タイトル:【観察】 レポート風・虐待薄め
ファイル:川辺の村.txt
作者:匿名 総投稿数:非公開 総ダウンロード数:7238 レス数:7
初投稿日時:2006/10/05-23:05:42修正日時:2006/10/05-23:05:42
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「川辺の村」
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Ⅰ 序章

「野良実装」というと、公園に住んでいる野良実装を想像する人が多い。
事実、野良実装の多くは公園を居住地としている。
餌場や安全性、同属の多さを考慮すると、公園が最適の居住地であり、
他の場所はいまいち生活しづらいと判断する野良実装が多いからである。

だが、近年においては、少しずつではあるが川辺に住む野良実装が増えているという。
個体、あるいは家族単位ではなく、5〜10ほどの世帯で集落を作っている場合が多いそうだ。
町中での生活よりも、互いに協力しなければならない場面が多いためと推察されている。
だが、うまく協力することが出来れば、公園での生活よりもメリットが多いのだ。


季節は夏。
場所は人口十万人強の中規模な町。
町の中心部を少しだけ外れた所を通る大きな川。

ゆるやかな水の流れる川は、護岸ブロックとその下に広がる草むらに挟まれていた。
川そのものの幅は20メートルから30メートル、両岸の草むらの幅は共に10メートルほどであろうか。
町外れという事もあり、人通りはまばら、人間による草刈りもあまり行なわれていないようだった。
川を挟むように位置する草むらの中に、野良実装たちの村があった。
成体が六匹に仔実装が二十匹ほど、ほんの数匹ではあるが蛆実装もいるようだ。

彼女たちがいつからここにいたのかはわからない。
公園を追われたのか、あるいはこの場所に捨てられた元飼い実装なのか、理由さえも不明だ。
彼女たち自身、あるいは彼女たちの先祖はこの場所に辿り着き、定住生活を始める事になった。
物心ついたときから、彼女たちは協力して共同生活を行なう事になった。
何匹かの脱落者を出したものの、各々が仔を生み、概ね平和な村を築いていた。

この村を通して、川辺に住む野良実装たちの生態を観察してみよう。

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Ⅱ 川辺に住むメリット


川辺に住むメリットは大別して二つ。
安全性と水場の確保である。
各々の具体的なメリットは以下の通りである。


1.安全性

街の中にある公園とは違い、川辺にはあまり人はやってこない。
それだけで、虐待派や駆除にやってきた業者などに殺される可能性は格段に低くなる。
また、川辺には四季を通して背丈の高い草が生い茂っている。
これが実装石たちの姿や住処を隠してくれる。
特に、春から夏にかけての緑に萌えた草は、実装石の服に保護色という機能を付加してくれる。
人間や野生動物といった外敵たちは、そもそも実装石の姿を発見できる可能性が少ないのだ。
もっとも、人間に発見される可能性をゼロにすることは出来なかったが。
 
「ん?」

橋の上からぼんやりと川を見ていた少年は、川岸の草むらの一部が不自然に揺れた様な気がした。
その辺りをじっくりと見つめていると、一匹の成体実装に率いられた仔実装の列が姿を現した。
数は五匹ほどであろうか。
少年の顔が少し不機嫌そうになった。
少年は、どちらかといえば実装石が嫌いであった。
あの実装石たちが目の前にいれば、橋の上から投げ落としていたかもしれない。

だが、少年は実装石たちに何の危害も加えなかった。 

「・・・こんなとこにも実装石がいるんだ。」

そう呟いただけで、やがて家へと帰っていったのである。 

川辺の実装石の姿を偶然見かけたとしても、人間はわざわざ川辺に降りてきたりはしなかった。
護岸ブロックの斜面を降り、草を掻き分け、服と靴を汚してまで構うほど、実装石は大した存在ではなったからである。
大抵の人間は、そのような感想を持っただけで終わるのだ。
背丈の高い草は、天然の防壁でもあった。
 
一方、少年に目撃された実装石たちは、草むらを掻き分けての帰宅途中だった。
深い草を分け、村のある場所へと向かっていく。
一見、川岸には無秩序に草が生い茂っているようであったが、野良実装たちが今通っている場所には黒い土の筋ができていた。
野良実装たちに何度も踏みしめられ、土が露出していたのだ。
ここはちょっとした道であり、実装石にしか分からない目印でもあった。
   
「テチャッ! また切っちゃったテチ〜。」

移動中の一匹の仔実装が、軽い悲鳴をあげた。
どうやら草で腕を切ってしまったようだ。
肌に走った小さな線から、わずかに血がにじんでいた。
仔実装はマチェット代わりの木の枝を手にしていた。
  
「大丈夫デス?」

先行していた仔実装の母親が戻ってきた。
母実装が仔実装の怪我を見てみたが、大した傷ではない。
実装石の再生力を持ってすれば、数分後には完治しているであろう。
 
「まだまだ甘いデス。枝を乱暴に振ればいいというものではないデス。」

母実装は、効率よく草むらを掻き分けていく方法を仔実装に伝授していった。
仔実装よりも大きな体格であるにも拘わらず、母実装の肌には切り傷が無かった。
草むらの掻き分け方にもコツがあるのだ。
 
切り傷が大怪我につながる事は皆無である。
仔実装のうちは切り傷が絶えないが、歩き方を覚えるうちに怪我をするケースはどんどん少なくなる。
成体になれば皮膚も厚くなり、再生力もアップする為、怪我をすることはほとんどなくなるのだ。



2.水場
 
言うまでも無く、あらゆる生物にとって水は貴重である。
それは実装石たちにとっても同様だ。
飲料水、風呂、洗濯、出産、トイレ・・・・
川辺に住む実装石たちは、その水を近くの川から簡単に調達できるのだ。
 
公園に住む野良実装たちではそうはいかない。
水道や公衆トイレは同属同士の争いが絶えず、野良実装にとっては水道の蛇口をひねることすら一苦労であった。
暑さの厳しい夏には、水を飲めずに渇いて死ぬ者も珍しくない。
野良実装駆除や水不足のために水を止められることもある。
そのような事情を考慮すると、争い無く確実に無尽蔵の水を調達できるというのはかなりの好条件なのだ。 
以下では水の細かい利用方法を観察してみる。


(1) 飲料水
 
 飲料水は川の水をそのまま飲む。
 水面に顔をつけたり、あるいは手にすくったり。
 拾った空き缶やヤクルトの容器のようなものもあり、それを使えば家に持ち帰って溜め置きすることも可能であった。
 仔実装が溺れてしまう可能性を考えれば、仔実装には容器を使ったほうが安全であろう。
 
 「レフー 冷たくて美味しいレフー。」

 嬉しそうに尻尾を振りながら、一匹の蛆実装がペットボトルの蓋に入れられた水を舐めている。
 公園では、蛆実装など水の争奪戦の中で潰されてもおかしくはない。
 いや、それ以前に、水を飲めずに干からびてしまうかもしれない。
 ゆっくりと水を飲めるのは、川辺の村の恩恵であろう。

 そんな蛆実装をほほえましく見つめながら、母実装は容器に汲んだ水に何本かの植物を入れていた。
 水の色は少しだけ変色している。
 水に植物の成分を染み込ませ、お茶のようなものを作っているらしい。
 普通に川水を飲むだけでなく、味にこだわる余裕もあるようだ。
 
 もちろん、公園の水道水に比べれば川の水は不衛生ではあるが、野良実装にとっては問題は無い。
 上流の天候が荒れ、泥水にでもならない限り、川の水は24時間飲む事が出来た。


(2)風呂、洗濯、出産
 
 村のすぐ近くの川の中には、大き目の石を並べて作られた石囲いがあった。
 深くて大き目のものが一つ。
 すぐ隣に、浅くて小さ目のものがもう一つ。
 
 ここは野良実装たちが作った水場である。
 この石囲いは、風呂と洗濯場を兼ねていた。
 石囲いの中に溜まった水を使い、体や服を清潔にするのだ。
 下流の深くて大き目のものは成体用のものであり、
 上流の浅くて小さ目のものは仔実装や蛆実装用のものである。
 
 小さ目の方は、仔実装たちが溺れたり流されたりしないように設計されている。
 それでも念には念を入れ、仔実装たちだけで入るのは固く禁じられている。 
 隣の成体用の方に、必ずお目付け役の成体がいなければならないことになっていた。
 好奇心旺盛な仔実装が、言いつけを破って石囲いの外に出て、溺れ死んでしまう場合もあるのだ。
 また、水深は天候により絶えず変化する為、急激な水深の変化に気を遣う者が必要であった。

 体や服が清潔である事は、実装石の健康状態にも影響する。
 病気に犯される可能性が減少するからだだ。
 また、体臭がきつい場合、外敵を招き寄せたり、同属同士のトラブルになる可能性もあった。
 野良といえども、清潔さは命を左右するものなのだ。

 出産もこの石囲いの中で行なわれていた。
 公園の公衆トイレに比べ、はるかに安心した環境で出産できる。
 石囲いの中にもわずかながらに水が流れている為、水流が生まれたばかりの仔の粘膜を少し洗い流してくれた。
 川辺での出産は、奇形が誕生する可能性を減らしてくれるのだ。
 

(3)トイレ

 その石囲いのやや下流、ほんの少しだけ草に隠れた場所にはトイレがあった。
 草はプライバシーへのちょっとした配慮である。
 
 「昨日は食べ過ぎたデスゥ。」
  
 「ママは食いしん坊テチ。」
 
 「も、漏れそうテチ! 早く出したいテチ!」

 一匹の成体と、二匹の仔実装がやってきた。
 三匹は服を脱ぎ、それを岸に置いて水の中に入っていった。
 そこの水深は浅く、流れも緩やかなので仔実装が流される心配は無い。
 そして、三匹は横に並んでしゃがんだ。
 
 ブリュ、プリプリプリ・・・

 三匹の総排泄口から、音を立てながら緑の便が排泄された。
 水に落ちた緑の便は、そのままゆっくりと流されていった。
 そこは川の流れを利用した水洗トイレなのだ。
 便は蓄積される事無く流されていくため、臭いが付近に充満する事は無い。
 地面にトイレを設けるよりも遥かに快適なのだ。
 
 「テェ〜 すっきりしたテチュ。」

 「ちゃんと30秒浸かるデス。」

 排泄が終わってもすぐに立ち上がることはしない。
 膝を曲げ、腰まで水に浸かったまま、数十秒間じっとしていた。
 水流で総排泄口に付着した便を洗い流す為である。
 川の流れはウォシュレットも兼ねていたのだ。 
 草で総排泄口を拭くよりも、体やパンツを清潔に保つことが出来た。
 

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Ⅲ 住居

 
 「フィー すっきりしたテチュ。」

トイレを終えた先ほどの母仔は、数メートル離れた我が家へと帰ってきた。
家はダンボールハウスではない。
町から離れているがゆえにダンボールは調達しにくく、
水辺ではダンボールの劣化も著しいため、
川辺に住む場合はダンボールをあまり使わないのだ。

彼女たちの家は、大昔の人間たちが住んでいた竪穴式住居に近いものであった。
まず、数本の太い木の枝に撥水性の高い草を幾つも巻きつけ、屋根を作る。
次に、水分を多く含んだ柔らかい土を掘り、実装石が入れるだけの穴を確保する。
最後に、穴の中にクッション代わりの草を敷き詰め、屋根を乗せれば完成である。

穴を掘る分屋根は低く、屋根の色は付近の草と同じ色であった為、
外敵から発見される可能性はダンボールハウスより低かった。
設置にはダンボールハウスの数倍の時間がかかるが、居住性や耐久性を考えれば十分に価値のあるものだった。

「テェエエエ・・・オヤスミ・・・テチ・・・。」

家の中に入った仔実装はすぐに眠り始めた。
穴の中の大量の草は、布団とクッションを兼ねたものであった。
仔実装たちが元気に動き回っても、大怪我をすることは無いであろう。

同様の家が、成体実装の数、つまり世帯の数だけ存在した。
各々の家は外敵に見つかりにくい程度の至近距離にあり、いつでも互いに協力・連絡しあえるようにしてあった。
村には、穴を掘ってカモフラージュの草を被せただけの食糧保管庫もあった。 

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Ⅳ 食料


1 生ゴミ、植物の実

食料は、通常の野良実装ほどではないが、生ゴミや植物の実に依存することになる。
付近に生い茂る草花も食べられなくは無かったが、やはり味は落ちるのだ。
植物の実は比較的容易に入手できるが、村の全員を養っていくほどの量は得られない。
だが、ゴミ捨て場は川から遠く離れ、ゴミを拾って帰ってくるのだけでも大変な苦労を要する。
そのため、川辺の野良実装たちは毎日ゴミ捨て場に行くようなことはしなかった。
子守役の一匹の成体だけを村に残し、他の成体全員で旅団を組んで出征し、一度に大量の生ゴミを拾って帰ってくるのである。

「じゃあ、行ってくるデス。」

「みんな気をつけるデス。」

ようやく日が昇り始めた頃、五匹の成体実装はゴミ捨て場への出征に向かった。
仔実装たちは未だに家でぐっすり眠っている。
最寄の安全なゴミ捨て場までは数百メートルもあった。
新聞配達や出勤の人間たちに見つからぬよう隠れながら移動し、他の同属たちよりも早く確実にゴミにありつくには、
それほど早く村を出発せねばならなかったのだ。

「デェ・・・デェ・・・」

時には電柱や看板の陰に隠れながら、五匹の実装石が小さな道を駆けていく。
一時間ほどかけてゴミ捨て場に到着した。
ゴミ捨て場にはまだ袋は無く、ほかの同属の姿も見当たらない。
このゴミ捨て場には、どうやら他の同属は気付いていないようだ。

五匹の実装石はそれぞれ物陰に隠れ、ゴミを持ってくる人間を待つ。
やがて、一人の主婦がゴミ袋を持ってやってきた。
袋をゴミ捨て場に出す前から、主婦が手にした袋の中に、どれだけの生ゴミが入っているかをゆっくりと観察する。
どうやら、家庭料理に使った野菜の皮や切りくずが多く入っていそうだ。

主婦が去ったのを確認し次第、小走りで袋に寄る。
二匹が監視役を引き受け、残りの三匹が袋の中を漁った。
ゴミ袋の中にある小さなスーパーの袋を見つけると、その中に次々と生ゴミを放り込んでいった。
何でもかんでも放り込むのではなく、出来るだけ栄養分のありそうなものを判別して入れていった。

五分ほどすると、スーパーの袋は満杯になった。
一匹がその袋を持って、五匹は再び物陰に隠れた。
監視役が遠くから迫る人間の姿を発見したからだ。
その際、ゴミ袋をしっかり密閉するのは忘れない。
袋を漁ったまま放置しておくと、そのうち人間たちが何かしらの対策を練ってしまう可能性がある。
多少面倒くさくとも、それなりのマナーを守ることが餌場の安定につながった。

同じ行動を五回繰り返し、生ゴミの詰まった五つの袋が手に入った。
質も量も申し分ない。
村の全員でも一週間は持つであろう。
それぞれが一袋ずつ持ち、家へと急いで帰っていった。



2 畑

袋を持った五匹が村に帰ってきた。
袋の中身を開け、量や鮮度を考慮しながら平等に分配していく。
朝食に必要な分だけ分配すると、残りは保管庫に貯蔵しておいた。

「デ?」

ゴミ袋に入っていたスイカの皮を舐めようとした一匹の実装石は、皮にいくつかの黒いものが付着しているのに気付いた。
スイカの種だ。
全ての種を手にとって、とりあえず脇に置く。
そして、わずかに残ったスイカの実をしゃぶりつくした。

食事が終わると、その実装石は種を取って家から少し離れた草むらへと向かった。
そこには、ほんの少しだけ雑草が取り除かれ、土が露出しているスペースがあった。
実装石はそこの土を少しだけ掘ると、種を中に入れて再び埋め始めた。
植物の栽培の知識など微塵も無いが、スイカを育てるつもりなのだ。
そこは実装石たちの畑であった。

周りをよく見れば、野菜や果物らしきものがいくつか生っていた。
どうやら、ゴミ袋の中に入っていた「種」のようなものを手当たり次第にここに埋めているらしい。
「種を埋めればいつか植物が生える」という程度の知恵は身につけているのだ。
実装石は養分や日光、場所の適性などといった概念は全く考慮しておらず、埋めた種の殆どは当然に無駄になってしまう。
だが、生命力の強い幾つかの植物は、川辺でも成長して貴重な食料となってくれた。




3 魚

水辺に住む者たちとしては、やはり魚は外せない。
人間の食料ともなる立派なもので、その栄養価は生ゴミの比ではなかった。
運良く新鮮な魚の死体が手に入れば楽だったが、そんなことは滅多になかった。
人間と同様、実装石も漁をしているのである。

二匹の成体実装が互いに向かい合い、全裸で川の中に立っていた。
二匹の顔は真剣であり、水中を見つめたままひたすらじっとしていた。
彼女たちの両手には一枚の布、実装石の服が握られており、
それが水中でピンと張られていた。

二十分ほどすると、実装石たちの横目に小魚の群れが映った。
数十匹から百匹に上る群れを成しながら移動し、こちらへと近づいてくる。
実装石たちは「来た!」と思いながらも、決して体を動かそうとはしない。
魚に気付かれてはならないからだ。

やがて、魚の群れは水中に広げられた布の上に到達した。
二匹の実装石は互いに目を合わせると、

「デスッ!」

掛け声を上げて一気に布を引き上げた。

驚いた魚たちの群れは、一気に水中を散らばっていった。
だが、何匹かの魚は引き上げられた布の中に捕らえられていた。

ビチ! ビチビチビチッ!

布の中には五匹の小魚がかかっていた。
二匹は、互いに「デププ・・・。」と笑いながら、予め作っておいた生簀(いけす)へ魚を放り込んだ。
そして、再び布を広げて次の獲物を捕らえようとするのだった。

別の個体は、今日から人間を真似て釣りをすることにした。
数日前にマナーの悪い釣り客が落とした糸と針、それを自分の右手に結び付けて簡単な釣り竿にしていたのだ。
餌には小さなミミズを使用してある。

数メートル先の水中に針を投げ、しばらくじっとしていると、自分の右手がクンクンと引っ張られた。
獲物がかかったようだ。
かなりの手ごたえがあった。
おそらく鯉か何かであろう。

「やったデス! これは大物デス!」

大喜びしながら右手を引っ張るが、相手もなかなか手ごわい。

「しつこいデスゥ〜〜! 観念するデスゥ〜〜!」

顔を真っ赤にして踏ん張るものの、相手が弱る様子は窺えなかった。

そのとき、彼女は足元の冷たい感触に気付いた。
いつの間にか水中に立っていたのだ。
魚のパワーに負け、今や彼女のほうが水中に引きずり込まれようとしていた。
慌てて糸を外そうとしたが、糸は右手にめり込んで決して外れようとはしない。

「デビャアアアア!? 助けてデスゥ!!」

仲間の悲鳴を聞きつけ、村の皆がそこへ向かう。
他の五体の成体が駆けつけた頃には、仲間の体は胸まで水に浸かっていた。

「しっかりするデス!」

「みんなで引っ張るデスゥ!」

五匹で水中に引き込まれそうな実装石の体を掴み、必死に陸に戻そうとする。
パワーは実装石たちのほうが有利となり、実装石の体は少しずつ陸のほうへ向かっていった。
だが、魚も決して陸に引き上げられようとはしない。
陸に上がる事は死と同義だからだ。
激しく頭を振り、針と糸を振り払おうとしている。

「手が、手が痛いデスゥ!」

実装石の手を見れば、糸が深く肉に食い込んで出血していた。
長時間血の行き届かなかった手先は、既に紫に変色して感覚が失われている。
実装石たちと魚の根気比べが続くほど、糸はさらに深く食い込んでいった。

ミュチュ・・・ミチミチ・・・ブチャッ!!


「デェギャアアアアアアア!!!」

やがて、糸が実装石の右腕を切断してしまった。
切断面は綺麗な断面になっており、そこから大量の血が噴き出した。
両者とも争いから解放され、痛み分けのまま陸と川に帰っていった。

「手が・・手が無いデス・・・痛いデス・・・デェビャアアアアアア!!!」

軽くパニックに陥る実装石。
千切れとんだ右手を他の個体が拾い上げ、川の水で丁寧に洗う。

「これなら十分再生可能デス。手をくっつけてじっとしてるデス。」

頭巾を紐代わりにして、千切れた腕同士を引っ付ける。
腕をゼロから再生するよりも、腕の再結合の方が栄養も時間も少なくてすむのだ。
切断面が綺麗であった事が幸いした。
大きなトラブルが生じたが、とりあえず皆で食事をすることにした。
餌は生ゴミと畑で取れた幾つかの野菜、それに魚だ。


「すまないデスゥ・・・。」

右手を失った実装石には、他の個体より多くの魚が与えられた。
多くの栄養を与え、早く右手を再生してもらうためだ。
それは純粋な優しさからだけではない。
集団生活では、一匹の失敗が全員の足を引っ張りかねないからだ。

「スープも飲むデス。」

一匹の実装石が、プラスチック製のコップを差し出した。
コップの中には、数日前に食べた魚の骨が水につけてあった。
骨からはいくばくの栄養素が流れ出し、多少の味もついていた。

骨を取り除き、スープを一気に飲み干す。
それは薄い塩味がした。
骨の硬い成分が溶け出し、自分の骨の再生も早まるような気がした。

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Ⅴ 日常生活

村での日常生活は、公園のそれよりも自由度は低かった。
安全な生活を維持するには、それなりの努力が必要だったのである。

朝食が終わると、村の仔実装たちは一つの穴の中に集められた。
草むらの真っ只中に掘られた、浅くて広い穴である。
周りには高い草が生い茂っている為、外からは見えにくいであろう。
ここは仔実装たちの学校であった。
賑やかに話す仔実装たちであったが、一匹の成体が穴の中に入ってくると、ピタリと話をやめた。
彼女は仔実装たちの先生であった。

「では、今日の授業を始めるデス。今日はゴミ置き場での行動について・・・」

成体実装は真剣に話を始めた。
仔実装たちはそれ以上に真剣な顔で授業を聞く。
私語や居眠りをしようものなら、実の親仔でなくても容赦なく鉄拳が飛んでくるからだ。
皆で生き残る為、授業はとても大切なものであった。
餌の見つけ方、外敵との戦い方、非常時の避難経路、人間の生態、家の作り方、川の流れや天候の観察・・・・
教える事は山ほどあり、時間はいくらあっても足りなかった。
時には幾つかの班に分けて実地研修も行い、理論と実践を兼ね備えた本格的な教育をしていた。
授業は基本的に午前中で終わり、昼食後は大人と共同の作業が待っていた。

午後になると、数匹の仔実装たちが一生懸命草をむしっていた。
適当にむしっているのではない。
仔実装たちが念入りに草をむしった所は、黒い土が完全に露出していた。
露出した部分は、村のある場所から護岸ブロックのほうへ細く伸びていた。
草むしりは道を作る為の作業であったのだ。
道の幅は成体実装がようやく歩けるほどの幅であり、実装石の視点でなければ草の中の道を発見できないであろう。
道は歩きやすさと隠密性を両立させていた。
道はいくつかに枝分かれしており、これは緊急時の脱出経路も兼ね備えていた。

別の班は、村よりほんの少し上流で作業していた。
この班の仕事は防波堤作りである。
防波堤といっても、村の周辺だけに石を並べた簡素なものであり、ほんの数センチの水の高さにしか対応できない。
だが、体の小さな仔実装にとっては、数センチの水の高さが命取りになることもあるのだ。

成体が協力して置いた大きな石同士の隙間に、仔実装たちが小さな石をはめ込んで隙間を埋めた。
それでも出来てしまった隙間には、泥を塗りこんで乾かすことで対応した。

「テチ! テチ! テチ!」

仔実装たちが、石の隙間に詰めた泥を一生懸命押していた。
泥に圧力を加えて固める事で、泥を使った部分の強度を高める為だ。
小さな隙間の泥を固める仕事は、体の小さな仔実装にしか出来ない仕事であった。

道作りや防波堤作りの他にも、家の補修や石囲いの整備、武器の製造など、村の状況に応じて様々な作業が課せられていた。
作業は村の安全を守る為だけでなく、仔実装たちの肉体トレーニングも兼ねていた。

その日の授業と作業を終えたとき、ようやく仔実装たちに自由時間が与えられる。
放課後は川辺で遊び、時には少し離れた所へ探検に出かけた。
週に二日の休み以外は、毎日のように学校が開かれていた。


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Ⅵ 離別・死

1.外敵・病・天災

川辺での集団生活は、公園での生活よりは安全ではある。
だが、もちろん不幸な死と無関係というわけではない。
人間が来る事はほぼないが、野良犬、野良猫といった敵は川の近くにも出没したし、
蛇、ザリガニ、巨大なカエルといった水辺独特の外敵も存在した。
外敵に対しては、実装石たちは万全の体制で対応した。
武器を作り、石塁を設け、集団でのフォーメーションさえ組んで村の防衛に当たった。
しかし、それでも万全とは行かない。

「チュアアアア!! チャァーッ!」

村から少し離れた場所、トイレのある方向で、大きな悲鳴が響き渡った。
村の成体たちがそこに向かうと、仔実装の体に何かが巻きついていた。
アオダイショウだ。
仔実装をギリギリと締め付け、絞め殺そうとしている。
一匹でトイレに出かけた隙を襲われたのだ。

「ゴボボ・・ガボ!」

仔実装は口と総排泄口から体液と内蔵の破片を吐き出していた。
アオダイショウはそのまま仔実装を飲みこもうとしたが、成体たちが恐ろしい勢いで向かってくるのに気付くと、
仔実装を咥えたまま逃走を開始した。
流石に複数の成体を相手に戦う気はないようだ。

「待てデス! その仔はワタシの仔デス! 返してデス!」

母実装が必死に呼びかけるが、アオダイショウのスピードには敵わない。
母実装の懇願むなしく、アオダイショウは藪の中に消えた。

「おね・・がいデス・・・」

がっくりと膝をつく母実装。
もう、あの仔が村に帰ってくる事は永遠に無い。

「チュア・・アア・・」

安全距離まで逃げたアオダイショウは、足のほうからゆっくりと仔実装を飲み込み始めた。
仔実装の足に、暖かく湿った感触が伝わっていた。

「ママ・・みんな・・助けてテチィイイ!!」

仔実装は必死に叫んで抵抗しているつもりだが、全身の肉と骨は深刻なダメージを負っていた。
声も、逃げようとする力も、もはや何の意味も成していなかった。
天に口を向け、ゆっくりと仔実装を飲み込んでいくアオダイショウ。
まだ頭が飲み込まれていない仔実装には、村のあるほうの草むらが少し見えていた。

「帰りたい・・・帰りたいテチ・・・」

完全に飲み込まれたとき、仔実装の視界は暗転した。
これから、消化器官で生きたままゆっくりと溶かされるのだ。
楽しかった川の水浴びとは正反対の、地獄の水浴びだった。

このように、動物は川辺においても強敵であったが、それ以外にも脅威はあった。




ある日、一匹の仔実装が唸っていた。
周りでは母実装と他の姉妹が心配そうに見つめている。
仔実装の顔は赤かった。
異常な高熱に苦しめられていたのだ
その仔実装は、村の中で最も体の弱い個体だった。
水辺で大繁殖している蚊に刺され、他の個体より弱めの免疫力が敗北し、熱病に感染してしまったのだ。


「死んじゃ駄目デス!」

「ワタチたちのおやつあげるテチ。はやく元気出すテチ!」

家族の必死の看病も、意識を失った仔実装には届いていない。
無理やりフルーツの汁を口に流し込んでも、すぐに嘔吐してしまう。
仔実装の服を脱がして放熱を助け、脱がした服を水で湿らせて頭に載せてやっても、たいして効果はなかった。
仔実装はそれから二日間苦しんだ挙句、一度も意識を取り戻すことなく死んだ。
川辺においても、病の脅威をぬぐえるまでには至っていなかった。
それから数日間、仔実装の死を悼むような雨が続いた。




「まずいデス。確実に水が溢れるデス。」

「この勢いでは防波堤も無意味デス。早めに避難するべきデス。」

雨はひたすら降り続き、川の水かさは増していた。
元々、村は多少の水かさの変化には影響を受けない位置に作られている。
だが、そこも完全に安心できるわけではない。
数日間降り続くような雨や、豪雨による増水で、村ごと全滅する可能性もあるのだ。
そのため、気候の変化には絶えず気を遣っていた。

深夜だというのに、仔実装を含めた村の全員が起きていた。
コンビニ袋を裂いて作ったレインコートを羽織り、皆緊張に満ちた表情をしていた。

「では、みんな避難するデス。」

実装石たちは、全員で隊列を組んで移動し始めた。
場所は、村よりも少し高い位置にある非常時用の二つの穴だ。
川の増水には対応できるが、道路に限りなく近い位置にあるため、人間にも発見されやすいというリスクを負っていた。
そのため、非常時以外にはまず使われないのである。

全員が穴に入ると、成体が厚めに作っておいた屋根を下した。
雨は完全にシャットアウトされ、皆が一息をついた。
濡れた服を脱いで搾り、草で体を拭いて風邪を引かないようにする。
非常時用の穴ということで、スペースはかなり狭い。
その上、穴の中には、村の全員の二日分の食料が運び込まれていた。
全員が横になるスペースはとても確保できないであろう。
だが、死者を出すよりは遥かにましであった。

成体たちは、一定の時間ごとに屋根を空けて観察をした。
雨の勢い次第では、この穴さえも放棄しなければいけないからだ。
村のほうを見ると、既に家は水につかっているようだった。
穴に避難したのは正解だったのだ。
避難していなければ、今頃は全員水死体になっていたであろう。

避難した次の日も雨は降り続き、一時は穴を撤退する案まで出された。
だが、翌日から嘘のように青空が広がり、水も徐々に引いていった。
屋根を開け、外にでる村の面々。
命拾いはしたものの、これから水浸しになった村を復興させなければならない。
その苦労を考え、肩を落とす大人たち。
それとは対照的に、長い間穴の中でじっとしていた仔実装たちは、青空の下で元気に走り回っていた。





2.移住

村の成体実装のうちの三匹が、村から100メートル程離れたところを歩いていた。
踏みしめられた道など無く、足元にも気を払いながら、深い草を掻き分けて進んでいく。
ここは今まで訪れた事の無い場所であり、人間にとってはたったの100メートルであっても、
実装石たちにとっては未開の地を探検しているに等しかった。

彼女たちの目的は、新天地の開拓であった。
村民の半数、三世帯をそこへ移住させるのだ。
仔実装たちもそこそこ大きくなり、今までの村では狭くなっていた。
その上、一箇所に大きな実装石が数十匹も集まれば、村の隠密性が失われてしまう。
村を二つに分けることで、川辺に住むメリットを保とうとしたのだ。

「デ?」

一匹の実装石が何かに気付いた。
進路に不自然なものが落ちているのを発見したのだ。
三匹の実装石は、警戒しながらそこへ向かってゆく。

その不審物の正体は、仔実装らしきものの死体だった。
死後数ヶ月は経っており、肉は虫たちに食われつくしている。

「この仔は・・・」

「生まれた直後に行方不明になった仔デス。」

数ヶ月前、村の成体の一匹が仔を産み落とした。
中々の難産であり、通常の出産の倍近くの時間がかかってしまった。
仲間の助けもあり、五匹の仔を無事に出産できたのだが、母親はかなり疲れきってしまった。
仔を家に連れ帰った後、すぐにぐっすりと寝込んでしまったのである。

好奇心旺盛な子供たちは、家でじっとしていられるわけが無かった。
産まれた直後では、躾もまともにされてはいない。
「勝手に外に出ては駄目デス。」という母の言いつけも守らず、勝手に外へ出て行ってしまったのである。

「何で子供たちが勝手に出歩いているデス!?」

夕方、母が隣人に叩き起こされたとき、母の隣には一匹の仔もいなかった。
保管庫の餌を盗み食いしていた一匹は隣人の腕に抱えられていたが、他の四匹は草むらの中に駆けていったと思われた。
直ちに成体実装による捜索隊が組まれた。
暗闇の中、自分たち自身が遭難してしまわないよう、あまり村から離れる事は出来なかった。
大声で泣き喚く仔を一匹だけ発見できたが、他の三匹は結局見つからなかった。
ジャングルのような草むらで遭難したか、川に流されたと推測された。
産むのに苦労した分、母の取り乱しようはすさまじかった。
しばらくは何も口に出来ず、復活には一ヶ月ほどかかったのである。

「彼女には黙っているデス。」

仔実装の母は、今は村で待機している組だ。
生まれてすぐ三匹の仔を失ったことは、彼女にとっては一種のタブーであった。
「死体を見つけた」などと報告すれば、彼女は再び取り乱してしまうであろう。
三匹はそこに小さな穴を掘り、仔実装を土に還してやった。
そして、再び移動を始めた。



ガサッ・・

数十分後、先頭の実装石が草を払いのけると、そこには川の水の流れが緩やかな場所があった。
これなら風呂やトイレも設置しやすいであろう。
少し周りを探索すれば、そこそこ広い平地も見つけた。
家の建設にも問題なさそうだ。

「ここにするデス?」

「デス。ゴミ捨て場が少し遠くなるデスが、お風呂は今までより大き目のものが作れそうデス。」

その後も三匹は色々と話し合い、簡単な移住計画を立てた。
最終的にその場所を移住先と決定すると、そこから見える人間の建物や太陽の向き、
移動にかかった時間などを考慮して、この場所の位置を記憶した。
簡単なマーキングを施せば、再びこの場所に来ることも容易であろう。

他の成体とも話し合うために、三匹は今まで来た道を戻っていった。
マーキング用に、魚の骨を少しずつ落としていく。
魚の骨の姿だけでなく、腐臭までもが道しるべとなってくれるであろう。





3.人災

移住先が決まった日の翌日の夕方、村では少し豪華な夕食の用意がされようとしていた。

「チュァアアーー!! ママを助けてテチィー!!」

そのとき、一匹の仔実装が助けを求めて駆けてきた。
村に属する一匹であり、その日は家族で散歩に出かけていたはずだ。
それほど遠出したわけではないはずなのに、何者かに襲われたのであろうか。
パニックに陥っている仔実装をなだめ、成体たちが何が起きたのかを尋ねる。

「お前たちはここで待ってるデス!」

村にいた仔実装全員に待機を命じると、五匹の成体は仔実装を抱えて現場へと急行した。
現場は、村から少し離れた橋の下だという。
現場には信じられない光景が広がっていた。
一匹の成体と二匹の仔実装が大きな何かに押しつぶされている。

「デ・・・助けて・・・ゴブゥァ!」

「喋ってはいけないデス!」

彼女たちの体の上に乗っかっていたのは、古びた自転車であった。
橋の上から不法に投棄されたのだ。
自転車を捨てた者の姿は既に見当たらず、故意に実装石を狙って落としたものではなさそうだった。
仔実装のうちの一匹は、既にグチャグチャに潰れて再生不能だった。
もう一匹の仔実装と母実装は何とか生存しているものの、体の上に乗っかった自転車からは脱出できなさそうだった。

「デスゥウウウウ!! もっと力を入れるデスゥウウ!」

他の実装石たちが自転車をどかそうとするものの、実装石のパワーでは重い自転車を排除する事は不可能であった。
彼女たちは自転車の下で紫に変色し、まずは仔実装が大量の血を吐いて死んだ。
てこの原理を応用し、石と木の枝でてこを作って母実装を救助したが、すでに彼女は虫の息だった。
村に搬送されて治療を受けたが、彼女も子供たちに見守られながら数時間後に死亡した。


裸にされた三匹の死体は川へと流された。
これが村の埋葬形態である。
「水葬」という形を取る理由として、
第一に、土葬した場合、腐乱した死体が異臭を放ち、外敵や虫をおびき寄せる可能性があること
第二に、同属の死体を食べ、その味に取り憑かれた者が出てしまった場合、村の全員が危機に陥る可能性があること
が挙げられる。

流れていく死体を見ながら、村の全員が涙を流していた。
川辺で共同生活している分、公園で生活している実装石たちよりも互いへの愛情は強いのだ。
実の仔たちだけではなく、村の全員が家族のように悲しんでいた。

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Ⅶ 終わりと始まり

同属の死から二週間後、二匹の成体に導かれ、二つの世帯と先日親を失った仔実装たちが新しい村に移住を完了していた。
すなわち、今でもかつての村に住んでいるのは三つの世帯である。

「デーデース デデデースゥ♪」

夕方、古いほうの村の近くで、一匹の成体実装が鼻歌を歌いながら川辺の草むらを歩いていた。
手には何か食料のようなものを手にしていた。
川の近くの道路に、食べかけの菓子パンが落ちていたのだ。
彼女は見事にそれを確保した。
甘いクリームがたっぷり入ったパンだ。
子供たちは大層喜ぶであろう。

「今日はごちそ・・・デ!?」

子供たちの待つ家の近くまでたどりつき、子供たちを呼ぼうとしたとき、母実装は急に背後から持ち上げられた。
恐る恐る背後を振り向くと、そこには歪んだ笑顔をした少年がいた。
手にはバットを持っており、虐待派であるのは一目瞭然だった。

「やあ、糞蟲クン。他の糞蟲仲間はどこかな?」

少年は、すぐに母実装に手を出そうとはしなかった。
あたりを見回し、母実装にバットを突きつけながら何かを問いかけている。
母実装は少年の言葉を正確に理解してはいなかったが、自分の家族や同属を手にかけようとしているのは理解できた。
どこで姿を見られたかは分からないが、少年は川辺に実装石が住んでいるのを知っていた。
平和な川辺の村にも終わりが来たのだ。

「おい! 早く教えろ!」

少年は母実装を殴った。
母実装の口と鼻に血が広がる。
村は少年から5,6メートル離れた所にあったが、少年はいつまでたってもそこに移動しようとしなかった。
どうやら村の細かい位置までは知らないらしい。

それがせめてもの救いだった。
母実装は意を決し、皆を脱出させるプログラムを実行する事にした。
このような状況も想定済みであったのだ。
少年の怒鳴り声と人間の匂いから、村の同属たちは非常事態に気付いているだろう。

「あ、あっちデス。」

母実装は村と反対の方を指差した。

「おーし。皆殺しの時間だよ!」

少年は母実装を左手で掴んだまま、ゆっくりと野良実装の住んでいそうな場所を探し始めた。
興奮、そして住処探しに集中するあまり、母実装の命をかけた反撃には気付かなかった。
左手の揺れに気付いてそちらを見たとき、母実装はパンツに突っ込んだ手から糞を取り出し、少年の顔に投げつけようとしていた。

べチャッ・・・

「うわっ!」

糞は少年の顔にクリーンヒットした。
一部は目に入り、少年の視界を奪った。
動揺した少年は、母実装を放してしまった。

「デビャッ!」

高い位置から地面に叩きつけられ、母実装の両足は完全にへし折れてしまった。
もう、目の前の怒り狂う虐殺者から逃れる術は無いだろう。
だが、それで十分だった。
家族と仲間を逃がす隙を作れたのだから。

「今デス!!! みんな逃げるデスゥウウウ!!!」

少年の背後にある村に向かって、母実装は大声で叫んだ。
その声は村に届き、三つの住処から野良実装たちが飛び出した。
緊急避難プログラムに基づき、それぞれ別々の方向へ走り出していく。
最終的な目的地はグループごとに異なる。
出来立ての新しい村に向かう者、ひたすら遠くに離れ、そこで別の村を築くことになっている者もいる。
完全に別々な方向に散開する分、全滅する可能性は低かった。
普段から作っていた脱出経路も役に立った。

「野郎ォオオ!!」

視界が少し回復した少年は怒り狂っていた。
一方的な虐殺をしようと思っていた相手に騙され、顔面に糞まで投げつけられたのだ。
少年は母実装の腹を思いっきり踏みつけた。

「デゥ!」

母実装の左わき腹が完全に潰された。
口と総排泄口から、潰れた内臓が一気に飛び出した。
一瞬の間を置き、母実装は大きな悲鳴をあげた。

少年はおもむろにバットを振りかぶると、そのまま母実装の即頭部を強打した。
まるでゴルフのように。
母実装の頭部はスイカのように飛散した。

「残りもぶっ殺さないとなぁ!!」

母実装を嬲り殺しにしなかったのは、優しさからではない。
少年は仔実装が駆けてきたほうを見た。
そちらに実装石たちの巣があるに違いない。
案の定、草を掻き分けながら何者かが逃げ出そうとしている。
少年はそれらを全滅させるつもりだった。

草を掻き分けながら追いつき、移動する者に向かって容赦なくバットを振り下ろす。

「テチャッ!」

「ヂブ!」

バットの下で断末魔をあげて死んでいく仔実装たち。
だが、草を掻き分けて移動する者はまだまだいた。
息を潜めて、少年が去るのを待っているものもいるはず。
しかもそれぞれ別な方向に。
一匹に長い時間構ってしまえば、他の実装石たちを殺すのは困難になるであろう。
これは野良実装たちのリスク分散だった。
少年は全滅を諦め、手近な実装石から殺していく事にした。


逃げ場の無いはずの川のほうに、散開することなく一丸となって向かう集団がいた。
生き残った成体の一匹が、自らの子供を連れながら必死に走っていた。
手には大きな板のようなものを持っていた。
それは発泡スチロールの箱だった。
箱の側面の壁は、母実装により故意に破壊されており、四方の壁は仔実装の胸の高さほどしかない。

母実装は背後を振り返った。
少年は川よりも陸に近い草むらにおり、仔実装たちを探しながら殺しているようだった。
つまり、まだこちらには気付いていないという事だった。

「急ぐデスッ!」

母実装は箱を水の上に浮かべると、その上に仔実装たちを乗せていった。
全員を乗せ終わると、母実装は仔実装たちに長い棒を持たせた。
箱は緊急脱出用の船であり、棒は舵取りのためのものであった。

「しばらくは緩い流れが続くデス。適当な場所に着岸して・・・そして新しい村を作るデス。」

「ママは・・・? ママはどうするテチ?」

「ワタシが乗るとこの船は沈むデス。ここから先はオマエたちだけで行くデス。」

「嫌テチ! ママとずっと一緒にいるテチ!」

「ママを困らせては駄目デス・・・。」

母実装はそう呟くと、仔実装たちを乗せた船を川のほうへ押しやった。
船は徐々に岸からはなれ、やがて水の流れに身を任せ始めた。
母から離れるにつれ、仔実装たちの悲しみも増していく。
船が完全に水の流れに乗ると、仔実装たちはとうとう大声で叫び始めた。

「ママ! ママァー!!」

「ワタチたちはずっと待ってるテチ! 新しい村でママを待ってるテチィーー!!」

「絶対逃げ切るテチュ!」

「そこかぁ! 糞虫どもォ〜〜!!!」

「デェ!? 叫んじゃ駄目デス!」

仔実装たちの叫び声を聞きつけ、少年は岸のほうに向かってきた。
船はまだ安全距離に達してはいない。
人間が川に入って追いかければ十分捕獲は可能であり、岸から石を投げられれば船は沈むであろう。
母実装は意を決し、命をかけて囮役を演じる事にした。

川の上流のほう、船とは反対方向へ思いっきり走り出す。
草が大きな音を立て、少年にわざとみつかるように。

「バレバレなんだよ! 死ね!」

頭に血が上った少年は、真っ直ぐ母実装の方へ向かってきた。
そして、母実装を視認するなり、手に持ったバットで叩き潰そうとした。

だが、子供たちのために死を覚悟した母実装の精神は澄み切っていた。
奇跡的にバットをかわし、人間の懐に潜り込んだのである。
人間の視界が糞に妨げられ、頭に血が上っていたのも幸いしたのかもしれない。

「なに!?」

「喰らうデス!」

千載一遇のチャンスを手に入れた母実装は、攻撃をかわされ隙が出来た少年の顔に石を投げつけた。
石は人間の鼻に直撃し、少年はあふれ出た涙で再び視界を塞がれた。

「痛ってえええ!!」

「デピャピャピャピャ!! 間抜けなクソニンゲンデスゥ!」

母実装はわざと少年を挑発する笑い声を上げながら、さらに上流のほうに逃げていった。
これでもう少し時間を稼げるだろう。
草を掻き分けて走りながら、母実装は自分の子供たちのことを心配していた。


船は沈まないだろうか。

岸に着かないまま船の上で餓死しないだろうか。

家は作れるだろうか。

餌場は見つけられるだろうか。

喧嘩はしないだろうか。

敵に襲われないだろうか・・・・。

心配事はつきなかった。
いろんなことを教えたはずなのに、それでも不安は尽きない。

「死ね!!」

追いついた少年が、バットを横なぎに振ってきた。
バットは母実装の左腕を掠めただけであったが、左腕の骨を折るには十分であった。

「デビャアアアア!!!」

地面で悶絶する母実装。
怒りに駆られた少年は、周りが何も見えなくなっていた。
そして、母実装の思惑通り、仔実装たちを乗せた船には最後まで気付かなかったのである。


死の寸前、母実装は幻を見た。
互いに協力し合い、新しい村を作り上げていく仔実装たちの幻を。
互いに話し合い、住処と餌場を確保し、かつての村よりも素晴らしい村を作っていった。
やがて子供たちは成長し、各々が仔、すなわち母実装にとっての孫を産んだ。
川辺で元気に遊びまわる仔と孫たち。
やがて孫の一匹がこちらに気付き、大きく手を振りながら微笑んだ。

その瞬間、母実装の意識は消滅した。
バットで思いっきり頭を叩き潰されたのである。
幸せな夢の中で死ねたのは、せめてもの救いだったであろうか。
























しばらく後















「テェ〜ッチ! テェ〜ッチ!」

船で避難した仔実装たちは、協力して舵取り棒を動かしていた。
船の上から手ごろな場所を見つけたのだ。
早めに着岸しなければ、完全に夜になって視界が奪われてしまう。
棒で川底を突き、船を少しずつ川辺へと寄せていく。

「つ、着いたテチ・・・!」

何とか着岸に成功し、川辺でテェテェと荒い呼吸を上げる四匹の仔実装たち。
周りを見渡すが、特に危険なものは見当たらない。
とりあえずは安全そうであったが、代わりに住む家も餌場もなかった。
これから少しずつ村を作り、安全な生活を手に入れなければならない。
自分たちだけで。
もう、守ってくれる大人たちはいない。
まだまだ教えてもらいたいことは沢山あったのに。


「しばらくは船を家代わりにするテチュ。」

一匹の仔実装が、不安と悲しみを振り払うように力強く発言した。
姉妹たちも、負けじと次々にアイデアを出していく。

「目立たないようにカモフラージュも必要テチ。」

「餌場の確保が最優先テチ。日の出と同時に捜索を開始するテチ。」

「お風呂とトイレはそこでするテチ。前よりも流れが急だから気をつけるテチ。」

             ・
             ・
             ・
             ・

見知らぬ土地に流れついた仔実装たちは、早速これからのことを相談し始めた。
あえて母親の事は話さない。
悲しむ暇があるならば、生き残る努力をすべきだったから。
この冷静な判断は、普段から学校で学んでいたからこそ可能なものだった。

川辺に自分たちの村を建設し、母実装が見た幻が現実となるかどうか。
陸路を脱出した他の野良実装たちが、新しい村に辿り着けたかどうか。
川の果てが見えないように、彼女たちは未だ自分たちの未来を知らなかった。

                                    終


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1 Re: Name:匿名石 2018/06/22-06:51:58 No:00005357[申告]
これ観察ですからね
公園などの人間施設に住み着いたりゴミ捨て場を荒らしたりしているところなら殲滅すべきだけどそうでもない野生を襲うのは違うかな
それはそれとしてもっと大災害や故意ではない人間の行為に壊滅させられてほしい
2 Re: Name:匿名石 2018/06/25-01:00:01 No:00005358[申告]
これまで文字掲示板に感想が書かれてなかったのが不思議なくらいの観察スクの名作なんだよな
3 Re: Name:匿名石 2018/06/25-03:52:23 No:00005359[申告]
昔は保管庫では感想書かないような風習でもあったのかな?
4 Re: Name:匿名石 2018/06/25-05:41:49 No:00005360[申告]
昔はスクに直接感想が書けなかったから
5 Re: Name:匿名石 2018/06/26-21:37:21 No:00005410[申告]
>00005360
なるほどありがとう
6 Re: Name:匿名石 2023/06/30-12:56:00 No:00007393[申告]
観察だからこそ、突然の人間の介入はあっておかしくないと思うよ
ゴミ捨て場を餌場にしてるのとか、結局人間の環境に依存して生きているんだから
災害としての人間乱入も実装における自然の出来事のひとつかと。子供や虐待派にとっては糞蟲かどうかも関係ないしね

大変珍しい集団全員が仲間を大切に出来る優秀な子たちだったね。面白かった
7 Re: Name:匿名石 2023/09/22-20:01:48 No:00008002[申告]
稀に見る糞雑魚人間デス!
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