-------------------------------------------------- 【まだ見ぬ景色】前編 -------------------------------------------------- とある公園の片隅で、親実装に三匹の仔実装がじゃれついていた。 『ママ、キョウのゴハンはまだテチ?』 『今から探しに行くデス』 『ワタチもついてくテチ』 『ワタチもいくテチー』 『オネエチャンたちがいくならワタチもいくテチュ……』 彼女らはこの公園で暮らす野良実装。 何の変哲も無い、ごく一般的な親仔である。 いや……三日もすれば群れの大半が入れ替わるという壮絶な野良社会からすれば、“一般的”というのは語弊があるだろう。 彼女らのように、家族全員生きている親仔というものはひどく珍しいものである。 『……大丈夫デス、お留守番は危険デス。みんな仲良く一緒に行くデス』 『ホントテチ?』 『ママとイッショテチ、うれしいテチ!』 この親実装は仔実装時代からこの公園で過ごし続け、もう半年以上になる。 一月生きれば一人前、と言われる実装界ではかなりのベテランの域。その経験則から、園内における危険はほぼ熟知していると言っていい。 母としてはなんとも頼もしい限りである。 ……だが、現在その母は非常に悩んでいた。 生きていた中で始めての経験、「冬」という季節の過ごし方だ。 『キョウはドコにいくテチ?』 『木の実はもうどこにも落ちてないデス、人間さんも滅多に来なくなってるデス……』 『テェ……またゴハンバコテチ?』 『ご飯箱はあれからずっと混雑してるデス……あそこは危険な場所になってしまったデスゥ』 冬場は自然の恵みはもちろんのこと、主となる食料の供給源である人間がなかなか公園にやってこない。 繁殖期である恵みの秋を経た群れにとっては、かなり厳しい淘汰の季節でもある。 その為、唯一の食料源となる“ご飯箱”……人間で言うゴミ箱は常に実装の群れで埋め尽くされている。 よほどの体力か権力がない限りは食料の獲得は難しいだろう。 『テェェ……ゴハンバコはコワイテチ……』 母の情報に次女が震える。 彼女はしばらく前にご飯箱あさりに付いて来て、酷い怪我を負っていた。 迂闊にも争奪戦で格闘中の母の元に駆け寄ってしまい、群がっていた野良数匹に踏みつけられてしまったのだ。 これは戦場に仔を連れてきた、母の見通しの甘さが招いた結果と言えなくもない。 だが“ご飯箱”が混雑するという事態は母にとって初めての出来事であったため、仕方の無いことであった。 『デェ……まだ怖いデス?』 幸いにも次女は死に到らず、元通りに再生することはできた。 だが、お気に入りの服の一部とその心に若干の傷を残してしまっていた。 『ゴハンバコイヤテチィ……』 次女はそう呟き、破れた右袖を見ながら腕をさする。 その場所は楕円状にかすかに膨らみ、皮膚はうっすらと色が変わっている。 その時に負った開放骨折の傷跡である。 『大丈夫デス』 そんな次女を見て、母はぐしぐしと次女の頭をやさしく撫でた。 『もうあそこは行かないデス。お前達はママが守るデス、だからもう痛い思いはしないデス』 『……ママァァ!』 母のその優しさに感極まったのか、次女は彼女の懐に飛び込んだ。 『あ、イモウトチャンズルイテチ! ワタチもギュッとしてほしいテチー』 『ワタチも……』 それを見た長女と三女が続々と母の懐へと飛び込んでいく。 『デデェ、順番デス……ママは逃げないデス……♪』 『テェ〜ン♪』 『テッチュ〜♪』 『テチ……♪』 母は己にすがりつく仔らを見てある種の充実感を感じていた。 そして同時に、ある決意を胸に秘めていたのであった。 ——彼女が生まれたのは春。 そのときは“ママ”のおっぱいがあった。 ——成長期は夏。 そのときは遊んだり、妹の世話をしていればいつしか“ママ”がご飯を持ってきてくれた。 ——巣立ったのは夏の終わり。 そのときは地面に落ちている木の実が拾えた。 ——仔を産んだのは秋。 そのときは優しい人間さんから美味しいご飯を貰うことができた。 もちろんこれらは彼女自身の運と、公園の地理的要因があってのこと。 木の実をつける豊富な樹木、そして程よく訪れる昼休憩のサラリーマンやOL、そして家族連れ。 周囲を住宅街に囲まれつつも、うまく共存関係を保った結果と言えるだろう。 さしたる苦労も無く仔実装時代を生きていけたということ事態、野良社会にとっては奇跡と言っても過言ではない。 だが、そんな奇跡に裏打ちされた彼女の加護にも限界はあったのだろう。 食料が確保できなくなるかもしれないというこの現実。それは彼女にとって初めて訪れた「危機」なのである。 (こんなことは……あの暑かった日以来デスゥ……) けだるい暑さの中、姉や妹達と遊びながら“ママ”の帰りを待った仔実装時代。 できればあの頃に帰りたい……だがそれは無理な話。 (思えば、あの頃のママはずっと帰りが遅かったデス……きっとあちこちでご飯を探していたデスゥ……?) かすかな郷愁と同時に“ママ”への尊敬の念があふれ出す。 夏は冬と双璧を成す実装界にとっての「淘汰の季節」である。 それを生き延びるのは相当な知恵と体力、そして運がなければ難しいだろう。 そういう意味で言えば、彼女の“ママ”は尊敬に値する偉実装だったのかもしれない。 (ママ……) 母はその“ママ”との思い出と共に、ただ一度だけ自分に見せた“ママ”の最後の顔を思い出していた。 『デェ……』 そして母は、抱きつく仔らに気付かれないよう、小さくため息を漏らした。 不安? それとも疲れ? ……いや、そのどちらでもない。 『皆、よく聞くデス』 『テェ?』 『ママどうしたテチ?』 『……今日は新しい場所に行くデス』 『アタラシイバショ、テチ?』 そう、母はある禁忌を侵す決意をしていたのだ。 『公園の……お外に行くデス』 『テ? オソトテチ?』 『コウエンのオソト? シラナイテチ!』 『ワタチもいったことナイテチ……』 公園の外。 それはここの野良実装達にとっては未知の領域であった。 昔はときどき食料を求めて出て行く実装が居たらしいが、その多くは戻ってこなかったと言う。 仮に戻ってきたとしてもまともに喋れないに疲弊しきっており、やがて衰弱と心労で死んでしまうのだ。 こうしていつしか“公園の外”とは園内の実装たちの間で“立ち入ってはいけない場所”となっていた。 口伝を何代も重ね、次第に侵してはならない“禁忌”として確立していったのである。 『そうデス。お外デス。お前たちは初めて見る場所デス? ママも初めての場所デス』 『テェェ! ハジメテのバショテッチィ!?』 『スゴイテチ! ワクワクするテチ!』 『オソトってコワイテチ……?』 『ママの“ママ”に聞いたデス……公園のお外には人間さんのおうちがいっぱいあって……ご飯箱があちこちに溢れているそうデス』 『テェェェ! ゴハンバコォ!? イッパイテチ!? コココ、コワイテッチィィ……』 次女は“ご飯箱”という単語に再び恐怖した。 だが母はやさしく諭す。 『大丈夫デス、数が多すぎてワタシたちがいっぱい、い〜っぱい居ても大丈夫らしいデス!』 『テェ?』 『コワイコトがナイ、ゴハンバコテチ?』 『そうデス、怖いこと無くご飯が探せるデスゥ!』 『テェェ! スゴイテッチィ!』 『チュァァ……いくテチ、すぐいくテチ!』 『ゴハンイッパイタベタイテチィ……』 母は嘘をついていた。 怖いことは無い、それは仔らに余計な恐怖を与えないための方便である。 (公園の外、人間さんの世界……そんな場所に安全なんてありえないデス……!) 〜夏〜 暑さによる食糧難の季節。 既に蓄えた食糧は食べつくした。 だが気温は容赦なく体力を奪っていく。 ろくに食事も取れない日々、痩せこけていく姉や妹。 そして“ママ”は禁忌を侵し、公園の外に出た。自身と家族を救う為に。 この夏を乗り切る為に……。 “ママ”が帰ってきたのは何時間後だっただろうか。 その体はあちこち傷に覆われ、服はボロボロとなっていた。 “ママ”は息も絶え絶えな必死の形相で、己が仔らに何度も何度も言った。 「二度と行きたくない」と。 「あそこは天国だが地獄でもある」と。 そして“ママ”は最後に「絶対に公園の外には出るな」と言い残し息絶えた。 ……両手に抱えきれないほどの、大量の食料を残して。 (アレが無ければワタシ達は死んでいたデス……) 危険だからこその“禁忌”。 それを侵せば相応の対価は得られるが……もちろん相応のリスクも覚悟しなければならない。 『……デェェ……』 母は身震いする。 あの日、ボロボロになって死んだ“ママ”が一瞬自分とダブってしまう。 怖い……死ぬのはいやだ。 だが、その“禁忌”を侵さねばこの冬を乗り切ることはできない。 『ママ……?』 『ママ、どうしたテチ……?』 『ダイジョウブテチ?』 母は、自分を心配する我が仔を見下ろした。 自分が今まで生きてこられたのは、この仔らの功績よる部分も大きい。 仔連れというアドバンテージは、ある種の人間には効果が大きいということを彼女は経験から知っている。 (なら……連れて行けば多少は危険が減るかもしれないデス……) そう……彼女は今や“ママ”の庇護下であったあの頃の仔実装ではない。 己の意思と知識で生きる、立派な一匹のベテラン親実装なのだ。 この決断がどう出るかはわからない。 だが、今は生きる為に己の決断に全てを委ねるだけだ。 『さぁ、出発するデスゥ……』 『はいテチ!』 『ゴッハンテチ! ゴッハンテチ!』 『おいしいゴハン……いっぱいテチ?』 そして親仔は歩き出した。 記憶を頼りに、彼女の“ママ”が消えた方角へ……。 その方角には公園の出口がある。 そして……その先には親仔の知らない世界が広がっている。 まだ見ぬ景色が待っているのだ。 【中編に続く】
