タイトル:【な無】 【虐】過剰適応症候群-下-
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作者:匿名 総投稿数:非公開 総ダウンロード数:1683 レス数:3
初投稿日時:2009/11/13-22:08:48修正日時:2009/11/13-22:08:48
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<前回のあらすじ>

どこにでもあるような平凡な地方都市、「にじうら市」。
各地で悩まされているように、この街でも公園の野良実装対策に頭を痛めていた。
ふたばとしおきの一家の住む地域の自治会は、その対策として、捨てられた実装石を地域住民によって一時保護する
という方法を編み出した。

駆除の済んだ公園に流入する「渡りの実装石」と並んで、公園の実装石コロニーの中核となる、捨てられた「元・飼い実装」が
公園に定住するのを防止するために考えられたアイデアだ。

そんなこんなでふたば家に引き取られた「元・飼い実装」にして「現・捨てられ実装」のミドリ一家は、なんとかふたば家の
飼い実装になろうと、騒動を繰り広げる。

ミドリ一家が保健所の回収車に引き渡されるまで、あと一週間足らず。
ミドリ一家は果たして、ふたば家の飼い実装になれるのか……?









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 リンガルを再度仕掛けてからしばらく経った昼過ぎのこと。
昼食を済ませた俺は、2階の自室のPCで某匿名画像掲示板を覗いていた。
週半ばの休みというのはどうしてもだらけた過ごし方になってしまう。
そんなだらけた俺の気分をいっぺんに吹き飛ばす悲鳴と大音響が、階下から響いてきた。
オフクロの声だ。
なにごとかと俺は慌てて一階に駆け下りる。昼寝していたオヤジも目を覚まして、一緒に声のした仏間へと飛び込んだ。
最初に目に入ったのは、ひっくり返った仏間の花瓶。そして腰を抜かしてへたり込んでいるオフクロだった。
 オヤジがオフクロを抱き起こし、大声で言う。

「なにがあった、どうした!!」

 オフクロは声も上げず、ただ指で庭に面した窓を指し示す。
親父が立ち上がろうとしたのを制して、俺が庭に目を向けると、そこには、うごめく三匹の実装石がいた。
家の中の音に驚いたジョンが吼えているにも関わらず、3匹とも平気な様子で座り込んで無心に何かをしている。
確認しようと縁側の方に回って縁台に出て、俺は息を呑んだ。

 実装石たちが、ジョンの糞を喰らっている。

「デスデスゥ♪」
「テチッチッチ♪」
「テッチャ、テッチャ!」

 三匹三様の奇声を上げながら、ジョンの糞をほおばり、咀嚼している……俺は慌てて縁台の下のリンガルを引っつかむと、
それを庭の実装石に向けた。

「そうデッスン。ハナもサクラも、ちゃんとオウンチ食べるデスー」
「ママァ、ちっちゃいオウンチおちてたテッチ♪」
「えらいデス、残したらおこられるデスッ ぜんぶちゃんと食べるデスッ」
「マッマァ、やっぱり食べられないテッチ! こんなのカイジッソウのすることじゃないテッチ!」

 ミドリがジョンの糞を細かくちぎり、仔実装のハナとサクラに分け与えている。
サクラは嬉々としてクソを喰らっているが……ハナが抵抗しているようだった。

「ワガママいっちゃダメデスゥ……ワンさんのオウンチを食べれば、ニンゲンさんもほめてくれるデスゥ」
「どうしテチ? おかしいテチ!」
「おかしくないデスゥ……オウンチをおトイレで出来ないワンさんのお世話をワタシたちがしてあげるんデスゥ」
「テェエエエ。いやテチ! いやテチィ!!」
「しょうがないデスゥ」

 デッコイショ、と腰を上げたミドリは、ダンボールハウスの隣、エサ皿から実装フードを取ってくると、ハナの前に置いたジョンの糞
の塊に一粒、もう一粒といった具合に埋め込んでいった。その作業の間じゅう、ちらちらと俺のほうに視線を送っていた。
そして、仏間の方にも視線を向けて、ニタニタと……

「オヤジ、カーテン閉めてくれ!」

 俺は仏間に叫ぶ。
オフクロの泣いている声がかすかに聞こえた気がしたが、オヤジの「おう」という声にかき消されて聞こえなくなった。
返事がしてすぐに、仏間の庭に面した窓にカーテンが引かれた。
ミドリは「デッ」とマヌケな声を上げ、がくりと肩を落としたが、すぐに気を取り直し、俺のほうににやついた顔を向けながら、
実装フード入りのジョンの糞団子をこね回しはじめた。
笑顔の形に歪められた口の端には、実装石のクソとはまた違った、犬の糞そのものの茶色いカスがこびりついている。

「ほら、これでどうデスゥ? これなら食べられるデスゥ?」

 実装フードを混ぜ込んだジョンの糞の塊を、ミドリはハナに差し出した。それでもハナは

「いやテチッ!」

 と顔を背ける。俺の見ている前でワガママを言う仔を見られた、そのことに蒼ざめたミドリは、両腕でハナをつかむと、
無理矢理その口にジョンの糞を詰め込んだ。
ハナは母親の腕の中で暴れるが、鼻をふさがれ、息が出来ない苦しさから、やがてぐったりし始める。

「さぁ、食べるデスゥ……」
「グムゥ……ムグッ……オゲェエ」

 血涙を流しながら、リンガルでも翻訳できない呻き声を上げながら、ハナはついにジョンの糞を飲み込んだ。
ロクに咀嚼もせずに飲み込んだせいだろう、喰い終わるとそのまま激しく咳き込んだ。
ハナが喰い終わったのを見届けると、ミドリとサクラは自分の分の糞に取り掛かる。

「ようやく食べたデスゥ……えらいデッスン♪ これでニンゲンさんにほめてもらえるデッス(チラッ」
「ハナちゃんも最初から食べればよかったんテッチュン♪(チラッ」

 糞を食いながら呟きながら、2匹の親仔は俺のほうをしきりに窺う。胸の悪くなる光景だった。
真っ昼間、一家総出でジョンの糞を喰らう実装石の親仔。あまりの光景に目眩がする。
平静を取り戻すべく、視線をいったんそらした俺の耳に、調子っぱずれな「歌」が聞こえてきた。

「テッテロチューン♪」(オウンチウマウマチュン♪ オウンチウマウマチューン♪)
「テッテチューン♪」(ワンちゃんのオウンチウマウマテッチューン♪)

 ハナが歌っていた。
犬の糞をすすんで食らうという現実に精神が崩壊してしまったようで、赤と緑の両目には、離れた縁台から見ても濁りが窺えた。
飼い実装として生まれ、育ってきた仔実装の脆い精神には耐え切れなかったのだろう。
サクラが壊れていないのは不思議だったが、今はそんなことを考えるよりも、すぐにこの場から逃げ出したかった。

「ハナもちゃんと食べられたデスゥ……えらいデッスン♪ いいこいいこデッスゥ(チラッ」
「ハナちゃんえらいテッチュ! けどさいしょから食べたワタチはもっとえらいテッチ!(チラッ」
「みんな食べたから、今度こそほめてもらえるデスよ!(チラッ、チラッ」

 期待に目をギラギラと輝かせるミドリ一家の視線に耐えられなくなった俺は、何も言わぬまま縁台から家の中に戻り、
縁側の窓を閉め、カーテンを引いた。仏間のカーテンも引かれているので、縁側から続く客間と仏間が薄暗くなった。
隣の仏間に居たはずのオヤジとオフクロの姿は見えない。
それを確認して、俺はその場にへたりこんで、頭を抱えた。まさかこんなことになるとは思っても居なかった。

 オウンチウマウマチュン♪ オウンチウマウマチューン♪ ……♪

 窓を閉めたのに、庭からは壊れたハナの歌声がかすかに響いてくる。
 その声は、しばらくして客間を出た後も、俺の耳の奥から離れなかった。

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 その日の晩。
 オフクロが寝込んでしまったので、俺とオヤジは二人で適当な晩飯をとる。

「まさかこうなるとはなぁ……」

 オヤジがほとんど手付かずの飯茶碗を下ろして、深く息を吐いた。味噌汁の椀もとうに冷え切っていた。
 もそもそと動かしていた手を止めて、俺も茶碗を下ろす。

「迂闊だったよ。くさっても飼い実装なんだから、元野良みたいな真似はぜったいにしないと思ってたんだけど。 考えが甘すぎた」
「としおきだけのせいじゃないさ。父さんも大丈夫だろう、って思ったから引き受けたんだから」

 しかし、とオヤジは言葉を続ける。

「まさか、クソ食いとはなぁ……」

 その一言で、昼間の光景を思い出し、ほとんど消えかかっていた食欲が完全になくなってしまう。


 ……我が家にクソ食いが来るのは、実は初めてではない。
ほかの何者でもない、昔飼っていた実装石、ミドリがそれだったからだ。
ミドリは元々は、父の母、つまり俺の祖母が飼っていた実装石だ。祖母とオフクロは常日頃から折り合いが悪く、祖母と我が家の間には
ほとんど交流がなかった。
しかし、祖母が亡くなって財産を処分する段になって、祖母が飼っていた実装石を、我が家で引き取ることになった。
親戚連中の間でも持て余していた実装石。オヤジの兄弟からは「どうせなら処分しちまえ」という声も出ていたが、元来生き物好きな
オフクロが、「殺すのも忍びない」と引き取ることを申し出たことで、家で飼うことになったのだ。

 オヤジも、オフクロも、もちろん俺も、その時は実装石がどんな生き物か知りもしなかった。

 祖母の実装石、ミドリは我が家での待遇が気にいらないのか、しきりに愚痴を吐いていた。祖母譲りのリンガルに流れる文字はいずれも
「前のゴシュジンサマは良かったデス〜」で始まる、愚痴、愚痴、愚痴。
さすがに呆れたオヤジがリンガルを封印したのは当然だろう。
出来そこないのナマモノの不遜なセリフ、毎日聞いていて楽しいものではない。
自分が引き取ると言い出したこともあってか、表にはださないもののオフクロが特にそのミドリの愚痴にストレスを感じていたようだった。
一番ミドリと接する機会も多かったから、リンガルの不快な文字を目にする機会は、俺やオヤジより多かっただろう。よく我慢したものだ。

しかし、リンガルを封印した後の平穏な日は長くは続かなかった。
しばらくして、ミドリがクソ食いを始めたのだ。
クソを喰らいながら、デッス、デッスと泣き喚く。それが三日ほど続き、最後にはオフクロに自分のクソを投げつけた。
オフクロは心労で倒れ、次の日の朝には、ミドリは居なくなっていた。
オヤジは何も言わなかったが、俺はミドリが処分されたのだと子供ながらに悟った。
後になって分かったのは、オフクロが俺たちに黙ってリンガルを使い、ミドリと話し合ってその不満を解消してやろうと試みていたこと。
それをミドリは散々に罵倒し、あまつさえクソを投げたのだ。
ミドリが居なくなった時はほんの少しの寂しさを感じたものの、その話をオヤジから聞かされたとき、
俺は心底、実装石がどうでも良くなった。あんなナマモノと触れるのは時間の無駄だ。そう思った。

「断った方が良かったのかな……」

 オヤジがボソリと呟いた声で、俺の回想は断ち切られる。オヤジもまた、そうとう参っているようだった。
いくら町内の決まりごととはいえ、事情を説明すれば分かって貰えたかもしれない。軽々しく請け負った自分を責めているようだった。

「オヤジは悪くないよ。オフクロだって我慢するって言ってたんだから。悪いのはあの実装石だ」
「そうかな……」
「そうだよ。もし断ったら近所の人になんか言われるだろ。引き受けたのは間違いじゃないよ」
「……そうだな」

 力なく頷いた後、オヤジは顔を掌で拭い、少ししゃっきりとした声で言う。

「しかしどうする? アレを月末まで預かるのは正直無理だぞ。
 母さんも参ってるし、父さん、明日にでもあいつら保健所に持って行きたいんだがな」
「オヤジ、会社休めないだろ? 俺が何とかするよ」
「何とかするってお前……」
「いいんだよ。俺が面倒見ろ、って言ったのはオヤジだぜ? 気にするなよ。明日の朝にはケリをつける」

 オヤジは何かを言いかけて、途中で口をつぐんだ。それを見て、俺も頷いた。

 明日は大仕事になりそうだ。

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 ほとんど手付かずで残った晩飯を持って、俺は縁側から庭に降りた。実装石たちの、我が家での最後の晩餐だ。
目を丸くするミドリ一家の前にそれを置き、庭を一回りする。
途中でジョンがじゃれ付いてくるのを無視して、目の届く範囲全てを確認したが、ジョンの糞はどこにも落ちていなかった。

 確認し終えると、俺は縁台の下からリンガルを取り出し、もはや見る必要のないログを消去。リアルタイム翻訳に切り替える。
そして再び、ミドリ一家の元へ戻った。

 俺がダンボールハウスに戻ってくるとは思っていなかったのか、エサをがっついていた三匹は、俺を見て硬直する。
いや、硬直したのは二匹、サクラとミドリだけだ。

「デデッ」
「テチッ!」

 ハナは、一心不乱にえさに食いつきながら

「テッテロチューン、テロッテチューン♪」

 と囀っている。
リンガルがそれを拾い、少し遅れて「オウンチウマウマチュン ほかほかオウンチウマウマチューン♪」と表示する。完全に壊れたようだ。
ミドリが慌ててハナをエサから引き剥がし、サクラと並べて土下座させる。
3匹ともビブがジョンの糞の色で汚れていたが、ハナの汚れがいちばん酷かった。糞の色に染まっている。


「おい」


 ついに俺は、実装石に声をかけた。
無視し続けることでミドリ一家の希望を打ち砕き、保健所行きを受け入れさせるつもりだったが、ミドリが自分で考え、行動を起こす
実装石だと分かった以上、それは無駄だった。普通の実装石なら、人間に土下座が受け入れられないと分かった時点で諦めただろう。

 だが、こいつは違う。

土下座がダメなら、ほかのやり方があるはず、そのように「自分で考えて」動いた。
「実装石が考えて動くだけムダ」そう叩き込まれたはずの、飼い実装であるはずの、このミドリが。
このまま無視しつづければ、次はどんな行動を起こすか分からない。そのくらいなら、ここで、最初で最後の釘をさしておいた方がいい。

 俺の声を聞いたミドリとサクラの口許が、顔を伏せていてもはっきりと分かるほどに笑みの形に歪んだ。
リンガルが、顔を伏せたまましゃべりだすミドリの、その声を拾う。

「なんデスか、ゴシュジンサマ」

 すでに俺はこいつにとって「ゴシュジンサマ」になってしまっているようだった。
犬の糞を喰ってまで媚びた反動か、幸せ回路全開らしい。呆れながら俺は、単刀直入に問い質す。
こいつらとの問答に、言葉を費やす価値はない。

「なぜジョンの糞を喰った」

 デ? と一鳴きして顔を上げるミドリ。その顔に得意げな色が浮かぶ。

「ゴシュジンサマのおてつだいデスゥ。ゴシュジンサマがワンさんのオウンチ片付けるのタイヘンそうデスゥ♪」
「余計な世話だ。二度とするな」
「デッ!」
「それから俺はゴシュジンサマじゃない。その呼び方はやめろ」
「デッ、デデデデデでも……」

 ミドリは赤緑の瞳をゴロゴロと動かしながら、どろどろと脂汗を流す。
ミドリがその知恵を絞りに絞って、ようやく辿り着いた最高の方法がクソ食いだったのだろう。
飼い実装としての誇りと矜持をかなぐり捨てて、クソ食いまでして忠誠を示したにも関わらず受け入れてもらえない……
そのことがミドリのプライドを酷く痛めつけたであろうことは、目尻に浮かぶ色付の涙でもわかる。
「でも」の後は抗議しようとしているのか、弁明しようとしているのか、そんなことはどうでも良かった。
俺は断ち切るようにミドリに言った。

「今度からはオレが持ってくる餌だけを食え。いくら美味くても糞は喰うな」
「デ……」

 ミドリは一つ鳴いたきり、俯いて肩を震わせた。怒りを堪えているのか、敗北感に打ちのめされているのか、よく分からない。
黙って見下ろしていると、固まってしまった母親に代わって隣に跪いていたサクラがいきなり立ち上がり、
顔面をウメボシのようにして囀り始めた。

「ゆるせないテチャ! ぜったいにゆるせないテチ!
 おまえ、カイジッソウセキおこらせるなテチャ!!!
 おまえ、いったテチ!
 オウンチたべたらかってやるっていったテチ!
 いったテチ!!
 いったテチャアア!!!!!!」

 リンガルに流れる文字は威勢がいいが、その鳴き声はチィチィと響く耳障りだが小さなもの。
地団駄踏んで悔しがるサクラを見下ろしながら、俺はミドリが反応するのを待ったが、ミドリはまったく動かなかった。

人間を「おまえ」呼ばわりし、約束してもいないことを約束したと「思い込む」。

サクラの言動は明らかに飼いとして躾られたはずの実装石の分を弁えない、異常なものであったが、ミドリはそれを折檻するでもなく、
かといってサクラに同調して実装石らしく人間に向かって声を荒げるわけでもない。ただただ硬直したままだった。

ミドリが動きそうにないのを見て、俺はリンガルを切った。
罵詈雑言の流れていた画面が輝きを喪い、サクラのチィチィという声と……ハナの微かな調子外れの歌声が庭に響く。
いつまでも途切れぬ仔実装の鳴き声を背に、俺は縁側のサッシを後ろ手でそっと閉じた。


 2階の自室に戻ると、俺は手紙を開いた。

『親の名前はミドリといいます。子どもはモモ、ハナ、サクラです。みんないい子です。かわいがって下さい』

 子供らしいたどたどしい文字で綴られた願いを、何度か読み返す。
これを書いた子供のことを思い浮かべ、胸くそが悪くなった。
泣きながら書いたりしたのかもしれない。公園にミドリ一家を捨てた時には、号泣だってしたかもしれない。

だがそれがなんだと言うのだ。
どうせ今ごろはミドリ一家のことなぞケロリと忘れているに決まっている。それを処分する人間のことなど考えたこともないのだろう。

俺はその手紙をびりびりに引き裂くと、ゴミ箱に突っ込んだ。
最後のいっぺんまで丁寧にちぎり終えたころには、わずかに引っかかっていた躊躇も失せ、すっかり覚悟は決まっていた。

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 翌朝はいつもより少し早めに目覚めた。
昨夜のうちに用意しておいたつなぎの作業服に着替え、台所で残っていた実装フードを全部、スチロールの皿に盛る。
餌の入った皿を持って玄関に回り、靴箱からゴム長を取り出して穿く。これを穿くのは一月ぶり。
靴の上部を縛るタイプで、跳ね飛んできた汚れが靴の中に入らないようになっている奴だ。
作業服の裾をゴム長の中にたくし込み、紐を固く結び終えると、靴箱の上の道具を順に取り上げる。
まずは、薄手のビニールの手袋を両手に装着。手首の方に息を吹き込み、ぷう、と膨らませ、手を突っ込む。
粉を吹いたビニール手袋の感触は、何度はめても馴れるものではない。
わずかな不快感に耐えて両手に装着し終えると、その上に軍手を二枚重ねで装着する。
下の軍手は普通にはめたが、上の軍手は作業着の袖をたくし込んで、手首が露出しないようにした。
これで、首から下の肌の露出はなくなり、防御は完了だが、念には念を入れる。
先月使ったあと靴箱の上の棚に放り込んでおいたゴーグルと、使い捨てマスクを取り出して、それぞれ装着する。
具合を確かめたあと、マスクは顎にずらし、ゴーグルは額にずらした。
ずっとはめたままでいるのも窮屈だからだ。その時になってから使えばいい。
爪先から、手の指先まで、あらためて点検して、不備がないことを確かめる。

 全ての準備は整った。

俺は傘立ての隣に立てかけていたバールと、実装処分用のゴミ袋を右手に持ち、エサ皿を左手に持つと、玄関の扉を開いた。

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 バールを縁台に置き、かわって縁台の下のリンガルを取る。
俺がダンボールハウスの前に着く前に、ミドリは土下座の格好で蹲っていた。
顔を上げることもなく、デスデス鳴くミドリにリンガルを向け、スイッチを入れた。

「ニンゲンさまのお手をわずらわせることはないと思うんデス
 ワタシたちにだって出来ることはあるんデス
 なんだっていってくださいデス
 ワタシたちを飼ってくださいデス
 ワタシを飼ってくださいデス
 なんだってするデス
 オウンチ食べるのやめるデス」

 サクラが「テチィイイイイイ」と歯茎を剥き出しにして威嚇していた。
 ハナが「オウンチウマウマチュン♪」と掠れた声で鳴いていた。

 そうした仔実装の声が聞きとれないほどの絶叫で、ミドリは吼えた。

「飼ってくださいデス!!!!
 飼ってくださいデス!!!!!
 ホケンジョはイヤなんデス!!!!!
 ホケンジョはイヤなんデスァアアアアアアアア!!!!!」

 ミドリの絶叫に、サクラとハナが、身を硬くする。
サクラはともかく、狂ったハナまでもが固まるとは、と思いながら黙って見ていると、
ミドリは一度ガバ、と顔を上げ、また額を地面に擦りつける。

「おねがいデスァ!!!!!!!!
 ホケンジョはイヤなんデス!!!!!!!!!
 ゴシュジンサマにいわれたデス!!!
 ホケンジョはイラナイ仔のいくところデス!!!!!!!
 ワタシたちは……ワタシはイラナイ仔じゃないデスゥ!!!!!!
 イラナイ仔じゃないデスゥ!!
 ホケンジョじゃないんデスゥゥウウウウウウウウ!!!!!!!!!!!!!!」

 ミドリの咆哮にあわせるように、仔実装二匹も血涙を流していた。
サクラはホケンジョいやテチィ……と怯えた声で鳴いている。威嚇していたあの威勢の良さはみじんもない。
ハナも、ホケンジョ、いやテチ、と震えた声で言う。血涙の浮かぶその瞳の濁りは薄れ、知性の回復を感じさせる、

 そうして懇願する親仔に、俺は初めて笑顔を向ける。

「わかったよ」

 親仔3匹の表情が、一変する。まるで画面を切り替えたかのように、ほんの一瞬で笑顔に変わった。
切り替えが早すぎて、口許や目許は痙攣を起こしているのが、実装石らしい。

「ほんとデス?」
「ほんとテチ?」
「ほんとテッチィ?」

 小首をかしげ、腕を口許に持っていき……3匹は(実装石自身としては)可愛らしく鳴いた。媚びだ。

 飼い実装なら「ぜったいに行ってはならない」ときつく戒められている、媚び。

 ミドリたちは極度の緊張から解放されて、飼いとしての躾では抑えきれない自分の感情を存分に発露し始めていた。
これが捨て実装がふたたび飼い実装に戻ることのありえない理由の一つだった。いったん決壊すれば、躾の束縛など脆いもの。
「捨てられた」という極度のストレスから解放されると、シアワセ回路の働きが上回り、「躾」がほぼリセットされてしまうのだ。
もちろん野良実装に比べれば格段に飼いやすいが……わざわざ捨て実装を拾って飼うくらいなら、売り物の新品を飼う方がずっといい。

 ……ホケンジョがどういうものなのか、偽石の奥深くにまで刻み込まれていたのだろうに、容易に戒めを破って「媚び」をする。
その「媚び」こそがホケンジョへと連れて行かれる原因になる、そう叩き込まれたのではなかったのか?
偽石に刻み込むほどの厳しい躾を施したとしても、シアワセ回路の暴走はたやすくその限界を超えてのけるのだから、デタラメな話だ。

「誰が媚びろと言った?」

 俺は3匹に尋ねた。暴走の度合いを確かめるために。ここでブレーキが掛けられないのなら、潰すのもためらいはない……が。
ミドリは俺のひと言に表情を一変させ、ふたたび地べたに頭を擦りつけた。

「もうしわけありませんデスゥ!!!!!!!!」

 サクラもそれに続き、少し遅れて、ハナも同じように土下座した。
俺は少しだけ視線を逸らし、気取られないように溜め息をついた。
ある程度、想像はしていたが、ミドリのシアワセ回路の暴走度合いはそれほど強くなかったようだ。
クソ食いという非常に間違った答えに辿り着いたものの、ミドリは「捨てられた」プレッシャーと戦いながら、
必死で新たな飼い主のニンゲンに取り入る術を考えつづけた「賢い」実装石なのだ。容易にシアワセ回路で糞蟲に落ちることはなかった。

「……見なかったことにする。
 ところで、お前たち、本当になんでもするのか」
「もちろんデッス」
「テッチ!」「テチャ!」
「良し。ならば飼ってやる。その代わり今すぐ死ね」

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 しばらくの静寂。
 やがて、ミドリの頬に血涙がひとすじ垂れた。

「死ぬん、デスゥ……?」

 黙ったまま俺はこくりと頷いた。それを合図にしたかのように、ハナがけたたましく鳴き始める。

「ウッマウッマチュン! オウンチオウンチウッマウッマチュン! オウンチ、ウマウマテッチューン!!!♪」

 ブリョブリョ、っとクソを漏らし、それを口に運びながら、ハナは歌いつづけた。
地獄から、天国。そして、天国から、地獄。
いったん天国を見て知性を取り戻したはずのハナは、今度こそ本当に壊れてしまった。
サクラもまた、壊れかけていた。

「テヘッ? テプ、テヘ、テヘヘヘヘププ……」

 くぐもった笑い声で、両手を口許にそろえて目を三日月にして笑っている。サンダルをクソに盛ったあの日のモモにそっくりだった。
3匹の様子を眺めながら、俺は溜め息をついた。もう遠慮することはない。こいつらにはもう俺は見えていない。
覚悟は決めていたものの、やはり憂鬱だった。


 めんどくさい。本当にめんどくさい。
 人間が手を下すほどの存在でもないにも関わらず、こいつらはとにかく生にしがみつく。
 無駄な存在であるのに、その無駄は自分から消えてなくなってはくれない。
 捨てられたその時に、詰んでしまっているのに、意地汚さを存分に示して、既に定まった死から免れようともがく。


 どうでもいい、凄まじくどうでもいい存在なのに、自分の手を汚さないかぎり、それは消えない。
分かってはいたことだが、やはり憂鬱な気分になった。どこかで野垂れ死にしてくれれば、こんなめんどくさい気分にならずに済むのに。
しょせんは実装石を潰すだけのこと。そう言い聞かせても、振り下ろしたバールに感じる感触は、いつまでも尾を引き、残る。
あの不快感を耐えねばならないのだと思うと、もう一度、溜め息が出てしまう。

 しかし、やらねばならない。
今日潰さなければ、回収の日まで待っていては、オフクロが参ってしまう。既にもうじゅうぶん、俺たちは役目を果たした。
愛護派の住人の顔が幾つか思い浮かんだが、すぐに打ち消した。連中には、俺たちほどの世話も出来ないはずだ。間違いなく。
抗議がこようと、堂々としていればいい。

 最後の手間を省くため、俺はミドリに声をかけた。

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 ミドリは跪き、歌いつづけた。
ミドリたち実装石の自慢の歌、彼女たちが歌い継いできた、心の歌を。
沸き立つ心を抑え、跪き、世界に感謝を込めて、心を込めて、歌った。

(ホケンジョじゃなくなった!
 ホケンジョじゃなくなった!)

 彼女は上の空で歌いながら、その喜びを反芻しつづけた。




「わかった。わかったよ。おまえ達を飼わないし、死ねとも言わない。
 ただ、おまえ達を保健所に連れて行くこともないから、安心しろ」

 ニンゲンさまはそうおっしゃったあと、ワタシにモモはどこにいる、とおたずねになった。
隠しとおした方がいいのかも、といっしゅん思ったけれども、ニンゲンさまの命令はゼッタイだから、
ワタシはおトイレに埋めたモモを掘り出して、ニンゲンさまに差し出した。

「俺のサンダルにクソ盛ったから、そのオシオキか」

 ニンゲンさまは、ニコリと笑っておっしゃった。
怒っていない! やっぱり正しかったのだ! ワタシの判断はまちがっていなかった!!
モモを「哀しいこと」にしたのはまちがっていなかった! 見ろ、ニンゲンさまは喜んでいる!
最後まで「哀しいこと」にハンタイしていたハナ。こわれてしまった哀れな仔。
あの仔にも、ニンゲンさまのこの言葉を聞かせてあげたかった。けれど、それももうかなわない……
あの仔がせめて、サクラのようにカシコイ仔であったなら、きっとワタシのしたことを分かってくれただろうに。

 くさりかけたモモを片付けながら、ニンゲンさまはワタシに、おっしゃった。

「確かめたいことがある。
 『シアワセの歌』を歌ってみろ。習ったとおりに」

 顔を見合わせるワタシとサクラに、ニンゲンさまはつづけておっしゃる。

「家じゃおまえらは飼わないが、おまえらが上手く歌えるのだったら、飼ってもらえるかもしれないぞ。 
 普段しているように、歌ってみろ」

 ワタシとサクラはその言葉に従った。飼ってもらえるかもしれない、その喜びが心を満たしていく。

サクラはふだんより念入りに腕と腕をあわせ、顎の下に添えて歌いはじめた。
飼い実装の基礎の基礎。シアワセの歌の歌い方、として最初に叩き込まれるもの、その教科書どおりの歌い方だった。

 ああ、なんてカシコイ仔だろう!
ちゃんとしつけられた通りに、ちゃんと歌えている! 今まででいちばんリッパに歌えている!
わが仔ながらなんというカシコサだろうか……!!

 サクラに負けてはいられないので、ワタシも歌い始める。

『デッデロゲー♪』(かわいいかわいい仔供たち、ママはママになれて幸せデス〜♪)

 モモ、ハナ、サクラ……みんないい仔だった……

『デッデロゲー♪』    (はやく生まれてきて欲しいデス〜 とってもとっても楽しみデス〜♪)

 仔供たちが生まれた日の朝のことを思い出す……ゴシュジンサマもほめてくれた。笑ってくれたあの日の朝……

『デッデロゲッゲー♪』  (世界はとってもきれいデス。やさしいゴシュジンサマがいてアマアマもいっぱいデス〜♪)

 ゴシュジンサマから貰ったコンペイトウ……あったかいオフロ……ステキなおフク……

『デロデッゲー♪』    (みんなで楽しく暮らすデス、仲良く楽しく暮らすデス〜♪)

 ニコニコと笑うゴシュジンサマ、仔供たち、そしてワタシ……




 ミドリは歌いつづけた。
歌いつづけるうち、死から解放された喜びは色褪せ、楽しかった頃の思い出が色鮮やかに甦る。
またあの頃のように、楽しい日々が取り戻せる……!
生き延びた喜びにかわり、これからの生活への期待が、彼女の心を満たしていった……

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 デッデロゲー、デッデロゲー♪
 テッテロケー、テッテロケー♪
 テッテロチューン、テッテロチューン♪   

 リンガルを切った俺には、ミドリたちの『シアワセの歌』は単なる鬱陶しい不快な鳴き声にしか聞こえない。
リンガルにかわってバールを握りしめ、俺は跪いているミドリ親仔のそばへ歩み寄った。

 実装石の『シアワセの歌』は、聴く者の神経をささくれ立たせる。

 バールを握る腕に力を込めて、俺は足音を立てぬようにして彼女らのそばへと、少しずつ、少しずつ近づいていく。


 最初に始末したのは、ハナだった。
壊れたハナは俺の命令に従わず、『シアワセの歌』も歌ってはいない。エサ皿にしてある惣菜トレイに盛られた実装フードを独り占めして
口に次々と押し込みながら、総排泄口からクソを漏らしつづけている。
口いっぱいに実装フードをほおばりながらも、歌を歌うのは止めない。器用なものだ。

 惣菜トレイの上に蹲り、エサを貪るその頭に、L字に曲がったバールの背を叩き込む。
クシュ、と紙くずを丸めるような音がして、ハナの頭が爆ぜた。
文字どおり粉砕されたハナの頭蓋……と言うより上半身があたりに飛び散る。
仔実装を潰すなどというのは初めてだったので、力加減をまちがったようだった。
作業服の膝のあたりにまで跳んだハナの血しぶきクソしぶきを見下ろしたあと、俺は構えたバールを逆にする。
バールの頭、尖った方を正面に向けて構えなおし、ミドリとサクラのほうへと歩み寄った。

 ハナの歌が途切れたあとも、二匹は一心不乱に歌いつづけていた。

 面倒がなくて済む。今、ミドリとサクラはシアワセに満たされているに違いない。

 まずは、サクラ。
バールの先で、サクラの頭巾と服と境目を慎重に見定めたあと、俺はバールを振り下ろす。
いや、バールの先端が自重で落ちるのを支えていただけ、といったほうがいいかもしれない。
さくり、と肉に尖ったものの刺さる感触のすぐあとに、固いものにぶつかった感触、そしてそれを砕いてふたたび肉を割く手触り。
そしてついに、バールは柔らかく地面に食い込んだ。
サクラは一撃で絶命した。頭と胴体が見事に真っ二つにちぎれている。
コロコロと転がる頭が、跪き、歌い続けるミドリの膝にぶつかるが、ミドリは気付かぬ様子で歌いつづけた。
残されたサクラの胴体は、髪の触れていた部分が特に汚れている。短い手の届く範囲の方がまだキレイに見えた。
そんな死骸を見るとはなしに見下ろしながら、「実装石の髪ってほんとに汚いんだなぁ」と、俺はあらためて実感した。


 わずかに横に移動すれば、すぐにミドリの真後ろのポジションにつくことが出来た。
ミドリは跪き、賛美歌のように『シアワセの歌』を歌い続けている。
ハナの歌が途絶え、サクラの歌が途絶えても、ミドリは歌うのをやめなかった。
俺はバールを握る右手に左手を添え、L字の背のほうを正面に向けて両手持ちの体勢を取る。


 こいつらが蚊や蝿みたいな昆虫だったらな。
 簡単に殺せるのに。


 ふと、そんなことを思った。
公園の実装石と違って、こいつら「飼い実装」は、人間との共生が可能なように構成されてしまっている。
捨てられてしまっても、公園の野良のような、自らの生存を最優先する生活に適応することは出来ない。ドレイになるか、野垂れ死ぬか。
かといって、拾われても、まっさらな「飼い実装」としての躾は既に欠落してしまっている。
ペットとして売られる商品として、一回こっきりの商品として過剰に適応してしまっているから、野良にも飼いにもなれない。

——「捨てられた」以上はもはやゴミでしかない。
     実装石は、リサイクルできない。——


 ミドリはなおも歌い続ける。一生懸命に、心を込めて。
 その実装石の頭蓋めがけて、渾身の力を込めて……

 俺は、バールを振り下ろした。








<おわり>

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1 Re: Name:匿名石 2019/12/31-23:34:29 No:00006156[申告]
嫌な一家だなぁ…実装の方も人間の方も
2 Re: Name:匿名石 2020/01/02-00:00:08 No:00006158[申告]
釣り好きな人のとこに行けば餌の生産元として大事にされたろうに
強力ネムリを使った後、手足服髪耳を除去して保管
死なないよう定期的にスポーツドリンクを注射しておけばよい
3 Re: Name:匿名石 2023/05/03-21:26:14 No:00007122[申告]
一家の方は実装石に対して嫌な過去がありつつもギリギリまで面倒は見てたしかなりマシだろ
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