イ○バ物置 ある日の暮方の事である。 一匹の実装石が、イ○バ物置の下で雨やみを待っていた。 狭い庇の下には、この実装石のほかに誰もいない。 ただ、所々ペンキの剥げた、錆びくたびれた庇に、蓑蛆が一匹ぶら下がっている。 イ○バ物置が、ふたば公園にある以上は、この実装石のほかにも、雨やみをする実装石や禿裸が、もう二三匹はありそうなものである。 それが、この実装石のほかには誰もいない。 何故かと云うと、この二三年、ふたば公園には、豪雨とか台風とか虐待派の来襲とか駆除とか云う災がつづいて起った。 そこでふたば公園のさびれ方は一通りではない。 旧記によると、公園の芝や若木の根を毟り取り、その土がついたり、泥がついたりしたモノを、もしゃもしゃと食んでは吐き戻し、クソと混ぜ合わせて喰らっていたと云う事である。 ふたば公園がその始末であるから、使うあてもない防災用具をしまいこんであるイ○バ物置の修理などは、元より誰も捨てて顧る者がなかった。 するとその荒れ果てたのをよい事にして、野良猫が棲む。野良実蒼が棲む。 とうとうしまいには、虐待派が暇を持て余して潰した実装石の死体を、この物置前へ持って来て、棄てて行くと云う習慣さえ出来た。 そこで、日の目が見えなくなると、誰でも気味を悪るがって、この物置の近所へは足ぶみをしない事になってしまったのである。 その代りまた鴉がどこからか、たくさん集って来た。 昼間見ると、その鴉が何羽となく輪を描いて、低い軒のまわりを啼きながら、飛びまわっている。 ことに公園の上の空が、夕焼けであかくなる時には、それが胡麻をまいたようにはっきり見えた。 鴉は、勿論、物置の周りにある実装石の死体の肉を、啄みに来るのである。 ——もっとも今日は、刻限が遅いせいか、一羽も見えない。 ただ、所々、隙間の開いた、そうしてその崩れ目に長い草のはえた壁の上に、鴉の糞が、点々と白くこびりついているのが見える。 実装石は、そうした物置の正面、庇が一番まともな一角に、洗いざらした緑の実装服の尻を据えて、右の頬に出来た、大きなニキビを気にしながら、ぼんやり、雨のふるのを眺めていた。 作者はさっき、「実装石が雨やみを待っていた」と書いた。 しかし、実装石は雨がやんでも、格別どうしようと云う当てはない。 ふだんなら、勿論、主人の家へ帰るべき筈である。 ところその主人からは、四五日前に捨てられた。 前にも書いたように、当時ふたば公園は一通りならず衰微していた。 今この実装石が、永年、飼われていた主人から、捨てられたのも、実はこの衰微の小さな余波にほかならない。 荒れ果てた公園に野良実装が一匹二匹増えたところで、誰も気にしない。そのことが主人の背中を押した。 だから「実装石が雨やみを待っていた」と云うよりも「雨にふりこめられた実装石が、行き所がなくて、途方にくれていた」と云う方が、適当である。 その上、今日の空模様も少からず、この現代の実装石の Sentimentalisme に影響した。 午後早くからふり出した雨は、いまだに上るけしきがない。 そこで、実装石は、何をおいても差当り明日の暮しをどうにかしようとして——云わばどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考えをたどりながら、さっきからふたば公園にふる雨の音を、聞くともなく聞いていたのである。 雨は、イ○バ物置をつつんで、遠くから、ざあっと云う音をあつめて来る。 夕闇は次第に空を低くして、見上げると、物置の屋根が、斜につき出した庇の先に、重たくうす暗い雲を支えている。 どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んでいるいとまはない 選んでいれば、この庇の下か、公園のどこかで、饑死をするばかりである。 そうして、この物置の前へ持って来て、ゴミのように棄てられてしまうばかりである。 選ばないとすれば——元・飼い実装石の考えは、何度も同じ道を低徊したあげくに、やっとこの局所へ逢着した。 しかしこの「すれば」は、いつまでたっても、結局「すれば」であった。 元・飼い実装石は、手段を選ばないという事を肯定しながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然、その後に来る可き「盗人になるよりほかに仕方がない」と云う事を、積極的に肯定するだけの、勇気が出ずにいたのである。 元・飼い実装石は、大きなくさめをして、それから、大儀そうに立上った。 夕冷えのする公園は、もうヒーターやコタツが欲しいほどの寒さである。 風は物置の立て付けの悪い扉と壁の隙間を、夕闇と共に遠慮なく、吹きぬける。 庇にぶら下がっていた蓑蛆も、もうどこかへ行ってしまった。吹き飛ばされただけかもしれない。 元・飼い実装石は、頸をちぢめながら、元は飼いだった証といえるストールの上に重ねた、実装服の肩を高くして物置のまわりを見まわした。 雨風の患のない、人目にかかる惧のない、一晩楽にねられそうな所があれば、そこでともかくも、夜を明かそうと思ったからである。 すると、幸い物置の庇の下、錆びた壁に寄りかかるように、朽ちかけたダンボール箱が眼についた。 長いこと放置されている様子。 あれなら、先客がいたにしても、どうせ死体であろう。 元・飼い実装石はそこで、腰にさげたまじかる☆テチカのマジカルステッキが抜け落ちないように気をつけながら、ゴム底にした実装靴をはいた足を、そのダンボール箱のほうへふみかけた。 それから、何分かの後である。 イ○バ物置の壁に折りかかるように、一匹の元・飼い実装石が、猫のように身をちぢめて、息を殺しながら、容子を窺っていた。 ダンボール箱からさす光が、かすかに、その元・飼い実装石の右の頬をぬらしている。 すっかりぼさぼさになった栗色の髪の中に、赤く膿を持ったニキビのある頬である。 元・飼い実装石は、始めから、この中にいる者は、死んでいるものだと高を括っていた。 それが、2.3歩歩み寄ると、中では誰かガサゴソと蠢き、しかも何らかの明かりをもってそこここと動かしているらしい。 これは、その濁った、黄いろい光が、隅々に蜘蛛(くも)の巣をかけた物置の壁に、揺れながら映ったので、すぐにそれと知れたのである。 この雨の夜に、この崩れたダンボール箱の中で、明かりをともしているからは、どうせただの者ではない。 元・飼い実装石は、守宮のように足音をぬすんで、やっとダンボール箱まで這うようにして辿りつめた。 そうして体を出来るだけ、平にしながら、頸を出来るだけ、前へ出して、恐る恐る、箱の内を覗いて見た。 見ると、箱の内には、はたして思ったとおり、幾つかの死骸が、無造作に棄ててあるが、光の及ぶ範囲が、思ったより狭いので、数は幾つともわからない。 ただ、おぼろげながら、知れるのは、その中に裸の死骸と、着物を着た死骸とがあるという事である。 勿論、中には野良実装石も元・飼い実装石もまじっているらしい。 そうして、その死骸は皆、それが、かつて、生きていた実装石だと云う事実さえ疑われるほど、土を捏ねて造った人形のように、口を開いたり手を延ばしたりして、ごろごろ床の上にころがっていた。 しかも、肩とか胸とかの高くなっている部分に、ぼんやりした火の光をうけて、低くなっている部分の影を一層暗くしながら、永久に唖の如く黙っていた。 元・飼い実装石は、それらの死骸の腐爛した臭気に思わず、鼻を掩った。 しかし、その手は、次の瞬間には、もう鼻を掩う事を忘れていた。 ある強い感情が、ほとんどことごとくこの元・飼い実装石の嗅覚を奪ってしまったからだ。 元・飼い実装石の眼は、その時、はじめてその死骸の中に蹲っている実装石を見た。 レジ袋を着物のように重ねたモノを着た、背の低い、痩せた、禿頭の、猿のようなビニル纏いハゲである。 そのビニル纏いハゲは、右の手に小さなペンライト様のモノを持って、その死骸の一つの顔を覗きこむように眺めていた。 髪の毛の長い所を見ると、多分自然死した実装石であろう。 元・飼い実装石は、六分の恐怖と四分の好奇心とに動かされて、暫時は呼吸をするのさえ忘れていた。 旧記の記者の語を借りれば、「頭身(とうしん)の毛も太る」ように感じたのである。 するとビニル纏いハゲは、ペンライト様のモノを、地べたに挿して、それから、今まで眺めていた死骸の首に両手をかけると、丁度、猿の親が猿の子の虱をとるように、その長い髪の毛を一本ずつ抜きはじめた。 髪は手に従って抜けるらしい。 その髪の毛が、一本ずつ抜けるのに従って、元・飼い実装石の心からは、恐怖が少しずつ消えて行った。 そうして、それと同時に、このビニル纏いハゲに対するはげしい憎悪が、少しずつ動いて来た。 ——いや、このビニル纏いハゲに対すると云っては、語弊があるかも知れない。 むしろ、あらゆる悪に対する反感が、一分毎に強さを増して来たのである。 この時、誰かがこの元・飼い実装石に、さっき物置の下でこの元・飼い実装石が考えていた、饑死をするか盗人になるかと云う問題を、改めて持出したら、恐らく元・飼い実装石は、何の未練もなく、饑死を選んだ事であろう。 それほど、この元・飼い実装石の悪を憎む心は、ビニル纏いハゲの地べたに挿したペンライト様のモノの光のように、頼りなく、しかし確実に燃え上り出していたのである。 元・飼い実装石には、勿論、何故ビニル纏いハゲが死した実装石の髪の毛を抜くかわからなかった。 従って、合理的には、それを善悪のいずれに片づけてよいか知らなかった。 しかし元・飼い実装石にとっては、この雨の夜に、このイ○バ物置の上で、死した実装石の髪の毛を抜くと云う事が、それだけで既に許すべからざる悪であった。 勿論、元・飼い実装石は、さっきまで自分が、盗人になる気でいた事なぞは、とうに忘れていたのである。 そこで、元・飼い実装石は、両足に力を入れて、いきなり、ダンボール箱の中へ飛び込んだ。 そうしてテチカちゃんのまじかるステッキに手をかけながら、大股にビニル纏いハゲの前へ歩みよった。 ビニル纏いハゲが驚いたのは云うまでもない。 ビニル纏いハゲは、一目元・飼い実装石を見ると、まるで弩にでも弾かれたように、飛び上った。 「おのれ、どこへ行くデス。」 元・飼い実装石は、ビニル纏いハゲが死骸につまずきながら、慌てふためいて逃げようとする行手をふさいで、こう罵った。 ビニル纏いハゲは、それでも元・飼い実装石をつきのけて行こうとする。 元・飼い実装石はまた、それを行かすまいとして、押しもどす。 二人は死骸の中で、しばらく、無言のまま、つかみ合った。 しかし勝敗は、はじめからわかっている。 元・飼い実装石はとうとう、ビニル纏いハゲの腕をつかんで、無理にそこへ紐じ倒した。 丁度、鶏(にわとり)の脚のような、骨と皮ばかりの腕である。 「何をしていた。云え。云わぬと、これデスゥ。」 元・飼い実装石は、ビニル纏いハゲをつき放すと、いきなり、まじかるステッキを抜きはらい、切っ先をその眼の前へつきつけた。 けれども、ビニル纏いハゲは黙っている。 両手をわなわなふるわせて、肩で息を切りながら、眼を、眼球が瞼のない眼窩から零れ落ちそうになるほど、見開いて、唖のように執拗く黙っている。 これを見ると、元・飼い実装石は始めて明白にこのビニル纏いハゲの生死が、全然、自分の意志に支配されていると云う事を意識した。 そうしてこの意識は、今までけわしく燃えていた憎悪の心を、いつの間にか冷ましてしまった。 後に残ったのは、ただ、ある仕事をして、それが円満に成就した時の、安らかな得意と満足とがあるばかりである。 そこで、元・飼い実装石は、ビニル纏いハゲを見下しながら、少し声を柔らげてこう云った。 「ワタシは飼い実装などではないデスゥ。 今し方この物置の下を通りかかったしがない、元飼いデス。 だからオマエに縄をかけて、どうしようと云うような事はないデス。 ただ、今時分このダンボール箱で、何をして居たのだか、それをワタシに話しさえすればいいのデスゥ。」 すると、ビニル纏いハゲは、見開いていた眼を、一層大きくして、じっとその元・飼い実装石の顔を見守った。 目の周りがビキビキと赤くなった、肉食鳥のような、鋭い眼で見たのである。 それから、皺で、ほとんど、鼻と一つになったミツクチを、何か物でも噛んでいるように動かした。 細い喉で、尖った喉仏の動いているのが見える。 その時、その喉から、鴉(からす)の啼くような声が、喘ぎ喘ぎ、元・飼い実装石の耳へ伝わって来た。 「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、鬘にしようと思うたのデス。」 元・飼い実装石は、ビニル纏いハゲの答が存外、平凡なのに失望した。 そうして失望すると同時に、また前の憎悪が、冷やかな侮蔑と一しょに、心の中へはいって来た。 すると、その気色が、先方へも通じたのであろう。 ビニル纏いハゲは、片手に、まだ死骸の頭から奪った長い抜け毛を持ったなり、蟇のつぶやくような声で、口ごもりながら、こんな事を云った。 「成程な、死んだオナカマの髪の毛を抜くと云う事は、何ぼう悪い事かも知れぬデス。 じゃが、ここにいるオナカマどもは、皆、そのくらいな事を、されてもいいオナカマばかりデスだよ。 現在、わしが今、髪を抜いたコレなどはな、蛆を五分ばかりずつに切って干したのを、干魚だと云うて、群れのボスへ売りに往んだわ。 疫病にかかって死ななんだら、今でも売りに往んでいた事であろデス。 それもよ、この女の売る干魚は、味がよいと云うて、ボスどもが、欠かさず菜料に買っていたそうデス。 わしは、この女のした事が悪いとは思うておらんデス せねば、饑死をするのじゃて、仕方がなくした事であろうデス。 されば、今また、わしのしていた事も悪い事とは思わぬデスだよ。 これとてもやはりせねば、饑死をするじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。 じゃて、その仕方がない事を、よく知っていたこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろうデス。」 ビニル纏いハゲは、大体こんな意味の事を云った。 元・飼い実装石は、まじかるステッキをおさめて、その柄を左の手でおさえながら、冷然として、この話を聞いていた。 勿論、右の手では、赤く頬に膿を持った大きなニキビを気にしながら、聞いているのである。 しかし、これを聞いている中に、元・飼い実装石の心には、ある勇気が生まれて来た。 それは、さっき物置の下で、この元・飼い実装石には欠けていた勇気である。 そうして、またさっきこのダンボール箱へ入って、このビニル纏いハゲを捕えた時の勇気とは、全然、反対な方向に動こうとする勇気である。 元・飼い実装石は、饑死をするか盗人になるかに、迷わなかったばかりではない。 その時のこの元・飼い実装石の心もちから云えば、饑死などと云う事は、ほとんど、考える事さえ出来ないほど、意識の外に追い出されていた。 「きっと、そうか。」 ビニル纏いハゲの話がおわると、元・飼い実装石は嘲るような声で念を押した。 そうして、一足前へ出ると、不意に右の手をニキビから離して、ビニル纏いハゲの襟上をつかみながら、噛みつくようにこう云った。 「では、おれが引剥をしようと恨むまいな。己もそうしなければ、饑死をする体なのだ。」 元・飼い実装石は、すばやく、ビニル纏いハゲのビニルを剥ぎとった。 それから、足にしがみつこうとするビニル纏いハゲを、手荒く死骸の上へ蹴倒した。 物置の庇までは、僅に十歩を数えるばかりである。 元・飼い実装石は、剥ぎとった色とりどりのビニルをわきにかかえて、またたく間に急な梯子を夜の底へかけ下りた。 しばらく、死んだように倒れていたビニル纏いハゲが、死骸の中から、その裸の体を起したのは、それから間もなくの事である。 ビニル纏いハゲはつぶやくような、うめくような声を立てながら、まだ点いているペンライトの光をたよりに、物置の庇の傍まで、這って行った。 そうして、そこから、禿頭をゆっくり動かして、庇の下を覗きこんだ。 外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである。 元・飼い実装石の行方は、誰も知らない。
