タイトル:【塩】 実装一家の大冒険(一期一会より転載)
ファイル:塩保管スク[jsc0040.txt]
作者:匿名 総投稿数:非公開 総ダウンロード数:708 レス数:4
初投稿日時:2006/07/17-11:13:34修正日時:2006/07/17-11:13:34
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【実装一家の大冒険】 大きな水音か衝撃か、あるいはその両方によってか、 仔実装は目を覚ました。 四匹の姉妹も同様に眠りを破られ、不満と驚きの入り混じった声を上げる。 そして「ママ」は、仔実装にとって神同然の存在の親実装は、 四匹の仔実装と一匹の蛆実装の中心にあって、頭を低く、両腕を広げ、 全員を守る姿勢で身を硬くしていた。 何が一家を襲ったのか? 事態を把握していたのは親実装だけだった。 いつもと同じ、発泡スチロール・ハウスの夜。 そう、人間に飼われていた経験を持つこの親実装は、多少は知恵が回る。 梅雨の時期からは雨に弱い段ボール・ハウスではなく、 発泡スチロールをねぐらに選んでいた。 仔実装たちを眠らせた後、蒸し暑さに耐えながら 親実装がどうにか眠りを手繰り寄せたところ、人間の子供に襲われた。 幸いだったのは、直接的な暴力を振るわれなかったことだ。 唐突に発泡スチロール・ハウスの蓋が閉められ、テープで固定され、 そのままどこかへ運ばれていった。 「デ、デェス。どこへ連れて行くつもりデス?」 親実装は気が気でなかったが、乱暴に運ばれているわけではない。 もしかするとこの人間は自分たちを飼ってくれるかも知れない、 そんな甘い考えすら脳裏をよぎった。 人間は始終くすくす笑いをしていたが、 発泡スチロール・ハウス内の親実装には届いていなかった。 そして、一瞬の浮遊感の後の落下。 時間にしてわずか数秒のことだったが、暗闇の中、 いつ終わるとも知れない自由落下は、親実装に死の恐怖を与えた。 「……ッ」 仔実装たちを起こさないようにと必死で悲鳴をこらえる親実装。 目を覚ますのなら安全を確認してからにして欲しい。 そうでなければ、眠ったまま全てを終わらせたい。 着水の衝撃。 大きな水音と振動が、発泡スチロール・ハウスを襲い、 仔実装たちが目を覚ましたのである。 「お前たち、大丈夫デス。落ち着くデス」 「テェーン、ママ、どうしたテチ? 何があったテチ?」 「恐いテチー、暗いテチー」 「大丈夫デス、ママと一緒なら大丈夫デッスン」 親実装は五匹の仔を自分の周りに集める。 足元が妙に不安定だ。 体重の軽い仔実装ならともかく、自分が動くとバランスが崩れそうだ。 仔実装たちだけでなく、自分の気持ちも落ち着けるため、 みんなの髪の毛をなでてやる。 「いい仔にしているデス」 「どうなってるテチ?」 「お空が見えないテチ」 言われて、親実装は発泡スチロール・ハウスに 蓋をされたことを思い出した。 手で押し上げてみる。 少し浮く。 ぺしぺしと、何度か叩いてみる。 さらに隙間が広がる。 ガムテープが使われていたなら絶望的だったが、 セロハンテープ程度の粘着力なら、実装石の力でも何とか剥がせる。 ぺしぺし、ぺしぺし。 ぱり、という乾いた音とともに、テープが剥がれた。 発泡スチロールの蓋が、勢いよく跳ねた。 「……ッ!?」 「ママ、どうしたテチ?」 「お空が動いているテチ」 「すごいテチューン」 仔実装の背丈では満点の星空は見えてもハウスのすぐ外は見えない。 しかし親実装の目には、月明かりに照らされた川面、 川沿いの道路を照らす街灯と車のヘッドライトだった。 発泡スチロール・ハウスは一転、実装一家の箱舟となったのだ。 ■ご じり、ときつい日差しが実装親仔に襲いかかる。 公園にいれば木陰や茂みに逃げ込めるところだが、今は川のど真ん中。 親実装は、自分が動けばバランスが崩れ、 発泡スチロールの船が転覆する恐れがあることを知っていた。 だから、水に手を浸すことさえ叶わず、嫌というほど陽光を浴びながら、 船の中央に鎮座するしかなかったのである。 「ママ、熱いテチ……」 「に」と名づけた次女が、親実装に懇願する。 「お水飲みたいテチ……」 「お腹すいたテチ?」 「駄目、我慢するテチ。頑張るテチ」 しっかりものの長女「いち」がそれをいなす。 母実装は、人間に飼われていた時に教わった言葉を自分の仔の名にした。 即ち、長女は「いち」、次女は「に」、 三女、これは陰茎を有していたが、「さん」、 四女は「よん」、そして未熟児である末子の蛆実装は「ご」。 他の野良実装は持たない、個を特定する「名前」をつけられたことで、 五匹は自分たちのことを、そして名前をつけてくれた親実装のことを 誇らしく思っていた。 そのことが家族の絆を深めており、 一般に乱暴者とされるマラ実装の「さん」でさえ、 親実装の教えるルールに従ったのである。 仔実装たちが、目に見えて弱ってきている。 まだ涼しい明け方こそ、初めての船旅にはしゃいでいた仔実装たちだが、 たちまち船酔いし、そこここに嘔吐した。 「お腹すいたテチー」 「気分悪いテチー」 「熱いテチー」 そうした不平不満が出るうちはまだ良かった。 次第に空腹と暑さ、そして何より喉の渇きに耐えかね、 仔実装たちは静かになっていった。 せめて直射日光からは守ろうと、 自分の体でできる影に仔実装たちを集めた。 「どうすればいいんデスゥ……」 親実装は途方に暮れるしかなかった。 上流で川流れが始まったのであれば、どこか陸地に引っかかっただろう。 しかし川幅の広い、一級河川の下流の真ん中である。 陸地ははるかに遠く、また陸地へ近づく手段もない。 ただ川の流れに身を任せる以外に、できることはなかったのである。 「デスゥ!?」 前方の川面に、何かが見えた。 その「何か」に箱舟が近づくに連れ、次第に形がはっきりしてくる。 ボートだ。 小さな手漕ぎのボートに、竿を持った老人が乗っている。 「デスッ、デスッ、デスッ!」 親実装は両手を上下させ、あらん限りの大声でアピールする。 「ワタシたちは困っているデス、助けるデスッ!」 「おお、実装石か。 実装石は賢い動物と聞いていたが、船にも乗るんじゃな」 ははは、と老人は笑う。 親実装の叫び声は「デスッ、デスッ」としか聞こえていない。 「助けて欲しいデス、ニンゲンさん。 ワタシたちこのままでは飢え死にするデス」 その声に、仔実装たちが一斉に起き出す。 「ママー、どうしたテチ?」 「ご飯見つかったテチ?」 「あ、ニンゲンテチ!」 仔実装の目線でも老人の顔が見えるくらい、 箱舟と老人の船は近づいていた。 老人は、仔実装の吐瀉物で汚れた発泡スチロールの箱に眉をひそめつつ、 親子で冒険の海に繰り出した実装一家に、軽い感動を覚えていた。 もちろん、実装一家は望んで冒険の旅に出たわけではない。 『子猫物語』を見て以来、小動物を木箱に乗せて川に流したいと、 暗い情熱を持ち続けていた小学生に見つかったのが運の尽きだった。 「お前たち、よく頑張るなあ。どこまで行く気だい?」 「助けるデス! せめて仔どもだけでも助けるデス!」 「元気がいいなあ、その元気なら海までいけるだろう」 「デスデスデスッ! とにかく助けるデスッ!」 「こりゃあ太平洋も横断できるんじゃねぇか!?」 かか、と老人は自分の言葉に笑う。 実装一家の箱舟と、老人のボートはほぼ横並びになった。 親実装は「託児」のチャンスに気づく。 このまま話を続けても埒が明かない。 ならば仔実装を老人のボートに投げ込むのが得策ではないか? しかし、同時に躊躇もする。 もし狙いが外れれば、仔実装は溺れ死ぬことになる。 箱舟から出たが最後、絶対に助けることはできないのだ ──助けるために自分が身を乗り出せば、箱舟は転覆する。 しかし、チャンスは一度しかない。 だが、どうしても踏ん切りがつかなかった。 そして一番軽い仔を、蛆実装の「ご」を掴んで、投げた。 「レフー」 脱水症状を起こしかけていた「ご」は、何が起きたかもわからないまま、 老人のボートへ投げ入れられた。 ストライク。 老人の膝元に、蛆実装がぽとりと落ちた。 「レフゥ?」 「おうおう、実装石からのプレゼントかのう」 「デスッデスッ。せめてその仔だけでも可愛がってくれデスゥ」 「何? ふむ、この餌で釣りをしろというのか?」 老人は蛆実装を摘むと、間髪入れずに釣り針を刺し、竿を振った。 その一部始終を目撃した親実装。 蛆実装は、自分の身に何が起きたのかわからないまま、息絶えた。 「ねぇねぇ、『ご』ちゃんはどうしたテチ?」 「あのニンゲンの所に行ったテチ?」 「うらやましいテチー」 親実装は、末子の最期を正直に答えることができなかった。 「……そ、そうデス。『ご』ちゃんは、あの優しいニンゲンさんに 貰われていったデス。 もう少し我慢したら、ワタシたちもニンゲンさんに 飼ってもらえるデス」 「嬉しいテチー」 「我慢するテチー」 実装一家の箱舟は、さらに下流へと流されていく。 後方から、実装石を呼ぶ声が聞こえる。 親実装は上半身だけ回して後ろを見る。 さっきの老人だ! 「ご」だけじゃ物足りず、自分たちも手にかけようと言うのか? 虐殺派ならぬ鏖殺派か!? 逃げたい、けれど、どうすることもできないもどかしさ。 「おーい、お前たち」 「ママ、ニンゲンさんが呼んでいるみたいテチ」 「ワタチたちも飼ってくれるテチ?」 「しーっデス。身をかがめて見つからないようにするデス」 「さっきの餌のおかげで、ホラ、釣れたぞー」 そう言って老人は、三十センチほどのスズキを見せた。 「お前のくれた餌で釣れたんだから、これはお前たちにやろう」 老人はボートを箱舟に近づけると、スズキを親実装の膝の上に乗せた。 老人の言葉はわからなかったが、状況は呑み込めた。 こいつが「ご」を食べたのだ。 そして今、目の前には貴重な食糧がある。 親実装は思った。 「ご」は、家族思いの優しい仔だった。 きっと自分の命と引き換えに、家族に食糧をもたらしてくれたのだ。 そう思わなければ、やっていられない。 「ママー、大きなお魚テチ」 「いつもみたいに頭と骨だけじゃないテチ」 「美味しそうテチー」 「みんなで仲良く食べるんだぞ。じゃあ、達者でな」 そう言うと、老人のボートは陸地を目指した。 実装親子は久しぶりの食事にありついた──生の魚ではあったが。 親実装は、魚の胃袋の中に未消化の蛆実装を見つけると、 他の仔に見られないように素早く呑み込んだ。 「ママ、泣いているテチ」 「そんなに美味しいテチ?」 「お魚うまうまテチューン」 「……デス。みんなお腹一杯食べるデス」 ■いち 太陽が傾き、気温も下がってきた。 食事を口にできたおかげもあって、実装親子は灼熱地獄を耐え抜いた。 親実装は直射日光を避けるため、服を着たままだが、 仔実装たちは頭巾とぱんつだけの格好で親実装に寄り添う。 満腹になったのと、涼しくなったのとで、 満たされた仔実装たちはすやすやと眠っている。 思えば、最近は餌集めに必死で、仔実装たちにかまってやれなかった。 こうして家族団らんの時を迎えたのはいつ以来だろう ──末子の蛆実装はいなくなったが。 「ん、ママ、お昼寝しないテチ?」 長女の「いち」が目を覚ます。 親実装は優しい目をしてそれに応える。 「ママ、お話しして欲しいテチ。 ニンゲンさんに飼われていた時のことをお話ししてテチ」 膝枕の「いち」が尋ねる。 「ワタシは実装ショップでニンゲンさんに貰われたデス。 ニンゲンさんご夫婦は、ワタシを実子のように それはそれは可愛がってくれたデス」 「美味しいものも食べたテチ?」 「毎日、好きな物が食べられたデス」 「あったかお風呂も毎日入れたテチ?」 「そうデス、毎日あわあわのお風呂でキレイになったデス」 「ワタチは『いち』って名前をママに貰ったテチ。 ママは、どんな名前を貰ったテチ?」 「……それは内緒デス。ワタシの名前を呼んでいいのは、 ご主人様だけデスゥ」 のろけて、身をよじる親実装。 いつの間にか、他の仔実装たちも目を覚まし、 二匹のやり取りを聞いていた。 そして、一番聡明な「に」が、核心を突く質問を切り出す。 「どうちてママは、ニンゲンさんの許を離れて 公園で暮らすようになったテチ?」 「それは……デス」 親実装が答えに窮していると、文字通り渡りに船。 「お前たち、あれを見るデス」 親実装が指し示す方向には、煌々と明かりが灯った船。 いつの間にか夕闇が降りていたが、その船の一帯だけは明々としている。 明るいだけではない、船の中からは笑い声が聞こえて賑やかだ。 屋形船だ。 「お、あれは何だ? ゴミか?」 船縁で風に当たり、酔いを少し醒ましていた男が箱舟に気づいた。 「あ、実装石だ、実装石の親子だ」 「どれどれ」 「本当、可愛いー」 「きもいよー」 「すげーな、船旅してるよ」 サラリーマンとOLが、船縁に集まって実装一家に視線を送る。 実装石にとって、人間の注目を集めるのは至極の喜び。 本能で体が動く。 「ホラ、お前たち、みんな見てくれているデス。 気に入ってもらえるよう、みんなで踊るデス」 「テチー」 「テッテレテー」 「テチテチー」 「デッデロゲー、デッスーン」 親実装は指揮者のように両手で音頭を取り、 それに合わせて頭巾とぱんつだけの仔実装がでたらめに踊る。 屋形船の人間たちは大喜びだ。 「いいぞー、下手くそ。もっとやれー」 「可愛いー」 「きもいー」 「おい、誰かおひねりくれてやれ」 その一言が引き金となって、人間たちは皿の上の残り物、 鳥やイカの唐揚げ、刺身、焼き鳥などを箱舟に投げ入れ始めた。 踊りを見せれば美味しい食べ物を貰える、 そう考えた「いち」は、もっと巧い踊りを見せれば 人間に飼ってもらえるのではないか、と短絡的に考えた。 「『いち』、危ないデスゥ」 「このくらい平気テチ」 「いち」は箱舟の縁に両手をかけると、体を持ち上げた。 さすがに縁に立つことはできないので縁を跨ぎ、 上半身をひねって屋形船のほうを向く。 両手を振って、最大限にアピールする。 「お、こいつサービス精神旺盛だな」 「どうだい、一杯いってみるか?」 そう言って、男は身を乗り出してお猪口を仔実装の口へ持っていく。 喉が渇いていた「いち」は、一息にそれを飲み干した。 もともと水分を吸収しやすい実装石である、アルコールの回りも早い。 「いち」は顔を上気させると、上半身をふらふら回し始めた。 「『いち』、危ないデッス!」 「ふらふらーテチ。いい気持ちーテチ」 「あッ!」 「いち」は川に落ちた。 必死でもがく仔実装。 酒を飲ませた男は、反射的に身を乗り出して仔実装を救おうとする。 「おい、大丈夫か」 「テッチ、テチー」 仔実装は差し出された男の手を必死で掴んだ。 男は軽々と仔実装を持ち上げると、屋形船に引き入れた。 「『いち』、大丈夫デス!?」 「大丈夫テチー。優しいニンゲンさんが助けてくれたテチー」 「良かったデスゥ。さあ、戻ってくるデス。ご飯もたくさんあるデス」 「いやテチ」 「デ!?」 「こっちはもっと美味しいものがたくさんあるテチ。 優しくて強いニンゲンさんもいるテチ。 『いち』はこのニンゲンさんたちに飼ってもらうテチ」 「お、何か喋ってる。さしずめ、無事を確認し合って喜んでるところか」 「親のところに帰りたいんじゃない? 帰してあげたら」 「そうだね」 そう言って男が仔実装を持ち上げると、仔実装は必死で抵抗する。 仕方なく下ろすと、畳の上を走って逃げる。 「親のところに帰りたくないのかなあ」 「実装石って親が仔を食べることもあるらしいよ。 それで逃げているのかも」 その一言で、男は決断した。 「そんなわけだから、この仔実装、俺が貰っていくわ」 「デスゥ?」 「仔だくさんなんだから、一匹くらいいいだろ? じゃあな」 そう言うと障子窓を閉め、親実装の言葉を閉め出した。 屋形船は箱舟より先に下流へと向かい、後には笑い声が残った。 「『いち』……」 「ママ、お姉ちゃんはどうしたテチ?」 「どこ行ったテチ?」 「ニンゲンさんに貰われていったデス」 「ずるいテチー」 「ワタチのほうが可愛いのに、ニンゲンさんは見る目ないテチ」 「お姉ちゃんのように踊れば、ワタチも貰われるテチ?」 そう言って、「よん」が船縁によじ登ろうとする。 「駄目デス」と親実装が右手ではたく。 「てぇーん」と泣き始める仔実装。 その泣き声に、残りの仔実装は自分たちが取り残されたこと、 そして将来への漠たる不安を覚えて泣き始める。 「叩いて悪かったデス。大丈夫デス、大丈夫デス。 もうすぐみんなで幸せになれるデスゥ」 親実装は三匹になってしまった仔実装を抱き寄せた。 あの人間は川に落ちた長女を助けてくれた。 きっと優しい人に違いない。 自分たちの運命はまだどうなるかわからないが、 「いち」だけでも優しい人に拾われて良かった。 それだけでも親実装は救われた気持ちになった。 屋形船の中では、珍客が加わったこともあり、大いに盛り上がっていた。 仔実装の「いち」もしこたま酒を飲まされて、 ふらふらになりながらも幸せを噛み締めていた。 「こんなに楽しいのは初めてテチ。 こんなに美味しいご飯を食べたのも初めてテチ。 これがニンゲンさんに飼われるってことテチ」 「そう言えば最近、実装石料理が流行っているんだって?」 「会席ならぬ実装石ってか」 「美味いの?」 「ちゃんと処理すれば食えるって話だけど」 「板さん、こいつ調理できる?」 「いち」を助けた男がおもむろに切り出した。 「いえ、ゲテモノはちょっと……」 「何だ、できないのか」 「じゃあ、お前やっちゃえよ」 「俺か?」 「その小汚い仔実装、家に連れて帰る気か? 奥さんに怒られるぞ」 「それもそうだな。誰か、カッター持ってないか?」 夜空が明るく照らされ、乾いた連続音が後を追う。 突然のことに、三匹の仔実装が怯える。 「ママ、恐いテチ」 「何が起こったテチ?」 「大丈夫デス。あれは花火と言うものデス」 親実装は空を見上げる。 火薬の爆発で放出される染料や顔料によって夜空が彩られる。 親実装の言葉に安心し、仔実装も空を見上げる。 「きれいテチー」 「すごいテチー」 仔実装たちは、夜空を一杯に使った光と音のショーに酔いしれた。 人間は夜を昼に変える力を持っている。 その人間に飼われるということはどれほど素敵なことか。 仔実装たちは花火大会の荘厳さに、 自分たちの幸福な未来を重ねるのだった。 しかし、親実装だけは花火に照らされた別の物を見ていた。 緑の頭巾、栗色の髪、裸の仔実装がうつ伏せになって川に浮かんでいる。 最初は目の錯覚だと思った。 次に花火で照らされた時、仔実装の体は回転していた。 赤と緑の目があるべき場所は暗い空洞となっており、 体は縦に切り裂かれていた。 中に収まっていた筈の内臓は、どこにも見当たらない。 「お姉ちゃんもニンゲンさんと一緒に花火を見てるテチ?」 「離れていても同じ夜空を見上げているテチ」 「いつまでも一緒テチー」 親実装には、かける言葉が見つからなかった。 ただ涙が流れるのを堪えるため、 顔を上に上げて夜空を見つめるだけだった。 ■よん 花火大会が終わると、夜空は本来の暗闇と静寂に戻った。 しかし、河川敷では未だ興奮が冷め遣らないのか、 若者たちのグループが持ち寄った花火に興じていた。 駐車場から出ようとした車のヘッドライトが箱舟を照らす。 「ちょっと待って、あれ何?」 花火をしていた女の子の一人が箱舟に気づいた。 「あれ、何か人が浮いていたみたい」 「マジか? 見間違いじゃないの?」 「ホントだって、車のライトで照らしてみて」 彼女に言われて複数の男が車に乗り、ヘッドライトを照射する。 「デデッ!」 「ママ、まぶしいテチ」 「もう朝テチ?」 眠っていた仔実装たちが目を覚ます。 親実装は警戒する。 もはや人間に僅かな希望も抱くことができない。 「あれ、実装石じゃん」 「生意気に、船旅してんじゃんよ」 「おい、ロケット花火、ロケット花火」 「連発式のやつもあるだろ、水平射撃だ」 若者たちはどんどん流されてゆく箱舟を逃してなるかと、 素早く川下へ移動しながら射撃準備を整える。 「情け無用、ファイアー!」 掛け声とともにロケット花火が放たれる。 初弾から命中するものではない。 一発目は箱舟を大きく越えて落下した。 ひゅん、と風を切る音が頭上を通過し、実装親子は恐怖を覚える。 二発目は箱舟の手前で着水。 水中で破裂し、小さな水柱を上げる。 「よーし、目標夾叉ーっ。次は当てるぞー」 その言葉通り、ロケット花火は見事、箱舟の側壁に突き刺さり、破裂した。 喫水よりはるか上に命中したので、その穴から浸水する心配はない。 しかし。 「ママー、恐いテチー」 「ママー!」 箱舟の中は恐怖で満たされた。 何かはわからないが、大きな音で高速で向かってくる物体がある。 明らかに自分たちに敵意が向けられている。 開いた穴から、仔実装たちの目にも、 川岸から光の束が迫ってくるのが見えた。 これまでの見えない恐怖が、具体的な形を伴った見える恐怖へと変貌した。 三匹は、たまらず、ぱんつの中に脱糞する。 「次、二十連発いってみようかー」 ぽん、ぽんと気の抜けた音とともに、男が持っている筒から、 赤、緑、青と、一定間隔で光球が吐き出される。 水平射撃では距離が届かないので、男は一発放たれるごとに仰角をつけ、 照準の精度を上げていく。 しかし、わずかな風や火薬の量の違いでなかなか命中弾は得られない。 十数発目にしてようやく、一発が箱舟の中に落下した。 「テヂャー」 悲鳴を上げたのは「よん」だった。 火の玉が、頭部を直撃した。 頭巾に火が回ることはなかったが、大事な髪の毛が高温で焦がされた。 たちまち、嫌な臭いが充満する。 瞬間的な熱さとこの臭いとが、臆病な「よん」に恐慌をもたらした。 彼女は頭部全体が火に包まれたと錯覚し、火を消すため、 船縁を乗り越えて川へと飛び込んだのだ。 「ママ、ママッ、溺れるテチッ、助けてテチッ」 「『よん』っ、早く戻ってくるデス」 「駄目テチッ、泳げないテチッ」 「『よん』ちゃん!」 妹を助けようと川に飛び込む覚悟の「に」。 親実装は髪の毛を引っ張ってそれを阻止する。 「ママ、どうして『よん』ちゃんを助けてくれないテチッ!」 「ママは動けないデス、動いたら転覆するデス」 「ママのデブーッ! 『よん』ちゃんが死んじゃうテチッ」 「ご」も「いち」も死に、そして「よん」までも、 自分の目の前で命を落とそうとしている。 しかも、自分にはどうすることもできないのだ。 その時、新たな危機が箱舟を襲った。 二十連発花火、その最後の一発が箱舟の底に着弾したのだ。 「デデーッ」 火の玉は見る間に発泡スチロールを溶かし、穴を開ける。 そこから、たちまち水が浸入してきた。 「デッデデー!? デー、デー!?」 自分さえ動かなければこの箱舟は安泰だ、 単純にそう考えていたから、予想しなかった危機にすぐに対応できない。 このままではじきに箱舟は沈んでしまう。 その時、三女の「さん」が立ち上がった。 「テチッ!」 そう短く叫ぶと、隆起した陰茎を花火で開いた穴に差し込んだのだ。 穴があったら挿入せずにはいられない、マラ実装の本能でもあった。 「『さん』ちゃん、すごいテチッ」 「テチッ!」 「『さん』……、お前はワタシの誇りデス」 浸水は止まった。 箱舟は花火の射程距離外まで流されていった。 それは同時に、溺れていた「よん」の救出も できなくなったことを意味する。 親実装の前には、二匹の仔実装。 聡明な「に」と、勇敢な「さん」。 「に」はロケット花火がつくったのぞき穴から顔を出し、 進行方向の後ろを、「よん」が姿を消した川面を見ている。 「さん」は船首方向で腹ばいになり、肉棒で穴を塞いでいる。 この二匹だけは自分の命に代えても守る。 親実装は固く心に誓う。 だが、どうやって? それが問題だった。 ■さん 恐怖の夜は過ぎ去り、再び朝がやってきた。 最初に目を覚ましたのは親実装だった。 船旅を始めて以来、座ったままなので疲れが全く取れていない。 尻は痛むが、何よりそのままで排便しているのが気持ち悪い。 「こんなことでは飼い実装に戻れないデスゥ」と、 自分の頭をこつんと叩いてみる。 それで完全に目が覚めた。 まだわずかではあるが、浸水してきていることに気づいた。 顔を横にして寝ていたマラ実装も、自分たちの汚物を溶かした水が 口の中に浸入してきて、たまらず目を覚ます。 浸水の原因は明白だった。 「さん」自慢の如意棒も、冷たい水にさらされ続け、 萎縮してしまったのだ。 そうしてできた隙間から、水が入ってきてしまった。 「『さん』、早く穴を塞ぐデスッ!」 「テチッ!」 返事は良いが、肝心の逸物が役に立たない。 硬度を失ったそれは、ただの肉の塊に戻っていた。 何とか、勢いを取り戻させなくてはならない。 でも、どうやって? その方法ならわかっていた。 「『さん』、こっち見るデス」 そう言うと親実装はスカートをめくり、汚れたぱんつをずらす。 「としまえん、開園デッスーン」 (ぞくっ) 「テチッ!」 「さん」は、親実装に性の手ほどきを受けた時のことを思い出した。 正確には、猛る若い性を鎮めるため、親実装がやむを得ず 「抜いて」やっただけである。 そうすることで、他の仔実装に害を及ぼすのを防いできた。 親実装は、「さん」を見据えると、舌なめずりをして、 右手を上下してみせる。 言うまでもなく、肉茎をしごく仕草である。 仔実装の分身は充血し、本来の力を取り戻した。 隙間が埋まり、浸水も止まった。 「ママ、すごいテチッ!」 「に」は素直にママの手管に感心した。 萎れた「さん」の肉の拳銃を、たちまち甦らせたのである。 「ワタチも手伝うテチ」 そう言うと、仔実装もぱんつをずらし、幼い総排泄口をさらす。 「さん」は、未成熟なそれに、これまでにない興奮を覚えた。 「テチッ!」 たまらず、果てた。 実装石の精液が水中に放たれる。 と同時に再び肉棒が縮み、隙間が生じる。 「と、としまえん、開園デッスーン」 (ぞくっ) 「テチッ!」 「ワタチも手伝うテチッ!」 箱舟の中で、擬似近親相姦に擬似親子どんぶりが繰り広げられた。 マラ仔実装の幼い肉茎は、充血し、頂点に達し、精を放ち、 を何度となく繰り返した。 陰茎が縮めば、たちまち浸水が始まるのだから、 親仔実装は本気で劣情を煽る。 仔実装もそれに応える。 しかし幼い肉体にとって、それは耐え切れない負担だった。 俗に、人間の場合はやりすぎると最後には赤玉が出て、 ぽっくり逝ってしまうという。 このマラ仔実装は、数え切れぬ勃起と放出を繰り返した挙句、 ついに偽石が、鈴口から零れ落ちてしまったのである。 その時、マラ仔実装が感じた痛みは、尿道結石を経験した人間なら 共感できたことだろう。 マラ仔実装は、生涯で最高の悦びと最悪の痛みを同時に経験して、果てた。 偽石は水中できらきらと輝きながら沈んでいき、砕けた。 「デ、デェー」 「『さん』ちゃん、『さん』ちゃーん」 「しっかりするデス、もう一回おっきするデスゥ」 親実装はマラ仔実装の体を揺するが、もちろん反応はない。 そうしている間にも、浸水は続く。 親実装は咄嗟に「に」を掴み上げると、「さん」の代わりに 足から穴に差し込んだ。 腹のところまで穴に押し込んで、ようやく浸水は止まった。 箱舟の中には親実装と仔実装が一匹ずつ。 親実装が動けば箱舟のバランスが崩れ、仔実装が動けば浸水する。 「デス、食べるデス」 「何を食べるテチ?」 「『さん』を食べるデス」 「ママ、そんなことできないテチ」 「お前は食べなきゃいけないデス。 そのままの状態でうんちして、お腹が引っ込んだら、 そこから水が入ってくるデス。だから食べるしかないデス。」 そう言うと、親実装は「さん」の首をひねって胴体から引きちぎる。 その瞬間、仔実装はただの肉塊となった。 自分は切断面を口にして、音を立てて体液を吸う。 仔実装は、母親の初めて見る側面を目の当たりにして怯える。 親実装は「さん」だった肉塊から腕をもぎ取り、 無理やりに「に」の口に押し込む。 「に」は体の自由が利かないので逃げられない。 首を振って抵抗しようとするが、親実装の力には敵わない。 小さな口に「さん」の腕がねじ込まれた。 「食べるデース、食べるデース。生きるために食べるデース」 「ママ、やめてテチーッ」 ■に 発泡スチロールの箱が波間に揺れている。 中には、上半身だけの仔実装──下半身は海中に浸っている。 両脚はとうにふやけ、魚につつかれ、激しく損傷していた。 両腕にも怪我を負っていた。 喉の渇きを潤すため、自分で腕に噛みつき、 自分の血をすすったのである。 箱の中は、乾いた糞便と実装石の体液、そして親実装の服。 それを見て、仔実装は思う。 「ママ、ワタチは生き抜くテチ」 それが、「さん」と親実装の屍肉を喰らって生き延びた、 自分の使命だと考えていた。 「さん」を食べ終えてから、変化のない日々が続いた。 箱舟はついに海に達し、潮の流れに流されていた。 水の臭いが変わったことに親仔実装は気づいていたが、 潮の臭いを嗅ぐのが初めてなら、海を見るのも初めてだった。 その違いが何を意味するかまでは理解していなかった。 変化がないということは、食糧も手に入らないということである。 親実装は、覚悟を決めていた。 自分の仔を四匹も失ってしまった。 残るは「に」だけ。 ならば今度こそ本当に、自分の命と引き換えにこの仔を助けよう、と。 「ママはもうすぐ死ぬデス。ママが死んだら、ワタシを食べるデス」 「ママ、そんなこと言わないテチ」 「お前は前に、どうしてママが公園生活を始めたのか聞いたデス。 ママは捨てられたデス」 「嘘テチッ。ママはニンゲンさんに可愛がられたって言ったテチ」 「そうデス。ニンゲンさん夫婦は、子供がいなかったデス。 だからワタシのことを、本当の子供のように可愛がってくれたデス。 でも、子供が産まれたデス」 「ママ……」 「ママの名前は、子供が産まれたらつけようと決めていた名前だったデス。 だから、本当の子供が産まれたから、ママの名前は取り上げられたデス。 ママは名無しになってしまったデスゥ」 「名無し、テチ?」 「ママはいらない子なんデスゥ。だから公園に捨てられたデス。 でも、お前はママにとって大切な仔です。 生きて、生きて、生き延びるデスゥ。ママの命を、お前に上げるデス」 それが、仔実装が親実装と最後に交わした会話だった。 しかし、親実装との約束も危ういものとなりつつあった。 照りつける太陽が仔実装から水分と体力を奪い、 それを補うべき水も食糧も手に入らなかった。 「ママ、ご免テチ……。ワタチもう、もたないテチ」 がくり、と頭を垂れる仔実装。 彼女の生命の灯は、まさに消えかけようとしていた。 仔実装の瞼の裏に浮かぶのは、仲の良かった姉妹たちと、 そしてやさしかったママの姿。 もう少しでみんなのところへ行ける。 忘れていた痛覚が、失われかけていた右足を刺激した。 「痛いテチ」 また魚が、餌と間違ってつついている。 「この馬鹿魚、お前なんか捕まえて、食べてやるテチ」 海中で、足を前後に振って魚を威嚇する。 ただれた皮膚が水かきのようになって、水を蹴った。 わずかだが、箱舟が自分の意志で進んだように思えた。 もう一度水を蹴る。 水の抵抗で足の傷が痛むが、確かに前へ進んだ。 やれる、と仔実装は思った。 「ママはリスクを恐れて動かなかったテチ。 それはそれで、ママの考えテチ。 でも、ワタチはそんな生き方はできないテチ。 自分の人生は自分で決めるテチ」 仔実装は、自分の内側から力が沸いてくるのを感じた。 この力がどこまで続くかはわからない。 けれど、運命を変える力になってくれると確信していた。 「ママは馬鹿テチ。 ニンゲンさんに捨てられる前に、何か努力したテチ? ただ運命を受け入れただけじゃないテチ? 『よん』ちゃんが溺れた時も、みんなで川に飛び込んでも良かったテチ。 賭けかもしれないけど、その賭けに勝てば、みんな幸せになれたテチ」 人間には不遜に思える言葉でも、実装石の基準に照らせば、 ごく自然な思考だった。 普通の実装石と違ったのは、この仔実装が他者を罵るだけでなく、 それを反省の糧とし、行動に移していることだった。 「実装石は弱い存在テチ。ワタチはニンゲンに、 あるいはこの自然に殺されるかも知れないテチ。 でも、たとえ死んでも負けてはいけないんテチッ!」 仔実装は痛む足で水を蹴り続けた。 どこへ向かっているかは問題ではない。 初めて自分の意志で、流れに逆らってみようとしたことが重要なのだ。 たとえ肉体は滅びようとも、 仔実装の意志は海を支配するまで戦い続ける。 それは、高貴なる戦いであった。 【終】【実装一家の大冒険】 大きな水音か衝撃か、あるいはその両方によってか、 仔実装は目を覚ました。 四匹の姉妹も同様に眠りを破られ、不満と驚きの入り混じった声を上げる。 そして「ママ」は、仔実装にとって神同然の存在の親実装は、 四匹の仔実装と一匹の蛆実装の中心にあって、頭を低く、両腕を広げ、 全員を守る姿勢で身を硬くしていた。 何が一家を襲ったのか? 事態を把握していたのは親実装だけだった。 いつもと同じ、発泡スチロール・ハウスの夜。 そう、人間に飼われていた経験を持つこの親実装は、多少は知恵が回る。 梅雨の時期からは雨に弱い段ボール・ハウスではなく、 発泡スチロールをねぐらに選んでいた。 仔実装たちを眠らせた後、蒸し暑さに耐えながら 親実装がどうにか眠りを手繰り寄せたところ、人間の子供に襲われた。 幸いだったのは、直接的な暴力を振るわれなかったことだ。 唐突に発泡スチロール・ハウスの蓋が閉められ、テープで固定され、 そのままどこかへ運ばれていった。 「デ、デェス。どこへ連れて行くつもりデス?」 親実装は気が気でなかったが、乱暴に運ばれているわけではない。 もしかするとこの人間は自分たちを飼ってくれるかも知れない、 そんな甘い考えすら脳裏をよぎった。 人間は始終くすくす笑いをしていたが、 発泡スチロール・ハウス内の親実装には届いていなかった。 そして、一瞬の浮遊感の後の落下。 時間にしてわずか数秒のことだったが、暗闇の中、 いつ終わるとも知れない自由落下は、親実装に死の恐怖を与えた。 「……ッ」 仔実装たちを起こさないようにと必死で悲鳴をこらえる親実装。 目を覚ますのなら安全を確認してからにして欲しい。 そうでなければ、眠ったまま全てを終わらせたい。 着水の衝撃。 大きな水音と振動が、発泡スチロール・ハウスを襲い、 仔実装たちが目を覚ましたのである。 「お前たち、大丈夫デス。落ち着くデス」 「テェーン、ママ、どうしたテチ? 何があったテチ?」 「恐いテチー、暗いテチー」 「大丈夫デス、ママと一緒なら大丈夫デッスン」 親実装は五匹の仔を自分の周りに集める。 足元が妙に不安定だ。 体重の軽い仔実装ならともかく、自分が動くとバランスが崩れそうだ。 仔実装たちだけでなく、自分の気持ちも落ち着けるため、 みんなの髪の毛をなでてやる。 「いい仔にしているデス」 「どうなってるテチ?」 「お空が見えないテチ」 言われて、親実装は発泡スチロール・ハウスに 蓋をされたことを思い出した。 手で押し上げてみる。 少し浮く。 ぺしぺしと、何度か叩いてみる。 さらに隙間が広がる。 ガムテープが使われていたなら絶望的だったが、 セロハンテープ程度の粘着力なら、実装石の力でも何とか剥がせる。 ぺしぺし、ぺしぺし。 ぱり、という乾いた音とともに、テープが剥がれた。 発泡スチロールの蓋が、勢いよく跳ねた。 「……ッ!?」 「ママ、どうしたテチ?」 「お空が動いているテチ」 「すごいテチューン」 仔実装の背丈では満点の星空は見えてもハウスのすぐ外は見えない。 しかし親実装の目には、月明かりに照らされた川面、 川沿いの道路を照らす街灯と車のヘッドライトだった。 発泡スチロール・ハウスは一転、実装一家の箱舟となったのだ。 ■ご じり、ときつい日差しが実装親仔に襲いかかる。 公園にいれば木陰や茂みに逃げ込めるところだが、今は川のど真ん中。 親実装は、自分が動けばバランスが崩れ、 発泡スチロールの船が転覆する恐れがあることを知っていた。 だから、水に手を浸すことさえ叶わず、嫌というほど陽光を浴びながら、 船の中央に鎮座するしかなかったのである。 「ママ、熱いテチ……」 「に」と名づけた次女が、親実装に懇願する。 「お水飲みたいテチ……」 「お腹すいたテチ?」 「駄目、我慢するテチ。頑張るテチ」 しっかりものの長女「いち」がそれをいなす。 母実装は、人間に飼われていた時に教わった言葉を自分の仔の名にした。 即ち、長女は「いち」、次女は「に」、 三女、これは陰茎を有していたが、「さん」、 四女は「よん」、そして未熟児である末子の蛆実装は「ご」。 他の野良実装は持たない、個を特定する「名前」をつけられたことで、 五匹は自分たちのことを、そして名前をつけてくれた親実装のことを 誇らしく思っていた。 そのことが家族の絆を深めており、 一般に乱暴者とされるマラ実装の「さん」でさえ、 親実装の教えるルールに従ったのである。 仔実装たちが、目に見えて弱ってきている。 まだ涼しい明け方こそ、初めての船旅にはしゃいでいた仔実装たちだが、 たちまち船酔いし、そこここに嘔吐した。 「お腹すいたテチー」 「気分悪いテチー」 「熱いテチー」 そうした不平不満が出るうちはまだ良かった。 次第に空腹と暑さ、そして何より喉の渇きに耐えかね、 仔実装たちは静かになっていった。 せめて直射日光からは守ろうと、 自分の体でできる影に仔実装たちを集めた。 「どうすればいいんデスゥ……」 親実装は途方に暮れるしかなかった。 上流で川流れが始まったのであれば、どこか陸地に引っかかっただろう。 しかし川幅の広い、一級河川の下流の真ん中である。 陸地ははるかに遠く、また陸地へ近づく手段もない。 ただ川の流れに身を任せる以外に、できることはなかったのである。 「デスゥ!?」 前方の川面に、何かが見えた。 その「何か」に箱舟が近づくに連れ、次第に形がはっきりしてくる。 ボートだ。 小さな手漕ぎのボートに、竿を持った老人が乗っている。 「デスッ、デスッ、デスッ!」 親実装は両手を上下させ、あらん限りの大声でアピールする。 「ワタシたちは困っているデス、助けるデスッ!」 「おお、実装石か。 実装石は賢い動物と聞いていたが、船にも乗るんじゃな」 ははは、と老人は笑う。 親実装の叫び声は「デスッ、デスッ」としか聞こえていない。 「助けて欲しいデス、ニンゲンさん。 ワタシたちこのままでは飢え死にするデス」 その声に、仔実装たちが一斉に起き出す。 「ママー、どうしたテチ?」 「ご飯見つかったテチ?」 「あ、ニンゲンテチ!」 仔実装の目線でも老人の顔が見えるくらい、 箱舟と老人の船は近づいていた。 老人は、仔実装の吐瀉物で汚れた発泡スチロールの箱に眉をひそめつつ、 親子で冒険の海に繰り出した実装一家に、軽い感動を覚えていた。 もちろん、実装一家は望んで冒険の旅に出たわけではない。 『子猫物語』を見て以来、小動物を木箱に乗せて川に流したいと、 暗い情熱を持ち続けていた小学生に見つかったのが運の尽きだった。 「お前たち、よく頑張るなあ。どこまで行く気だい?」 「助けるデス! せめて仔どもだけでも助けるデス!」 「元気がいいなあ、その元気なら海までいけるだろう」 「デスデスデスッ! とにかく助けるデスッ!」 「こりゃあ太平洋も横断できるんじゃねぇか!?」 かか、と老人は自分の言葉に笑う。 実装一家の箱舟と、老人のボートはほぼ横並びになった。 親実装は「託児」のチャンスに気づく。 このまま話を続けても埒が明かない。 ならば仔実装を老人のボートに投げ込むのが得策ではないか? しかし、同時に躊躇もする。 もし狙いが外れれば、仔実装は溺れ死ぬことになる。 箱舟から出たが最後、絶対に助けることはできないのだ ──助けるために自分が身を乗り出せば、箱舟は転覆する。 しかし、チャンスは一度しかない。 だが、どうしても踏ん切りがつかなかった。 そして一番軽い仔を、蛆実装の「ご」を掴んで、投げた。 「レフー」 脱水症状を起こしかけていた「ご」は、何が起きたかもわからないまま、 老人のボートへ投げ入れられた。 ストライク。 老人の膝元に、蛆実装がぽとりと落ちた。 「レフゥ?」 「おうおう、実装石からのプレゼントかのう」 「デスッデスッ。せめてその仔だけでも可愛がってくれデスゥ」 「何? ふむ、この餌で釣りをしろというのか?」 老人は蛆実装を摘むと、間髪入れずに釣り針を刺し、竿を振った。 その一部始終を目撃した親実装。 蛆実装は、自分の身に何が起きたのかわからないまま、息絶えた。 「ねぇねぇ、『ご』ちゃんはどうしたテチ?」 「あのニンゲンの所に行ったテチ?」 「うらやましいテチー」 親実装は、末子の最期を正直に答えることができなかった。 「……そ、そうデス。『ご』ちゃんは、あの優しいニンゲンさんに 貰われていったデス。 もう少し我慢したら、ワタシたちもニンゲンさんに 飼ってもらえるデス」 「嬉しいテチー」 「我慢するテチー」 実装一家の箱舟は、さらに下流へと流されていく。 後方から、実装石を呼ぶ声が聞こえる。 親実装は上半身だけ回して後ろを見る。 さっきの老人だ! 「ご」だけじゃ物足りず、自分たちも手にかけようと言うのか? 虐殺派ならぬ鏖殺派か!? 逃げたい、けれど、どうすることもできないもどかしさ。 「おーい、お前たち」 「ママ、ニンゲンさんが呼んでいるみたいテチ」 「ワタチたちも飼ってくれるテチ?」 「しーっデス。身をかがめて見つからないようにするデス」 「さっきの餌のおかげで、ホラ、釣れたぞー」 そう言って老人は、三十センチほどのスズキを見せた。 「お前のくれた餌で釣れたんだから、これはお前たちにやろう」 老人はボートを箱舟に近づけると、スズキを親実装の膝の上に乗せた。 老人の言葉はわからなかったが、状況は呑み込めた。 こいつが「ご」を食べたのだ。 そして今、目の前には貴重な食糧がある。 親実装は思った。 「ご」は、家族思いの優しい仔だった。 きっと自分の命と引き換えに、家族に食糧をもたらしてくれたのだ。 そう思わなければ、やっていられない。 「ママー、大きなお魚テチ」 「いつもみたいに頭と骨だけじゃないテチ」 「美味しそうテチー」 「みんなで仲良く食べるんだぞ。じゃあ、達者でな」 そう言うと、老人のボートは陸地を目指した。 実装親子は久しぶりの食事にありついた──生の魚ではあったが。 親実装は、魚の胃袋の中に未消化の蛆実装を見つけると、 他の仔に見られないように素早く呑み込んだ。 「ママ、泣いているテチ」 「そんなに美味しいテチ?」 「お魚うまうまテチューン」 「……デス。みんなお腹一杯食べるデス」 ■いち 太陽が傾き、気温も下がってきた。 食事を口にできたおかげもあって、実装親子は灼熱地獄を耐え抜いた。 親実装は直射日光を避けるため、服を着たままだが、 仔実装たちは頭巾とぱんつだけの格好で親実装に寄り添う。 満腹になったのと、涼しくなったのとで、 満たされた仔実装たちはすやすやと眠っている。 思えば、最近は餌集めに必死で、仔実装たちにかまってやれなかった。 こうして家族団らんの時を迎えたのはいつ以来だろう ──末子の蛆実装はいなくなったが。 「ん、ママ、お昼寝しないテチ?」 長女の「いち」が目を覚ます。 親実装は優しい目をしてそれに応える。 「ママ、お話しして欲しいテチ。 ニンゲンさんに飼われていた時のことをお話ししてテチ」 膝枕の「いち」が尋ねる。 「ワタシは実装ショップでニンゲンさんに貰われたデス。 ニンゲンさんご夫婦は、ワタシを実子のように それはそれは可愛がってくれたデス」 「美味しいものも食べたテチ?」 「毎日、好きな物が食べられたデス」 「あったかお風呂も毎日入れたテチ?」 「そうデス、毎日あわあわのお風呂でキレイになったデス」 「ワタチは『いち』って名前をママに貰ったテチ。 ママは、どんな名前を貰ったテチ?」 「……それは内緒デス。ワタシの名前を呼んでいいのは、 ご主人様だけデスゥ」 のろけて、身をよじる親実装。 いつの間にか、他の仔実装たちも目を覚まし、 二匹のやり取りを聞いていた。 そして、一番聡明な「に」が、核心を突く質問を切り出す。 「どうちてママは、ニンゲンさんの許を離れて 公園で暮らすようになったテチ?」 「それは……デス」 親実装が答えに窮していると、文字通り渡りに船。 「お前たち、あれを見るデス」 親実装が指し示す方向には、煌々と明かりが灯った船。 いつの間にか夕闇が降りていたが、その船の一帯だけは明々としている。 明るいだけではない、船の中からは笑い声が聞こえて賑やかだ。 屋形船だ。 「お、あれは何だ? ゴミか?」 船縁で風に当たり、酔いを少し醒ましていた男が箱舟に気づいた。 「あ、実装石だ、実装石の親子だ」 「どれどれ」 「本当、可愛いー」 「きもいよー」 「すげーな、船旅してるよ」 サラリーマンとOLが、船縁に集まって実装一家に視線を送る。 実装石にとって、人間の注目を集めるのは至極の喜び。 本能で体が動く。 「ホラ、お前たち、みんな見てくれているデス。 気に入ってもらえるよう、みんなで踊るデス」 「テチー」 「テッテレテー」 「テチテチー」 「デッデロゲー、デッスーン」 親実装は指揮者のように両手で音頭を取り、 それに合わせて頭巾とぱんつだけの仔実装がでたらめに踊る。 屋形船の人間たちは大喜びだ。 「いいぞー、下手くそ。もっとやれー」 「可愛いー」 「きもいー」 「おい、誰かおひねりくれてやれ」 その一言が引き金となって、人間たちは皿の上の残り物、 鳥やイカの唐揚げ、刺身、焼き鳥などを箱舟に投げ入れ始めた。 踊りを見せれば美味しい食べ物を貰える、 そう考えた「いち」は、もっと巧い踊りを見せれば 人間に飼ってもらえるのではないか、と短絡的に考えた。 「『いち』、危ないデスゥ」 「このくらい平気テチ」 「いち」は箱舟の縁に両手をかけると、体を持ち上げた。 さすがに縁に立つことはできないので縁を跨ぎ、 上半身をひねって屋形船のほうを向く。 両手を振って、最大限にアピールする。 「お、こいつサービス精神旺盛だな」 「どうだい、一杯いってみるか?」 そう言って、男は身を乗り出してお猪口を仔実装の口へ持っていく。 喉が渇いていた「いち」は、一息にそれを飲み干した。 もともと水分を吸収しやすい実装石である、アルコールの回りも早い。 「いち」は顔を上気させると、上半身をふらふら回し始めた。 「『いち』、危ないデッス!」 「ふらふらーテチ。いい気持ちーテチ」 「あッ!」 「いち」は川に落ちた。 必死でもがく仔実装。 酒を飲ませた男は、反射的に身を乗り出して仔実装を救おうとする。 「おい、大丈夫か」 「テッチ、テチー」 仔実装は差し出された男の手を必死で掴んだ。 男は軽々と仔実装を持ち上げると、屋形船に引き入れた。 「『いち』、大丈夫デス!?」 「大丈夫テチー。優しいニンゲンさんが助けてくれたテチー」 「良かったデスゥ。さあ、戻ってくるデス。ご飯もたくさんあるデス」 「いやテチ」 「デ!?」 「こっちはもっと美味しいものがたくさんあるテチ。 優しくて強いニンゲンさんもいるテチ。 『いち』はこのニンゲンさんたちに飼ってもらうテチ」 「お、何か喋ってる。さしずめ、無事を確認し合って喜んでるところか」 「親のところに帰りたいんじゃない? 帰してあげたら」 「そうだね」 そう言って男が仔実装を持ち上げると、仔実装は必死で抵抗する。 仕方なく下ろすと、畳の上を走って逃げる。 「親のところに帰りたくないのかなあ」 「実装石って親が仔を食べることもあるらしいよ。 それで逃げているのかも」 その一言で、男は決断した。 「そんなわけだから、この仔実装、俺が貰っていくわ」 「デスゥ?」 「仔だくさんなんだから、一匹くらいいいだろ? じゃあな」 そう言うと障子窓を閉め、親実装の言葉を閉め出した。 屋形船は箱舟より先に下流へと向かい、後には笑い声が残った。 「『いち』……」 「ママ、お姉ちゃんはどうしたテチ?」 「どこ行ったテチ?」 「ニンゲンさんに貰われていったデス」 「ずるいテチー」 「ワタチのほうが可愛いのに、ニンゲンさんは見る目ないテチ」 「お姉ちゃんのように踊れば、ワタチも貰われるテチ?」 そう言って、「よん」が船縁によじ登ろうとする。 「駄目デス」と親実装が右手ではたく。 「てぇーん」と泣き始める仔実装。 その泣き声に、残りの仔実装は自分たちが取り残されたこと、 そして将来への漠たる不安を覚えて泣き始める。 「叩いて悪かったデス。大丈夫デス、大丈夫デス。 もうすぐみんなで幸せになれるデスゥ」 親実装は三匹になってしまった仔実装を抱き寄せた。 あの人間は川に落ちた長女を助けてくれた。 きっと優しい人に違いない。 自分たちの運命はまだどうなるかわからないが、 「いち」だけでも優しい人に拾われて良かった。 それだけでも親実装は救われた気持ちになった。 屋形船の中では、珍客が加わったこともあり、大いに盛り上がっていた。 仔実装の「いち」もしこたま酒を飲まされて、 ふらふらになりながらも幸せを噛み締めていた。 「こんなに楽しいのは初めてテチ。 こんなに美味しいご飯を食べたのも初めてテチ。 これがニンゲンさんに飼われるってことテチ」 「そう言えば最近、実装石料理が流行っているんだって?」 「会席ならぬ実装石ってか」 「美味いの?」 「ちゃんと処理すれば食えるって話だけど」 「板さん、こいつ調理できる?」 「いち」を助けた男がおもむろに切り出した。 「いえ、ゲテモノはちょっと……」 「何だ、できないのか」 「じゃあ、お前やっちゃえよ」 「俺か?」 「その小汚い仔実装、家に連れて帰る気か? 奥さんに怒られるぞ」 「それもそうだな。誰か、カッター持ってないか?」 夜空が明るく照らされ、乾いた連続音が後を追う。 突然のことに、三匹の仔実装が怯える。 「ママ、恐いテチ」 「何が起こったテチ?」 「大丈夫デス。あれは花火と言うものデス」 親実装は空を見上げる。 火薬の爆発で放出される染料や顔料によって夜空が彩られる。 親実装の言葉に安心し、仔実装も空を見上げる。 「きれいテチー」 「すごいテチー」 仔実装たちは、夜空を一杯に使った光と音のショーに酔いしれた。 人間は夜を昼に変える力を持っている。 その人間に飼われるということはどれほど素敵なことか。 仔実装たちは花火大会の荘厳さに、 自分たちの幸福な未来を重ねるのだった。 しかし、親実装だけは花火に照らされた別の物を見ていた。 緑の頭巾、栗色の髪、裸の仔実装がうつ伏せになって川に浮かんでいる。 最初は目の錯覚だと思った。 次に花火で照らされた時、仔実装の体は回転していた。 赤と緑の目があるべき場所は暗い空洞となっており、 体は縦に切り裂かれていた。 中に収まっていた筈の内臓は、どこにも見当たらない。 「お姉ちゃんもニンゲンさんと一緒に花火を見てるテチ?」 「離れていても同じ夜空を見上げているテチ」 「いつまでも一緒テチー」 親実装には、かける言葉が見つからなかった。 ただ涙が流れるのを堪えるため、 顔を上に上げて夜空を見つめるだけだった。 ■よん 花火大会が終わると、夜空は本来の暗闇と静寂に戻った。 しかし、河川敷では未だ興奮が冷め遣らないのか、 若者たちのグループが持ち寄った花火に興じていた。 駐車場から出ようとした車のヘッドライトが箱舟を照らす。 「ちょっと待って、あれ何?」 花火をしていた女の子の一人が箱舟に気づいた。 「あれ、何か人が浮いていたみたい」 「マジか? 見間違いじゃないの?」 「ホントだって、車のライトで照らしてみて」 彼女に言われて複数の男が車に乗り、ヘッドライトを照射する。 「デデッ!」 「ママ、まぶしいテチ」 「もう朝テチ?」 眠っていた仔実装たちが目を覚ます。 親実装は警戒する。 もはや人間に僅かな希望も抱くことができない。 「あれ、実装石じゃん」 「生意気に、船旅してんじゃんよ」 「おい、ロケット花火、ロケット花火」 「連発式のやつもあるだろ、水平射撃だ」 若者たちはどんどん流されてゆく箱舟を逃してなるかと、 素早く川下へ移動しながら射撃準備を整える。 「情け無用、ファイアー!」 掛け声とともにロケット花火が放たれる。 初弾から命中するものではない。 一発目は箱舟を大きく越えて落下した。 ひゅん、と風を切る音が頭上を通過し、実装親子は恐怖を覚える。 二発目は箱舟の手前で着水。 水中で破裂し、小さな水柱を上げる。 「よーし、目標夾叉ーっ。次は当てるぞー」 その言葉通り、ロケット花火は見事、箱舟の側壁に突き刺さり、破裂した。 喫水よりはるか上に命中したので、その穴から浸水する心配はない。 しかし。 「ママー、恐いテチー」 「ママー!」 箱舟の中は恐怖で満たされた。 何かはわからないが、大きな音で高速で向かってくる物体がある。 明らかに自分たちに敵意が向けられている。 開いた穴から、仔実装たちの目にも、 川岸から光の束が迫ってくるのが見えた。 これまでの見えない恐怖が、具体的な形を伴った見える恐怖へと変貌した。 三匹は、たまらず、ぱんつの中に脱糞する。 「次、二十連発いってみようかー」 ぽん、ぽんと気の抜けた音とともに、男が持っている筒から、 赤、緑、青と、一定間隔で光球が吐き出される。 水平射撃では距離が届かないので、男は一発放たれるごとに仰角をつけ、 照準の精度を上げていく。 しかし、わずかな風や火薬の量の違いでなかなか命中弾は得られない。 十数発目にしてようやく、一発が箱舟の中に落下した。 「テヂャー」 悲鳴を上げたのは「よん」だった。 火の玉が、頭部を直撃した。 頭巾に火が回ることはなかったが、大事な髪の毛が高温で焦がされた。 たちまち、嫌な臭いが充満する。 瞬間的な熱さとこの臭いとが、臆病な「よん」に恐慌をもたらした。 彼女は頭部全体が火に包まれたと錯覚し、火を消すため、 船縁を乗り越えて川へと飛び込んだのだ。 「ママ、ママッ、溺れるテチッ、助けてテチッ」 「『よん』っ、早く戻ってくるデス」 「駄目テチッ、泳げないテチッ」 「『よん』ちゃん!」 妹を助けようと川に飛び込む覚悟の「に」。 親実装は髪の毛を引っ張ってそれを阻止する。 「ママ、どうして『よん』ちゃんを助けてくれないテチッ!」 「ママは動けないデス、動いたら転覆するデス」 「ママのデブーッ! 『よん』ちゃんが死んじゃうテチッ」 「ご」も「いち」も死に、そして「よん」までも、 自分の目の前で命を落とそうとしている。 しかも、自分にはどうすることもできないのだ。 その時、新たな危機が箱舟を襲った。 二十連発花火、その最後の一発が箱舟の底に着弾したのだ。 「デデーッ」 火の玉は見る間に発泡スチロールを溶かし、穴を開ける。 そこから、たちまち水が浸入してきた。 「デッデデー!? デー、デー!?」 自分さえ動かなければこの箱舟は安泰だ、 単純にそう考えていたから、予想しなかった危機にすぐに対応できない。 このままではじきに箱舟は沈んでしまう。 その時、三女の「さん」が立ち上がった。 「テチッ!」 そう短く叫ぶと、隆起した陰茎を花火で開いた穴に差し込んだのだ。 穴があったら挿入せずにはいられない、マラ実装の本能でもあった。 「『さん』ちゃん、すごいテチッ」 「テチッ!」 「『さん』……、お前はワタシの誇りデス」 浸水は止まった。 箱舟は花火の射程距離外まで流されていった。 それは同時に、溺れていた「よん」の救出も できなくなったことを意味する。 親実装の前には、二匹の仔実装。 聡明な「に」と、勇敢な「さん」。 「に」はロケット花火がつくったのぞき穴から顔を出し、 進行方向の後ろを、「よん」が姿を消した川面を見ている。 「さん」は船首方向で腹ばいになり、肉棒で穴を塞いでいる。 この二匹だけは自分の命に代えても守る。 親実装は固く心に誓う。 だが、どうやって? それが問題だった。 ■さん 恐怖の夜は過ぎ去り、再び朝がやってきた。 最初に目を覚ましたのは親実装だった。 船旅を始めて以来、座ったままなので疲れが全く取れていない。 尻は痛むが、何よりそのままで排便しているのが気持ち悪い。 「こんなことでは飼い実装に戻れないデスゥ」と、 自分の頭をこつんと叩いてみる。 それで完全に目が覚めた。 まだわずかではあるが、浸水してきていることに気づいた。 顔を横にして寝ていたマラ実装も、自分たちの汚物を溶かした水が 口の中に浸入してきて、たまらず目を覚ます。 浸水の原因は明白だった。 「さん」自慢の如意棒も、冷たい水にさらされ続け、 萎縮してしまったのだ。 そうしてできた隙間から、水が入ってきてしまった。 「『さん』、早く穴を塞ぐデスッ!」 「テチッ!」 返事は良いが、肝心の逸物が役に立たない。 硬度を失ったそれは、ただの肉の塊に戻っていた。 何とか、勢いを取り戻させなくてはならない。 でも、どうやって? その方法ならわかっていた。 「『さん』、こっち見るデス」 そう言うと親実装はスカートをめくり、汚れたぱんつをずらす。 「としまえん、開園デッスーン」 (ぞくっ) 「テチッ!」 「さん」は、親実装に性の手ほどきを受けた時のことを思い出した。 正確には、猛る若い性を鎮めるため、親実装がやむを得ず 「抜いて」やっただけである。 そうすることで、他の仔実装に害を及ぼすのを防いできた。 親実装は、「さん」を見据えると、舌なめずりをして、 右手を上下してみせる。 言うまでもなく、肉茎をしごく仕草である。 仔実装の分身は充血し、本来の力を取り戻した。 隙間が埋まり、浸水も止まった。 「ママ、すごいテチッ!」 「に」は素直にママの手管に感心した。 萎れた「さん」の肉の拳銃を、たちまち甦らせたのである。 「ワタチも手伝うテチ」 そう言うと、仔実装もぱんつをずらし、幼い総排泄口をさらす。 「さん」は、未成熟なそれに、これまでにない興奮を覚えた。 「テチッ!」 たまらず、果てた。 実装石の精液が水中に放たれる。 と同時に再び肉棒が縮み、隙間が生じる。 「と、としまえん、開園デッスーン」 (ぞくっ) 「テチッ!」 「ワタチも手伝うテチッ!」 箱舟の中で、擬似近親相姦に擬似親子どんぶりが繰り広げられた。 マラ仔実装の幼い肉茎は、充血し、頂点に達し、精を放ち、 を何度となく繰り返した。 陰茎が縮めば、たちまち浸水が始まるのだから、 親仔実装は本気で劣情を煽る。 仔実装もそれに応える。 しかし幼い肉体にとって、それは耐え切れない負担だった。 俗に、人間の場合はやりすぎると最後には赤玉が出て、 ぽっくり逝ってしまうという。 このマラ仔実装は、数え切れぬ勃起と放出を繰り返した挙句、 ついに偽石が、鈴口から零れ落ちてしまったのである。 その時、マラ仔実装が感じた痛みは、尿道結石を経験した人間なら 共感できたことだろう。 マラ仔実装は、生涯で最高の悦びと最悪の痛みを同時に経験して、果てた。 偽石は水中できらきらと輝きながら沈んでいき、砕けた。 「デ、デェー」 「『さん』ちゃん、『さん』ちゃーん」 「しっかりするデス、もう一回おっきするデスゥ」 親実装はマラ仔実装の体を揺するが、もちろん反応はない。 そうしている間にも、浸水は続く。 親実装は咄嗟に「に」を掴み上げると、「さん」の代わりに 足から穴に差し込んだ。 腹のところまで穴に押し込んで、ようやく浸水は止まった。 箱舟の中には親実装と仔実装が一匹ずつ。 親実装が動けば箱舟のバランスが崩れ、仔実装が動けば浸水する。 「デス、食べるデス」 「何を食べるテチ?」 「『さん』を食べるデス」 「ママ、そんなことできないテチ」 「お前は食べなきゃいけないデス。 そのままの状態でうんちして、お腹が引っ込んだら、 そこから水が入ってくるデス。だから食べるしかないデス。」 そう言うと、親実装は「さん」の首をひねって胴体から引きちぎる。 その瞬間、仔実装はただの肉塊となった。 自分は切断面を口にして、音を立てて体液を吸う。 仔実装は、母親の初めて見る側面を目の当たりにして怯える。 親実装は「さん」だった肉塊から腕をもぎ取り、 無理やりに「に」の口に押し込む。 「に」は体の自由が利かないので逃げられない。 首を振って抵抗しようとするが、親実装の力には敵わない。 小さな口に「さん」の腕がねじ込まれた。 「食べるデース、食べるデース。生きるために食べるデース」 「ママ、やめてテチーッ」 ■に 発泡スチロールの箱が波間に揺れている。 中には、上半身だけの仔実装──下半身は海中に浸っている。 両脚はとうにふやけ、魚につつかれ、激しく損傷していた。 両腕にも怪我を負っていた。 喉の渇きを潤すため、自分で腕に噛みつき、 自分の血をすすったのである。 箱の中は、乾いた糞便と実装石の体液、そして親実装の服。 それを見て、仔実装は思う。 「ママ、ワタチは生き抜くテチ」 それが、「さん」と親実装の屍肉を喰らって生き延びた、 自分の使命だと考えていた。 「さん」を食べ終えてから、変化のない日々が続いた。 箱舟はついに海に達し、潮の流れに流されていた。 水の臭いが変わったことに親仔実装は気づいていたが、 潮の臭いを嗅ぐのが初めてなら、海を見るのも初めてだった。 その違いが何を意味するかまでは理解していなかった。 変化がないということは、食糧も手に入らないということである。 親実装は、覚悟を決めていた。 自分の仔を四匹も失ってしまった。 残るは「に」だけ。 ならば今度こそ本当に、自分の命と引き換えにこの仔を助けよう、と。 「ママはもうすぐ死ぬデス。ママが死んだら、ワタシを食べるデス」 「ママ、そんなこと言わないテチ」 「お前は前に、どうしてママが公園生活を始めたのか聞いたデス。 ママは捨てられたデス」 「嘘テチッ。ママはニンゲンさんに可愛がられたって言ったテチ」 「そうデス。ニンゲンさん夫婦は、子供がいなかったデス。 だからワタシのことを、本当の子供のように可愛がってくれたデス。 でも、子供が産まれたデス」 「ママ……」 「ママの名前は、子供が産まれたらつけようと決めていた名前だったデス。 だから、本当の子供が産まれたから、ママの名前は取り上げられたデス。 ママは名無しになってしまったデスゥ」 「名無し、テチ?」 「ママはいらない子なんデスゥ。だから公園に捨てられたデス。 でも、お前はママにとって大切な仔です。 生きて、生きて、生き延びるデスゥ。ママの命を、お前に上げるデス」 それが、仔実装が親実装と最後に交わした会話だった。 しかし、親実装との約束も危ういものとなりつつあった。 照りつける太陽が仔実装から水分と体力を奪い、 それを補うべき水も食糧も手に入らなかった。 「ママ、ご免テチ……。ワタチもう、もたないテチ」 がくり、と頭を垂れる仔実装。 彼女の生命の灯は、まさに消えかけようとしていた。 仔実装の瞼の裏に浮かぶのは、仲の良かった姉妹たちと、 そしてやさしかったママの姿。 もう少しでみんなのところへ行ける。 忘れていた痛覚が、失われかけていた右足を刺激した。 「痛いテチ」 また魚が、餌と間違ってつついている。 「この馬鹿魚、お前なんか捕まえて、食べてやるテチ」 海中で、足を前後に振って魚を威嚇する。 ただれた皮膚が水かきのようになって、水を蹴った。 わずかだが、箱舟が自分の意志で進んだように思えた。 もう一度水を蹴る。 水の抵抗で足の傷が痛むが、確かに前へ進んだ。 やれる、と仔実装は思った。 「ママはリスクを恐れて動かなかったテチ。 それはそれで、ママの考えテチ。 でも、ワタチはそんな生き方はできないテチ。 自分の人生は自分で決めるテチ」 仔実装は、自分の内側から力が沸いてくるのを感じた。 この力がどこまで続くかはわからない。 けれど、運命を変える力になってくれると確信していた。 「ママは馬鹿テチ。 ニンゲンさんに捨てられる前に、何か努力したテチ? ただ運命を受け入れただけじゃないテチ? 『よん』ちゃんが溺れた時も、みんなで川に飛び込んでも良かったテチ。 賭けかもしれないけど、その賭けに勝てば、みんな幸せになれたテチ」 人間には不遜に思える言葉でも、実装石の基準に照らせば、 ごく自然な思考だった。 普通の実装石と違ったのは、この仔実装が他者を罵るだけでなく、 それを反省の糧とし、行動に移していることだった。 「実装石は弱い存在テチ。ワタチはニンゲンに、 あるいはこの自然に殺されるかも知れないテチ。 でも、たとえ死んでも負けてはいけないんテチッ!」 仔実装は痛む足で水を蹴り続けた。 どこへ向かっているかは問題ではない。 初めて自分の意志で、流れに逆らってみようとしたことが重要なのだ。 たとえ肉体は滅びようとも、 仔実装の意志は海を支配するまで戦い続ける。 それは、高貴なる戦いであった。 【終】

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1 Re: Name:匿名石 2024/02/22-15:28:52 No:00008768[申告]
冷笑的に終わらず最後に残った仔が反逆の意思を示して終わるの熱い
2 Re: Name:匿名石 2024/02/23-00:43:21 No:00008770[申告]
ゆるぎない覚悟に喝采を送りたい
3 Re: Name:匿名石 2024/02/23-14:03:29 No:00008771[申告]
実装石にしておくのがもったいない心のあり方してて好き
「に」ちゃに幸あれ
4 Re: Name:匿名石 2024/02/25-21:21:42 No:00008788[申告]
大自然に立ち向かった時点でニンゲンよりも偉大な存在になれたな
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