タイトル:【哀(虐)→愛】 形見
ファイル:形見.txt
作者:匿名 総投稿数:非公開 総ダウンロード数:4026 レス数:2
初投稿日時:2008/05/11-02:29:58修正日時:2008/05/11-02:29:58
←戻る↓レスへ飛ぶ

『形見』
 
 
 俊郎は都心のワンルームマンションに一人で暮らしていた。
 大学に入った十数年前に親から買い与えられた部屋である。
 就職後はもっと広い物件に移らせてもらう約束だったが、それは果たされなかった。
 正社員での就職に失敗したからだ。
 以来、フリーターとしていくつかの職場を点々とし、現在はIT系企業のサポートセンターで働いている。
 三十を過ぎて給与収入は月二十万に満たない。だが親が遺してくれた財産のおかげで生活には困らなかった。
 親は三棟のアパートを経営する田舎の地主だった。
 近くに大手メーカーの工場があるおかげでアパートはほぼ満室稼動だ。
 その管理は共同相続人となった妹の晶子に任せてあり、俊郎には家賃収入の半分が黙っていても手に入る。
 晶子は三つ年下だが兄と同様に独身だった。
 以前は学校給食センターで栄養士として働いていたが三年前に父親が脳梗塞で倒れて介護のため退職した。
 母親は六年前に癌で亡くなっている。
 そして父親も去年、二度目の脳梗塞を経て還らぬ人となった。
 
「うちに帰って来たら、お兄ちゃん?」
 
 遺産分割の話し合いの席で晶子に勧められたが俊郎は応じず、実家の土地と建物は妹に相続させた。
 田舎の近所付き合いや親戚付き合いが俊郎は苦手だった。というより人間関係そのものが苦手だった。
 IT関連の知識は豊富だ。自分の得意分野についてはメールや電話越しでならいくらでも饒舌になれる。
 いまのサポートセンターの仕事は天職のように思っている。
 しかし生身の人間を前にすると途端に頭の中が真っ白になり言葉が出なくなるのだ。
 だから親しい友人はおらず、まして恋人などいる筈もない。
 アルバイトには残業がないので定時になったら即帰宅。
 風呂に入ってメシを喰ったら、あとはテレビを観るかDVDを観るかネットをするかの毎日だった。
 そんな彼に新しい趣味ができた。
 ネットで知って興味を持った実装石の「飼育」である。
 
 
 ------------------------------------------------------------------------------------------------
 
 
 ペットショップで躾け済み仔実装の三姉妹を購入した。
 実装石の家族愛の強さをネットの記事で知っていたので「飼う」なら姉妹と決めていた。
 親仔でもよかったがペットショップで成体実装は売られていない。
 成体に育てるまでのコストを考えたら当然だろう。犬や猫でも成体の販売は稀である。
 愛想のいい女性店員からは、実装石の飼育が初めてなら多頭飼いは避けたほうがいいと助言された。
 俊郎はそれを聞き流し、洗い替えの実装服や情操教育用のオモチャの購入の勧めも断った。
 リンガルはネット通販でペットショップで買うよりも安く手に入れていた。
 仔実装以外でその店で買ったのは徳用実装フードと栄養剤だけだった。
 彼の購入目的を勘づいたのか女性店員の顔から愛想笑いが消えた。
 だが店の側も商売だ。仔実装たちの運命は俊郎に委ねられた。
 
 
 ------------------------------------------------------------------------------------------------
 
 
 仔実装たちは新しい「飼い主」の家までの道中、束の間の幸せに酔い痴れていた。
 
「姉妹三匹揃って飼ってくれるなんて、このニンゲンさん良い人テチ」
「良いニンゲンさんに飼われるワタチたちは幸せ実装テチ」
 
 次女と三女のはしゃいだ言葉に長女は苦笑いして、
 
「ニンゲンさんじゃないテチ、御主人様と呼ぶテチ」
「はいテチ、オネチャ」
「わかりましたテチ」
 
 次女と三女は素直に頷き、それから三匹はテチテチと愉しげに笑い合う。
 三匹は小動物の運搬用のキャリーケージに入れられていた。ペットショップがサービスで用意したものだ。
 見知らぬ人間を警戒するペットたちのために空気穴を兼ねたスリットは細く作られている。
 顔を近づけなければ中から外も、外から中も様子は窺えない。
 混雑した地下鉄の車内で周囲の人いきれは感じるものの幸せいっぱいの仔実装たちは気にしていない。
 
「妹チャたち、ブリーダーの先生に教わったことは覚えてるテチ?」
 
 長女が訊ねて、次女と三女は頷いた。
 
「わかっテチ。無駄鳴きしない、無駄媚びしないテチ」
「御主人様の前では我慢の仔テチ。我がまま実装は嫌われるテチ」
 
 妹たちの答えに長女は満足そうに、
 
「そうテチ、ワタチたちが良い仔にしていれば御主人様も良い実装石を飼ったと喜んでくれるテチ」
「御主人様が喜んでくれればワタチたちも幸せテチ」
「御主人様もワタチたちもみんなで幸せになれるテチね」
 
 躾け済みの名目で売られていただけあって三匹の仔実装はいずれも並みの実装石より賢かった。
 飼い主に恵まれれば本当の幸せを得られる素質を持っていた。
 仔実装たちの不幸は「飼い主」が俊郎であったことだ。
 彼は自らが「飼う」実装石たちの幸せなど望んでいなかった。
 
 
 ------------------------------------------------------------------------------------------------
 
 
 学生時代以来、十数年間住み暮らしている1DKの部屋には乱雑に物があふれていた。
 こまめにゴミは捨てているが古いパソコン雑誌など処分の踏ん切りがつかず溜め込んでいるものも多い。
 射し込む夕陽の中、埃が舞っているのは見なかったことにする。物が多すぎて掃除も大変なのだ。
 仔実装たちの住処にするのは以前飼っていた熱帯魚用の水槽だった。
 ベランダに放置して埃をかぶっていたものを、あらかじめ水洗いしておいた。
 側面のガラスにいつの間にかヒビが入っていたのはご愛嬌だ。
 俊郎が実装石を「飼う」目的からすると水槽の見すぼらしさはむしろ具合がいい。
 水槽の置き場所も決めてあった。ベランダに出るガラス戸の前に用意したサイドテーブルの上だ。
 ベランダには普段、出入りしないからガラス戸を塞ぐことになっても問題ない。
 通販で買ったサイドテーブルは意外に大きくて俊郎自身の居住空間を圧迫するのは計算違いだったが。
 俊郎はキャリーケージをダイニングのテーブルの上に置いた。
 そして風呂場へ行き、洗面器を取って戻った。洗面所から洗いたてのタオルも持って来た。
 洗面器はキッチンのシンクの中に置き、タオルはシンクとガスレンジの間の狭い調理台へ広げて敷く。
 それからリビングへ行き、パソコンデスクの脇に置いていたデパートの紙袋から中身を引っぱり出した。
 人気動物キャラクターのぬいぐるみ用の着せ替えドレスだった。それが三着、赤と青と黄の色違いで。
 そのシリーズのドレスが仔実装に着せるのにぴったりのサイズであることはネットからの情報だった。
 包装を破り、中のドレスを一着ずつ、ベッドの上に広げた。
 
 
 ------------------------------------------------------------------------------------------------
 
 
 俊郎の作業の間、仔実装たちはケージの中で待たされていた。
 
「……御主人様のおうちに着いたテチ?」
「そうみたいテチ」
「でもまだお外に出してもらえないテチ?」
 
 実装石にとって憧れの「ニンゲンさんのおうち」に彼らは到着した筈である。
 なのに御主人様からは何も声をかけられない。
 歓迎の言葉が欲しいなどと贅沢は言わないが、御主人様が何も言ってくれなければ仔実装たちも困る。
 飼い実装として人間の家に迎えられる日を夢見て考えてきた挨拶——
 
「御主人様、きょうからよろしくお願いしますテチ」
「ちゃんと言うことを聞いて良い仔にしますテチ」
「お手伝いも頑張りますテチ。ずっとおそばに置いてくださいテチ」
 
 ——を、言い出すきっかけがつかめないのである。
 実のところペットショップの店内でも店を出てからも、彼らは「飼い主」からは何も話しかけられていない。
 その異様さを仔実装たちは、まだ理解していない。
 
「……お外の様子を覗いてみるテチ」
 
 三女がスリットに顔を近づけ、ケージの外を覗き見た。
 ペットショップのバックヤードスペースに似た狭くて雑然とした部屋が眼に映った。
 ブリーダーから繰り返し観せられた教育用DVDでは「ニンゲンさんのおうち」はこんな様子ではなかった。
 ソファがあったりオーディオセットがあったり絵画や花の鉢植えが飾られていたりした。
 お花は綺麗だけど不用意に近づいてはいけないというのがブリーダーの教えだった。
 そうしないと避妊処置を受けていない実装石は妊娠の危険があり、飼い主から捨てられる悲劇を招くのだと。
 その点、この家は心配ないようだが、それにしても殺風景ではないか?
 とはいえ、そこは躾け済みのペット用実装石である。御主人様の暮らしぶりを真正面からは批判しない。
 
「なんだか、おうちらしくないおうちテチ」
 
 婉曲な感想を小声で口にした。
 それで不安になった長女と次女も、それぞれスリットから外を覗く。
 
「テェ……?」
 
 自分たちを迎えた現実を知って次女は心細そうな声を上げ、長女はさらに不安を募らせた。
 長女は人間の言葉をリンガル無しでも大方は理解できた。
 ペットショップを訪れるニンゲンさんの何人もがショーケースの中の自分たちに微笑みを向けてくれた。
 
「可愛い」「お利口そう」
 
 そんな褒め言葉は嬉しかったけど、ニンゲンさんたちは次に値札に眼を向けると皆、苦笑いで首を振った。
 実装石の賢さは個体差が著しい。
 ペット用実装石の場合、飼い主を「ママ」と呼んで甘える仔は要注意だ。
 彼らは「ママ」の注意が自分から逸れると泣き喚いたり脱糞したりと幼児退行のような行動に出る。
 自分だけをかまってほしくてそうするのだが要するに我がままである。
 しかしペットショップの店頭では素直に甘えたり媚びたりする仔のほうが可愛らしく見える。
 そうした個体のほうが価格も安い。
 だから新しい御主人様に巡り会えるのは躾けで劣っていても安価なセール品の仔実装ばかりだった。
 躾け済みの姉妹は、なかなか売れない。
 とはいえペットショップでの待遇は彼女たちのほうがいい。ショーケースは広いし遊び道具もある。
(躾けの足りない実装石に遊び道具を与えても奪い合って喧嘩になるだけだ。)
 与えられるエサも上等である。
 その扱いの差で次女と三女も自分たちの立場に気づいたらしい。
 
「ワタチたちは、きっとお金持ちのニンゲンさんに飼われるテチ」
「オモチャもお洋服もいっぱい買ってもらえるテチ」
 
 長女はそんなことよりも優しい御主人様に出会えれば充分だと思っていた。
 いまの御主人様に買われる前、何度も自分たちに会いに来てくれた女の子がいた。
 
「いつも三匹で仲良しだね」「ごはんは食べた?」「ボール遊び楽しい?」
 
 と、優しく声をかけてくれていた。
 彼女はきっと良い御主人様になってくれると長女は期待した。次女か三女だけでも飼ってほしいと思った。
 だが最後に女の子が母親とともに店に来たとき、連れて帰ったのは、やはりセール品の仔実装だった。
 それもトイレの躾けができずパンツを取り上げられた一番格安の個体である。
 
「あんな糞漏らしよりワタチのほうがお利口テチのに」
 
 悪態をついた三女を長女は叱ったが、実装石にとって賢さが必ずしも幸運に繋がらないと実感させられた。
 
(このおうちからは幸せを感じられないテチ……)
 
 新しい御主人様の部屋を見回して長女の仔実装は思った。
 それは自分たちにとってばかりでなく御主人様にとってもだと直感的に思った。
 絵画や植物のように、それを眺めることで心が安らぐものが、この空間にはないのである。
 そこまでの直感を持つ長女の仔実装は相当に感受性豊かな個体だった。
 仮に俊郎にフィギュアのコレクションの趣味でもあれば、それが安らぎの源だと仔実装は直感したろう。
 アニメやゲームのキャラクターのポスターが室内に貼ってあれば、それがそうだと感じたろう。
 俊郎にそうした趣味はなかった。
 アニメはテレビでもDVDでもよく観るが特定の作品にハマることはない。
 その態度はさながら評論家で、視聴後はネットの掲示板に長文の感想を書き込むのが常である。
 そして意見の合わない別の掲示板参加者と、たびたびバトルになる。
 大抵は俊郎が相手をやり込めるが、その頃には彼自身も周囲から鼻つまみの扱いだ。
 それで不愉快な思いを何度もしているのに新作を観れば懲りずにまたネットで批評する。
 つまり彼自身は好きで観ているとしても、結果的にアニメは安らぎの源になっているとはいえない。
 そこまでは仔実には知る由もないことだったが——
 
(……幸せがないからワタチたちを飼ってくれたんテチ?)
 
 ペット用実装石として生まれて人間の悪意を知らずに育った長女の仔実装は、そう思い至った。
 自分たちが良い仔でいれば御主人様も喜んでくれる。
 実装石と暮らすことで御主人様に少しでも喜びを感じてもらいたい。
 そうなれば自分たちも嬉しい。そのために頑張りたい。それがペットとして迎えられた実装石の使命の筈だ。
 長女は、そう自分を奮い立たせた。
 報われない結果にしかならないことを知らずに——
 
 
 ------------------------------------------------------------------------------------------------
 
 
 しばらくして用事が済んだのか、御主人様が近づいて来てキャリーケージの蓋が開けられた。
 大きな手が無造作に次女の仔実装をつかんだ。
 
「…テッテレー♪」
(はじめましテチ、御主人様♪)
 
 身体を御主人様の手でつかまれているので、ちょこっと頭だけ下げて次女は挨拶してみせた。
 本当は丁寧にお辞儀して自分たちが躾け済みだと示したかったところだ。
 御主人様は無感動に次女を一瞥し、すぐに彼女をテーブルに下ろした。
 きょとんと首を傾げたままの次女の横に、長女と三女も並べられた。
 
「テチテチテチィッ♪」
(オネチャ、ドレスがあるテチ♪)
 
 テーブルの上に広げられていたドレスに三女が気づき、はしゃいだ声を上げた。
 
「テチャッ!」
(妹チャ、行儀が悪いテチ!)
 
 次女が三女を叱りつける。
 御主人様は無感動な表情のままリンガルの画面に表示された仔実装たちの台詞に眼を通し、
 
「ああ、ドレスだ。着替えの前に風呂に入らせてやるから、いま着てる服は脱いでくれ」
 
「テチテチッ♪ テチィ♪」
(お風呂だいすきテチ♪ 御主人様ありがとうございますテチ♪)
 
 三女はさっそく実装服を脱ぎだした。
 躾け済みといっても所詮は実装石。甘やかされた途端に遠慮を忘れてしまう。
 
「テチィ…?」
(オネチャ、どうするテチ……?)
 
 もう少し賢い次女は長女の判断を頼った。
 すると、じろりと御主人様が長女に視線を向け、
 
「早く脱げ。お湯が冷めるだろ」
 
 これは御主人様の命令と判断していいのだろう。
 
「テチテチ」
(ありがとうございます御主人様)

 長女は御主人様に一礼してから服を脱ぎ始めた。次女もそれに倣った。
 
 
 ------------------------------------------------------------------------------------------------
 
 
 裸になった仔実装たちはお湯を張った洗面器に移された。
 
「テチテチィッ♪ テチィッ♪」
(あったかテチ♪ ほかほかテチ♪)
 
 三女がご機嫌な声を上げ、次女も嬉しそうに、
 
「テチテチッ♪」
(気持ちいいね、オネチャ♪)
 
「テチッ。テチテチテチッ」
(うん、あったかだね。ありがとうございます、御主人様)
 
 長女は御主人様に頭を下げた。だが、俊郎は背を向けて聞き流している。
 彼は仔実装たちが脱いだ服をゴミ箱へ放り込んだところだった。
 キッチンシンクに置かれた洗面器の中の仔実装たちには、それが見えていない。
 
「そろそろ、いいだろ」
 
 俊郎は仔実装を一匹ずつ洗面器から出してタオルで拭いた。
 しかし雑な拭き方だったので髪も身体もまだ濡れていた。
 そして三匹をテーブルに運び、
 
「自分で好きな色のドレスを選んで着ろ」
 
 言われるやいなや、三女が赤いドレスに向かって走り出した。
 
「テッチューン♪」
(ワタチは情熱の赤がいいテチ♪)
 
 次女が長女の顔を見て、はにかむように、
 
「…テチッ?」
(ワタチは黄色でいいテチ?)
 
 長女が微笑んで頷き返すと、次女はテッチテッチと小走りに駆け出す。
 残った青が長女のドレスということになった。
 次女と三女はいそいそとドレスを着込む。御主人様からの「贈り物」の嬉しさで頭がいっぱいだ。
 
「テチテチッ?」
(パンツはないんテチ?)
 
「テチィッ♪」
(ドレスはノーパンが基本テチ、パンツの線が透けて見えたら興ざめテチ♪)
 
「テチャッ?」
(頭巾かその代わりのお帽子もないテチ?)
 
「テチュッ♪」
(今度トリマーさんに連れて行ってもらってヘアメイクをお願いすればいいテチ♪)
 
 長女も自分のドレスに袖を通した。
 
(まだ髪も身体も乾いてないテチけど……御主人様が着ろとおっしゃるのテチから……)
 
 ところが、そのドレスは見た目の可愛らしさの割に随分と着心地が悪いシロモノだった。
 濡れていた背中に化繊の生地が貼りついて嫌な感触だ。
 通気性も悪いようで風呂上がりで身体が火照っていたせいもありドレスの中がすぐ蒸れてきた。
 荒い縫製は脇の下や脇腹に擦れて、ちくちくと痒い。
 それでも長女は文句を言うべきではないと我慢したが、
 
「テチテチィッ…」
(御主人様、このドレス動きづらいテチ……ワタチたちに合わないサイズみたいテチ……)
 
 次女が遠慮がちに御主人様に訴えた。
 せっかく与えられたドレスを着心地が悪いとは言えず、サイズの問題にすれば無難と考えたのだろう。
 
「テチッ!」
(できたら仕立てのお直しをお願いしたいテチ!)
 
 三女も言ったが、御主人様は相変わらずの無表情で答える。
 
「着てるうちに慣れるだろ。次はメシだ」

 仔実装たちは水槽に移された。
 ペットショップのショーケースより狭いのは仕方ないとしてもガラスが擦り傷だらけで見すぼらしかった。
 一方の側面にはヒビが入っていて危なっかしい。
 
「テェ…」
 
 みじめそうに鳴き声を上げた三女だが、御主人様が運んで来たエサの匂いを嗅いで、すぐに眼を輝かせた。
 
「テチテチィッ♪」
(この匂いはご馳走テチッ♪)
 
 エサ皿に盛られていたのは実装フードをお湯で練ったもののようだが人間の食事に似た香ばしい香りがする。
 それもその筈だった。砂糖と醤油を混ぜ込んであるのだ。
 
「仲良く分けて喰え。喰ったら、きょうは寝ろ」
 
 御主人様はそう言うと水槽に黒い布をかぶせた。
 夕陽の差すベランダに面した側だけめくり上げてあるので真っ暗にはならない。
 
「テチィッ!」
(御主人様、ありがとうございますテチ!)
 
 長女は食事の礼を言ったが御主人様の返事はなかった。
 
 
 ------------------------------------------------------------------------------------------------
 
 
「……テェェェ……おノド渇いたテチィ……でも、もうお水ないテチィ……」
「妹チャがガブ飲みするからテチ……ワタチもおノドカラカラ、テチ……」
 
 次女と三女がいまにも泣き出しそうに声を上げる。
 しょっぱみと甘みが効いた練り実装フードは美味で、三匹はあっという間に平らげた。
 だが味が濃かったせいだろう、仔実装たちはすぐに喉が渇いてしまった。
 ところが水皿に水は少ししか入っていなかった。
 三女が見境なくそれを飲み干してしまうと、あとには渇水地獄が待っていた。
 
「…テチィッ!! テチィッ!!」
(御主人様、気づいてくださいテチ! 水皿が空っぽテチ!)
 
 長女が懸命に訴えたが、黒い布の向こうで御主人様は何をしているのか。
 テレビの音が聞こえてくるだけで返事はない。
 
「テェェェ……ッ! お水ほしいテチィィィッ!」
 
 床に寝転がった三女が駄々っ子のように、じたばたと手足を振り回した。
 
「妹チャ、暴れたら余計にノドが渇くテチ」
 
 長女がなだめたが三女は聞き入れず、
 
「だっておノド渇いたんテチィッ! このままじゃ干物になっちゃうテチィッ!!」
「オネチャ、もっと御主人様に呼びかけてみるテチ……」
 
 次女が言って、長女も頷く。ほかに対処の道はない。
 
「テチテチィッ!! テチィッ!!」「テチィッ! テチテッチィッ!!」
 
 だが二匹がいくら鳴き叫んでも御主人様の反応はなかった。
 
「テッ…テホッ、ケホッ!!」
 
 次女が咳き込んだ。叫びすぎてノドが枯れたのだろう。
 長女もノドがひりひり痛んで涙が出てきた。
 三女は暴れる力も尽きたか、舌を出して「ハァハァ……テチ……」と荒い息をしている。
 ガラス戸の向こうは都会の夜景。それはお星様に似て綺麗だったけど……
 
「……仕方ないテチ、このまま朝まで待つテチ。朝ゴハンのとき、お水もお願いするテチ……」
 
 長女が言うと、三女が涙声で答えた。
 
「おノド渇きすぎで、きっと朝まで眠れないテチ……」
 
 そう言いながらも疲れきっているせいで、いつの間にか眠ってしまった仔実装たちだが——
 
 
 ------------------------------------------------------------------------------------------------
 
 
 翌朝、仔実装たちが眼を覚ますといつの間にか水槽を覆う布は取り払われていた。
 エサ皿には昨夜と同じ練り実装フードが盛られていたが、水皿は空っぽのままだった。
 見える範囲に御主人様の姿はない。物音もしない。
 
「テチッ!! テチテチィッ!!」「テチィッ!! テチィィィッ!!」
 
 長女と次女は再び叫び始めたが御主人様の返事はなかった。どこかへ出かけてしまったのか。
 
「お水……欲しいテチ……テチュン」
 
 三女がすすり泣く。
 そしてこの日、仔実装たちを苛む地獄は渇水ばかりではなかった。
 時間が経つにつれてガラス戸越しの日差しが容赦なく三匹に照りつけ始めた。
 御主人様はカーテンを開け放ったまま出かけてしまったのだ。
 
「……テェェェッ……干物になるテチ……」
「……それ、きのうも聞いたテチ……」
「……きょうこそホントに干物テチ……」
「……干物の話は聞きたくないテチ……余計におノドが塩辛くなりそうテチ……」
 
 水槽の床にだらしなく転がったまま言い合う三女と次女に、隅で膝を抱えて座っている長女が、
 
「妹チャたち、しゃべると体力消耗するテチ……じっと大人しくしてるテチ……」
「……テェェェェェッ!?」
 
 突然、三女が奇声を発して跳ね起きた。ドレスの上から腕や腹を掻きむしり、
 
「カユカユテチッ! このお洋服カユカユテチッ!!」
「……ワタチもカユカユになってきたテチ……」
 
 寝転んだままの次女も身体中を掻き始める。長女は慌てて三女に駆け寄り、
 
「下の妹チャ、掻いちゃダメテチッ! 上の妹チャもダメテチッ!」
「でもカユカユテチッ! このお洋服イヤイヤテチィッ!」
「きっと汗でかぶれたテチ……カユカユ……テチュン…」
 
 次女が身体を掻きながら、すすり泣く。
 長女は三女のドレスを裾からめくり上げた。おなかや脚に赤い湿疹が出ていた。
 
「妹チャ、ドレス脱ぐテチッ!」
 
 急いでドレスを脱がせてやったが、そうすると直接、肌を掻いてしまうことになる。
 掻くといっても丸っこい実装石の手では爪を立てるわけではない。
 強くこすっているだけなのだが、皮膚を刺激しすぎていい影響はない。
 
「カユカユテチッ! カユカユテチィッ!」
「我慢するテチッ!」
 
 じたばたもがく裸の三女を、ぎゅっと抱き締めて長女は押さえ込む。
 
「お水があれば……汗を拭けるのに……」
 
 次女がつぶやくのを聞いて、ひらめいた。
 
「妹チャ、お肌ナメナメしてキレイキレイしてあげるテチ! だからじっと我慢するテチ!」
「テェェェッ……」
 
 泣きじゃくる三女を床に寝かせつけ、長女はその身体を舐め始めた。
 きのうから水を飲ませてもらっていないから長女自身ほとんど唾液が出ない。
 だが妹のためと思って懸命に舌を動かすうち、徐々に唾が湧いてきた。
 
「……ごめんなさいテチ……オネチャ……」
「いいんテチ、姉妹は助け合うものテチ。カユカユは収まっテチ?」
「まだテチ、それに今度はヒリヒリもしてきテチ……」
「ここはお日様が当たりすぎテチ……」
 
 長女は顔を上げて怨めしげに空を見やった。
 太陽が眩しすぎて、すぐに眼を伏せることになったが。
 次女がのそりと起き上がって長女に言った。
 
「……オネチャ、ずっとナメナメしてたら疲れるテチ? ワタチが代わるテチ……」
「ワタチは大丈夫テチ、上の妹チャは無理しなくていいテチ」
「ワタチだって妹チャのオネチャテチ。オネチャこそ無理しすぎてパキンしたら困るテチ……」
 
 それを聞いて長女は次女と交代した。
 次女が三女の身体を舐めている間、長女は背を丸めて水槽の隅に座り、じっと動かないようにする。
 そうすれば日光を浴びる身体の範囲が小さくなり、体力の消耗が抑えられると思ったのだ。
 
「……御主人様はひどいテチ……ワタチたちをこんな目に遭わせテチ……」
 
 三女が言って、次女が諭すように、
 
「きっとお水もカーテンを閉めるのも忘れただけテチ、ワタチたちが苦しんでるのを見たら謝ってくれるテチ」
「謝っただけじゃ許さないテチ……金平糖よこせテチ……」
「そんなこと言っちゃダメテチ、糞蟲と思われるテチ……」
「テェェェン……ワタチたちは良い仔テチィ……でも良い仔のところを御主人様に見てもらえないテチィ……」
 
 その点は三女の言う通りだと長女は思った。
 ペットショップで買われてからいままで御主人様と、ほとんど会話らしい会話もしていない。
 次女が長女に言った。
 
「オネチャ、御主人様が帰ったらお願いするテチ、ワタチたちが良い仔のところをちゃんと見てほしいテチと」
「わかったテチ、三匹でお願いすれば御主人様もきっと聞いてくれる筈テチ」
 
 長女も頷いて言う。
 仔実装たちは御主人様への信頼を失っていなかった。この時点では、まだ——
 
 
 ------------------------------------------------------------------------------------------------
 
 
 長女と次女は日が傾くまで交代で三女の身体を舐め続けた。
 三女の全身の皮膚は湿疹と日焼けを併発したせいか無残に赤く腫れていた。
 
「…テェッ…テェッ…」
 
 熱も出てきて呼吸が荒い。長女と次女には対処方法が思い浮かばず、ひたすら妹の身体を舐めるだけだ。

「もう唾が出ないテチ……」
「無理しないで妹チャ、ワタチが代わるテチ」
「でもさっき交代したばかりテチ、もう少し頑張るテチ……」
 
 次女は三女の肌に舌を這わせ続ける。
 そのとき、玄関の鍵が回される音がした。
 
「…テチィッ!! テチテチテチイッ!!」
(……御主人様が帰って来たテチ! 御主人様、妹チャが大変なんですテチッ!)
 
 長女は立ち上がって呼びかけた。次女は三女の身体を舐め続ける。
 部屋に入って来た御主人様は、じろりと水槽に眼を向けた。
 そして大股に歩み寄って来ると、
 
「……さっそく同属喰らいかッ、この糞蟲がッ!!」
 
 次女を片手で張り飛ばした。
 
「…デヂャッ!?」
 
 長女にも三女にも、殴られた当の次女にも何が起きたか理解できなかった。
 次女は水槽の側面のガラスにぶつかった。ぐちゃっと何かが潰れるような音がした。
 そしてその身体が床に転がる。
 一瞬の静寂の後——
 
「テヂャァァァァァッ!! デギャァァァァァッ!!」
(おててが! おててが!! ママァァァァァッ!!)
 
 じたばたと床の上で身悶えながら、次女は身を引き裂かれたような悲鳴を上げた。
 左手の肘が本来と逆に曲がり、折れた骨が皮膚と肉を突き破って外に突き出していた。
 長女と三女も悲痛な叫びを上げる。
 
「テェェェェェッ!!」「テピィィィッ!!」
(妹チャ!!)(オネチャのおててがぁっ!?)
 
「姉妹を裸に剥いて喰おうなんて大した躾け済みだッ! 最初から愉しませてくれるなあオイッ!?」
 
「テチャァッ!! テチャァッ!!」
(おててがぁっ! おててがぁっ!)
 
 泣き叫ぶ次女に長女が駆け寄って抱き起こした。
 
「テチャァァァッ!!」
(妹チャ! しっかりするテチッ!)
 
「勝手に同属喰らいなんて許さねえからなッ! テメェたちには死ぬ自由も与えねえぞッ!!」
 
 御主人様は言い捨て、水槽から離れていった。
 
「おててが痛いテチ! おててが痛いテチ! ママ助けテチィッ! ママァァァッ!!」
「妹チャ! 落ち着くテチ! 暴れたらもっと痛いテチ!」
 
 長女の仔実装には泣き叫ぶ妹を抱き締めてやることしかできなかった。
 
 
 ------------------------------------------------------------------------------------------------
 
 
 しばらくたって次女はようやく大人しくなった。
 痛みが収まったわけではなく暴れる力が尽きたのだ。
 うわ言のように苦痛を訴え続けているのは変わらない。
 
「……イタイイタイテチ……イタイイタイテチ……」
「オネチャ……ワタチはカユイカユイイタイ……テチ……」
 
 床に身を投げ出したままの三女も訴える。
 長女は泣いて妹たちに謝った。
 
「ごめんなさいテチ……妹チャたちを助けてあげられなくて……何もできないオネチャテチ……テチュン」
「……オネチャが謝ることじゃないテチ……」

 三女が言ったが、長女は首を振り、

「まだお水ももらえてないテチ……きのうの夜も眠らずにいれば御主人様にお水をお願いできたテチ……」
 
 涙を拭うと、すっくと立ち上がった。
 
「…テチテチテチッ!! テチテチィッ!!」
(……御主人様、ワタチたちの話を聞いてほしいテチ!)
 
 風呂上がりらしい御主人様が洗った髪をタオルで拭きながら水槽の前に来た。
 
「……なんだ?」
 
「テチッ! テチテチテチッ! テチテチテチテチ…!」
(御主人様を怒らせたことは謝りますテチ、でも上の妹チャは下の妹チャを食べようとなんてしてないテチ)
 
 長女の仔実装の懸命の訴えを、御主人様はリンガルの画面と相手の顔を見比べて無表情に聞く。
 
「テチテチッ! テチテチテチィッ! テチテチィッ!」
(汗と日焼けでお肌がカユイカユイイタイになったのを舐めて楽にしてあげようと思っただけなんテチ)
 
「……それで?」
 
 御主人様は話の先を促す。
 
「テチテチテチッ、テチテチテチテチ…」
(だから上の妹チャを怒らないでほしいテチ、それとお水がなくなりましたので頂きたいテチ……)
 
 無実の罪で次女を傷つけた御主人様を非難するのではなく、あくまで下手に出るかたちで長女は話をした。
 飼い実装は御主人様にお仕えする立場だ。御主人様が黒と言えば白いものも黒と思わなければならない。
 仔実装たちはブリーダーからそこまで教えられたが、きちんと理解できている個体は稀であった。
 なまじ人語を解して小賢しい知恵を持つだけに、
 
「でも、この場合はワタチのほうが正しいテチ」
 
 などと考えて御主人様に口ごたえする実装石が多いのである。
 だが主人の立場である人間がペットに過ぎない相手に論破されて愉快に思う筈がない。
「生意気」「可愛くない」というネガティヴなイメージを持たれてしまう。
 それが積み重なると、いずれ実装石自身に非のある失敗をした途端、虐待や捨て実装の悲劇を招くのである。
 あくまで下手から切々と御主人様に訴えかける長女は実装石の中でも稀有に賢い個体といえた。
 自分たち実装石の立場を、よくわきまえているのだ。
 そして訴えが通じたのか、
 
「……わかった」
 
 御主人様は水皿を拾い上げてその場を離れ、いっぱいに水を入れて戻って来た。
 
「あとでスポンジに消毒薬をしみ込ませて渡す。それで妹の身体を拭いてやれ」
 
「テチテチ…」
(ありがとうございますテチ御主人様……)
 
「それと水皿をもう一つ、栄養ドリンクを入れて用意するから腕の折れた妹に飲ませてやれ」
 
「テチィ…」
(本当にありがとうございますテチ……)
 
 長女の仔実装は深々と御主人様に頭を下げた。
 
 
 ------------------------------------------------------------------------------------------------
 
 
 翌日は御主人様はレースのカーテンを閉めて外出した。そのおかげで日差しは和らいだ。
 水皿には水がたっぷり入っており、もう一つの水皿には次女のための栄養ドリンクも補充されている。
 きのうはなかったトイレ(皿に砂を敷いたもの)も用意されていた。
 エサは固形の実装フードだったが味が濃すぎる練りフードよりはいい。
 床に座った三女の背中を消毒薬のしみ込んだスポンジで拭いてやりながら、長女は訊ねた。
 
「妹チャ、カユイカユイイタイの収まったテチ?」
「はいテチ、オネチャありがとうテチ。そろそろ服が着たいテチ、でももうドレスはイヤテチ」
「まだ肌が赤いから夜まで我慢したほうがいいテチ。御主人様が帰って来たら実装服を返して頂くテチ」
「そうするテチ」
 
 長女は今度は、壁にもたれて座り込んでいる次女を見やる。
 次女の左腕には包帯が巻かれ、短く折った割り箸で添え木がしてある。
 
「上の妹チャは大丈夫テチ?」
「おててイタイイタイのままテチ……お薬を飲んで早く治すテチ……」
 
 次女はよろめきながら立ち上がり、栄養ドリンクの入った水皿の前へ行った。
 膝と右手を床につき、水皿に顔を突っ込んでドリンクを一口、飲むと、「テチャッ!?」と声を上げる。
 
「このお薬、きのうよりアマアマテチ! これなら早くファイト一発になれるテチ!」
「テェェェッ!? アマアマずるいテチ! ワタチも飲みたいテチ!」
 
 三女が不満げな声を上げたのも聞こえてないのか、ぴしゃぴしゃと次女は夢中で栄養ドリンクを啜る。
 
「妹チャは塗るお薬で我慢テチ、飲むお薬は御主人様が上の妹チャのために用意してくれたテチ」
 
 長女がたしなめたが三女は首を振り、
 
「ワタチも日焼けで大ダメージ受けたテチ! アマアマのお薬を飲まなきゃ治らないテチ!」
「……妹チャッ!」
 
 長女は三女の頭を叩いた。
 
「テッ……?」
 
 びっくりした顔で三女は長女を振り返り、それから両手を眼元に当てて泣き出した。
 
「テェェェン! オネチャにぶたれたテチィ! ママにもぶたれたことないのにテチィィィッ!」
「いまの我がままを聞いたらママだって妹チャをぶつテチ!」
「テェェェェェン! ママァッ! ママァァァッ!!」
「……オネチャ、妹チャにお薬を分けてあげていいテチ」
 
 見かねたように次女が申し出たが長女は首を振り、
 
「我がまま実装は飼い実装失格テチ! 下の妹チャ、泣くのやめないならペットショップに帰るといいテチ!」
「テェェェン! テェェェン!」
 
 三女は泣きじゃくるばかりだ。
 
「……テチャァッ?」
 
 不意に次女が素っ頓狂な声を上げた。
 
「お……おなかゴロゴロギュルギュルになってきたテチ……」
「大変テチ! 妹チャ、ウンチはトイレでするテチ!」
「も……もう間に合わないテチ……」
 
 次女がその場に尻餅をつくと、ぶばっと異音が鳴り響いた。
 ドレスの裾から緑色の飛沫が周囲に飛び散り、臭気が辺りに漂いだす。
 三女が左右色違いの眼を見開いて、
 
「テェェェッ!? お薬の皿にウンチが混じったテチ! もう飲めないテチ!」
「それどころじゃないテチ! 妹チャ、大丈夫テチ!? お薬に悪いものが混じってたテチ!?」
 
 ふるふると身震いしている次女に長女が駆け寄り、抱き起こす。
 三女は諦めきれないのか、
 
「混じってるのはウンチテチ……アマアマのうちに飲みたかったテチ……」
「下の妹チャ、お薬を飲んで上の妹チャはゴロギュルになったテチ! それでもまだ我がまま言うテチ!?」
「アマアマ独り占めしてガブガブ飲んだからテチ……」
「妹チャ!」
 
 長女は叱りつけたが、しかし三女の言うことにも理はあると思い直す。
 甘くて美味しいといっても薬として用意されたものである。がぶがぶと一度に大量に飲んでいい筈がない。
 
「上の妹チャ、大丈夫テチ? おなかイタイイタイテチ?」
「……イタイイタイテチ……」
 
 頷いた次女の尻から、また異音がして軟便が吹き出す。
 
「……テェェェッ、ドレスがウンチまみれテチィ……」
 
 次女は両手を眼に当てて泣きじゃくった。
 
「上の妹チャも実装服を返してもらうテチ、せっかくのドレスだったけど仕方ないテチ……」
 
 長女はため息混じりに言った。
 どうしたら御主人様の機嫌を損ねずに事情を説明できるかと悩みながら……
 
 
 ------------------------------------------------------------------------------------------------
 
 
 夕方、きのうと同様に玄関の鍵が回る音がした。御主人様が帰って来たのだ。
 
「テチテチテチィ! テチ…テチテチィッ!」
(御主人様お帰りなさいテチ! あの……お話がありますテチ!)
 
 長女は呼びかけたが、御主人様はそれに答えず、
 
「……なんだか家の中が臭いな」
 
 しかめ面で言いながら水槽に近づいて来て、黄色のドレスを糞で緑の斑模様に染めた次女を見つけた。
 腹を下して衰弱した次女は御主人様の帰宅にも気づかず、床に脚を伸ばして座り込んでいる。
 御主人様は無言で次女に手を伸ばすと、親指で右膝を強く押した。ぽきんと軽い音がした。
 
「……テヂャァァァァァッ!?」「テヂャッ!?」「テビャァッ!?」
(痛ッ!? ……アァァァァァッ!?)(妹チャ!?)(オネチャ!?)
 
 次女は悲鳴を上げ、続けて長女と三女が叫んだ。
 
「トイレも使わず糞を垂れ流しか。だったら脚は必要ないよな、トイレまで歩こうともしないんじゃ」
 
 御主人様は次女の前髪をつかんで無理やり引き起こした。次女は両腕をばたつかせて、
 
「テヂャァッ!? テギャァッ!? テェェェェェ……チベッ!?」
(おてて痛いっ! あんよ痛いっ! 髪が抜けちゃうテチッ! 放しテェ……チベッ!?)
 
 次女はトイレ用の皿に向かって投げ捨てられた。皿がひっくり返り、乾いた糞と砂が床に散らばった。
 
「きょうからその便所を寝床にしろ! そこから一歩でも動いたら手足を引きちぎってやる!」
 
「テェェェ…」
 
 みじめな声を上げた次女に長女が駆け寄り、
 
「テチィッ!!」
(妹チャ!)
 
 ふんっと面白くもなさそうに鼻を鳴らし、御主人様は水槽から離れていった。
 ぶるぶると痛みと恐怖で震えている次女を長女は抱き締めてやる。
 
「妹チャ! しっかりするテチッ!」
「イタイテチイタイテチ……モウウンチシナイテチ……カミヲヌカナイデテチ……ウンチシナイテチカラ……」
 
 顔は蒼ざめ口から泡を吹き、次女は放心状態だ。
 
「……オネチャ、もうイヤテチ……」
 
 三女がつぶやくように言って、ふらりと立ち上がった。
 
「お水はもらえない、お日様でカユイイタイになる、下のオネチャは、おててとあんよをポキンされる……」
「……妹チャ……?」
「こんな飼い実装生活ありえないテチ……ペットショップに帰らせてもらおうテチ……」
「なに言ってるテチ! まだ御主人様にワタチたちが良い仔だというところを見てもらってないテチ!」
 
 長女は叱りつけたが、三女は首を振り、
 
「アイツはワタチたちの良いところなんて見ようとしてないテチ……泣き顔を見たがってるだけテチ……」
「妹チャ……!」
 
 三女は、すっと息を吸い込むと精一杯の声を張り上げた。
 
「テチィッ!! テチテチィッ!! テギャッデヂィッ!!」
(やいクソニンゲン! オマエに御主人様の資格はないテチ! さっさとワタチたちを返品するテチッ!)
 
「テチャァッ!! テチィッ!!」
(妹チャ! そんなこと言っちゃダメテチッ!)
 
 慌てて長女がたしなめるが、すでに聞こえてしまっていたようだ。
 表情をこわばらせて戻って来た御主人様に、三女はさらにわめき散らす。
 
「テヂャッ!! テェッ!! テギュァォッ!! テフゥゥゥッ!!」
(クソニンゲン! オマエは最低の飼い主テチ! 愛護派のマネしたいだけなら野良にエサをやってろテチ!)
 
 リンガルの画面に表示された台詞を一瞥し、御主人様——俊郎は三女に冷たい視線を向けた。
 
「俺に飼われるのが不満か? 上等だな、こっちもオマエみたいな糞蟲に用はない」
 
 俊郎は三女の身体を鷲掴みにした。
 
「だけど返品しても糞蟲じゃ代金は返してもらえないだろう。その分はオマエに立て替えてもらおうか」
 
 三女の前髪が毟り取られた。
 
「…テギャァッ!?」
(ワタチの髪がっ!?)
 
「商品価値のない糞蟲の唯一の財産といったら、服とコレだろ?」
 
 さらに後ろ髪も、ぶちっと引き抜かれてしまう。
 
「テヂャッ!? テヂャァァァッ!?」
(髪がっ!? 大事な髪がぁっ!?)
 
「それじゃあ、野良にエサをやりに行こうか」
 
 俊郎は三女を捕まえたまま水槽の前を離れ、玄関へ向かう。
 
「テチャァァァッ!! テェェェッ!!」
(妹チャ! お願い御主人様、妹チャを許しテチ!!)
 
 長女は叫んだが俊郎は振り向かず、玄関を出て行った。
 
 
 ------------------------------------------------------------------------------------------------
 
 
 三女の仔実装は俊郎の手の中で泣きながら身を震わせていた。
 
「テェェェ…テチィ…」
 
「さっきまで威勢よかったのが禿裸になった途端に降参か、この糞蟲が」
 
 マンションを出た俊郎は近くの公園に向かった。
 ビルの谷間にある小さな公園だが棲みついている野良実装は多い。
 周囲の飲食店舗から出る生ゴミが彼らの繁殖を助けている。
 公園に入って足を止め、俊郎は震えるばかりの仔実装を侮蔑の眼で見た。
 
「ご要望通り野良にエサをやるとしようか、なあ糞蟲」
 
「…テチィィィッ…」
(……クソニンゲン、地獄へ堕ちろテチ……)
 
 もはや助かる望みはないと思い定めたか、最後の勇気を振り絞って三女の仔実装は言った。
 だが俊郎はリンガルの画面を見ておらず遺言は伝わらなかった。
 三女の身体は地面に叩きつけられ、一度バウンドして転がった。もげた頭と片腕がどこかに吹っ飛んだ。
 俊郎はきびすを返して公園を出て行く。
 
「…デプププ…」
(ドレイニンゲンが貢ぎ物を運んで来たデス……)
 
 草叢の陰から姿を現した野良実装が三女の胴体を拾い上げ、くちゃくちゃと喰らい始めた。
 
 
 ------------------------------------------------------------------------------------------------
 
 
 人間用の栄養ドリンクを水で薄めないまま実装石に与えると下痢を起こす——
 ぬいぐるみ用の服は通気性が悪いので仔実装に着せると肌がかぶれてしまう——
 いずれも俊郎がネットから得た知識だった。
 自称愛護派の女性が開設しているブログ『ヤンデジ☆ママの反省ノート』が情報源である。
 テーマは「実装石にデレデレのヤングママが飼育上の失敗を反省する」。
 だが失敗は毎日、更新のたびに起きており飼い実装のミドリとキミドリ親仔はそのたびに泣きを見ていた。
 紹介される失敗も具体的で偶発的な事故の筈なのに写真やときには動画まで添付されている。
 軽妙なブログの本文からして反省の色は限りなく薄い。実装石の嘘泣きの涙のように。
 そのため執筆者は本当は虐待派で失敗は故意によるのではないかとネット上の噂になっていた。
 当人の意図がいずれであるにしろ、ブログが実装石の虐待に使えるネタを提供していることは確かである。
 そう。
 俊郎は故意に仔実装たちを痛めつけていた。そのために仔実装を「飼う」ことにしたのである。
 
 
 ------------------------------------------------------------------------------------------------
 
 
 マンションの部屋に戻ると、残る二匹の仔実装はすすり泣いていた。
 だが俊郎の帰宅に気づき、長女の仔実装が涙を拭って立ち上がる。
 
「テチテチテチ…」
(御主人様、妹チャたちがごめんなさいテチ。でも上の妹チャは反省してますテチ、許してくださいテチ……)
 
 リンガルの画面を見やり、俊郎は眉をしかめた。
 禿裸で連れ出された妹の運命も気がかりでならない筈だ。
 だが、あそこまでの暴言を飼い主に向かって吐いて許される見込みは皆無である。
 ならば手足を折られた妹だけでも救ってやろうと、あえて禿裸のことは口に出さないのだろう。
 
「……糞が臭い。ドレスを捨てるから脱がせろ」
 
「テチィ…」
(はいテチ……)
 
 俊郎の命令に素直に従い、トイレ皿の横に倒れたままの次女を長女が抱き起こしてドレスを脱がせた。
 コンビニの空の買い物袋を差し出され、長女はその中に糞まみれのドレスを捨てる。
 手が震えていたのは恐怖と悲しみ、あるいは怒り、いずれのせいか。
 だが長女は利口だった。次女を守るために利口に振る舞った。
 しかし——その思いは次女に通じていなかった。
 裸で床に寝かされた次女が、苦しげな声で言った。
 
「…テチテチィッ…?」
(……ニンゲンさんはギャクタイ派だったテチ……?)
 
「テェェェッ!?」
(妹チャ!? 何を言い出すテチッ!?)
 
「…テェッ…テチャァ…」
(……おててもあんよもイタイイタイされて……これがギャクタイじゃないなら何テチ……?)
 
「……糞蟲がッ!」
 
 俊郎はドレスの入ったコンビニ袋を次女に投げつけた。中身が軽いので大したダメージにならなかったが。
 
「この程度が虐待に入るか糞蟲ッ! 待ってろ、いまから虐待らしい虐待を味わわせてやるッ!!」
 
「テチテチィッ…!!」
(待ってくださいテチッ! 妹チャは痛くて混乱してるテチッ! 許しテチッ……!!)
 
 長女が必死になって叫ぶが俊郎は答えずマンションの部屋を出て行った。
 
 
 ------------------------------------------------------------------------------------------------
 
 
 俊郎が向かった先は仔実装たちを買ったペットショップだった。
 前回の女性店員の姿は見当たらず、店長の名札をつけた男に俊郎は声をかけた。
 
「前に仔実装の三匹姉妹を買った者ですけど……」
 
 店長は三匹まとめ買いの上客を覚えており満面の愛想笑いになった。
 
「先日はありがとうございます、仔実装ちゃんたちは元気ですか?」
「ええ、それできょうは相談があるんですが……」
 
 人と面と向かって話すのは苦手だった筈だが怒りに任せてすらすらと言葉が出た。
 仔実装たちの妹が入荷していたら購入したい、あるいは同じ母親から生まれた蛆実装でもいい。
 家族が増えたら三姉妹も喜ぶだろうから……
 すると店長は愛想笑いのまま眉だけを困ったようにハの字にした。
 
「実は、あの仔実装ちゃんたちの母親は繁殖を上がってしまって、今後姉妹の入荷予定はないんですよ」
「入荷済みの蛆はいないんですか?」
「蛆ですか……あいつらは血統がどうのってモノじゃないから母親の素性までは……」
 
 実装石の出産の際に、いくらかの割合で生まれてくる未熟児が蛆実装である。
 ひたすら脳天気に生きている蛆は「なごみ系」のペットして一定の人気がある。
 しかし躾けに成功する例は稀であり、繁殖用実装石から生まれた蛆でも賢さは野良と大差がない。
 生まれ育った環境が野良より清潔というだけで値段がついているのがペットショップの蛆実装である。
 だから高値はつけられず、ひと山いくらの扱いだった。
 ちなみに売れ残って大きく育ちすぎた個体はピラニアなど肉食魚の生餌になるのはペット業界の裏常識だ。
 
「……でも同じブリーダーから仕入れた蛆がいるから、その中に母親が一緒の奴がいるかも知れませんね」
「でしたら、その蛆を全部買いたいのですが」
 
 俊郎が申し出ると店長は眼を丸くした。蛆自体は安価とはいえ、赤の他実装までまとめ買いとは。
 しかし店の側も商売だ。上客の申し出を拒む理由はない。
 もっとも、このとき接客していたのが俊郎を虐待派と疑う女性店員だったなら。
 蛆の中に仔実装姉妹の身内がいる可能性は伏せていただろう——
 俊郎は三十匹余りの蛆実装をまとめて買って帰った。
 
 
 ------------------------------------------------------------------------------------------------
 
 
 床に寝たまま荒い息をしている次女を、長女は口移しで水を与えて看病した。
 
「ごめんなさいテチ、オネチャ……アイツが帰って来たらオネチャまでギャクタイされるかもテチ……」
「気にしないでいいテチ、妹チャ。オネチャも御主人様のあの仕打ちは許せなかったテチ、でも……」
 
 長女は首を振り、
 
「御主人様が本当にギャクタイ派ならワタチたちが反抗したら思うつぼテチ」
「反抗しなくてもギャクタイされたテチ、ワタチは何も悪いことしてないのに……テチュン」
「妹チャが良い仔なのはわかってるテチ」
 
 長女は微笑み、次女の頭を撫でた。
 
「御主人様が帰ったら、今度はオネチャが話をするテチ。ワタチたちが良い仔だとわかってもらうテチ」
 
 やがて俊郎が帰宅した。
 
「テチテチテチ…」
(お帰りなさいませ御主人様……)
 
 長女の仔実装が精一杯の——だが、こわばった笑みで迎えたが、俊郎はわずかに眉をしかめただけで、
 
「オマエたちに土産だ」
 
 そう言うと手にしていた虫カゴを傾け、中にいた三十数匹の蛆実装を仔実装たちの水槽にばら撒いた。
 
「テチャァァァッ!?」「テェェェェェッ!?」
(蛆チャがいっぱい降ってきたテチ!?)(いったい何テチッ!?)
 
「…レピェッ!?」「レヂャッ…」
(落ちるのイタイレフ!?)(潰レ……フ……)
 
 最初に落ちた数匹は衝撃で身体が弾けたり、あとから落ちてきた連中に押し潰されたりした。
 だが彼らがクッションになって、ほとんどの蛆は大した怪我をせずに済んだようだ。
 
「レェッ…」「レフゥ…」「レフレフ」「プニフー」「レフ…」「プニフー…」「レ…?」
(落ちたのイタイイタイレフ……)(蛆チャもイタイイタイレフ……)(蛆チャは痛くないレフ)
(いいからプニしてレフ)(イタイイタイはイヤレフ)(泣いちゃう前にプニしてレフ)(ママどこレフ?)
 
 唖然としている仔実装たちの周りを蛆たちは好き勝手に這い回り始めた。
 
「レフー?」「レー?」「レフレフ…」「プニフー」「レ…?」「レフゥ…」「プニフー」「プニフー」
(ここどこレフ?)(よそのオネチャがいるレフ)(蛆チャのオネチャと違うレフ)(いいからプニしてレフ)
(ゴハンがあるレフ)(蛆チャのゴハンレフ)(よそのオネチャたちプニしてレフ)(プニしてレフ)
 
 目ざとい何匹かはエサ皿へ向かい這って行く。
 別の数匹は仔実装たちの前で仰向けになってプニプニをせがむ。
 あるいは呆けたように天井を見上げる蛆、何もないほうへ這って行く何も考えてなさそうな蛆。
 潰れた仲間の肉片を舐め始める糞蟲素質丸出しの蛆、やっぱり呆けたように天井を見上げている蛆。
 その間に俊郎は、いったん水槽の前を離れて「仕込み」の道具を用意した。
 裁縫セット、カッターナイフ、金平糖……
 
「レフレフ…?」
(こっちもゴハンレフ……?)
 
 一匹の蛆実装がトイレからこぼれた糞に這い寄った。
 
「テチテチテチィッ!!」
(蛆チャ、それはゴハンじゃないテチ!)
 
 長女が叫んだが、その蛆実装は聞いておらず糞を舐め始めてしまう。
 駆け寄って止めようにも、ほかの蛆たちが足元を這い回って邪魔している。
 
「レフッ…!? レフレフッ!?」
(このゴハンの香味、そして食感!? これは蛆チャのママのウンチとそっくりレフ!?)
 
「テェェェ…」
(だからゴハンじゃなくてウンチだと言ったテチ……)
 
 悲しげに首を振る長女の仔実装を、蛆実装が振り返って訊ねた。
 
「レフレフレフッ!?」
(まさかオネチャたち蛆チャのホントのオネチャレフ!?)
 
「テチャァッ!?」
(蛆チャはワタチたちの妹チャの蛆チャテチ!?)
 
 長女は驚いて眼を丸くする。
 
「……お誂え向きだな。生き別れの妹との感動の再会か」
 
 戻って来た俊郎が糞を舐めていた蛆実装をつまみ上げた。何も知らない蛆は暢気な様子で、
 
「プニフー?」
(ニンゲンさんプニプニしてくれるレフ?)
 
「テチテチテチィッ!! テチィィィッ!!」
(御主人様やめてテチ! 蛆チャは何も関係ないテチ!)
 
 叫んだ長女を、じろりと俊郎は睨み、
 
「関係は大ありだろ、オマエたちの妹だ」
 
 俊郎は仔実装の姉妹に見せつけるように、蛆実装をサイドテーブルの上で仰向けに転がした。
 
「プニフー♪ プニフー♪」
(これはプニプニの体位レフ♪ 蛆チャ準備オッケーいつでもカモンレフ♪)
 
 だが俊郎は蛆実装の腹を指で愛撫する代わりに、カッターナイフで縦に切り裂いた。
 
「レッ…!?」
(プニらないレフ!?)
 
「テチャァァァッ!! テェェェェェッ!!」
(蛆チャ! 蛆チャァァァァァッ!!)
 
「レフ…?」
(蛆チャおなかイタイレフ……ニンゲンさん何かしたレフ……?)
 
 きょとんとしている蛆の腹を指で押し広げ、腸らしい臓器をつまみ出す。
 裁縫セットから糸を出して腸管に結わき、伸ばした糸を針山に刺したままの針に通して玉結びする。
 それから蛆実装の眼の前に金平糖をちらつかせた。
 
「レフ…?」
(それ何レフ……?)
 
「まさか金平糖を知らないのか。仕方ない、舐めてみろ」
 
 俊郎は蛆実装の顔に金平糖を近づけ、舐めさせてやる。途端に蛆の眼が輝いた。
 
「レフレフレフゥッ!?」
(アマアマレフ! これが噂に聞いた金平糖レフ!?)
 
「喰いたいなら自分で取りに行け、ほら」
 
 俊郎はテーブルの上に蛆実装から離して金平糖を置いた。
 そして切り開かれた傷口から腸をはみ出させたままの蛆を腹這いに転がしてやる。
 蛆は金平糖に向かって、もぞもぞと這い進み始めた。
 
「レフレフ…レフレフ…」
(やっぱりおなかイタイレフ……でも蛆チャ金平糖のために頑張るレフ……)
 
「テチャァァァッ!!」
(蛆チャ、そこから動いちゃダメテチィッ!!)
 
 長女の仔実装が悲痛に叫ぶ。
 蛆実装に針山を引きずるほどの力はなく、ずるずると腸のほうが腹から引き出されているのだ。
 
「…レフレフ…レフゥ…」
(おなかイタイレフ……蛆チャ少し休みたいレフ……ニンゲンさんプニプニしてほしいレフ……)
 
「金平糖にたどり着いたら望み通りにしてやるよ」
 
「…レフ…レフ…レ…」
(……おなかイタイレフ……でも金平糖とプニプニのために蛆チャ頑張るレフ……頑張る……レ…フ…)
 
 パキン、と、何か小さなものが壊れる音がした。
 蛆実装は白眼を剥き、ぐったりとしてその場から動かなくなった。
 俊郎は眉をしかめ、
 
「偽石が割れたか。脆すぎて面白みもないな」
 
「テヂャァァァッ!! テヂャァァァッ!!」
(蛆チャァッ!! 蛆チャァァァッ!!)
 
 泣き叫ぶ長女の足元に二匹の蛆が這い寄って来た。
 
「レフレフレフェ…?」「レフレフゥ…?」
(オネチャ、蛆チャのオネチャレフ?)(オネチャたちのウンチ、蛆チャのウンチと同じ匂いレフ)
 
「テッ…!? テェェェッ…!!」
(うそっ!? 蛆チャたちも妹チャ!? でもいまはダメテチ!! オネチャから離れてるテチッ!!)
 
「レフレフ…?」「レフレフ、プニフー♪」
(何でレフ?)(初めてオネチャに会えたレフ、まずはプニプニしてほしいレフ♪)
 
「姉妹が殺されたのを見ても平気で自分から身内だと名乗り出るとは、さすが脳天気な蛆だな」
 
 俊郎は長女の足元の蛆実装を一匹つまみ上げ、ぷちっと指に力を込めて潰した。
 
「レピャ…!?」
 
「テェェェェェッ!! テチャァァァァァッ…!!」
(蛆チャァァァッ!! お願いです御主人様ッ、もうやめテチッ……!!)
 
「レェェェッ!! レェェェッ!!」
(ぷちっはイヤレフ〜! 蛆チャさよならレフ〜!)
 
 ようやく身の危険を悟り、逃げ出そうとしたもう一匹の蛆も俊郎に捕まった。
 
「レフゥッ!! レフゥッ!! レェェェッ!! プニフゥッ…プヂュッ!?」
(ぷちっはイヤレフ! イタイのイヤレフ!! 蛆チャはプニプニ以外は希望しないレ……ピャァァァッ!?)
 
 俊郎は潰した蛆の死骸を長女の仔実装の足元に放り投げた。
 長女は、ただ泣きながら立ち尽くすばかりだ。
 
「テッ…テェェェッ…」
(蛆チャ……せっかく会えたのに……)
 
「きょうからオマエたちエサは無しだ、腹が減ったら蛆でも喰っとけ」
 
 俊郎は仔実装たちに向かって言い放つと水槽に布をかぶせた。
 
「…テヂャァァァッ!!」
(……このギャクタイ派ァッ!!)
 
 次女の仔実装が叫んだが俊郎は無視した。
 
 
 ------------------------------------------------------------------------------------------------
 
 
 二日ほど放置してから水槽にかぶせた布を取り除いた。
 手足を折ってやった次女の仔実装は水槽の真ん中に仰向けに転がっていた。
 その傍らに長女の仔実装が座り込んでいる。
 周りでレフレフ鳴いている蛆実装は半分ほどに数を減らしていたが生き残った連中は元気そうだ。
 仲間の死骸や糞を喰らう根性のある糞蟲たちだろう。
 裸のままの次女の全身は蒼ざめ眼球は白く濁っていた。
 
「レフー…レピャッ!?」
 
 次女に近づいて来た蛆実装を長女が払いのける。そうやって妹の死体がエサにされるのを防いでいたのか。
 
「テチテチ…テチテチテチ…」
(妹チャ、パキンしたテチ……)
 
 長女の仔実装がつぶやくように言った。
 
「テチ…テチテチテチ…」
(おててとあんよが痛いって泣いて、ゴハンは蛆チャに全部食べられて、どんどん泣き声が弱くなって……)
 
 仔実装は乾いた涙の跡のある顔を上げ、俊郎を見た。
 
「テチテチテチテチ…」
(御主人様にお願いがありますテチ……)
 
「……何だ?」
 
 訊き返した俊郎の顔を、じっと仔実装は見つめて、
 
「テチテチテチ、テチテチテチテチ…」
(ワタチに一日だけチャンスをくださいテチ、ワタチが良い仔だって証明してみせますテチ……)
 
 無言でいる俊郎に、仔実装は訴え続ける。
 
「テチテチテチテチ、テチテチテチ…」
(一日だけでいいテチ、ちゃんとペットとしてワタチを扱ってほしいテチ、そうすれば……)
 
「……オマエらは存在自体がキモイんだよ」
 
 俊郎は言った。
 
「ペット? 笑わせるな。いまの立場こそオマエらにふさわしいんだ。仲間の死骸や糞を喰らって生きるのが」
 
「……テヂャアアアアアッ!!」
 
 仔実装は、これまで俊郎が聞いたこともないほど大きな叫びを上げた。
 気圧された俊郎の見ている前で、ドレスをまくり上げて腰を落とし、ぶりぶりと脱糞を始めた。
 
「この……糞蟲ッ!!」
 
 強烈な臭気に鼻を押さえながら俊郎はわめく。
 仔実装は自らひり出した糞をつかむと、俊郎に向かって投げ始めた。
 
「テヂャアアアッ! テヂャアアアッ!!」
(ワタチはペット実装テチッ! ニンゲンに可愛がられるために生まれてきたテチッ!!)
 
「汚ねえッ! このッ、クソッ!!」
 
 俊郎は後ずさりながら手で払って糞を避けようとするが、次々と緑色の汚物は飛んでくる。
 あっという間に部屋中が糞まみれだ。
 
「ヂャギャアアアッ! デヂュォアアアッ!!」
(苛められるために生きてるんじゃないテチッ! ワタチを可愛がれテチィィィッ!!)
 
「このっ……この糞蟲があッ!!」
 
 服を糞まみれにされながら、俊郎は水槽に近づいて仔実装の身体をつかんだ。
 じたばたと暴れる相手の前髪を毟り、後ろ髪も半分毟ってから相手を水槽の底に叩きつけた。
 
「…デヂャッ!?」「レピャッ!?」「レェッ!?」「レ…」
 
 仔実装の身体はバウンドして空っぽの水皿にぶつかった。何匹かの蛆が巻き添えになって潰された。
 
「……はあっ、はあっ……」
 
 俊郎は肩で息をしながら仔実装を見やる。
 仔実装は、ぴくぴくと痙攣するばかりで起き上がる様子はない。
 俊郎はガラス戸を開け、水槽をベランダに運び出した。
 
「そこで干物になって死ねッ!!」
 
 怒鳴りつけると、ぴしゃりとガラス戸とカーテンを閉めた。
 
 
 ------------------------------------------------------------------------------------------------
 
 
 数日後の夕方——
 俊郎は帰宅途中にマンションの近くのコンビニへ立ち寄った。
 適当な弁当を一つ買い、温めないまま店を出る。
 店員が気を利かせて買い物袋の口を縛ってくれたのは、わざと解いておいた。
 そして、ゆっくりと公園に向かって歩き出す。
 
「…デププ…」
「…テチャッ!?」
 
 すぐに背後に気配を感じ、袋がいくらか重くなる。
 俊郎は気づかないふりで歩き続け、公園に入った。
 ベンチに腰かけ、袋を広げると、早くも弁当に手をつけて口の周りを汚した仔実装が中にいた。
 
「…テッテレー♪」
 
 野良の仔実装は右手を口元に当てて小首をかしげ、得意げに媚びポーズしてみせた。
 そこに親らしい実装石が駆け寄って来て仔実装をつかみ上げると、ぺこぺこと頭を下げ始めた。
 
「デスデスデスデス…デスデスデス…」
 
 俊郎が家に着かないまま弁当を広げてしまったのが計算違いだったのか。
 
「べつに弁当は怒ってない。さっさと行け」
 
 そう言ってやると、親実装は首をかしげる。
 
「デス…?」
 
 俊郎はリンガルを起動してもう一度、同じことを言ってやった。
 すると親実装の眼が、ぎらりと光り、堰を切ったようにまくし立て始めた。
 
「デスデスデスデス! デスデスデスデス!」
 
 リンガルの画面上をテンプレートそのままの親実装の言いわけがスクロールしていく。
 
『自慢の仔デスおなかを空かせているんデスどうかニンゲンさん飼ってくださいデスできればワタシも……』
 
 俊郎はコンビニの袋を脇に置いてベンチから立ち上がった。
 
「……オマエらホント糞蟲だな」
 
「…デッ!?」
 
 不穏な空気に一歩、後ずさりした親実装を俊郎は蹴り倒した。
 はずみで仔実装も親の手から飛ばされ、地面に転がった。
 
「デェェェェッ!?」「テヂャァァァッ!!」
 
「甘い顔をしたら途端につけ込もうとする。大人しく引き上げれば助けてやったのに」
 
「デェェェェェッ!!」
 
 じたばたと慌てて親実装は立ち上がり、逃げ出そうとした。転んだままの仔実装は置いてきぼりだ。
 
「テチャァァァ…チベッ!?」
 
 俊郎は、まず仔実装を踏みつけて血と肉と糞の塊に変えた。
 それから大股に歩いて親実装に追いつき、後ろから蹴り転がして地べたにキスさせる。
 
「デギャァッ!! デギャァァァッ!!」
 
 じたばたともがく実装石の背中を踏みつけて、
 
「弁当は怒ってない、本当だ。だけど託児という行為自体がニンゲンを舐めきってるだろう?」
 
「デジャァァァッ!! デギャァァァッ!!」
(バカニンゲン! 高貴なワタシから足をどかすデス! そしていますぐ土下座すれば許してやるデス!)
 
「断る」
 
 俊郎は実装石の後頭部に踵落としを喰らわせた。
 二発、三発、四発……辺りに血が撒き散らされ、実装石がぴくりとも動かなくなるまでそれを繰り返した。
 
 
 ------------------------------------------------------------------------------------------------
 
 
 実装石など虐待したところで何も面白いことはないと俊郎は思い始めていた。
 あまりに脆く、無力で、みじめたらしい連中だ。
 野良実装が相手なら少しは気が晴れるかと思ったが見込み違いだった。
 人間を舐めきった下等動物に制裁を加えたところで、それは「当然」の行為でしかない。
 小うるさく飛び回る蚊を潰すのと同じことである。
 野良実装は存在自体が不快であり、それを当然に制裁したところで気分的には差し引きゼロだ。
 だが、ネットの記事によれば虐待派マニアにとって実装石の虐待は制裁と少し意味合いが違うらしい。
 マニアは実装石を「上げ」て「落とし」たときの反応を愉しむという。
 つまり駆け引きを伴うゲームである。
 自分はゲームのルールに反し、「上げ」の手間を省いて仔実装たちを「落とし」た。
 たから愉しみを得られなかったのか。
 
 
 実装石は感情表現豊かな存在だ。「上げ」れば喜び、ときとして増長して高慢さを剥き出す。
「落とし」たときは悲痛に泣き叫び、我が身の不幸を声高に訴える。
 そんな連中を「上げ」て「落と」すには——
 
 
 コミュニケーションが必要なのだった。
「上げ」「落とし」は実装石の感情への訴えかけだ。「上げ」て喜ばせ、「落とし」て泣かせる。
 いや。
 単純な実装石は例えば金平糖一粒に大喜びし、頭を一発殴りつければ大泣きする。
 実装石の扱いなど簡単だ。
 それなのに「上げ」てから「落と」すのを避けてしまったのは——
 
 
 自分には向いていなかったのだと俊郎は思った。
 コミュニケーションなど。人間相手でも、実装石相手でも。
「上げ」るつもりなら上っ面だけ優しくしたり、心にもない褒め言葉でおだて上げればいい。
 だが家に迎えた仔実装たちに、俊郎はほとんど言葉をかけなかった。作り笑顔も向けなかった。
 そうしたコミュニケーション上のテクニックなど俊郎にはなかったから。
 
 
 仔実装に直接、手を下すのは終わりにしようと俊郎は思った。
 これまで身も心も痛めつけてやった。俊郎が虐待派に(半端ながらも)属する人間だと理解しただろう。
 この先、俊郎の下で「飼われて」いる限り、仔実装は次の虐待がいつ始まるかと怯え続けることになる。
 それで充分だろう。何もしなくても勝手に恐怖を味わってくれるのだから。
 帰ったらエサと水を与えてやろう。水には栄養剤を混ぜてやろう。このまま衰弱死されてもつまらない。
 衰弱しきった身体で固形のエサは受けつけないかもしれない。
 だが練り餌を作ってやる気にはならないので、半生タイプの実装フードを買って来よう。
 公園を出た俊郎はコンビニへ戻った。
 
 
 ------------------------------------------------------------------------------------------------
 
 
 結末は唐突に訪れた。
 コンビニを出た俊郎は横断歩道を渡っている途中で信号無視の車に轢かれた。
 救急車で病院へ運ばれたが多臓器不全で医師にも手の施しようがなく死亡した。
 警察が被害者の身元を確認し、妹の晶子へ連絡が届いたのは夜遅くなってからだった。
 終電が出たあとだったので晶子は叔父の運転する車で二時間かけて病院へ駆けつけた。
 霊安室で兄の亡骸にすがりついて泣いた。
 俊郎を轢いた運転手は七十歳代の老人で認知症の兆候があった。
 事件は翌日の新聞の地方面に小さく掲載されたが、それきり続報はなかった。
 
 
 ------------------------------------------------------------------------------------------------
 
 
 俊郎の死からさらに数日後、晶子が兄のマンションを訪れた。
 気持ちの整理もまだついていない。部屋を完全に引き払うのは、しばらく先になる。
 だが取り急ぎで処理する必要のあるものだけ片付けておこうと思った。
 たとえば室内に腐った食品があって虫でも湧いたら隣近所の迷惑だろう。
 気になることもあった。
 兄が事故の直前にコンビニで買った品物を警察から引き渡されたが、その中に実装石のエサがあったのだ。
 こまめに兄とは連絡をとるようにしていたがペットを飼っているとは聞いていなかった。
 だが、あまり自分のことを語りたがらない兄である。
 いつの間にか新しい「家族」を迎えていたのかも知れない。
 
 
 室内に実装石を飼育している水槽はなかった。
 部屋飼いしている様子もない。エサ皿や水皿、トイレなどが見当たらない。
 しかし台所の戸棚には開封済みの徳用実装フードがあった。
 どこで飼っているのだろう?
 ひとまず部屋の換気をしよう。ずっと閉め切りだったのだから。
 ベランダのカーテンとガラス戸を開けた晶子は、そこで仔実装が入れられた水槽を見つけた。
 
 
 仔実装は裸だった。そばに汚れたドレスがあり、自分で脱いだらしい。
 痩せた身体は乾いた糞で汚れ、前髪はなく、後ろ髪も半分失っていた。
 その状態で水槽の隅に座り込んでいた。
 小さな肩が呼吸に合わせて上下しているので、まだ生きているとわかった。
 エサ皿と水皿は空っぽ。水槽の内と外は糞で汚れている。外の糞は仔実装が投げたのだろうか。
 いつからこの仔は、ここに「一匹」でいるのだろう?
 
 ——自傷行為。
 
 そんな言葉が晶子の頭に浮かんだ。
 それ以外の答えが思い浮かばなかった。
 きっと兄は一人暮らしの寂しさを紛らすため仔実装を飼い始めたのだろう。
 だが何らかの理由で仔実装は心を病んでしまった。
 大事な筈の髪を自分で引き抜き、ドレスも脱ぎ捨てた。周りに糞を投げ、昼夜を問わず泣き喚いた。
 手に負えなくなった兄は仔実装を水槽ごとベランダへ出したのだろう。
 だが、ちゃんとエサの世話はしてやっていた。だからコンビニでフードを購入したのだ。
 それが晶子の想像した、仔実装にまつわる顛末だ。
 
 
 子供の頃は優しい兄だった。優しいけど人間的に不器用だった。
 中学でイジメに遭って不登校になった。そのせいで高校は志望校のランクを落とすしかなかった。
 大学は一年浪人して希望通りのところに進んだけど就職活動で失敗した。
 それでも懸命に生きていた。
 口下手な筈なのに自分の得意なパソコン関係の話になると途端に饒舌になった。
 晶子のほうは機械音痴で、パソコンの操作についてたびたび電話やメールで兄を頼った。
 兄は快く何でも答えてくれた。
 優しい兄だったのだ。
 だから、その兄が実装石を虐待していたなど晶子には思い及ばなかった。
 さらにいえば——
 エサの尽きた仔実装が実の妹の死体や一緒に水槽に入れられていた蛆実装を食べて生き延びたことも。
 晶子には全く想像できなかった
 
 
 ------------------------------------------------------------------------------------------------
 
 
 晶子は兄のマンションの近くの動物病院で仔実装に応急手当をしてもらった。
 そして自宅に帰ってから、あらためて地元の動物病院へ連れて行った。
 二十代の青年獣医は一目で仔実装が意図的な虐待を受けていたことを見抜いた。
 だが、晶子にその事実は伝えなかった。
 
「この仔は兄の忘れ形見です。優しい兄が可愛がっていた筈の仔です。だから、どうしても助けたくて……」
 
 そう語る妹に、彼女の兄が虐待師であったなどとどうして伝えられるだろうか?
 獣医は必要な薬を処方し、さらに仔実装の回復のために適切な対処方法をアドバイスした。
 元栄養士の晶子は回復期に食べさせるエサについて質問した。
 
「実装石は基本的に何でも食べて栄養にしますが、いまは消化器系が弱ってるでしょうから……」
 
 獣医の回答をメモに取り、その内容について晶子はさらにいくつか質問した。
 晶子の真摯な態度に獣医は感銘を受けた。
 自分よりも年上で、兄を亡くしたばかりで憔悴している様子もあったが、素敵な女性だと思った。
 
 
 ------------------------------------------------------------------------------------------------
 
 
「——四葉(よつば)、若葉、用意はいい?」
 
「デスデスデス」「テチテチテチィ♪」
(はいデス、御主人様)(お任せテチ♪)
 
 晶子のウエディングドレスの長い裾を、成体実装と仔実装がつかんでいる。
 水色とピンクのドレス姿の二匹は親仔らしい。
 仔実装は亜麻色の髪を可愛らしく三つ編みに結んでもらっている。
 成体のほうは花で飾った帽子をかぶっている。
 ウェディングマーチが聴こえてきて、晶子は実装親仔を振り返り、微笑みかけた。
 
「さあ行くわ。ゆっくり歩くけど、ちゃんとついて来て。転ばないようにね」
 
「デスデスデスデス」「テチテチィ♪」
(気をつけますデス)(若葉チャは大丈夫テチ♪)
 
 式場の扉が開き、晶子は二匹の実装石を従えてヴァージンロードを歩み始める。
 祭壇の前で彼女を待つ新郎は、実装石たちの主治医でもある獣医の青年だ。
 俊郎に「飼われて」いた仔実装は獣医の治療と晶子の看護で順調に回復した。
 初めは新しい「飼い主」を警戒し糞投げを繰り返していた仔実装も、やがて晶子に心を開くようになった。
 兄の忘れ形見である仔実装に、晶子が心から優しく接したから。
 仔実装が本来の聡明さを示し始めると晶子は喜んだ。
 躾けの全てはブリーダーから仕込まれたものだったが、晶子は兄が教えたものだと考えた。
 仔実装は俊郎が自分たち姉妹にした仕打ちを晶子へ告げなかった。
 晶子が兄のことを語るときは、いつも笑顔であった。
 兄の優しさを信じている彼女に真実を告げていい筈がないと聡明な仔実装は考えたのだ。
 そして——
 仔実装は「四葉」と名前を与えられた。
 ほどなく、その名の通りの幸運を四葉は晶子にもたらした。
 四葉がかかりつけている獣医の青年からの食事の誘い。やがて交際が始まり、一年を経て結婚へ——
 成長した四葉は一足先に母親になった。
 四匹の仔のうち三匹は愛護派の里親に引き取られ、晶子が手元に残した一匹は若葉と名づけられた。
 晶子の結婚式での「トレーンベアラー(ドレスの裾持ち)」は四葉と若葉が務めることになった。
 
(——見ててくれてる、お兄ちゃん?)
 
 ヴァージンロードを進みながら、晶子は胸の内で天国にいる筈の兄に呼びかけた。
 
(お兄ちゃんの可愛がってた実装石が、わたしに幸福を運んでくれたんだよ——)
 
 晶子は幸せと兄への感謝で心がいっぱいだった。
 
【終わり】

■感想(またはスクの続き)を投稿する
名前:
コメント:
画像ファイル:
削除キー:スクの続きを追加
スパムチェック:スパム防止のため304を入力してください
1 Re: Name:匿名石 2023/08/11-18:42:43 No:00007769[申告]
兄が意図的かは知らんが飼いの長女の妹ばかり殺したり死に追いやってるのが中々に面白い
2 Re: Name:匿名石 2023/11/13-08:49:08 No:00008468[申告]
糞蟲に気圧されるクソニンゲンさんに相応しい末路だけど妹にとってはいい兄だったんだよな…
戻る