タイトル:【哀・虐】 桜の季節
ファイル:【哀・虐】桜の季節.txt
作者:匿名 総投稿数:非公開 総ダウンロード数:11168 レス数:0
初投稿日時:2008/03/28-00:22:51修正日時:2008/03/28-00:22:51
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とある一軒の庭先には、大きな桜の木がある。
一重桜で、樹齢は百年を超えているらしい。
大きく膨らんだ蕾はその花がもうじき美しいピンク色の花びらを広げる事を告げていた。

「ボクー」

園芸用の梯子の上で、庭の樹木を世話していた成体実蒼石……アオイは蕾を綻ばせかけている桜を見上げ嬉しそうに鳴く。
彼女の本能の奥にある『庭師』の血がそうするのか、彼女の鋏は、役目の大半を木々の手入れに費やしている。
偶にやって来る緑色の勘違いしきった慮外者から、この庭や主人の家を守る為に鋏と闘争本能を振るう事はあるが、決して多いものではない。
殆どの実蒼石が駆逐すべき存在である実装石との戦いに生涯を費やすのに対し、アオイの今までの生き方は比較的穏やかなものだった。

病気がちだった孫娘に、慰めになるようにと小学校入学の時に祖父が買い与えた実蒼石がアオイである。
アオイは穏やかな主人に感化されたのか、自ら実装石を狩りに出るような真似はしなかった。
アオイは狩りをしない代わりに、孫娘の寝室の外に広がるこの庭の手入れを始めた。
なかなか学校には通えない主人の目を慰める為にと、彼女は庭師の本能に従って手入れを行っていたのだ。

その主人も、今年で中学校に上がった。
今でも風邪はこじらせ易いが、6年の頃には体育の授業にも出られるようになったと良く聞かされた。
アオイは嬉しかった。元気になりたいって何時も悲しそうに呟いていた少女が、体育に出たり自分と共に通学路を散歩するまでに回復したのだから。

この庭を、あまり見てはくれなくなったのは寂しいけど。

寂しくはあったが、アオイはそれでもいいと思った。
この自分が拵えた箱庭は、主人が身体を病んでいる際に慰めとなるようにしたもの。
主人が健やかになった今、この箱庭は役割を終えた。仕方のない事だ。
それでも手入れは欠かさない。それが、主人の心を慰め続けてくれたこの庭に対する感謝の念だからだ。

ベチャ。

感慨に耽りながら手入れを続けていたアオイの耳に、不愉快な音が聞こえた。
眉間に皺を刻みながらも、素早く音が聞こえた方に振り向く。

「チプププ」

垣根の上に、緑色の汚らしい物体がベットリと張り付いていた。
そして垣根の向こう側、道路の方に小学生の女の子に抱えられた仔実装が居た。
ピンク色の仔実装服、リンガル(愛護仕様)付きの首輪。
言うまでもなく飼い実装であり、洩らした嘲笑と今し方行った行動からして糞蟲であろう。

「こら、テチュちゃん。そんな事しちゃメーでしょ?」
「デチャアアア、チュチュチュア!!」

飼い実装の行った糞投げという蛮行を諫める少女と、反省するどころか逆に猛り狂う仔実装。
暫く両者は言い合っていたが、尚更激しく喚き散らす仔実装に根負けした少女が仔実装に金平糖を与えて宥め始めた。
この少女は、優しいが随分と世間知らずのようだ。そんな甘やかすような真似をすれば、更に状況が悪化するだけなのに。

「解ったから、ね、テチュちゃんは良い子だから、もう怒らないの」
「テチューン♪ …………チプププ」

アオイに対して頭を軽く下げる飼い主と、アオイに対してどころか飼い主すら見下したように嘲笑する仔実装。
この仔実装の中ではもう少女は飼い主ではないのだろう。自分に食事と住処と不自由の無い生活を献上する僕、奴隷としか見てない。
この少女もその両親も可愛い子犬か子猫でも飼う気分で、入学祝いか何かでこの仔実装を購入したのだろうか。
その通りであれば人間にとっても実装石にとっても実に不幸な事である。実装石は、飼える動物の中では尤も扱いが難しい生き物なのだ。
少し育て方を間違っただけで、短期間であの通りに手の着けれない暴君へと成り果てる。

「ボクー」

天敵である筈の実蒼石すら恐れない増長っぷりを見て、アオイは不愉快を露わにはしても怒ったり威嚇したりはしなかった。
そそくさと帰路に付く少女の後ろ姿と、未だに調子に乗って喚く仔実装の笑い声を見送った後。

「…………ボクゥ」

桜の木を見上げ、溜息をついただけだった。
桜は、まだ蕾の状態。この溜息も、毎年この時期に何度吐いただろうか。





桜が満開になった頃。
主人と一緒にアオイは寝室から桜を眺めていた。

「綺麗だよね、アオイ」
「ボク」

桜饅頭と残り物の雛あられを甘酒を飲みながら楽しむ。
中学生の登校は自分の脚で歩める。その為か、主人はこの頃機嫌が良い。
去年までは切なげに春の桜を眺めていたのが、嘘のようだ。

ふと、生け垣の外を人が通り過ぎた。
桜に夢中になっている主人は気が付かなかったが、アオイは気がついた。

それはこの間の少女だった。
幾分窶れた顔立ちで、両腕で小さなダンボール箱を抱え込んでいる。
辺りをキョロキョロ見渡していた所為か、アオイと目があった。

「……」
「…………!!」

少女はアオイの視線から目を逸らすように顔を伏せ、そのまま小走りで去っていってしまった。

「ん、どうしたのアオイ?」
「ボクッ」

何でもありませんと主に答え、アオイは小振りに切り分けられた桜餅を口に放り込む。
ひらり、ひらりと桜の花びらが部屋の中に舞い降り、甘酒の湯飲みにふわりと乗った。





桜の花が殆ど散り、葉桜が目立ち始めた頃。
アオイは小さな箒とちり取りを手に、庭一面に散らばっていた桜の花びらをかたづけていた。

主人は同じ中学校に行く友人達と映画を見に行った。
自分との共有時間が減ったのは寂しい事だが、これも彼女が元気になった証拠。
きっとこの桜も、主が元気になって外へ遊びに行ける事を喜んでくれているに違いない。

「テチィィィ」

感慨に耽りながら片付けを続けていたアオイの耳に、不愉快な音が聞こえた。
眉間に皺を刻みながらも、素早く音が聞こえた方に振り向く。

「テチュゥ……」

生け垣の下の部分を掻き分けて庭に侵入して来たもの。
それは、ボロボロになったピンク実装服を身体のあちこちに貼り付け、後ろ毛が申し訳程度に残った仔実装だった。
アオイには鳴き声で解った。こいつはこの間生け垣を糞投げで汚した仔実装だ。

「チィ、チィィィィ、テチュウウウゥゥ!」

仔実装は生け垣を潜り抜けたかと思うといきなりアオイに対して土下座し、頭を庭の地面に擦りつけ始めた。
小綺麗だった筈のピンクの実装服は緑色の染みがべっとりと付き、不愉快極まりない異臭を漂わせている。

「…………ボクゥ」

仔実装は土下座をしたまま何事かテチテチと鳴いているが、アオイは桜の木を見上げ溜息をついただけだった。
桜はすっかり散り、青々とした葉桜が開き始めている。この溜息も、毎年この時期に何度吐いただろうか。

桜が咲き始める頃、入学祝いなどで仔実装が買われる事が多い。
桜が満開になる頃、手に負えなくなった仔実装が捨てられる事が多い。
桜が散り葉桜が目立つ頃、野良化した仔実装が飼われていた頃の未練を断ち切れず、再度飼われる事を夢見て人家に忍び込もうとする事が多い。

ただ、それだけの事。
実装石の多い街では、珍しくも無い事だ。

「ボクゥ」

アオイは仔実装に顔を上げるように、一言だけ声を掛ける。
これまで仔実装が何を言ったかなど全く聞いてもいない。
嘘八百なお涙頂戴の三文話や、反吐が出るような媚びなど聞きたくも無いからだ。

「……テチ-」

アオイに声を掛けられた仔実装は恐る恐る顔を上げる。
怯えと期待を綯い交ぜにした顔でアオイを見る。
そして右手を口元に持っていき、小首をかしげながら

「テチュ」

媚びた瞬間、アオイは振り上げていたモノを一気に振り下ろす。
正月過ぎに軒先を間借りしようとした越冬実装を駆除した時以来の感触を僅かに感じる。

ドサ。
重いモノが転げ落ちる音がした。

トサ。
続けて何かが倒れる音がした。


春風が一陣、小さな庭を吹き抜ける。
葉桜に紛れて残っていた最後の桜の花びらが、風に巻かれて舞上げられた。

アオイは桜の木を見上げ、溜息をつく。
これからの時期、後々何回か吐く溜息の事を考えながら、アオイは実装回収袋を取りに行こうと物置に向かって歩き始めた。





完




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