タイトル:【塩】 ミリ(一期一会より転載)
ファイル:塩保管スク[jsc0046.txt]
作者:匿名 総投稿数:非公開 総ダウンロード数:447 レス数:6
初投稿日時:2006/07/21-19:56:39修正日時:2006/07/21-19:56:39
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このスクは[実装石虐待補完庫(塩保)]に保管されていたものです。
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【ミリ】 仔実装はガラス・ケースの中で引きつった笑いを浮かべていた。 店員に教えられた通り、「愛くるしい」とされるポーズを取る。 彼女を注視しているのは一体の成体実装。 華美ではないが仕立ての良い服を着せられ、 首輪でなく吊革式リードで飼い主とつながれていることから、 十分すぎる愛情を注がれている飼い実装だということがわかる。 「ここのところ、毎日来ているテチ。そんなにワタチが可愛いテチ?」 仔実装は成体実装に向かってそう思う。 思うだけで声に出さないのは、実装ショップの躾の賜物である。 「お前みたいな不細工な成体実装、見たことないテチ。 ワタチのママとは月とすっぽんテス」 想像の中にしか存在しない母実装を思い描いてみる。 成体実装は「デスー、デスー」と仔実装を指示し、飼い主を見上げる。 飼い主である初老の夫婦は腰をかがめ、 成体実装と視線の高さを合わせる。 「その仔が気に入ったのかい?」 「デスー」 「ちゃんと自分の仔として育てられる?」 「デスー」 夫は右手で成体実装の頭を撫でると、店員に話しかけた。 妻は成体実装と一緒に、仔実装を見つめている。 「いい、可愛がってあげないと駄目だからね。 わたしたちが子宝に恵まれなくって、エミリを育てたように、 エミリもこの仔をちゃんと育てるんですよ」 「デスー」 エミリと呼ばれた成体実装は両手を挙げて応えた。 実装ショップの店員が、ケージの裏側に回り、 格子状の扉を開けて仔実装を取り出そうとする。 さりげなく体を動かし、その手をすり抜けようとする仔実装。 他の仔実装に紛れて、自分以外の仔実装を間違って選んでくれれば、 と思う。 「こいつらはワタチの飼い主にふさわしくないテチ。 ワタチはこの店のナンバーワンテチ。 もっとお金持ちに飼われるべきテチ」 しかし店員の手を逃れられる筈もなく、仔実装は簡単に捕まった。 空気穴の開いた紙箱に入れようとする店員を制する夫。 「そんな狭い箱に入れるのはかわいそうじゃないか」と、 店員の手から仔実装を丁寧に受け取る。 このやり取りを見て、「なかなか見所のあるニンゲンテス」と、 仔実装は思った。 「ワタチの下僕にしてやらないこともないテチ」 夫は仔実装をエミリに渡した。 「ほら、エミリの仔だよ」 「デスー」 「仔実装ちゃんもご挨拶なさい」 そう言って、妻は無理やり仔実装の頭を下げさせた。 「はい、今日は。お母さん、初めましてテチ」 妻は仔実装の口真似をしてエミリに話しかける。 「何言っているテチ、この馬鹿ニンゲンは」と、仔実装は抗う。 店員が目を光らせているので、まだ言葉にはしない。 上目遣いに、エミリを睨んだ。 「お前はワタシの仔になるデス」 「どうしてワタチが?」 「ワタシは妊娠しない体質みたいデス。 でも、仔は欲しいデス。育てたいデス。 だからご主人様にお願いして、可愛い仔を探しにきたデス」 「ワ、ワタチは認めないテチ。 お前みたいな醜い実装石をママと呼びたくないテチ」 「何てこと言うデス。そんなひどいことを言うなんて……。 愛情を知らずに育ったのデス? かわいそうな仔デス」 そう言ってエミリは、仔実装を抱き寄せた。 もちろん飼い主には、「デスデス」「テチテチ」としか聞こえない。 「実装石同士、もう仲良くなったみたいね」などと、 無邪気に喜んでいる。 「本当の親仔みたい」 「離すテチ、苦しいテチ、臭いテチ」 しかしエミリは離さない。 仔実装を抱きしめたまま、老夫婦とともに実装ショップを後にした。                ※ エミリは、飼い実装として申し分のない生活を送っていた。 ケージに隔離されることはなく、 ドアが開いている限り3LDKのマンションを自由に移動できる。 ばかりか、自分の部屋もあてがわれた。 夫婦がこのマンションを買ったばかりの頃、 「子供部屋に」と考えていた六畳間。 エミリが仔実装の頃に使っていた玩具やトイレ、寝具が置いてある。 甘えたい時は、夫婦の寝室に入ることさえ許された。 いや、子供のいない老夫婦は、むしろその甘えを積極的に求めた。 だからと言ってエミリは、増長することはなかった。 その家のルールを学び、越えてはならない一線を把握し、 夫婦の顔色をうかがって、甘えるべき時は甘え、 そうでない時は飼い主と距離を置いた。 飼い主にとっても、申し分のない飼い実装だったのである。 「ミリちゃん、ちゃんとお尻を拭くデス」 「ちゃんと拭いたテチ」 ミリと名づけられた仔実装が、糞のついた手を見せて反論する。 「デーッ、だから手じゃなくて、この紙を使うデス。 そんな汚い手であちこち触ったら、お部屋が汚れるデス」 「ミリ、そんな面倒なの嫌テチ」 そう言って、リビングを走り回ると、クッションにダイビングした。 右手をついた辺りが、たちまち汚れる。 エミリは急いでミリを捕まえると、自分の唾液とティッシュとで、 ミリの右手をごしごし拭く。 「痛いテチ、もっとやさしくするテチ」 「ミリちゃん、ママの言うことちゃんと聞くデス」 「ママじゃないテチ、おばさん」 「おっ……」 エミリは言葉を詰まらせた。 その隙にミリは逃げ出し、テレビ台の裏に隠れた。 人間はもちろん、成体実装にも手が届かない、仔実装の安全地帯である。 「おいおい、何の騒ぎだい」 「本当に、仔実装ちゃんは元気がありますね」 夫婦が目覚め、リビングに入ってきた。 夫が、クッションにこびりついた糞に気づく。 眼鏡を上下に動かして、それが糞であることを確認する。 「デッ、デス」 「エミリが粗相したのかしら? そんなわけないよね」 「あの仔実装か。躾はちゃんとしなけりゃなあ」 夫は、どちらかと言えば仔実装を飼うことには反対だった。 賢いエミリだけがいてくれればいい。 新参者が加わると不協和音が起こり、 今の良好な関係が崩れるのではないか? 長年、企業の人事部で勤務した男の直感であった。 しかし、子供ができない妻が実装石を求めたのを許し、 結果的に夫婦仲がそれまで以上に良くなったことを考えると、 妊娠しないエミリに仔実装を与えるのも自然なことであると、 夫は判断したのだった。 エミリがクッションを手にし、「デス、デス」と頭を下げる。 詫びているのだろう、そう思った妻は、 「洗えばいいのよ」と、頭に手を置いた。 「気にしないで」 ミリには、これが面白くない。 悪いことをすれば、当然、人間に怒られてしかるべきだ。 ペットショップで人間に楯突こうものなら、 死なない程度に殴る蹴るされた。 ところが、エミリは怒られるどころか慰められている。 ミリには、それが理解できなかった。                ※ ダイニングから、食器が触れ合う音が聞こえ、 美味しそうな匂いが漂ってくる。 いつの間にかテレビ台の裏で眠っていたミリが、目を覚ます。 隙間から、エミリがのぞいている。 「朝ご飯デス」 「わかっているテチ」 憎まれ口を叩くと、エリはエミリを押しのけ、食卓に向かう。 夫婦のテーブルの隣に置かれたちゃぶ台が、実装石のテーブルだ。 エミリの身長なら楽に届くが、ミリには少し高い。 エミリに椅子に座らせてもらわなければ、ご飯を食べられない。 「早くするテチ、このノロマ。ご飯食べられないテチ」 「はいはい、ちょっと待つデス」 エミリは仕方ない、といった様子でミリを抱えると、椅子に座らせた。 目の前には実装フード。 その隣のテーブルからは、もっと美味しそうな食べ物の匂いがする。 ミリは、小皿ごと朝食をテーブルから払いのけた。 その音に、皆が注視する。 「デデデ、何てことするデス」 「もっと美味しい物を食べさせろテチ」 「駄目デス、出された物をいただくデス」 「ニンゲンに飼われたら贅沢できるって聞いたテチ。 ワタチのママになりたかったら、ご馳走を持ってくるテチ」 「デェ」 夫婦は、二匹のやり取りを微笑ましく見ていた。 「ミリがうっかり皿を落としたみたいだね」 「それをエミリが注意しているのよ」 「さすがエミリは賢いなあ、いいお母さんになるよ」 「駄目デス。落とした物を拾って食べるデス」 「本当に、使えないおばさんテチ」 そう言うとミリは椅子から飛び降ると、実装石用の部屋へ駆け込んだ。 「ふうむ、どうもあの仔実装はやんちゃと言うか、わがままだね」 「あら、エミリが小さい頃もあんなものじゃなかったですか」 「そうかなあ、もっと賢かったと思うんだが」 「じきに、落ち着きますよ」 エミリはミリが落とした小皿と実装フードを拾った。 飼い主に申し訳ない気持ちで一杯だった。                ※ 「どうしてママの言うことを聞いてくれないデス? ママは悲しいデス」 「だからお前はママじゃないって言ってるテチ」 「ワタシは一生懸命やっているデス。 ミリちゃんを立派な実装石に育ててあげたいデス」 「飼い実装になれたから、もう立派なもんテチ。 黙っていてもニンゲンが贅沢な暮らしを約束してくれるテチ」 ミリはそう言うと、音を立てて放屁した。 あからさまに人間を、もっと言えば自分の飼い主を馬鹿にした態度に、 さすがにエミリも腹を立てる。 「実装石として生きていくのは楽なことじゃないデス! ニンゲンさんとの微妙な関係、そのバランスを維持することが、 どれほど大変なことかわかっているデス?」 「こうやって媚びればいいんテチ? お店で習ったテチ」 そう言って、ミリは片手を口元に当て、小首を傾げてみせた。 エミリはがっくりと肩を落とした。 「わかったデス。それでニンゲンさんと仲良くできると思うなら、 そうすればいいデス」 「ニンゲンは子供好きだって聞いたテチ。 子供、子猫、子犬、仔実装。小さくて可愛い生き物が好きなんテチ。 おばさんよりワタチのほうを好きになるに決まっているテチ」 思わず、手を上げるエミリ。 「虐待反対テチー。実の親でもないのに、仔実装に手を出すなテチ。 それにここは愛護派の家テチ。暴力禁止テチ」 この数日で、ミリは知恵をつけていた。 その大半はエミリから教わったものだが、 それを自分の都合の良いよう曲解して、自分のものにしていたのである。 「デ……」 エミリは黙って手を下ろすしかなかった。                ※ 事件は夕食時に起こった。 実装石用のテーブルには、少し高級な実装フード。 外はかりかり、中はトロリとしたペースト状になっている。 しかし、ミリはこれにも満足しない。 今度は小皿を落とすという荒っぽい真似はせず、 黙って椅子から下りると、妻の足元へ向かった。 「あらミリちゃん、ご飯食べないの?」 「テチィ?」 そう言ってミリは、小首を傾げてみせた。 このご飯じゃなくて、あのご飯が食べたいの。 人間と同じご飯を食べれば、もっと仲良くなれるの。 瞳を輝かせて、そんなメッセージを送った。 妻は、仔実装の視線の先に気づいた。 「このお魚が欲しいの? じゃちょっとだけよ」 「おい、癖になるからやめておけよ」 夫の忠告を無視して、妻は魚の身をほぐすと、ミリの皿に持ってやった。 「テチー」と両手をあげて喜ぶと、ミリは魚を食べ始めた。 エミリは、複雑な思いでそれを見た。 初めて食べる鮭の身は、ミリにとって最高のご馳走だった。 ピンクに輝いた、脂の乗った程よい塩加減。 無味乾燥な実装フードとは違う、本物の食べ物。 「テチューン」と、ミリは大喜びする。 「あらあら、ミリちゃんは可愛いわねぇ」 仔実装の仕草に、妻は思わず目を細める。 こんなに喜んでくれるなら、 これからもっと美味しいご飯を用意しようかしら、と思う。 そうだ、冷蔵庫にエミリが食べ残した杏仁豆腐があったわ。 妻は立ち上がると、冷蔵庫に向かった。 「何だ、食事中に行儀が悪い」という夫の非難も無視して 杏仁豆腐を取り出すと、ラップを外し、仔実装の前に差し出した。 「さあ、デザートはいかが?」 ミリは、何を出されたのかわからなかった。 ミルクだろうか? 顔を近づけてみる。 飲めない、でも、舐めると甘い! 弾力のある表面に手を突っ込み、少しすくってみる。 匂いをかいで、口に含む。 とろりとした食感を十分に味わってから、嚥下した。 「テチューン!」 再び、喜びを体全体で表現する仔実装。 これまで味わったことのない、上品な甘さとミルクの風味に、 ミリは大喜びだ。 両手を使って、盛大に食べる。 たちまちカップの中身は空になった。 エミリは、呆然とそれを見つめた。 杏仁豆腐が嫌いで食べ残したのではなかった。 大好物だからこそ全部食べてしまうのではなく、 少しずつゆっくり食べたかった。 それが嗜みのように思われた。 それなのにミリは、一息で食べ尽くしたのだ。 エミリの目にそれは「はしたない行為」に映るのに、 飼い主は「元気な仔実装」くらいにしか見ていない。 自分の杏仁豆腐が食べられたことよりも飼い主との認識の相違が、 エミリには悲しかった。 実際、妻は、殆ど初孫にかけるのと同じ愛情を仔実装に抱いていた。 これまで逃げ回っていた仔実装が、 自分に愛想を振りまくようになったのも嬉しくて仕方がない。 それを察してか、夫が注意する。 「おいおい、あんまりミリばっかりかまっちゃあ、 エミリが拗ねるじゃないか」 「デスゥー」 自分の名前を呼ばれたエミリが反応する。 「あら、エミリはお利口さんなんだって、あなた言ったじゃない。 お母さんなんだから、我慢できるわよね」 「デスゥ……」 エミリは、複雑な思いだった。 これまで自分は、飼い主と良好な関係を保つため、気配りをしてきた。 それが、この仔実装は可愛い仕草一つで、 愛情を独り占めしてしまったのである。 面白くなかった、が、子供を欲しいとアピールしたのは自分である。 言葉は通じなくても、毎日毎日散歩の途中、真夏の暑い日でも、 実装ショップのガラスケースに顔をくっつけて仔実装を見ていれば、 飼い主は嫌でも気づく。 「デスゥ……」 エミリは、もう一度ため息をついた。                ※ その日から、二匹の力関係は変化した。 妻は仔実装にあらん限りの愛情を傾け始めた。 原則として、エミリと同じ食事を出すものの、 仔実装にせがまれれば、自分の食事を分け与える。 老いた夫の好みに合わせて、それまで魚と野菜中心の献立だったのが、 仔実装が望むままに肉中心に変わっていった。 妻の視界には、エミリの姿は入っていなかった。 しかし夫は、そんなエミリを不憫に思い、今まで通りに接した。 それでもエミリは、良き母であろうとした。 ミリの度重なる粗相を詫び、時には自分のせいにした。 無視されても、自分が実体験で学んできた、 実装石が生きるべき道を説いた。 「おばさん、冷蔵庫を開けるテチ」 「何するデス?」 「デザート食べるテチ」 「勝手に食べたら駄目デス」 「うるさいテチ! 嫌なら部屋中にうんこするテチ」 夫婦が留守をしている間、ミリはエミリを恫喝した。 「臭いうんこをどこにひり出そうかテチ。 柔らかいのが出るテチ? それともコロコロうんこテチ? 臭いのをかましてやるテチ」 ミリはおもむろに下着を脱いで、しゃがんだ。 「わ、わかったデス、止めるデス」 「テチッ、最初から言うこと聞いていればいいテチ」 妻はきれい好きだった。 新しい強力な掃除機が発売されれば、 それを使えば部屋がよりきれいになるだろうと、 つい買い換えてしまうほどだった。 部屋を糞だらけにされたら、そんな飼い主に合わせる顔がない。 エミリが冷蔵庫のドアを開け、ミリが中に侵入する。 このまま扉を閉めてしまおうとも考えたが、 そんなことをすれば、冷蔵庫の中を糞だらけにされてしまう。 エミリには、ミリが食べ物を漁るのを黙認することしかできなかった。 帰宅した妻は、台所の惨状に驚いた。 怒りの矛先は、仔実装を監督できなかったエミリに向かった。 「ミリは悪くないのよー」 猫なで声で妻が仔実装を抱える。 仔実装は「ごめんなさい」と、涙目で妻を見上げる。 「悪いのは、エミリ。ちゃんと見ておかないと駄目でしょう。 ミリはまだ仔実装なんだから。 それに、ミリが冷蔵庫に閉じ込められたらどうするの。 そんなことじゃ、あなた母親失格ね」 妻は、ミリが食べ散らかしたあとを掃除するエミリに、 冷たい言葉を浴びせた。                ※ 季節は巡り、春。 不妊と思われていたエミリの体に、変化が訪れた。 夫との散歩から帰ったエミリの両目が、赤く染まっていたのである。 それは間違いなく妊娠のサイン。 実装医師の診断が間違っていたのか、あるいは環境の変化のせいか、 エミリの体は母胎の機能を取り戻していたのだ。 「おい、母さん」 帰宅した夫が、息をはずませて妻を呼ぶ。 「何ですか、騒々しい」 「エミリに子供ができたぞ」 「またそんな……」 妻は、エミリの両目を見て驚いた。 確かに、緑色に染まっているのだ。 自分には子供ができなかった、だから実装石を飼った。 その実装石にも子供ができなかった、運命の悪戯だと思った。 ところが、実装石に子供ができたのである。 妻は驚き、そしてそれ以上に喜んだ。 自分ができなかったことを、この「娘」はやってくれたのだ。 仔実装と遊んでいた猫じゃらしを放り投げると、 足音を立てて玄関へ駆け寄る。 そして、エミリを抱きしめた。 「デスー」 「よくやったわ、エミリ。偉い、偉い」 「母さん、今日は赤飯か?」 「いやあね、あなたったら」 この家の中心に、エミリが戻ってきた。 当然、ミリは面白くない。 放り出された猫じゃらしを踏みつけて、怒りを露にする。 「テチテチ」可愛く鳴いてみたが、人間は見向きもしない。 「テチャア」と叫び、傍らに置いてあった 親指実装のフィギュアを蹴り飛ばし、怒りをぶつけた。 食事の扱いも、完全に逆転した。 エミリには栄養があるものを、と、妻が手料理を作る。 ミリがどんなにアピールしても、妻は相手にしてくれない。 「ママはお腹に赤ちゃんがいるのよ、しっかり食べてもらわないと」 「テチャア!」 怒っても、媚びても、人間には通じない。 ミリがエミリの皿に手を出そうとすると、ぴしゃりと叩かれもした。 「駄目だって言っているでしょ。 ミリちゃんはもうすぐお姉さんになるんだから、しっかりしなさい」 ひと月もすると、エミリの腹は大きく膨らんだ。 触れると、確かに生命の鼓動が感じられる。 それが、妻にも夫にも嬉しかった。 もちろん、エミリにも。 エミリのお腹とともに、ミリの不安も大きくなった。 自分が姉になる、ということは、妹ができる、ということ。 それは自分よりも小さな生き物が、この生活に介入することを意味する。 そうなれば自分ではなく赤ちゃんに、 人間の愛情が注がれるのではないか、という不安である。 自分が持ち込んだルール──可愛いは正義──に、 裁かれようとしていた。 食事の後、エミリはリビングでゆっくり寛ぐ。 人間には「デッデロゲー」としか聞こえないが、 胎内の仔に聞かせる子守唄だ。 この世は実装石にとって生きるのに辛い世界だ。 けれどママの庇護の下、そして優しい飼い主さんのお陰で、 お前たちの幸せは約束されている。 だからお腹の中で安心して大きくなって、 その時が来れば外界に出ておいで、そんなことを伝えている。 妻は、エミリと並んで縫い物をしている。 産まれてくる赤ちゃんのためにと、実装服を用意しているのだ。 エミリは幸福感で満たされていた。 夜、ミリはむっくり起き出すと、隣で寝ているエミリを見つめる。 大きなお腹。 この中の赤ちゃんさえいなくなれば、この家での地位は安泰だ。 しかし、腕力では絶対に成体実装には敵わない。 ミリはエミリのお腹に口を近づけると、胎内の仔にささやき始める。 「この世は地獄テチ。 お前らなんか、産まれてきたらすぐに殺されるテチ。 お前らの醜いママが、餌にしてしまうテチ。 ニンゲンに虐殺されて終わりテチ。 それでも逃げた奴は、ワタチが食ってしまうテチ」 呪詛の言葉が、刻み込まれる。                ※ ミリの努力も空しく、エミリもお腹の仔も健康そのものだった。 もうすぐ自分より小さい赤ちゃんが産まれてくる。 揺るがしがたい現実に、ミリは戦慄を覚える。 ならばどうすべきか? 仔実装の出した結論は、「賢いお姉ちゃんになる」だった。 それが本心からなのか、「媚び」の延長なのか、 屈服の結果として取った行動なのかは自分でもわからない。 お腹の仔が育ち、歩くのも大変なエミリを、ミリが気遣う。 「ママ、大丈夫テチ? ミリが支えてあげるテチ」 「ミリ、今何て言ったデス?」 それは、仔実装が初めて「ママ」と口にした瞬間だった。 「ママ、今までわがまま言ってごめんなさいテチ。 ミリ、これから良い仔になるテチ。ママの言うことを聞くテチ」 「ミリ……」 エミリは感無量だった。 仔実装はついに自分の考えを理解してくれたようだ。 産まれてくる自分の仔と同様、これからもミリを可愛がろう、 そう思った。 ミリは甲斐甲斐しく働いた。 大きなお腹で足元が見えないからと、仔実装が先を歩き、 障害物がないか確認する。 排便の後、お尻に手が回らないエミリのため、 ミリは代わりに尻まで拭いた。 季節外れの陽気の午後、エミリをうちわで扇いだのもミリだった。 「ママ、気持ち良いテチ?」 「涼しくて、良い気持ちデッスーン」 そんな光景を、夫婦は目を細めて眺める。 「ミリも、ずいぶん変わったわねぇ。 お姉さんとしての自覚が出たのかしら。人間と同じね」 「うーん」 夫は、その言葉には素直に賛同はできなかった。 殆ど無視されかけていた自分に、 再び人間の注目が集まるようになったことに、仔実装は気づいた。 ところが、 「テププ、ワタチの健気な姿を見て可愛がる気になったテチ?」 という不遜な気持ちは起きない。 それよりも豹変した態度をどう取られているのか、 気になって仕方がなかった。 実装石と人間との関わりを説いてきたエミリの言葉が、 ボディブローのようにミリに効いていた。 「ど、どうして急にワタチを見るようになったテチ? ワタチはママのお手伝いをしているだけテチ。 悪いことしようなんて思っていないテチ」 そう思えば思うほど、人間の視線が気になる。 一挙手一投足に、失敗してはいけない、変に思われてはいけないと 緊張が走り、ためにかえって行動がぎこちなくなる。 自分は何も悪いことをしていない、しかしこれまでの悪行の記憶が、 どんどん自分を追い込んでいく。 何をするにも視線を感じる。 「これまでのこと、ごめんなさいテチ。これから良い仔にするテチ」 と心の中で何度も叫んだが、 神経の磨耗を食い止めることはできなかった。 風呂上りのエミリの体を拭いている時、うっかりタオルを滑らせ、 手で肌を引っかいてしまった。 エミリは「デッ」という声を上げたが、傷は大したことはない。 夫婦はそれに気づかず、テレビのニュースの感想を述べ合っていた。 親による子殺し、子による親殺しの報道に憤る。 その怒気を帯びた声に、ミリは自分の失態を叱責されたものだと感じた。 「身重のエミリに何てことをするのよ!」 「やっぱりお前は糞虫なんだな」 「これまでもエミリにひどいことばっかりしてきたのね」 「赤ちゃんが産まれたら、こんな悪い仔は捨ててしまおう」 そんな言葉を浴びせられたと勘違いしたミリは、 実装石の部屋に駆け込んだ。 寝床に入ると、頭から布団をかぶる。 「良い仔になろうとしても、なれないテチ。 ニンゲンさんも、ワタチのことが嫌いになったみたいテチ。 ワタチより小さい、可愛い赤ちゃんも産まれてくるテチ。 ワタチはどうすればいいんテチ?」 ミリは、またしても短絡的な結論に行き着いた。 そうだ、自分も妊娠すれば人間が気遣ってくれる。 それにママより小さな仔を産めば、もっと可愛がってくれるだろう。 布団の隙間から、転がっている親指実装のフィギュアが見える。 追い詰められた仔実装は、異常な行動を取った。 どうすれば妊娠するのか、まだ知らない。 けれど、お腹の中に赤ちゃんがいることはわかっている。 ならば、出口から赤ちゃんを入れても同じことではないか? 下着をずらし、大きく足を開く。 そして親指実装のフィギュアを、足から総排泄口に入れる。 たちまち、激痛が走る。 ミリは悲鳴を押し殺す。 ここで大騒ぎをしたら、ますます自分の立場が悪くなると思う。 親指実装のフィギュアは、両腕を万歳しているポーズだ。 閉じている両脚は、何とか仔実装の体内に収まった。 胎内が傷つけられ、血が流れ出る。 その血が潤滑剤の役目を果たしていた。 フィギュアのスカートの部分で、引っかかる。 勢いをつけて前後に動かしてみるが、中に入る気配がない。 「これじゃあ駄目テチ。ママになれないテチ」 自分で自分を追い詰める仔実装は、力づくでフィギュアを押し込む。 実際にそんな音が出る筈もないが、メリッと、 肉が裂ける音が聞こえたような気がした。 「テ、テェェ」と声を漏らす仔実装。 下半身は既に血まみれとなり、総排泄口も前後に亀裂が延びている。 股関節も、おかしな形にねじれていた。 無情にも、フィギュアは腕の付け根で止まった。 両腕が開いているので、また頭が大きいので、 それ以上、入れることができないのだ。 無理に入れようとすれば、下半身は文字通り裂けてしまうだろう。 しかし、ミリにはそうするしかなかった。 そうすることでしか、この家では暮らせないと考えたのだ。 再び両腕に力を入れようとするが、全身が震えて力が入らない。 それでも無理に押し込むと、股関節がさらに砕け、 両脚があり得ない方向に向き始める。 「テ、テギャアアア」と、小さく悲鳴を上げる。 「な、何しているデス?」 そこに、エミリが入ってきた。 自分の総排泄口にフィギュアを突っ込み、 下半身をぐずぐずにしているミリを見て気を失いかける。 エミリに続いて妻が部屋に入る。 照明を点け、悲鳴を上げた。 あと少し、発見が遅れていたら、ミリは自分で自分の体を 真っ二つに裂いているところだった。                ※ 「あの仔、おかしくなったのかしら」 「エミリを見て、自分も赤ちゃんが欲しくなっただけだろう」 「それにしても、あんな」 あの夜の惨状を思い出して、妻は吐き気を催す。 仔実装は下半身を殆ど失いかけていた。 総排泄口の亀裂もへその位置まで延び、よくこんな状態で生きていると 感心したほどだった。 仔実装が流した血と体液は、消えることのない染みを カーペットに残していた。 ミリはエミリのベッドに寝かされていた。 放っていても傷は治癒するからと、 かかりつけの実装医師に言われたのでその通りにした。 もっとも、あの気持ち悪い様を見せられたからには、 しばらくは構ってやる気すら起きなかったのだが。 ベッドの上で、ミリは天井を見上げていた。 目をつぶると、嫌な光景が浮かんでくる。 良い仔にしようとしているのに、人間たちに嘲笑され、 時に注意を受ける。 失敗しないように注意しようとすればするほど、緊張で失敗してしまう。 また笑われ、また怒られる。 そんな光景だ。 相手のことを思って行動するなんて、お店では教えてもらえなかった。 ただ愛想を振りまいていれば、人間に買われ、可愛がられ、 贅沢な生活を送れるのだと教えられてきたのだ。 それは間違いだった。 少なくともこの家では通用しないルールだった。 無知なままでいれば、幸せだったかもしれない。 しかしエミリから知恵をつけられたことが、 彼女にとって不幸だった。 「ママ、どうすればいいテチ……」 産みの母を思い浮かべるが、固まるイメージはエミリの顔。 それもその筈、彼女は母親を見たことがない。 ミリは産まれると同時に人間の手で薬剤に漬けられて粘膜を溶かされ、 そのまま実装ショップに連れてこられた。 実の母親の顔など、見たこともなかったのだ。 一方、エミリは産気づいていた。 ミリ同様、こちらも放っておいてお産の心配はなかったが、 万一のことがあってはいけないと、実装医師が呼ばれた。 お産は成功だった。 四匹の仔実装が産声を上げた。 エミリは愛情を込めて粘膜を舐め取り、妻と一緒に用意した服を着せた。 それから一匹ずつ、母乳を与えた。 ミリが産まれた時とは、正反対の境遇だった。                ※ ミリの傷は、少なくとも外見上はすっかり癒えていた。 股関節に負荷をかけるので走ることはできないが、 ゆっくり歩くことはできる。 テチテチと、ベビーベッドへ向かう。 そこには、すやすや眠る仔実装が四匹。 エミリが飽きることなく、仔実装の顔を見つめている。 「ミリちゃん、傷の具合はいいデス?」 「はいテチ。心配かけたテチ」 ミリは恥ずかしそうに答える。 仔実装たちの幸せそうな寝顔を見る。 自分にも、こんな時があったのだろうか。 「……可愛いテチ……」 「えっ?」 「赤ちゃん、可愛いテチ」 「みんな、あなたの妹デス。ミリちゃんはお姉ちゃんなんだから、 いろんなことを教えてあげるデス」 「ママ!」 ミリはエミリに抱きついた。 ママは、本当のママじゃないけど、私のママなんだ。 ずっと、ずっと良い仔にしているから、ママと一緒にいたい。 ミリはもう、昔のミリではなかった。 ミリが流した涙を、エミリがそって手で拭う。 「あらあら、そんなんじゃ美人が台無しデス」 そう言って両手で顔を包んだ。 それから手ぐしで、髪を整えてくれる。 二匹の実装石が抱き合う様を、 夫は書斎のパソコンでモニタリングしていた。 外出先からでも携帯電話で仔実装たちの様子を見られるようにと、 ネットワーク・カメラを設置したのだ。 会社で導入した時は反対の声が上がったが、 人事管理の切り札となった。 今頃妻も、外出先からカメラにアクセスしているかもしれない。 これまで二匹はいがみ合っていた、いや正確には仔実装のわがままに エミリが翻弄されていたように思えたが、 モニタを通して見る限り、二匹は実の親子のように思えた。 ミリがベビーベッドに近づいてきた時はどきりとしたが、 抱き合う二匹を見て夫は安心した。 書斎から出ると、夫はエミリに久しぶりに散歩に行こうと声をかける。 最近は仔実装にかまけて、エミリは自分の時間を持てていない。 幸い、仔実装たちはよく寝ている。 それに、「賢いお姉ちゃん」がいるから、留守番は任せられるだろう。 エミリは、子供を残して外出することを少し躊躇したが、 散歩の帰りにでも実装ショップに寄り、 子供たちのおやつか玩具をねだってみようと考えた。 そのくらいの贅沢は、許されるだろう。 「ママは、ちょっと出かけてくるデス。 妹たちの面倒、見てくれるデス?」 「もちろんテチ!」 「むずがるようだったら、おしめを替えてやって欲しいデス。 お尻もちゃんと拭いて……」 「わかっているテチ。ちゃんと柔らかいあの紙で拭くテチ」 過去の過ちを思い出し、少し恥ずかしそうに、 しかし胸を張ってミリは答えた。 そんなミリを見て、エミリは安心して飼い主と外出したのだった。 ベビーベッドの枠に肘をつき、両手の上に顔を乗せて、 仔実装たちを眺めるミリ。 「お前たちは本当に可愛いテチ」と声をかける。 右手を伸ばし、ちょんと、寝ている仔実装の頬に触れる。 何事か寝言を言う仔実装。 「本当に可愛いテチ」と、もう一度言う。 「早く大きくなって、一緒に遊ぶテチ。面白いことがたくさんあるテチ。 美味しいご飯も一杯食べられるテチ。 そして何より素敵なママがいるテチ」 ミリは、まるで自分に言い聞かせるように、仔実装たちに話しかけた。 「うるさいテチ」 予想しない返事に、驚くミリ。 目をしばたたかせる。 「うるさいって言ってるテチ」 眠っている四匹のうち、一番大きな仔実装が上半身を持ち上げた。 ミリは驚き、声を出せなかった。 「あんた誰テチ? ママじゃないテチ」 そう言って、ふんふんと臭いをかぐ。 「ワ、ワタチはお前たちのお姉ちゃんテチ」 「臭いが違うテチ。他人テチ」 「ち、違う、ワタチはママの仔テチ」 仔実装はそれには応じず、侮蔑の視線を投げかけた。 血がつながっていない負い目が、ミリの精神を再び圧迫する。 仔実装は立ち上がり、おしめを外すと、 糞で汚れたそれをミリに投げつけた。 咄嗟のことで対応できないミリ。 おしめが命中し、緑色をした汚物が、母親が整えてくれた髪を汚す。 呆然とするミリを尻目に、仔実装は三匹の妹を見る。 仔実装は考える。 どうせこの世は地獄なんだ。 それなら好きなように生きてやろう。 手始めに三匹の妹を屠って、自分だけ生き残る。 そうすれば親の愛情を独占できるではないか。 仔実装は隣で寝ていた妹の顔をまたぐと、その口元に盛大に糞をした。 糞を喉に詰まらせ、苦しむ妹。 その姿を見て笑う仔実装。 ミリは動いた。 妹を抱き起こすと、顔を下に向け、背中をどんどんと叩いて 糞を吐き出させようとする。 仔実装はそれを阻止しようと、ミリを足蹴にする。 足蹴にされても、ミリは必死に耐え、妹の糞を吐き出させる。 この騒ぎに、残りの二匹は目を覚ましたが、 ただ恐怖を覚えるだけだった。 ベビーベッドの反対側の隅に、後ずさって逃げる。 妹の気道を塞いでいる糞は思ったより大量で、 なかなか呼吸が回復しない。 ミリは妹の口に手を入れ、嘔吐させようとした。 その光景を、夫は携帯電話で見ていた。 ネットワーク・カメラは、パソコンでは動画を見られるが、 携帯電話では最新の静止画像が表示されるだけである。 そこに表示されていたのは、ミリが妹を襲い、 仔実装が妹を助けようとしている画像だった。 夫はエミリを抱き上げると、家へ向かって走り出した。 ミリの機転で、妹は一命を取り留めた。 「何てひどいことするテチ!」 「油断して寝ているほうが悪いテチ。 そんなんじゃ、ニンゲンに捕まって殺されるのが落ちテチ」 「この家はそんなところじゃないテチ。みんな幸せに生きられるテチ」 「そんなの嘘テチ、ママのお腹の中で確かに聞いたテチ。 『この世は地獄だ』って。 みんなを殺してでも、ワタチだけ生きてやるテチ。 ワタチだけ良ければ、それでいいんテチ」 気づいたら、ミリは仔実装に飛びかかっていた。 捨てた筈の暗黒面が、目の前にあった。 これを消さなければ。消さなければ。 ミリは力一杯、首を締めつけた。 仔実装がどんなに泣き叫んでも、力を緩めることはなかった。 仔実装は痙攣し、失禁し、やがて動かなくなった。 そこに、夫が帰ってきた。 目に飛び込んできたのは、仔実装に馬乗りになっているミリ。 それを見て、エミリは悲鳴を上げる。 「ミリ、何てことを……」 「ママ、違うテチ、これは違うテチ」 「ワタシの仔を、ワタシの仔を殺すなんて」 エミリより早く、夫が動いた。 「こいつ、ひどいことをしやがって」 ミリを掴み上げると、そのままフローリングの床に叩きつける。 治りかけていたミリの下半身が砕ける。 夫は、買い換えたばかりのサイクロン式掃除機を持ち出した。 「ただ殺しただけじゃ気が治まらん。苦しみながら死んでもらう」 そう言って、ミリと掃除機を持ってリビングから出ていった。 浴室の床に、もう一度ミリを叩きつける。 それから総排泄口に、掃除機のノズルを突っ込んだ。 夫は片手でミリの上半身を固定して、スイッチを入れる。 掃除機が容赦なく、ミリの内臓を吸い出す。 体の中から内臓が引きずり出される感覚を、 ミリは生きながらにして味わうこととなった。 「もう大丈夫デス、お前たち」 エミリは生き残った三匹の子供たちを抱き寄せる。 二匹は無傷だが、一匹は大量に嘔吐していた。 その妹が、母親に真相を告げた。 「目が覚めたら、あのお姉ちゃんがワタチの顔にまたがって、 うんこしていたテチ。 そして苦しくて息ができなかったら、大きなお姉ちゃんが 助けてくれたテチ」 「デデッ!」 エミリは怯える二匹を見る。 二匹はうんうんと頷いた。 エミリはリビングのドアへ向かって走り出した。 ご主人様、違うんです、ミリは、悪くないんです。 その時、掃除機の吸引音が浴室から聞こえてきた。 偽石が吸い出され、掃除機の中で粉砕される直前、 ミリは死を確信すると同時に安心した。 自分が死ぬ前に、あの邪悪な仔実装を始末できたのだ。 自分が蒔いた種ではあるが、ママから心配の種を取り除くことができた。 ただ心残りだったのは、最後にママに誤解されたことだった。 しかしそれも、自分のこれまでの行動を考えれば 無理からぬことだと悟った。 次の瞬間、偽石が割れ、ミリの肉体を構成していたあらゆる物質が、 掃除機の中に吸い込まれていった。                ※ 「それで、三匹の名前は決まりましたの?」 「梅を見ていた時に子供ができたみたいだから、 梅にちなんだ名前にしたいと思ってね。 小梅と梅子、二匹はそれで納得してくれたんだけど、 この仔だけはどんな名前をつけても嫌がるんだ」 「困ったわね、実装石が名前にこだわるなんて、初めて聞きました」                ※ 「お前は小梅、お前は梅子デス」 「ママ、ワタチの名前は?」 実の姉に殺されかけた妹が尋ねる。 エミリは仔実装に向き合って、答える。 「ミリ、デス。 お前の命を救ってくれたミリお姉ちゃんは、 心のやさしいママの自慢の娘で……」 【終】【ミリ】 仔実装はガラス・ケースの中で引きつった笑いを浮かべていた。 店員に教えられた通り、「愛くるしい」とされるポーズを取る。 彼女を注視しているのは一体の成体実装。 華美ではないが仕立ての良い服を着せられ、 首輪でなく吊革式リードで飼い主とつながれていることから、 十分すぎる愛情を注がれている飼い実装だということがわかる。 「ここのところ、毎日来ているテチ。そんなにワタチが可愛いテチ?」 仔実装は成体実装に向かってそう思う。 思うだけで声に出さないのは、実装ショップの躾の賜物である。 「お前みたいな不細工な成体実装、見たことないテチ。 ワタチのママとは月とすっぽんテス」 想像の中にしか存在しない母実装を思い描いてみる。 成体実装は「デスー、デスー」と仔実装を指示し、飼い主を見上げる。 飼い主である初老の夫婦は腰をかがめ、 成体実装と視線の高さを合わせる。 「その仔が気に入ったのかい?」 「デスー」 「ちゃんと自分の仔として育てられる?」 「デスー」 夫は右手で成体実装の頭を撫でると、店員に話しかけた。 妻は成体実装と一緒に、仔実装を見つめている。 「いい、可愛がってあげないと駄目だからね。 わたしたちが子宝に恵まれなくって、エミリを育てたように、 エミリもこの仔をちゃんと育てるんですよ」 「デスー」 エミリと呼ばれた成体実装は両手を挙げて応えた。 実装ショップの店員が、ケージの裏側に回り、 格子状の扉を開けて仔実装を取り出そうとする。 さりげなく体を動かし、その手をすり抜けようとする仔実装。 他の仔実装に紛れて、自分以外の仔実装を間違って選んでくれれば、 と思う。 「こいつらはワタチの飼い主にふさわしくないテチ。 ワタチはこの店のナンバーワンテチ。 もっとお金持ちに飼われるべきテチ」 しかし店員の手を逃れられる筈もなく、仔実装は簡単に捕まった。 空気穴の開いた紙箱に入れようとする店員を制する夫。 「そんな狭い箱に入れるのはかわいそうじゃないか」と、 店員の手から仔実装を丁寧に受け取る。 このやり取りを見て、「なかなか見所のあるニンゲンテス」と、 仔実装は思った。 「ワタチの下僕にしてやらないこともないテチ」 夫は仔実装をエミリに渡した。 「ほら、エミリの仔だよ」 「デスー」 「仔実装ちゃんもご挨拶なさい」 そう言って、妻は無理やり仔実装の頭を下げさせた。 「はい、今日は。お母さん、初めましてテチ」 妻は仔実装の口真似をしてエミリに話しかける。 「何言っているテチ、この馬鹿ニンゲンは」と、仔実装は抗う。 店員が目を光らせているので、まだ言葉にはしない。 上目遣いに、エミリを睨んだ。 「お前はワタシの仔になるデス」 「どうしてワタチが?」 「ワタシは妊娠しない体質みたいデス。 でも、仔は欲しいデス。育てたいデス。 だからご主人様にお願いして、可愛い仔を探しにきたデス」 「ワ、ワタチは認めないテチ。 お前みたいな醜い実装石をママと呼びたくないテチ」 「何てこと言うデス。そんなひどいことを言うなんて……。 愛情を知らずに育ったのデス? かわいそうな仔デス」 そう言ってエミリは、仔実装を抱き寄せた。 もちろん飼い主には、「デスデス」「テチテチ」としか聞こえない。 「実装石同士、もう仲良くなったみたいね」などと、 無邪気に喜んでいる。 「本当の親仔みたい」 「離すテチ、苦しいテチ、臭いテチ」 しかしエミリは離さない。 仔実装を抱きしめたまま、老夫婦とともに実装ショップを後にした。                ※ エミリは、飼い実装として申し分のない生活を送っていた。 ケージに隔離されることはなく、 ドアが開いている限り3LDKのマンションを自由に移動できる。 ばかりか、自分の部屋もあてがわれた。 夫婦がこのマンションを買ったばかりの頃、 「子供部屋に」と考えていた六畳間。 エミリが仔実装の頃に使っていた玩具やトイレ、寝具が置いてある。 甘えたい時は、夫婦の寝室に入ることさえ許された。 いや、子供のいない老夫婦は、むしろその甘えを積極的に求めた。 だからと言ってエミリは、増長することはなかった。 その家のルールを学び、越えてはならない一線を把握し、 夫婦の顔色をうかがって、甘えるべき時は甘え、 そうでない時は飼い主と距離を置いた。 飼い主にとっても、申し分のない飼い実装だったのである。 「ミリちゃん、ちゃんとお尻を拭くデス」 「ちゃんと拭いたテチ」 ミリと名づけられた仔実装が、糞のついた手を見せて反論する。 「デーッ、だから手じゃなくて、この紙を使うデス。 そんな汚い手であちこち触ったら、お部屋が汚れるデス」 「ミリ、そんな面倒なの嫌テチ」 そう言って、リビングを走り回ると、クッションにダイビングした。 右手をついた辺りが、たちまち汚れる。 エミリは急いでミリを捕まえると、自分の唾液とティッシュとで、 ミリの右手をごしごし拭く。 「痛いテチ、もっとやさしくするテチ」 「ミリちゃん、ママの言うことちゃんと聞くデス」 「ママじゃないテチ、おばさん」 「おっ……」 エミリは言葉を詰まらせた。 その隙にミリは逃げ出し、テレビ台の裏に隠れた。 人間はもちろん、成体実装にも手が届かない、仔実装の安全地帯である。 「おいおい、何の騒ぎだい」 「本当に、仔実装ちゃんは元気がありますね」 夫婦が目覚め、リビングに入ってきた。 夫が、クッションにこびりついた糞に気づく。 眼鏡を上下に動かして、それが糞であることを確認する。 「デッ、デス」 「エミリが粗相したのかしら? そんなわけないよね」 「あの仔実装か。躾はちゃんとしなけりゃなあ」 夫は、どちらかと言えば仔実装を飼うことには反対だった。 賢いエミリだけがいてくれればいい。 新参者が加わると不協和音が起こり、 今の良好な関係が崩れるのではないか? 長年、企業の人事部で勤務した男の直感であった。 しかし、子供ができない妻が実装石を求めたのを許し、 結果的に夫婦仲がそれまで以上に良くなったことを考えると、 妊娠しないエミリに仔実装を与えるのも自然なことであると、 夫は判断したのだった。 エミリがクッションを手にし、「デス、デス」と頭を下げる。 詫びているのだろう、そう思った妻は、 「洗えばいいのよ」と、頭に手を置いた。 「気にしないで」 ミリには、これが面白くない。 悪いことをすれば、当然、人間に怒られてしかるべきだ。 ペットショップで人間に楯突こうものなら、 死なない程度に殴る蹴るされた。 ところが、エミリは怒られるどころか慰められている。 ミリには、それが理解できなかった。                ※ ダイニングから、食器が触れ合う音が聞こえ、 美味しそうな匂いが漂ってくる。 いつの間にかテレビ台の裏で眠っていたミリが、目を覚ます。 隙間から、エミリがのぞいている。 「朝ご飯デス」 「わかっているテチ」 憎まれ口を叩くと、エリはエミリを押しのけ、食卓に向かう。 夫婦のテーブルの隣に置かれたちゃぶ台が、実装石のテーブルだ。 エミリの身長なら楽に届くが、ミリには少し高い。 エミリに椅子に座らせてもらわなければ、ご飯を食べられない。 「早くするテチ、このノロマ。ご飯食べられないテチ」 「はいはい、ちょっと待つデス」 エミリは仕方ない、といった様子でミリを抱えると、椅子に座らせた。 目の前には実装フード。 その隣のテーブルからは、もっと美味しそうな食べ物の匂いがする。 ミリは、小皿ごと朝食をテーブルから払いのけた。 その音に、皆が注視する。 「デデデ、何てことするデス」 「もっと美味しい物を食べさせろテチ」 「駄目デス、出された物をいただくデス」 「ニンゲンに飼われたら贅沢できるって聞いたテチ。 ワタチのママになりたかったら、ご馳走を持ってくるテチ」 「デェ」 夫婦は、二匹のやり取りを微笑ましく見ていた。 「ミリがうっかり皿を落としたみたいだね」 「それをエミリが注意しているのよ」 「さすがエミリは賢いなあ、いいお母さんになるよ」 「駄目デス。落とした物を拾って食べるデス」 「本当に、使えないおばさんテチ」 そう言うとミリは椅子から飛び降ると、実装石用の部屋へ駆け込んだ。 「ふうむ、どうもあの仔実装はやんちゃと言うか、わがままだね」 「あら、エミリが小さい頃もあんなものじゃなかったですか」 「そうかなあ、もっと賢かったと思うんだが」 「じきに、落ち着きますよ」 エミリはミリが落とした小皿と実装フードを拾った。 飼い主に申し訳ない気持ちで一杯だった。                ※ 「どうしてママの言うことを聞いてくれないデス? ママは悲しいデス」 「だからお前はママじゃないって言ってるテチ」 「ワタシは一生懸命やっているデス。 ミリちゃんを立派な実装石に育ててあげたいデス」 「飼い実装になれたから、もう立派なもんテチ。 黙っていてもニンゲンが贅沢な暮らしを約束してくれるテチ」 ミリはそう言うと、音を立てて放屁した。 あからさまに人間を、もっと言えば自分の飼い主を馬鹿にした態度に、 さすがにエミリも腹を立てる。 「実装石として生きていくのは楽なことじゃないデス! ニンゲンさんとの微妙な関係、そのバランスを維持することが、 どれほど大変なことかわかっているデス?」 「こうやって媚びればいいんテチ? お店で習ったテチ」 そう言って、ミリは片手を口元に当て、小首を傾げてみせた。 エミリはがっくりと肩を落とした。 「わかったデス。それでニンゲンさんと仲良くできると思うなら、 そうすればいいデス」 「ニンゲンは子供好きだって聞いたテチ。 子供、子猫、子犬、仔実装。小さくて可愛い生き物が好きなんテチ。 おばさんよりワタチのほうを好きになるに決まっているテチ」 思わず、手を上げるエミリ。 「虐待反対テチー。実の親でもないのに、仔実装に手を出すなテチ。 それにここは愛護派の家テチ。暴力禁止テチ」 この数日で、ミリは知恵をつけていた。 その大半はエミリから教わったものだが、 それを自分の都合の良いよう曲解して、自分のものにしていたのである。 「デ……」 エミリは黙って手を下ろすしかなかった。                ※ 事件は夕食時に起こった。 実装石用のテーブルには、少し高級な実装フード。 外はかりかり、中はトロリとしたペースト状になっている。 しかし、ミリはこれにも満足しない。 今度は小皿を落とすという荒っぽい真似はせず、 黙って椅子から下りると、妻の足元へ向かった。 「あらミリちゃん、ご飯食べないの?」 「テチィ?」 そう言ってミリは、小首を傾げてみせた。 このご飯じゃなくて、あのご飯が食べたいの。 人間と同じご飯を食べれば、もっと仲良くなれるの。 瞳を輝かせて、そんなメッセージを送った。 妻は、仔実装の視線の先に気づいた。 「このお魚が欲しいの? じゃちょっとだけよ」 「おい、癖になるからやめておけよ」 夫の忠告を無視して、妻は魚の身をほぐすと、ミリの皿に持ってやった。 「テチー」と両手をあげて喜ぶと、ミリは魚を食べ始めた。 エミリは、複雑な思いでそれを見た。 初めて食べる鮭の身は、ミリにとって最高のご馳走だった。 ピンクに輝いた、脂の乗った程よい塩加減。 無味乾燥な実装フードとは違う、本物の食べ物。 「テチューン」と、ミリは大喜びする。 「あらあら、ミリちゃんは可愛いわねぇ」 仔実装の仕草に、妻は思わず目を細める。 こんなに喜んでくれるなら、 これからもっと美味しいご飯を用意しようかしら、と思う。 そうだ、冷蔵庫にエミリが食べ残した杏仁豆腐があったわ。 妻は立ち上がると、冷蔵庫に向かった。 「何だ、食事中に行儀が悪い」という夫の非難も無視して 杏仁豆腐を取り出すと、ラップを外し、仔実装の前に差し出した。 「さあ、デザートはいかが?」 ミリは、何を出されたのかわからなかった。 ミルクだろうか? 顔を近づけてみる。 飲めない、でも、舐めると甘い! 弾力のある表面に手を突っ込み、少しすくってみる。 匂いをかいで、口に含む。 とろりとした食感を十分に味わってから、嚥下した。 「テチューン!」 再び、喜びを体全体で表現する仔実装。 これまで味わったことのない、上品な甘さとミルクの風味に、 ミリは大喜びだ。 両手を使って、盛大に食べる。 たちまちカップの中身は空になった。 エミリは、呆然とそれを見つめた。 杏仁豆腐が嫌いで食べ残したのではなかった。 大好物だからこそ全部食べてしまうのではなく、 少しずつゆっくり食べたかった。 それが嗜みのように思われた。 それなのにミリは、一息で食べ尽くしたのだ。 エミリの目にそれは「はしたない行為」に映るのに、 飼い主は「元気な仔実装」くらいにしか見ていない。 自分の杏仁豆腐が食べられたことよりも飼い主との認識の相違が、 エミリには悲しかった。 実際、妻は、殆ど初孫にかけるのと同じ愛情を仔実装に抱いていた。 これまで逃げ回っていた仔実装が、 自分に愛想を振りまくようになったのも嬉しくて仕方がない。 それを察してか、夫が注意する。 「おいおい、あんまりミリばっかりかまっちゃあ、 エミリが拗ねるじゃないか」 「デスゥー」 自分の名前を呼ばれたエミリが反応する。 「あら、エミリはお利口さんなんだって、あなた言ったじゃない。 お母さんなんだから、我慢できるわよね」 「デスゥ……」 エミリは、複雑な思いだった。 これまで自分は、飼い主と良好な関係を保つため、気配りをしてきた。 それが、この仔実装は可愛い仕草一つで、 愛情を独り占めしてしまったのである。 面白くなかった、が、子供を欲しいとアピールしたのは自分である。 言葉は通じなくても、毎日毎日散歩の途中、真夏の暑い日でも、 実装ショップのガラスケースに顔をくっつけて仔実装を見ていれば、 飼い主は嫌でも気づく。 「デスゥ……」 エミリは、もう一度ため息をついた。                ※ その日から、二匹の力関係は変化した。 妻は仔実装にあらん限りの愛情を傾け始めた。 原則として、エミリと同じ食事を出すものの、 仔実装にせがまれれば、自分の食事を分け与える。 老いた夫の好みに合わせて、それまで魚と野菜中心の献立だったのが、 仔実装が望むままに肉中心に変わっていった。 妻の視界には、エミリの姿は入っていなかった。 しかし夫は、そんなエミリを不憫に思い、今まで通りに接した。 それでもエミリは、良き母であろうとした。 ミリの度重なる粗相を詫び、時には自分のせいにした。 無視されても、自分が実体験で学んできた、 実装石が生きるべき道を説いた。 「おばさん、冷蔵庫を開けるテチ」 「何するデス?」 「デザート食べるテチ」 「勝手に食べたら駄目デス」 「うるさいテチ! 嫌なら部屋中にうんこするテチ」 夫婦が留守をしている間、ミリはエミリを恫喝した。 「臭いうんこをどこにひり出そうかテチ。 柔らかいのが出るテチ? それともコロコロうんこテチ? 臭いのをかましてやるテチ」 ミリはおもむろに下着を脱いで、しゃがんだ。 「わ、わかったデス、止めるデス」 「テチッ、最初から言うこと聞いていればいいテチ」 妻はきれい好きだった。 新しい強力な掃除機が発売されれば、 それを使えば部屋がよりきれいになるだろうと、 つい買い換えてしまうほどだった。 部屋を糞だらけにされたら、そんな飼い主に合わせる顔がない。 エミリが冷蔵庫のドアを開け、ミリが中に侵入する。 このまま扉を閉めてしまおうとも考えたが、 そんなことをすれば、冷蔵庫の中を糞だらけにされてしまう。 エミリには、ミリが食べ物を漁るのを黙認することしかできなかった。 帰宅した妻は、台所の惨状に驚いた。 怒りの矛先は、仔実装を監督できなかったエミリに向かった。 「ミリは悪くないのよー」 猫なで声で妻が仔実装を抱える。 仔実装は「ごめんなさい」と、涙目で妻を見上げる。 「悪いのは、エミリ。ちゃんと見ておかないと駄目でしょう。 ミリはまだ仔実装なんだから。 それに、ミリが冷蔵庫に閉じ込められたらどうするの。 そんなことじゃ、あなた母親失格ね」 妻は、ミリが食べ散らかしたあとを掃除するエミリに、 冷たい言葉を浴びせた。                ※ 季節は巡り、春。 不妊と思われていたエミリの体に、変化が訪れた。 夫との散歩から帰ったエミリの両目が、赤く染まっていたのである。 それは間違いなく妊娠のサイン。 実装医師の診断が間違っていたのか、あるいは環境の変化のせいか、 エミリの体は母胎の機能を取り戻していたのだ。 「おい、母さん」 帰宅した夫が、息をはずませて妻を呼ぶ。 「何ですか、騒々しい」 「エミリに子供ができたぞ」 「またそんな……」 妻は、エミリの両目を見て驚いた。 確かに、緑色に染まっているのだ。 自分には子供ができなかった、だから実装石を飼った。 その実装石にも子供ができなかった、運命の悪戯だと思った。 ところが、実装石に子供ができたのである。 妻は驚き、そしてそれ以上に喜んだ。 自分ができなかったことを、この「娘」はやってくれたのだ。 仔実装と遊んでいた猫じゃらしを放り投げると、 足音を立てて玄関へ駆け寄る。 そして、エミリを抱きしめた。 「デスー」 「よくやったわ、エミリ。偉い、偉い」 「母さん、今日は赤飯か?」 「いやあね、あなたったら」 この家の中心に、エミリが戻ってきた。 当然、ミリは面白くない。 放り出された猫じゃらしを踏みつけて、怒りを露にする。 「テチテチ」可愛く鳴いてみたが、人間は見向きもしない。 「テチャア」と叫び、傍らに置いてあった 親指実装のフィギュアを蹴り飛ばし、怒りをぶつけた。 食事の扱いも、完全に逆転した。 エミリには栄養があるものを、と、妻が手料理を作る。 ミリがどんなにアピールしても、妻は相手にしてくれない。 「ママはお腹に赤ちゃんがいるのよ、しっかり食べてもらわないと」 「テチャア!」 怒っても、媚びても、人間には通じない。 ミリがエミリの皿に手を出そうとすると、ぴしゃりと叩かれもした。 「駄目だって言っているでしょ。 ミリちゃんはもうすぐお姉さんになるんだから、しっかりしなさい」 ひと月もすると、エミリの腹は大きく膨らんだ。 触れると、確かに生命の鼓動が感じられる。 それが、妻にも夫にも嬉しかった。 もちろん、エミリにも。 エミリのお腹とともに、ミリの不安も大きくなった。 自分が姉になる、ということは、妹ができる、ということ。 それは自分よりも小さな生き物が、この生活に介入することを意味する。 そうなれば自分ではなく赤ちゃんに、 人間の愛情が注がれるのではないか、という不安である。 自分が持ち込んだルール──可愛いは正義──に、 裁かれようとしていた。 食事の後、エミリはリビングでゆっくり寛ぐ。 人間には「デッデロゲー」としか聞こえないが、 胎内の仔に聞かせる子守唄だ。 この世は実装石にとって生きるのに辛い世界だ。 けれどママの庇護の下、そして優しい飼い主さんのお陰で、 お前たちの幸せは約束されている。 だからお腹の中で安心して大きくなって、 その時が来れば外界に出ておいで、そんなことを伝えている。 妻は、エミリと並んで縫い物をしている。 産まれてくる赤ちゃんのためにと、実装服を用意しているのだ。 エミリは幸福感で満たされていた。 夜、ミリはむっくり起き出すと、隣で寝ているエミリを見つめる。 大きなお腹。 この中の赤ちゃんさえいなくなれば、この家での地位は安泰だ。 しかし、腕力では絶対に成体実装には敵わない。 ミリはエミリのお腹に口を近づけると、胎内の仔にささやき始める。 「この世は地獄テチ。 お前らなんか、産まれてきたらすぐに殺されるテチ。 お前らの醜いママが、餌にしてしまうテチ。 ニンゲンに虐殺されて終わりテチ。 それでも逃げた奴は、ワタチが食ってしまうテチ」 呪詛の言葉が、刻み込まれる。                ※ ミリの努力も空しく、エミリもお腹の仔も健康そのものだった。 もうすぐ自分より小さい赤ちゃんが産まれてくる。 揺るがしがたい現実に、ミリは戦慄を覚える。 ならばどうすべきか? 仔実装の出した結論は、「賢いお姉ちゃんになる」だった。 それが本心からなのか、「媚び」の延長なのか、 屈服の結果として取った行動なのかは自分でもわからない。 お腹の仔が育ち、歩くのも大変なエミリを、ミリが気遣う。 「ママ、大丈夫テチ? ミリが支えてあげるテチ」 「ミリ、今何て言ったデス?」 それは、仔実装が初めて「ママ」と口にした瞬間だった。 「ママ、今までわがまま言ってごめんなさいテチ。 ミリ、これから良い仔になるテチ。ママの言うことを聞くテチ」 「ミリ……」 エミリは感無量だった。 仔実装はついに自分の考えを理解してくれたようだ。 産まれてくる自分の仔と同様、これからもミリを可愛がろう、 そう思った。 ミリは甲斐甲斐しく働いた。 大きなお腹で足元が見えないからと、仔実装が先を歩き、 障害物がないか確認する。 排便の後、お尻に手が回らないエミリのため、 ミリは代わりに尻まで拭いた。 季節外れの陽気の午後、エミリをうちわで扇いだのもミリだった。 「ママ、気持ち良いテチ?」 「涼しくて、良い気持ちデッスーン」 そんな光景を、夫婦は目を細めて眺める。 「ミリも、ずいぶん変わったわねぇ。 お姉さんとしての自覚が出たのかしら。人間と同じね」 「うーん」 夫は、その言葉には素直に賛同はできなかった。 殆ど無視されかけていた自分に、 再び人間の注目が集まるようになったことに、仔実装は気づいた。 ところが、 「テププ、ワタチの健気な姿を見て可愛がる気になったテチ?」 という不遜な気持ちは起きない。 それよりも豹変した態度をどう取られているのか、 気になって仕方がなかった。 実装石と人間との関わりを説いてきたエミリの言葉が、 ボディブローのようにミリに効いていた。 「ど、どうして急にワタチを見るようになったテチ? ワタチはママのお手伝いをしているだけテチ。 悪いことしようなんて思っていないテチ」 そう思えば思うほど、人間の視線が気になる。 一挙手一投足に、失敗してはいけない、変に思われてはいけないと 緊張が走り、ためにかえって行動がぎこちなくなる。 自分は何も悪いことをしていない、しかしこれまでの悪行の記憶が、 どんどん自分を追い込んでいく。 何をするにも視線を感じる。 「これまでのこと、ごめんなさいテチ。これから良い仔にするテチ」 と心の中で何度も叫んだが、 神経の磨耗を食い止めることはできなかった。 風呂上りのエミリの体を拭いている時、うっかりタオルを滑らせ、 手で肌を引っかいてしまった。 エミリは「デッ」という声を上げたが、傷は大したことはない。 夫婦はそれに気づかず、テレビのニュースの感想を述べ合っていた。 親による子殺し、子による親殺しの報道に憤る。 その怒気を帯びた声に、ミリは自分の失態を叱責されたものだと感じた。 「身重のエミリに何てことをするのよ!」 「やっぱりお前は糞虫なんだな」 「これまでもエミリにひどいことばっかりしてきたのね」 「赤ちゃんが産まれたら、こんな悪い仔は捨ててしまおう」 そんな言葉を浴びせられたと勘違いしたミリは、 実装石の部屋に駆け込んだ。 寝床に入ると、頭から布団をかぶる。 「良い仔になろうとしても、なれないテチ。 ニンゲンさんも、ワタチのことが嫌いになったみたいテチ。 ワタチより小さい、可愛い赤ちゃんも産まれてくるテチ。 ワタチはどうすればいいんテチ?」 ミリは、またしても短絡的な結論に行き着いた。 そうだ、自分も妊娠すれば人間が気遣ってくれる。 それにママより小さな仔を産めば、もっと可愛がってくれるだろう。 布団の隙間から、転がっている親指実装のフィギュアが見える。 追い詰められた仔実装は、異常な行動を取った。 どうすれば妊娠するのか、まだ知らない。 けれど、お腹の中に赤ちゃんがいることはわかっている。 ならば、出口から赤ちゃんを入れても同じことではないか? 下着をずらし、大きく足を開く。 そして親指実装のフィギュアを、足から総排泄口に入れる。 たちまち、激痛が走る。 ミリは悲鳴を押し殺す。 ここで大騒ぎをしたら、ますます自分の立場が悪くなると思う。 親指実装のフィギュアは、両腕を万歳しているポーズだ。 閉じている両脚は、何とか仔実装の体内に収まった。 胎内が傷つけられ、血が流れ出る。 その血が潤滑剤の役目を果たしていた。 フィギュアのスカートの部分で、引っかかる。 勢いをつけて前後に動かしてみるが、中に入る気配がない。 「これじゃあ駄目テチ。ママになれないテチ」 自分で自分を追い詰める仔実装は、力づくでフィギュアを押し込む。 実際にそんな音が出る筈もないが、メリッと、 肉が裂ける音が聞こえたような気がした。 「テ、テェェ」と声を漏らす仔実装。 下半身は既に血まみれとなり、総排泄口も前後に亀裂が延びている。 股関節も、おかしな形にねじれていた。 無情にも、フィギュアは腕の付け根で止まった。 両腕が開いているので、また頭が大きいので、 それ以上、入れることができないのだ。 無理に入れようとすれば、下半身は文字通り裂けてしまうだろう。 しかし、ミリにはそうするしかなかった。 そうすることでしか、この家では暮らせないと考えたのだ。 再び両腕に力を入れようとするが、全身が震えて力が入らない。 それでも無理に押し込むと、股関節がさらに砕け、 両脚があり得ない方向に向き始める。 「テ、テギャアアア」と、小さく悲鳴を上げる。 「な、何しているデス?」 そこに、エミリが入ってきた。 自分の総排泄口にフィギュアを突っ込み、 下半身をぐずぐずにしているミリを見て気を失いかける。 エミリに続いて妻が部屋に入る。 照明を点け、悲鳴を上げた。 あと少し、発見が遅れていたら、ミリは自分で自分の体を 真っ二つに裂いているところだった。                ※ 「あの仔、おかしくなったのかしら」 「エミリを見て、自分も赤ちゃんが欲しくなっただけだろう」 「それにしても、あんな」 あの夜の惨状を思い出して、妻は吐き気を催す。 仔実装は下半身を殆ど失いかけていた。 総排泄口の亀裂もへその位置まで延び、よくこんな状態で生きていると 感心したほどだった。 仔実装が流した血と体液は、消えることのない染みを カーペットに残していた。 ミリはエミリのベッドに寝かされていた。 放っていても傷は治癒するからと、 かかりつけの実装医師に言われたのでその通りにした。 もっとも、あの気持ち悪い様を見せられたからには、 しばらくは構ってやる気すら起きなかったのだが。 ベッドの上で、ミリは天井を見上げていた。 目をつぶると、嫌な光景が浮かんでくる。 良い仔にしようとしているのに、人間たちに嘲笑され、 時に注意を受ける。 失敗しないように注意しようとすればするほど、緊張で失敗してしまう。 また笑われ、また怒られる。 そんな光景だ。 相手のことを思って行動するなんて、お店では教えてもらえなかった。 ただ愛想を振りまいていれば、人間に買われ、可愛がられ、 贅沢な生活を送れるのだと教えられてきたのだ。 それは間違いだった。 少なくともこの家では通用しないルールだった。 無知なままでいれば、幸せだったかもしれない。 しかしエミリから知恵をつけられたことが、 彼女にとって不幸だった。 「ママ、どうすればいいテチ……」 産みの母を思い浮かべるが、固まるイメージはエミリの顔。 それもその筈、彼女は母親を見たことがない。 ミリは産まれると同時に人間の手で薬剤に漬けられて粘膜を溶かされ、 そのまま実装ショップに連れてこられた。 実の母親の顔など、見たこともなかったのだ。 一方、エミリは産気づいていた。 ミリ同様、こちらも放っておいてお産の心配はなかったが、 万一のことがあってはいけないと、実装医師が呼ばれた。 お産は成功だった。 四匹の仔実装が産声を上げた。 エミリは愛情を込めて粘膜を舐め取り、妻と一緒に用意した服を着せた。 それから一匹ずつ、母乳を与えた。 ミリが産まれた時とは、正反対の境遇だった。                ※ ミリの傷は、少なくとも外見上はすっかり癒えていた。 股関節に負荷をかけるので走ることはできないが、 ゆっくり歩くことはできる。 テチテチと、ベビーベッドへ向かう。 そこには、すやすや眠る仔実装が四匹。 エミリが飽きることなく、仔実装の顔を見つめている。 「ミリちゃん、傷の具合はいいデス?」 「はいテチ。心配かけたテチ」 ミリは恥ずかしそうに答える。 仔実装たちの幸せそうな寝顔を見る。 自分にも、こんな時があったのだろうか。 「……可愛いテチ……」 「えっ?」 「赤ちゃん、可愛いテチ」 「みんな、あなたの妹デス。ミリちゃんはお姉ちゃんなんだから、 いろんなことを教えてあげるデス」 「ママ!」 ミリはエミリに抱きついた。 ママは、本当のママじゃないけど、私のママなんだ。 ずっと、ずっと良い仔にしているから、ママと一緒にいたい。 ミリはもう、昔のミリではなかった。 ミリが流した涙を、エミリがそって手で拭う。 「あらあら、そんなんじゃ美人が台無しデス」 そう言って両手で顔を包んだ。 それから手ぐしで、髪を整えてくれる。 二匹の実装石が抱き合う様を、 夫は書斎のパソコンでモニタリングしていた。 外出先からでも携帯電話で仔実装たちの様子を見られるようにと、 ネットワーク・カメラを設置したのだ。 会社で導入した時は反対の声が上がったが、 人事管理の切り札となった。 今頃妻も、外出先からカメラにアクセスしているかもしれない。 これまで二匹はいがみ合っていた、いや正確には仔実装のわがままに エミリが翻弄されていたように思えたが、 モニタを通して見る限り、二匹は実の親子のように思えた。 ミリがベビーベッドに近づいてきた時はどきりとしたが、 抱き合う二匹を見て夫は安心した。 書斎から出ると、夫はエミリに久しぶりに散歩に行こうと声をかける。 最近は仔実装にかまけて、エミリは自分の時間を持てていない。 幸い、仔実装たちはよく寝ている。 それに、「賢いお姉ちゃん」がいるから、留守番は任せられるだろう。 エミリは、子供を残して外出することを少し躊躇したが、 散歩の帰りにでも実装ショップに寄り、 子供たちのおやつか玩具をねだってみようと考えた。 そのくらいの贅沢は、許されるだろう。 「ママは、ちょっと出かけてくるデス。 妹たちの面倒、見てくれるデス?」 「もちろんテチ!」 「むずがるようだったら、おしめを替えてやって欲しいデス。 お尻もちゃんと拭いて……」 「わかっているテチ。ちゃんと柔らかいあの紙で拭くテチ」 過去の過ちを思い出し、少し恥ずかしそうに、 しかし胸を張ってミリは答えた。 そんなミリを見て、エミリは安心して飼い主と外出したのだった。 ベビーベッドの枠に肘をつき、両手の上に顔を乗せて、 仔実装たちを眺めるミリ。 「お前たちは本当に可愛いテチ」と声をかける。 右手を伸ばし、ちょんと、寝ている仔実装の頬に触れる。 何事か寝言を言う仔実装。 「本当に可愛いテチ」と、もう一度言う。 「早く大きくなって、一緒に遊ぶテチ。面白いことがたくさんあるテチ。 美味しいご飯も一杯食べられるテチ。 そして何より素敵なママがいるテチ」 ミリは、まるで自分に言い聞かせるように、仔実装たちに話しかけた。 「うるさいテチ」 予想しない返事に、驚くミリ。 目をしばたたかせる。 「うるさいって言ってるテチ」 眠っている四匹のうち、一番大きな仔実装が上半身を持ち上げた。 ミリは驚き、声を出せなかった。 「あんた誰テチ? ママじゃないテチ」 そう言って、ふんふんと臭いをかぐ。 「ワ、ワタチはお前たちのお姉ちゃんテチ」 「臭いが違うテチ。他人テチ」 「ち、違う、ワタチはママの仔テチ」 仔実装はそれには応じず、侮蔑の視線を投げかけた。 血がつながっていない負い目が、ミリの精神を再び圧迫する。 仔実装は立ち上がり、おしめを外すと、 糞で汚れたそれをミリに投げつけた。 咄嗟のことで対応できないミリ。 おしめが命中し、緑色をした汚物が、母親が整えてくれた髪を汚す。 呆然とするミリを尻目に、仔実装は三匹の妹を見る。 仔実装は考える。 どうせこの世は地獄なんだ。 それなら好きなように生きてやろう。 手始めに三匹の妹を屠って、自分だけ生き残る。 そうすれば親の愛情を独占できるではないか。 仔実装は隣で寝ていた妹の顔をまたぐと、その口元に盛大に糞をした。 糞を喉に詰まらせ、苦しむ妹。 その姿を見て笑う仔実装。 ミリは動いた。 妹を抱き起こすと、顔を下に向け、背中をどんどんと叩いて 糞を吐き出させようとする。 仔実装はそれを阻止しようと、ミリを足蹴にする。 足蹴にされても、ミリは必死に耐え、妹の糞を吐き出させる。 この騒ぎに、残りの二匹は目を覚ましたが、 ただ恐怖を覚えるだけだった。 ベビーベッドの反対側の隅に、後ずさって逃げる。 妹の気道を塞いでいる糞は思ったより大量で、 なかなか呼吸が回復しない。 ミリは妹の口に手を入れ、嘔吐させようとした。 その光景を、夫は携帯電話で見ていた。 ネットワーク・カメラは、パソコンでは動画を見られるが、 携帯電話では最新の静止画像が表示されるだけである。 そこに表示されていたのは、ミリが妹を襲い、 仔実装が妹を助けようとしている画像だった。 夫はエミリを抱き上げると、家へ向かって走り出した。 ミリの機転で、妹は一命を取り留めた。 「何てひどいことするテチ!」 「油断して寝ているほうが悪いテチ。 そんなんじゃ、ニンゲンに捕まって殺されるのが落ちテチ」 「この家はそんなところじゃないテチ。みんな幸せに生きられるテチ」 「そんなの嘘テチ、ママのお腹の中で確かに聞いたテチ。 『この世は地獄だ』って。 みんなを殺してでも、ワタチだけ生きてやるテチ。 ワタチだけ良ければ、それでいいんテチ」 気づいたら、ミリは仔実装に飛びかかっていた。 捨てた筈の暗黒面が、目の前にあった。 これを消さなければ。消さなければ。 ミリは力一杯、首を締めつけた。 仔実装がどんなに泣き叫んでも、力を緩めることはなかった。 仔実装は痙攣し、失禁し、やがて動かなくなった。 そこに、夫が帰ってきた。 目に飛び込んできたのは、仔実装に馬乗りになっているミリ。 それを見て、エミリは悲鳴を上げる。 「ミリ、何てことを……」 「ママ、違うテチ、これは違うテチ」 「ワタシの仔を、ワタシの仔を殺すなんて」 エミリより早く、夫が動いた。 「こいつ、ひどいことをしやがって」 ミリを掴み上げると、そのままフローリングの床に叩きつける。 治りかけていたミリの下半身が砕ける。 夫は、買い換えたばかりのサイクロン式掃除機を持ち出した。 「ただ殺しただけじゃ気が治まらん。苦しみながら死んでもらう」 そう言って、ミリと掃除機を持ってリビングから出ていった。 浴室の床に、もう一度ミリを叩きつける。 それから総排泄口に、掃除機のノズルを突っ込んだ。 夫は片手でミリの上半身を固定して、スイッチを入れる。 掃除機が容赦なく、ミリの内臓を吸い出す。 体の中から内臓が引きずり出される感覚を、 ミリは生きながらにして味わうこととなった。 「もう大丈夫デス、お前たち」 エミリは生き残った三匹の子供たちを抱き寄せる。 二匹は無傷だが、一匹は大量に嘔吐していた。 その妹が、母親に真相を告げた。 「目が覚めたら、あのお姉ちゃんがワタチの顔にまたがって、 うんこしていたテチ。 そして苦しくて息ができなかったら、大きなお姉ちゃんが 助けてくれたテチ」 「デデッ!」 エミリは怯える二匹を見る。 二匹はうんうんと頷いた。 エミリはリビングのドアへ向かって走り出した。 ご主人様、違うんです、ミリは、悪くないんです。 その時、掃除機の吸引音が浴室から聞こえてきた。 偽石が吸い出され、掃除機の中で粉砕される直前、 ミリは死を確信すると同時に安心した。 自分が死ぬ前に、あの邪悪な仔実装を始末できたのだ。 自分が蒔いた種ではあるが、ママから心配の種を取り除くことができた。 ただ心残りだったのは、最後にママに誤解されたことだった。 しかしそれも、自分のこれまでの行動を考えれば 無理からぬことだと悟った。 次の瞬間、偽石が割れ、ミリの肉体を構成していたあらゆる物質が、 掃除機の中に吸い込まれていった。                ※ 「それで、三匹の名前は決まりましたの?」 「梅を見ていた時に子供ができたみたいだから、 梅にちなんだ名前にしたいと思ってね。 小梅と梅子、二匹はそれで納得してくれたんだけど、 この仔だけはどんな名前をつけても嫌がるんだ」 「困ったわね、実装石が名前にこだわるなんて、初めて聞きました」                ※ 「お前は小梅、お前は梅子デス」 「ママ、ワタチの名前は?」 実の姉に殺されかけた妹が尋ねる。 エミリは仔実装に向き合って、答える。 「ミリ、デス。 お前の命を救ってくれたミリお姉ちゃんは、 心のやさしいママの自慢の娘で……」 【終】

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1 Re: Name:匿名石 2024/02/17-14:39:55 No:00008733[申告]
お前はなれたさ立派なエミリの娘にな
2 Re: Name:匿名石 2024/02/18-00:02:21 No:00008735[申告]
自業自得でもあるが故にはがゆい…
けどお前は立派だよミリ…
3 Re: Name:匿名石 2024/02/18-03:35:41 No:00008736[申告]
当初生意気な仔実装だったミリが我欲や猜疑心に振り回された挙句に呪詛返しで破滅する様は流石に哀憫の念を抱いてしまうな、素直に愛情さえ享受出来なかったのがね…
人間との関係性の危うい均衡も含めて実装の多頭飼いの困難さに踏み込んだスクだ
4 Re: Name:匿名石 2024/02/18-17:19:25 No:00008740[申告]
これはすごい、傑作。
当時、実装石「一期一会」は開催場所やタイミングが不定期で、見つけられなければそれっきりの、幻のような投下場所だった記憶がある。

妙に知恵の廻る主人公の仔実装が、その狡猾さで傍若無人に振る舞うも、環境変化を察知して身の振り方を改める。
しかし、そこで周囲への認識が変わり、良き飼い実装石になろうと励んでも、過去の行動が自分自身を追い詰める。
それまで撒いた悪行の報いの数々が積み重なって返ってくる、伏線回収が見事だし、それでもなお命をかけて贖ったミリの皮肉な最期も哀しい。

「一期一会」に投下されたスクは、そのまま消えた作品も多いが、こうしてキャッシュを保存できていて良かった。
5 Re: Name:匿名石 2024/07/04-16:53:49 No:00009222[申告]
ミリはエミリの胎教を邪魔した結果妹の一人を糞虫化させたんだからもっと苦しんで死ぬべき何だよなぁ…
6 Re: Name:匿名石 2024/07/06-22:15:55 No:00009227[申告]
改心した矢先に過去の自分の行いが返ってくる因果応報っぷりがやるせない
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