Journey Through the Jissouseki...... “う、うぇ〜〜……、ま、まだ気持ちわりぃ……” 弐羽としあきが帰宅行動を取り始めたのは、もう終電もない深夜。 久々に再会した高校時代の仲間と意気投合し、ついいつも以上に飲んでしまったのだ。 完全にキャパを超えたアルコールは、としあきから正常な思考能力を奪って久しい。 明日も学校があるからと23時には解散した筈なのに、つい駅のホームで眠りこけてしまった。 駅員に起こされたのは、午前0時20分…… タクシーを使う金銭的余裕など、まったくない。 としあきは、二駅彼方の自宅まで徒歩移動するしかなかった。 街灯も少ない夜道を、普段の何分の一の早さで歩きながら、時折嘔吐感に襲われ足を止める。 午前三時近くの公園には、人影一つ見当たらない。 野良猫の一匹でも居ればまだ気が紛れただろうが、それすらもない。 ベンチの冷たい感触にしばし身を委ねながら、としあきは、脇の暗がりから何か可愛い動物でも飛び出して来たら面白い のにな、などと考えてみたが、そんな些細な変化すら起ころう筈がなかった。 遥か彼方を走る車の音以外、そこはほぼ完全な静寂に包まれている。 ふと激しい眠気に襲われ、慌てて頭を振り、再び帰路に着く。 何もいない小さな公園、その中央にある遊具は、そんな彼の後姿を見送るかのように静かに佇んでいた。 「——真面目に、帰ろう……」 ごく普通の生活、ごく普通の日常。 ここは、ありふれた現実世界。 人々は学業や業務に追われ、僅かな休息の日々に安堵する。 そしてまた、果てしない荒波へと飛び込んでいく。 他の者など気にしていられない、気にかけることもない。 それよりも、何よりも、まず自分。 そんな社会にいまだ適応し切れていないとしあきにとって、孤独な日常はあまりにも辛かった。 朝になったら、十時には家を出なければならない。 とにかく今は、少しでも多く睡眠時間を確保しなければ。 適当な所に横たわり野宿したいという願望を振り払いながら、としあきは懸命に自宅のアパートを目指す。 道中の自販機で買った、ペットボトルのアクエリアスで酒気を払いながら。 ——だが不思議なことに、進めば進むほど、としあきの意識は重く、鈍くなっていった。 テヂュッ!? 途中、何かとても柔らかいものを踏みつけたような感覚にとらわれたが、足を上げても、靴の裏を見ても何もない。 気のせいかと思い直し、としあきは再びぶり返してきた泥酔感覚に翻弄されながら、ひたすら暗い道を進んでいった。 深酒の後にアイソトニック系飲料を飲むと危険という知識は、今の彼には全くない。 アパートに辿り着いたのは、ほぼ午前5時ちょうどだった。 ドアを開け、そのまま床に突っ伏すように倒れると、としあきはそのまま大イビキをかきはじめる。 窓から薄青色の陽光が差し込み、小鳥の鳴き声が微かに聞こえ始める頃、としあきは深い眠りの中に居た。 こぼれたアクエリアスが、左前腕を濡らしているのにも気付かずに。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− じゃに☆じそ! 第1話 ACT-1 【 実装大変 】 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 不思議な夢を見た。 そこは、見たこともない古いアパート。 築何十年という感じの木造で、とてもじゃないが住みたいとは思えないほど荒れ果てた感じがする。 明らかに、自分のアパートではない。 そこら中の扉がみっともなく開かれており、玄関へとまっすぐ伸びた廊下の所々は、ドス黒い何かで激しく汚されている。 辺りには表現し難い異臭が漂い、なんとも不気味な印象だ。 「なんだよここ。きったねぇなあ。廃墟か?」 こんな所は早く出るに限ると、玄関へと進む。 だがその途端、脇の部屋から何かが飛び出して来た。 デギャ————ッ! デジャ————ッ!! それは、「小人」だった。 自分の膝上くらいの大きさしかない、緑色の薄汚い頭巾を被った小人が、廊下へと飛び出したのだ。 まるで何かから逃げているように。 何だろうと部屋を覗き込もうとしたとしあきの眼前には、また別な小人が立ち尽くしていた。 こちらは、先の小人より20センチほど大きい。 しかし、その姿はかなり異様だ。 全身に割り箸と思われる木の棒を突き刺し、全身血まみれ。 加えて、股間からは身長にほぼ等しいほどの巨大な男根が生えている。 それが、見るもおぞましい表情を浮かべてとしあきに迫ってきたのだ! デ・ズ・ゥ゛・ア゛・ア゛・ア゛ァァァァ!!! 「う、うわーっ! ご、ごめんなさーいっ!!」 咄嗟に顔を伏せたとしあきの横をすり抜け、異形のバケモノは廊下へ飛び出し、先の小人達を追いかけていった。 どうやら、自分は眼中に全くないらしい。 置き去りにされたとしあきは、バケモノが出てきた部屋の中を覗こうと、一歩中に踏み込んだ。 「——うぐぇっ?!」 突然、鼻を突く激しい腐敗臭が漂ってきた。 そこは、どこかの家の玄関。 だが、天井や壁、床には無数の糸状の物体が張り付いており、まともな足場はほとんどない。 ふと脇を見ると、全長2メートル以上はあると思われる、ややグレー混じりの白い楕円形の物体が転がっている。 凄まじい悪臭は、その中から漂っているようだ。 「な、なんだこれ…く、くっせぇ!!」 その臭さは半端ではなく、問答無用で激しい嘔吐感に襲われる。 しかも、臭気のせいで目がシバシバしてしまうほどだ。 よく見ると、白い物体は空気の抜けた風船のようにしぼんでおり、中央部は人型に膨らんでいる。 …人型。 再び、としあきの背筋が凍りつく。 「ま、ま、まさか…し、死体?! マジかよ?! でも……」 恐る恐る、つま先で白い物体を突いてみる。 緩いゴムのような、分厚い布の固まりのような、なんともいえない不気味な感触が伝わってくる。 ふと気付くと、右手側は室内へ、左手には外へ通じるドアが半開きになっている。 としあきは、迷わずドアを開け放ち、外へ飛び出した。 と、同時に。 背後から、凄まじい轟音が響いてきた。 咄嗟に振り返ったとしあきの眼前には、迫り来るプレハブ小屋の壁があった。 ここは室内だった筈なのに、なぜか突然小屋が出現し、しかも自分に向かって倒れ掛かって来るのだ! 「う、うわあぁぁ—————っっ!!!」 ド・ズ・ズ・ゥゥゥゥ……ン!! 建物が崩れ、としあきに覆い被さって来た。 薄れいく意識の中、としあきは耳の奥で、 デスデス テチテチ レフー♪ という、不思議な鳴き声のようなものを聴いた——気がした。 どれくらいの時間が経っただろう。 『起きろデスゥ』 真っ暗闇の中、としあきは、聞き覚えのない声に呼び起こされた。 それは男とも女とも取れるような、はたまた人間のような、あるいはコンピューターの合成音声のような、妙に耳障りな声質 だ。 いつのまにか激しい頭痛と疲労感から開放されていたとしあきは、声に反応して立ち上がる。 周りには何も見えない—— 「誰だ?」 『よくも、ヤッてくれやがったデスゥ』 暗闇の奥深くから、返事がかえってくる。 よく見ると、声のする方向に、うすぼんやりとした丸い光が二つ浮かんでいる。 赤色と、緑色の輝き。 声に連動して僅かに明滅するそれは、凄まじい気味悪さを感じさせた。 「だ、誰だ?! ヤッたって、なんのことだよ?」 『お前、ワタシの、大切な仔を飛ばしたデスゥ』 「はぁ?!」 『知らないとは言わせないデスゥ〜。 おのれウラメシヤ、ワタシの大事な大事な大事な以下三百回繰り返しな娘を、よりによって購入半年後のカカトの磨り減った ボロい革靴で踏みやがったデスゥ』 「なんでそんな細かいことまで知ってるんだよ!」 謎の声に言われて思い返すが、人や生き物を意図的に踏んだ記憶はない。 だが、「テヂッ」という悲鳴のような声と不気味な靴底の感触だけは、しっかり思い出された。 「えっ、まさか——」 『思い出したデスゥ? 可哀想に、ワタシの娘はお前に踏み潰されたショックで、どこか別の世界へ飛んでいってしまった デスゥ〜〜』 赤と緑の光が強まり、やたらとまぶしくなってくる。 それに伴い、呼びかけている存在の全身もおぼろに見え始める。 先ほどの不思議な夢に出て来た、緑色の服をまとった小人が、暗闇に浮かび上がっていた。 「な、何だよお前?! 人間なのか?!」 『そんなのはどーでもいいデスゥ。責任を取れデスゥ』 「責任?」 『子供を、ワタシの子供を捜し出して、連れてくるデスゥ〜』 「なんだよそりゃ? 言ってる意味がわかんないよ」 緑色の怪人物は、無表情のまま淡々と、感情のこもらない声で恨み言を唱えている。 よく見ると、それは人間というにはあまりにも違和感のある姿だと気付いた。 唐獅子模様の入った緑色の頭巾を被り、ネコミミのようなものをつけ、何より目が異様に血走っている。 それなのに、後ろ髪だけは妙に綺麗にカールがかかっていた。 人間というよりは、人形を思わせるような外観だ。 しかも、かなり不気味な、と付く…… そんな事を考えていると、緑色の怪人物は再び声をかけてきた。 『お前はこれから、様々な世界を巡るデスゥ。 そのどこかに居るワタシの子供を捜して連れ帰れば、お前の罪は許されるかもしれないデスゥ』 「は? な、なんだそれ?」 『世界を巡っても見つけられなかった時、お前は永遠に戻ってこられないデスゥ〜〜イヒヒヒヒヒヒ♪』 金属がこすり合わされるような、気味悪い笑い声が響く。 としあきは、何がなんだかわからず、ただ耳を両手で押さえることしか出来ない。 しかし、緑色の怪人物の声は変わらず耳の奥に直接届いてしまう。 「な、なんだか知らないけど許してくれ! 俺が悪かったぁ!!」 『一つの世界にいられるのは五日間デスゥ。 それまでに移動しないと、お前は永遠にその世界に閉じ込められてしまうデスゥ。 せいぜい気をつけやがれデスゥ〜〜☆』 それだけ言うと、怪人物は再び暗闇の中に溶け込んでしまった。 光は途絶え、再び真っ暗になった空間に置き去りにされたとしあきは、やがて猛烈な睡魔に襲われ始めた。 「なん……わけが、わかん………ne……」 ※ ※ ※ 激しい頭痛でとしあきが目覚めたのは、もうすっかり太陽が昇り切った頃だった。 慌てて携帯を見ると、時計は既に午後1時を示している。 全身の血がサーッと引いていくのを感じた。 「うそぉっ?! 遅刻じゃねーか! ど、道具、道具はどこだよっ?!」 慌てて立ち上がり、いつも愛用している画材入れとファイルバッグを探す。 だが、いつも置いている位置に、それらしいものはない。 としあきは、焦って一昨日ファイルバッグを何処に置いたかを思い返した。 「——あれ?」 ふと、思考が途切れる。 何かが、変。 としあきが今佇んでいる部屋には、妙な違和感がある。 否、違和感だらけだ。 部屋の中央に敷きっ放しになっている布団。 数々の不思議な道具が散らばっており、天板が見えない机。 買った記憶のまったくない、どこかから拾って来たようなボロいオフィスチェア。 カーテンのかかっていない窓。 今時ブラウン管のテレビ、しかも14インチ。 自慢のDVDレコーダーではなく、十ン年前からありそうなビデオデッキ。 無数のコンビニ弁当容器が詰め込まれ、異臭を放っているキッチンシンク。 猛暑に耐え、極寒に耐えて必死に入手した同人誌の数々……を収めている筈の本棚には、見たこともない雑誌類が ギチギチに詰め込まれている。 この日曜日に徹底的に掃除した筈なのに、室内全体に降り積もっている埃やゴミの数々。 そこは、明らかにとしあきの部屋ではない。 ようやく、思考が現状を受け容れ始めた。 「やべ、部屋間違えたか?!」 急いで玄関から飛び出し、部屋を確認しようとするが、再びおかしなことに気付く。 玄関を出たすぐ目の前の光景は、普段見慣れているものとまったく同じだった。 ここは、二階の一番奥の部屋で、眼下には数台しか停まっていない駐車場が、いつものように広がっている。 その隣には、先月ド派手な夫婦喧嘩をしでかした一軒家が、変わらぬ様子で建っている。 いい加減塗り替えて欲しいと思う錆びた鉄の手すりも、そのまんまだ。 そして何より、今開けたドアに記された名義が、「弐羽」となっている。 そこは、間違いなく自分の部屋だった。 「おっかしいなぁ。俺、まだ夢でも見てるのか?」 だが、何度室内を確認しても、見慣れたものはまったくない。 十分ほど呆然と眺めていると、その部屋は構造こそ自分の部屋と同一なものの、置かれている物と状態が全く異なっている だけであると理解出来た。 まるで、いつのまにかずぼらな住人が引っ越してきた跡のようだ。 としあきは、学校に連絡をいれるため携帯電話を取り出すが、何故か誰も出ない。 それどころか電波すら通じていないようで、アンテナ部分には【圏外】と表示されている。 「うっそだぁ! いつもなら三本たってるのに!」 だが、室内のどこに移動しても、アパートの外に出ても、アンテナは全く立つ様子がない。 まるで、携帯電話の機能自体が死んでしまったようだ。 だが、通話・通信機能以外のものはすべて問題なく動き、アプリケーションも普通に立ち上がるため、故障ではない。 それに、デジカメもしっかり使えるようだ。 ただ、オンライン機能だけは、まったく利用出来なくなっている。 「どうなってんだこれ?」 としあきは、それからじっくりと室内を調べ、いくつかの結論を導き出した。 そのほとんどは認めたくない事実だったが——まとめると、ここは「限りなく自分の部屋に似たまったく別な場所」。 住所、物件名、契約内容は自分が理解しているものと全く同一だが、カレンダーによると今は——1989年9月。 「1989年!?」 としあきが生活していた時代より、なんと二十年も前の世界だった。 携帯など、当然使える筈もない。 また自室の中に置かれている物も、よく見ると二十年という時間の流れに逆行した状態に変化しており、DVDレコーダーは ビデオデッキに、炊飯器はマイコン内蔵ではないものに、そしてエアコンは壁設置型ではなく窓に挟み込むタイプの旧式になっている。 パソコンもすべて消失しており、インターネットも利用出来ない。 この部屋の唯一の情報端末は「14インチのブラウン管テレビ」一つのみである。 固定電話すらない状態は、としあきに大きな孤立感を覚えさせた。 「は、はは……俺、どうなってるんだ?」 ひとまず、部屋の外に出てみることにした。 これ以上室内にいては気が狂ってしまいそうな気がした。 としあきは、とにかく何でもいいから情報が欲しかった。 今、自分が置かれた状況を少しでも把握出来る何かを。 二十年前といえば、自分がまだ一歳の頃だ。 なんで、自分がそんな大昔の時代に飛ばされしまったのかがわからない。 着の身着のままでアパートを飛び出したとしあきは、ひとまず通い慣れた商店街へ向かおうとした。 「ん? なんだあれ?」 商店街の看板がもうすぐ見えてくるという辺りで、としあきは見慣れぬものを見つけ、思わず足を止めた。 自分の前方約5メートルほどの位置に、人間がいる。 しかし、ただの人間ではなく、背が異常に低い。 せいぜい自分の身長の1/3程度しかなさそうな、しかもかなりアンバランスな身体形状をしている。 全身を濁った緑色の衣服で包み、薄汚れた顔をボンヤリと前方に向け、やや猫背気味に歩いてくる。 しかも身体の大きさに対して頭が異常に肥大化しており、しかも手足が短い。 としあきは、一瞬身体の不自由な浮浪者と解釈したが、それにしては何かがおかしい。 距離が3メートルほどに近づいた時、更に驚くべきものに気付き、としあきは思わず息を呑み込んだ。 緑色の浮浪者に手を引かれるように、更に小さい人間が歩いている。 しかし、その対比がおかしい。 どう見ても、身長が15センチ程度しかないのだ! 一瞬人形を引きずっているのかと思ったがそうではなく、「それ」は明らかに自らの意志で動き、しかも「テッチ、テッチ」と 楽しげな声を上げている。 異常に背が低い人間に連れられた、ミニチュアサイズの人間…… 例えようもないほどの悪寒を背筋に感じたとしあきは、踵を返すと今来た道を全速力で駆け戻った。 「な、な、な、なんだアレ?!」 どれだけ走っただろうか、全く見覚えのない町並の見える場所までやってきたとしあきは、近くの公園のベンチに座って目を こすった。 先ほど見た異様な人間の姿が、どうしても脳裏に焼きついて離れない。 本当に人間だったのだろうか? いや、絶対違う! 猿? それとも幽霊? それとも宇宙人?! 「あんなの今まで見たことないぞ…なんなんだありゃあ?」 冷や汗を拭いながら、としあきは青く晴れ渡った空を見上げた。 とにかく、少しでも落ち着こうと深呼吸をする。 朝から色々なことがあって、疲れて幻覚を見たのだ、そうに違いない。 無理やり自分を納得させ、としあきはふぅと大きなため息を吐く。 まるで、夢の世界に入り込んでしまったような気分だった。 テチテチ、テチィ? デスデス、デスデス テチィ デッスーン♪ 不意に、鼻を突く異臭を感じ、としあきは顔を下ろした。 自分の足元に、何かがいる。 濁った緑色の服を着て、灰色に汚れた涎掛けを着けた、異常に小柄な人間。 それが、あのミニマム過ぎる人間を連れて、としあきを見つめていたのだ。 「ぐげ…?!」 デスー、デスデス? テチテチテチ! デスデス? 「いや、あの……って、え゛え゛え゛え゛っ!?」 思わず見つめ合っているうちに、としあきは恐ろしいことに気付いた。 緑色の小さな人間の顔には、赤と緑のガラス玉のような目があり、しかも白目部分がない。 更に、口の上辺が醜く湾曲し、三角形を思わせる形状に変形してしまっている。 その隙間から、汚れた歯が覗き、さらにその奥には毒々しい色合いの舌が見えている。 ボロボロの頭巾の前面から覗く汚れた顔は、遠目に見れば人間に似ているものの、実際は全く別なものだ。 連れられている小さい方も、全く同じ顔をしている。 人間ではない……宇宙人、これは宇宙人!! いやUMAか怪獣か!? としあきは、腹の底から搾り出すような大声を上げ、ベンチから飛び退いた。 「うわあああぁぁぁあああああぁぁぁぁあああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」 デェ? テチ? 不思議そうに見つめる二人をよそに、としあきはまたも全力で逃げた。 逃げた逃げた、とにかく逃げた! 見覚えの全くない大きな公園の敷地内を、足が悲鳴を上げるまでひつすら走り抜く。 もうこれ以上走れないというほど走ったとしあきは、広い芝生の上に倒れ、息が整うのを待った。 またも、真っ青な空が目に飛び込んでくる。 な、なんなんだあのバケモノは?! 気色悪い! 気持ち悪い! 人間のフリでもしてるのか?! なんで、あんなのがこんな所に普通に居るんだよ! それとも、二十年前だとこれが普通だったのか?! どんどん混乱していく思考に苛まれ、頭を抱える。 ひょっとしたら自分は本当に気が狂ってしまったのではないか、と不安すら覚えるが、まだ九九は余裕で暗唱出来る。 三十分ほど寝そべっていたとしあきは、ようやく落ち着きを取り戻すと、もう一度さっきの場所に戻ってみようという気になった。 認めたくないが、あのニンゲンモドキが本当に実在するものなのか、それが知りたくなったのだ。 もし、自分にしか見えない「妖精サン」だったら、その時はいよいよ病院のお世話にならなければならない。 今持ってる保険証って使えるのかな、などと余計なことを考えながら、としあきはゆっくり上体を起こした。 「よし、しっかりしろとしあき! お前はまだ正常だ! 正常だ! 正常だ!」 わざと口に出して三回繰り返すと、ふんっと気合を入れ、さっきの場所足を向けようとする。 テチテチテチテチ〜〜♪ その足元を、小さな生き物が数匹、トタタと横切っていった。 緑色、だった。 (あ、あはははは……俺、童貞こじらせすぎて、いよいよ脳がイッたか?!) 夕べの飲み会で久しぶりに会った「好きだった娘」は、既に彼氏が出来たらしくて自慢げに写メを見せびらかしていた。 ものすごくへこまされたが、うわべは一生懸命に褒め称えた。 あの時のショックが、自分の精神を破壊したのでは……などと思い返したところで、ふと、別な記憶が脳裏を横切る。 何か、肝心なことを忘れてないか、俺——? ※ ※ ※ 結局、あの緑色のニンゲンモドキの正体を確かめる事もなく、としあきはアパートに戻った。 夕方になり、辺りはかなり暗くなり始めている。 途中、この時代の実家に連絡を取ってみたらどうだろうと思い立ち、電話をかけてみたが、全然通じなかった。 思い返せば、自分の実家は小学校の頃に引っ越したものなので、それ以前の番号など知らないし住所も覚えていない。 親戚も少なく、しかも疎遠なためそちらに連絡をつけることも叶わず、としあきは本当に孤独な状態にあった。 頼る者など、この世界のどこにもいないのである。 ひとまず夕飯を食わなければと思い、近くの定食屋を目指そうとした時点で、としあきはある重大なことに気付く。 財布を取り出し、お札を確認してみる。 所持金は、一万円。 ピン札で、福澤諭吉がガンつけしていた。 嫌な予感が、脳裏をよぎった。 としあきの生活費は、いつも三○住○銀行口座に入っている。 時計は午後7時を回っているが、果たしてお金は下ろせるのだろうか? ひとまず近間のコンビニに行こうと考えたが、気のせいかそれらしき店舗が全く見あたらない。 商店街を100メートルほど歩き回ってみたが、ローンソもセブソイレブソもビッグストップもトンクスもファミリーマットも ロードオンも清水フードセンターすらも見つからない。 商店街から外れて郊外へと伸びる国道へ出て、やっとセブソイレブソを一件発見した。 「ふー、やっと見つかった……って、あれ?」 だが、店内のどこを探してもATM端末が見当たらない。 それどころか、いつも入り口付近にドンと置かれているコピー機もない。 店員の制服の色も、店内の様子も全然記憶と異なっている。 慌てたとしあきは、店員を呼び止めて尋ねた。 「ATM…ってなんですか?」 「キャッシュディスペンサーですよ、CD」 「あの、ここコンビニなんですけど、何か誤解されてませんか? お客さん」 「えー、だってコンビニだったら必ずあるでしょ、お金下ろせるのが」 「あー、お金? 下ろすんなら銀行にいかないとダメですよ。それにもう終わってる時間ですし」 「だからコンビニに来たんですけど……」 「あの、お客さん、失礼ですけど……大丈夫ですか?」 『何言ってんだこのオッサン? ATMないコンビニの方が異常だろうがよ!』 細身の壮年の店員が、自分の頭を指差して小首を傾げる。 その仕草が妙に神経に障り、としあきは何も言わずに店を飛び出そうとして……すぐに戻り、おにぎりと牛乳パックを購入 しようとした。 怒ってはいるが、だからといって空腹には逆らえない。 お釣りと品物を受け取ると、としあきは逃げるようにコンビニを飛び出した。 いつも耳にする「ありがとうございましたー!」の声は、聞こえてこなかった。 後に判るが、としあきが使用した一万円札は2004年から発行された「E号券」と呼ばれるものだったが、その先代にあたる 「D号券」も、肖像画は同じ福澤諭吉だった。 彼は、それにまったく気付かずに使用してしまった。 たまたま店員が気付かず処理してくれたから良いものの、この時代では明らかな“非・紙幣”である。 ともあれ、としあきはお釣りにより、この時代の正式な紙幣を手に入れることが出来た。 ※ ※ ※ それから二日間、としあきは絶望のドン底で、ただ無意味な時間を過ごした。 大雑把に片付けた自室の中で、大の字になり、眠くなったら寝て、腹が減ったら近くで食い物を調達する。 なんとも自堕落な生活だったが、それ以外の行動がまったく思いつかないのだから仕方ない。 あれから、雑誌や新聞の日付、カレンダーなど色々な情報を参照して、ここが間違いなく1989年の世界だと認めざるを 得なくなった。 周りの人間が揃って自分をハメている、と考えるにしては、携帯まで完全に使えなくなっているのは変だろう。 また、念のため最寄のパソコンショップに寄り端末機器を確認したが、いずれも見たこともない旧型のマシンで、しかも液晶 の薄型ディスプレイなどどこにもない。 それに、マシンスペックも異常に低く、前面部に取り付けられた5インチのフロッピードライブには、眩暈すら覚えたほどだ。 当然インターネットなんて単語すらなく、店員に何度説明しても「それはパソコン通信のことですね?」と訂正される始末。 音響カプラなどというものを、としあきはその時初めて目にした。 「まさか、ネットがない世界がこんなに不便だとは思わなかったぜ…」 濁った灰茶色の天井を見つめながら、独り言をつぶやく。 あまりに唐突な出来事が多すぎて、としあきは、今自分がどれくらいまずい状態にあるのかすら認識し切れていなかった。 だがさすがに三日目ともなると、多少冷静な思考力も戻ってくる。 気分を変えようと外出し、夕食を買おうと例のセブソイレブソに向かう。 所持金は既に七千円まで減っているので、そろそろ節約しなければならない。 自炊のまったく出来ないとしあきは、せめてもの節約のつもりで、今夜はおにぎりと牛乳だけで済ませることにした。 幸い、この前揉めた店員はおらず、問題なく買い物を済ませられた。 国道から住宅街へ向かう脇道を通り抜けようとした時、不意にコンビニ袋に微かな振動を感じた。 「ん?」 横目で見るが、特に何もない。 としあきは、そのまま住宅街から商店街へと入り、その先にある自分のアパートへともっさり歩いていった。 どんなに悩んでも、腹は減るものである。 部屋に戻ったとしあきは、畳の上にコンビニ袋を放り出すと、大きく背伸びをした。 テチィ?! 「う、う〜ん…! 何か変な音がしたが、としあきには聞こえない。 少しだけ気分が変わったとしあきは、今夜はテレビでも観てみようという気になった。 考えてみれば、二十年前の番組など全く知らないわけで、どんなものがやっているのか興味が湧く。 としあきは、テレビの前にドッカと座り、コンビニ袋に手を伸ばした。 伸ばした。 伸ばそうとした。 だが、引っ込めた。 なぜなら。 袋が、ひとりでに動いているからだ! 「?!?!」 モゾモゾ、ゴソゴソ、モゾモゾ…… 「な、な、な、ななな?!」 ゴソゴソ、ガサガサ…… 見間違いではない。 風もないのに、コンビニ袋はひとりでに動いている。 まるで、中に何か潜り込んでいるようだが、としあきは途中で何か変なのを拾った記憶は全くない。 ヤモリか何かでも入ったのかと思ったが、どうもそうではないようだ。 気味悪さにすっかり呑まれたとしあきは、慌てて手近にあったサランラップの空箱を手に取り、コンビニ袋に振り下ろした。 ドサッ!(叩いた音) テェッ?! ドサッ!! ドカッ! チ、ヂィィィ!! どさっ、どさっ! ——ヂッ!! どさっ、どさっ、どちゃっ、ベチャッ、グチャッ、グチャッ、グチャ…… ……… 「はあっ、はあっ、はあっ…!」 袋が動かなくなるほど何度も叩き、ようやく静寂が訪れる。 としあきは、なぜか内側が濃い緑色に染まった袋の様子に気付き、首を傾げた。 摘み上げようとした途端、想像を絶するような悪臭が鼻に飛び込んできた! 「ぐぅうおぅええええぇぇっっ?!? なんだこりゃあっ?!」 無意識に投げ捨てたコンビニ袋が、内容物を振り撒きながら壁に激突する。 畳の上に零れ落ちたのは、凄まじい異臭を放つ濁った緑色の謎の液体と、それにまみれてもはや食べられなくなって しまったおにぎりと牛乳パック、そして——奇妙な物体。 「うっわ、やべぇ……って、これなんだ?」 サランラップの空箱で、床に落ちた謎の塊を突いてみる。 それは、10センチ程度の大きさの人形のようなものだが、全身くまなく潰れており、しかも中から何かが飛び出ている。 それが、生物の内臓だと理解するのに、十数秒のブランクを要する。 しばしの間を置き、としあきは叫び声を上げた。 ※ ※ ※ それから数時間後、ようやく落ち着きを取り戻したとしあきは、室内の換気をしながら例の“肉塊”に再び見入った。 大変気持ちの悪いものだったが、ようやく状況が飲み込めた。 どこからともなくコンビニ袋に入り込んできたこの生き物は、としあきが買ってきたおにぎりのパックを開けようと悪戦苦闘 していたらしく、フィルムを切る帯を半分くらい開いたところまで辿り着いたらしい。 その時、としあきに見つけられ、袋の外から「駆除」されてしまったのだ。 かなりぐちゃぐちゃに叩き潰されてしまったものの、着ている服や伸びている髪の形、色から、今日街中で何度も見かけた あの生物であることはよくわかった。 としあきは、不可抗力とはいえ図らずも奪ってしまった小さな命に対して心の底から反省した。 きつい悪臭に必死で耐え、死体を綺麗に洗浄すると、せめてアパートの庭に埋めてやろうと思い立った。 「そんなにおにぎり食いたかったなら、半分くらい分けてやったのに——ごめんな、本当にごめんな」 アパートの敷地の隅の、誰も通らない陰になっているところの土を適当に掘り、としあきはそこに緑の小人の死体を丁寧に 寝かせる。 そして、もう食べられなくなったおにぎりを、一緒に埋めてやることにした。 「せめて、天国でおなか一杯食べろよ……」 土を盛り、手近にあった石ころを上に乗せると、としあきは手を合わせて拝んだ。 埋葬を終え、部屋に戻ろうとした途端、何かが記憶の隅にすごく引っかかっているような感覚にとらわれた。 『あれ、なんだろ…? 俺、似たようなことを前にも——』 デスゥ♪ 記憶の深淵を探る思考は、突然の来訪者によってキャンセルをかけられる。 自室への階段を上ろうとした時、目の前に、大きな「緑色の存在」が立っているのに気付いたからだ。 「……」 デッスー! オッス! とでもいいたそうに、元気に右手を掲げている。 何段か階段を上っていたためか、緑色の小人の目線ととしあきのそれは、一直線上できっちり揃っている。 ほんの数秒、両者はマジマジと互いの顔を見つめ合った。 「う、うわあぁぁぁああああ!!!」 デ、デギャッ?! 「いきなり化けて出たあぁぁぁっ?! ごめんよごめんよ! 悪気はなかったんだー!!」 デ? 階段からずり落ちるほど怯えたとしあきは、必死で土下座してナマンダブを連呼する。 だが、段上の緑色の小人は状況が飲み込めないらしく、首を傾げていた。 「おにぎりだってくれてやったんだから、とっとと成仏して天国へ行ってくれぇっ!! ナマンダブナマンダブ!」 デ、デスゥッ?! としあきの言葉に反応したかのように、緑色の小人は階段を飛び降りると、鼻を鳴らして彼の匂いをかぎ始める。 そして、とぼとぼとどこかへ歩いていってしまった。 数分後、さっき死体を埋葬した辺りから、「デギャアァッ?!」という耳障りな悲鳴が聞こえてきた。 駆け寄ってみると、そこには、墓を暴き死体を取り出して愕然としている、緑の小人の姿があった。 ほとんどないに等しい異様ななで肩が、ぶるぶると震えている。 それを見たとしあきの胸が、ズキンと痛んだ。 「まさか君、その子の——親なのか?」 緑色の小人は、両目から血涙を流しながら怒りの形相を浮かべ、凄まじい大音量で吼えかかった。 デギャアアァァァァァッッッ!!! 余りの迫力に気圧され、としあきはその場に尻餅をついてしまう。 掘り起こされた墓の横には、大きく齧り付かれた土まみれのおにぎりが転がっていた。 →NEXT −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 今回のエピソードは全3話。 完成済みですので、随時アップしていきます。
