どうにもこの、こう暑くなって参りますと、いろいろと困ることが出てくるもの でございますが、まず、家を出るのに閉めきりにしたままと言うのが、帰ってき たときにたまらない。つい部屋の窓を開け放ったまま稼ぎに出かけて、帰って参 りますと、困ったことになっておりました。 野良の実装石でございます。 行儀良く網戸を開けて入ってきたのは良いものの、宵越しのカネも物もないトシ の部屋のこと、どこを開けても何もございません。もとより冷蔵庫なんぞ、電気 が止めてあります。開けたところで、よどんだ空気が「むあっ」と……これはこ れで困ったことになっておりました。 といって、無理に追い出すのも、殴る蹴るに悲鳴を上げられては近所迷惑。 ……そういえば。1週間ほど前、冷や奴にして喰おうと、醤油をかけたところに、 ケータイで呼び出されて三日三晩会社に泊まり込んだ、あれがございました。 帰ってきてから皿ごとラップして、ジップロックでくるみ込んで、クーラーボッ クスに押し込んだ。それで生ゴミの日までしのごうと思って、すっかり忘れてた! <ここには何にもないデシャアア! 早くスシとステーキとコンペイトウをもっ てくるデス!> ケータイのリンガルモードにはおきまりのセリフが表示されます。 「毎日スシとステーキとコンペイトウをお上がりになって、そうとう舌も肥えて いらっしゃると見えますが、いかがですか?」 <も、モチロンデス> 「ここには何もございませんが、長崎の名物『酢豆腐』を秘蔵してございます。 それを献上いたしますので、ご勘弁ねがえませんか?」 <すぐに持ってくるデス> 「かしこまりました」 クーラーボックスを開けてみますと、ジップロックが心なしか膨らんで見えまし たが、意を決して開けます。とたんに部屋中に酸っぱい臭いが立ちこめます。 <すごい臭いデシャアア! そんなもん食べられないデシャアア!> 「何をおっしゃいます、フランスのブルーチーズ、中国の腐乳にならぶ世界の 珍味、『酢豆腐』をご存知ないのですか」 <も、もちろん知ってるデス。まさにこの匂いデス> 「どうぞ、たんとお上がりください」 皿を実装石の前に突きつけます。 <なんで離れるんでシャアア!> 「いえ、お食事のお邪魔でしょうから。お冷やなどいかがでしょう?」 コップに水道水をくんで、実装石の前に置くと、サッと引き下がります。 さて。 箸もスプーンも使わない野良の実装石でございます。完全に腐った豆腐に顔を近 づけますと、目にも鼻にもツーンと参ります。 「でぇ……」 とはいえ、スシやステーキに勝るという珍味を食べたとなれば、公園の野良の中 ではさぞ鼻の高いことになろうかというもの。 しばらく恐る恐る顔を近づけては、サッと離しておりましたが、目をつぶって息 を止めて、ついに一口。 <う、うまいデス> <これは、いけるデス> 皿に顔を突っ込んで、一気に食べてしまいました。最後にお冷や。これも一気に クイクイと飲み干しまして、 <デプー、もう無いデスか?> 一陣の風がざぁっと吹き込んで、部屋の臭いも晴れました。 「あ、あいにく、あれしかございません」 トシもすっかり毒気を抜かれて応えます。 <またご馳走になりにくるデス> 実装石は、ゆらりと立ち上がると、そそくさと窓を通って出て行きました。 そして、アパートの生け垣をゴソゴソと抜け出したあたりで…… 「ごぶゎあああ!おげええええぇぇぇぇぇ……」 近所迷惑には変わりなかったようでございます。 ……お後がよろしいようで……? 毎度ごひいきにあずかり、ありがとうございます。もっとメジャーなもの、とい うことで季節柄、「酢豆腐」の一席に挑戦してみました。
