実装石の日常 待合室 前編 【これは大変賢い親指実装2匹の話である】 その大きな水槽はいつものように大量の親指実装石を迎えることになる。 80匹余りの親指たちはレチレチ騒ぎながら歩きまわり、新しい環境に興奮していた。 とはいえ別段大した物はない、古ぼけたピンポン玉が2個ありそれが唯一の玩具だ。 他にあるのはトイレと体を洗う小さな水場と給水器。 水槽の外壁はぐるりと黒いフィルムが貼られているため、周囲になにがあるのかは全く見えないが、 天井がないので人間は上からいくらでも見られる。 狭い世界の探検が終わってもレチレチ騒ぐのは止まらない。 「ママ? ママはどこレチー」 「妹ちゃん! お姉ちゃんはここレチ—」 「レチャ———」 大騒ぎだ。 喧騒のなか、右耳が欠けた親指実装が少し大きな親指に駆け寄る。 「お姉ちゃん、探したレチ」 「妹ちゃんがいてよかったレチ————」 姉妹である。 生産施設で選り分けられたものの、いつの間にか再会できたのだ。 「妹ちゃん、お耳がないレチ」 「ニンゲンさんにいきなり切られたレチ—」 念入りに傷は火であぶられ再生しない。 「みんなにいいお話があるレチ!!」 突然明るい声が響き渡る。 声のするほうへ一斉に視線が集中すると、少し痛んだ服を着た右目の無い親指が満面の笑顔で言い放つ。 「ここに来られたみんなはすっごい幸運レチ! ここでいい仔にしていると、ニンゲンさんが楽園に連れて行ってくれるレチ—!!」 急な話に静まり返る親指の群れ。レフーとなぜか混じってしまった蛆が鳴くのがわずかに聞こえた。 構わず片目の親指は続ける。 「ここは、楽園への待合室レチ。いい仔にしていると順番に楽園に行けるレチ」 「楽園?」 「そうレチ。美味しいゴハンやお菓子が食べ放題。面白いおもちゃが山になってるレチ。 でも一度に行けないからここで順番を待つレチ。みんな、いい仔だからここに連れてこられたレチ」 「・・・・・・すごいレチ」 あっさり信じる親指たち。 顔を紅潮させ、レチレチ騒ぎ出す。 「早く行きたいレチ!早く!」 「あまり騒いだりするとなかなか連れて行ってもらえないレチ」 「レチ!」 「お友達と喧嘩せず仲良くしないといい仔とは言えないレチ」 じろり、と睨む親指は説明をやめない。 「心配しなくても、よっぽど悪いことをしない限り大丈夫レチ。でも早く行きたいなら、いい仔にしないとだめレチ」 「いい仔って分からないレチ」 「さっきも言ったように」 優しげに言う親指。 「騒ぎすぎない、喧嘩しない、あとそこのお水で体と服をきれいにするレチ。 ここのゴハンはあまり美味しくないレチ、でも我慢していればそれもいい仔レチ」 「私、いい仔になるレチ!」 「私もレチ」 「みんなで楽園に行くレチッ」 騒ぎを他所に説明を終えた親指は、どこか疲れた表情で水槽の隅まで歩き座り込む。 どこか疲れきった年寄りの雰囲気があった。 「妹ちゃん、良かったレチ」 先ほどの姉妹のうち姉が涙ぐんでいる。 「妹ちゃんと会えただけでも嬉しいレチ。それが楽園まで行けるなんて、嬉しくて涙が出るレチ」 水槽の片隅を見つめ、なにか考え込む妹が顔を上げて姉に告げる。 「・・・・・・お姉ちゃん、私、あのコにお話聞いてくるレチ」 レッチレッチと大歓喜の中を走る片耳親指、水槽の壁を背にしている親指の前まできて挨拶する。 「初めましてレチ、さっきのお話をもう少し聞きたいレチ」 「・・・・・・なんでも答えるレチ」 「あなたはどうしてそのお話を聞いたレチ」 「ニンゲンさんが話してたレチ、私はニンゲンさんの言葉が大体わかるレチ」 「どうして一度に楽園に行けないレチ?」 「楽園はすごく大きいレチ、それでも一度に入れるのは限界があるから順番レチ。 心配しなくてもみんな入れる大きさはあるレチ、時間がかかるだけレチ」 「そのお話本当レチ?」 「しばらくすればニンゲンさんが楽園行きを選ぶレチ」 なんとも言いがたい表情で、 「その時になればお前も私の言うことが正しい、と分かるレチ」 片耳の質問攻めにも淀みのない答え。 「ありがとうレチ」 あれだけ質問できるのだ、かなり賢いらしい片耳はお辞儀して去っていく。 片目の親指はその後姿をじっと見送る。 ・・・・・・お前は私を救いに来た者レチ ************************************* 晩御飯は養殖場より質が落ちる最低の実装フードだった。 カリカリ音を立てて食べ始める親指たち。 上から見ればなかなか爽快な光景かもしれない。80余匹が一斉に食事するというのは。 「美味しくないレチ・・・・・・」 愚痴を言い終えるとすかさずだった。 「悪い仔は楽園に行けないレチ!」 水を打ったように静まり返る親指。 「お、おいしいレチ」 1匹が抱えたフードを持ち上げ笑顔をする。 「私も美味しいレチ」 「美味しいレチ—」 美味しい、美味しいと言って食べるとそう思えてくるのか、自然と笑顔になる親指たちであった。 片耳は笑顔の姉をよそに、スミにいる片目親指が「悪い仔は・・・」と言ったのを見逃さなかった。 食後、寝そべってぼんやりとしていると、急に影が差す。 「ニンゲンさんレチ————————!」 誰かが叫ぶ。 群れは大騒ぎだ。驚いて逃げるもの、立ち上がるもの、腰を抜かすもの・・・・・・。 だが一部の目端の利くものは中央に行って両手を振る。 「楽園レチ! 楽園レチ—」 「私を選んでレチ!」 さっそく楽園行きを志願するものが2匹現れた。 すると人間の手はその2匹をそっと持ち上げる。 レヒャアアア、と眺めているものが声をあげる。誰もが、水槽中の誰もがその光景に見とれていた。 「本当に私、選ばれたレチ!」 「みんなぁ、先に行ってるレチィ」 あっという間に2匹は消え去り、水槽は元の静けさを取り戻す。 一瞬後、 「お話は本当だったレチ!」 「レチャアアアアアアアアア」 「おもちゃ! お菓子ィ!」 「楽園! 楽園レチィー」 姉妹親指は手を取り合って喜んだ。 「本当に行けるレチ!」 「一緒に行くレチ」 しかし、片耳は見てしまう。隅で片目親指が憂鬱な表情でため息をつく姿を。 なにか得体の知れぬ雰囲気が漂っていた。 楽園行きは1日に2,3匹でありあまり多くはない。しかも毎日とは限らず3日間ない場合もあれば連日となるときもあった。 不定期である、というのが良かったのか、いい仔であろうという姿勢は固く守られていた。 喧嘩をせず、しても周囲が仲裁して鎮める。エサのフードは水槽の上に取り付けられた機械から自動的に供給されるが、仲良く分け合う。 大勢がピンポン玉で遊ぶので一応退屈しないし、いい運動にはなる。 誰かが悪さをしようとすると、誰かが言う。 「ニンゲンさんがどこかで見ているレチ・・・・・・」 それで十分であった、たちまち静まり返る。 ************************************* 水槽の中では安定した日々が続く。 時々「楽園行き」があるものの、選ばれればラッキーという感じが漂う。 どうせいい仔にしてさえいれば、誰もが最後に選ばれるのだ。 それよりも悪い仔にならないように気をつけるべきである。 唯一の玩具、ピンポン玉で遊ぶとき、片耳は隅に座り込んだ片目の親指を誘った。 何度目か、片目親指は片耳親指に訊ねた。 「どうしてそんなに私を構うレチ」 「遊んだ方が楽しいレチ、そんなところに座っているよりもレチ」 「・・・・・・ここへ座るレチ」 片目は片耳を座らせると、焼き切られた耳をしみじみと眺める。 「どうかしたレチ?」 「私もお前と同じだったレチ」 何が、と問うところだが片耳は何事かを察し口にはしない。 「なんだか疲れてるみたいレチ、大丈夫レチ」 「お前が助けてくれるなら有り難いレチ、でも断っても恨まないレチ」 大げさな口上に苦笑する片耳。 「私に出来ることならなんでもするレチ」 どこか他者との間に壁を作っている片目であったが、このときは名状しがたい表情で悩み、そして言った。 「本当に私を助けてくれるなら、次の楽園行きのとき、すぐに私のところへ来て欲しいレチ」 「そんなことでいいならお安い御用レチ—」 笑顔の片耳であった。 「先に行っているレチ—」 「待っているから早く来てレチ—」 翌日の昼間、さっそく楽園行きがあった。 馴染んだ仲間との別れは、いくら楽園行きでも寂しい。 先に行くもの、残るものは手を振って別れを惜しむ。 楽園行きが消えると、残った者はあれこれ大声でおしゃべりだ。 これは毎回楽園行きに繰り返される習慣となっている。 いなくなって寂しいだの、楽園はどんなおもちゃがあるのだろう、のと。 楽しい輪から外れ、片耳は片目の前に来ている。 「さ、来たレチ」 「・・・・・・今から話すことは、絶対誰にも言ってはいけないレチ」 「分かったレチ」 す、と片目が立ち上がると、そこだけ黒いフィルムがはがれているではないか。 「壁が!」 「シッ!」 片目、大騒ぎの仲間を見るが誰も気づいていない。 「さ、そこから外の光景が見えるレチ」 促されて見てみると、大小の水槽や檻、カゴがある。 人間ならペットショップと呼ぶだろう空間があった。 驚く暇はない、楽園行きの2匹はそれぞれ違う大きな水槽に人間の手で入れられていく。 そこには先住の生物がいた。 グールドオオトカゲと呼ばれる全長70センチほどの大きなトカゲであった。 オーストラリア・ニューギニアに生息し獰猛な性質で知られる。 果実なども食べるが小動物も好んで捕食し、ペットとして飼われている場合はマウスなどが与えられる。 最初、大きな水槽に入れられたとき、楽園行きの親指は事態を理解しておらず、きょろきょろと周囲を見渡していた。 しばらくすると、のそり、とグールドオオトカゲが近づく。 片耳は楽園行きが大きな口を開いたのを見たし、わずかに悲鳴を聞いた。 生餌の親指は悲鳴をあげて走る。 が、すぐ水槽の壁だ、慌てて横に逃げるがもうトカゲが迫っている、大きな口を開けて。 咬みつかれて持ち上げられた親指が絶叫する。 暴れすぎたせいで、ぼとりと水槽の床に落ちる。 下半身の全てと上半身の一部をかじりとられたまま絶叫し、床を這う。 這って逃げだす姿を、肉片を飲み込みつつ見ているトカゲ。 レチャアアアアアアアアアアアア!!!!!!!。 どうして、なぜ、楽園はどこ!! だれか助けて!!! パニックになりながら助けを求める親指は、また壁にまでたどり着く。 そして下の水槽のフィルムの隙間から見ている片耳と目があった。 狭い水槽で顔見知りでないものはいない上、いくども遊んだ仲だ、よく知っている。 「助けてレチャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」 後ろにはトカゲが迫っていた。 悲鳴を堪えながら、片耳は座り込んだ。 楽園に行ったはずの友達が食い殺された。 ・・・・・・いや、楽園は? あれは何! 「お前は賢いレチ、すごく賢いレチ」 褒めるくせに突き放すかのような片目の一言。 「もしこのことを話せばみなパニックになって取り返しがつかないレチ」 両手を床について吐く片耳。 「お前は本当の世界を知ったレチ」 「あ、あれは何レチ」 息を乱しても片耳はそれだけはなぜか言えた。 「お前が見たそのままレチ。 ここはニンゲンが色々な生き物を飼うところレチ。 そこで私たちはエサになるレチ。 毎日あいつらが食べてるわけじゃないレチ、時々生きたものをニンゲンがやってるレチ。 鼠とか、私たちとか・・・」 「そんなことじゃないレチ!」 大声に数匹振り返るが、2匹が黙ると、もう気にしない。 「・・・・・・楽園はどこにあるレチ!あなたが楽園の話をしたレチ」 「わかっているはずレチ、全部嘘レチここはエサ小屋レチ、食われるのをまつ場所レチ」 片耳はゆっくりと床に膝を突いた。 「今日はここまでにしておくレチ、お前も疲れたろうレチ」 片目はそっと片耳をどけると、いつものように片隅に座る。 するとフィルムの隙間は完全に隠れた。誰も気づけなかったはずである。 床に視線を落としたまま片目は言う。 「お前の辛い気持ちはわかるレチ、私もかつてはそうだったレチ」 その言葉に送られながら、片耳はよろめきながら立ち去った。 ただ、ほかの親指の笑い声が疎ましかった。 ・・・・・・だけどお前は私の救い主レチ 片目の泣き出しそうな心の声など誰にも聞こえなかった。 その夜、照明が落ちて静まり返っても、片耳は寝付けなかった。 姉が熟睡する隣りで寝返りをうち、時々水を飲み、いつしか眠った。 待合室 中編へ続く
