タイトル:【哀愛観察】 その実装石は捨てられるために愛されてきた
ファイル:その実装石は捨てられるために愛されてきた.txt
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初投稿日時:2024/08/24-01:13:38修正日時:2024/08/24-01:13:38
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窓の外から、必死に誰かを呼ぶ鳴き声が聞こえてくる。
俺の飼っていた実装石のミドリの声だ。
何故外にいるのか。
捨てたからだ。
何故捨てたのか。おいたでもしたのか。
ミドリは良い子だ。その上知能も高く、飼い実装としては申し分がない。
取り立てて、ミドリに重大な非があるわけではなかった。
手塩を持って育てた大事な愛実装のミドリを捨てたら、一体どうなるか試したかっただけだ。
愛しているなら、何故捨てるのか?
それは愚問だ。
用途はどうあれ、愛することは可能だ。
農家や畜産家が、将来誰かに食われるために、心血を注ぎ野菜や動物を育てるのと同じで、
将来ミドリを捨てるために、仔実装時代から愛情を注ぎ、大切に育てたのだ。



時間はかなり遡る。
俺は、散歩と称して、ミドリを自宅から遠く離れた公園まで連れて行った。
初めての公園に、ミドリの瞳はキラキラと色めき立った。
俺は、公園の遊具ではしゃぐミドリを放置して、そのまま足早にその場を去った。

初めのうちは捨てられたことに気付かなかった。
何せ「ちょっとジュース買ってくる」と言い残し、公園に放置したのだ。
ジュースを買って公園に戻ると、姿が見つからぬように遠く離れた物陰から、
こっそりミドリを観察し始める。

当初は、公園で楽しく遊んでいたミドリだが、時間が経つにつれ、その心には影が生じ始めた。
30分経ち、1時間が経ち、数時間経っても迎えに来ない俺を、ミドリは不安な顔で待ち続けていた。
この公園に野良の実装石はいない。
少し前、市の保健所が野良を一斉に駆除したのだ。
野良実装の世界では、ツナギを着た人物は、自分達を殺す人間達だと伝わっているのだろうか。
ツナギの集団を見た瞬間に全力で逃げまとう野良実装の姿は、なかなかの見ものだった。

話を戻そう。
いつまで経っても戻ってこない俺に不安を覚えたのか、
ミドリは俺を探すことにしたようだ。
賢いミドリのことだ。
もしかして、飼い主の俺が怪我でもしたか、
突然倒れて動けないのでは、と考えたのかもしれない。
流石にこの時点では、捨てられたとは思ってはいないだろう。
俺は、ミドリにそんな残酷な人間だと思われるような接し方はしていない。

ミドリは、ひとしきり公園を探し回ったが、結局俺の姿は見付けられなかった。
俺と別れた場所に戻り、すっかり肩を落としてしまった。
既に日は陰り、公園には夕闇が訪れかけていた。
闇は人を不安にさせるが、実装石でもそれは変わらない。
「デスゥ…」
楽しい散歩のはずだったのだ。
でも、今やその気分は一転してしまった。
ミドリはメソメソと泣き始める。
一度涙が流れ始めると、押さえ付けていた感情が決壊したのか、
徐々に泣き声が大きくなり、遂には声を上げて号泣してしまった。
「デェェェェン!デェェェェン!」
誰もいない公園に、ミドリの悲しみに満ちた声が響き渡る。
ミドリのパンツがこんもりと膨れていく。
パンコンしたな。
普段、家では絶対やらないことだ。
流石に躾のされていない仔実装時代は別だったが。
ミドリは構わず泣き続けた。

しかし、これだけ遠くに離れていても、余裕で聞こえてくるとは、何とも凄まじい声量だ。
近所に少しばかり頭のイカれた奴が住んでいたら、ミドリのことをぶち殺しに来るかもしれない。
それほどの煩さだった。
感情の蛇口が壊れたかのように、ミドリはひたすら泣き続ける。
「デェェェェン!デェェェェェン!」
荒み果てた心に潤いを与える、素晴らしい泣き声だ。
ミドリの感じている心の痛みが、直接伝わってくるようだった。
これが聞くために、ミドリを育て、捨てたのだ。
そのままミドリの泣き叫ぶ様子を観察し続けた。

泣き飽きた、と言うよりは、むしろ泣き疲れたと表現した方が正しいだろう。
ミドリは一応は泣き止むと、不安の残る顔のまま辺りを散策し始めた。
賢い仔だ、きっと夜を過ごす場所を探しに行ったんだろう。
しばらく歩くと、ミドリの体がすっぽりと収まるサイズのダンボールを発見した。
これは俺の仕込みだ。
さっきジュースを買いに行く途中、スーパーでダンボールを貰っておいたのだ。
駆除された野良実装が、住居として使っていたダンボールは、軒並み廃棄されたからだ。
人に見つからないよう木の影までダンボールを引きずっていくと、
悪戦苦闘しながらダンボールを広げ、のそのそと中に入る。
頑張れよミドリ。
俺は心の中で応援すると公園から立ち去った。


翌日、起床して早々に公園へと向かう。
まさか死んではいないと思うが、少々不安だった。
俺の愛実装が、俺のいない間に、俺の見知らぬ誰かに殺されてないだろうか。
もし殺されるなら、せめて俺の目の前で、見るも無残に惨殺されて欲しい。
おっ、生きてた。少しホッとした。

ダンボールハウスから外に這い出てきたミドリは、かなり元気がなさそうだ。
それはそうだろう。
これで元気一杯だったら、逆に俺が落ち込んでしまう。
何のために育ててきたのか分からない。

ミドリは、少し背伸びをした後で「グゥ…」と鳴った自分の腹を抑えた。
俺が与えたポーチに手を突っ込み、ゴソゴソとかき回すが、中からは何も出てこない。
おやつを入れておいたはずだが、どうやら昨夜のうちに平らげてしまったらしい。
空腹はそれだけで不安になる。
「デスゥ…デスゥ…」
現状を考えて、涙が出てきたようだ。
ブリブリブリ…
昨日に引き続き、またもやパンコンをしてしまう。
モリモリとお尻周辺が盛り上がっていく。
昨日まで不安とは無縁な生活だったからなあ。
幾ら賢いとは言え、落ち着くまではまあこんなものだろう。
ミドリは、しばらくの間メソメソと泣き続けていた。

ようやく立ち直ったミドリだが、泣いたことによって余計腹が減ってしまった。
このままでは飢え死にだぞ。どうするミドリ。
少し考え込んだ後で立ち上がると、公園内の散策に出かけていった。
早朝の公園には沢山の物が落ちている。
自然の産物から人が捨てた物まで様々だった。俺もミドリを捨てたし。
どうやら何かを見つけたらしく、嬉しそうな顔で走っていく。
捨てられていたコンビニのビニール袋の中に手を突っ込み、何か残っていないか探している。
幸いにも、食べかけのおにぎりが見つかったようだ。
思いがけぬ幸運に喜んでいる。
では、早速食事にしようとおにぎりを口に入れようとした矢先。
ミドリの心中にとある葛藤が生じた。

ミドリは、俺の家で愛情を持って育てられた実装石だ。
地面に捨てられた、その上誰かの食いかけのおにぎりなど食べたことがない。
ちゃんと躾もされている。
以前、散歩の最中、好奇心のままに捨ててある物を拾っては俺に叱られていた。
変な物を拾っちゃいけません、と。
そんな躾の行き届いたミドリが、俺の教えに逆らって、拾ったおにぎりを食えるのか。
これは一つの見所だった。

おにぎりを手に取ったまま、しばらくの間悩むミドリ。
ミドリにとって、これはある種の戦いだった。
飼い主の教えは今までは絶対的に正しかった。
しかし、今この状況下でも、その教えは本当に正しいのか。
捨てられたおにぎりなど食べたことがバレたら、飼い主である俺に嫌われたりしないだろうか。
長い葛藤の末、ミドリはおにぎりを口元に近づけ、大きく口を開く。
遂に食うのか!食ってしまうのか!
俺はワクワクしていた。
あの優等生のミドリが、今俺施した教育と言う呪縛から解き放たれようとしている。
これだから観察は止められない!
ミドリはおにぎりを口に入れると、モグモグと咀嚼し始めた。
よっしゃ!食った!よく食べたぞミドリ!
あの賢い実装石はワシが育てた!
あまり美味しくないのか、微妙に顔を歪ませて、半ば無理矢理飲み込んでいた。
無事食事が済み、ミドリは散策を再開する。

腹が膨れて元気が戻ったのか、先ほどより足取りが軽やかだった。
公園の中央辺りまで歩くと、小型の噴水を発見した。
幸いなことに、噴水にはまだ水が供給されている。
ミドリは、噴水の縁によじ登り…
うん、どうやら実装石には高過ぎて登れないようだな。
水は生物が生き残る上での生命線だ。
実装石にとっても、それは変わらない。
この公園で、実装石に使えそうな水場はここだけだ。
トイレも水道も、実装石が使えぬように、処置が施されている。
それでも公園に住みつけるのだから、実装石は逞しいと思う。

ミドリは、実装石にとって高い壁である噴水の縁を、どう攻略するか考え込んでいた。
どうしたミドリ。そんなことじゃ、野良として立派に暮らしていけんぞ。
何か思い付いたのか、ミドリは噴水から離れて行った。
うおっ、こっちに来た。見つかる前に隠れないと。
俺は、ミドリから遠ざかり、再び姿を隠した。
ミドリは辺りを見回し、懸命に何かを探している。
やがて、平らな石を幾つも探し出すと、噴水の前に積み始めた。
なるほど、段差に使うのか、賢いな。
自分で作った段差をよじ登り、無事噴水の登頂に成功した。
噴水を間近で見て感動したのか、両手を上に上げて「デェー!」叫びながら喜んでいる。
ミドリは縁に座り、ペットボトルを股に挟み込むと、手と口を使い器用に蓋を開けた。
そして、水を汲むためにペットボトルの口を水面まで近づけて、
そのまま頭から噴水に落下した。

ドボン!
「デェッ!デェッ!」
水面をバシャバシャと荒立たせ、ミドリは懸命に噴水から這い上がろうとする。
大量の水を飲みながらも、ミドリは気合で縁によじ登り、何とか命を拾う結果となった。
水位がもう少し浅かったら、縁の位置が高過ぎて、ミドリには這い上がれなかっただろう。
運のいい奴だ。
まあ、本当に運が良かったら、そもそも俺みたいな人間に飼われないし、
捨てられもしなかったわけだが。
悪運が強いと言っておこう。
ミドリは気管に水が入り込んだようで、ゲホゲホと盛大にむせている。

ようやく一息吐いて、再度ペットボトルに水を入れようとした瞬間、ミドリは硬直した。
先ほどまで透明だった水が、ほんのり緑色に染まりつつあったのだ。
ミドリは先ほどパンコンをしたままの状態だった。
噴水に落ちた際、パンツの中の糞が水に混ざったのだろう。
しかし、それだけではここまで水が濁るわけがない。
ミドリは気付いていないようだが、水に落下した後も、水をがぶがぶ飲みながら、
下半身からはブリブリと排泄をしていたのだ。
ミドリが水から抜け出すまで、数分の時間を要した。
その時間中ずっと、ミドリの総排泄口から糞が垂れ流されたことなる。
つまり、見事な汚水の完成である。
アレだけ盛大にやらかせば、そりゃあ小さめの噴水なら、ああもなるだろう。
もはや噴水ならぬ、糞水である。

さて、どうするミドリ。
水なしでは生きていけないぞ。
奇跡的に他の水場を見つけるか、我慢して糞水を飲むかだ。
暫しの葛藤の末、ミドリはペットボトルを水面に近付けた。
プライドより実益を取ったか。
ミドリの行動からは、何としてでも生き残ろうとする、冷徹な判断と強固な意志を感じる。
こいつも一応は箱入り娘だ。
そんな奴が、ここまで徹底した行動を取るとは思わなかった。
賢い賢い。ミドリはワシが育てた。
これなら安心だ。
俺と再会するためならば、ミドリは例え泥水を啜り、蟲だろうが糞だろうが
、何を食らってでも生き残るだろう。
そう確信させられた。
俺はいつの間にか笑みを浮かべていた。
ミドリの成長っぷりを見て満足だ。
さて、そろそろ帰ろう。
とその前に。

「ミドリー!どこにいるんだー?」
噴水から降りたミドリは、ペットボトルの蓋を閉めていた。
突如聞こえた俺の声に耳をピクリと動かすと、声のした方に振り向き、
実装石らしからぬ速度で走り寄って来た。
うおっ、すげえ速いぞアイツ。
このままだと見つかってしまう。さっさと隠れよう。
俺は物陰に隠れ、遠くからミドリの様子を伺う。
ミドリは嬉々として俺の姿を探し回る。
今度は逆方向から叫んでみるか。このままここにいたら、見つかってしまうかもしれないし。
俺はミドリを迂回して進み、再度同じように叫んでみる。
「ミドリー!俺はここだぞー!どこだー!」
ミドリが振り向き、必死に走ってくる。
疲れたのかゼエゼエと息を切らしているが、そんなことは気にも留めない。
うーん、愛されてるなあ。単に自分の安全確保のためかもしれないけど。
しかし、何度走っても俺の姿は見えなかった。
俺はこれを後数回繰り返す。
疲労が限界に達したのか、ミドリが地面に倒れ込んでしまった。
ハァハァと肩で息を繰り返し、仰向けになって天を仰ぎ見る。
「ミドリー!どこだー!」
首だけこちらに傾けたが、立ち上がる体力すらないのか、そのままだった。
よく見ると、ミドリは横向きのまま泣いていた。
声は確かに聞こえたはずだった、と言うか今も聞こえた。
でも、声の方向にいくら向かってもゴシュジンサマはいない。
大好きなゴシュジンサマの元に戻れると思い、懸命に走ったのに。
多分こんな感じだろう。弄り過ぎたせいか、目が虚ろになってる。
流石に残酷だったか。飽きたし、今日はもう帰ろう。
「ミドリー!また今度探しに来るからなー!待ってろよー!」
元飼い実装へのアフターケアをしておいた。
去り際にミドリをチラリと見たら、ミドリはまだ泣いたままだった。


五日後。
随分と日が空いてしまった。
仕方ないんだ。
会社からの帰り際にでも寄れればと思ったのだが、最寄り駅から遠いし、
仕事に忙殺されていたのと、ミドリがいない毎日は思いのほか快適で、
ぶっちゃけ忘れかけていたのだ。
観察好きとしては失格である。

気を取り直そう。
さて、ミドリは生きてるかな。
一応同種の外敵は排除したから無事だと思うが。
猫とかカラスとかに襲われてないことを祈ろう。

おっ、生きてた生きてた。
けど、なんかズタボロになってるな。
ミドリの姿は元飼い実装とは思えないほどボロボロだった。
まず前髪がない、後ろ髪も片方根元から千切られている。
フードもない、服もズタボロで所々肌が露出している。
靴は両足とも無かった。
だが、俺があげた首元のリボンと肩掛けポーチだけは綺麗なままだった。
ミドリは逞しく生きているようだ。
元飼い実装で野良として生活できるとは、本当に賢かったんだなアイツは。
しかし、あそこまでボロボロになっているとは想定外だな。
まさかとは思うが…
「デッス~ン!」
ミドリが使ってたダンボールハウスから、一回りデカい野良が這い出てきた。
駆除されたと思ったら、もう新しい野良が住み着いたか。
流石は実装石。生態系の回転も早いな。

「デジャアアアアアァ!」
おお、ミドリが威嚇しとる。
もう立派な野良だな。うんうん。
俺も元飼い主として誇らしいよ。
どうやら、ミドリはこいつにやられたようだな。
やられただけではなく、家まで奪われたと。
それでも、俺があげたリボンとポーチだけは、必死に守り通したんだろう。
感動的な話だ。俺も捨てた甲斐があったというものだ。

デカ実装は、威嚇を繰り返すミドリを前に、余裕たっぷりだった。
おまけに性格と頭の悪そうな仔実装を沢山連れて、親仔共々ムカつく顔で偉そうにしている。
「来てやったデスゥ…」
「家と食料を返せデス!!」
「ぬかせデス…今日こそお前を奴隷にしてやるデスゥ…」
「「ママ!こんな雑魚、早くやっつけて奴隷にしてやるテチ!」」
こんな感じかな。
聡明なミドリとは、とても同種思えない醜悪さだ。
さて、どうするミドリ。体格差に人数差、これは一筋縄ではいかんぞ。
ミドリが懐から何かを取り出した。細長い針金のようだ。
あの形状は多分、公園のフェンスに使われてるジグザクの金網の部分かな。
壊れかけの部分を外したか、落ちてる針金を拾ったんだろう。
やるなミドリ。確かに、武器があれば、戦力差を覆せるかもしれない。

「そんなちっぽけな針金一つで、強くて美しいワタシに敵うと思ってるデスゥ…」
「やってるやるデジャアアアァ!」
と多分言っているんだろう。
お互い威嚇を繰り返し、様子を伺う。
そして遂に、ミドリ史上最大の戦いが始まった。
と思ったら一瞬で終わった。
「デシャアアアアアァァァ!」
ミドリは、凄まじい勢いでデカ実装の懐に入り込むと、手に持っていた針金でデカ実装の胸を突き刺した。
薩摩隼人かお前は。

「デギャアアアアアァァ!」
胸を突き刺されたデカ実装は、一際大きな悲鳴を上げると、泡を吹き、仰向けに倒れ込んでしまった。
どうやら刺した場所に運よく偽石があったようだ。
流石に針金程度では偽石は割れないだろうが、それでも偽石を直接攻撃されると
実装石にとっては悶絶するほど痛いらしい。
男にとっての金玉みたいなものだ。
そう考えると、デカ実装に少しだけ同情してしまう。
ミドリは、気絶したデカ実装の両目を針金で突き刺して潰す。
これで完全に無力化したな。
そして、親が一瞬で倒されて、その場に凍り付いていた仔実装達に目を向けた。

「テチャアアアァァァ…」
仔実装達は、ミドリの鬼気迫る顔を見て、ガタガタと震え始めると、
恐怖に耐えきれずパンコンをしてしまう。
「デシャアアアアアァァ!」
一方的な殺戮が始まった。
ミドリの素早い一撃で一匹が顔を突き刺されて、仰向けに地面に倒れ込む。
「テッチャアアアアアァァ!」
姉妹の一匹が倒されると、仔実装達は蜘蛛の子を散らすように、バラバラに逃げ始めた。
しかし、ミドリは仔実装達を逃がすつもりは更々なかった。
逃げ始めた仔実装にすぐさま追い付き、背中を針金で突き刺し地面に縫い付けた。
うつ伏せに倒れた仔実装の首元にもう一撃食らわせて、止めを刺す。
息があるかを確かめず、素早く立ち上がり、逃げまとう一匹の方に走り寄る。
仔実装の足は遅い。それもパンコンしてるなら尚更だ。
対するミドリはやたらと早い。何でこんなに素早いんだ?
まあ確かにミドリは、野良なんかよりは圧倒的に栄養状態は良く育ったし、
うちにいた頃は普段から部屋の中を走り回ってたはいたけども。
まるでミドリだけ倍速で動いているような速さだった。
野生の力に目覚めてしまったのかもしれない。
今までは元飼い実装では野生に適応しないだろうと考えていたが、
これは認識を改めるべきかもしれないな。

話を戻そう。
俺が野生の力について考えている間に、ミドリは次々と仔実装達を葬り去っていった。
全ての仔実装を殺し、気絶している親実装に止めを刺すと、ミドリはようやく息を吐いた。
「デヒュウ…デヒュウ…」
何その今まで聞いたことない気持ち悪い声。
ミドリの目は血走り、極めて強い興奮状態にあった。
ハァハァと肩で息をしており、口は開いているため涎が垂れっぱなしだ。
初めて戦場で敵兵を殺した新兵もこんな感じなんだろうか。
「デヒャヒャヒャ…」
ミドリはホラーに出てくるような不気味な顔で薄気味悪く笑った。
そして、自分が殺した実装石達の服を脱がし、毛を毟り取って、肉にかぶりつく。
生でいくのか、しかも同種を。
まあ、火なんか使えないだろうけど。
ちょっと見ない内にだいぶワイルドになったな。
ヤバいもんを目覚めさせてしまったかもしれない。
なんか怖いから今日は帰ろう。
その前に…
「おーい、ミドリーどこだー?」
「デスゥ~ン♪」
さあ帰るか。
目を爛々と輝かせながら、こちらに向かってくるミドリを待たず、俺は早々に帰路に着いた。


一週間後。
ミドリは今回も無事生き残っていた。
当初は誰も住み着いていなかった公園だが、例のデカ実装を皮切りに、
ちらほらと別個体の姿が見られるようになった。
どいつもこいつも野良らしく、腹に一物持ちふてぶてしい顔立ちをしている。
さて、肝心のミドリはと言うと、先週よりも更に荒んでいた。
衣装、顔、振る舞い全てがだ。

服装は見るも哀れだった。
腹から下が千切れている。
幾度もパンコンを繰り返し、緑と言うよりもはや黒に近くなった汚れたパンツを
申し訳程度に穿いており、より哀愁を誘っている。
元飼い実装だと言われて、十人中何人が信じるだろうか。
奇跡的に首のリボンと肩掛けポーチは無事だ。
しかし、色は随分とくすんでしまっていた。
だが、服はまだマシだ。

問題は顔だった。
片耳がない、歯形上に無くなっているので、誰かに食い千切られたのだろう。
フーフーと荒い呼吸を繰り返し、目は異常なまでに血走っている。
口は半開きのままで、下顎からヨダレが垂れていた。
狂犬病かな?
ミドリの様相は明らかにまともの一線を越えていた。
いつになっても迎えに来ない俺に対しての不信感からか、公園の実装石達の熱い洗礼でも受けたせいか。
とにかく、快適な飼い実装生活から転がり落ち、厳しい野良生活での過剰なストレスで
メンタルがどうにかなってしまったのだろう。
俺も新宿二丁目やトーヨコで暮らせと言われたら、数日で似たような顔になるかもしれない。
ミドリは半狂乱状態だ。
数週間も死なずに済んでる時点で、元飼い実装の野良としては間違いなく成功例と言っても良いが、
それでもやはり無理が祟ったのだろう。
近寄ってくる野良実装を睨みつけると、それだけで野良の方が怯えたように走り去っていく。
ちょっかいを掛けたら殺される。
ネジが外れた殺戮機械。狂いかけの一匹狼。
それが公園でのミドリの立ち位置だった。

しかし、これ以上見ても面白い進展はなさそうだな。
充分楽しんだし、そろそろ終わりにしてやるか。

「ミドリー!どこだー?ミドリー!」
俺は名を叫びながら、ミドリのいる方向に歩き始める。
ミドリの残った耳がピクリと動き、こちらに顔を向けた。
数週間ぶりの俺との対面である。
ミドリの顔が、信じられないと言った様子で固まった。
俺はミドリに気付かない振りをしつつ、ゆっくりと近付く。
ミドリが、俺と言う存在を正しく認識すると、半狂乱とした目に理性が戻った。
目に涙を浮かべ、こちらを見つめていた。
「デ、デスゥ…」
ミドリはフラフラと立ち上がり、こちらに駆け寄ってきた。
涙と鼻水と涎で一杯にした汚い顔で、全力で俺の足に抱き付いて来た。
きたねえなあ…

「君は誰だい?」
その言葉にミドリの顔がカチンと凍り付く。
「デ、デェ?」
恐る恐るこちらを見上げたミドリの表情は、信じられないと言った様子だった。
「デ、デェッ!デェッ!」
ワタシはミドリだ、訳が分からない、ゴシュジンサマは一体何を言っているのだ。
みたいなこと言ってるんだろうな。
リンガルなど通さずとも、その表情を見れば何を言いたいのか丸分かりだ。
そのくらい分かりやすく、狼狽していたからだ。
ミドリは足にしがみつき、自分はミドリだ、と必死にアピールする。

「ごめん、僕が探しているのは君ではないんだよ。
ミドリと言ってね。とても可愛らしい子なんだ、何か知らないかい?」
俺は気付かない振りを続けながら、ミドリの特徴を順番に挙げていった。
「ミドリはね、くりくりの可愛いお目目をしているんだ。
髪は艶やかでキューティクル、風に靡くとキラキラと輝いてとても綺麗なんだ。
声は透き通るようで、お歌と踊りも抜群に上手くて、ずっと見ていても飽きないんだよ。
顔立ちは少し幼い感じが残るけど、本当に美人さんでね。
好奇心が旺盛で何にでも興味を示すんだ。
頭が良くて、教えたことは忘れないし、何よりとても良い子なんだよ」
「デェ…」
べた褒めである。勿論、かなり誇張しているが。

ミドリは照れ臭そうにしていたが、すぐにそんなことをしている場合ではないと思い直す。
「デスデスデス!」
ミドリは自分を指差して、それは自分のことであると主張した。
「もしかして、君もミドリと言う名前なのかな?
でもごめんね。僕が探しているミドリは君じゃないんだよ。」

悪魔のような一言が、ミドリの心中深くに突き刺さった。
信じられない、何故ゴシュジンサマは、ワタシがミドリだと気が付かないのか。
ミドリは首を左右に振り始めると、再び半狂乱に陥った。
処理しきれない程の強い感情が、ミドリの頭の中を暴れまわる。
ミドリは猛烈な勢いで、俺に迫って来た。
「デエッ!デエッ!」
「ごめんね、何度も言うけど、僕が探しているのは君じゃないんだ。
君は僕の探しているミドリとは全然違うよ。
ミドリは服も髪もちゃんとあるし、耳も齧られていないよ。
声も君のようにハスキーじゃなく、透き通っていてね。
君の目は吊り上がっているけど、ミドリはもっとクリクリなんだ。」

俺は「ごめんね」と言って頭を撫でると、再びミドリの名を呼びながら、辺りを探す振りをする。
呆然としたミドリは「そうだ、これならば」と、俺が以前プレゼントした、
リボンと肩掛けポーチを掴みながら、俺に向かってきた。
「デスゥ!デスゥ!」
「うん?リボンとポーチがどうかしたのかい。
誰かに貰ったのかな?
可愛いね、とても似合っているよ。
僕もね、以前ミドリに同じ物をあげたんだ。
君のは赤緑だけど、ミドリにはピンク色をプレゼントしたんだ。」
「デェッ!?」
何をバカなことを。私の持っているのは、ピンク色のはずだ。
ミドリは、自分のリボンとポーチの色を確かめて、愕然とした。
鮮やかなピンク色だったリボンとポーチは、野良生活で汚れきっていた。
泥や自分の出す汗や皮脂、他の実装石との争いで染められた血液や糞などでだ。

何があっても最優先で守ってきた大切なリボンとポーチ。
自分の服や髪が犠牲になっても守り通した物。
ゴシュジンサマがくれた大切な…
これさえあれば何があっても気が付いてくれるはず。
その信頼は今粉々に打ち砕かれた。
「デ、デェ…」
ミドリは肩を落とすと、その場で立ち尽くしてしまった。
その瞳には、諦めと絶望が宿り始めていた。
「そうだ、君にはこれをプレゼントしよう。」
俺はミドリの頭を撫でてお菓子を手渡すと、辺りを見て
「ミドリ!また探しに来るからな!待ってろよ!」と叫んだ後で、帰路に着いた。


俺の少し後ろを、ミドリがテクテクと歩いて付いてくる。
決して見つからないように、そして見失わないように。
まあ、バレバレなんだが。

俺は、ミドリが俺のことを見失わないように努めながら歩いた。
物陰や茂みを見つけると、ミドリを探す振りを続けながら帰った。
視界の端にチラリと映るミドリの顔は、幾つもの感情が見え隠れしていた。
ゴシュジンサマが自分を懸命に探してくれている、嬉しさ。
何故、自分がミドリだと気付いてくれないのだと言う、悲しさと憤り。
せっかく会えたのに、このままずっと気付いてもらえないかもしれない、不安と焦り。
様々な気持ちが複雑に絡み合い、ミドリの中では処理が追い付かないのだろう。
そんな状況がしばらく続いたが、自宅に近付くにつれ、ミドリにとっても見慣れた場所が増えてきた。

やがて、数週間前まで住んでいた俺の家が見えてくる。
ミドリは懐かしさに目を潤ませた。
門扉を通り、石畳を歩いて行く。
玄関の鍵を開けると、ミドリを放置したまま中に入った。
カチャリ、と全てを拒絶をするような音が鳴り、扉が閉まった。
俺はすぐさまリビングまで走り、窓からミドリの様子を伺う。
ミドリはしばらくの間、玄関の前で何もせず立っていた。

どうしよう、ゴシュジンサマが家の中に入ってしまった。
公園では気付いてもらえなかったが、ここで呼べば自分だと気付いてくれるかもしれない。
多分そんな感じだろう。
ミドリは、意を決したかのように鳴き始めた。
「デスゥ~ン!デスゥ~ン!」
哀愁を誘い悲壮感が漂う、聞く人の心を揺さぶる鳴き声だった。
録音して着信音に設定したいくらいだ。
ミドリが俺を呼ぶ声は延々と続いた。
既に一時間ほど経ったが、まだ終わる様子がない。
途中、近所の人が、何ごとかと様子を見に来たが、玄関の汚い実装石の姿を見て去っていった。
「デスゥ~ン!デスゥ~ン!」
ミドリの訴えは、未だ続いている。
大声で鳴き続けたため声は掠れ、ミドリにも疲れが見え始めていた。
無理もない。ここまで必死に付いて来たのだ。
実装石にとっては、過酷な運動だったに違いない。
しかし、俺は頑なに玄関を開けなかった。
ミドリがダミ声に変わり、泣き声に嗚咽が混じり始めても。

日は傾き、町に夕闇が訪れ始めた。
ミドリの喉は、既に限界だった。
「デヒュデヒュ」と掠れきった声しか出せなくなったが、
それでもミドリは鳴くのを止めなかった。
今の自分が出来る、たった一つのことを、延々とやり続けた。

辺りはすっかり暗くなって、日がほぼ落ちかけた頃。
ミドリの喉は完全に潰れ、もはや鳴くことも叶わなかった。
口からは、ヒューヒューと、もはや声とは呼べない微かな息遣いのみが聞こえてくる。
しかし、ミドリは一向に諦める様子がない。
ここで諦めては、もう二度と一緒に暮らすことは出来ない。
そのような覚悟を感じた。

強情な奴だな。
俺はミドリの想定外の意志の強さに思わす微笑んだ。
玄関の明かりを付けると、ガチャリと扉を開けた。
ミドリは、遂に願いが届いたのだと、涙を流して喜び、
顔を体液でぐちゃぐちゃにしながら、俺の足に飛びついて来た。
俺はミドリを両手で抱き上げて、優しく微笑んだ。
ミドリは、ぐちゃぐちゃになった顔で、精いっぱいの笑みを浮かべた。
最愛のゴシュジンサマとが遂にワタシを認めてくれた。
抱っこしてもらえた、もう何も心配はいらない。
あんな酷い生活はもうしなくていいんだ。
これから先、何があっても絶対に離れない。
ずっとずっとゴシュジンサマと幸せに暮らすのだ。
そんな顔だった。

俺は甘えてくるミドリを両腕で抱えながら自宅の門を出ると、
その場にミドリを降ろし、頭を一撫でした。
「付いて来たらダメじゃないか。僕は君を飼えないんだよ、ごめんね。」
そう言って、ミドリの手にお菓子を握らせ、門扉を閉じようとしたのだが。
「ゲッギャアアアアアァァァ!!」
突然、ミドリがこの世の物とは思えない奇声を上げ、閉じかけている門扉の間に体を割り込ませた。
「ゲッギャアアアアァァ!」
当然ながら、門に体が挟まれる。
喉が潰れ、まともな声など、とても出せる状態ではない。
それでもお構いなしにミドリは叫び続けた。

「こ、こらっ!止めなさい!」
俺は不覚にも怯んでしまった。
長らく実装石を飼っていたが、このような狂い方は初めてだった。
凄いよ、ミドリ。俺は今、お前を捨てて本当に良かったと心から思っている。
未知の喜びが俺の全身を駆け巡った。
ここまで俺を喜ばせてくれた実装石は、飼った試しがない。
今ここで、考えを改め、ミドリを飼い直しても構わないのではないか、
と言う気持ちが俺の中に湧き始めた。
門扉を閉めようとする俺の手から、力が失われていく。
ミドリはすかさず庭に入り込み、ゲギャゲギャと気味の悪い声を上げながら、
俺の足にしがみ付いてきた。

驚いた。この非情な俺が実装石に迷わされている。
何十匹もの実装性を飼っては捨て、飼っては捨ててきた。
そんな俺が生まれて初めて、素直な感謝の気持ちから、
こいつを飼い直しても良いと、思わされている。
これも、嬉しい発見だった。

さて、どうしようか。
俺の中に焦りと葛藤が生まれた。

これほどの実装石をむざむざ捨てても良いのか。
こいつを飼っても良いと思えた今ならば、今後も俺に新鮮な刺激を与えてくれるかもしれない。
それどころか、打算なしに、ミドリを心から愛してやれるかもしれない。
俺の中で、慣習に従って捨てるべきと言うプライドと、芽生え始めた新たな感覚とがせめぎ合っている。
しかし、足元のミドリを見る度に後者の気持ちが強くなっていった。

飼い直しても良いかな。
分かる。今俺は、菩薩のような穏やかな顔をしている。
正直、今の気持ちは悪くない。
これを機会として、実装石との付き合い方も変えてみようか。
俺はそう思い、ミドリの頭に手を置いて、優しく撫でまわした。
ミドリは泣き止むと、素直に俺の手に体を預け、うっとりとしながら撫でられていた。
「よしよし…ミドリ、僕が悪かったよ…
さあ、一緒に家に帰ろう。」
俺はミドリを両手で優しく抱き上げた。
「ゲェ…」
やっと気づいてくれた。

ミドリはポロポロと涙を流していた。
「ゲェ…」
もうまともに声を出せなくなったミドリの喉から、ヒキガエルのような気味の悪い声が聞こえてきたが、
今の俺にとってはそれすら心地良かった。
「ゲェ…ゲェ…」
抱き上げたミドリの体から力が抜けていく。
今までの疲れがドッと噴き出したのだろう。
「ゲェ…ゲェ…」
「うんうん…」
俺はミドリの背中を優しく叩いた。
「ゲェ…ゲェ…」
それに応えるようにミドリが小さく鳴く。
しばしミドリを抱きしめた後、玄関を開き、家の中に迎え入れようとした正にその瞬間、
新たな可能性が俺の脳内を掠めていった。

もし…もしだ…
大事なミドリを、俺にこれ程までに感動を与えてくれたミドリを。
最愛のミドリを捨ててしまった場合、一体俺はどうなってしまうのだろうか。


知りたい。俺の興味は、すぐさまそれに支配された。
分かる。今の俺は菩薩とは程遠い顔をしている。
薄暗く邪悪な好奇心が芽生え、心を真っ黒に塗り潰し始めたのだ。
ダメだ、ミドリは大事だ、愛してやろうと決めただろう。抗え。
良心が俺に語りかける。
そうだな。
でも、そんなミドリを捨てたいんだよね。
どうなるか知りたいよね。
悪魔の誘いは巧妙で、とても魅力的だった。

だってお前はここまで深く愛した実装石を捨てたことが無いのだから。


「気が変わった。ミドリ、俺はお前を飼わない。
諦めてここから出て行け。」
開きかけた玄関を閉め、ミドリを門扉の外に追い出し、そう言い放つ。
「ゲッギャアアアアアアァ!」
再びミドリが発狂したのかように叫び始めた。
「何故!何故!」と訴えているようだった。
ミドリは、閉じられた門扉に向かって、何度も何度も体をぶつけながら絶叫を繰り返した。
「ゲギャッ!ゲギャッ!ゲッギャアアアァァ!」
ガシャンガシャンとけたたましい音が鳴り、その度に門扉が揺れる。
「ミドリ、俺は最初からお前をミドリだと知っていたよ。
実は、わざとなんだ。
公園でお前とはぐれたことも。
俺はお前を公園に捨てに行ったんだ。」

アレだけ騒いでいたミドリが、ピタリと静まり、真顔でじっと俺を見つめている。
「優秀なお前が、公園でどんな生活をしていくのか興味があった。
全部話そう。
公園で何度か俺の声が聞こえただろう?
アレは、俺がお前から隠れながらやったことだ。
必死で俺を探すお前の姿を見て、楽しむためだった。
公園でお前と気付けなかったことも全て演技だ。
初めからお前と知った上で近付いた。」
「ゲェ…」
何故そんな酷いことをする…
そんな顔だった。

「俺はね、ミドリ。
実装石を育て上げて、捨てることが大好きなんだ。
そういう人間なんだよ。」
「ゲェ…」
嘘だ。ミドリがそう答えた。

「本当だよミドリ。
むしろ、俺が今までミドリの前で取っていた態度の方が嘘なんだ。
俺はね、初めからお前を捨てるために飼っていたんだ。
毎日、お前の食事を用意したのも。
お前のトイレを丁寧に掃除したのも。
一緒にお風呂に入ってやったことも。
歌とダンスが上手だと褒めて喜んだことも。
休みの日には散歩に連れて行ったことも。
帰りが遅くなったからと、おやつを買ってきたことも。
夜中にお前がウンコを漏らしても、一切怒らずお前を慰めてやったことも。
悪夢にうなされたからと一緒に寝たことも。
お前の持っているリボンと肩掛けポーチをプレゼントしたことも。
全部お前を捨てるためだった。」
「……」
ミドリはもはや何も答えられないようだった。

「俺は今まで、沢山の実装石を飼っては捨ててきたんだ。
捨てられたのはお前だけじゃない。お前は最高の実装石だよ。
お前は誰よりも可愛くて、賢くて。それにとても良い子だ。
俺の自慢の実装石だった。
だから、これは俺の我が侭なんだ。」
「……」

「お前は凄いよ。
捨てられてからのお前の反応を見て、俺はまた飼っても良いかなと思わされた。
今までこんなこと思ったことなかったんだ。
お前を拾えば、俺はお前を以前よりも間違いなく愛してやれる。
そう思った。これは本心だ。
だが、俺は敢えてお前を捨てることにした。」
「……」

「俺にとってお前は最高の実装石だ。
最高のお前を捨てることで、俺の中で何かが完成する。
そんな予感がしたんだ。
俺はその気持ちに逆らえない。
お前のことは心底可愛いと思っている。
捨てたくないとも思っているよ。
だからこそ、捨てるんだ。」
「……」

「お前には、全ては正直に話した。
その上でもう一度はっきり言うぞ。
俺はお前を捨てた、今後お前と暮らすつもりは一切ない。
ここはもう、お前の居場所じゃない。
公園に帰れ。」

俺は無慈悲にもミドリにそう言った。
ああ、これでミドリは完全に終わりだ。
終わってしまった。俺が終わらせたんだ。
体の奥底からじわじわと快感が押し寄せてくる。
全身を果てしない感激が走り抜けていく。
どんな良い女を抱いても、こんな感動は得られないだろう。
そうはっきりと思わされる、そんな感覚だった。


ミドリは訳が分からず呆然としていた。
いくらミドリが賢いと言っても、それは実装石レベルの話だ。
人間の、それも歪んだ嗜好を持つ、俺の気持ちを汲み取れるわけがなかった。
愛しているのに何故すてるのか。
まずそこから分からなかった。
次々と浴びせられた、理解不能な言葉と文脈の羅列。
急に人が変わり、ミドリにとって、矛盾することを平気で言い放つ、元主人の姿。
分かったことは、目の前の人間はこれが本性だと言うこと。
もう二度と自分を飼うつもりがないこと。
ここから早々に去るよう言われたことだ。
それを理解した時、ミドリの中で理性と感情の糸がプツリと切れた。


俺に完全に拒絶されたミドリは放心していた。
ミドリの目は虚ろになり、口は半開きだ。
泣き声とも呼吸とも思わせる、ヒューヒューと言う切ない音だけが聞こえてくる。
俺は家の中に戻り、リビングの窓から外を覗くと、ミドリは焦点の定まらむ目で虚空を見上げている。
「ゲ、ゲェ…」
目から涙を流し、舌をだらしなく口から出してむせび泣く。
だらしなく垂れた肩からポーチがずるりと落ちた。
「ゲ、ゲ、ゲ、ゲ、ゲ…ゲェェン…」
ミドリはポーチの紐を手に持つと、
ズリズリとポーチを引きずりながら、ゆっくりと歩き始めた。
元いた公園の方へ向かって。
「ゲェェン…ゲェェン…」
俺は玄関を開けると、去っていくミドリの後ろ姿を見送った。
闇がその姿を覆い隠して、夜空に響くミドリの泣き声が聞こえなくなるまで。
ミドリの姿が闇に消えた時、俺の中で何かが満たされたのを確かに感じた。
俺の実装生活はようやく完結に至ったのだ。
最愛のミドリの犠牲を伴って。



後日、偶然にも件の公園の前を通ったので、気晴らしに散歩をすることにした。
ミドリは生きているだろうか。
気にならないと言えば噓になる。
俺が心の底から愛した実装石だ。
以前、ミドリが拠点にしていた場所を覗いてみた。
ボロボロになったダンボールハウスからは、見知らぬ野良実装が顔を見せていた。
髪と耳が残っている、間違いなくミドリとは別個体だった。
野良はミドリの物と思わしき、すっかり色がドス黒くなったリボンとポーチを身に着けていた。
公園に戻ったミドリから奪ったのだろうか。
ミドリ自身が捨てたのかもしれない。
では、ミドリは一体どこにいったのだろう。

公園内を探し回るが、それらしい個体は見当たらなかった。
ダメ元で名も呼んでみた。
「ミドリー!!」
我ながら馬鹿なことをしていると思う。
仮に出てきても飼うつもりはないくせに。
しかし、幾ら名を叫んでも、ミドリは一向に姿を現さなかった。
何だ何だ、と野次馬根性の野良実装が集まってくるだけである。
もう俺が呼んでも出て来ないのかもしれない。
それだけのことをしたのだ、当然だと思う。

野良に食われ、命を落としてしまったのかも。
充分あり得る話だ、野良の生活は危険も多く、寿命も短い。

この公園を去り、別の公園に移ったのかも。
俺と全く関わりのない場所の方が、ミドリのためかもしれない。

ミドリがどうなったのかは、誰にも分からない。


この日を境に、俺が実装石に関わることは一切なくなった。


終わり

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1 Re: Name:匿名石 2024/08/24-08:20:49 No:00009297[申告]
この歪んだ行為も当初の目的としては上げ落としや実験観察的な興味から始まったんだろうけど
ミドリに絆されそうになったり刺激としては到達点だと感じたからこそ実装石に入れ込んだ事に対する総仕上げにするに至ったのかな
2 Re: Name:匿名石 2024/08/24-20:42:29 No:00009298[申告]
ミドリはきっと生きてるさ
3 Re: Name:匿名石 2024/08/25-01:28:35 No:00009299[申告]
これは傑作。こういう作品が読みたかった。読めて良かった。

人間と実装石の手加減無しな心の交流。
全体的にシリアスで緊張感が途切れない。
一文が短く端的で、実装石の会話セリフ文がほぼ無いせいか、冗長感が皆無であり、それでいて心情描写の掘り下げはたいへん深い。

「気が変わった。ミドリ、俺はお前を飼わない。
諦めてここから出て行け。」

ここで欺瞞の仮面を外した主人公に、新しい希望と、どす黒い欲求と、ミドリの心情へ正面から向き合う真摯な覚悟が窺えた。最敬意を持って実装石の心を全力で潰しにかかる気迫に圧倒される。

飼う人間と愛玩用実装石の非対称な関係性で、本気を出した飼い主の恐るべき欲求に、翻弄されるしかない実装石の哀しさ描写も秀逸。なまじ優秀な実装石が、必死に飼い主へ依存したために、飼い主のさらなる深い欲求を掘り当ててしまった皮肉な展開。

最期は明確な記述を避け、ぼかして終わるものの、ミドリの心は確実に死んでいる。偽石パキン描写が無くても、実装石の心が死ぬ場面は書けるのを証明した作品。
4 Re: Name:匿名石 2024/08/26-00:49:28 No:00009301[申告]
野暮は承知で言うが捨てんなや
5 Re: Name:匿名石 2024/08/31-00:39:22 No:00009307[申告]
上げ落としの最高傑作かよ
6 Re: Name:匿名石 2024/09/10-15:55:42 No:00009327[申告]
よく野良を抱けるな・・・
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