「ニンゲン。お腹が空いたデス」 リンガルにはそう表示されていただろうが、飼い主である男はリンガルを持ち合わせていなかった。 「ニンゲン。聞いてるデス」 男はパソコンに向かい、黙々とキーボードに何かを打ち込んでいる。 「また無視デス。おまえは私を可愛がると約束したデス」 デスデスと居間で鳴く実装石を余所に、男は眼鏡越しにパソコンを見つめるだけであった。 「ニンゲン」 男のブラインドタッチのスピードが更に加速する。 「こっちを向くデス」 実装石の鳴き声も聞こえないのか、男はただキーボードに文字を打ち込み続けていた。 ◇ 「ご飯デス?待っていたデス」 男が一息ついたのか、パソコンの前から立ち上がり台所へ向かう。 「私はあれがいいデス。あれデス」 伸びをしながら、珈琲を入れる。男がお気に入りのサイフォンだ。 「あれは甘いデス。とろけるように甘いデス」 男の足下で実装石が走り回る。珈琲のいい香りが男の鼻孔に届いた。 「それは臭いデス。それじゃないデス」 男は沸き立ての珈琲をコップに注ぎ、軽く一息をつく。 「臭いのじゃないデス。甘い奴デス」 デスデスと足下で鳴く実装石を余所に、男は珈琲を飲み干した。 「デ……」 そして、男は再び居間へと戻った。台所に残された実装石の耳に、再びキーボードの音が響くだけだった。 ◇ 「もう出て行くデス」 ケロヨンのポーチに入るだけの積み木は入れた。 名残惜しいが絵本は何冊か残さざるを得なかった。 そんな決意を知るか知らざるか、男は黙々とキーボードを打つのみだった。 「もっと幸せな飼い主に拾われるデス」 玄関で外行きの実装靴を履きながら言う。 「ここにはいい思い出がないデス」 吐き捨てるように言う。 「公園は週に1度しか連れて貰えなかったデス」 (でも、スポンジボールで遊んでくれたデス) 「玩具の日は、3日に1日なんて酷いデス」 (でも、新しい絵本を買ってくれたデス」 「昔はお風呂に一緒に入ったデス。でも今は一人デス」 (また一緒に入りたいデス) 靴を掃き終えた実装石は、届かない玄関の扉のノブに何度も飛びつく。 「……届かないデス」 玄関先から、振り向きながら、居間の方を見つめる。 「……………」 そして再び玄関の扉のノブを見上げた。 「届かないデス」 ◇ 「あ〜… 終わった」 男の仕事はフリーのプログラマーだ。 週に1度、客先から仕様書が送られくる。 詳細設計まで落とされた要件をただコーディングするだけの仕事だ。 はっきり言って、フリーで身を立てれる程の仕事ではない。 ただフリーである以上、仕事を選別できる立場でもない。 与えられた仕事を納期通りこなしていく。今は信頼を積み重ねるしかないのだ。 「デッデロゲ〜♪ デッデロゲ〜♪」 居間のソファーの裏で、男の実装石が人形を使って遊んでいた。 「どうした、アリサ。よそ行きのポーチなんかつけて」 「デデッ!? デスァ!! デスァ!!」 「ああ、わかった。わかった。飯にするか」 「デギャース!! デスデスッ!! デスァァァッ!!」 「はいはい。甘い奴な。飯、食い終わったらな」 男は足にまとわりつく実装石を避けながら、遅い昼食の準備に取りかかった。 (終わり)
