こんにちは、はじめまして。 私はこの実装生物研究所本部の第三薬品製造部の部長です。 普段は実装生物に投与する薬品の類を研究しているのですが、今回急遽非公式な対策部 の副部長に抜擢されてしまいました。いやはや、ある意味原因は私の部署なので仕方ない と言えば仕方ないんですけど……。 さて、愚痴はこのあたりにして、早速問題のものを見て貰いましょう。 ——カシャ。 スクリーンに映ったのは、100mlビーカーに入った淡褐色の透明な液体。 そして、四角い濾紙の上に乗せられた、角砂糖ほどの白い立方体が四つだった。ただ、 表面は角砂糖ほど粗くはない。 これが、問題の疑似実装麻薬です。 ビーカーに入ったものは、希釈していない原液です。見た目は淡褐色透明の液体で、微 かに甘い香りがします。やや粘性があり、味は甘苦いです。経口投与にも使えますが、こ ちらは注射用として使います。 こちらの四角い直方体は、疑似実装麻薬を約0.2g加えて固めた小麦粉です。こちらは経 口投与用として使います。 今回は疑似麻薬の進行状況と、その症状について説明します。 まずは、疑似麻薬を経口投与された個体です。 ——カシャ。 スクリーンに映し出された映像が切り替わった。 一畳分ほどの小さな部屋で、壁には絵が一枚掛けられていた。床は目の細かい網が敷か れていて、床から二十センチほどの空間が作られている。部屋の奥には段ボールハウスが 一個置かれていて、反対側にはドアが付いていた。 そして、壁に寄りかかっている一匹の実装石。 首輪を嵌められ、耳に『5−74』というタグが付けられている。 「デププ……」 気の抜けた表情で、絵を見つめていた。 しかし、その顔は緩み幸せそうな空気を漂わせていた。 「ふわふわ気持ちいいデスゥ」 七十四番は壁に背を預けたまま、口元に笑みを浮かべていた。 身体が軽い。何とも言いようのない幸せが全身を包んでいる。温かな日の朝の微睡みの ような幸福感。壁に掛けられた絵が、輝いているように見えた。最初に見た時はただの絵 だと思ったのに、なぜか今はキラキラと光を放っている。 「きれいデスゥ……」 不思議な感覚だった。 彼女は検体番号5−74です。 健康評価3.1、体力評価3.2、賢さ評価2.8、品性評価3.4の平均的実装石です。 これは疑似麻薬を経口投与した直後です。 投与回数は一回目です。 症状は見ての通り、多幸感と酩酊感、軽い虚脱感。まだ症状は軽めですが、一度でも疑 似麻薬の快感を知ってしまったら、そこから抜け出すのは至難の業です。人間が手を加え ない限り、脱依存は不可能でしょう。 ここで改めて疑似実装麻薬について説明します。 実装麻薬とは、実装生物のみに強く作用する麻薬および向精神物質の総称です。存在は かなり昔から知られていましたが、製作に相応の設備が必要なことと、原材料が入手困難 なことも相まって、進んで研究されることはありませんでした。 実装生物研究所でも、少量作られているだけでした。 しかし去年、私の担当部署の職員が、偶然にも疑似実装麻薬というものを作ってしまい ました。疑似実装麻薬は通常の実装麻薬とは異なり、身近な材料から日常レベルの設備で 量産でき、なおかつ非合法薬品は不要という、画期的かつ極めて危険な薬物です。 直後に行われた実装研上層部、警察、麻薬取締部などによる会議の結果、私たち実装研 は秘密裏に疑似実装麻薬についての研究を進め、警察および司法は規制法の成立に向け働 きかけるということで一応の決着を得ました。 続いてお見せするのは、薬の効果が切れた実装石です。 検体七十三番。彼女も七十四番と同じ標準的な実装石です。 ——カシャ。 七十四番がいた個室と同じような個室。 一匹の実装石が、床に仰向けになっている。右手をお腹に乗せて、苦しげに呼吸を繰り 返してた。耳には『5−73』のタグが付けられている。 「気持ち悪いデス……」 七十三番は床に仰向けになったまま、白い天井を見上げていた。 身体が異様に重い。さっきまで身体が軽く心地よかったのに、いきなり気持ち悪くなっ ていた。動くことも出来ず、呼吸をするだけでも疲れる。 「何でデス……?」 弱い吐き気もあるが、口を開いても吐き出されるものはない。 個体差はあるものの、経口投与による薬の効果はおよそ六時間ほどで切れます。効果が 切れてからは、一日ほど虚脱感、軽い吐き気などが続きます。それを過ぎると、一応元に 戻れますが、薬に対する記憶は偽石に刻まれ、かなりの長期間残るようです。 では、ここで薬を経口投与します。 部屋のドアが開き、白衣とマスクと帽子の研究員が一人入ってきた。 「デ?」 七十三番はおっくうそうに入ってきた人間に目を移す。 人間に虐待されたりした個体を除いて、普通の実装石は人間を見ると近づくなりの反応 を見せる。偽石に刻み込まれた本能が、人間を庇護者として認識させるのだ。 だが、七十三番は目を向けるだけで、それ以上のことはしない。 研究員は右手に持っていたチャック袋から、角砂糖のような四角い薬を取り出す。 「さっきの白いのデス……」 七十三番はじっとその角砂糖もどきを見つめる。 さっきも人間に渡されたこの白いものを食べた。そしたら、気持ちよくなった。それを 人間がまた持ってきた。これを食べれば、また気持ちよくなれる。 さほど頭のよくない実装石でも、その結論を出すのは簡単だった。 人間が七十三番の口に白い薬を入れる。 口の中に入った四角い薬をすぐさま噛み砕き、七十三番はそれを呑み込んだ。甘い味と 温かな痺れが胃から手足に広がっていく。 「デェェ〜。気持ちいいデスゥ〜」 今までの気怠さが嘘のように消え去り、何とも言えぬ気持ちよさが身体を包み込んだ。 手足から力が抜け、まるで雲の上にいるようである。重苦しかった白い部屋がうっすらと 光を帯び、空気が輝いていた。 薬と快感の因果関係が結びつき、これで依存症に陥りました。 一回の経口投与では、依存症にならずに一応の正常状態に戻ることも可能ですが、一度 薬と快感の因果関係を知ってしまっては、賢さ評価4.5以上の非常に賢い個体でも依存症脱 出は無理でしょう。 依存症に陥ってしまった個体の様子はこちらです。 疑似麻薬の経口投与は、十回から十五回の間です。また、経口投与回数が五回を越えた 辺りから、薬の効果がより顕著に表れてきます。 ——カシャ。 耳に『5−62』のタグが付いた実装石。普通の実装石に比べて痩せている。 今までと同じ個室で、積み木を動かしていた。 「デッスッ、デッスッ」 十五個の積み木を部屋の入り口辺りから、段ボールハウスの手前辺りへと移動させてい る。その動きは実装石とは思えないほどの速さだった。加えて、それほどの速さで動いて いるというのに、疲れなどは全く見られない。 「デッスッ、デッスッ」 漏れた糞がパンツの隙間から落ちているが、気にも留めていない。いや、気づいていな いのかもしれない。網状の床にこぼれた糞は、そのまま下の隙間に落ち、水で洗い流され る。また、個室も定期的に洗浄剤で丸洗いされる構造だ。 六十二番は真剣な表情でただひたすら積み木を動かしている。 「デッスッ、デッスッ」 入り口近くにあった積み木を段ボールハウスの前まで全部運び終えると、今度はその積 み木を入り口近くまで移動させる。何の意味もない行動だというのに、ひたすら真剣に取 り組んでいた。しかも、全く休むことも速度が落ちることもなく。 彼女は疑似麻薬の効果が、感覚の麻痺という形で現れています。 彼女はこの三時間前から積み木の移動を延々と続けています。その間一切休憩はしてお らず、作業速度もほとんど落ちていません。疲れを感じていないのです。 おそらくは自分が何故こんなことをしているかも分かっていないでしょう。 この単純作業は、薬の効果が切れるか体力が尽きるかするまで続きます。 その後は一気に疲労が押し寄せ、昏倒したように眠ります。元気の前借りとは麻薬でも 言われることですが、この疑似実装麻薬でも同様です。 経口投与用疑似実装麻薬は、固めるのに小麦が使われ、原材料として砂糖が含まれてい るため、食べるだけで栄養分にはなります。気休め程度ですけど。 ——カシャ。 耳に『5−67−マラ』のタグが付いたマラ実装石。六十四番同様痩せていた。 「気持ちいいデッフ〜ン」 壁に寄りかかったまま、至福の表情で自分のマラを弄っている。マラの先端から力なく 飛び出す精液。飛び散った白い粘液が実装服や手足を汚し、股間からは糞が漏れているの に、それらを全く気にしていない。 部屋の隅には皿に山盛りになった金平糖が置かれている。しかし、そちらに目を向ける ことすらしない。普通の実装石なら迷わず飛びつくというのに。 「デッス。最高デス〜ン」 六十七番はただひたすら自慰を続けている。 彼女……いや、彼かな……? とにかく、このマラ実装はおよそ五時間自慰に耽ってい ます。その途中一回も休まず、食事も取っていません。 普通のマラ実装石でも、これほど長時間は無理です。 疑似麻薬が性感を鋭敏にし、疲労を麻痺させている結果です。 まさにオナニー中毒と言えるでしょう。 この個体もさきほどの六十二番同様、体力が尽きるか薬が切れるかした時から、気絶し たように眠ります。睡眠といっても通常の睡眠ではなく、準仮死状態と表現するのが正し いでしょうか? 半日から、長い時は三日間以上、全く動かなくなります。 ——カシャ。 耳に『5−65』のタグが付いた実装石。 部屋の中央に仰向けになったまま、目を閉じてぴくりとも動かないでいる。微かに胸が 上下していることから、生きていることは分かった。 首輪に設置されたセンサーが、体機能を記録している。 この実装石は薬が切れて眠った個体です。 眠る前は六時間飲まず食わず休まずで部屋をマラソンしていました。 現在、睡眠41時間目です。 眠っているというよりも、仮死寸前の状態ですね……。いえ、完全死一歩手前と言う方 が正しいかもしれません。偽石の活動率も平均3.7%と非常に弱くなっています。通常の仮 死でも偽石活動率が10%を下回ることはまずありません。 仮死とは違い体細胞はある程度動いていますが、偽石は仮死状態よりも活動が低下して います。この状態を何と呼ぶかは、現在検討中です。 また偽石活動が弱まっているため、眠っても体力はほとんど回復せず、目が覚めてもま ともに動けません。一応、目が覚めれば偽石もある程度動き出しますので、自分の身体を 削ってエネルギー補充はできますが……。近くに食べるものが無ければ、ほどなく餓死し てしまうでしょう。 続いて禁断症状の出始めた個体を見ていただきます。 ——カシャ。 「お薬……どこデス……!」 せわしなく部屋を歩き回っている実装石。まともに食事を取っていないため、先の実装 石同様その身体は痩せている。 耳には『5−61』のタグが付けられていた。 六十一番は全身から汗を吹き出しながら、重い身体を無理矢理動かしていた。言いよう のない恐怖と焦燥感が身体を蝕んでいる。手足が震え、背中が粟立っていた。 「どこかに隠してあるはずデス……!」 段ボールハウスをバラバラに解体し、実装フードの残った皿をひっくり返し、壁のあち こちをを叩き、床の網に顔を押しつけ、ひたすら薬を探し求める。今まではダルくなった ら人間が薬を持ってきた。だが、今回はいつまで経っても人間は薬を持ってこない。 身体が熱い。寒気がする。 手足が震える。力が入らない。 辛い、苦しい、気持ち悪い。 怖い……! 「はやくお薬を寄越すデス!」 猛烈な恐怖にせき立てられ、六十一番は薬を探し続けた。 典型的な禁断症状です。 身体の震え、体感温度の混乱、虚脱感、目眩、焦燥感、不安、恐怖心。 疑似麻薬が切れた直後は薬の副作用でまともに動けませんが、およそ一時間程度で少し 動けるようになります。実装石特有の非常識な再生力が、自分の身体を削ってある程度の 体力を回復させるからです。 また、消耗した体力から若干食欲が回復し、食事をします。しかし、同時に禁断症状が 現れ始めるため、満腹になるまで食事を続けることはまずありません。 そして、これらの薬品の常として…… ——カシャ。 ガチャリ。 部屋のドアが開き、白ずくめの研究員が入ってきた。 「お薬、お薬、お薬寄越すデス! ニンゲン、ニンゲン、ニンゲン! お薬、早く寄越す デス……! 早く、早く、早くデス!」 入ってきた人間の足を叩きながら、六十一番は涙を流しながら叫んだ。 だが、人間はいつもとは違い薬を渡してこない。 代わりに短く告げてきた。 「お前が髪と服を全部捨てれば薬を渡す」 「デ……」 人間の言葉に、六十一番は一瞬固まってから。 「分かったデスッ!」 迷わず髪を毟り、実装服を全部脱ぎ捨てた。普通の実装石ならば、たとえ命と引き替え のという危機的状況でも、髪と服を失うことには強い抵抗感を示す。 しかし、六十一番は躊躇せずに髪と服を捨てた。 あっという間に禿裸になった六十一番。 「髪と服を全部捨てたデス! だからお薬寄越すデス!」 人間の足を両手で叩きながら、必死に叫んでいる。 人間は保存用のチャック袋から角砂糖型の薬を出し、六十一番の前に差し出した。 六十一番は薬を奪い取り、迷わず口に放り込んだ。 一度噛み砕いてから飲み込み、その場にへたり込む。 「デスゥ……」 それから今までの狂乱振りが嘘のように、至福の表情を浮かべた。 彼女は賢さ評価4.6の非常に賢い個体ですが、その面影はありません。 薬を得るために自分の実装服や髪を捨てることに対して、一切の躊躇いが無くなってい ます。手や足を切れと言われれば、迷わず噛み千切っていたでしょう。もはや、疑似麻薬 が命よりも大事という状態です。 また、この禁断症状から疑似麻薬に向かう執着心は、実装石特有の欲望と重なり、極め て強い行動エネルギーとなります。リミッターが外れた実装石は、文字通りの意味で命を 燃やし、凄まじい力を見せます。 これは、その一例です。 ——カシャ。 「デェ……デェ……。お薬……欲しいデス……」 禁断症状に苦しむ実装石。 耳に付けられたタグには『5−59』と記されている。 そこは今までのように狭い部屋ではなく、八畳ほどの広さのある部屋だった。床は今ま での部屋同様網張りとなっている。壁は白く塗られたコンクリート製。扉は一枚。 部屋の奥に五十九番の実装石。 扉の近くには白ずくめの人間と、実蒼石が一匹いた。標準的な体格の実蒼石だが、実蒼 服ではなく、帽子から靴まで白い特別製。口にもマスクを付けている。右手に持っている のは、実蒼石が生まれ持つ金色の実蒼鋏ではなく、ステンレス製の鋏だった。 「実装石五十九番、君がこの実蒼石を倒したら、この薬を上げよう」 人間がチャック袋に入った薬を見せる。 びくっ! 五十九番の身体が大きく震えた。 「死ねデェエェェス!」 途端、絶叫とともに走り出す。赤と緑の目に映った狂気の輝き。痩せた実装石とは思え ぬ速度で、実蒼石へと突進していった。覚醒獣装石よりも速いだろう。両手を広げ、三角 口を大きく開き、飛びかかる。 「ボクッ……」 振り抜かれた実蒼石の鋏が、すれ違い様に右腕と右足を切り捨てていた。 対サンプル戦闘用実蒼石11号、ネイビー。実装研で作られた特殊な実装生物の強さを 計るために戦闘訓練を積んだ実蒼石であり、マラ獣装石でも容易く圧倒するほどの実力を 持つ。その体捌き動きは、まさに達人のものだ。 突進した勢いのまま、前のめりに倒れる五十九番。しかし、片腕と片足を失ったという のに、全く怖じ気づいた様子もない。痛みも感じていない。 「ぶっ殺してやるデシャアアアアァァァァ!」 残った手足を動かしながら、それでもかなりの速度でネイビーへと近づいていく。斬ら れた傷口からの出血は止まり、既に再生が始まっていた。 「ボクッ……!」 ステンレスの鋏が、五十九番の首を切り落とす。 ネイビーは一度後ろへと距離を取った。 普通の実装石ならば、これで終わりである。 だが、頭を失った身体は痙攣しながらも、ネイビーの方へと近づいていく。さすがに動 きは遅くなっているものの、普通の実装石が這う程度の速さだ。切り落とした手足は、細 いながらも再生を終わらせようとしている。 「不気味ボク……」 呟きながら、ネイビーが目を移した。 「……! ………!」 生首が三角口を大きく開けて、ネイビーを睨んでいる。 首の切断面の肉が蠢き、微かな速度ながらも、ネイビーに向かって動いていた。最初に 切り落とされた手足も、のたうちながらネイビーへと近づいている。 それは異様な光景だった。出鱈目な実装石といえど、ここまで執念深く動くことはまず ない。だが、疑似麻薬への執着心がその無茶を可能としていた。 ネイビーが目配せをすると、人間は無言で頷く。 ネイビーはステンレス鋏の一突きで、胴体の胸にあった偽石を砕いた。 「……デ」 それで、完全死を迎えた五十九番。 ごらんの通り、薬に対する執着行動は凄まじいものとなります。 一度疑似麻薬を口にした実装石は、後遺症のひとつとして簡単なきっかけで肉体と精神 のリミッターが外れるようになってしまいます。副作用の苦痛に苛まれ、活動エネルギー も少ないのに、これほど無茶な動きができるのはそのためです。 それをさらに過激にしたものがこちらです。 ——カシャ。 学校の教室のような広い部屋に、実装石が十匹置かれていた。 耳に付けられたタグは『5−44』から『5−53』まで。皆例外なく痩せ細り、禁断 症状によって苦しげに唸ったり、せわしなく動き回ったり、うずくまって震えたりしてい る。部屋に漂うのは、異様な空気だった。 そこにスピーカーから人間の声が響く。 「ここに一人分だけ薬がある。ここにいる中に一匹だけに薬を渡そう」 「デギャアアアアァァァァァ!」 「死ねデス! 死ね、死ねデェエェェェス!」 「お薬お薬デス! お薬お薬お薬お薬デスゥゥ!」 研究員の台詞が終わらぬうちに、全ての実装石が動き出した。 実装石十匹による、死をも厭わぬバトルロワイヤル。お互いに殴る蹴る、頭突き、噛み 付き、体当たり。あらゆる方法で他の実装石を攻撃した。 それでも、腕を失い、足を失い、目を失い、骨が折れ、内蔵が潰れても、それらを全て 無視して他の実装石を殺そうと暴れている。痛覚や恐怖などは、薬への執着心の前には塵 も同然だった。 執念で強化された身体能力、執念で強化された再生能力。 絶叫と慟哭とともに、実装石とは思えぬ血みどろの戦いが続く。 やがて一匹二匹と肉塊寸前となった実装石が、戦いから脱落し始めた。だが、残った実 装石は動かない死体にも攻撃を仕掛け、その身体を壊していく。 相手の生死が分からないのだ。 とにかく、目の前にいる実装石を攻撃する。生死に関わらず。そうして肉片まで砕かれ た元実装石は、ようやく攻撃対象から外れる。残った実装石は動いているのが不思議な満 身創痍の身体でお互いに殺し合っていた。 凄惨な殺し合いは、二分ほどで終わった。 部屋には実装石の肉片が転がっているだけで、生きている個体はいない。 もしこの疑似麻薬を野良実装石に配り、禁断症状を利用して扇動したら、それは立派な テロ行為になるでしょう。麻薬中毒者を利用した暗殺教団の伝説のように。我々が危惧し ているのはその部分です。 また、疑似麻薬は非常に簡単に作れるのも問題です。 砂糖、塩、アルコール、カフェインなど、普通のスーパー、薬局などで入手できる原料 が中心で、一万円もあればバケツ数杯分を製造可能です。公園の野良実装を丸ごと薬漬け にして十分お釣りが来ます。 材料と製造法は、この場では発表できません。 加えて、通常の実装麻薬とは違い、疑似麻薬は実装石にしか効果がありません。また、 人間も疑似麻薬は普通に摂取できます。非常に不味いですけど。 ——カシャ。 盆栽相手に鋏を動かしている実蒼石。 紅茶を飲みながら絵本を読んでいる実装紅。 止り木に留まったまま唄っている実装燈。 色鉛筆で画用紙に絵のようなものを描いている実装金。 イチゴ大福を頬張っている実装雛。 プランターの花に如雨露で水を巻いている実翠石。 鉄筋コンクリートの部屋で、実装石に水晶を突き立てている薔薇実装。 それぞれ好きなように行動しているが、今まの実装石のような狂気は見られない。 これらの実装生物は、疑似麻薬を既に100g以上経口投与されています。しかし、実装石 のような依存症状や禁断症状は起こしていません。 一般的な麻薬、覚醒剤のように疑似脳内物質として作用するわけではなく、実装石特有 の幸福回路を暴走させる仕組みだからというのが、最も有力な仮説です。極端に増長した 実装紅や、殺戮に目覚めた実蒼石など、いわゆる糞蟲化した実装生物には、ある程度効果 があります。それでも、実装石ほどの依存症状は見せません。 経口投与はおよそ二十回、約一ヶ月で限界を迎えます。その後はいくら疑似麻薬を口に しても、僅かな効果しか得られません。身体が耐性を作ってしまうからです。 経口投与が限界に来た個体は、血管注射という方法になります。 ——カシャ。 スクリーンに映ったのは、小さなプラスチックの円筒ケース。 単三乾電池ほどの大きさで、黄色い蓋が付いていた。透明な部分には、四分の三ほどの 疑似実装麻薬が入っている。 蓋を取ったものは、長さ十五ミリの注射針が見えていた。 これは実装研で使われているアンプル注射器です。針を身体に突き刺すと、内部の弁が 開き、アンプル内の液体が注入される仕組みです。容器を分解して内部を洗浄し、専用の 注射器で液体と気体を封入することで何度でも使うことができます。 アンプルの中身は、疑似実装麻薬1gを生理食塩水で希釈したものです。 実装石の場合は、人間のように静脈注射ということはできません。 ただ、その身体構造上、どこに注射しても静脈注射と同様の効果は得られますが、大抵 の固体は心臓への直接注射という方法を取るようになります。 そして、血管投与という方法を取り出してから、症状は劇的に悪化します。 ——カシャ。 さきほど実装石たちがバトルロワイヤルを繰り広げたのと同じ広さの部屋。 そこには六匹の実装石がいた。タグは『5−30』から『5−35』まで。 今までの実装石よりもさらに痩せ細った身体で、さながら亡者のような風貌である。壁 に寄りかかって独り笑いをしているもの、ひたすら自慰を続けるもの、実装フードを食い 散らかすもの。その様子は様々だ。どの個体も他の実装石には注意を払っていない。 そして、全ての実装石が禿裸である。 部屋の中央にある台には、二百本のアンプル注射器が並べられたトレイと、実装フード が盛られた大皿と水飲み機が置かれている。 ただ、実装フードを食べているのは、三十五番だけだった。 「そろそろデ〜ス〜」 壁際で独り笑いをしていた三十二番が起き上がり、千鳥足でトレイへと近づいていく。 アンプル注射器をひとつ掴み、震える手でその蓋を外し、注射針を自分の胸へと突き刺 した。薄い褐色の液体が、心臓へと送り込まれる。 「来たデスゥ……! 来たァデエ……ェェェエェ……デスゥゥッ……!」 両目を大きく見開き、口を大きく開け、三十二番が悲鳴のような声を上げた。身体のあ ちこちが不規則に痙攣を始める。涙や鼻水、涎を垂れ流し、総排泄孔から緑色の液便を床 に垂らしていた。気が触れたような不気味な姿。 中身の無くなったアンプル注射器が床に落ちる。 「デッ……デッ……デェェエ……スゥウッ……」 三十二番はあらゆる体液を垂れ流し、全身を駆けめぐる快感を味わう。 立っていることも出来ずその場に倒れ、身体を捩りながら、壊れた恍惚の表情を見せて いた。口にしている言葉もリンガルで翻訳されず、無意味な呻きとなっている。 部屋の隅の扉から、白衣とマスクを纏った実装石が一匹現れた。手早く空のアンプル注 射器を回収して、部屋の隅の扉へと消えていく。 だが、その片付け実装石には誰も気づいていない。 これは、通称『ラッシュ』と呼ばれる強烈な快感です。 生涯得られる快感の合計を上回る快感を一気に味わう……などと表現されますが、普通 に生きている人間がそれを想像するのはまず無理でしょう。麻薬でもやっていれば別です けど。実装石のこの症状は、幸福回路が極限まで暴走したものです。 この快楽の洪水は数分続きます。 その後は強い酩酊と快楽の中、おのおの好きなことに没頭します。 三十二番のように妄想を続けるもの、三十三番のように自慰に耽るもの、他にはひたす ら眠り続けるものや、泣き続けるものもいます。知性や思考、本能というものが削り取ら れ、ただ直情的な欲求まま、疑似麻薬を接種し続けます。 この状態になると、食欲が刺激された個体を除いて、ほとんど食事をしなくなります。 空腹自体感じないようで、時々フードを口に入れるくらいです。ここにいる個体は、食欲 が暴走した三十五番を除き、ほぼ一週間何も食べていません。ただ、水は時々思い出した ように大量に飲んでいます。 それでも、疑似麻薬の僅かな栄養と、身体を分解した栄養で、実装石は生き続けます。 新陳代謝がかなり低下しているので、消費エネルギーは非常に少なくて済みます。そのた め痩せ細った外見とは裏腹に、餓死することはまずありません。再生能力はほとんど機能 していないので、傷や病気には弱いですが。 また、経口投与の禁断症状時のような過剰活動も行えません。 「デッ……」 壁に向かって何か話しかけていた三十四番が、突然立ち上がった。両手で身体を抱えな がら、大慌てでアンプル注射器の元へと走っていく。必死に走っているのだが、その動き はお世辞にも速いとは言えるものではなかった。 「マズい、デス……! 来たデス……。まだ、駄目デス……。来ちゃ駄目デス……! 早 くお薬を注射しないと、駄目になるデスッ……!」 ぶつぶつと呟きながら、三十四番がアンプル注射器を手に取る。震える手を無理矢理動 かして何とか蓋を取り、注射針を胸へと突き刺した。 「デェェェエェ……間に合ったデスゥゥウゥ……!」 三十二番同様、強烈な快感に痙攣しながら、体液を垂れ流し、その場に倒れ悶える。 このレベルになると、禁断症状も凄まじいものとなります。 三十四番の個体は、禁断症状の前触れを感じ、すぐに疑似麻薬を注射しました。経口投 与では、薬の効果が切れてから禁断症状までは一時間ほどの間がありました。しかし、血 管注射を行うようになると、効果が切れるのと禁断症状発症は同時になります。 多くの個体は効果が切れる前に血管注射を行いますが、疑似麻薬による酩酊で効果切れ に気づくのが遅れると禁断症状が起こる前に慌てて注射をしに行きます。 禁断症状についてはこちらです。 ——カシャ。 同じような大部屋。 ただ、さきほどの部屋にあったような、アンプル注射器の入ったトレイは無い。 部屋にいるのは六匹の実装石。『5−21』から『5−26』まで。 その六匹は床に倒れたまま、震えていた。何かを払うように手を振り回すもの、自分の 手足を囓っているもの、歯を食いしばって苦痛に耐えているもの。全員が異常な症状を示 していた。 「ワタシの中に何かいるデス……!」 二十一番は自分の腕を噛み、その皮膚を噛み千切っていた。 皮膚の下を小さな虫が無数に蠢いている。いわゆる蟻走感という症状だ。二十一番は皮 膚を噛み破り、その虫を何とか取り出そうとしている。しかし、皮膚を噛み破っても、肉 を噛み千切っても虫はいない。 「どこかにいるはずデス。あいつらは、もっと奥にいるデスか……!」 だが、虫がいるというのは錯覚に過ぎない。 それでも体内を無数の虫が蠢いているという凄まじい不快感に、二十一番はひたすら自 分の身体を傷つけていた。肉が裂け、血が吹き出し、骨が露出するのも無視して。 「デギャアァァア! 来るな、来るなデシャァア!」 二十二番は両手を振り回しながら絶叫していた。 ——ヒャッハー! 死ィねやァ、糞蟲ィイィ! 黒い人影がバールのようなものを持って自分に襲いかかってくる。身体を抉るように振 り下ろされたバールのようなものを、二十二番は必死に手で払いのけていた。 幻覚、幻聴症状。 端から見れば、弱々しく鳴きながら手をゆらゆらと動かしているだけである。しかし、 主観的な視点では幻の虐待派相手に、二十二番は死に物狂いの抵抗を続けていた。 ——ルトー、ルトー ——美味しそうな実装石ルトー ——子供を生み付けるルトー 「黒いの来るなデシャァアアァ!」 自分の身体に子を生み付けようとする実装燈の幻覚、その姿ははっきりと見え、その声 もはっきりと聞こえた。いや、実物よりもリアルなものとして。 「痛いデス……! 痛いデスゥ……!」 二十三番は全身の神経を焼く激痛に悶え苦しんでいた。 禁断症状が単純に激痛となって現れたのである。関節や筋肉、あらゆる部分が強烈な痛 みを発していた。じっとしていることもできない痛みだが、身体が動かない。 「早く、お薬を寄越すデス……!」 両目から涙を流しながら、二十三番は薬を求めていた。 普通の実装石ならば、偽石が自壊してしまうほどの苦痛ですが、偽石の自壊はまだ一件 しか例がありません。疑似麻薬の副作用で、偽石の自壊が起こらなくなっています。その ため、禁断症状の地獄から死という安楽へ逃げることはできません。 禁断症状化では音や光など全ての刺激が不快要素となって働きます。 さきほどの実装石が皆禿裸だったのは、禁断症状によって髪と服を全て自分で毟ってし まったからです。普段から肌に触れている服や髪でさえ不快に感じてしまうようです。 また、この段階になると、共食いというのも起こります。 当然ですが、相手の肉を求めてではありません。 ——カシャ。 映し出される大部屋。部屋の中央には疑似麻薬入りのアンプル注射器と、実装フード、 水飲み機が置かれている。そこにいるのは禿裸でミイラのようにな実装石が四匹。耳に付 けられているタグは『5−12』から『5−15』まで。 「お前が一番お薬注射してるデスゥゥ!」 「お前の身体のお薬寄越すデスゥゥゥ!」 「デギャァァ、痛い、痛いデシャァ!」 三匹の実装石が、残りの一匹をリンチしている。 痩せた身体で腕にも足にも力は入っていないが、攻撃を受ける方もかなり弱っているの で、弱い打撃でもそれなりにダメージがあった。 「デガ……ッ……」 リンチを受けていた十四番が死亡する。 しばらく殴る蹴るを続けていた他の三匹が、十四番の死に気づいた。すると、三匹は我 先にとその身体に噛み付き始めた。 「デスゥン、痺れるデスゥン♪」 「お薬が染みついたお肉は美味しいデスゥン♪」 「うまうまです〜♪」 干涸らびた肉を食らい、骨を噛み砕き、血をすすり、内臓を腹に収めていく。 三匹は文字通り餓鬼のように死体を貪り食っていた。 注射を他より多くしていた個体は、リンチの末に殺されることがあります。 また、他の実装石は殺した実装石の身体に疑似麻薬が残っていると考え、その身体を全 て食い尽くしてしまいます。実際、大量の疑似麻薬を接種した個体の体組織には、ある程 度成分が蓄積しているので、その肉を食べることで一時的な快感を得ることはできます。 しかし、量は少なく、肉と一緒の経口接種なので効果は弱いようです。 さて、普通の生き物ならば、ここまで来れば後は中毒死に至るだけですが、実装石の場 合はもう一段階先があります。疑似実装麻薬の末期症状。 血管注射が二十回を過ぎた頃、最初の経口投与からおよそ二ヶ月が経つと…… 幸福回路が、壊れます。 ここから先はまさに生き地獄です。 ——カシャ。 一畳分ほど小部屋にその実装石は仰向けになっていた。 耳に付けることもできなくなり、近くに置かれているタグは『5−7』 骨と皮だけの身体で、骨も数カ所折れている。あちこち裂けた皮膚はまだら模様に染ま り、屍斑が浮かんでいた。所々に生えたカビのようなもの。 身体は辛うじて生きてはいるが、細胞は半分以上死んでいる。 だが、実装石としての生物離れした生命力が、死体寸前の身体を動かしていた。 「お薬……」 「分かったデス」 淡々とした返事とともに、白衣姿の実装石が部屋に入ってきた。右手に持っていたアン プル注射器の蓋を取り、注射針を七番の頭へと突き刺した。中身の疑似麻薬3gが、脳へと 直接送り込まれる。心臓への注射ではもう効果が得られないのだ。 脳組織へ直接、疑似実装麻薬が行き渡る。 「デェ……」 七番は弱々しく呻いた。 その両目から、黒い涙が流れ落ちていく。 死にかけた身体が微かに震えていた。 空になったアンプル注射器に蓋をして、白衣実装石が部屋を出て行く。 暗く濁った視界が一気に暗くなった。 どこだか分からぬ暗黒の空間。 七番はそこをひたすら落下していく。 身体はほとんど動かせず、底の知れぬ奈落へと。 「またこの世界デス……!」 声にならない声で、七番は叫んだ。全身全霊を込めた魂の咆哮。しかし、その声を聞く 者はなく、返事をする者もなく、声は周囲の暗黒へと吸い込まれ……消える。 ゴゥ……! 轟音を上げて巨大な何かが七番の身体を呑み込んだ。 同時に、七番の身体が急激に小さくなっていく。仔実装や親指というレベルではなく、 身長が数ミリ、いや数マイクロメートル、数ナノメートル——原子よりも遙かに小さく、 電子よりも遙かに小さく。 実装石の知識にそのような単位の知識はないが、自分の身体が無限に小さくなっていく 感覚にただ恐怖する。恐怖するだけで何もできない。 身体の周囲を黒いものや白いもの、丸いものや四角いもの、細いものや、太いもの。形 こそ分からない情報としての感覚が飛んでいく。 「怖いデス! 怖い怖い怖い怖い怖いデス! 早く早く早く早く早く早く早く、ここから ここからここからここから、出してデス出してデス出してデス! 助けてデス助けてデス 助けてデス助けてデス!」 必死に助けを求めるが、応えるものはいない。 ふと気がつくと、七番は巨大な身体になっていた。 街よりも、地球よりも、太陽系よりも、銀河系よりも大きく—— とにかく、実装石の知識の限界を超えた、とてつもない大きさ。 少し動くだけで、元のサイズの自分がいた場所が彼方へと消えていく。さらに、宇宙の ように巨大となった七番よりも、さらに何億倍も大きな何かが動いていた。それが何かは 分からないが、想像を絶するほどに大きな何かを感じる。 「助けて……デスゥゥゥ……!」 混乱した感覚の中、七番はただ怯えることしかできなかった。 無限とも思える時間を経て、七番は現実空間へと戻る。 寝転がった金網の感触、霞んだ視界に映った白い天井。元いた部屋。 「デ……!」 だが、背筋を駆け抜ける激痛に七番は歯を食いしばった。顎の筋肉が死んでいるため、 食い縛ったつもりになっただけであるが。 手足から胴体、頭、全身が痛む。全身の関節、皮膚が激痛を発していた。 そして、体内をミミズのようなものが無数に蠢いている猛烈な不快感。 押し寄せる吐き気に、七番は何度も嘔吐く。身体が石のように重い。 身体が凍り付くほどに寒い。身体が燃えるように暑い。想像を絶する寒さと暑さが、数 秒おきに交互にやってくる。 全く動かせない身体で、あらゆる苦痛が押し寄せる。 それでも偽石は砕けない。 生という監獄の中、七番は必死に声を上げた。この地獄から解放される方法は、ただひ とつ。ただひとつの方法しか知らない。思いつかない。 「お薬デス……!」 「分かったデス」 淡泊な返事とともに、部屋の実装石が入ってきた。 少ししてから、頭に注射針が突き刺さり、疑似麻薬が脳内へと注入される。 全身を駆け抜ける痺れ。この苦痛だらけの世界から、あの無限の快楽が待つ楽園へと行 けると信じて、七番は扉が開くのを待った。 だが…… 視界が暗転し、七番は無限の落下感に襲われた。 身体はほとんど動かせず、底の知れぬ奈落へと落ちていく。 「またこの世界デス……!」 声にならない声で、七番は叫んだ。全身全霊を込めた魂の咆哮。しかし、その声を聞く 者はなく、返事をする者もなく、声は周囲の暗黒へと吸い込まれ……消える。 黒い涙を流しながら、弱々しく震えている七番。 およそ十二時間の暗黒世界から戻ったものの、現実世界の禁断症状に耐えきれず、数分 で再び暗黒世界へと旅立っていった。あの楽園へ行けると信じて。 疑似実装麻薬の末期症状です。 実装石の幸福回路が壊れた状態です。この状態で疑似麻薬を投与しても、逆方向に暴走 を始めた幸せ回路に呑まれ、恐怖や不快感覚を全て伴った幻覚と幻聴に沈みます。 いわゆるバッドトリップというものです。 その時間は運が良ければ数時間、悪ければ数日続きます。 しかし、そこから現実に戻れても、今度は薬の効果が切れた禁断症状に苦しむこととな ります。そこから逃れようと、実装石は動けない身体で薬を求めます。 今までの経験から、薬を接種すれば快楽を得られると考えているのですが、その快楽を 生み出す幸せ回路が壊れているので、得られるのは確実な地獄です。それでも、実装石は 楽園へ行けると信じて、死ぬまで幻覚と現実の地獄を往復し続けます。 普通、老廃物に塗れた黒い涙を流し始めた実装石は、三十分も立たずに死ぬと言われま すが、疑似麻薬で壊れた実装石は、この状態となっても死ぬことはできません。身体が必 要最小限の機能だけを守っているからと推測されます。 末期状態に陥った実装石は、肉体も偽石も活動率数パーセントの状態でおよそ二十回の 投与に耐え続けます。その間、壊死した組織が崩れていきますが、最終的に頭と胸だけに なっても、死ぬことはありません。 一回目の経口投与から二ヶ月。脳注射四回目の七番ですが、体機能が限界を迎え、完全 死するのは一ヶ月以上先となるでしょう。 以上で疑似麻薬の進行状況と、その症状についての説明を終わりにします。 ん? オッケイ? よしよし。本番でもちゃんと発表出来るといいけど—— まったく、困った薬できちゃったなぁ……。 END
