行くデシャッァァ!」 実装雛とビースが、オバケ実蒼石めがけて突進する。 「……ォォォ……ゥゥ……?」 オバケ実蒼石が、交互に前後を見やった。どちらを迎え撃つべきか迷っている。 オバケ実蒼石は確かに動きが速い。力も並外れて強い。反面、それほど頭が回るわけで はないと、今までの話から紫電は考えていた。実際、思考の速度は予想以上に遅い。 二手に分かれて攻撃すれば、相手を選んで動きが鈍る。 そう予想したが、鈍るどころか動きが止まってしまっていた。 数拍の混乱から、オバケ実蒼石は狙いをビースに定める。予想通り、実装石のいる方を 狙った。これも想定内である。 「ボクゥ!」 「デシャァ!」 ビースの背からアオゾラが跳んだ。ビースは真横に走る。 標的がさらに二匹に分かれたことで、再び動きを止めるオバケ実蒼石。ビースを攻撃す るかアオゾラを攻撃するか考え込む。背後から迫る紫電にはもう意識を向けていない。 ドッ! オバケ実蒼石の身体を、笹槍が前後から貫いた。笹槍の先端が地面に刺さり、腐った身 体を地面に縫いつける。突進した勢いのまま、紫電たちはその場を離れた。 これで、数秒の時間ができる。 「……ォォォ……ォォ……」 「照準よしカシラー!」 少し離れた木の影から、オバケ実蒼石を示す実装金。 そして、大きな水晶の弓矢を構えた実装石四匹と実蒼石一匹。神社公園のカシラと幹部 三匹に、獣装石を襲ったオバケ実蒼石を攻撃した実蒼石だった。 アオゾラとビースに後れてやってきたのである。 カシラたちは紫電が作った水晶の弓矢を、思い切り引き絞っていた。腕力のある実装石 と実蒼石、合計五匹による弦の引きは、紫電一匹で行う引きよりも遙かに強い。弓矢が壊 れる寸前まで、弦が引かれていた。 「発射カシラー!」 「うちの若いのの左腕の仇デェェスゥゥ!」 ピアノ線を引いていたカシラが叫び、手を離した。 弦が弾け、水晶の矢が勢いよく射ち放たれる。水晶矢は空気を裂いて突き進み、途中で 分裂、十数本の細い矢へと変化した。散弾のような矢が、地面に縫いつけられていたオバ ケ実蒼石を——その右手を吹っ飛ばした。 声は無い。 右手が砕け、水晶の矢に弾かれた細長い刃物が宙を舞う。 それはくるくる回転しながら跳んでいき—— 空中で止まった。 「!」 空気が固まる。 刃を止めたのは、白い手袋に包まれた人間の手だった。 黒い帽子と黒い服の老人である。左腕が無く、顔を走る傷に左目も潰れていた。口元に ぞっとするような笑みを浮かべたまま、刃を右手で受け止めている。 「黒いニンゲン……」 誰となく呟いた。誰も動かない。動けない。 黒いニンゲンは、その場に集まった実装たちをぐるりと見回し、 「おおめでとう、諸君。なかなか楽しいショーだったよ。観察……というのも面白いかも しれないな。さて、これは私のものだ。回収させてもらう」 そう言い残し、闇に溶けるように消える。 誰も何も言えぬまま。 ただ、操縦者を失った実蒼石の死体が、その場に崩れ落ちていた。 人間がオバケ実蒼石を仕留める前に、双葉町に住む実装生物が倒す。おおむねそのよう な作戦だった。殺された実装たちの敵討ちという意味合いもあるだろう。それなりに力の あり、頭の回る実装が参加し——思いの外あっさりと倒すことができた。 誰となく動き出し、オバケ実蒼石だった死体を埋葬する。 それから、後片付けをして解散ということになった。 オバケ実蒼石については、カシラたちが神主に伝える手筈となっている。黒いニンゲン が現れたのは予想外だが、それも正直に伝えるとカシラは言った。あの神主は実装に対し て理解があるので、何とかしてくれるだろう。 時間は夜八時過ぎ。 夜闇の中、紫電は家主さんの家に向っていた。 オバケ実蒼石の事件は、一応解決した。犠牲となった実蒼石も埋葬され、斬実剣の破片 は黒いニンゲンが回収している。あとは人間が色々と片付けをするだろうが、そこは実装 生物である紫電の知るところではない。 「デモ……」 紫電は首を傾げる。 何かが引っかかっていた。 「嫌ナ予感ガスル……」 カチッ。 不安に応えるように、背後から聞こえてきた金属音。 紫電は一度足を止め、振り返る。 「!」 外灯の明かりの下に、ソレは落ちていた。 刃渡り十センチほどの刃物の破片。それが這うように近づいてきている。微かな金属音 を響かせ、アスファルトを移動していた。誰も触っていないよいうのに、まるで破片自体 が生きているかのように動いている。 「マダ終ワッテ……イナカッタ……!」 紫電は即座に水晶の剣を作り出した。 一ヶ半月ほど前、川辺で雪華実装や初期型実装石と対峙した黒いニンゲン。その得物で ある剣は刃渡り約六十センチだった。先日見せられた、折れた剣。柄に残っていたのは二 十センチほど。オバケ実蒼石を動かしていたのが三十センチほど。 60-(30+20)=10 十センチ足りない。 「ソレガ……コレ……!」 今紫電の前にあるのが、残った十センチ。 今まで街の実装を襲っていたのは、オバケ実蒼石だと思っていた。だが、違う。オバケ 実蒼石は実装石にしか興味が無かった。他の実装を斬っていたのは、この破片だ。翡翠を 斬ったのも、この破片だろう。 現場に足跡が無く、何かを引きずった跡だけというのも、刃が自分自身で動いていたな ら説明が付く。無茶な話だが、勝手に動く刃物は目の前にある。 「コレヲ、何トカシナイト……イケナイ……!」 黄色い目を見開き、紫電は刃物を凝視した。 ピンッ! 刃が跳ねる。まるで誰かが投げたかのように、高速で紫電へと飛んできた。並の実装石 や実装紅ならば、避けられずに斬り殺されていただろう。実蒼石でも不意打ちを喰らえば 危ない。この刃は、実装生物ならば何でも切れるのだ! 「速イ……!」 紫電は水晶剣を構え、辛うじて刃を弾く。 軌道を逸らされ、横に跳んでいく刃。ブロック塀に当って落ちる。紫電の持っていた水 晶剣はきれいに切断されていた。 アスファルトに落ちた刃が動く。 ピンッ! 再び勢いよく飛んできた。 紫電はすぐさま右手を上げ、水晶のツブテを何発も打ち出した。小石ほどの水晶ツブテ の連射によって、飛び来る軌道が曲がる。刃に当ったツブテの多くは、きれいに切断され ていた。刃は紫電の真横を通り過ぎてアスファルトに落ちる。 「マズイ……!」 こちらからの攻撃は一切通じない。それどころか、逆に刃は紫電の身体も水晶も、容易 く切り裂くことができるのだ。圧倒的に分が悪い。 紫電はその場を逃げ出した。 「うー。冷えるなー……」 夜食類の入ったコンビニ袋を下げたまま、俺は夜の道を歩いていく。ようやく話を書き 始められたので、今日はおそらく準徹夜だろう。 冷たい夜風が吹き抜ける、夜の道。すぐ右には、幅二メートルほどの用水路が流れてい る。町外れの畑で使った水を、双子川に戻すものらしい。 「紫電のやつめ、また門限無視か……」 俺は腕時計を見る。八時四十分。 ま、俺も門限を設置しているわけじゃないけどな。それでも、日没前には帰って欲しい というのが、家主としての考えだ。さすがにちょっと心配だし。 そんな事を考えながら、角を曲がり道を歩いていく。 ヒュゥ! 俺の真横を、何かが飛んでいった。 ぬいぐるみみたいな大きさで、薄い紫色の…… 「紫電、何やってるん——ンてぇッ!」 目の前に星が散る。 ほんの数瞬の無感覚を挟んでから、鼻の奥に響くような痺れ。 「うぅぅ……」 無力に呻きながら、俺はその場に屈み込んで後頭部を押さえた。きつく閉じた目蓋の裏 側が、ちかちかと点滅している。目元から流れる一筋の涙。滅茶苦茶痛い……。 いきなり何なんだよ……? 痛みが引くのを待ってから、目を開け、顔を上げる。 どうやら後頭部に何か硬いものが当ったらしい。 「カワイ……ソウ……?」 紫電が近づいてくる。薔薇実装ってのは、いつも無感情風味なんだけど、どうやら驚い ているようだった。あと、そこはかとなく怯えているような。 「あ、すまん、リンガル持ってないんだ」 「ソウ……」 肩を落とす紫電。 俺は頭を撫でていた手を正面に持ってきた。一応血が付いていない事を確認する。硬い ものがぶつかった時は、頭を切ることがあるからな。注意しないといけない。 「何が当ったんだ?」 立ち上がって辺りを見回してみても、それらしきものはない。ついでに、投げた犯人ら しき姿も無い。さっきの紫電の様子からすると、狙われてたのは紫電か? どっかのアホ が薔薇実装ってことで紫電に石でも投げたとか。 うーむ……。 「ん?」 妙な手応えを覚え、俺はコンビニ袋に目を向けた。 目を向けて、目を点にする。 1Lコーヒー牛乳のパックが破れ、中はコーヒー牛乳で水没していた。それだけでない。 一緒に飼ったプリンの容器も、ミートソーススパゲーティの容器も壊され、コンビニ袋の 中はカオスなことになっている。 あああ……、俺の夜食+α…… 「カワイソウ……」 紫電が同情するような眼差しで(多分)俺を見ている。 多分、後ろから飛んできたものが俺に当ってから、コンビニ袋に落ちたのだろう。とは いえ、何が入ったらこうなるんだ……? 俺はカオスになったコンビニ袋を道路に置き、割り箸袋から取り出した割り箸で中身を 探索した。紫電が少し離れた所から、様子を伺っている。 「お、これか?」 それらしき硬いものを見つけ、俺は割り箸を持ち上げた。 「ナイフ……?」 出てきたのは長さ十センチほどの刃物の破片。折れたナイフか何かだろう。これが俺の 頭に当って、コンビニ袋に落下。俺が動いたせいで、パックや容器を斬ったんだろう。 てか、こんなものぶつかってよく無事だったな……俺。峰の方がぶつかったんだろうけ ど、刃の方だったらマヂで洒落にならなかった。 「誰だか知らんけど、物騒な事しやがって。あと、これは俺の夜食+αの恨みだ」 俺は刃物を右手で持ち、その刃先を思い切りアスファルトに押し付けた。これは薄刃の 刃物。切れ味がいい反面、刃の強度は低い。てなわけで、力一杯刃を動かすッ! ガリガリゴリゴリ、ガシガシ…… 鈍い音が響いてから、一分ほど。 「制裁完了ッ」 持ち上げた刃は、ボロボロになっていた。粗いアスファルトを無遠慮に引っ掻き、つい でに何度も叩き付ける。刃毀れと刃潰れ。これで刃物としては死んだも同然。何かを斬ろ うとしても碌に斬れないだろう。 我ながら八つ当たりにしてはやり過ぎの気もするけど…… しかし、駄目押しッ! 「てなわけで、さようならッ!」 俺は刃先を壊した刃を、横の用水路へと放り込んだ。 水音を立てて水面に広がる波紋。 おっし、これで夜食の仇は取ったぞ! 満足げに頷いてから、俺はコンビニ袋を持って立ち上がった。ぱたぱたと膝の砂を払っ てから、紫電に手招きする。 「夜遊びしてないで帰るぞ。その前にコンビニで夜食の買い直しだな……」 「カワイ、ソウ……」 用水路に浮かぶ波紋を眺めてから、紫電はおとなしく付いてきた。 明け方近い、午前六時前。 カチリ…… 水路から何とか這い上がってきた刃物。 生き物ではないのに、疲労困憊の空気を漂わせている。 仕込み斬実剣の破片。今まで衝動の赴くままに実装生物を殺していたが、最後は人間に 捕まり容赦なく刃を潰され、水路に放り込まれた。 「盲人蛇に怖じずか……」 刃の破片を拾い上げ、一度ハンカチで汚れを拭き取り、刃先を眺める。 刃先がぼろぼろに壊れ、刃としての機能を失っていた。このままでは実装石すら斬れな いだろう。事情を知らない人間に拾われたことが、運の尽きだった。 黒いニンゲンは、剣の破片を別のハンカチにくるみ、ポケットに落とす。 「なかなか楽しかったよ」 そう笑ってから、姿を消した。 「お仕事頑張るデッスゥ!」 片腕の獣装石が、枯れ枝を担いでゴミ置き場まで走っている。 オバケ実蒼石に左腕を切られた獣装石だった。傷は回復したが、結局腕は再生せぬまま だ。しかし、片腕のハンデもものともせずに、今は元気に仕事をこなしていた。 オバケ実蒼石は、神社公園の実装たちによって仕留められた。一応、公式文章には、そ のような形で書かれている。オバケ実蒼石も実装石に嬲られ偽石に変調を来した珍しい例 として記されていた。 こうして、オバケ実蒼石の一件は終了した。 End 2129.【観虐】昆虫採集瓶 2127.【観察】実装ショップで買い物 2126.【食】蛆チーズ 2125.【虐】レーザーライフル 2123.【馬】炎のチャレンジャー 2117.【馬】隣の公園のマッスル 2116.【虐駆】〈紫〉広場の実装石駆除 2114.【虐馬】マラ実装石虐待 2111.【虐・怪】〈紫〉黒いニンゲン 2108.【虐】上げて落として 2105.【馬】実装された都市伝説 2104.【哀】希望と絶望 2101.【馬】〈紫〉カツアゲ…? 2099.【観察】〈紫〉幸せな最期とは 2097.【虐】斬捨御免 2089.【実験】レインボー実装石 2081.【観察】Narcotic Addict − 麻薬中毒者 − 2077.【馬・虐】〈紫〉マラカノン砲 2071.【馬鹿】〈紫〉虐待してはいけない… 2066.【虐・実験】ジッソウタケ 2057.【虐・他】中途半端な賢さは… 2038.【虐・愛?】ダイヤモンドは砕けない 2031.【馬鹿】雪華実装は鍋派? 1994.【虐・観】時間の狭間に落ちる 1988.【虐】クリスタルアロー 1983.【馬鹿・薔薇】リベンジ! 完全版 1980.【馬鹿・薔薇】リベンジ! 1977.【虐・観】懲役五年執行猶予無し 1970.【実験・観察】素朴な疑問 1958.【虐・実験】虐待&リリース 1954.【獣・蒼・人間】騎獣実蒼の長い一日 1952.【軽虐】既知との遭遇 1944.【馬鹿・薔薇】水晶ハワタシノ魂ダ! 1941.【色々】実装社交界の危機 1939.【駆除】ススキ原の実装石駆除
