アコースティック・ジッソーセキ ---------------------------------------------------- 日本には未だにスパイ防止法に類するものが存在しない。 国家安全保障上、それは長年解決するべき課題として認識されてはいたが、ある特殊な実務に携わる者達にとってはまた別の見解があった。 なにせ、よほど下手な真似をしない限りは日本の公安警察に検挙される恐れが無い。 (まず間違いなく尾行や監視はされているだろうが) それ故に、日本の、特に各国大使館の集う東京は、各国諜報員の社交場とも言い得る様相を呈していた。 これはそんな表に出来ない世界での、悲喜こもごもな小話である。 米国の某情報機関に所属しているマイケル・クルーガー少佐は、駐日米国大使館付武官という隠れ蓑を利用して、ロシア大使館に勤める同業者の動向に着目していた。 その同業者は、毎週水曜日の午後一時に散歩に出かけ、ロシア大使館から歩いて十分ほどの公園に赴くと、 そこでアジア系のうら若い女性と落ち合いベンチに腰掛け、しばし語らった後で大使館に戻る、といった行動をここ一ヶ月ほど続けていた。 おそらくアジア系の女性も我々の同業者なのだろう。(未だにその正体は掴めていなかったが) 彼らはその場で何かしらの情報交換を行っていると思われたが、どういった内容なのかまでは不明だった。 彼らのやり取りについて、本国のオフィスでふんぞり返っている上の人間は痛く関心を持ったらしい。 このため、巡り巡ってクルーガー少佐の元に、彼らの会話内容を確認するよう指示が回ってきた、というわけだった。 「・・・と言われてもなぁ・・・」 大使館の一角に設けられている自分用のスペースで、オフィスチェアに背を預けたクルーガー少佐はぼやきを禁じえなかった。 困ったことに典型的なアングロサクソン系の顔立ちの自分は、いかんせん日本では目立ちすぎる。 近寄っただけで怪しまれて、会話内容の確認など夢のまた夢だろう。 何かよい方法はないだろうか? 怪しまれずに近寄れて、会話内容を確認できる方法が。 そんな時に、情報収集用に付けっぱなしにしていたテレビに妙な物が映った。 緑色の服を着た、お世辞にもかわいいとは言い難い出来損ないの人形のような生物が、リードでつながれて主人と思しき人間と散歩している。 どうやらこの国の動物愛護団体による啓発コマーシャルのようだった。 「ジッソーセキか・・・」 日本に着任して以来、クルーガー少佐自身も何度か目にする機会があったが、正直よく理解できない生物だった。 これには、クルーガー少佐の目には、日本人のジッソーセキに対する扱いが両極端に過ぎるように映ったのも影響していた。 一方でペットにして着飾らせているかと思えば、公園には野良の汚らしいジッソーセキが住み着いて、近隣住民に迷惑がられている。 特に公園に生息している野良のジッソーセキは嫌悪どころか憎悪の対象らしく、一度ならず蹴飛ばされたりしている光景を目にしてもいた。 クルーガー少佐自身、自身の信仰の影響もあってかあまり好ましいものとは思えなかったというのもある。 だが、大使館の日本人スタッフに聞いたところによると、個体によってはそれなりの知能を持っており、訓練すればごく簡単な仕事くらいならばこなせるようになるという。 驚くべきことに、リンガルなる機器やアプリを使えば言語を介しての意思疎通すら可能であるとのことだった。 これは使えるかもしれないな・・・。 そう思ったクルーガー少佐は、早速作戦計画の立案を始めた。 彼は知らなかった。 過去に同種の作戦が立案、実施され、国費の無駄と断じられるほどの失敗と評価されたことを。 「よし、アルファ。お前の初仕事だ。行ってこい」 『分かったデス』 ペットショップで購入された三匹の成体のジッソーセキ。 その内の一匹であるアルファと名付けれたジッソーセキが、路肩に止めた車から降ろされて、盗聴対象であるロシア人武官とアジア系の女性の元へと歩いて行く。 アルファには録音機能をオンにした中古のスマートフォンを持たせてあった。 ロシア人武官に気付かれないよう、少し離れたところに車を止めたため、距離は道路を挟んで約三十メートルほどある。 成体とはいえ体長四十センチほどのジッソーセキには少し遠いかもしれないが、まあ大丈夫だろう。 少なくとも訓練では上手くいったんだ。 実のところ、クルーガー少佐はジッソーセキへの訓練を通して、それなりの愛着を抱きつつあった。 無事に任務が成功したら、ハーシーのチョコレートでもご馳走してやろうか。 そんなことを思いながら、車のスモークウィンドウ越しに見守るクルーガー少佐の目の前で、アルファは配達用の中型トラックに轢き潰されて路上の汚い染みと化した。 「・・・なんてこった・・・」 アルファのあまりにもあんまりな最期に、クルーガー少佐は思わず天を仰いだ。 翌週の水曜日。 「よし、ブラボー。行ってこい。頑張れよ」 『行ってくるデス』 盗聴対象のロシア人武官達までの距離は約二十メートルほど。 前任のアルファが交通事故で殉職するなどというまさかの事態を反省して、今回は道路を挟まず距離を詰めた形だ。 気付かれるリスクはあったが、致し方ないとクルーガー少佐は割り切った。 車から降ろされたブラボーは、順調に歩いて公園内へと入っていく。 だが、車内で推移を見守るクルーガー少佐の前で、またも思わぬ事態が生じた。 公園内に撒かれていた何かに気を取られたブラボーが、それを拾い食いしたのだ。 「おいおい・・・」 そういえばブラボーはちょっと食い意地が這ってたっけな、と苦笑するクルーガー少佐だったが、 いきなり口から血反吐を吐き、総排泄孔から大量の糞を溢れさせるブラボーを見て顔をひきつらせた。 『デゲボァアアアアアアアァァァッッ・・・!』 クルーガー少佐の元にまで聞こえるほどの断末魔の叫びをあげると、最期にビクリと身体を震わせて、ブラボーは自身が撒き散らした汚物にまみれて死んだ。 「・・・こんなことってあるかよ・・・」 おそらく、公園内の野良のジッソーセキを駆除するために撒かれた駆除剤を誤って食べてしまったのだろう。 関与が疑われることを避けるため、死体の回収は不可能だった。 持たさてあった録音用のスマホが少々気がかりではあったが、身元がバレないように余計なデータは入れていないから、 放置してもおそらく大丈夫だろう。 とはいえ、米軍には「戦友は見捨てない。たとえ遺体であっても」という意識がある。 その意識に反する自らの行いに、クルーガー少佐はひどく罪悪感を覚えた。 クルーガー少佐はブラボーに内心で詫びつつ、車を発進させて現場を後にした。 さらに翌週の水曜日。 「チャーリー、頼むぞ。無事を祈る」 『頑張るデス』 三度目の正直とばかりに送り出したジッソーセキのチャーリーは、前任の二匹を見舞った不幸に襲われることもなく、見事に目標の近くに辿り着くことに成功した。 「よし、よくやったぞ、チャーリー!」 クルーガー少佐は車内で一人喝采を上げた。 後は無事チャーリーを回収できれば万事オーケーなのだが・・・。 どうやら前任二匹の際は守護天使が休暇でも取っていたらしい。 クルーガー少佐の危惧を余所に、チャーリーは無事帰ってきた。 「よしよしよしよし、よく帰ってきたな!偉いぞ、チャーリー!」 『あ、ありがとうデス・・・』 あまりの褒め具合にやや困惑しつつも、チャーリーは撫でられるに任せていた。 クルーガー少佐とチャーリーは無事に任務を達成した。 それ自体には何ら問題はない。(二匹のジンソーセキの犠牲を除けば、だが) 問題はその成果にあった。 チャーリーが録音してきたロシア人武官と女性との会話データは、別部署の分析担当者の手に渡った。 分析の結果、ロシア人武官と女性(会話内容から公園近くの大学に通うロシア語専攻の学生と判明した)との会話は、 ただの世間話の域を出ることはないものだった。 どうやら女子学生が自身のロシア語の腕を試したくて、たまたま見かけたロシア人男性に声を掛けたのが習慣化した、というのが真相のようだ。 あんまりと言えばあんまりな結果だったが、ここで新たな問題が浮上した。 それはチャーリーの今後の処遇についてだった。 機密保持のために処分するか?という同僚の提案は、クルーガー少佐が激怒して撤回させた。 かといってそこら辺に捨てるわけにもいかなかった。 リンガルを使えば人語でコミュニケーションが取れることから、何かの拍子で彼らの行い が露見したら大事になりかねない。 最終的には、主に倫理的観点から、チャーリーには大使館の一角に居住用のスペースが与えられ、細々としたごく簡単な仕事をこなしつつ、余生を過ごしてもらうということで落ち着いた。 「ようチャーリー!今日も元気そうだな!」 『おはようございますデス』 出勤してきたクルーガー少佐の挨拶に、チャーリーはゴミ拾いの手を止めてペコペコと挨拶する。 遠目で見やる最近着任したばかりの大使館員が、日本では動物もお辞儀で挨拶するのか、と妙な関心をしていた。 多くの人々が気さくに接してくれる現在の環境に、チャーリーは大いに満足していた。 他にも挨拶してくれる人々にお辞儀しながら、今日もお仕事を頑張ろうと、チャーリーは気を引き締めるのだった。 ※スレに投下したものを改題、若干の加筆を行いました。 ※本作は、冷戦時代に米国にて実施された「アコースティック・キティ作戦」に着想を得たものです。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC -- 高速メモ帳から送信
1 Re: Name:匿名石 2024/12/02-20:38:35 No:00009421[申告] |
糞蟲でない個体が与えられた仕事を頑張って報われるのは好きだ(2匹殉職したけど
少佐もチャーリーの頑張りに報いて処分提案を撤回させたのがイイね チャーリーはこのまま幸せに余生を送って欲しい |
2 Re: Name:匿名石 2024/12/04-05:43:03 No:00009422[申告] |
意思疎通可能なありふれた都市害獣、一見工作に向いているようで運動能力によりちょっとした段差も障害になるし誘惑にもめっぽう弱い
何より下手に期待をかけるとガッカリさせられる星の下に生まれ付いたところがあるのが色々向いてないというか でも実装が考える幸福とは異なるかも知れないがチャーリーもお手伝い実装くらいの生存は担保されたので下手な気を起こさなければ天寿は全う出来るだろう |