ここはとある公園。とある実装一家の食料備蓄が尽きかけていた。 季節は冬。食料になりそうな木の実はなく、同族たちも飢えて激減しており肉も調達できない。 ゴミを漁ろうにも一月ほど前からゴミ袋はより頑丈なものに変わっており実装石の力で破くのは不可能だ。 更にはこの一家の成体実装は一年ほど前まで飼い実装であり食糞など到底不可能であった。 間引きも出来ないためこの一家は成体実装1、仔実装8、親指実装1、蛆実装1とそれなりの所帯持ちであり残り少ない備蓄では明日の腹を満たすことも不可能と完全に詰んでいる。 「…渡りをするデス」 そんな状況で親である成体実装は決断した。 渡り。今のすみかを捨て、別の公園へと移住する行為。成功率は極端に低く一家全滅は当たり前。 そんな分の悪い賭けに挑もうとしているのは成体実装自身百も承知だった。 だが彼女にはたどり着ける自信があった。以前飼いであった時に連れてこられたのはこの公園だけではなく、近場の別の公園があったのだ。 無論近場というのは人間換算の話であり実装石、ましてや仔実装を連れての移動には途方もない時間がかかるだろう。 だが行くための道筋は覚えており、更にはその公園は木の実も多く実装石が移住していないクリーンな環境であった。 道程は険しい。だがたどり着けばそこは楽園だ。 一家で楽園へ行く。そう決断した成体実装はすぐさま準備に入った……。 「起きるデス。出かける用意をするデス」 翌日の深夜2時頃。飼い主に渡された唯一の財産であるピンクのハンカチに食料を包み背負った成体実装、ミドリは仔実装達を起こしていた。 まだ真っ暗な上に寒さが厳しい時間だが人間や動物が活動する日中は生存率が極めて低くなる。 移動を始めるにはこの時間からしかなかった。 「何テチママ?」 「まだ眠いテチ」 「おなかすいたテチィ」 思い思いの言葉を紡ぐ仔実装達。そんな子供達にミドリはしーと静かにするよう合図した。 「娘たち。ワタシ達は今から渡りをするデス」 聞いたことのない言葉に仔実装達が僅かにどよめく。 「ママ、何処に行くテチ?」 「楽園デス。寒くもないしお腹もペコペコにならない。同族に教われる心配もない場所デス」 ミドリの言葉に仔実装達は色めき立った。 母親の言葉が確かならそこは楽園という他ない。 だがミドリの声はどこか暗い。 「しかしそこにたどり着くのはとても大変デス。みんなワタシの言うことをちゃんと聞くんデスよ」 「「「テチィ!」」」 ミドリの言葉を理解しているのかいないのか、全員が息を揃えて答えた。 ミドリに続いて慣れ親しんだダンボールハウスを後にする。 そんな中最後尾に並んだ八女がまだ寝息を立てている親指と蛆を見つけた。 「親指ちゃんと蛆ちゃんは起こさなくて良いデス」 しかしミドリは二匹を起こそうとする八女を制止した。 「ママ、どうしてテチ?」 「危険な旅だからみんながたどり着いた後にママが迎えに行くデス。だから今はお留守番デス」 嘘だ。過酷な旅になる以上成体であっても往復など出来ない。 しかも体も小さく体力もない親指や蛆は完全な足手まといでありとてもではないが連れていくことなど出来ない。 ミドリは初めて家族を切り捨てる決断をしたのだ。 「じゃ、みんなママに付いてくるデス…」 苦渋の決断をした顔を見せまいと顔を子供達から反らすとミドリは先頭を歩き楽園への道行きを開始した……。 公園を出て10mほど、最初の関門が姿を表した。 車道だ。 と言ってもこの時間に道路を利用する車やバイクはまばらでありいつでも通っていくことが出来るような状態だ。 だがミドリは慌てない。 「ママ。どうして行かないテチ?」 「あの光が赤の時は駄目デス」 自分の真後ろに並ぶ長女に説明する。 歩行者用信号がまだ赤なのだ。 赤の時は車が通る時間。そのタイミングで歩き出したら車に轢かれて死んでしまう。ミドリはそう飼い主に教育されていたし、公園からもそうして轢かれて同族を山と見てきた。 信号を守るのは絶対。そのルールに従ってたっぷり1分間、青になるまで待つことになった……。 残りの実装石、成体実装1、仔実装8。 「行くデス!」 信号が青に変わったと同時にミドリを先頭に歩道を渡っていく。 しかしここの歩道は長く、信号が青である時間は短い。 実装石の足では半分も行かないうちに赤へと変わってしまった。 「い、急ぐデスッ!」 ミドリが慌てて指示し走り出す。こうなってはいつ車が来ても不思議ではない。 「デッデッデッデッ!」 「「「テチィ!テチィ!テチィ!テチィ!テチィ!」」」 突如始まった深夜のマラソンに仔実装達も着いていくのがやっとだ。 幸い車が来る前にミドリは渡りきることができた。仔実装達も肩で息をしつつも続々と渡りきる。 「まっ、待っテチ!テボッ!テヒィ!」 だが八女、最後の一匹がまだ取り残されていた。生まれが遅く他の仔実装よりも体力も歩幅も足りないのだ。 「もう少しデス!頑張るデスッ!」 ミドリが対岸から応援する。信号が赤になった以上自分が戻って手助けすることは出来ない。 応援する母や姉達の元へと八女は必死の形相で走り続ける。ゴールまであと少しだ。 「ママッ!やったテチィ!」 「流石デス!それでこそワタシの娘──」 互いに手を伸ばして抱き合おうとする。 だがそれは叶うことはなかった。あと少しのところで八女は走ってきた車に轢かれたのだ。 「テジャァァァァァァァ!!!」 後頭部の髪と片足を失った八女が絶叫する。 当然のことながら八女はそこから動けなくなってしまった。 「マ、ママァ!痛いテチィ!死んじゃうテチィ!!」 「デデェ!?ま、待つデスッ!今ワタシが助けに──」 ミドリが言い終わる前に、またしても八女が轢かれた。 今度は完膚なきまでに全身を潰され、残ったのは赤と緑の染みだけだ。 しかし無理からぬことだ。時刻は深夜3時前。そんな暗闇の時間に走る車から体長20cmにも満たない仔実装が歩いていることを認識するなど不可能に近い。もっとも、気付いたからといって運転手が何か対応するとは考えられないが。 「デ、デェェェェェ!!」 「い、イモウトチャが死んだテチィィィ!」 「さっきまで笑ってたテチ!ワタシの後ろを歩いてたテチィィィ!!」 「悪夢テチっ!これは悪夢テチィィ!」 一瞬で恐慌状態に陥る一家。だが立ち止まってはいられない。渡りはまだ始まったばかりなのだから……。 残りの実装石、成体実装1、仔実装7。 早速家族を失った悲しみを乗り越え一家の渡りは続く。 しかしいくら悲しみに包まれていても、どれほど重要な目標があろうとも腹は減る。 ましてや今は食べ物の少ない冬。仔実装達は口々に食事を要求しだした。 「ママ、少し休もうテチィ……」 「お腹ペコペコテチィ……」 「もう歩けないテチィ……」 まだ公園から100mも離れていない。だが仔実装からしたら既にかなりの長距離移動であり、空きっ腹での行軍には限界があった。 「仕方ないデス。ここで少し休むデス」 そう言ってミドリが建物同士の間にある50cm程の隙間に潜り込んで腰を下ろした。 仔実装達も残された僅かな体力で走って同じ場所に腰を下ろす。 「ママ、ゴハン食べたいテチィ」 「ワタシこんなに歩いたの初めてテチ…」 「もう一歩も歩けないテチ……」 口々に疲労を漏らしぐったりと横たわるものまでいる。 その様子を見てミドリも食事を採ることにした。 「はいはい。じゃあ今からゴハンにするデス」 そう言ってミドリが背負っていたピンクの包みを開けると中から出てきたのは金平糖だった。もしもの時のために、あるいはご馳走として残しておいた僅かばかりの食料だ。 数は三つと少ないが仔実装達で分けあえば足りぬ数ではない。 「コンペイトウテチィ!」 「スゴいテチ!ご馳走テチィ!」 「ママ、どうやって手に入れたんテチ!?」 「前にニンゲンサンが公園に蒔いていたのを貯めておいたデス。休んで食べられるようになった仔から食べて良いデス」 思わぬ食事に色めき立つ。だが疲労の色は濃く、すぐさま食事を採れる仔実装はいなかった。 「わ、ワタシが一番テチィ!」 しばらくした後、そう言って六女が金平糖にむしゃぶりつく。 一舐めするとまるで最高の料理を口にしたようなにやけ面へとへと変わっていった。 「ウマいテチィ!甘いテチィ!最高テチィィ!」 その様子に他の仔実装も喉を鳴らす。 「……ママは食べないんテチ?」 姉妹の一匹、長女が母親を案じて質問する。体力のある母であればすぐさまにでも食事が出来たであろうに一向に動く気配がなかったのが不思議なようだ。 「ママは楽園についたら食べるデス。このコンペイトウは子供達だけで食べるデス」 それは母の優しさだった。 新天地に着いたからといってすぐさま食事ができるとは限らない。だが、だからこそミドリは子供達を優先したのだ。 「ママ、大好きテチィ!」 「ママも長女が大好きデス」 束の間親子の間に和やかな空気が流れる。 だがそれも長くは続かない。 「六女チャ、どうしたテチィ!」 突然悲鳴が上がる。 見れば金平糖にかぶりついた六女が顔を青くして苦しそうにしていた。 「ど、どうしたデスッ!?しっかりするデスッ!」 「ま、ママ…気持ち悪いテチ……」 そうこうしている間にも六女の体調はみるみる悪化し、ついにはその場に倒れてしまった。 「テチァァァァァ!」 「オネエチャ、しっかりするテチィィィ!」 姉妹の心配を他所に六女が痙攣を初め泡を吹き出した。 「ママ……ワタシ…死にたくないテチ……」 パキン。 最後の言葉と偽石が割れる音を残し六女はこの世を去った。 ミドリが集めていたのは虐待派が撒いた実装コロリだったのだ。 六女は舐めただけだったが、仔実装が死ぬには十分な毒を接種してしまっていた。 「テ、テェェェ…………」 先程までの穏やかな時間は消し一家の間に悲壮な空気が流れる。 「とにかくこれは食べちゃ駄目デス。少し休んだら、また出発デス…」 だが立ち止まるわけには行かない。渡りはまだまだ序盤なのだ……。 残りの実装石、成体実装1、仔実装6。 重い空気の中、一家の渡りは続く。 今は小さな橋に差し掛かり、それを進んでいる最中だ。 しかしそんなことを気にするものはおらず、先程の衝撃から誰もが無言であり、誰もが俯いていた。 ミドリも力なさげに、だがしっかりとした足取りで前を進む。 手に残されたのはご主人様からもらったピンクのハンカチ。先程までの実装コロリを包んでいた布だ。 大切な娘の命を奪ったものを包んでいたものだがこの布そのものが悪いわけではない。 それに自分が飼いであった頃はとても良くしてもらっていた。 そんなご主人様から貰った最後の贈り物を自分の身勝手で捨てるのは憚られたのだ。 「ま、ママのハンカチスゴく綺麗テチィ」 ミドリの真後ろを歩く長女が気を利かせて話を振る。 確かに、そのハンカチは野良が一年間所持していたにしてはとても綺麗な状態だった。 「ありがとうデス。これはママがご主人様から貰った宝物なんデス」 「テェッ!?ご主人様からの贈り物テチっ!?」 「そうデス。捨てられてしまったけど、ご主人様はとても良いニンゲンサンだったデス…」 しみじみと見つめながら歩を進めるミドリ。 いままで同族に奪われることもなく守り続けていることからも、これがミドリにとって今でもとても大事なものであることは明らかだろう。 「スゴいテチッ!ワタシもいつかはそんなご主人様に出会いたいテチッ!」 「大丈夫デス。長女は良い仔だからきっと良いご主人様が見つかるデス」 実際長女は頭がよく、野良生まれでありながらミドリの言うことをよく聞き、教えを忠実に守っていた。 今もこうして沈んだ空気を上向かせようと機転を利かせて話を弾ませている。 「さあ、楽園はまだ先デス。頑張って行くデス!」 「テチィ!」 長女のお陰で幾分か気分も上を向いた。皆で協力すればきっと渡りもやり遂げることができるだろう。 そう思った刹那、突如風が吹いた。 仔実装が吹き飛ばされるほどではないが想定外の突風にミドリはハンカチを手放してしまった。 「デデェ!?わ、ワタシのハンカチがっ!」 突然の事態に狼狽えるミドリ。今まで大事にしてきたご主人様からの宝物。それが遥か上空へと飛ばされてしまった。 「ワタシに任せるテチィ!」 長女が一目散に走り出す。 ママが大切にしている宝物。大好きなママ。優しいママ。ワタシ達の事を一番に考えてくれる大事なママ。 そんなママの宝物は必ずワタシが取り戻す。 そんな意思のもと長女が駆け出し飛んだ。 「ま、待つデス!行っちゃ駄目デスッ!」 ミドリが制止するが遅い。 長女は脇目も振らず飛び出し、そのまま橋の欄干から落ちた。 「デデェェェェ!?長女がっ長女がぁぁぁぁ!!」 慌てて欄干から長女が落ちた方を見つめ残った姉妹もそれに続く。 長女は川の水面でパタパタと水を叩き必死にもがいていた。 「ま、ママァ!寒いテチ!溺れるテチ!死んじゃうテチィィィ!」 必死に助けを求める長女。だがカナヅチの実装石がしてやれることは何もない。 しかも今は真冬であり極寒の川に飛び込めば二次被害を起こすだけなのは目に見えていた。 ミドリは血涙を流しながら長女が力尽きるまで見つめるしかできない。 長女は母に助けを求めるが、それも30秒としない内に静かになりドザエモンとなって下流へと流れていった。 残りの実装石、成体実装1、仔実装5。 再び重くなった空気のまま一家は進む。 この短時間に次々と家族を失ってしまい、誰もがその衝撃から立ち直れないでいた。 だが幸いまだ夜は深い。まだ一度も人間に会うこともなく進めている。 この調子ならきっと楽園へたどり着ける。そんな希望だけを持ってミドリは前を進んでいた。 「ママ!七女チャがいないテチィ!」 「デデェ!?」 五女の言葉にミドリが振り返る。 確かにいない。 ずっと最後尾を歩いていたはずなのに。慌てて来た道を戻りながら必死に探す。 「デェェェェン!七女ぉ!どこデスゥゥゥゥゥ!」 もう娘を失いたくない。そんな悲痛な想いを抱えてミドリは泣いた。 「ママ!ワタシはここテチっ!」 七女が電柱の影から姿を表した。 「勝手にいなくなっちゃ駄目デス!本当に心配したんデスッ!」 七女の元に駆け寄ると同時に血涙を流しながら七女をしかる。 だが七女は悪びれる様子もなく自慢気にあるものを取り出した。 「良いもの見つけたテチ!」 それは白い布の左右にコの字型の紐が付いたもの、使い捨てマスクだった。 「さっきママのハンカチが飛んでいくのを見て思いついたんテチッ!体の小さいワタシなら飛んでいけるテチッ!」 体の小さな仔実装であればパラシュートとして使える。 これが成功すれば楽園への道のりを大幅に短縮できるはずだ。 「スゴいデス!流石はママの仔デスッ!」 先程までの様子とはうって変わって七女を絶賛する。 「早速実験テチッ!ママは布を広げてほしいテチッ!」 言いながら七女が紐に腕を通しミドリが布を広げるとすぐに風が来た。 マスクは正しく風を捕らえし七女は大空へ浮き上がった。 一瞬にして稼いだ距離は10m。高さは5mほどだ。 「やったデス!スゴいデス!」 「七女チャ格好良いテチィ!」 「ワタシも!ワタシも飛びたいテチィ!」 その成果に興奮する残されたモノ達。 だが七女は違う感想を持っていた。 「テェェェェェェン!」 なんと悲鳴をあげているのだ。 「高いテチィィィ!怖いテチィィィ!ママァァァァァ!!!」 突然自身の身長の数十倍の高さまで飛ばされたのだ。パニックを起こすなという方が無理である。 幸いマスクはパラシュートとしての役割を果たしており、暫くすれば安全に着陸できることだろう。 だがパニックを起こした七女はジタバタともがいている。いつマスクから落ちても不思議ではない。 「おお、落ち着くデスゥゥ!じっとしていれば安全デスゥゥゥゥゥ!」 慌てつつも指示をする。だが七女には聞いている余裕はない。 「テェェェェェェン!怖いテチィィィ!ママァァァァァ!!!」 パンコンしながら血涙を流しながらもがき助けを求める。だがそうしている間も風に流されており一家との距離は広がるばかりだ。 「落ち着くデスゥ!今ママが助けに──」 2mの高さまで降りてきたとき、七女の動きに耐えきれなくなった紐の固定部分の一つが千切れた。 マスクは即座にパラシュートとしての機能を失い七女共々きりもみ回転しながら地面へと落着した。 「ジッ!」 七女は断末魔を残し地面の染みになった。 残りの実装石、成体実装1、仔実装4。 長女、六女、七女、八女を立て続けに失いミドリは憔悴しきっていた。 だが楽園への道程は半分を過ぎ、目的地まであと少しのところまで来ていた。 しかしあれだけいた姉妹も既に半数。どうしても気が重い。 「どうして…どうしてこんなことになったデスゥ……」 想像以上に厳しい現実を受け止めきれず項垂れつつも前へ進む。 ここまで来た以上引き返すことなど出来ないのだ。 「ママッ待つテチッ!」 突然後ろを歩いていた三女に髪の毛を引っ張られ歩みを止める。 「ママッ、右を見るテチッ!」 抗議するよりも先に三女に忠告される。それも小声でだ。 ただならぬ雰囲気に何を言うでもなく従うとそこには猫が眠っていた。 猫。実装石にとって天敵であり目をつけられれば生き残れる保証はない。 疲弊していたとはいえ、そんなものの前を通っていたことに気づかなかったことにミドリは反省する。 「ゆっくり、ゆっくり行くデス……」 だが幸い今は眠っている。慎重に、刺激せずに進めばなにも問題はないはずだ。 抜き足差し足。慎重に慎重を重ねて一家が進む。 そうしてミドリ達は無事に猫の前を通りすぎることができた。 「みんな…大丈夫デェ!?」 振り返ったミドリが驚愕した。 猫が起きている。しかも最悪なことに最後尾を歩いていた五女の髪がその前足に捕まっていた。 「ママ…助けテチ…………」 血涙を流しながら懇願する。 「マ、ママに任せるデス…」 抜き足差し足で近づき五女の手を取った。だが猫も同じく髪へと爪を立てる。 これでは五女は逃げ出せない。 「は、放すデス…」 血涙を流しながら五女の手を引っ張る。 だが猫の前足は動かない。 此方は長距離移動で疲弊していて長期戦は不利だ。 ミドリは一か八かの賭けに出ることにした。 「放すデッス!」 五女が負傷するのを覚悟で引っ張ると猫が前足を上げた。 だがその爪に髪が絡んでおり、ミドリと五女は振り回される形になった。 猫の手から五女の髪はほどけず、代わりに毛根が引き抜ける事で拘束から解放される事になる。 しかし猫というアンカーが外れた事で五女はより高く飛ぶ。 残る支えは成体実装であるミドリだけだ。 「テェェン!」 手を繋いだままの五女が宙を舞う。 「ママァ…!」 「は、放さないデスッ!」 だがそれが仇になった。 手をミドリに拘束された結果五女は受け身を取ることも出来ずに右半身から地面に叩きつけられ体の半分がミンチになった。 「チベェ!」 「デデェェェェェェェ!??」 自分が余計なことをしたせいで犠牲が出てしまった。 その事実はミドリの心に決して浅くない傷をつけた。 猫はその様子をじっと見ていると、やがて何処かへと消えていった。 「マ、ママァ…………」 しかし五女は奇跡的に生きていた。 辛うじて生きているという状態だが偽石は傷ついていなかったのだ。 「し、しっかりするデスゥゥゥ!ママが絶対楽園に連れていってやるデスゥゥゥゥゥ……!」 瀕死の五女を抱き抱え、ミドリは再び歩き出した。 残りの実装石、成体実装1、仔実装4。 蓋の無い側溝の横を一家が歩く。 ミドリの手には瀕死の五女。着いてきている仔実装は三匹だ。 公園を出た時に比べ随分数が減ってしまった。 しかしあと少し、あと少しで楽園へたどり着く。渡りのゴールはすぐそこだ。 だが問題なく進む時間は短い。 ミドリはまたしてもトラブルに頭を抱えることになった。 「もう嫌テチッ!歩きたくないテチ!」 四女が駄々をこね初めたのだ。 「足は痛いしお腹はペコペコだし良いこと無いテチッ!そもそもママが渡りをするなんて言い出さなければみんな死ななかったテチッ!」 四女の言葉がミドリの精神を傷つける。 確かに自分がこんな提案をしなければ娘達があんな形で死ぬことはなかった。 だがあのまま公園にいては飢え死には避けられなかっただろう。 「それ以上言うと許さないテチッ!」 それを聞いていた次女が四女に掴み掛かった。 「なんテチか!殴るんテチかっ!?ワタシは何も間違ってないテチ!それを殴るなんてオネエチャは糞蟲テチッ!」 その言葉を皮切りに、二匹は喧嘩を初めてしまった。 「二人ともやめるデスッ!五女ちゃんちょっと待ってるデス!すぐに戻るデスッ!」 そう言ってミドリが五女を地面に置き次女と四女への仲裁に走る。 その耳には五女の「ママ……行っちゃ嫌テチィ……」というか細い声は届いていなかった。 だがミドリの行動は遅すぎた。五女が次女を蹴ったのだ。 次女はそのままドブへと落ちていき、頭が潰れて死んだ。 「テヒャヒャヒャヒャ!糞蟲のオネエチャが死んだテチィィ!自業自得テチ!ざまあみろテチィィ!」 四女が涙を流して笑い転げる。そこには姉妹の絆は欠片もなかった。 その様子に静観していた三女が思わずパンコンする。 「テ、テェェェ……イモウトチャ…なんてことするテチ……」 「テヒヒヒヒ。あんな糞蟲がいたらみんな死んでたテチ。ワタシは家族を守ったんテチ」 全く悪びれる様子もなく言い放つ。 「四女ちゃん。どうしてそんなになってしまったんデス…」 ミドリが青い顔で質問する。 そこには深い失望と絶望が込められていたが、四女はそんなことを気にも留めずにふんぞり返る。 「これも全部ママが不甲斐ないからテチィ!糞蟲の処分を娘にやらせるなんて親として恥ずかしいと思わないんテチィ!?」 「四女ちゃん。次女ちゃんをそんな風にいうのはやめるデス…」 「本当の事を言って何が悪いんテチッ!あのオネエチャもママも本当に使えな──」 そこまで言って突然言葉が途切れた。 かと思えば、今度は四女が声もなくドブへと落ちていった。 三女からはミドリの体が影になって何が起きたのかは分からない。 だが落ちていった四女は頭の上半分が無かったように見えた。 「事故デス…三女ちゃん…」 「テエ…」 「四女ちゃんは足を踏み外して落ちたデス…」 それだけ言ってミドリは五女を抱き抱えて歩き始めた。 心なしかその口許は血涙を流し続ける目元と同じく赤と緑に染まっているように見えた。 残りの実装石、成体実装1、仔実装1。 太陽が昇り夜から朝になったころ、一家はようやく楽園についた。木には沢山の実が成り先住の実装石もわずかだがこちらの様子をうかがっているが敵意は感じられない。 ミドリ達はようやく楽園にたどり着いたのだ。 「デェェ……五女ちゃん、楽園に着いたデスゥ………」 「疲れたテチィィ…………」 ミドリが五女を楽園の大地に下ろす。 ここにたどり着くまで多くの家族を失い、どちらも疲労困憊といった様子だが渡りをやり切ったのだ。 「三女ちゃん、五女ちゃん。今日からこの楽園で平和に暮らすデス…」 犠牲は無駄ではなかったという達成感のもとミドリが勝ち取ったものを噛み締める。 だが五女は動かない。 「ママ…五女ちゃんとっくに死んでるテチ…」 「デェェ!?」 三女から信じられない言葉が放たれる。 今まで大事に抱えてきた五女がとっくに事切れている。 その事実は緑に少なからぬ衝撃を与えていた。 ミドリが喧嘩の仲裁の為に五女を置いた直後、彼女は親に捨てられたと勘違いし絶望し偽石が砕けたのだ。 「デェェェェ!?何故デス!どうしてデス!?起きるデス!笑うデス!楽園にたどりついたんデスゥ!」 どれだけ叫ぼうと五女は動かない。既に死んでいるのだから当然だろう。 だがミドリはそれを受け止めらずに声をかけ続けた。 「ママ、もうやめるテチ……」 いたたまれなくなった三女が声をかける。 「なにが渡りデス。家族がいないのに成功しても何の意味もないデス!デヒ…デヒ……デヒヒヒヒヒ…」 ミドリは子供を安全な環境で育てたかったのだ。だがその子供達のほとんどが死滅しては片手落ちもいいところではないか。 何のためにリスクを承知で公園を出る決心をしたのか。何のために危険な橋を渡ったのか。何のために、何のために…! 全てが滑稽だった。自分が受けるべきリスクを守るべき子供達に払わせ自分はのうのうと楽園にたどり着いてしまった。無様としか言いようがない。 こんな事になるくらいなら一家全滅したほうがまだ救いがあった。そんな事を考えながら血涙を流し自嘲する。 「諦めちゃ駄目テチィ!」 そこに三女の檄が飛んだ。 「三女ちゃん…」 「少なくともワタシは生きてるテチ!これは全部ママのおかげテチ!悲しいこと言わないでほしいテチ!」 三女は必死に声をかけた。 ここでミドリが折れてしまっては三女の存在そのものを否定してしまう。 お互いのためにもミドリはここで折れてはいけないのだ。 「家族が欲しいならまた産むテチ。みんなママが大好きだからきっとみんな戻ってくるはずテチ!」 そうだ。家族はまた作れる。新たに作った家族はまたあの子たちの魂が宿っているはずだ。そんな希望が胸に広がってくる。 「三女ちゃん。ママが間違ってたデス…」 まだまだ小さい子供だとばかり思っていた子がいつの間にかこんなに逞しくなっていたなんて。ミドリは思わず感動の涙を流した。 「これからもう一度家族を作るデス。三女ちゃんもお姉ちゃんとしてみんなの面倒を見てほしいデス…!」 「分かったテチ!オネエチャとして、みんなが幸せになれるよう頑張るテチッ!」 心機一転。二匹が新たな生活を始める決意をする。 この楽園で、何不自由なく幸せに──。 「えーみなさま。休日の朝早くからありがとうございます」 突然の声に二匹は驚いた。 知らない間に眼鏡を掛けた柔和なおじさんが傍に立ち、十数人の人間に挨拶をしている。 それを聞いているのは男も女も若いも年寄りも千差万別だ。 その様子にミドリは混乱していた。 これはどういうことだ?ここは楽園のはず。人間が来るような場所ではなく、実装石達が自由に生きられる場所だ。 その証拠に一年前に来た時も静かで木の実がたくさんあって暮らしやすい場所だった。なぜそこに人間がいる? そんなミドリの混乱を無視しておじさんが続ける。 「今日は三か月に一度の実装石駆除の日です。みなさん張り切って捕まえてくださいね!」 おじさんがわざとらしく力を込めて演説する。 駆除?どういう意味だろう?なにか良くない予感がする。 ミドリが震える三女を抱きかかえながら事の成り行きを観察した。 「慣れていない人やお年寄りの方は小さいのから捕まえていくのがいいでしょう」 「馬鹿言うでねぇ。ワシらの時代にゃ何もなかったから実装石なんぞ毎日焼いて食っとったわい」 「糞抜きを忘れるとみんな台無しになって大変でねぇ」 年配の夫婦の言葉に場が和んでいく。 対してミドリは急速に嫌な予感がし始めていた。 「えー捕まえるのは簡単です。こうして直接鷲摑みにしましょう。噛んでくる可能性があるのでしっかりと首の辺りを持つのがいいですね」 言いながらおじさんがおもむろに三女を掴み上げた。あまりに突然の事態にミドリも対応できない。 「デデェ!?」 「テーン!?」 ミドリが驚き三女が泣きながらパンコンする。 「捕まった実装石の多くは恐怖で脱糞しますので手にウンチが付かないように気を付けましょう。捕まえたら素早く袋へと投げ入れてください」 そう言っておじさんが手にした大きな黒い袋に三女を投げ入れた。 「テギャッ!?」 袋の中から短い悲鳴が聞こえる。 高さや勢いからしても運が良くても重症、悪ければ即死だろう。 「な、なにをするデスゥゥ!ワタシの、ワタシの仔を返すデスゥゥゥゥ!」 ミドリが血涙を流しながらポフポフとおじさんの足を殴る。 だがおじさんは全く意に返す様子もなく演説を続けた。 「大きいのは成体です。小さいのよりも大きくて力もありますが人に危害を加えられるほどではありません。ただ釘などの武器を持っている場合があるのでそれだけは気を付けてください」 言いながらおじさんがミドリを掴む。 首を突然掴まれたミドリは窒息しそうになりながらもがいた。 「この際口元に手を当てる媚びをしてくる個体などもいますが実装石は基本人間を馬鹿にする糞蟲達です。気にせず袋の中に入れてください。暴れることもあるのでさっきより強めに投げ入れるのが良いでしょう」 そう言っておじさんはミドリを三女の時よりも素早く袋へと投げ入れた。 「デギャァ!?」 「テヴォォ!!?」 袋ごしに地面に叩きつけられミドリが悲鳴を上げる。 だが何かが多少クッションの役割を果たしたのかダメージはそれほどでもなくすぐに起き上がり抗議を始めた。 「やめるデスニンゲンサン!ワタシ達は悪い事はしないデス!ここで静かに暮らしたいだけなんデス!」 ミドリの言葉も空しく袋は閉じられてしまった。残るのはかすかに袋を外から照らす日の光だけだ。 「あとの詳しいことはこのトシさんに聞いてください。彼は実装石をとてもよく知っているので相談に乗ってくれることでしょう」 小さくだがパチパチと拍手が聞こえ、近くにいた若者が遠慮がちに頭を下げる。 だがそんな事はもはやミドリにとってどうでもいいことだった。 「三女!ワタシの仔はどこデス!?」 移動を始めたらしく揺れる袋の中で三女を探す。 激しく振動し、暗い袋の中で子供を探すのは予想以上に骨が折れた。 あちこち触れてみても三女らしきものは見当たらない。足元に妙な柔らかさがあるだけだ。 「ま、まさか…」 最悪の事態の想像に至り、足元のグニグニを拾い上げる。 それは紛れもなくミンチになった仔実装の死体であった。彼女はミドリが袋に飛び込んで来た時にクッションとなって潰れていたのだった。 ミドリは全ての家族を喪っていた。 「デギャァァァァァァァァァァァァァァァ!!!」 あまりにも悲惨な事実にミドリが発狂する。 大地は仔を染みにした。 食事を摂ろうとすれば毒だった。 水へ飛び込めば溺れ死んだ。 空を飛べば落ちて潰れた。 動物と関われば無残な肉塊になり果てた。 姉妹であろうとも容赦なく蹴落とし潰した。 大切な我が子であろうと貪り捨てた。 人間はなんの感慨もなく投げ捨てた。 許さん。許さん。許さん。許さん。 ワタシはあらゆる生き物を許さん。ワタシは大地と水と空を許さん。ワタシは、この世界を許さん。 ミドリは次々と同族が放り込まれ、うるさいと殴られながらも喉が枯れるまで叫び続け、喉が枯れた後も焼却炉で燃やされながらも魂で叫び続けた。 残りの実装石、成体実装0、仔実装0。 今期もまた、自宅マンション前の公園で町内会による実装石の駆除作業が始まった。 私は虐待派ではないが公園を荒らす以上仕方のないことだと思う。 以前は私も実装石を飼っていたがあの子は素直でちゃんと言うことを聞くいい子だった。だが同時に全ての実装石がそうではないことも知っていた。 だから一度あの公園に連れて行ったが近隣の人から迷惑がられたこともありその時きりになってしまった。 その後は新社会人として入社した事で生活があわただしくなったこともあり面倒を見続けることが出来なくなり隣町の公園に捨ててしまったのだ。 悪いことをしたと思い捨てた際にお気に入りのピンクのハンカチも一緒に入れたのだ。 そして駆除の日ということもあり不意にその実装石を思い出し捨てた場所を見に行ったがそこにはもう私の実装石はいなかった。 「アマアマレチィ!」 「幸せレフゥ!」 そして今、久しぶりに出した水槽の中にはそこにいた親指実装と蛆実装がいる。二匹は今しがたあげた金平糖に夢中だ。 リンガルを通して話を聞けばどうやら親や姉達に捨てられたのか、あるいは全滅して二人ぼっちになってしまったのだという。 あの子のいたはずのダンボールの中にいたのだからこれも何かの縁というものだろうと私は二匹を飼うことに決めたのだ。 「今度こそちゃんと面倒見てあげるからね。ミドリ、スイ」 「幸せレチィ!」 「最高レフゥ!」
1 Re: Name:匿名石 2023/02/15-20:53:40 No:00006808[申告] |
楽園到着時の生存数に、うん?となるも合ってたデス
実装どもが夢のあとデスゥ |
2 Re: Name:匿名石 2023/02/16-03:17:43 No:00006809[申告] |
渡りなんて不可能な夢なんデス… |
3 Re: Name:匿名石 2023/02/17-02:46:40 No:00006814[申告] |
生き残りが出ただけこの渡り一家は幸せというものだろう
でも、近所に迷惑にされたり忙しくなったりと理由をつけて結局捨てる人間に拾われたってことは親指と蛆もそのうち… |
4 Re: Name:匿名石 2023/02/18-01:26:41 No:00006833[申告] |
≫今度こそちゃんと面倒見てあげるからね。ミドリ、スイ
成長後またスクの最初に戻るんですねわかります |
5 Re: Name:匿名石 2023/04/04-05:13:56 No:00007009[申告] |
救いのあるイイ話風に終わってるけど、実はそいつが不幸の元凶なのがまた何とも碌でも無い… |
6 Re: Name:匿名石 2023/10/24-07:41:03 No:00008147[申告] |
親指と蛆が幸せになれたのは救いかと思ったが台詞から糞蟲性を感じるのは気のせいか
ニンゲンも無責任な奴だしろくでもない未来を予見させる良いラストシーンだ |
7 Re: Name:匿名石 2025/01/08-22:15:55 No:00009461[申告] |
結局また同じ事繰り返すんだろうなあこの飼い主 |