まるで血を飲み下しているかのような味だった。 もともとアルコールに強いほうでない私の周りには何本ものブランデーの空き瓶が転がっている。 味に酔いたいわけではない。 アルコールに酔いたいだけだ。 だが脳はどうしようもないほどに透きとおっている。 暖炉の前に彼女の体がある。 古い木蓮で作った椅子に私がプレゼントしたうす緑色のドレスを纏って華奢な体を座らせている。 白い足をそろえ、薄いシルクの手袋の指先をそろえじっとしている。 この部屋、この暖炉の前に彼女を座らせ、向かいの椅子に座って数時間。 外の雨は変わらずに強い。 人里はなれたこの山奥に立つこの別荘・・・下手をすれば交通路が土砂崩れでも起こして塞がっているかもしれない。 だが、それでもかまわないと感じている。 時間さえも止まっているような。空間さえ切り取られているような。 毛足の長い亜麻色の絨毯は暖炉の熱にあぶられ、私の吐息で塗れて荒んでいる。 私は生きているのだろうか、死んでいるのだろうか。 彼女は生きているのだろうか、生き返ってくれるのだろうか。 ろれつの回らぬ舌で彼女に話しかける。 だが彼女がその言葉を聞くことはない。 言葉を返すこともない。 視線で笑いかけてくれることもない。 何故ならば。 彼女には首がないのだから。 それは暗喩でも直喩でもなく。 詩的な意味合いですらなく。 ただ、物理的に。 彼女の首は、ない。 私が、切断したのだ。 そして私は待っている。待ち続けている。 彼女の新しい首が生えてくるのを。 − P r o t e t y p e − 私が彼女と出遭ったのは今から2年ほど前のことだ。 確か、ヒグラシがまだ啼いている秋口のことだったかと思う。 そのころの私は妻に先立たれたことをきっかけとした欝に悩まされており、二度ほど自殺未遂を繰り返した後、友人の精神科医の下へ訪れた。 その待合室でのことだった。 視線を感じた。 彼女が私をじっと見ていたのだ。 どこか熱っぽく、まるで遠い昔を思い出しているかのような眼。 その視線に気づいたとき、私の胸がときめいたのを強く覚えている。 若く美しい女性だった。 あったことはない。 なぜそういいきれたかというとその両目があまりにも印象的だったからだ。 妖精の瞳。 フェアリーズアイ。 翠と紅の二色の瞳。 一度見たのならばまず、忘れられない。 その若く美しい女性が私を見ていた。が、あえて私は視線を外した。 年甲斐もなく胸がときめいてしまったことを悟られたくなかった。 何よりも死別した妻を思って病人となっているはずなのに、妻を裏切ってしまうことが怖かったからだ。 が、まさしく妖精のようなその姿はまぶたに強く焼きついてしまった。 栗色の長い髪が自然にロールして重力に撓み、まるで人形のように細く小柄な体は白磁のように透き通って強く触れれば壊れてしまいそう。 心でどのような言い訳をしても彼女に強く興味を惹かれてしまっていた。 診察は彼女のほうが早く済んだ。 その次が私だった。 「いらっしゃい」 患者に対する口の聞き方ではなく、来訪した旧友への口調で飯島が微笑んだ。 白衣にそりあげた頭はひとつ間違えばマッドサイエンティストとしか言いようのない外観だが、この精神科医は私の大学からの友人であった。 そして、私が妻を追って手首を切った後、ずっと治療してくれている担当医でもある。 「どうだい、大学のほうは」 「どうもなにも、学生の質は落ちる一方だね。マスターレベルでもまともな論文をかいてきやしない。 方法序説をフランス語で読めない人間がなぜ哲学科にいるのか不思議だよ」 「そういう言い方をされると俺も落第生だな。なにせドイツ語も書くだけでしゃべれん」 軽く会話を交わした後に問診をする。 よく眠れているか。不安になることはないか。集中力はどうか。 一通りの問診を受けた後、 「まぁ、気長にやろうか」 と飯島はレセプトを書いた。 その姿を眺めながら思わず、ふと言葉が口を出てしまった。 「私の前の患者・・・あの娘はどういう患者なんだ?」 言って、しまった、とは思ったが言葉は元に返らない。 訝しげに飯島が私をにらんだ後、「患者さんのプライバシーは話せないんだがな」とおどけて、 「可愛い娘だったろ? 一目で印象に残る。で、せんせ、ナンパでもするんなら病院でてからにしてくれないか?」 とおどけて見せた。 「ああ、いや、そういうわけじゃないんだが」 私は先ほど、彼女が私をじっと見ていたことを話した。 そして当然彼女とはここで始めてあったばかりで彼女が私を知るわけがないということも。 「初めてじゃないよ。 お前の講義を聞いたことがあるとさ。 つまりお前の大学の生徒。 不眠と頭痛で悩んでいるらしい。 まぁ、あのぐらいの年頃にはよくある話さ。 少し投薬治療を続ければ治ると見ているがね」 「そんな、あんなに印象的な外見で見たことがないってことはないだろう」 「一番前の席に座ってなきゃ大学の講師が生徒一人一人を覚えきれないさ。 少なくとも俺はそうだね」 反論されて、それを反論できるほど自信はなかった。 確かに一般講義のレベルの生徒一人一人を覚えているとはとても言えない。 自分の専門だったらいざ知らず、一般教養で取っている生徒だったらすれ違ってもわかるかどうか。 が、しかし。 あの、あの視線に気づかなかったということはない。 ・・・いや、それこそこちらの勘違いというものだろう。 あんな、熱っぽい視線を中年に向けることはまず、ない。 私は辞して面接室を出た。 受付で手続きした後、10分程度たってから自動清算機で支払いを済ます。 以前ならば同じ病院内で薬がもらえたものだが、医薬分業の世の中となって、レセプトを持って近場の薬局に行って薬をもらわなくてはいけなくなった。 そうして、いつもの薬局の自動ドアをくぐった。 「あ・・・」 彼女が、いた。 開いたドアに視線を向けたところだったのだろう、私とそれがかみ合った。 運命的でもなんでもない、半分必然である再開であるはずが、何か因縁めいたものを感じさせた。 「・・・九条先生・・・ですよね? やっぱり」 席から半分腰を浮かして、興味を見つけた猫のようにちょこちょこと首をかしげて、彼女が言った。 「やっぱりそうだ。私、先生の授業に出てたんですよ? 覚えていませんか?」 まずいところで逢ってしまった、という思いが首をもたげる。 哲学科の九条准教授が精神をわずらっているということはあまり学生の間に広まってほしい話ではない。 手首の古傷が隠れていることを確認するように左手の腕時計を右手で覆った。 「教養部のときはいつも先生の講義聞いていたんですけど。 『哲学史』です。覚えていませんか?——いませんですよね、いっぱい学生いたんですから」 私の沈黙をなんとも思わず、彼女は話を進める。 あっけに取られている一方でどこかうれしくも思い妙なときめきを感じた。 「あ、自己紹介まだでしたね。私、坂巻とわ、『永遠』とかいて『とわ』です」 女、というよりも少女のような幼い顔作りにコケティッシュな笑みを浮かべる。 「仏蘭西文学専攻の3年生です。顔と名前、覚えてくださいね、です」 顔も名前も、忘れられるはずがなかった。 私達は愛し合うようになった。 出会ってから二月もしたころ、ちょうど大学が夏季休暇にはいったときには彼女は一人暮らしには広すぎる私の家にしばしば遊びに来るようになった。 秋には私の車で大学に通うこともあった。 男と女の駆け引きをくだくだと語るのは好ましくはなかろう、どうとでも思ってもらえばいい。 一回りを超える年齢さが気にはなったが、私がそれを言うと、 「それがどうしたのです?」 と、呼吸をすることを自覚もしていないかのような不思議そうな顔をして笑った。 妻に先立たれたこと・・・性格には妻に自殺されたこと、そして彼女を追うべく手首を切ったことも、 「昔のことじゃないですか」 と、まったく気にしない様子だった。 初めて永遠を抱いたとき、私の腕の中で驚くほど乱れた。 すでに男をよく知った体であることは疑うべくもなかったが、私の過去を詮索しようとしない彼女の過去を私も知ろうとは思わなかった。 嫉妬を覚えなかったといえば嘘になるが。 「食べてもいいんですよ」 そういった、彼女の言葉が忘れられない。 鮮明に、骨の髄にまで染み込んでいる。 私が永遠の指を口付けししゃぶるように愛撫しながら「食べてしまいたい」と使い古された台詞を囁きかけての言葉だった。 「いいんですよ、食べちゃって」 彼女は繰り返した。 「食べたらなくなってしまうよ。困るだろう?」 「いいんです、また生えてくるから」 冗談にしてはあまり笑えないな、と思ったが笑みを返した。 が、永遠はどこか寂しそうな眼をしながら微笑んでいた。 私の背中に思いきり手を回し苦しくなるほどに強く抱きしめて、そして大きなため息を胸に預けてきた。 私は、永遠のことを、何も知らなかったのである。 結婚という言葉を切り出したのは年度が替わったころだった。 永遠も4年次となり、そろそろ卒業後の身の振りを具体的にしなければならない時期になっていた。 彼女は特になりたいという職業を口にすることもなく、また院に進学する意思も持っていなかったことはこれまでの付き合いでわかっていた。 「結婚しようか」 数えるのもわからなくなってきたデートの帰り道、ハンドルを握り平静を装いながら私は永遠に切り出した。 しばしの沈黙。そして、 「本気?」 という返答。 「私のこと、何にも知らないじゃないですか」 「知っているさ。 うちの大学でフランス語を専攻している学生で成績は上の中、8月8日が誕生日でご両親はすでに他界。 10以上も離れた恋人に対してまだ敬語を使っていて頭痛もちで健啖家で、だけど太らない体質。 スコーンを作るのが得意だけど料理全般はあまり上手じゃない」 ヘッドライトの先に車の光を見てハイビームを落とした。 意外なほどに饒舌になっている自分に照れてしまっている。 「物心つく前に母親を亡くし、そのお母さんの名前も『永遠』。 お父さんは開業医だったが高校卒業同時に他界。 幸いなことに貯蓄は残してくれたのでそのお金で悠々自適な学生生活を送って・・・」 「それだけじゃないですか」 「ほかに何が必要なのかな?」 「・・・昔のオトコとか」 「興味ないよ。 嫉妬しないわけじゃないけどね。 愛しているのは今の君なんだ。 過去の君じゃない」 暗がりでよかったと思った。 間違いなく赤面していただろう。 対向車がいなくなりヘッドライトをハイビームに戻す。 「でも、でもですね・・・もっと、とんでもない秘密を抱えているかもしれないですよ? 結婚なんかしたら後悔するのかも」 「私が、前の結婚に失敗したことを言っているのかい?」 「違う、そうじゃない・・・そうじゃないんです・・・」 「結婚したくない?」 「そうじゃない、そうじゃなくって・・・」 運転中で前から眼を離すわけにはいかない。 それでも横目に見る永遠の顔にはひどくおびえているような翳りがあった。 「踊る人形」をしっているかい? サー・アーサー・コナン・ドイルのホームズ物の中でも有名な作品だよね。 あの小さな人形たちの行進が暗号になっているなんて、正直読んだときはわくわくしたものだよ。 中学生のときだったかな、英文の中で一番多いのが「E」だなんて、ずいぶんと素敵なロジックに興奮したものだよ。 今から思えば、あんな暗号文を作る必然性というのが考えづらいんだけどね。 暗号というのは確かに「限られた者たち」の間だけで通じるもの、である必要があるね。 でも、だったらもっとシンプルな暗号でいいんじゃないかな? もっと極端に言えば「読んだら燃やしてしまう手紙」でもいいわけじゃないか。 意思の疎通さえできてさえいれば、そして自分たち以外に通じることがなければいいわけなんだろう? 複雑怪奇すぎる暗号というのは、もはやそれ自体が「解かれるため」のロジック、つまり「作品のための暗号」でしかないわけだよね。 もちろん、創作なんだからそれはそれでありなんだけどさ。 この「作品のための暗号」であることに気づいた瞬間にさ、私の中から何かが落ちてしまったんだよね。 興奮というか、感心というか、世界的な名探偵であるホームズ先生は単純な謎では意味がない・・・ もう、なんというかさ、うまく言えない自分自身がもどかしいんだけど、結局のところ、アレは壮大な「ごっこ」でしかなかったんだなって。 創作って言うのは、ファンタジーっていうのはそういうものだっていうのは理解している。 いや、理解しているつもり、かな? そんな私だけど謎の美しさには惹かれている。 だからこそ必然性のない、ただ独立したそれだけの謎っていうものに許しがたいものを感じてしまったんだよね。 一週間後、二人で杯を傾けて私は饒舌だった。 永遠の方から会いたいといってきたのだ。 きっと、この間の応答をしてくれるのだろう。 まるで少年のようにときめきながらくだらないことを話す。 答えをせかすようなまねはしない。 ただ、その一言を沈黙で待つようなまねはしたくない。 内容のない言葉をつらつらと並べながら私は永遠の顔を見続けた。 「・・・やっぱり、話さないといけないですね」 ワインが切れたとき、永遠が小さな声で口を開いた。 「隠しておくわけには、いかないから」 「何のことかな?」 私には覚悟ができていた。 例えば彼女が子供ができない体質であってもかまわないと思っていた。 隠し子がいたとしてもいいとすら思っていた。 ただ、永遠のすべてを認めたいと思っていた。 「私は、永遠はね」 両腕で肩を抱き、胸を抱きすくめるように身をかがめる永遠。 「実装石なの」 なんのことだか、私にわかるはずもなかった。 「実装石?」 「聞いたことないです? 私と同じ眼をしている小さな生き物で、すごい再生能力をもっていて、手足が千切れてもすぐ生えてくるの。 メスばかりの存在でオスを介さずに子供を生んで、中心の偽石というものさえ壊れなければ永遠に生きられるの」 あいにくと私はそんなものを聞いたことがなかった。 たちの悪い伝説か何かだろうか。 「知らないよ、そんなもの。 まぁ、あとでインターネットで調べてみるけど、言ってみれば口さけ女や四つん這いばばあみたいなものなのかな? 君がそういった化け物なんかじゃないことは私が一番よく知っているさ」 冗談に話を流そうとするが、永遠の顔は影引いたままだ。 こんな下らないことで彼女が悩んでいるとするのならば、それに気づけなかった私は恋人として失格かもしれない。 が、夫となりたい私としては欠点を今のうちに見つけることができてよかったというべきなのだろう。 それともなんだろうか。 永遠の印象的な左右の瞳がその実装石とやらとそっくりなせいで彼女はそう思い込んでいるのだろうか。 「そんなんじゃ、ないんですよ・・・」 私の心を見透かしてか、永遠がすっと左手を私の目の前に差し出した。 「最初は、この指だったんです」 「私が幼稚園のころ、お母さんはもういなくて、少しでも早く料理を覚えたくて包丁を握ってたんです。 でも、まだ小さかったからジャガイモもうまく剥けなくて、そして手元が狂っちゃって、包丁でね、人差し指を切り落としたんです」 「切り落とした?」 驚いて永遠の指先を見る。 指はきれいに並んでいる。 欠けている指は一本もない。 当然、人差し指はそのままだ。 「あるじゃないか、人差し指」 「生えてきたんです」 永遠は話し始めた。 父親は指の接合手術もしようとせず、ただ止血をし、包帯を巻いただけだった。 しかし、何日かすると傷口が盛り上がり新しい人差し指が生えてきたのだという。 2週間たつかたたないかのうちに。 「トカゲのしっぽみたいでしょう? 爪まできちんと元通りになってたんです」 思わず言葉を失った。 とても信じられない。 が、永遠の口調には有無を言わせない何かがある。 「信じてないですよね? でも、嘘なんかじゃないんです。 全部、本当のこと」 左右の色の違ったあの瞳。その瞳が私を見つめている。 試されている、と感じた。 信じられているかどうか、を。 「確か・・・イモリとかは足を失っても再生することがあると聞いたことがある。 4倍体の染色体を持つと再生能力が発芽するとか。 人間の肝臓も三分の一にまで切り落としても元の大きさに戻るとか」 「知ってる」 私の『理性』を永遠は簡潔に切り捨てた。 「そんなことじゃない。 普通の人間でも指先ぐらいなら再生することがあるってことも調べたんです。 でも、私は、永遠のそれは桁が外れていた」 そして、私を通り越してはるか背後の遠くを見るように、視線を飛ばした。 「私に指が生えたとき、お父様は驚きもしなかった。 『そういう身体なんだよ、お前は』って。 新しい指を撫で回して唇を吊り上げて笑ってた。 『お前は永遠の、母さんの生まれ変わりなんだから』って。 御伽噺に出てくる悪魔みたいだった」 「・・・・・・・」 「その次はね、私が小学校五年生のときでした。 秋の遠足のとき、バスが山道で横転して。 いっぱい、友達が死んじゃった。 私もひどい怪我をしたんです。 右腕が、肩からぺちゃんこになっちゃって。 病院でも手の施しようがないって。 切断するしかないって。 最近はいい義手があるからって病院の先生は励ましてくれたんですけど」 永遠の右手は義手などではない。 火傷の後ひとつない美しい白磁のような肌の腕がきちんと生えている。 「その腕も、生えてきたのかい?」 喉が、微妙に引きつっていた。 粘着質のつばを飲み込みながら訊いた。 「そうですよ」 永遠は軽くうなずく。 「ほら、見て」 永遠は肩口を開いて見せた。 鎖骨の先、腕の付け根のところを左手で指差す。 「ここ、微妙に色が違うでしょう?」 そんなことはない、と言いそうになったが、言われてみれば確かにそのようにも見えた。 「三ヶ月ぐらいかな・・・ 指まで全部生えそろって。事故が起こった後で精神的にも問題があるからって学校、転校したから・・・ 誰も気づかなかった。知っていたのは、お父様だけ。 病院にもいかなかった。 お父様がお医者様だったから」 「いくらなんでも・・・ 切断した担当医が君をそのまま放っておくことはないだろう? 術後の経過を見るはずだし、いくら君のお父さんが医者だったからって・・・」 「だって、お父様が言ったんです。 『お前のその身体の秘密がばれたら実験動物みたいに切り刻まれるぞ』って。 だから、お父様の言うとおり病院にも通わなかったんです」 「・・・そんな、ことが」 「そのころからです。 お父様が私を見る眼が変わってきたのは。 ねっとりとした、本当に粘っこい眼で嘗め回すように見るんです。 お酒も飲むようになってきた。 『本当に永遠に、お前の母さんに似てきたな。いや、お前は[永遠]そのものなんだからな』って」 彼女の父は言った。 お前は母さんの生まれ変わりだ。 だからお前の名前は『永遠』なんだ。 だからお前の身体はわたしのものだ。 この呪われた身体は・・・ 侮蔑するように、称えるように、慟哭するように、愛しげに。 実装石なんだよ、お前は。いくら切っても生えてくる。 この指も、腕も。 きっとこの足も。 目玉をえぐりとっても再生するだろう。 母さんと同じだ。 同じなんだ、お前は母さんそのものなんだからな。 「実装石はね、自分の子供を生むんだけど、それは自分の完全なコピーなんですって」 永遠の話は続いた。 「中学二年生の冬休みでした。 寒い日でした。 私がお料理をしているとき、お父様がやってきてしつこく身体を撫で回したんです。 やめてって言ったのに。お願いだからやめてって何度も言ったのに。 抵抗したんです。 そのとき、揚げ物をしていて。 ぐらぐら煮立った油をひっくり返して、左足にかかって。 ひどい火傷になっちゃったんです。 もう、皮膚がめくれ上がるぐらいに。 痛かった。 すごく痛かった。 熱くて真っ赤に腫れ上がって・・・」 火傷はいけないよ、永遠。実装石は火傷だけは治らないんだ。 お父さんに任せておけ、すぐに治療してあげるから。 そう口走りながら彼女の父親は苦しむ娘を手術室に運んだのだという。 そして、永遠に麻酔をかけ、左足を切断した。 眼が覚めたとき、朦朧とする意識の中で永遠は自分の左足の膝から下がなくなっているのを知ったという。 「しばらくは高熱が出て、寝ているか、起きているときはただ気持ち悪いだけでした。 薬が切れるとすごく痛くて、でも薬を使うと頭が痛くて。 今の私の頭痛も、そのときに始まったものなんです。 でもね、足は数ヶ月でちゃんと生えてきました。 でも、数ヶ月のはずなのに、何年も時間がかかったみたいでした。 だって、お父様が、毎晩私を犯していたから」 足がないから逃げ出すこともできない。 薬漬けで暴力を拒むこともできない。 毎晩のように、息をつく暇もなく、何度も何度も生ぬるい精を腹の中に注ぎ込まれたのだという。 何度も、何度も。 永遠、と名前を呼んだのだという。 だが、それは自分なのか母親のことなのか、最後までわからなかったという。 「誰にも相談なんかできなかったんです。 助けてくれる人なんてどこにもいなかったんです」 いつしか永遠の声は涙混じりになっていた。 震える肩を両手で抱きしめていた。 「足が元に戻ってからは逃げようとしました。 でも、お父様は『切るぞ』って。 『どこを切ってほしいんだ』って。 だから、私、怖くて・・・」 超人的な再生能力を持つ自分の娘の肉体を切り刻み犯す父親。 あまりにも鬼畜過ぎる光景が脳裏に浮かび戦慄せざるを得なかった。 いったい、永遠のこの話をどこまで信じればいいのか。 困惑した。 永遠の姿に、嘘は、ない。 「・・・大学の合格が決まった晩、いつものようにお父様が私を犯しにきました。 大学にいって人生が変わると思ったのに、変わらないって。 それがすごく怖くなって。 酔っているお父様を階段から突き落としました。 事故だって、嘘をつきました。 警察の人は疑いもしなかった。 ううん、警察だけじゃない、誰も疑わなかった。 みんな同情してくれた。 でも、でもね。 私が、お父様を殺したんです」 涙で鼻声になっていた。 永遠の姿はあまりにも小さく遠くに見えた。 「呪われているって。 実装石だって。 本当にそう思うんです。 こんなの、人間じゃない。 化け物でしかないです。 どこを切っても生えてくる。 生えてくるんです。 足を切っても、腕を切っても。 きっと、首を切り落としても生えてくるんです。 それに・・・そうでなくても、父親と交わった娘なんて、もう、人間じゃない。 ただの鬼畜です。 人殺しです」 ぽろぽろと、大粒の涙をこぼしながら。 そんな永遠の姿を私はとても愛しく思った。 「嫌いになったよね? こんな化け物、嫌いだよね? それともぜんぜん信じてくれない? 頭のおかしい女の妄想だと思ってる?」 酒のせいではない。 酩酊していた。 乾いた唇の先を舌先で何度も湿らせた。 おずおずと永遠が私を見上げた。 フェアリーズアイの瞳が、私を見つめている。 「信じるよ。 そして嫌いになんかなったりしない。 君のことを愛している。世界中の誰よりも、きっと。 実装石だとかそんなことはどうでもいい。 ただ、そういう体質だというだけなんだ。 いいや、むしろ祝福されてきたんだよ」 「シュクフク?」 「人並みはずれた再生能力があるとしても、それは決して呪われているからじゃない。 神様からの贈り物なんだ」 怖いものを見るように、奇異なものを見るように、永遠が私を見つめている。 その瞳はとてもきれいで宝石のようだった。 沈黙が時間を支配する。 そして 「結婚してくれないか、永遠」 全身全霊をかけて、言う。 少し、間をおいて、私の言葉をかみ締めて、そしてはにかんで。 「・・・はいです」 今日、初めて見る、そしてこれまでに見たことがないような幸せそうな永遠の笑顔だった。 その年の秋、私たちは永遠の卒業を待たずに結婚した。 私のほうが再婚ということ、そして准教授と学生との結婚ということもあって式だの披露宴だのは行わなかった。 永遠も特にそれを望まなかった。 籍だけをいれ、そのあと私たちは隣県の山間部にある別荘で二人だけの一週間を過ごした。 この別荘は死んだ私の父が遺産として残したものである。 私には兄と弟がいるが、兄は医者として父の医院をつぎ、弟はNASAで宇宙飛行士を目指している。 できの悪い私と違って二人とも出来が違う。 どちらもかなりの金を必要とする仕事でもあるため、現金は二人にわけ、私は別荘をもらったわけである。 この別荘はまとまった論文を書くとき、一人になりたいときに使っていた。 私のお気に入りの場所でもある。 死んだ前妻をここにつれてきたことは一度もない。 そして、完全に前妻を思い出すことはなかった。 一つだけ、永遠がわがままを言ったのは、二人だけの結婚式がしたいと、特別に用意させたうす緑色のドレスだけだった。 私たちは幸せだった。 そう、このときまでは。 年が明けたころから、永遠は頻繁に頭痛を訴えるようになった。 それと並行してめまいや耳鳴りなどからだの不調をも訴えるようになった。 飯島に頼んできちんとした検査を受けるように永遠に何度も言ったのだが永遠はあいまいな生返事ばかりでなかなか従おうとはしなかった。 自分の特異体質を知られるのを恐れていたのかもしれない。 2月頭に卒業論文を書き上げ、発表し、無事単位を取り終えたころには永遠はよく物忘れをするようになっていた。 財布をなくした、鍵をなくした。 初めのうちは私もさほど気に留めてはいなかったのだが、日に日にそれは悪化していった。 変だ、変すぎる・・・そうおもっていた2月下旬のころだった。 「どうしてです? 何で?」 朝、裸のまま寝ていたベットの上、永遠のそんな声で眼を覚ました。 「誰? 誰です?」 横にいる私を、私の顔をおびえるような目つきで永遠は見つめていた。 当然、私にはわけがわからない。 「どうしたんだ、永遠」 「誰なんです? 何なんです?」 「永遠?」 私はようやく彼女の状態が尋常ではないことに気づいた。 こちらを見つめる眼は真剣に何かを恐れていた。寝ぼけたりふざけたりしてはいない。 「私だよ、永遠。どうしたっていうんだ」 「誰、あなた」 栗色の髪を振り乱して彼女は大きくかぶりを振った。頬が青ざめている。 「どうして・・・あなたが、どうでして・・・」 「永遠」 起き上がり、永遠を強く抱きしめた。瞬間、永遠の眼に理性の光が戻る。 「ああ・・・あなた・・・私、どうしたの?」 結婚してから彼女は私のことを「あなた」と呼ぶ。 そして今の「あなた」とさっきの「あなた」は明確に響きが違った。 「何だろう、どうしたんだろう、私」 腕の中で永遠が力を落とす。 華奢なその身体がずしりと乗っかってくる。 私の胸に頬を摺り寄せ、永遠が言う。 「おかしいんです、私。頭の中が真っ白になって、なんかどんどん落ちていくような・・・」 「大丈夫、大丈夫だよ、永遠」 乱れた髪を撫で付けながら子供のようにおびえる永遠を私は抱きしめ続けた。 飯島に連絡を取ったところ、すぐにでも病院に連れて来い、と怒鳴りつけられた。 嫌がる永遠を宥めながら病院に連れて行き、精密検査を受けさせる。 その間、私は飯島に妻の症例を話した。 「物を置き忘れる、何度も同じ事を聞いたりする。程度もあるが多少なら誰にだっておきていることだ。 だが、自分の夫の顔を忘れたなんて尋常じゃない。 ヒステリーの一種とも考えられるが、めまいや耳鳴りが続いているというのならば万が一のことを考えたほうがいいかもしれない。 くそう、ただの頭痛と思ってミスをしたかな。 言い訳するわけじゃないが、一応テストは行って、決して成績はおかしくなかったんだ」 ぼりぼりと頭をかきむしりながら飯島が説明した。 気が遠くなる。 精密検査の結果は恐るべきものだった。 「・・・こいつは、最悪ってやつかも知れんな」 「どういうことだ?」 「脳のど真ん中に影がある。くるみ大の大きさの。腫瘍だとするとかなり大きい。 それに場所が悪いな。脳下垂体の上・・・、いや、脳下垂体そのものかな」 「脳下垂体?」 「ああ、脳のど真ん中だ。お前さんの専門のデカルトのいうところの人の意識の中心だよ」 目の前が暗くなった。 永遠が、そんなことになっていたなんて。 頭蓋の内側が暗くなる。 「それだけじゃない」 「ほかに何か?」 「大脳と小脳が海綿状態になりかけている。 グリオーシスもある。 クロイツェルヤコブ病かもしれん」 「クロイツェルヤコブ病・・・狂牛病か?」 「ああ。百万人に一人かかるかどうかという奇病だ。残念ながら完治は出来ない」 「そんな・・・永遠はまだ20そこそこだぞ? なんでそんなことに・・・」 「原因がわからんのだ。正直、脳の腫瘍も取り除けない。・・・もって、一年」 「そんな! 諦めないでくれ! なんとか永遠を助けてくれ! 金ならいくらかかってもかまわない!」 「・・・延命は出来る。が、苦痛が伴う。正直、腫瘍だけでも生きているのが奇跡なんだ。 それに、痴呆はより進むだろう。進行が、かなり早い」 「死ぬ、のか」 「ああ」 「まだ、あんなに若いのに?」 「残念だよ」 飯島は私から視線をそらした。この男が決して無責任なたちではないのはよく知っている。 「もう少し、検査をさせてくれ。ただ、あまり期待はしないでくれ」 自分の呼吸がうるさく聞こえるぐらいに、意識が遠くなっていった。 三月の、初めのことだった。 診断された病名は永遠には告げなかった。 ただ精神が参っているんだよ、とだけ、しばらく安静にしよう、とだけ告げた。 四月からは大学の事務員の職を用意していたが、体調の不良を理由にそれを辞退した。 飯島は向精神薬、睡眠薬、そして痛み止めを処方してくれた。 入院を勧めなかったのは私のエゴイズムを見逃してくれたからだろう。 少しでも、彼女のそばに居たかった。 春になり、永遠の病状は眼に見えて悪くなっていった。 ここはどこなのか。自分は誰なのか。今はいつなのか。 羅針盤を失った難破船のように何もかもを指針を失っていた。 途方にくれて泣き出したり十分ほども笑い続けたりした。 突然怒り出したりわめき散らしたりした。 つらかった。 身を切られるほうがどれほど楽だっただろう。 あんなに不幸な眼にあった彼女を、私は幸せにすることが出来なかった。 彼女の脳は過去へ過去へと遡っていく。 思考能力、認識能力を失い、言葉をしゃべることすら失い、歩行や排泄すら間々ならなくなり、そして・・・ 私も、おかしくなってしまいそうだった。 うつ病がひどくならなかったのはただ、永遠を支えたいというその思いだけだった。 この状況でも幸いといえたのは、大学のほうで私の休職を認めてくれたことだった。 一度目の妻に死なれ、二度目の妻に死なれようとしている私を気遣ってくれたのだろう。 もっとも、まともに仕事ができようにもなかったのだが。 夏が過ぎ、秋が過ぎた。 病は確実に私たちの時間を蝕んでいく。 永遠がまともで居られる時間が少なくなっていく。 そして、それを恐れるように、永遠は激しく私を求めた。 忘れないで、と何度も叫んだ。 私を忘れないで、と。 身体を重ねていても、あまりにも苦痛な時間だった。 自分の無力さに、歯軋りしたくなった。 悪魔が居るのならば、魂でも何でもくれてやる。永遠を救ってくれ。 心臓をこの手で抉り出してもいい。永遠を救ってくれ。 何度夢見ただろう。 そして、起きる度に夢であることを呪う日々だった。 「あの別荘に行きたいです」 10月も半ばを過ぎたころ、永遠がそんなことを言い出した。 痴呆化の進む中で断片的に理性を取り戻す永遠は、透き通るように蒼く見え、まるで幽霊のようだった。 その幽霊が、死期を悟ってか、必死に私に訴えかけた。 「あの山のおうち・・・ね、いきましょう?」 そして私たちは、ここに・・・結婚直後の幸せな時間を過ごした、あの輝けるような時間を過ごしたこの別荘に・・・やってきたのだった。 実装石、というものについて簡単に調べてみた。 都市伝説、というほど高尚なものですらなかった。 妖怪に近い。 とても永遠とは同一視できるものではなかった。 確かにその眼は特徴的だ。その一点だけで思い込むことがあっても理解は出来る。 しかし、その出来損ないの赤ん坊のような外見、人間の言葉を理解できる知性、やはりからかさお化けやろくろ首のようにしか思えない。 ただ、一つ気になったのは。 偽石という、実装石の本体。 それさえあれば実装石はどんな状態からでも再生するという。 それならば、そうであるのならば。 永遠の再生が本当であるのならば。 別荘に到着した夜の永遠はどこかしら普段と様子が違って見えた。 理性を取り戻していた永遠はこの上もなくはしゃいで、幼子のように笑って、ただ生きているだけで幸せそうに見えた。 見せていた。 腕を組んで、愛の言葉を求めてきて、そして身体を求めてきた。 永遠の乱れ方はぞっとするほどに美しかった。 獣じみてさえいた。 病のことも忘れ、狂ったかのように彼女を求めた。 「助けて、ああ、助けて・・・」 加速度をつけて上り詰めていく途上、彼女が私の背中に爪を立て、あえぎながら、 「・・・切って」 不意に、そんな言葉を口走った。 「切って、指を噛み切って」 皮膚が裏側からひっくり返されるようなおぞましさを感じ、彼女を見た。 快楽に流されてうなされるように永遠は言葉をつなげる。 「腕も、足も切って」 「永遠・・・」 「ああ、はやくして・・・お父様」 背骨が凍りついたかと思った。 「何? 今、なんて言った?」 私の声に、永遠がゆっくりと眼をあけた。 「今なんて言ったんだ! 永遠!」 私は詰問する。その私に、妖絶な笑みを浮かべて答える。 「いいことを、教えてあげる。最初ね、病院であったとき、私が見つめていたの、知っていたでしょ? あれね、あなたがお父様に似ていたから。 授業のときもそう思っていたけど、あなたの横顔は本当にお父様に似ているの。 本当、生き写しみたい」 あくま、だと思った。 悪魔のように美しく、残酷な言葉だった。 そして、その言葉で私は精を放っていた。 あまりにも甘美で恐ろしいほどにすべてが崩壊するような射精だった。 その後、永遠を裸のまま引き剥がして、私は酒におぼれた。 父がコレクションしていたブランデーを浴びるように飲んだ。 プライドも何もかもがずたずたになっていた。 私は、永遠にとって、ただの、父親の代わりでしかなかったのか。 身体の中に無数の蟲が湧き出して内臓を食い尽くす、そんな感覚に襲われた。 これまで、必死に愛してきたことはなんだったのか。 もちろん、愛情というのはただただ一方的なものだということは理解している。 自分が愛情を注いだからといってそれが返ってきて当然だと思うほど傲慢ではない。 だが、それでも、だが。 気がつけば既に4日ほど時間が過ぎていた。 その間、私は永遠と一言も口を聞くことはなかった。 事件が起きたのはその日だった。 どろどろに酔いつぶれて居間のソファで寝転んでいた私の耳に突然部屋の空気を振るわせた異音が飛び込んできた。 そのとき既に、事は起こってしまった後だった。 汚れたパジャマを着た永遠の身体が暖炉の前に横たわっていた。 火の勢いが落ちかけた暖炉の中に頭を突っ込むようにしてうつぶせに倒れている。 火の勢いが落ちたわけは、異物として永遠の頭が落ちたから。 たんぱく質が焼けるいやな臭い。 髪の毛が焼け強い異臭があたりに立ち込め今にもパジャマに火がつきそうだった。 「永遠!」 ソファから飛び起き、酒にもつれる足で永遠に駆け寄る。 ウイスキーの空瓶が倒れ付した彼女の足元に転がっている。 私の不注意か、いや、それとも・・・ 暖炉から永遠を引きずり出し、パジャマに飛び掛る火の粉を払った。 テーブルの上の過敏を取り上げ、中の水を全部振り掛ける。 「永遠、永遠!」 何度も呼びかけるとうめき声が聞こえた。 気を失っているらしい。手足が細かく痙攣する。 顔は、やけ焦がれていた。赤く黒く焦げ、水泡が大きく張り出している。 妖精のようなあの美しさは面影もない。 「永遠」 声をかけても反応がない。 「ああ、永遠・・・とわ・・・」 手当てをしようとすら思わなかった。すべてが終わったと思った。 崩れ落ちるように腰を落とした。彼女の手を握り締め、何度も何度も名前を呼んだ。 呆れるほどに愛していたんだといまさらのように気づかされた。 針の筵のような、地獄の時間。 いつまで、座り込んでいただろう。 そのとき、悪魔が微笑んだ。 きっと、首を切り落としても生えてくるんです 火傷はいけないよ、永遠。実装石は火傷だけは治らないんだ。お父さんに任せておけ、すぐに治療してあげるから。 脳のど真ん中に影がある。くるみ大の大きさの。 腫瘍だとするとかなり大きい。それに場所が悪いな。 脳下垂体の上・・・、いや、脳下垂体そのものかな 大脳と小脳が海綿状態になりかけている。グリオーシスもある。クロイツェルヤコブ病かもしれん さまざまな言葉が脳裏に浮かんでは消える。 火傷、脳、首を切り落としても生えてくる。 再生。 そして。 「そうだ、永遠。君は祝福されているんだよ」 どうして今まで思いつかなかったのだろう。 しびれた頭で思考する。 そうだ、彼女の身体は普通ではない。祝福された特別な身体なのだ。 頭だから時間はかかるかもしれない。 だが、時間ならいくらでもある。 首を切り落としてもすぐに新しい無傷の首が生えてくるのだ。 新しい首が胴体から生えてくるのだ。 私は永遠を抱きかかえ、浴室へと運び込んだ。 階段の下の工具箱から鋸を取ってくる。 脱衣所で永遠を全裸にする。 真っ白な美しい肌と火傷を負った首から上との対比はあまりにもおぞましく無残だった。 少なくとも、永遠の心臓はまだ動いていた。 もしかしたら永遠を殺してしまうのは私かもしれない。 狂っているのか。 もう、それでもよかった。 鋸を首に当てる。 頚部を切り裂くと激しく血が噴出した。 首を切断することで彼女は死ぬだろう。 だが、実装石は再生する。偽石とやらさえ無事ならば再生するのだ。 新しい頭が生えてくる。 あの美しい瞳がまた私を見つめてくれる。 記憶はすべて失ってしまうかもしれない。 だが、それでもいい。 不幸な記憶など失ってしまえばいい。 ただ、私がどんなに永遠を愛しているか。 永遠がどんなに私を愛していたか。 そして、二人で生きていく新しい人生のことを。 新しい記憶で生きていけばいいのだ。 小一時間かけ、首を切り落とした。 飛び散った血と油をシャワーで流し落とす。 身体をきれいに洗ってやり、そしてウエディングドレスとしてつかったうす緑色のドレスをまとわせて、いすに座らせる。 切り落とした頭は考えた末、庭に埋めることにした。 そして、今・・・ もうどれほどの時間が経ったのだろう。朝も昼も夜ももう何もかもが関係なかった。 一年ほども経ったのかもしれない。 外では激しく雨が降っている。冷たい雨だ。いつから降っているのだろう。私にはよくわからない。 時間も空間も歪んでしまっている。 強い重力は時間も空間も歪めるらしい。 ならば、今この場はブラックホールの中心のように時間が止まっているのだろうか。 そんな気もする。 私は待ち続ける。 何本ものブランデーをあけ、吐き、また飲み干して。 いすに座った永遠に話し続ける。 しかし首のない彼女が答えてくれるわけがない。 まだか、まだなのか。 まだ新しい首は生えてきてくれないのか。 暖炉の火が消えかけている。薪の数も限られてきた。 空になったブランデーの瓶を投げ捨て絨毯の上を這い進み永遠の足首をつかむ。 「永遠・・・」 ああ、永遠。まだ戻ってくれないのか。 まだ私を一人にするのか。 早く、早く戻ってくれ。 足首に頬を摺り寄せる。 既にそれには温かみはなく、弾力すらない。 じっ、と肉と皮の剥がれる感触がした。青みを帯びた土気色の皮膚が破れどろりとした液体が滴り落ちる。 腐臭だ。 腐っている。 永遠は、腐っている。 「だめ・・・なのか・・・」 絶望が私を包む。何度絶望しただろう。そして希望を見出し、再び絶望に突き落とされる。 呪われた身体。 祝福された身体。 どこを切っても生えてくる・・・ あれは、嘘だったのだろうか。 既に脳を病んでいた彼女の妄想でしかなかったのだろうか。 嗚咽を漏らしていた。 肩を震わせ大声で泣いた。 そして。 「でぇぇええすぅううう」 外から、声がした。 大粒の雨に混じって、声がした。 「でぇぇぇえぇぇぇすすぅぅぅううぅぅ」 もう、判断力など残っていなかった。ゆらり、と憑かれたように声のほうへ、外へと歩みを進める。 扉の外から聞こえてくる。赤ん坊が泣くようにも聞こえる。 ひび割れた、甲高い声。 麻痺した頭で扉を開いた。より強く雨音が、声がする。 奇怪なものが、見えた。 そこには、永遠がいた。 焼け焦げた顔はずるりと皮膚が剥げ落ち新たな皮膚が生え、それによって能面のように無表情な顔に赤と緑の眼がぎらりと光っている。 裂けるような口からその声が響いている。 何が起こったのかを、やっと理解した。 「ああ、脳のど真ん中だ。お前さんの専門のデカルトのいうところの人の意識の中心だよ」 ああ、脳のど真ん中だ。 そいつが『偽石』というやつだ。 実装石なんだよ、お前は。いくら切っても生えてくる。この指も、腕も。きっとこの足も。目玉をえぐりとっても再生するだろう。 確かに、首を切っても再生するとは言っていない。 「実装石はね、自分の子供を生むんだけど、それは自分の完全なコピーなんですって」 完全なコピーなんだろう。なにせ、本人そのものなんだから。 彼女は正しかったのだ。 首を切っても新しいのが生えてくる。 ただし、新しい胴体が。 私が鋸で切断した首の傷口から今、胎児のような胴体が生えている。そのいびつな胴体からまだ指先の生えそろっていない手足が生えている。 まさに、実装石だ。 こちらが、再生の本体だったのだ。 悄然とする私と彼女の視線が合った。 「あなた」 と、声が聞こえた。 私は震える手で彼女を抱きかかえた。 そして、さらに理解した。 お前は母さんの生まれ変わりだ。だからお前の名前は『永遠』なんだ。 だからお前の身体はわたしのものだ。この呪われた身体は・・・ 私は、初めて永遠の父親に、いや、父親だった、そして恐らくは夫だった男に共感した。 そして、同じ過ちを繰り返してしまうのだろうか。 その思いに、恐怖に、駆られた。 ちんすけ拝 あとがき というほどのものではないもの そもそもこれはスクですらない。 集英社文庫、綾辻行人著、眼球綺譚の「再生」をそのまま実装石の味付けにしただけである。 ちなみにあの京極夏彦氏が本のデザインをしている。 故に著作権とかそういった関連はまったく主張するつもりもないし盗作だといわれれば反論のしようがない。 ただ、これは個人的には本歌取りのつもりである。 もとの話を生かして自分の好きな形に作り直す、という平安時代からある日本の文化の一つだと思っていたい。 ので、万が一綾辻先生関連者が見られることがあったときは「ごめんなさい、見逃してください」ということでお願いします。 館シリーズでは暗黒館が好きです。ちょっとトリックというか、叙述トリックはずるいと思うけど。
