道実装 第3話 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 観察6日目。 翌日、俺が仔実装を見つけてから早くも6日目が過ぎようとしていた。 訳も分からずこんな場所に落とされてよくぞ保ったものだと感心する反面、多少の飢え なら耐えられる実装石だけに、他の要因がない限り簡単には死なないのだから当然かとも 思った。 今日も朝早くから仔実装は外に出ており何かをしているようだ。 周りの人混みを一応少しは気にしながら陸橋の上からいつものオペラグラスで覗けば、 太めの木の枝を持って盛んに地面に穴を掘っている。 どうやら俺が来る前からそれで穴を掘っていたようだ。 そして、ヘトヘトになり弱々しく倒れ込むと、そのまま這って家の前にある小さな肉塊 …。 すでに干物化した親指の死体… その部品の1つ1つを疲労で這いながら引きずっては、 その浅い穴に入れていき掻いた土を被せた。 小さな親指実装で、いくつかの部品に分かれてしまっているというのに、仔実装の掘っ たくぼみには十分に入りきらずに山になっている。 それが、より”墓”っぽく見える。 実装石に仲間や家族の死を悲しむ概念がある者が居ることは知っていたが、”弔う”と いう行動があるとは知らなかった。 実装石が人真似が好きな生物であっても、土に埋めて弔うという行為は真似ない。 そういう場面に接する機会が少ないのもあるが、死を悲しむ野良実装でも、遺体は例え 大切に持っていたり隠したとしても、誰か(自分も含む)に食べられてしまう物なのだと いう認識である。 その悲しむ概念を持ちやすい飼い実装でも、”弔う”となるとその行為の意味は解さな いため、自分の意思で土葬するという行為には至らない。 せいぜい、飼い主がそういう行為をやり出したら途中から真似てやってみる程度である。 ところが、この仔実装は、見る者のない場所で自発的にヘトヘトになるまで身体を使っ て土葬したのだ。 そこまで身体を酷使するからには、普通は”エサが手に入る”とか”命が助かる”とか、 何らかのわかりやすい見返りがあると考えた時である。 実装石とはそうした思考の生き物だ。 例え、それが実は何の見返りが得られない事でも、当人が相応の見返りがあると信じれ ば肉体を酷使し時間を割く。 逆に自身に見返りがないと思った行為には、例え腕を少し動かせば済む行為でも、ただ 歩くだけの行為でもガンとして動かない。 悲しむという行為は自身の精神安定の1つの要素となり得ても、悲しんだ上に”弔う” という遺体処理の行為には労働対価が感じられず、実装石的には何の意味もない。 それをこの仔実装はやっているのだ。 その様子を眺めていると、いつしか、昨日の小学生が自分の隣でその様子を見下ろして いた。 真剣な目は昨日と同じだ。 ひょっとして… 「あの、君…あの実装を見て…あっ…」 俺が声を掛けると、少女はハッとしたように俺の方を向き、俺が次の言葉を紡ぎ出す前 に、無言のまま駆けだしていた。 この人混みの中、わざわざ追いかけて事情を聞くわけにも行かない。 そんな事をすれば、ただの変質者と思われるだけだ。 俺はその後ろ姿を見送ることしかできなかった。 だが彼女が、あの実装一家の関係者… 推測するところ彼女は実装の飼い主であるのは 間違いがない。 そして、この場所を知っているという事は…。 しかし彼女の眼差しは確かに生き物の飼い主としての真剣な目だった。 俺は”あの子があの一家をここから落とした可能性”という自分の推測がどこまで正し いのか計りかねた。 所詮、推測は自分の欲求を満たす物であって、真実が常にそこにあるわけではないのだ。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 俺は職場からいつものように仔実装を眺める。 仔実装は、昨日、家の周りに置いた容器や空き缶を抱え上げて中身をチェックしている。 軽々と持ち上げられるだけにその中身は満足できる量が都合良く入っているわけではな い。 ただ全く期待はずれでもなく、それぞれに少しずつ溜まった水を仔実装はちゃんとした 飲み水として味わっていた。 ほんの数滴でも命の水だ。 それが終わると仔実装は親の遺体の元に行く。 もはや臭いに鼻が慣れたのか腐敗の絶頂が去ったのか、仔実装は鼻を押さえる動作もし ない。 そして親の肉塊を前に座り込むと何かをしている。 どうやら朝の調子で穴を掘ろうというのだろう。 せわしなく身体を動かしている。 しかし、それは流石に無謀だ。 仔実装の力でロクな道具もなく地面に穴を掘るというのは大変な作業である。 自分より小さな親指実装すら完全に入る程の穴を掘りきる前にダウンして諦めたのだ。 考えれば分かりそうな物であるが、仔実装では仕方がないのかもしれない。 5分も動けば仔実装の動きは緩慢となり30分もすれば腹を抱えて足を投げ出し、つい にはそのまま背中を地面に預けてしまった。 どうやら、疲労と空腹が重なったようだ。 仔実装はしばらく寝たままとなり、ゆっくり身体を起こし起きあがると辺りを見回して からカクンと項垂れる。 そして、ゆっくりとパンツを降ろすと隣のそれ以前にした糞の山に手を伸ばす。 しかし、その途中の姿勢でピタリと固まるとパンツを履き直し、フラフラとそのまま親 の肉塊に向かっていく。 まさか親の肉を食うのか? とも思ったが、それにしては派手な動きが見られない。 それに親指の形無き遺体を埋葬する感性を備えた仔実装が、そんなに軽々しく親の肉体 を口にするとは思えない。 今更、親が判別不能と言うわけでもないだろう。 それなら糞食前に餌となっていてもおかしくはない。 いや、そう考えた俺が単にこの仔実装を過大評価しただけなのかも知れない。 糞食いの今でも、流石に出したての糞に直接手を掛けるのは少なかった。 空腹や疲労が限界に達して選ぶ気力もない時、物欲しそうに手を伸ばす事はあった。 そこにいたって、吹っ切れて楽な肉物の方に走ったという事など珍しくもない。 しかし観察していると仔実装が場所を変えて同じ事を始める。 肉を啄ばむなら、わざわざ場所を移動する必要が無いのに移動をした。 食事をしている割に手の動きがやけに小さい…。 舞い上がる無数の小さな黒い物体… 仔実装はその周りを舞う物体には構わず、親の肉 塊にこまめな手の動きをして何かを摘んでは口に運んでいる。 その動きがはっきり見えてようやく納得した。 仔実装は親の死肉に沸く小さな蛆虫に気が付いて、それを朝食にしていたのだ。 仔実装には親の残した貴重な命のプレゼントであろう。 こうして僅かではあるが、この場所で手に入る食料の中では量以外、味も栄養も申し分 のない食事を取った仔実装は、疲れが和らいだのか先程とはうって変わって元気に快便を した。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− その後、仔実装は親を埋葬する事を諦めたのか、家を中心に歩ける場所の捜索に着手し たようである。 行動範囲は家を中心に10m程に広がっている。 但し、それ以上広がるのは難しいだろう。 家という拠点を中心にしてしまっていて、移動は日中明るい内と決めて、さらに植え込 みの下などにいちいち潜り込んだりしているので、行動範囲を拡げる目的には効率が悪く、 時間的にはその範囲が限界な気がする。 限界が出来るという事は、その限られた範囲の獲物を刈り尽くせば、移動してくる虫な どは尽きはしないだろうが収穫は日々少なくなる。 そもそも、道路上の僅かなスペースなので、土はあっても公園などの土地とは比べるま でも無く生物の存在数が少ないのだ。 大物の会得物も、投げ捨てが全くないわけではないが奇跡に期待する事になる。 だが、それが判らないので、ついつい家の近くから順に植え込みの下を確認しに行って しまう。 むしろ、小さな身体の仔実装には10mの移動幅は充分に広すぎる世界でもある。 仔実装は、夕方までにかなりの拾い物をしていた。 主な会得物はダンゴ虫など、この環境でも生息し、なおかつ仔実装でも捕獲が容易な昆 虫たちである。 最初は見つけるたびに食べていたのだが、何分初めての捜索なので獲物が予想以上に手 に入ったらしく、考えに考えて夜食にしようと言うのか、頭巾を脱ぐとそれを袋にして虫 たちを運ぶ事を思いついたようだ。 時折であるが、なかなか機転の利く仔実装である。 しかし、偶に気転が働く以外はごく平均的な仔実装らしく、蜘蛛を捕りに行って蜘蛛の 巣がまとわりついて悶絶したり。 たまたま居た蟷螂を捕まえようとして威嚇され、圧倒的に体格差があるのに腰を抜かし て逃げ出すなど、ちゃんと面白行動も見せてくれた。 小さい親指実装なら蜘蛛の巣や蟷螂は充分に危険ではあるが、仔実装にはそれほどの危 険はない。 しかし、危険が無いのと怖くて近寄れないのは別問題である。 さらに今回、行動範囲が広がった分、面白い物を引きずって家に戻ってきていた。 お茶がかなり入っている500mlのペットボトルである。 水分が決定的に不足する環境では、陽に晒されラベルも変色しパンパンに張ったソレで も、滅多に腹を壊す事のない実装石には大変貴重な物である。 それに、仔実装には中身が古いか新しいかは理解できないし問題ではない。 仔実装はまさに満面の笑みで日が暮れた中を家まで戻ってきていた。 そして、頭巾を袋状にして肩から提げていた中身を容器の1つに移し替えていく。 その顔は喜びを通り越して、まさに恍惚とした表情を浮かべている。 そして、しばらく容器の中身をウットリと眺めると、手にした頭巾のゴミをパンパンと 払って器用に着け直す。 後ろ髪を整えると、いよいよ本命のペットボトルに舌なめずりをしながら寄っていく。 しかし、そのペットボトルが仔実装に悲劇をもたらす。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 最初は至る所を触ったり叩いたりしてみる。 そして割と短時間でキャップが開け口と判ると右に左に回してみるが、ボトル側が固定 されていないので、ボトルがそのまま転がるだけで、その動きに釣られて何度も仔実装自 身も左右にコテンコテンと何度も引き倒される。 それでも貴重な水だ。 それに、どうやら人の仕草でなんとなくそうするものだという事位は判ってもいる様だ。 開けられると判っているからには挑むしかない。 仔実装は労を惜しむことなく色々な角度から回そうと試み、ついには足を投げ出し抱え 込み、全身で何とかボトルを固定しながら開けるという事を思いついたようだ。 しかし、ボトル側を固定するところまで考えついたとしても、なかなか簡単に開くはず はない。 一度開けられた形跡があるとは言え、締め直しがきつかったり、放置の間の内圧があれ ば、開けるのに必要な力は実装石にとっては新品よりは開け易いと言うだけ。 最初の一回しだけの話ではあるが、仔実装の腕力では全力でギリギリかもしれない。 そもそも、どっちに回せば開くのかまでを仔実装が判ってやっているかも疑問である。 いや、確かに判っては居ない… 顔を真っ赤にさせみるみる身体が右に傾いて行っている。 キャップを時計回りに回そうと力を入れている証である。 そうしたペットボトルとの格闘は実に1時間にも及んだ。 幾ら水が飲みたいという欲求が優先されていても仔実装には体力的に限界…。 いや、限界以上に粘りまくった。 大抵の肉体労働への我慢は5分程度が山で、その山も1〜3回我慢するのが精々の様だが、 そこは水への欲望か生きる事への渇望か実に粘り… 親の墓を掘る以上に粘り尽くした。 肩で息をしてハァハァと舌をだらしなく伸ばして見せている。 汗も相当かいているだろう。 しかし、それでも諦めないのか休憩を挟んでからは左に身体が傾く様になった。 実装石らしい幸せ回路のお陰か、実装石にしては芯と我慢が強いのか判らないが、その粘 りが報われたらしく仔実装の動きが一瞬止まり、明るい顔でバンザイをした。 左に回した事で、僅かでも先程までと違う動く感触… ”開きそう”という手応えがし たのだろう。 それからは疲れも吹き飛んだのか、1時間の格闘の後なのに先程と変わらぬ身体の傾き を見せている。 『 ンチィィィィィ テチュゥゥゥゥゥゥゥ 』という踏ん張りが脳内再生される。 正しい回転方向が判ったとして、その頑張り度合いからキャップはきつく締められてい るのだろう。 それでも愚直に頑張る姿は僅かに胸を打つ。 しかし、次の瞬間…。 一旦身体を戻し、右に軽く身体を傾けてキャップを抱えた仔実装は、そこから渾身の力 を掛けて勢いで一気に左に回そうという考えだったのだろう。 確かに動く感覚だけでなく一巻き… いや、半巻きでも回ってしまえば後は楽な物だ。 だが、その仔実装の頑張りは無に帰した。 身体を逆に傾けて反動を付けて一気に回した発想はよいが、その動きに不器用な実装石 の身体が及ばなかった。 そう、上半身の動きに力をつぎ込み、足の側に気が回らなかったのだ。 仔実装の身体が一気に左に傾くと、固定が弱くなった足からペットボトルが滑り、勢い よく回りながら、まず、その左足を潰した。 そのままキャップ部を抱える仔実装を一回転させると、仔実装の手を離れたペットボト ルはそのまま左にゆっくり転がって行き歩道に転がり落ちた。 中身が残っているだけに瞬間的に強い回転を与えると遠心力の効果で一時的にでも勢い が増す。 ボトルを手放し遅れ、それに一緒に転がされた仔実装の身体が、近くにあったあの獲物 を入れた容器をはじき飛ばした。 容器も左に飛ばされ車道に落ちる。 仔実装は、潰された足でガクガクと身体を震わせながら這ってそれを追いかけ出す。 どうも、勢いよく身体を捻った為に腰を痛めたようで、腰から身体が前でなく横くの字 に曲がったままで、数歩分を這ったところでパタッと伏して、顔を上げ懸命に手を伸ばす だけとなっていた。 『 大切な水テチュ… 大切な食べ物テチィ… 大切な食器テチャァ… 』 そう叫んでいるのだろうか? それとも、言葉にはならない錯乱と絶叫なのだろうか? その目の前で車が勢いよく通りすぎ、ペットボトルが破裂して中身をぶちまけながら中 央分離帯の方に舞い飛んで戻ってきた。 車の後にはプラスチックの容器が中の虫と共にキレイに潰れていて、その上を次々と車 が通過していく。 仔実装は… 気絶していた。 ペットボトルが破裂した時に吹き飛んだキャップが弾丸となって仔実装の額を襲ったの だ。 まったく、ドコまでツキのない生き物なのだろうか… ここまでやってくれるとまさに生きている事がコントだ。 死んだか? とも思ったが、数分後、ムクリと頭を起こし涙をボロボロこぼしながらキ レイに丸いへこみを作った額を手で触ろうとする。 届かない手が哀愁を誘う。 這って縁まで移動するとあんぐりと口を開けたまま青い顔で固まった。 その仔実装の周りを、容器が跳ねたときに飛ばされ難を逃れたダンゴ虫が数匹モゾモゾ と動いていた。 努力を重ねて全てが無に帰すのは実装石のデフォとしても、仔実装自身がそれを納得し たり、それに慣れるという事はない。 仔実装はすっかり闇に包まれた世界の中、車のヘッドライトに照らされて、その損傷し た身体と心でむなしく潰れてしまった、決して手の届かない場所の容器に向かってむなし く手を宙に這わせるだけとなった。 それでも死ねない事は、見ている側としてはつくづく不幸だと感じる。 身体は時間と共に回復していく。 しばらくはその場で動けなかったが、足が機能を回復し始めるとなんとか立ち上がり、 僅かに曲がったままの腰も、立って身体を左右にコキコキと振ると見た目上は元に戻った ようである。 ただし、その時の歪んだ顔から痛みは相当な物であろう。 仔実装はそのまま足を引きずり、腰に手を当てたままヨタヨタとゆっくりした動きで家 に向かって歩き出す。 足も、腰も、見た目はそれなりに回復しているが万全という事ではなく、途中で身体を 左に傾げて膝を屈して再び動けなくなっている。 生き残った獲物達は、もう何処かの物陰や隙間に潜んでいるのだろう。 まぁ、今の仔実装の様子では、見つけたとして動く獲物を捕らえて喰う余力はなさそう で、家の付近の糞山を仕方なさそうに顔を付けて啜るように食べ出す。 仔実装の1日は、こうして、またも無駄に過ぎていったのだ。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 日曜の休みを挟んでの月曜日… 観察8日目と言う事になる。 流石の俺でも体を休めたい休日にまでワザワザ会社の近くまで来る気力もなかった。 しかし、一応、仔実装の事はそれなりに気にしていた。 傷は深いとは言え実装石だけに何事もなければ早々に回復するだろう。 精神的なストレスにも割と強い個体のようだ。 ただ、あの仔実装はごく平均的な要領の悪さに対して機転だけは並以上に働いてしまう 為、精力的と評して良いか判らないがとにかく生きようという意欲、立ち直りの早さと行 動力だけはある。 動ける限りは無駄に何かをして死んでいる確率の方が高いのだ。 『 テチャァァァァァ!! デヂィィィィィィィン!! 』 しかし、その心配は元気な姿で打ち消された。 仔実装は、細く長い木の枝を元気に振り回して走り回っていた。 この大きさの頃の仔実装は成長過程にあり、1日見ないとかなり大きくなったように見 える。 まぁ、実際に1日で5mm〜10mmは成長する事もある時期だけに錯覚でないのは確 かだ。 足も腰も無事に治っている様だ。 まだ、栄養失調というところまで追い詰められていない証でもある。 仔実装は既に茶色単色となった親の死体を狙うカラスたちを追い払うのに必死だ。 見た時点で既にかなりの部分がなくなっていて、そこにあったという記憶が無ければ、 何があるのか判らないほどだ。 糞袋の二つ名を持つ実装石も腐敗の頂点さえ過ぎてしまえば、臭気も落ち着いて非常に 早く肉体が土に戻る準備を始める。 カラスたちはそれを経験で学習しており、臭いが消えてからのその短い期間、彼らにと っては丁度食べやすい干物となったのを逃さず頂こうという考えだ。 今日の襲撃は数も多く、啄み具合は前よりも徹底的だ。 ついでに… という感じで、今回も仔実装は彼らに弄ばれている。 実装石とカラスのどちらが知能があると専門家に聞けば、専門家は揃って実装石と答え る。 人語を理解したり、手を使って道具を使ったり… それらを知能とすれば確かにそうだ。 しかし、”知恵”はどちらがあるかと質問したらどうだろうか? 俺なら間違いなくカラスを選ぶ。 カラス達が去って後、やはり、仔実装だけが取り残されていた。 親の死体は、僅かな骨と糞溜まり部分の腸の一部ぐらいしか残っていない。 もう、親実装は蝿に集られて湧く蛆虫として仔実装に栄養を与えてもやれなくなった。 まさに機が熟すのを待っていたかのような襲撃だった。 仔実装の方も、長めの枝を選んで攻撃範囲を広げて追い回すぐらいの事は思いついたよ うだが、それでもカラスにはまるっきり相手にはならなかった。 仔実装は全てが無くなったのをキョロキョロと見回して、また、いつものようにカクン と首を前に折って項垂れる。 橋の上にも弱々しい『 テチィー… 』という声が聞こえてくる。 そして、弱々しく立ち上がり、家に向かうと再び呆然となる。 カラスが仔実装の持ち物… 雨受けの皿などを散らかしていたのだ。 皿だけではない。 家そのものにも乗ったりして遊んだのだろう。 元々崩れかけ、いや、崩れていた状態だったのをその上に乗ってバタバタ跳ね回ったの だ。 仔実装がかろうじて中で寝泊まりできる程に形を直していた物が完全に壊されていた。 仔実装は、まず、底の深い容器を1つ手に取り盛んにひっくり返して振っている。 どうも、その容器に昆虫などを入れて置いたのだろう。 そして、まずカックリと項垂れ、次に家の周りをクルクルと周回してカックリと項垂れ、 中に入ろうとして、朝まで寝泊まりできていた空間が入れなくなっていてカックリと項垂 れた。 そのたびに、事務所から眺める俺の耳に『 テチィー… 』という、あの弱々しい声が聞こ える気がして、俺は相も変わらず笑いを噛み殺すのに必死になった。 それから、仔実装はなんとか再び家を直そうと努力をするが、再三、ボロボロになり風 雨にもさらされていたダンボールハウスは、もう仔実装が雨を凌げる天井を作る事も潜り 込める穴になる事もない。 普通の家でも寿命は決して長くはない。 このダンボールハウスも死んだのだ。 ついに、仔実装は根負けしたのか家の前で四つん這いになって大泣きを始めた。 今までにない泣き方で、ここまでの感情を晒け出して泣くという事が無かっただけに、 我慢の限界、緊張の崩壊が爆発したのだろう…。 大きく口を開け天を仰いで、また、下を向き涙を落とし激しく地面を叩いては泣き続け た。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− それでも、厳しい環境に生きる仔実装には何時までも泣き過ごして時間を使う暇はない。 仔実装は数分後、突然、身体を起こしてその汚れきった服の袖で涙と鼻水を拭う。 すぐさま、もはや黒と茶色と深緑の斑となったパンツを降ろして、糞をもはや恥ずかし げも無くブリブリと”おつり”が跳ね返るのも気にせずに盛大に漏らす。 その漏らした糞を、そのまま下に手を伸ばして手で掬って口にしている。 糞をするにも、今まではキョロキョロと周りを見渡したり、おつりを気にして少しづつ 垂らそうと悶えながらしたり恥ずかしそうにしていたものだ。 それが、たった1日の間にワイルド過ぎる程の変化をしていた。 というか、まさに今、開眼したのだろうか? まぁ、置かれている状況が状況だけに、そうなる事は生存の為に仕方がないだろう。 いちいち行儀良くするより糞と食事を一緒にした方が労働効率はよいし、その区分けを するだけの精神的・肉体的両方の余力もなくなっているのだろう。 むしろ、ここまでよく頑張った物だ。 そうして、取り敢えずの空腹を紛らわせると、頭巾を脱いで手提げ袋を作り、泥に汚れ た小皿を小脇にチョコチョコと捜索の散歩に出かけ出す。 元から気分転換は早いみたいだが、身体が大きくなったなりに、そういう割り切りが早 くなっているのだろう。 捜索範囲は、やはり家を中心に10m…左右に5mづつの範囲で固定されている。 昼前から捜索を始め、途中、獲物を小石で潰して皿にのせ、さらに付近の葉っぱを混ぜ、 さらにそれに跨り糞を掛けて糞カレーライス(?)で昼食にする。 水のないこの場所で水分を保つには自身の身体から出た水分を少しでも回収しつつ、僅 かでも水分のある生きた昆虫や葉っぱで取り入れる事である。 その給水の面からでも、時間が経って水分が抜けた糞を食べるより出したての糞を喰う ようになるのも仕方がない。 それでも全然足りないのだ。 生物全般にとって生命維持には水分は食べ物より重要な位置を占める。 仔実装には、雨が降るまで余計な水分を失う余力がない事を表している。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− そうして、日が暮れる前に家に戻ってくる。 獲物はやはり昆虫。 だが、あまり良い表情ではなく足取りも重い。 やはり本格的捜索初日をピークに、メインの獲物である昆虫の確保も芳しくないようで ある。 まぁ、その為かどうか、喰いにくいが僅かでも水分を持つ葉っぱや草も糞を掛けて喰う 糞カレーで満腹感と水分を補う方法を編み出しているのだが。 その糞を出すのも、それなりに工夫が効く様になっている様だ。 親を埋葬しようと掘った小さな窪み…。 この窪みを利用して便所に利用している。 衛生を考えた意味の便所ではない。 そこら中にするより、集積したほうが場所が分かり易いし、分かり易ければ労力が減る のを理解したのだろう。 これは偶然の産物だろうが、集積すれば糞の水分が僅かに逃げにくい効果もある。 皿を持って歩いて移動地で糞カレーというのも、無駄を出したくないという表われだ。 妙に機転が利く面があるのは相変わらずである。 そうして夜が訪れると、再び移動範囲を歩き回って縁石の縁に立ち道路を見つめる。 この場から逃れられる道を探しているのだろう。 もう、親も居ない、死体も無くなっただけにワザワザこの利便の悪い場所に住む理由が 更に無くなった。 だが、数日前までしていたように縁石から下に降りようとする行動は見られない。 仔実装は確かに大きくなっており、もう、縁石の上り下りに前程のドタバタは無いだろ う。 しかし、まだ初日の恐怖も覚えているだろうか、仔実装がそれを無駄であると諦めてい るようである。 もう、無駄な体力や水分を失えないという危機感が自然とそうさせているのだろうか? それとも、心の底から道路を横断する気力を無くして絶望を感じているのだろうか? 切れ間無く次々と仔実装を照らすヘッドライトを眺め、かといって道路に降りるだけの 気力を奪われ、それでも道が出来る事を期待して、人々が… たまに同族達が行き交う賑 やかな対岸を眺めて目で追いかけている。 すっかり野良としての夜目も利くようになっているのだろう。 もし絶望を感じているとすれば、仔実装はその場所での生存にどれだけ耐えられるのだ ろうか? 顔も服も泥と粉塵に汚れきり、そこから覗く赤と緑の瞳が、いつしか、見ている自分対 しての救いを懇願しているかのように見えていた。 そう思ったとき、仔実装を笑っていない自分がそこにいた。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− つづく
