第19話「デさん3」 デスアの新しい生活が始まった。 与えられた眼鏡というシステムも理解し始めた。 眼鏡がかけると別の世界へ召還される。 眼鏡を外すと元の世界へと戻る。 眼鏡をかけると別世界。 この世界は、物で溢れている。 光る箱。音も出ている変な箱。 皿に盛ったフード。匂いがない、でも食べ物。 トイレ。それは大事な所。漏らすと、痛い事が待っている。 元の世界に戻っても、トイレはわかる。 いい匂い。私の匂い。トレイは大事。この匂い大事。 視覚と臭覚。生きるのに必要な感覚とは何か。 デスアは、巴宅で試行錯誤を繰り返しながら、それを学んでいく。 (ゴトッ) 玄関から、音。人間来た。 デスアは、チャーと叫びながら、毛布の奥へと逃げ込む。 「デさん。帰ってきたわよ」 デスアは毛布にくりまりながら、考える。 音、凄い。匂いしない。でもわかる。眼鏡なくてもわかる。 音、大事。生きるのに、大事。 毛布からぴょんと顔を出す。 その拍子で、実装眼鏡もずれ落ちる。 仔実装の小さな手で、ずれた眼鏡を直しながら、デスアは巴を見上げる。 眼鏡ない。元の世界。人間いない。 眼鏡する。別の世界。人間いる。 人間。変な顔。人間。変な顔。 毛布から巴を見上げるデスアの頬は、ほんのりと赤く染まっていた。 ◇ デスアは、新しい生活に慣れ始めた。 ウンコの匂い。私の匂い。 夜でもわかる。暗がりでもわかる。トイレの位置。匂いは大事。 玄関から音。人間帰ってくる。巴、帰ってくる。音も大事。 眼鏡かけると顔重い。首痛い。嫌。 でもフードが見えない。食べられない。お腹は空くのはもっと嫌。 眼鏡をかけると人間の顔が見える。巴の顔わかる。 巴に近づく。巴の匂いがする。匂い好き。 巴鳴く。巴の鳴き声は心地いい。音好き。 そして、抱っこされると暖かい。この暖かいは嫌じゃない。 眼鏡かけたら、巴笑う、わかる。巴笑うのは嫌じゃない。 だから眼鏡かける。嫌じゃない。 嫌がっていた眼鏡だが、デスアはこの新しい生活を送るために、 進んで眼鏡をかけるようになった。 しかし、眼鏡をかけて、家の中を動き回る度に、デスアはよく転んだ。 眼鏡の重さが、デスアの重心を狂わしているのは明らかだった。 2頭身に近い仔実装の体には、眼鏡の重さは過負荷らしい。 巴が短大から家に帰る。 アパートの前の石畳の上を歩くヒールの音。 デスアはその音で、巴が帰ってくることを聞き分ける。 すると、デスアは部屋の毛布からもそもそと抜け出し、玄関に向かって駆け出すのだ。 その途中、何度も転ぶ。眼鏡が重いため、右に左に頭の重心がずれていく。 仔実装のヤワな足腰では、それを支えるだけの筋力もない。 転ぶと、固い床のため、体に激痛が走った。 肘や膝が痛い。勢いで眼鏡は床に転げ落ち、また元の世界に戻る。 眼鏡の僅かな金属臭を頼りに、鼻をひくつかせて、眼鏡を手探りで探す。 あった! それを両手で拾い、眼鏡をかける。しかし、上下が逆さまだ。 その姿のまま、再び巴が立つ玄関に向かって、デスアは駆け出す。 しかし、鼻と耳に固定されていない上下逆さまの眼鏡は、駆けだした振動で再び床へ落ちてしまう。 いきなり視界が閉ざされ、また転ぶ。痛い。 はっきりとしない視界が、溢れる何かで、それ以上にぼやけた。 テスンテスンと泣きながら、また金属臭を頼りに、眼鏡を手探りで探す。 その繰り返し。 その姿を見ていた巴は、両手で顔を覆って溢れる涙を堪えていた。 ◇ 巴とデスアの相性は良かったと言える。 同じ雌同士、通じ合うところもあったのだろう。 言葉は通じないとも、互いに信頼し合える間柄に関係は築かれて行った。 休日には二人で音楽を聴きながら、鼻歌を口ずさんだりした。 化粧箱の香水をデスアに嗅がすと、デスアはうっとりとしながらも、くしゃみをした。 それを指指して巴が笑うと、眼鏡越しでデスアは笑い返した。 まるで、女友達。そんな表現が彼女らの間にはぴったりと収まった。 そんな生活が暫く続いただろうか。 中実装ぐらいにデスアが育った時、その眼鏡が窮屈になった。 仔実装の成長は早く、顔の大きさもあっという間に2倍ぐらいの大きさに育った。 眼鏡が窮屈になるのは当たり前の話だった。 実装病院で、視力の検査をして、眼鏡を新調することになった。 弱視は先天性のものであり、視力は良化も悪化もしていなかった。 新調する眼鏡は工場から取り寄せるということもあり、それには数日かかるという。 デスアは、眼鏡なしで数日を暮らすことになった。 そんな、ある日。事件は起こった。 ◇ (ガタ) 玄関から音がした。 デスアはぴょんと耳を立てて毛布から顔を出した。 巴は日中、学業に勤しんでおり、夕方には家に帰る。そんな日常を送っている。 石畳の足音は、ヒールの音ではない。いつもの巴の音でない事に、首を傾げるデスア。 時間は、まだ昼間。巴が帰る時間にしては、少し早すぎる時間だった。 (ガチャ… ガチャガチャ) 「テスーーー!!」 鍵穴に鍵が差し込まれる音。 巴が帰って来た。今日は早く帰って来た! デスアはそう思い、玄関に向かって駆けていた。 「テスゥ!! テスゥ!!」 眼鏡がなくても、慣れた家である。家の構造は、もう大体把握していた。 部屋と台所の段差の場所もわかるし、台所の壁の位置もわかる。 デスアは巧みにそれらを避けながら玄関まで駆ける。 「テスゥ!! テスゥ!!」 小さくジャンプを繰り返し、玄関前に立つ人物に向かって鳴いた。 「テスゥ!! テスゥ!!」 いつもなら、やさしく巴が抱き抱えてくれるはずなのだが、それがない。 少し、オーバーアクションに鳴いたりして、スカートを揺らしたりした。 「テスゥ?」 おかしい。 いつもなら、あの声で鳴く巴が、一向に鳴かない。 不思議に思ったデスアが、鼻をひくつかせる。 眉間に皺を寄せ、必死に臭いを探った。 「実装石を飼っているっていう申告は本当だったようね」 「テスゥ!!!」 巴と違う女性の声色。巴と違う加齢臭のかほり。 それに気付いたデスアは、下着を一気に膨らませながら、後ずさった。 下着から漏れる緑色の染みが、廊下に1文字に緑色の線を作っている。 「テスゥゥゥーーー!! テスゥゥゥーーー!!」 必死に逃げまどうデスア。 「まぁ!」 デスアの姿ではなく、その廊下に描かれた緑の線に顔を歪ませる中年の女。 この中年の女が、このアパートからの住人から、最近、実装石の声が部屋から 聞こえると申告を受け、抜き打ちで部屋の中を伺った管理人であったことを、 デスアが時知る由もない。 「テェェーーーン!! テェェェーーーン!!」 ただでさえ眼鏡のない閉ざされた視界の中、 見知らぬ人間に出会ったデスアは、その場で泣きつくしか方法はなかったのだ。 後日、巴がアパートの大家から、2つの選択肢を突きつけられたのは言うまでもない。 即刻、デスアを連れて、アパートを退去するか。 デスアを処分するなりして、このアパートに残るか。である。 もともと、ペット厳禁のアパートである。 ルールを破った巴が、大家に楯突く権利があるわけでもなかった。 ◇ そして…。 「テェェェーーーン!! テェェェーーーン!!」 デスアが大声で、俺の家の中を徘徊している。 実装眼鏡の奥の瞳で、ギョロリギョロリ周囲を見渡しながら、鼻孔をこれでもかと大きく広げ、 耳を実装頭巾の中で右に左に動かし、周囲の気配を必死に探りながら、懸命に巴を捜していた。 「だから泣くなよ。巴が迎えに来るまでに我慢だからさ」 便所マットを捲り、巴を捜すデスア。 始終、テスンテスンと泣きじゃくっている。 (ガタ) 「テスゥゥ!!」 玄関先で音がすると、デスアは甘い声を出しながら、ダッシュで玄関へ駆ける。 「テスゥ〜〜ン♪ テスゥゥ〜〜ン♪」 玄関に降り立ち、玄関をぺしんぺしんと叩く。 「ちわーす。宅配便です」 「テェェッ!! テェェーーンッ!!」 巴でないとわかると、デスアは下着を膨らませて、大声で逃げ惑う。 俺の家に来て、玄関先で、何度同じ事を繰り返すのだろうか。 結局、デスアは俺の家で、ほとぼりが覚めるまで、一旦預かることになった。 巴が迎えに来るまでの僅かな時間だからと説明しても、デスアは泣くばかりであった。 そんなことが拍子で、デスアことデさんは、俺の家で暫く暮らし始めることになった。 (つづく)
