昔実家のボットン便所の中で、祖父は実装を飼っていた。 しかし祖父は断じて虐待派ではない。飼われていた実装が好んでそうしていたのだ。 ある年、大飢饉が人々を襲った。人間でさえ食べる物に事を欠く始末の状態で、実装に分け与える食べ物などあるはずもない。 その実装は、そんな時に祖父の元を訪れたのだという。 祖父は優しい人だった。実装に土間を見せて自分の所に食べ物はないからどこかに行け、と実装に身振り手振りで伝えたそうだ。 この時代にリンガルなんて物はないから当然と言えば当然だった。 しかしその実装は自分から祖父の手を引き、厠に向かった。 そしてボットン便所を覗き込み、入りたそうにしていたという。 「……いいのか?汚いし、二度と敷居は跨げないぞ?」 祖父の呟きに実装が頷いたので、そのまま言葉通りに実装をボットン便所に入れたという。 実装は自分の糞を口にして栄養を補給するが、やはりこれには限度があるという。 含まれている栄養がどんどん絞りカスになっていくのだ。腹の足しになっても栄養はないから、放っておけば餓死する。 しかしずっと新鮮な糞を食べられるのであれば、話は別だ。 それが(少なくとも)自分たちよりは栄養のあるものを食べている人間の糞であれば、尚更。 こうしてこの実装は、難を乗り切ることに成功したのだった。 そして季節は巡り、状況は好転した。野山に草木も溢れている。そう簡単に餓死もしないだろう。 そう思った祖父がその実装を外に出そうとすると……あろうことか嫌がったのだ。 この頃には、なんとなくだが会話のようなやりとりができるようになっていた。 「なぜ出たがらない?汚いし臭いだろう?」 「外は危ないデス。食べ物が一杯あっても外敵が出るデス。でもここは安全デス…ワタシ一人が生きていくにはちょうどいいデス…」 祖父は思い出していた、自分の所にやってきた時のそいつの姿を。 片目がごっそり顔ごとこそげ、ぼろ雑巾のようになっていたことを。 だからこそ、同意を得たとは言え便所に放り込むという選択を選べたのだ。余りのみすぼらしさ故に。 実装は語った。 自分にも家族がいたこと。 家族はこの家を訪れる前に全滅したこと。 他の動物の餌食になること、先に訪ねた家の人間に殺された……等々。 気付いた時には一人きりで、体力も限界に近かったときに見えたのが、まさにこの家だったという。 そしてそいつは祖父と出会った時点で、生殖能力を失っていた。 繁殖繁栄と自分が無関係であることを知っているからこそ、一人で生きられるならそれでよかったのだ。 日に数回の餌……ほとんど糞や小便だが、優しい祖父はたまに間違えたフリをして普通の食べ物を落としていたらしい……に確実にありつける。 四方は強固な壁で、外敵もやって来ない。 暑さ寒さもあるが時代が時代だけに際立って酷いということもない、臭気抜きもあるので窒息の心配もない上に雨露とも無縁だ。 「だから、ここでいいデス…」 「そうか…」 祖父はそれ以上何も言わず、そのまま置いておくことにしたという。 その後祖父は時代が進んでも、この個体が死ぬまでボットン便所を維持し続けた。 祖父も家族を持った。家族は水洗トイレを望んだ。当然だろう。 だが、その願いを祖父は聞き入れなかった。 トイレになら住んでいいと認めたのは自分である。この実装は、その約束を固く守っている。 不平不満を口にしているのを聞いたこともない。ボットン便所住みながら、その性格は糞蟲とは一線を画していた。 「相手が約束を守っているなら、自分も約束を守らないとダメだ。それが人の道だ」 祖父からよく聞かされた話である。 祖父はそいつが死んだ時に、丁寧に葬ってやったという。 死んだその日にボットン便所から取り出すと手ずから洗ってやり、深緑のワンピースに白い前掛けを着せ、荼毘に付した。 「アイツほど俺のことを知ってる奴は他に居ないからな……それこそケツのシワの数まで知ってる奴なんて」 立ち上る緑色の煙を見上げながらそう呟いていたと父から聞かされたのは、祖父の葬儀の日だった。 そいつの死から祖父の死までの間は、とても短かったと記憶している。
1 Re: Name:匿名石 2023/08/07-21:31:45 No:00007736[申告] |
汚いと思わせてすごくきれいな話 |
2 Re: Name:匿名石 2023/08/07-22:34:48 No:00007738[申告] |
昔あった便槽飼いみたいなの想像してたら何かどこか清貧な感じだった |
3 Re: Name:匿名石 2023/08/10-06:24:46 No:00007753[申告] |
ダンボールない時代は山実装だったという設定あるけど
山実装もありえないと思う そんな中出てきた昔の実装石は便所の中で生きてた説 |
4 Re: Name:匿名石 2023/08/30-11:07:26 No:00007903[申告] |
モチモチの木的な絵本で語り継ぎたい名作デスゥ |
5 Re: Name:匿名石 2023/11/12-22:53:55 No:00008457[申告] |
設定年代がよくわからないが矢口高雄の絵で脳内再生された
実装石が存在する世界線ではこういう共生関係にある個体も存在しそう なんかパラレルワールドを除いた気分になる逸品 |
6 Re: Name:匿名石 2023/11/12-22:54:22 No:00008458[申告] |
×除いた
〇覗いた 誤字った |
7 Re: Name:匿名石 2025/02/27-07:25:27 No:00009536[申告] |
祖父が家族を持ったってことは若い時代から一緒だったんだね
超長生きさんだったんだね |