「ご主人様、私はここにいるデス」 ミドリはそう空に向かってつぶやいた。 実装石の日常 ベンチ 双葉児童公園に設けられたベンチの下で、飼い実装のミドリは飼い主をずっと待っていた。 時間があれば一日中ベンチの足にもたれかかって周りを見渡している。 優しい優しいご主人様とはぐれてしまい、それ以来この実装石は飼い主を待っていた。 綺麗だった服も風雨に晒されてあちこち破れ、靴は穴が開き、頭巾は裂けている。 ミドリは辛抱強く待っていたが、当然腹も減る。 幸運なのは、この公園には足しげく愛護派がやって来て、餌付けをしてくれることだろう。 野良として生きていく知恵も経験もないミドリが、餓死せずやって来られた最大の要因だ。 ミドリもそれを分かっている。 だからある日、多くの野良実装に混じって餌まきの場に居たとき、呟く。 「ニンゲンさんのおかげで今日も助かったデス」 「・・・・・・バカが馬鹿なこと言ってるデス」 愛護派が撒き散らしていったフードを拾い集めていると、一匹の野良実装があざ笑いながら、やはり拾い集めている。 ミドリは見知らぬ野良実装へ向いて言う。 「ニンゲンさんは見ず知らずの私たちを助けてくれてるデス」 「そうデス、食べ物を地面へばら撒いて、私たちに拾わせて楽しんでいるデス、本当にひどい連中デス」 「!」 「ニンゲンは私たちのことなんて暇つぶし程度にしか思ってないデス。ありがたがるなんて大ばか者デス」 「野良実装は言う事が違うデス」 「捨て実装はばかばかりデス」 「違うデス!! 私は捨てられてないデス!!!」 「捨てられた奴はみなそう言うデスー」 ミドリは野良実装が言い終える前に殴りかかった。 野良実装は殴り倒されてコンビニ袋を落とし、中身のフードが散乱した。 「テチャアア!」 「次女ちゃん、こっちへ来るテチ!」 殴られた野良実装の仔らしい2匹が泣きながら、巻き込まれないよう慌てて逃げていく。 小さく、脆い仔実装は、成体のケンカに巻き込まれるだけで、あっさりと死んでしまうことが良くあるのだ。 「ふざけるなデス!!!!」 ミドリはそう咆哮した。 怒りで体が震えている。 殴られた野良実装は素早く立ち上がると、ミドリの顔面を殴りつける。 「デヒャ!」 思い切り殴られたミドリ、無残にひっくり返り、口から血を流している。 「ふざけているのはお前のほうデス、捨て実装!!」 「言うなデス!」 何とか立ち上がったミドリ、野良実装を殴る。 野良実装がミドリを殴り返す。 互いにひたすら殴りあう。 迷惑そうな表情で他の野良実装たちは2匹と距離を置いて拾い続ける。 ************************************* 「最近はニンゲンさんがあんまり来ないデスゥ」 ある野良実装がため息交じりに言うが、空腹が癒されるはずも無い。 野良実装の天国であった双葉児童公園、無計画な餌付けで数が増えるのは当然だ。 汚れ、騒々しくなった公園と野良実装に餌付けをしていた人は飽きつつあった。 ふと、野良実装は自分へ近づく人影に気づくと、ついつい笑みがこぼれてしまう。 「ニンゲンさん! ゴハンくださいデス、うちの仔たちがお腹空かせているデス!」 そういえばいつも与えられるのはフードや食パンの耳。 だが、今日は少し違った。 近づいた男性は隠し持っていたバールのような物を高々と掲げる。 それをゆっくりと見上げた野良実装、真っ青になって悲鳴をあげようと口を開く。 「デヒャア……デバッ!!!!」 「死ねッ! 糞蟲っ!」 バールのような物が野良実装の頭部を殴りつけ、見事に破砕した。 男性は即死した野良実装の死骸へ、なおも執拗に殴打を加える。 「死ね! 氏ね! 市ね! 師ね! 糞蟲はみな死ね!!!」 彼はこの公園に現れた虐待派の最初の1人であった。 まるで合図だったように、虐待派が増え、愛護派は減っていく。 両者は摩擦を恐れてか同じ時間帯には現れない、主に虐待派は日中以外に行動を起こす。 だがやがて両者の比率は逆転し、虐待派は日中でも大手を振って、憎悪する野良実装を狩る。 「ヒャッハーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」 今日も虐待派の雄たけびが公園に響き渡り、続くのは野良実装の悲鳴と流血と死だ。 誰も彼らを掣肘しない、後難を恐れてか、害獣駆除を代行してもらっているつもりなのか。 どちらにせよ、野良実装にとっては地獄に変わりないのだが。 「ママ、ママ、ママ。 早く逃げるテチ、悪いニンゲンさんがやって来たテチィ!!!」 「早く一緒に逃げるテチャアア!」 「急ぐテチ! みんなで逃げるテチィィィィィ!」 仔実装たちが撲殺された親実装の死骸にしがみついて泣いている。 「ヂィ!」 「テッ!」 「テベッ!」 それも踏み潰されて路上の染みと化して親の後を追う。 「次はどいつだっーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」 虐待派は得物にこびり付いた血を振り落としながら、周囲へ殺意をこめた視線をめぐらした。 たまらないのはまたまた居合わせた野良実装石たち。 そして不運にもミドリもまた、この場に居合わせた。 「デヒャアアアアアアアアアアアア!」 「逃げるデス! 逃げるデスゥ!!!」 「お家まで駆けっこデス! 早く走るデーーーーーーーース」 一斉に逃げ出す野良実装たち。 まず1匹で成体だけの者は自分のことだけを考えて逃げ出した。 ミドリはなんなく逃げおおせた。 仔実装だけでいた者は、虐待派に狙われなかった、的として小さくて面白みに欠けると思われていたから。 問題があったのは、仔連れの成体であるが、そんな成体が1匹だけいた。 以前、ミドリと殴り合いをした野良実装である。 背中をけ飛ばされて地面を転がる。 「お前たち、逃げるデス! 逃げるデス!!!」 そう親実装は目の前の2匹の仔実装へ叫ぶが、仔らは恐怖と親実装の危機に直面して立ちすくんでいた。 虐待派は転んだ親実装を蹴る。 「お前ら実装石は殺されるために生きているんだよ、くたばれっ」 いきなり蹴り殺さず、いたぶるように蹴る。 「お前たち、ママを悲しませるなデス! 逃げるデス!!!」 「ママァ……!」 「ママ」! 怯える仔実装が悲鳴をあげ、親実装は慟哭するが、どこからも何の助けもやっては来ない。 広大な世界の片隅で、一方的な暴力にさらされた野良実装がまた1匹、意味も無く殺されようとしていた。 「デジャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」 1匹の実装石が、魂から搾り出すような威嚇を発しつつ、飛び出して虐待派の足にしがみつく。 ミドリだった。 「なんなんだお前は!」 乱入者に驚いた虐待派、ミドリを振り落とそうと地面へぶつけた。 だけどもミドリはしっかりしがみついて、決して足を離さなかった。 「助けてデーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーース! ご主人様アアアアアアア!」 ミドリはどこか遠くへ向いて片手を振る。 「なにぃ!」 虐待派、とっさにリンガルを立ち上げてミドリが飼い主を呼んでいると気づく。 汚れてはいるものの、一応ミドリは市販と分かる服を着ているので、虐待派の目には何やら飼い実装とも見えた。 動転した虐待派はすっかり飼い実装だと誤認してしまう。 すぐにも飼い主が血相変えて走って来るように考えてしまった。 彼は目をむいた。 「やばい、器物損壊罪で三年以下の懲役又は三十万円以下の罰金若しくは科料に処されてしまう! 」 虐待派はミドリを足から引き剥がすと、公園から全力で走り去っていき、すぐに姿が見えなくなる。 突然の事とは言え、捨て実装と飼い実装の違いに気づけないとは、彼の実装暦は浅いようだ。 転ばされたミドリが立ち上がると、野良実装も立ち上がって、泣いている我が仔をあやしている。 そのままミドリが去ろうとするとその背中へ、野良実装が声をかけた。 「……どうして助けてくれたデス? 上手くいったけど、一緒に殺されてたかも知れないデス」 「お前には仔がいるデス、お前が居なくなったら仔が寂しがるデス」 ミドリ、親とは小さな頃に別れたきりである。 飼い始めの頃はその内会わせてくると言ってくれた飼い主なのだが。 「……………………………………………」 「……………………………………………」 「……………………………………………」 「……………一応、礼を言っておくデス」 ひとつ頷いて、ミドリは立ち去って行った。 ミドリが視界から消えると、野良実装の親仔も歩き出す。 「ママ、さっきのおばさん」 「何度もママは言ったはずデス、仲間もニンゲンと同じで決して油断してはいけないデス。 そんなことをすれば命取りデス。 良い奴の振りをして近づいてきて、いきなり牙をむくのがこの世の中デス。 …………でも、例外はあるデス」 ************************************* 数日後、ベンチの下にいるミドリの元へ野良実装が餌を持ってきた。 勝手に横へ座って、実装フードの入った袋を押しやる。 互いに顔も見ず、遠くの景色を見た。 「食えばいいデス」 「もらう理由が無いデス」 「私は余裕があるからこれくらい構わないデス」 「お前には仔がいるデス」 「その仔たちがお前に持っていくよう言ったデス」 「…………………………」 「…………………………」 「…………………………」 「思ったけど、まだゴハンをくれるニンゲンが少しだけいるデス。 ご主人様を探してくれるよう、頼んでみたらどうデス?」 「頼んでみたデス。 この公園でご主人様とはぐれてから、すぐにニンゲンさんを見かけると頼んでみたデス」 お願いしたデス」 ミドリは初めて野良実装の目を見て言った。 「へえ、ご主人様とはぐれたんだ、可哀そうにね」 話をしてくれた人間はみな、そう言って同情してくれる。 同情し、口にも出すが、 「誰も何もしてくれないデス」 「…………………………」 「…………………………」 「それなら」 と、野良実装。 「もうお前もそろそろダンボールを探してどこかの茂みに住む時期デス。 もう、わかっているはずデス」 捨てられた、という表現は避けた。 だが野ざらしの生活はもう限界なのは明らかだ。 「私ははここでご主人様とはぐれたデス、ここに居ないとご主人様が来ても分からないデス」 「…………………………好きにすればいいデス」 これ以上はかえってこじれると思ったのか、野良実装は立ち上がってベンチ下から出て行く。 立ち去っていく野良、背中を向けたまま、誰に言うでもなく。 「ご主人様がくれば良いねデスー」 その言葉と餌を残し、静かに帰っていった。 餌入りの袋を見、切れかかった首輪をいじりながらミドリは思う。 ……私はご主人様に捨てられたというのはもう分かっているデス。 結婚してお嫁さんが来て、私が邪魔になったデス。 ……でも、私は忘れられないデス、ご主人様のことを 初めて会って、挨拶した日のこと。 名前を与えられた時のこと。 イタズラしてすっごく叱られて、許されたこと。 親が恋しくて泣いたとき、私の頭をなでて慰めてくれたこと。 色々なおもちゃで遊んでくれたこと。 私が拾ってきた花に喜んでくれたこと。 一緒にあちこち散歩したこと。 病気になった私を看病してくれたこと。 服を買い換えてくれたこと。 私のベッドを一緒に組み立てた時のこと。 おいしいご飯をくれたこと。 ……どうしても、邪魔になって捨てられたなんて自分から言えないデス 熱い物が両目からあふれ出ていく。 ……どうしても、邪魔になって捨てられたなんて自分から言えないデス そして幾ばくか時が流れると、公園の野良実装は激増し、餌不足は深刻化し公園は飢えた。 近頃では親が見ていなければ、他の成体に仔実装が食われるほどだ。 ミドリも所詮もとは飼い実装、厳しい生存競争にさらされてまっさきに餓え始めた。 ベンチにこだわらず生きていけば、あるいは違う結果もあったろうけれど、ミドリはそれを否定した以上、今さらそれを語るのはあまりに虚しい。 あとは彼女はベンチの下で、脆く儚く短い生涯を人知れず終えるだけだ。 もはや捨て実装は、手足が動かず意識も薄れていく。 自分が地面に横たわっていることにさえ気づかない。 END
