実翠石との生活Ⅲ テチヨ -------------------------------------------------------------- ※本作は「実翠石との生活Ⅱ 番外編 糞蟲」の後日談になります。 そちらも併せてお読みいただけますとよりお楽しみいただけるかと存じます。 -------------------------------------------------------------- 敏代が秋人と出会う前の事。 「ただいま〜」 『ママ、おかえりなさいテチ!』 敏代が仕事から帰宅すると、飼い仔実装のテチヨが水槽の中から敏代に向かって短い腕をぶんぶん振って出迎えた。 テチテチという鳴き声は、水槽に備え付けられたリンガルによって電子音声に変換される。 家賃の安さだけが売りの狭苦しいワンルーム。 ペットの飼育など当然禁止なのだが、敏代はそんな契約条項など端から無視を決め込んでいた。 「遅くなってごめんね。イイ仔にしてた?」 水槽の中に手を入れて、人差し指の先でテチヨの頭を撫でてやると、テチヨは目を細めてチュッチュと嬉しげに鳴き声を上げる。 なんとはなしに入ったペットショップ、処分価格と札の貼られた大水槽の端で、ただ一匹寂しそうに泣いていた仔実装。 それがテチヨだった。 いつも泣いてばかりで協調性のない個体と看做されて売れ残っていたテチヨに、敏代は自分を重ね合わせていた。 敏代自身、いつも職場の人間関係に悩まされ、仕事が長続きした試しがない。 実際のところ、その原因は敏代自身の他責思考の強さにあったのだが、当人は決してそのことを認めようとしなかった。 そんな有様のため、常に孤独感に苛まれていた敏代にとって、仔実装らしい依存心を持つテチヨの存在は一種の救いにすらなっていた。 「今日はね、職場のババアが仕事を終わらせずに帰るなって喚いたおかげで、帰るのが遅くなっちゃったの」 『ママ、大変そうテチ』 「ちょっと期限が過ぎてるくらいであんなに怒るなんて、頭おかしいわよね。更年期障害かしら」 『そうテチ!ママをいじめるヤツなんて、いつかワタチがウンチ塗ってやっつけてやるテチ!』 テチヨに餌を与えながら、職場の愚痴を垂れ流し続ける敏代。 テチヨは嫌な顔一つせず、きちんと話に耳を傾け、心に寄り添ってくれる。 敏代はそんなテチヨがお気に入りだった。 実際のところ、テチヨは敏代の話など半分も理解出来ていないのだが、敏代はその事に気付いていない。 自分が居なければ生きていけない存在。 自分の事をママと呼び甘えて慕ってくれる存在。 自分を否定せず、全てを肯定してくれる存在。 それが敏代にとってのテチヨだった。 敏代とテチヨの関係は一種のエコーチェンバーとなり、元々対人スキルに問題のあった敏代の性格を、さらに捻じくれたものへと変質させていった。 さながら糞蟲共が相互に悪影響を及ぼし合うように。 そんな敏代のような人間が、まともな結婚生活を維持できるはずもなかった。 周囲の助けもあり、同じ職場に勤める同僚(といっても敏代は派遣社員だったが)の秋人との結婚に漕ぎ着ける事が出来た敏代だったが、 その結婚生活は長続きしなかった。 秋人に相談なく仕事を辞め専業主婦になったものの、体調不良を理由に家事をほとんどしなかったため、 秋人からは早々に愛想を尽かされていた。 その上、やむを得ぬ事情により同居する事になった実翠石の裏葉に、陰湿な嫌がらせをしていたのが秋人にバレた事により、 とうとう離婚を前提に別居されてしまう事態にもなった。 仕舞いには別居先に押しかけた挙げ句、刃物を持って玄関先で暴れて警察沙汰を起こした事から、敏代の有責で離婚される事となった。 (敏代は秋人と裏葉の浮気を主張したが、関係各所からは一笑に伏されただけに終わった。) こうして秋人に離婚され元々住んでいたアパートを追い出された敏代は、曲がりなりにも新たな生活をスタートさせていた。 とはいえ、それは決して本人が望んだものではなかった。 離婚により秋人という庇護者と専業主婦という肩書を失った敏代は、再びこの生き辛い社会の中で働く事を余儀なくされる事となった。 狭くはないが広いとも言い難い1DKの公営住宅、その一室で敏代はストロング系チューハイをあおりながら己の不幸を嘆いていた。 女性支援団体の手助けで住居その他を確保出来たものの、これから働かざるを得ない事に変わりはない。 (さすがに生活保護は受給出来なかった。その事で女性支援団体を口汚く罵った結果、以後の支援は受けられなくなってしまった) 全部あいつのせいだ。 実翠石の裏葉。あのいやらしい肉人形が私の夫を寝取ったせいだ。 性を売りにして私の夫を誑かすなんて、本当にキモい、キモすぎる。 かつては自身も(大して稼げなかったとはいえ)パパ活に手を染めていた事は脳裏から都合よく消して、敏代は裏葉を呪い殺さんばかりに憎んでいた。 敏代は裏葉のせいで何もかもを失ったと思っていた。 秋人の愛情も、安穏とした生活も、そしてテチヨの命も。 実際のところ、裏葉と同居する以前から秋人はろくに家事をしない敏代に愛想を尽かしていた上に、敏代が裏葉に陰湿な虐めを行っていた事が離婚の決定打になっていた。 テチヨの餓死についても、敏代が現行犯逮捕されて拘束などされなければ起こり得なかった事だ。 全ては敏代の逆恨みだったが、敏代自身がそれに気付くことはなかった。 テチヨの事を思い出した途端、敏代は強い孤独感に襲われた。 ママと呼び慕い、決して自分を否定せずに寄り添ってくれる都合のいい存在だったテチヨは、もう居ない。 敏代が警察に拘束されている間に、飢えと渇き、そして孤独感に苛まれて苦しみながら死んだからだ。 敏代には、新たなテチヨが必要だった。 数日後。 「さあ、今日からここがあなたのお家よ」 『テチューン♪・・・テ?』 ペットショップで処分価格で売られていた仔実装のテチヨ(二代目)は、お家として入れられたダンボールハウスに戸惑いを覚えた。 餌皿、水皿、トイレ用の空き箱、使い古しのタオルを用いた布団。 仔実装の生活に必要な物は一通り揃っていたが、敏代が用意したそれらは粗末に過ぎた。 『・・・これダンボールテチ、野良のお家テチ』 ペットショップで入れられていた水槽よりも粗末な作りのお家に、テチヨ(二代目)は不満気な声を上げた。 『ワタチは飼いテチ!こんな野良みたいなお家なんておかしいテチ!イヤテテ!』 いきなり我儘を言い始めたテチヨ(二代目)にややイラつきながらも、敏代はなるべく優しく話しかけた。 「そんなワガママ言わないで。ほら、お腹空いてるでしょう?」 そう言って敏代は餌皿にフードを数粒入れてやる。 テチヨ(二代目)は早速パクつくが、口に含んだ途端に顔をしかめた。 『・・・おいしくないテチ』 それもそのはず、敏代が与えたフードは百均で買った味も栄養も最低レベルの代物だっ た。 ペットショップで与えられていたフードよりも数段下の品質である。テチヨ(二代目)が顔をしかめるのも無理はなかった。 「ご飯に文句言っちゃ駄目よ。お願いだからいい仔にしてね?」 敏代は声音こそ平静を装っていたが、顔は苛つきを隠し切れていなかった。 敏代からしてみれば、金が無い中で用意したものにケチをつけられるなど不愉快の極みだった。 この仔を選んだのは失敗だったかしら? 敏代の脳裏にちらりとそんな考えが浮かぶ。 この時点でテチヨ(二代目)の運命は半ば決まったようなものだった。 テチヨ(二代目)が敏代に飼われてから数週間ほど経った頃。 テチヨ(二代目)はストレスを貯めこんでいた。 食事は不味いし量も少ない。 一日のほとんどを粗末なダンボールハウスの中で過ごさねばならないためひどく退屈で、なにより寂しい。 ママ(そう呼ぶよう敏代に言われた)は一日一度はダンボールハウスから出してお話してくれるが、話す内容は知らないニンゲンさんの悪口ばかりでちっとも楽しくない。 何日かに一度はお風呂に入れてもらえるが、その際も誰かの悪口ばかり聞かされる。 ペットショップで買われた際にはこれでシアワセな飼い実装なれると思っていたが、実際はペットショップのほうがまだマシな扱いだった。 少なくとも食事はもっとマトモだったし、オトモダチもたくさん居たから寂しくはなかった。 何より知らないニンゲンさんの悪口ばかり聞かされて嫌な気分になることなどなかった。 チチヨ(二代目)は鬱屈した思いを溜め込み続け、それはある日とうとう爆発した。 『テチャアアアァッ!!!』 いつものように敏代が職場の愚痴をテチヨ(二代目)に一方的に話している時だった。 テチヨ(二代目)が甲高い鳴き声を上げ、色付きの涙を流しながら短い腕で頭を抱えてイヤイヤと首を横に振る。 『もうイヤテチ!もうイヤテチ!知らないニンゲンさんの悪口なんて聞きたくないテチャァッ!』 驚く敏代にテチヨ(二代目)は言い募った。 『ママはおかしいテチ!悪口なんて言っても聞いても楽しくないテチ!そんなことばかりしてたらみんなから嫌われるテチ!』 敏代はテチヨ(二代目)を抱き上げた。その顔は憤怒で赤く染まっている。 みんなから嫌われる。 テチヨ(二代目)の口から出た言葉が、敏代の怒りの琴線に触れた。 「テチヨはそんな事言わなかった!」 そう言って敏代はテチヨ(二代目)の左腕を毟り取った。 『テ、テチャアアァァァァッ!?』 突然の激痛にテチヨ(二代目)は糞を漏らして泣き叫ぶが、敏代はテチヨ(二代目)を放そうとはしない。 「テチヨは私を否定したりなんてしなかった!」 「テチヨは私に寄り添ってくれた!」 「テチヨは私に味方してくれた!」 敏代は言い募るたびにテチヨ(二代目)の右腕、左脚、右脚と順々に引き千切ってゆく。 テチヨ(二代目)はその度に糞を漏らして甲高い悲鳴を上げるが、敏代はお構いなしだった。 「お前なんかテチヨじゃない!!」 『ヂッ!?』 敏代はテチヨ(二代目)を握りしめながらその頭をもぎ取ってとどめを刺した。 急に静かになった部屋で、敏代は手の中のテチヨ(二代目)だったものをしばし見つめた後、洗面所でそれを洗い流した。 手を洗っている最中、敏代の目からは涙が止まらずに流れていた。 その数日後。 「今日からここがあなたのお家よ」 『よろしくお願いしますデス・・・デ?』 ペットショップの店員から、賢くて簡単なお片付けも出来るとオススメされて購入した成体実装のテチヨ(三代目)は、 物やゴミが散乱して足の踏み場もない室内の状態に困惑した。 無理もなかった。 テチヨ(三代目)が知る世界は、整理整頓が行き届いたペットショップの中だけだったのだから。 たが、テチヨ(三代目)はこれは自分が役に立つ存在であることをアピールする良い機会だと考え直した。 成体実装になるまで売れ残っていた自分を飼い実装にしてくれたママ (敏代にそう呼ぶように言われた)には感謝していたからだ。 その日から、テチヨ (三代目)は部屋の掃除を頑張った。 進捗はお世辞にも早いとは言い難かったが、毎日地道に片付けを続けた結果、足の踏み場くらいならば何とか確保出来る程度にはなった。 だが、敏代の反応は冷ややかだった。 テチヨ(三代目)は敏代が求めるものを何一つ満たしていなかったからだ。 敏代がテチヨ(三代目)に求めていたのは、ただ自分に寄り添い、自分に味方し、自分を肯定してくれることだった。 部屋の掃除など求めていないどころか、自分への当てつけなのかとさえ思っていた。 このため、敏代のテチヨ (三代目)に対する扱いは日に日にぞんざいなものになっていったが、テチヨ(三代目)は決して文句を言わなかった。 餌は不味い上に量も少ない。 寝床はダンボールに新聞紙と使い古しのタオルがあるだけ。 挨拶しても無視されることのほうが多い。 それでもテチヨ(三代目)は飼い実装として、可能な限り飼い実装にしてくれた恩人の敏代に尽くそうとしていた。 そんなすれ違いの日々が続く中で、テチヨ(三代目)は自分が妊娠していることに気付いた。 ベランダの掃除をしている際に、隣家の育てている花の花粉で妊娠してしまったのだが、 テチヨ(三代目)は妊娠の原因よりもこれからどうするべきかに頭を悩ませた。 勝手な妊娠、出産は飼い実装としては最大のタブーだ。 だが、せっかく授かった命を堕ろすというのも難しい相談だった。 胎の中で日々重みを増してゆく命が愛おしかったし、敏代に無視されることが増えていたテチヨ(三代目)は、日々孤独感に苛まれてもいたからだ。 無論敏代に何度か相談しようともしたが、その度に無視されたり邪険に扱われたりと、ここ最近はまともに相手すらしてもらえなかった。 それに、敏代が日中仕事で留守にすることが多くなっていたことから、こっそり生み育てることもできるのでは?という希望的観測もあった。 結局テチヨ(三代目)は敏代に隠れて出産し、仔を育てることとした。 敏代が仕事で不在にしている間に産み落としたのは仔実装が三匹。 敏代から十分な量の餌を与えられていないためか、幾分小柄ではあったものの、三匹ともテチヨ (三代目) 譲りの賢い 仔実装だった。 敏代が家にいる間は声を押し殺し、タオルを被って身を隠すという窮屈な生活を強いられた。 ただでさえ少ないエサを四匹で分け合うことになるため、常にひもじい思いをすることにもなった。 だが、それでも四匹は敏代がいない合い間を縫って、家族での幸せなひと時を過ごしていた。 『やったテチ!やったテチ!』 『昨日よりも遠くに転がせたテチ!』 『今度はもっと遠くに転がすテチ!』 その日もテチヨ(三代目)は、敏代が留守にしている隙を見計らって、娘達との団らんを楽しんでいた。 ペットボトルの蓋をどれだけ遠くまで転がせるか、という他愛もない遊びだったが、満足な遊び道具の無い中では貴重な娯楽だ。 テチヨ(三代目)はそんな生活にもシアワセを感じていたが、無論のこと、そんな生活は長続きしなかった。 いきなり玄関のドアが開き敏代が姿を見せると、テチヨ(三代目)は驚きのあまり固まっ てしまった。 仔達も同様に敏代を見上げている。 「何、それ?」 冷たく見下ろす敏代に、テチヨ(三代目)は半ば観念して答えた。 『・・・ワタシの仔デス・・・』 敏代はテチヨ(三代目)を無言で蹴り飛ばした。 『デギャアッ!?』 そのまま床を転がるテチヨ (三代目)を何度も踏みつける。 敏代は虫の居所が悪かった。 派遣先の会社で自分よりも年下の正社員に、やんわりと仕事のミスを指摘されたのが原因だった。 敏代は女性社員に書類を投げつけて口汚く罵ると、そのまま勝手に帰宅してしまった。 苛つきが収まらぬまま帰宅すると、今度はテチヨ(三代目)が勝手に産んだと思しき仔実装達と遊び惚けているではないか。 敏代の怒りはそのままテチヨ(三代目)にぶつけられる事となった。 敏代は執拗にテチヨ(三代目)を踏みつけるが、テチヨ(三代目)は黙ってそれに耐えた。 下手に反抗したした場合、まず間違いなく仔達にも被害が及ぶからだ。 だが、テチヨ(三代目)に似て優しく育った仔達は、虐げられる母実装を看過しえなかっ た。 『お願いテチ!もう止めテチ!』 『許しテチ!ごめんなさいテチ!!』 恐怖に震えながらも長女と次女が敏代の足元でテチテチと泣きながら許しを請うが、それは敏代の怒りをいや増すだけだった。 『ヂッ!?』 『チベッ!?』 長女は敏代に踏み潰されて床の染みと化し、次女は蹴り飛ばされて壁の染みと化した。 『ニンゲンさん!もうヒドイことはやめテチィ!』 姉二匹が無残な最期を遂げてもなお、三女は震えながらも敏代とテチヨ (三代目)の間に割って入ろうとする。 テチヨ(三代目)はそんな三女を抱き締めて庇おうとした。 美しい親仔愛の発露だったが、親に愛された覚えのない敏代にとって、そうした行為は彼女の逆鱗に触れるものだった。 敏代は先端が金属製のビニール傘を手にすると、それを何度もテチヨ (三代目)に突き立てた。 『デゲッ!デギャアッ!?ゲゲッ・・・ジィッ・・・』 『ママッ、ママァッ!? ヂィッ!? チベッ・・・!』 全身を滅多刺しにされたテチヨ (三代目)は、守ろうとした三女ごと穴だらけにされて死んだ。 敏代はその場にへたり込んだ。 「どうして・・・どうしてよぉ・・・」 喉奥から嗚咽が漏れ、涙が溢れてくる。 どうして何もかもうまくいかないのだろう? どうして誰も彼もが私を馬鹿にするのだろう? 職場の女性社員は年下のくせに、正社員というだけで私を見下してくる。 私はもう子供が産めないのに、テチヨ(三代目)はベットの分際で勝手に仔を産んで幸せな家族を築いていた。 実際のところ、それらは全て敏代の認知の歪みや他責思考が原因だったが、敏代自身がそれに気付くことはなかった。 敏代の住む団地の近くにある小さな公園には、野良実装の一家が住み着いていた。 親仔共に野良の割にはかなり賢く、なるべく人目を避けて生きてきた。 ゴミ捨て場を荒らすこともなく、糞をそこら中に撒き散らすこともしない。 餌は公園内で取れる木の実や昆虫などで賄い、身なりもこまめに洗濯等をして整えていたため、野良にしては小綺麗でもあった。 生活は決して楽ではないものの、家族仲良く平和に過ごせることにシアワセを感じてもいた。 近隣住民も実害がないことから、この野良実装についてはほとんど放置していた。 敏代はこの野良実装親仔に目を付けた。 テチヨ(三代目)を自らの手で始末して以来、敏代は再び孤独感に苛まれていた。 だが、敏代には新たなテチヨを購入する金銭的余裕はなかった。 現在の派遣先の会社には、無断で飛び出してきて以来出社していなかったからだ。 敏代は公園内をくまなく探し、野良実装親仔を見つけ出した。 親実装に見守られながら、公園内で拾った半ばつぶれたピンポン玉でボール遊びに興じている五匹の仔実装の中から、 一番小柄な仔実装を摘み上げる。 『テチャアァァァァァッ!?』 いきなり自身の身長の十数倍もの高さに持ち上げられた仔実装が悲鳴を上げる。 親実装や他の仔実装達は突然現れたニンゲンに驚きながらも、家族を取り返そうと敏代の足元に群がった。 『娘を離せデスゥ!』 『 妹チャンを返しテチ!』 『怖がってるテチ!降ろしてあげテチ!』 それは家族を助けようという至極当然の反応だったが、敏代はそうは受け取らなかった。 せっかく飼いにしてやろうというのに何故邪魔するのか? 感謝されこそすれ拒絶される謂れはないのに。 「うるさいわね!邪魔しないでよ!」 ヒステリックな声を上げて、敏代は足元の仔実装二匹をまとめて踏み潰した。 『チビャッ!?』 『テヂッ!?』 どちらがどちらともわからないような糞混じりの挽肉が出来上がった。 『デ、デ、デジャアアアアアアアァァァアアッッ!?』 『テチャアアアァ!?』 『テチィッ!?チィッ!?』 姉妹の無残な最期に、親実装も生き残った仔実装も火が点いたような叫び声を上げた。 「うるさいって言ってるでしょ!?」 それがまた敏代の癪に障り、更なる暴力を招く。 『 ママァッ!ママチベッ!?』 『お姉チャべッ!?』 生き残っていた二匹の仔実装が敏代に蹴り殺される。 親実装にも執拗な蹴りが見舞われた。 『デゲェッ!?デジャッ!?ゲボッ!!』 敏代に蹴られる度に、親実装は腕を折られ、足を潰され、眼球が破裂した。 『ママァッ!? ママァッ!!ニンゲンさん、もうヤメテチ! ママが死んじゃうテチャァ!!』 敏代の指先で仔実装が泣き喚くが、敏代は聞き入れようとしなかった。 『デベッ・・・ゲッ』 とうとう頭部にあった偽石ごと頭を踏み潰されて、親実装は死んだ。 目を灰色に染めながらも、親実装は折れた腕を連れ去られた仔実装へと伸ばし続けていた。 こうして無理やり連れて来られた仔実装はテチヨと名付けられ、テチヨ(二代目)が使っていたダンボールハウスに入れられることとなった。 敏代はテチヨ(四代目)に自分をママと呼ぶように言い伝えたが、テチヨ(四代目)はただ色付きの涙を流すばかりだった。 翌日、敏代は何かにつけてテチヨ(四代目)に構おうとするが、テチヨ(四代目)はそれを拒絶し続けた。 フードや金平糖を与えても口にせず、撫でようとすると歯を剥いて威嚇する。 風呂に入れてやろうとした時にも同様だった。 抱き上げようとすると狭いダンボールハウスの中で暴れ回った。 そんなテチヨ(四代目)の態度に敏代はかなり苛ついたが、すぐに馴れて甘えてくるだろうと、この時は楽観していた。 だが、三日程経ってもテチヨ(四代目)は敏代に懐こうとはしなかった。 それどころか、敏代が与えたフードにも水にも口をつけず、衰弱しきっていた。 「ほら、食べないと元気でないし、最悪死んじゃうわよ?」 さすがに心配になった敏代が、ぐったりと横たわったテチヨ (四代目)の口元にフードを押し付けるが、テチヨ(四代目)は歯を食いしばってイヤイヤと顔を背けた。 『・・・ママを殺したお前のご飯なんて絶対食べないテチ。舐めるなテチ・・・』 敏代は顔を引きつらせるが、声音だけは猫撫で声でテチヨ(四代目)に話しかけた。 「お前、じゃなくてママでしょう?ほら、金平糖よ。好きでしょ?」 今度は金平糖をテチヨ(四代目)の口元に持っていくが、テチヨ(四代目)は相変わらず顔を背けるだけだった。 『お前なんかママじゃないテチ・・ ワタチのママはお前が殺したテチ・・・』 テチヨ(四代目)の言葉は弱々しいが、それ故に呪詛めいて敏代の耳に響いた。 『そんなに仔が欲しいなら自分で産めテチ。このクソニンゲ・・・』 最後まで言い切る前に、テチヨ(四代目)はダンボールハウスごと蹴り飛ばされた。 子を産めない敏代にとって、テチヨ(四代目)の言葉は致命的に過ぎた。 「ぁああああああああああっっ!!」 怒り狂った敏代は奇声を上げて何度も何度もダンボールハウスを踏みつける。 衰弱しきっていたテチヨ(四代目)は、逃げることも悲鳴を上げることも出来ず、ダンボ ールと入り混じるようにミンチとなって死んだ。 テチヨ(四代目)が死んだのを知ってか知らずか、その後も敏代は意味のない喚き声を上げながらダンボールを踏みつけ続けていた。 数日後。 敏代は金銭的にも精神的にも追い詰められていた。 派遣先の会社を無断欠勤し続けたため職を失い、収入が断たれた。 元々大した額が入っていなかったとはいえ、貯金残高も底をついた。 ペット不可の団地であるにも関わらず実装石を飼っていたのがバレて、追い出されこそしなかったものの厳重注意を受け、近隣住民からは白眼視された。 自身を孤独から救ってくれるはずのテチヨ達も、その悉くを自らの手で殺してしまってもう居ない。 壁や床に赤と緑の汚い染みとなってその痕跡を残しているに過ぎない。 全ては敏代の自業自得だったが、他責思考の強い敏代は己を顧みようとはしなかった。 誰かが自分を追い詰めようとしているのではないか、そんな妄想じみた考えさえ抱くようになっていた。 そんな敏代に追い打ちをかけるように、弁護士事務所から未払いの慰謝料に対する督促状が届いた。 秋人と離婚する際、敏代は有責側として様々な条件が課されていた。慰謝料の支払いもそ の一つだ。 さほど高くはない金額を毎月分割で支払うという形だったが、大した収入がない敏代にはかなりの負担だった。 支払いをもう少し待ってもらえないか、あわよくば免除してもらえないかと思い、弁護士事務所に電話をかけようとスマホを手にする。 だが、スマホはいくらタップしても反応しなかった。 ひび割れたスマホの真っ黒な画面には、醜く歪んだ自分の顔が映るだけだ。 派遣会社から無断欠勤について問い合わせの電話があった際、衝動的に床に叩きつけて壊してしまったのを今更ながらに思い出す。 こうなれば、直接弁護士事務所に足を運ぶしかなかった。 一方、秋人は実翠石の裏葉を伴い、知人の弁護士事務所を訪れていた。 敏代からの慰謝料の支払いが滞っている件について、あれこれと相談する必要があると呼び出されたためだ。 「済まんな、わざわざ事務所まで来てもらって」 「なに、裏葉とのデートのついでに寄っただけさ」 そう言って秋人が隣の裏葉の頭をそっと撫でると、裏葉は秋人の手の感触を楽しむように目を細める。 敏代が事務所に現れたのはそんな時だった。 「なんでアンタがこんなとこにいるのよ!?」 事務所に入ってすぐに裏葉の姿を認めた敏代は、ヒステリックな金切り声を上げた。 あたかも実翠石を忌み嫌う実装石のように。 裏葉を見れば見るほど、敏代は怒りが込み上げて来るのを感じた。 手入れの行き届いた亜麻色のロングヘア。 愛らしく整った容姿。 大人しいデザインながらも要所に少女らしいデザインが見て取れるワンピース。 そして、左手薬指に煌めく指輪。 仕事も金も、そして愛情すらも(本人は決して認めないが自業自得で)失った敏代にとって、裏葉は憎んで余りある存在だった。 他責思考の強さゆえか、敏代は自身に降りかかった不幸の全てが裏葉によってもたらされたものと錯覚すらしていた。 そんな憎悪の対象が、自分の夫だった男の背に守られながら、生意気にもこちらを睨みつけている。 敏代が鼻息荒く目尻を吊り上げていると、裏葉は不意に笑みを浮かべた。 女としての優越感に満ちた笑み。 その見覚えのある不愉快極まる笑みを見た途端、敏代はもう抑えが利かなかった。 「ぶっ殺してやるうううううううううつつ!!」 そう叫んで敏代は裏葉を絞め殺そうと飛びかかるが、事態を静観していた弁護士事務所の事務員がそっと差し出した足にひっかかり、派手に転倒した。 顔面から床に突っ込んでしまったため、鼻血が盛大に噴き出る。 起き上がろうとするが、事務員が背中を踏みつけているためそれも叶わない。 それでも顔を上げると、敏代を見下ろす裏葉と目が合う。 裏葉は冷たい視線のまま、口の端を釣り上げた。 まぎれもない嘲笑に敏代は目を剥いて歯噛みするが、抑え込まれているためそれ以上のことは何もできなかった。 しばらくして弁護士事務所の通報に基づき、警察が敏代の身柄を引き取りにやって来た。 警官に引き渡される直前、裏葉の声が敏代の耳朶を打つ。 「パパ、守ってくれてありがとうございますです」 「大したことはしていないよ?」 「それでも、すっごく嬉しかったです。だから、今夜は、たくさんご奉仕、させてほしい、です」 そう言って裏葉は秋人の腕に抱きつきながら、笑顔を浮かべて敏代を見やる。 優越感と侮蔑が入り混じった笑顔が、元々の愛らしい顔つきと相まって敏代をこれ以上ないほど刺激する。 敏代は怒り狂って襲い掛かろうとしたが、あっさりと警官に制圧されて、パトカーへと押し込められた。 その日の夜。 留置場の薄い布団にくるまって、敏代は己の不幸を嘆き続けた。 これまでの不遇とこれからの不安が、涙と鳴咽になって溢れ出てシーツを汚してゆく。 それを慰めてくれるはずのテチヨは、もう何処にも居なかった。 裏葉は行為後の心地よい気怠さと秋人の体温、そして暖かな布団に包まれていた。 秋人共々一糸まとわぬ姿だったが、身も心も温かい。 裏葉は己の幸せを噛みしめていた。 無毛の股間からは、何度も注ぎ込まれた秋人の精液が膣から溢れて腿を伝い、シーツに小さい染みを作っている。 いつの間にか寝息を立てている秋人の頬にそっとキスをしながら、裏葉は己の下腹部を愛おしげに撫でさする。 パパとの赤ちゃん、早くできるといいな。 そんな幸せな未来を思い描きながら。 -- 高速メモ帳から送信