道実装 第1話 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 職場の窓から見えるのは向かいのビルとそのガラスに写るこちらのビル…。 観察して楽しむ程の空も見えない。 見下ろせば低木が一定間隔で並ぶ植樹帯がある中央分離帯と、日夜車の絶えない上下3 車線づつある広い道路。 街を構成する高いビル群中のの1つ、その2階…。 自分のデスクから見渡せる光景は、日々何の変化もなく仕事に打ち込むしかない。 しかし、そんなつまらない伝票整理だけの残業が続いていた時…。 早く仕事を片付けて帰れば良いという事が判ってはいるが、単調で膨大な数字の打ち込 み修正に集中力は落ちてダラダラと作業を進めるハメになっていた時。 そんな中、ふと目にした中央分離帯の植え込みの根元にちょこまかと動き回る物が目に 付いた。 車のライトに照らされたそれは1匹の実装石… それも普段、この距離なら見過ごして おかしくない小さな仔実装だった。 仔実装は何かを抱えてウロウロ、ウロウロとその中央分離帯を左右に往復したり、手前 の車線側や奥の反対車線側に行ったりしていた。 そして、時折、疲れたのか縁で座り込んで泣いているようだった。 何故、こんな所に実装石が? ドコに居てもおかしくないと言われる実装石だが、流石に物理的に無理があるところで は見た事がない。 その明らかに困り戸惑う動きが示すとおり、ここは交通量が多い。 実装石が轢かれる光景は結構あるが、ほとんどは人間に蹴り捨てられるとかして歩道の 端から落ちざるを得ない状態にされた者達だ。 いくら馬鹿な実装石でも自分の意思でこの道路を横断しようとする者は滅多に居ない。 まったく0でないのが実装石らしいのだが。 そして物理的に無理と言ったとおり、何かの間違いがまず起こり得ない。 全力の成体実装石ですらあの分離帯までは10秒切る事は無いだろう。 一見10秒なら一見楽に見えるが、あくまで休むことなく全力での話し。 脇目も振らずに全力を出して轢かれるか、注意深く行っても加速に時間も歩数も要する 実装石はタイミングを逸して轢かれるかだ。 まして、歩幅に難のある仔を連れれば最短10秒が1分になる。 ここは一番近い信号機まで左右どちらにも50mはあり、横断は歩道橋があるので渋滞 どころか快適に速度を出しやすい環境だ。 1分間あれば3つの車線を何台の車が通ることか…。 ここで無事に中央分離帯に渡れるその確率は、それこそ隕石に当たって死んだ人間を捜 すような物だ。 それだけに何故そこに仔実装が居るのか気になり、色々考えを張り巡らせた。 俺は、ボーっとする頭と限定された視界で考えたが、やがて、近くで見た方が早いと思 い夜食の買い出しついでに外に出た。 外に出るとき、出入り口の管理室の常駐警備員がずっとそちらを眺めていた。 「買い出しいってきますんでよろしくお願いします…」 「ああ、本日もお疲れ様です」 「あれ、気が付きました?」 「ああ、アレですか… 今日の夕方からあそこでウロウロしているんですよ。 見ていると気の毒にならない事もないですけど… 何考えているか判らない実装石が勝手にやっている事ですからねぇ」 どうやら彼の気にもとまったようだが、人間の実装石への考え方… スタンスはこんな 物だ。 今かわいそうだからと助けたところで、翌日、ソイツはどこかの家に侵入したりゴミを 荒らすかもしれない。 例え、その個体が賢く謙虚であっても、ソレ以外の殆どの実装石はそうではないし、そ れらクズが掃いて捨てても間に合わない程溢れているのだから、気まぐれの優しさも沸き 起こらないという物だ。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 歩道橋を渡っている途中、真上から分離帯の様子を覗いてみた。 仕事場からもそれなりに動きは見えていたのだが、ここからだとそれなりに詳細なとこ ろまで見える。 仔実装は、またウロウロと両端を行ったり来たりしはじめている。 ふと、真下に見慣れない物があるのに気が付いた。 植え込み上に、どうやら何かの箱のような物がグシャグシャに崩れて乗っており、その 付近の植え込みと植え込みの間の地面に何かが散らばっている。 小さなママゴト道具のような皿や小物、汚れたタオルなどが散乱し、さらに親と思われ る大きい実装石と小さな仔実装や蛆実装なども散乱していた。 ソイツらは全て動かない。 枝に引っかかっている仔実装も何匹か居るようだが、ソレも動かないようだ。 どうやら俺が立っているここから、その箱ごと落とされたようだ。 見える範囲ではあるが箱には落書きがあり、大きく『ランちゃんのお家』と見え、追加 の張り紙があって『もらってください』という字が見える。 何らかの事情で飼えなくなって捨てられたようだ。 その”捨てられた家”ごと、誰かの悪戯で一家はさらにここに投げ込まれたのだろうか。 落書きや文字からして”ラン”は幼い女の子が飼い主だったみたいで、ダンボールで飼 われていた所から買われた物ではなく野良だったのだろう。 ペットなら、どんなに安物でも買うときには簡単な飼育セットを一緒に勧められる。 実装石と言えばダンボールというイメージはあるが、清潔に飼うには洗える物の方が楽 である。 むしろ、タダ同然の値で売られている売れ残りクラスの実装石の価値など、何十匹かに 1個の割合ででも、その安物飼育セットを売り込む為の価値しかない。 その飼育セットが家ではないと言う事は、高い確率で野良上がりという事になる。 そして、その野良から飼われていながらも割と豪勢な小物がある事から、野良上がりの 身分としてはかなり可愛がって育てられたのだろう。 このグシャグシャに散ったランという実装石は、その可愛がられるに値する最低限の知 能や礼儀は備えていたか身につけていったのだろう。 それが何故捨てられる事になったかは判らない。 それは俺の事情ではない。 見ていると、先程の仔実装が戻ってきて、その親実装の死体に寄り添ったり揺らしたり している。 車の音に紛れて『 テチィー テチィー 』と声が聞こえてくる。 ここから見ても判る程に親の死体は衝撃で崩れ、裂けた腹部から内臓が露出している。 それでも、その死を認めたくないのだろう。 生半可に驚愕の再生機能が備わっていて、ある程度はそれを自覚している実装石だけに、 ことさら、他者に対する”死”への認識は薄い。 その仔が手に抱えているのは、やはりさらに小さな親指実装のようである。 ここからでは流石に生きているのか死んでいるのか判らない。 また親の手にも仔実装が抱かれており、その仔は一見、体に損傷は見られないが、頭の 回りに体液と思われる花を咲かせているので死んでいるのだろう。 その損傷の差から、親か家がクッションになったが抱き方が甘かったので完全に守れな かったようだ。 体が一見無事でも偽石が壊れる程の衝撃があったのだろう。 実装石なら、この高さをそのまま落とせば仔実装の身体など四散して原型が無くなって いておかしくはない。 状況から親は箱の中で仔を守ろうと抱きかかえていて、散っている仔達も親にしがみつ いていたのだろう。 まず、家自体がクッションとなり、次に投げ出された親がクッションとなってあの仔実 装は一匹だけ助かったようだ。 同じ腕に抱かれていた仔でも片方は死んでいるのだ。 いや、抱かれていなかったから別の偶然が働いて助かったのかも知れないが、どちらも 想像でしかない。 とにかく他の仔には働かなかった幸運で、その仔は助かっていた。 コンビニの帰りに覗いても、その仔実装は枝に引っかかった仔の死体に向かって手を伸 ばしピョンピョンと跳ねていた。 『 テチャーン! テッチャ〜ン!! 』 まだ、甘えたい盛りの仔実装とはいえ、その中でも愛情が高いのだろう。 親や仔達の死体には喰われた形跡がない。 こんな場所で問題になるのは食料だ。 腹が減れば、親の死体と認識して居ても喰うのが実装石という生き物だ。 この状態… 食べ物など無い中で、すぐに空腹を覚える実装石が長時間居て死体に食べ られた跡がないのは、食欲と天秤に掛け、それでも死体となった家族を家族と認識してい るという事だ。 個体として愛情が高い実装石は希にいる。 加えて、人間に長い時間飼われて可愛がられていれば、生き死にの掛かった活動をしな くて良い分、本能的な疑心などの負の面からある程度開放される分だけ、愛情に傾くとい う訳だ。 そうした実装石は、家族に対して強い絆と愛情を持っている。 そうした実装石が、懸命に家族の心配をしている姿は俺の心を打つ。 だが同時に、そこにいるのが実装石であるだけに助けてやろうという気も起こらない。 実装石に生まれた不幸とは、そう言う事を指すのだ。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 仕事場に戻り食事をとりながら、俺はコンビニで目に入って買った安物のオペラグラス を覗いた。 あの仔を探すと、その仔はまたもこちら側の端に出てきていてウロウロしていた。 相当に疲労しているのか足取りは重く、何か… おそらく食べられるものが無いのか探 しているようだった。 下を向いて歩いては座り込み、手にした親指実装に語りかけている。 だが見れば、その親指は頭が変形してだらしなく舌が延びきっている。 振ればカクンカクンと首が様々な方向に倒れてしまうので、仔実装は歩く時に手で首を 支えるように抱いている。 やはり死んでいる家族の中で、まともそうなのを生きていると思い込んだか思い込ませ て抱いているのだ。 その仔実装は、餌を探すのにも疲れたのか親が居る植え込みの方に行き、そこで近くの 木の枝から葉っぱをもぎ取って口に運び出した。 その苦そうな反応が印象的だ。 何でも喰うイメージがあり、それだけに味覚に疑問を持たれる実装石だが、人間と基準 が違うだけで味自体には五月蝿い。 山実装は厳しい冬に生きるために枯れ葉や土すらも食べ慣れていると聞くが、野良実装 は似たような環境にありながら普段ゴミを食べているため、葉っぱや土を精力的に喰らう ケースは少ない。 逆に、山実装はゴミを食べ慣れていないために、味や臭いが強すぎるなどで嫌悪する場 合が多い。 それぞれ同じものを食べる事には食べられるが、好みが関係して草食獣と肉食獣ぐらい の方向性の差が生まれる。 野良や飼い実装にとっては、草をはむぐらいなら同族の肉を食べた方が喰い慣れた食べ 物の味に近いのだろう。 そもそも、同族食いのイメージだが、実際には彼等的に我慢をした上での緊急避難の手 段であるし、それでも草や土や糞を食べるよりはマシという選択基準である。 この仔実装はそれでも草を選ぶぐらい愛情が高いか躾がされている。 おそらく、この仔は野良としてもそれほどの長期間は過ごしていないのだろうし、その 短い野良期間も人間の援助を受けていた可能性が考えられる。 俺は食事をしながら、あるいは仕事の合間にそれを興味深くオペラグラスで観察する事 にした。 仔実装は数回葉っぱを口に運ぶと、再び家族の死体の所に行き揺すったり叩いたりして 膝を抱えて座り込む。 そして5分程じっとしていたかと思うと、再びせわしなくその分離帯を右へ左へ、手前 へ奥へと歩き回り出す。 やはり、どこかこの分離帯から脱出できるところがないか探しているようだ。 悲しい事に、多少移動をしても安全な道はないと言う事が理解できないらしい。 位置をずらせば、ここは安全なのではないかといちいち考えるようだ。 そして、どうやら意を決したのか縁石の縁で抱えていた親指実装を置くと、不器用に背 中をこちらに向けてゆっくりと縁石を降り始めた。 実にもどかしい動作だ。 縁に捕まって上半身を上に預けながら、片足をピッピッと振って地面を探している。 そして、足が届かないと少し戸惑ったように動きが止まり、しばらくして、少しの冒険 をして上に預けてある身体を下にズラして、ほんの少しさっきよりも下を足先で探っては 止まる。 怖さに上に身体を戻すときもあるだけに、どれだけもどかしい動きか判るだろう。 特に横を車が駆け抜けると『 テチャァァァァァ!! 』という声が聞こえてくる気がする程慌て 出す。 そんな事を繰り返しながら、徐々に下に下にと身体が降りていく。 諦めないところを見ると本気のようだ。 縁石の高さは10cm程。 仔実装の身長はそれよりは少し高く登り降りに充分な余裕 があるように見える。 しかし、そこは不格好にバランスの悪い肉体であるので簡単には行かない。 しかも、降りるという行為は上を見て登るという行為より遙かに難易度も恐怖も高いだ ろう。 なにせ、そのデカイ頭部はそうした姿勢で自分の足下を見るのに適さないのだから、ど れだけ伸ばせば足がつくかの目安がない。 そうしてかなり身体が下に降りたとき、再び間近を車が走り抜ける。 その音と風圧に煽られた為に両足をバタバタとさせて慌てる仔実装は、見て判る程パン ツを膨らませてマヌケな格好のままにずり落ちた。 俺は思わず「プッ」と声を上げて噴き出してしまった。 しばらく、その格好のままこちらに背を向けて動かなかったが、立ち上がり向き直って キョロキョロと頭を振る。 そして、盛んに漏らして膨らんだパンツやすりむいた顎を気にしているが、すぐにそん な事は気にならない状況になっている事に気が付く。 その横をビュンビュンと車が定期的に駆け抜けているのだ。 縁石の上で眺めているより間近で巨大な物体が高速で駆け抜けていくのだ。 仔実装はあっという間に腰を抜かしてガクガクと震え出す。 そうなる事は、縁石の上で眺めているときに充分判りそうなものだ…。 ただ言えるのは、その恐怖に打ち震え、怯え漏らし、泣き叫び、それ以外の何も出来な い様は、同情ではなく笑いを誘うという事だ。 俺はクスクスと作業の手を止めて笑っている。 誰もいないのに、笑い声を堪えようとして脇腹が痛くなってきている。 ソイツはその予想される経緯や仕草から見られる知性や情から、同情の目で見られてお かしくはないはずなのに、”実装石”という生き物であるが為に、する事全てが結果とし て笑いに変換されてしまう。 ふと、笑いながらも、こんなに悲しい生き物は他にいるだろうか?と考えてしまう。 結局、それから30分… 俺がようやく本日のノルマを片付け終えた頃になって、ソイ ツは糞まみれの姿のままガクガクと震えたまま壁のようにそそり立つ縁石にへばりついて、 寄りかかりながら立ち上がった。 だが立ち上がっただけで、もはや対岸に向かって歩こうという降りてきた理由は吹き飛 んでいる。 縁石の上に、まだ親指実装を置いたままで、降りてから手を伸ばして取ろうなどと考え ていたのだろうが、それも抜け落ちている。 勿論、そんな事をしたら最後、手が塞がって親指を道路に捨てて上がるか、親指の死体 と共に死ぬまでその場に留まるか悲惨な選択を迫られていただろう。 ソイツの足下は、その間に漏らし続けた糞の水分が水たまりになって拡がり、駆け抜け る車がバシャバシャとソレを跳ね上げていて仔実装は全身が糞にまみれている。 幸い、立ち上がった仔実装の届く手の高さの限界付近が縁石の高さである。 しばらく目を剥いてキョロキョロと何も出来ないままに頭だけ回していた仔実装は、よ うやくそれに気が付いたのか、盛んに降りた要領の逆で懸命に身体を持ち上げようとする。 無力と形容される実装石だが、肉体構造の制約や持久力以外は人間並みに出来ていて、 両腕で自重を支えるぐらいはできる。 人間並みの力はあるが、その大きさの世界では犬猫と言う人間など相手にならない身体 能力の動物ばかりなので結局は無力なのだが…。 今はその漏らした大量すぎる糞がパンツの中にあり、その分の重さが加わって苦労して いる。 落ち着いてパンツの中身を捨ててから挑めば負荷は減るのに、そのまま藻掻き続けてい る。 糞は体内にあったものが出ただけで差し引き0に感じられるが、パンコン状態となると 不要な重みで重心が下に下がるので、不効率な肉体バランスから来る物とあわせて、運動 性能を低くしてしまう。 加えて、超再生に頼った肉体構造の為に外観同様に内臓も老廃物が多く、人間のように 排泄物が取った食事量より大幅に減る訳ではない。 飢えてすら感情の高ぶりで自衛用の糞が出せる程だから、実装石にとってパンコンでの 重心の変化は馬鹿に出来ないものなのだ。 残酷なようだが、その緑の重りをぶら下げバタバタ藻掻く姿は、本当に同情より笑いし かこみ上げてこない。 そんな仔実装でも、悪戦苦闘の末になんとか縁石を登って分離帯の上に戻った。 もはや動く気力もないと言った様子だ。 それでも、しばらくの放心の後、危機が去ったと判ると自分の汚れが気になるのか、ム クッと上体を起こすして盛んに服の汚れを払ったり臭いを嗅いでは口を開けて泣いている。 答えるはずもない親に『 汚れちゃったテチ お水で洗いたいテチ 』とでも訴えて居るの だろう。 親も居なけりゃ水もない。 やがて、その姿勢で喚くのに疲れたのか感触が気持ち悪いのか、仔実装は今頃になって ようやく渋々と自らパンツをズラして中の大量の糞をすくい取っては、ぽいっと前に投げ 出している。 そして、手で擦ったり、完全に脱いで地面に擦ったりしてパンツから汚れを取ろうとす るが、取れるどころか土でより酷い汚れになり、ボロボロにほつれたパンツを掲げてその 姿勢でカクンとうなだれた。 車のライトに照らされ、実に哀愁を誘いながら笑いの止まらない姿だ。 やがて、周りを伺ってパンツを履かないと恥ずかしいのか履き直しをした。 その時の濡れたパンツの感触に困った表情も笑い物だ。 その後は、再び親指実装の死体を抱えると、家の付近に落ちている汚れたタオルを被り、 そのままコトンと仲良く横になった。 どうやら、今日はそのままグズり、寒さに震えながら寝るようだ。 俺も、楽しませて貰った礼の気持ちを残して会社を後にした。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 翌日、観察2日目。 出勤する時、車に負けない『 テチィィィィィ!! テシァァァァァァ!! 』という元気な声が響いてい た。 朝から飛ばして元気だなぁ… と思ったら。 見れば、どうやら家族の死体に群がろうとしているカラス達を走り回って追い払ってい るようだった。 歩道橋の上から見れば、やはり、仔実装が木の枝を振り回し狂乱しながら走り回ってい るが数も知能もカラスが圧倒的に上だ。 仔実装はあちらこちらを走らされ、その間に次々と小さな仔の死体から順に掴み上げら れていく。 仕事に就いて軽く覗き見れば、仔実装は親の死体の傍で枝を片手に足を投げ出して座り 力無くうなだれていた。 だが、無駄な努力ではない様だ。 少なくとも親の死体と片手に抱え持つ親指の死体、この2つは死守できたのだからな。 それからの仔実装は家族の死体が無くなった事に泣き、身体の汚れと痒さに悶え泣き、 空腹に泣く事を繰り返した。 行動自体は実に単純だ。 一人で泣いて、泣き疲れると親の死体を揺すり、親の死体に寄り添って泣き、泣き疲れ るとトボトボと付近を歩き回る。 昨晩のようにその場所から抜けられる道がないのか、食べ物がないのか、水がないのか 探し回るのだ。 そして、何もない事に疲れて親元で泣く… この繰り返しである。 日中の通行量はハンパなく多いので、この仔実装でも横断を試みようという気も起きな いようだ。 ただ、昨日と違うのは、自身の汚れが非常に気になっているという事である。 一旦、臭いや痒みが気になり出すと自分の袖やお腹の辺りを摘んでクンクンと盛んに臭 いを嗅ぎ、慌てて服を脱ぐとクンクンと何度も臭いを嗅ぎ直しては、表情豊かに泣いたり しかめたり怒ったりするときもある。 その様子から野良に落とされても割と清潔に生活していたのだろう。 お決まりのパンツをかざしてみてその色にうなだれる姿と、そのパンツを気持ち悪そう な顔で履き直してパンツ一丁でうなだれる姿は、仕事中だというのに噴き出してしまいそ うになる。 わざわざ脱いで確認しなきゃいいのに…。 今日の食事はやはり葉っぱだが、時折、自分のした糞の塊に目をやりながら食べている。 昨日、大量に漏らして掻き出して捨てていた糞の山だ。 時間が大分経過して腐敗が完了し、臭いが少なくなっているため、どうも、まだ糞とは 認識しつつも興味を引かれているようである。 その葉っぱはそれほど食べ辛い物らしい。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− そうして、今日も俺は一人残業の時間を迎える。 日中と内容が違うだけで変化のない作業を続けるのだが、この仔実装観察が出来ると言 うだけで苦痛だった仕事が楽しい作業になりつつあった。 まぁ、俺の事などどうでもよい。 日が暮れると仔実装の行動が変化する。 昼よりは通行量が少なく感じられる為に、再び車道を横断しようと言う行動が加わる。 どうやら、食べ物も水もない状態に危機感を覚え、この場所から移動しなければと言う 本能が働いているようだ。 夜になると街灯があっても、仔実装の目には車の速度や距離感がおかしくなって怖さが 和らぐようだ。 野良慣れしていない様子なので、余計に夜目は利かないのだろう。 しかし、結局は時間を掛けて降りようとしては途中で諦めて、場所を10cm程、横に ずらしてチャレンジして降りては恐怖に晒され怯えて登ろうと足掻く。 昨日の恐怖心が強いのか完全に降りてはくれないが、昨日と同じ事を繰り返す。 誰もいなくなった職場で、俺は日中の分も声を上げて笑う。 笑いながらも自分の冷酷な行動に苦笑いで締める。 しかし、幾ら馬鹿な仔実装とはいえ、生存が掛かっているだけに全く変化のない事をす るわけにはいかない。 見ていれば、いつの間にか仔実装の行動範囲が少し広がっているのに気が付いた。 昨日は親の死体からせいぜい2m程の範囲でウロウロしていたのが、今は4m程まで足 を伸ばしている。 そこで、どうやらジュースの缶を見つけたようで嬉々として掲げながら親元まで真っ直 ぐ走っていく。 親の横に来ると、体に対して大きな缶をあれやこれやと回して飲み口を探す。 そして身体に対して大きな缶を抱え上げる… そして振る… 振る… … 缶を投げ出してカクンとうなだれる。 『 テッチィ… 』という力無い嘆きが聞こえてくるようだった。 予想は出来たが、捨てられた缶に都合良く中身が残っているとは思えない。 持ってくるまでに中身が入っているかどうか判りそうなものではあるが、喜び勇んで落 ちてくるのを待ち受ける姿勢にまでなってオチを付けてくれる辺りが仔実装らしい。 仔実装は余程ショックだったのか、その缶を力無く引きずり歩く。 どうやら、癇癪を起こして投げる力もなくなり、捨ててしまうには未練も残っているの だろう。 親の死体の周りをズルズルと缶を引きずり行ったり来たりしている。 2分程それをしていた仔実装は、ふと慌てたように顔を上げると、缶を手放し狂ったよ うに走り回る。 付近を何かを探すように探し回っており、その顔が尋常ではない事態を物語っていた。 そうして何かを探し回って30分後… 仔実装は再びクタクタになって親元に姿を見せた。 その手には、例の親指実装の死体が抱かれている。 缶を拾った喜びで、親指をその場に置いたまま缶を運んでくる事に夢中になってしまっ たらしい。 むしろ、仔実装が忘れ去っていた物言わぬ死体を発見できた事が奇跡的だ。 だが、その理由はすぐに分かった。 親指を見つけて戻ってきてから、どうも様子がおかしい。 踊るように戻ってきたかと思うと親元から離れなくなったのだ。 それに、今まで抱えているだけだった親指の死体を高い高いをしたり、揺らして踊らせ たりしている。 そして、時折、親の死体に慌ててしがみついて揺らし続ける。 その顔は悲痛な物ではなく笑顔なのである。 丁度、昨日と同じく夜食に丁度良い時間なので買い出しに出かけるついでに歩道橋から 観察する。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 『 デェ゛ェ゛ェ゛ェ゛… 』 『 テチャ!! テチャァー!テッチャチャー!! 』 下から不気味な音と共に仔実装の声が聞こえてくる。 だが、それで仔実装の行動が判った。 親実装の死体は腹部がすっかり裂けているが胃袋は無事な様子である。 実装石は喰らった物は何でも栄養にして、何でもあの糞に変えてしまえる。 強力な胃液が存在すると言われているが、それだけではなく胃酸の中で分解作業を担う バクテリアを飼っていると仮定される。 人間なら様々な内臓で分担して行う消化・分解作業を単純に集約している為らしい。 実装石は個体によって内臓構造がバラバラで、一見、人間と同じ配置・数の器官がある 個体でも体液循環器官以外は全部が胃であり腸である。 食べ物が胃に収まった瞬間から、直接、強力なバクテリアが食物を分解・変換して栄養 にしているのだから大食で消化能力が高く速いという説だ。 糞や体臭が臭くなりやすいのも、その実装バクテリアが強力すぎる事とその為に単行程 で全てを処理する内臓の所為という事になる。 その胃酸とバクテリア、2つの内容物は死後も胃袋にある程度留まって活動している。 やがてはバクテリア自身で住処を壊してしまう事になるが、臓器がある程度の密閉性を 保っている限りはそれらが活動し、以降の処理がされない内容物は発酵ガスを発生させて 胃袋という風船に溜まり続けているのだ。 特に胃は実装石にとって肺の機能も兼ねる為に多機能で大事な器官だ。 それが気温の変化による内外圧の差で、ガスが喉を通って排出されているのだ。 その時に声帯を震わせる音を仔実装は親の声として生きていると思ったのだろう。 死体を揺らせば喉の声帯の形が僅かでも連続的に変わり、胃袋も揺らされてガスが漏れ る量も変わって違う”言葉”を話すように感じられる。 おそらく親指実装の体内でも同じ事が起こっている… だから、仔実装は置き忘れた親指の死体を発見でき、それから態度が変わったのだ。 『 デェ゛…デッ、デデェー…デスッ…デッス 』 『 テチャ〜♪テッチャチャ♪テッチュー 』 『 レチッ… レェェェェェェェェ レェェェレッレッ レレレレ… 』 『 テチュ? テチュチュ テッチィー♪ 』 買い物を終えても仔実装はまだやっていた。 何を言っているかはリンガルを近づければ判るだろうが、この距離では雑音も拾ってエ ラーがでる。 とはいえ、この状況では仔実装にとっては音さえ出れば内容は関係ない。 言葉を話そうとしている=生きているなのだろう。 死体の中からガスが無くなるまでは仔実装は幸せなのだろう。 仔実装はその後、いそいそと散らばったままの小皿を片付けだした。 そして、カラスの襲来で手が届くようになった壊れた家を引きずりおろした。 実に危なっかしい動きで、危うく落下したダンボールの塊に潰されるところだった。 無責任な発言だがその時に死んでいれば楽だったに違いない。 だが、仔実装にとってはそうではない事も確かだ。 小さいながらに自身の命を繋ぐのに精一杯に生きているのだ。 仔実装は親達が生きている確信を得て生活を立て直そうとしているのだ。 その手始めに自分がみんなの為に家を、動ける自分が建て直そうという考えだろう。 少し広い場所に行こうというのか懸命に引っ張るが思った程動かない。 諦めてその場で落としたダンボール塊の形を整えて裂け目を繋ごうとしている。 小さい仔実装には大変な作業だ。 家に対して仔実装はあまりにも小さい。 しかも、潰れたり裂けてしまったダンボールを家の形に戻すだけでも多少知恵のある成 体実装でも困難だ。 新しい材料を上から被せて補修するか、諦めて一軒組んだほうが楽だから、その必要性 も薄いので野良でも経験する事は少ない。 これほど潰れたダンボールを補修部品なしで、最低限、雨風を避けられる機能を得るだ けでも仔実装1匹では大変な作業である。 大体、この家自体人間に作ってもらったもので、仔実装は野良慣れしていない有様。 ここでは補修部品の当ても無い。 それでも仔実装は右往左往し時間を掛けて、外観的には潰れたままだが、自分が入れる 隙間を作り、中にちゃんと体が収まる空間を作ったようだ。 それが、仔実装の限界… いや、本能だけでよく頑張ったと言うべきか…。 完成した時は跳ね回って喜んでいたが、次に仔実装がとった行動は想像通り、親実装の 死体を引っ張って家の中に入れようと言う行動だった。 だが、親実装の体重は残念ながら、まだ大量の水分を残し腐敗を始めている段階なので、 動かせなかった家となる箱よりもさらに重い状態である。 ダンボールも動かせずに諦めたというのに無謀である。 容積で10倍を超える差が発生している。 大体、動かせたとして、自分が作った”隙間”には親の体は入るはずも無いのだが…。 案の定、仔実装にしてはねばり強く20分は頑張ったものの、家が完成した喜びを台無 しにする失望に包まれて仔実装は親を引っ張るのを諦めた。 素直に家が完成した事を喜んでいれば、少なくとも明日までは幸せな気持ちで寝られた のに…。 無理な事を知ってか知らずか欲をかいてしまったために、完成した歪な家の中で膝を抱 えて、外にある親の死体を眺め泣く羽目になっていた。 つくづく種族としても個体としても、何をやっても幸せとは縁遠い生物である。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− つづく
