タイトル:【哀】 金のクサリ
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作者:MB 総投稿数:11 総ダウンロード数:3002 レス数:5
初投稿日時:2011/12/28-02:36:10修正日時:2011/12/28-02:36:10
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「さあ綺麗になったぞー、エメラルドー」
「デッスーン☆ ゴシュジンサマァ、うれしいデスゥ♪」

とある家の浴室。
飼い主の男にシャンプーをしてもらった飼い実装のグリンが嬉しそうに弾んだ声を上
げた。
髪に付いた泡を流し終えた男はさらにコンディショナーリンスのボトルを手に取り、
手の平にたっぷりと練り出して両手を合わせ軽く揉み合せる。
シャンプーもリンスも使っているのは実装石用としては最高級に位置するものだ。
男はそれを惜しげもなく使い足しながらエメラルドの長い髪に馴染ませていった。

「デッフ〜ン♪ デッフ〜ン♪」

男の優しい手付きにグリンもご満悦の様子で調子のズレた鼻歌を漏らす。
じっくりと時間をかけたトリートメントが終わり浴室を出た後も男の寵愛は続いた。
体を拭いてもらい、実装用バスタオルのみを巻いたグリンはモジモジと恥ずかしそう
にしながらも部屋に置いてある小さなイスに腰掛ける。
男はその後ろに回り込むとドライヤーを片手にグリンの髪に櫛を入れた。
用意してある何本もの櫛から始めは隙間の広い櫛を使い、徐々に細かい櫛へと変えな
がら丁寧に丁寧に髪を梳いていく。

「デフフ… くすぐったいデスゥ」
「こらっ、動くなっての!」
「ごめんなさいデスゥ〜ン」

櫛で後頭部を小突かれてグリンは甘えた声を出した。
ジッとしようと思っていても気持ち良さからついつい体をよじってしまうのだ。
大好きな御主人様に大事な髪を梳いてもらう。
それはグリンにとってもっとも楽しく幸せな時間であった。





【クリスマススク・金のクサリ】———————————————————————





グリンが男の元に来たのはおよそ1年ほど前のことだった。
実装ショップで中級飼い仔実装として売られていたグリンを、男は吟味に吟味を重ね
て選び買っていったのだ。
それからというもの、男は食事、遊び、風呂、排泄に至るまで甲斐甲斐しくグリンの
面倒を見続け、大切に大切に育ててきたのである。
中でも男はグリンの髪を特に大事にしていた。
高級な実装用シャンプー、リンスを毎日惜しみなく使い、暇さえあればブラッシング
に精を出してきた。
男は決して裕福ではない。グリンのシャンプーの隣に並ぶ男用のシャンプーはワゴン
セールの安物だ。
食事もグリンには栄養バランスのよい高級フードを与えている一方で男自身はコンビ
ニの安弁当であることがほとんどである。
自分自身より実装石を優先するその姿は傍から見ればまさに愛誤派と呼べるものだっ
たに違いない。
いくら躾済みとはいえ並みの個体ならあっと言う間に増長してもおかしくない環境だ
ったが、男が選んだグリンは決して賢い個体ではないものの忠誠心と主人愛の強い実
装石だった。
故にこの1年間、男の過保護ともいえる飼育下にあっても糞蟲化することなく、むし
ろグリンは日に日に男へ主人愛以上の感情を募らせるようになっていた。

「よし、オッケーだ」

30分以上かけて丹念に髪を梳いていた男はようやく満足し、櫛とドライヤーを片付
けながら立ち上がる。
それを受けてグリンも腰掛けていたイスからヒョイと降り立った。
ふわりとなびいた髪からリンスの甘い香りが漂い、グリンは目を細めてうっとりとす
る。
だがいまだ自分がバスタオル1枚なのを思い出すと顔を赤らめて脱衣所に脱いだまま
の服を取りに小走りで駆け出した。

「あ、待ったグリン。今日はお前に新しい服を買ってきたんだ」
「デ…!?」

男の言葉にグリンは急停止を掛けて振り向く。
机の上に置いてあった実装ブティックの紙袋を手に取った男は中から新品の実装服を
取り出しグリンに広げて見せた。

「デェェ…!」

男の手にしている実装服に思わず感嘆し見惚れるグリン。
赤を基調としたワンピースの襟や裾、袖口などを白いフェルトで覆った可愛らしい服。
胸元に付いた白いポンポンがワンポイントアクセントだ。
付属するのは頭巾ではなく服と一体化した赤いフードだが、実装服らしく後ろ髪が出
せるようになっていた。
その頭頂部でも白い飾りが揺れている。
男が買ってきたそれはサンタ服を模した実装服だった。

「なかなか思うようなのが無くってな。オーダーメイドで依頼してあったのがやっと
 出来上がったんだ」
「すごいデスゥ…!」

グリンにオーダーメイドの意味はわからなかったがなんとなく特別なんだという感じ
は受け止めていた。
なにしろ今までこんなに可愛らしい服は見たことがない。

「よし、さっそく着てみるか」
「デッフン! デッフン!!」

興奮するグリンに男は同じく紙袋から新品の真っ白な実装パンツを取り出して渡す。
いそいそとパンツを穿いたグリンは男に手伝ってもらいながら新品のサンタ服に袖を
通した。

「デッスーン☆」

着替えの終わったグリンはクルリと回りポーズを決める。
服装の可愛らしさもさることながら日々男によって手入れをされてきた髪は艶めき、
グリンの動きに1本1本がサラサラと流れるようにたなびいた。

「おおお、いいぞ! これならいける!」

男も興奮し、なにやら叫びながらデジカメを取り出してきた。

「グリーン! 写真を撮るぞ。ちょっと動くな」
「デデッスーン☆」

カメラを構えた男にグリンは会心の決めポーズを向ける。

「・・・・・」

しばしの間。

「いや、ダメだ。まだ何か足りない…」
「デェ…?」

写真を撮ることなくファインダーから目を離してしまう男。
そのままジロジロといろんな角度からグリンを眺め回す。

「そうだ、後ろ髪をまとめるリボンか髪留めでもあれば…」

呟きながら男はグリン用の化粧棚の中を探り、様々な種類の髪飾りを取り出してはグ
リンと見比べて頭を捻った。

「う〜ん、なんか違うな…。仕方ない、もう一度ショップへ行って見繕ってくるか。
 今から行って帰って写真を撮って…。うん、なんとか間に合うだろ」

キョトンとしているグリンを放っておき、男は時計を見ながら慌しく身支度をする。

「じゃあちょっと出かけてくるからな。いいコにしてろよ」

そう言いながら男は自身の胸ポケットに手にしていたリンガルを仕舞い込んだ。
男が使っているのは愛護系実装製品で知られるローゼン社のエンブレムが刻まれた金
色のリンガルだ。
以前ローゼン社主催のとあるイベントに参加した際の入賞記念品として授与され、以
来男は小型ながらも高性能なこのリンガルを愛用していた。
もちろん非売品であるため所持しているだけでもステータスとなることも理由のひと
つである。
そして男は飛び出すように家を後にしていった。
よほど慌てていたのだろう。後ろ手に叩きつけたドアは完全に閉まり切っていない。
その隙間から入ってくる寒風にグリンは身を震わせた。

「デェ…」

ポツンと1匹残されたグリンは部屋の姿見の前に行き、改めてポーズを取りながら自
分の姿を眺めてみる。
自身の体格にピッタリとフィットし、それでいてゆとりを持たせた可愛い服。
動くたびにキラめきフワリと揺れる長い栗色の髪。

「キレイデスゥ…」

グリンは鏡の中の自分の姿に思わず呟いた。
糞蟲ではないグリンに“自分が世界で一番カワイイ”という感情はない。
だがそれを差し引いても今の自分は相当可愛いんだと思わずにはいられなかった。
そしてそれは感謝の気持ちとして飼い主である男に向けられる。
自分をこんなに可愛くしてくれた男へグリンはどうにか恩返しができないかと考えた。
しかし実際に実装石に出来ることは限られている。
過去にもずっと抱いてきたジレンマだったが、グリンは男の言うことに逆らわないこ
とや、時には与えられた画用紙にクレヨンで書いた絵や見よう見まねで折り紙などを
折って贈ることで感謝の気持ちを表してきた。
一度は「好きにしていいデスゥ」と体を預けようとしたこともあったが強烈なゲンコ
ツで返事を返されて以来やってはいけないことと学習したのだった。

「デェ… 今日はトクベツな日なんデスゥ…」

グリンはため息を吐きながらカレンダーを見る。
今日は12月24日。
そこには赤いマジックでグルグルと何重にも丸が書き込まれていた。
男がその日を強く意識していたのは明白である。
それだけではない。テレビや雑誌、広告チラシ等もこぞって24、25日を取り上げ
ていた。
字の読めないグリンにもその特別な雰囲気は十分に伝わっている。

「たしかクリスマスって言ってたデス。だからゴシュジンサマもこんなにキレイなお
 服をくれたんデスー」

グリンにクリスマスの概念はわからない。
だがおぼろげに仕入れた知識によれば大切な人同士がプレゼントを交換し、想いを伝
え合う日だと認識していた。

そんな日にゴシュジンサマがプレゼントをくれた。
自分も何かゴシュジンサマへ贈り物をしたい。

グリンの中で渦巻く男への想いはもはや似顔絵や折り紙などには込め切れないほど大
きく強いものへと昇華されていた。
だが如何に想いが強かろうと所詮は実装石。
何をしたら良いのか、何ができるのかが思い付かない。
グリンはもう一度ため息を吐いて床に置いてあったクリスマス広告の束を眺めた。
どのチラシも煌びやかで目を引くが、特にローゼン社から届いたチラシはダンディな
人間(外国人モデル)と着飾った実装石が幸せそうに写った写真をメインに用いている。
自分もこうなりたいものだと更にため息を吐いた瞬間、

「デデッ…!?」

グリンは声を上げて飛び上がった。
チラシの中で微笑んでいるモデル。その首にかかっているのは男の持っているものと
同じ金色のローゼン社刻印入り実装リンガルだ。
男と話す際の必須アイテム。自分と男を繋ぐ大切な物を今更見間違うはずがない。
グリンにはモデルの胸元で輝くリンガルがとてもオシャレなものに見えた。
しかし同じ物のはずなのに男は首から掛けることはぜずポケットに仕舞っている。
男のリンガルにはモデルのものの様に金の鎖が付いていないからだ。
このモデルの様に金の鎖をプレゼントしてリンガルを首から掛けられるようにしてあ
げたらきっと男は喜んでくれるに違いない。
しかし…

「デェェ… ピカピカのクサリなんてどこにあるんデスゥ?」

ぬか喜びに終わったアイディアに肩を落とすグリン。
その体をドアからの隙間風が撫でる。

「デ…!!」

冷たいその外風に吹かれた途端、またしてもグリンは飛び上がった。
以前男に連れられて公園まで散歩に出かけた時のことを思い出したのだ。
もっとも散歩と言っても危険だからとグリンは常に男に抱かれていて自分の足で歩い
た訳ではないのだが、あの時遠巻きにこちらを眺めていた公園の野良実装達の中に1
匹、首から金の鎖を下げた個体がいた。
あれを譲って貰うことはできないだろうか…。
グリンは部屋の中をウロウロと歩き回りながら考えた。
なにしろその鎖を手に入れるためには家を抜け出して公園まで行ってこなくてはなら
ない。
勝手に家を出たらきっと怒られるだろう。もしかしたらまたゲンコツをされるかも知
れない。

時折「デー…」と唸りながら行こうか行くまいか悩むグリン。

男に飼われて以来、覚えが悪くてできなかったり失敗したことはあっても自分の意思
で約束事を破ったことは無い。
もし男がほんの一言でも外出を禁じる約束をしていれば愚直なグリンは外に出るとい
う考え自体を振り払っていただろう。
だが男は今まで特に外出に関するルールを決めていなかった。
本来なら鍵の掛かった窓もノブ位置の高いドアもグリンの力だけでは開けることが出
来ないはずだからだ。
物覚えの悪いグリンに必要ないルールを覚え込ませる手間は無駄でしかない。
しかしそう考えていたことが今になって裏目に出た。
今や男が閉め損ねたドアはグリンでも押せば簡単に開けられそうだ。

「デッスン!」

遂に覚悟を決めたグリンは叫んで気合を入れると、餌皿に残っていたありったけの実
装フードをお気に入りのポーチの中に詰め込んで肩にかけ、ゆっくりとドアを押し開
けて外に出た。
吹き荒ぶ寒風に身を竦ませながらも過去に男に抱かれながら見た記憶を頼りに歩を進
める。
初めてひとりで出た外の世界は時折通る車や自転車など男の言うとおり危険がいっぱ
いだった。
その度に怯えて帰りたい気持ちになるグリンだが男への想いで恐怖を振り払い、でき
るだけ急いで公園への道を歩く。

だが彼女はひとつ勘違いをしていた。
外出の際は「危険だから」と必ず抱き上げられていたグリンだったが、肝心の何がど
う危険なのかを教えられていなかった。
男にしてみれば車や自転車に限らずあらゆるものが危険であることを含んでの言い回
しだったのだがグリンにそんな機微を察する能力は無い。
飼い実装にとって最も危険なもの。
それは人間の庇護のもと何不自由なく暮らす飼い実装を恨み、妬み、そして憧れなが
ら野に暮らす同属の実装石達に他ならない。
だがグリンら純粋なショップ飼い実装は野良実装達を“外で生きるオトモダチ”程度
にしか思っていなかった。
その意識のズレが今までいくつの不幸を生んだかも知らず、グリンはようやく目の前
に見えてきた公園に向かって急ぐ。
風を受けてなびく髪が夕日を受けてキラキラと輝いていた。



——————————————————————————————————————



公園に着いたグリンは思いの他あっさりと探していた金の鎖を巻いた実装石を見つけ
ることが出来た。
鎖の実装石の正体はこの公園の野良を支配するボス実装だったのだ。
グリンが到着して最初に見かけた野良実装に尋ねたところすぐに居所へ案内してくれ
た。
普通ならグリンのように一目で飼いとわかる実装石が人間も連れず無防備にノコノコ
と公園などにやってくれば、最初に出会ったこの野良実装に身ぐるみ剥がれて殺され
るか奴隷にされていてもおかしくなかった。
だがその飼い実装が自分からボスに会いたいと言ってきたのだ。
これでは下っ端の野良実装は手を出せない。
万が一ボスに関係した実装だったら逆に自分が同じ目に会わされてしまう。
訝しみながらも仕方なく案内するしかなかったのだった。

そうして連れてこられた公園の奥の茂みにボス実装はいた。
他の野良よりひと回り体格の良い実装石だ。野良の割にはなかなか肥えている。
公園の野良達に食べ物や仔を貢がせ、飼いには遠く及ばないもののそれなりに良い暮
らしをしているのである。
周りに数匹の取り巻きを置いたボス実装はすでに瀕死となった仔実装をクチャクチャ
と齧りながら四つん這いになった禿裸の背中に腰掛けてグリンを見下ろした。
間引きは必要だが仔を食べるのはタブー、ハゲハダカはかわいそうなオトモダチ、と
教えられてきたグリンはその光景に絶句してしまう。

「どうしたデス? 私に何か用があるんじゃなかったんデス?」

これだから飼いは…、と言いたげにボス実装は硬直したグリンに問いかけた。
それを受けて我に返ったグリンもおずおずと口を開く。

「は、はじめましてデスゥ。私はグリンというデス。 今日はお願いがあって来たん
 デスゥ」
「お願いデス? なんでも手に入る飼い実装がわざわざ何を野良にお願いするってい
 うんデスゥ?」
「アナタが首にかけているピカピカのクサリが欲しいんデスー」
「デ…?」

ボス実装だけでなくその場にいる全ての実装石が口を開いて固まった。
しばしの間静寂が流れる。
そして次の瞬間…

「「「デピャピャピャピャ…!!」」」

一斉に沸き起こる大爆笑。
ボス実装は禿裸の背から転げ落ちたまま腹を抱えて笑い転げ、その禿裸でさえもが歯
の無くなった口から笑い声を上げていた。

ボス実装の首に巻かれたこの金の鎖。
公園を訪れた人間が身に付けていたアクセサリーをどこかに引っかけ、千切れて落と
したものと思われる。
派手な服飾や装飾品を好む性質のある実装石。ましてや通常そういったものに縁の無
い野良実装達にとって金色に輝く鎖は何よりも価値のあるものに見えたのだろう。
血で血を洗う壮絶な奪い合いの果て、最終的に鎖はボス実装の元へ落ち着いた。
それ以来この鎖はボスの威厳を示す王冠の様なものになったのである。
それを突然やってきた飼い実装がいきなりくれと言ってきたのだ。
本来なら怒るべき場面だが飼い実装のあまりの厚顔無恥さに笑いの方が込み上げてき
てしまう。

「デデッ…! も、もちろんタダでもらう気はないデスゥ! 代わりにこのフードを
 あげるデスー!」

四方八方から嘲笑を浴びたグリンは慌ててポーチの中の実装フードを見せた。
途端にピタリと笑い声が止まる。
全匹が食い入るようにポーチの中身を見つめる中、ボス実装は起き上がりノシノシと
グリンに近寄ると手にしていたポーチごとフードを奪い取った。

「デェ!? ダ、ダメデスー! おカバンは返してデスゥ!」
「うるさいデス! この袋ももらってやるからありがたく思えデス!」

泣きつくグリンを払いのけ、ボス実装はポーチに手を突っ込むとフードを一掴みして
口の中に放り込む。

「デッス〜ン! うんまいデスー!」

そのまま一気にガツガツと食い漁り、最後は口の上でポーチをひっくり返して中に残
ったカスまですべて平らげてしまった。

「デェェ… ヤ、ヤクソクデスゥ。 クサリをちょうだいデスー」
「何を言ってるデス? ヤクソクなんかしてないデース」
「デェ!?」
「だいたいこれっぽっちのフードで交換できると思ってるんデスゥ?」
「今日はそれしか持って来てないんデスゥ。また今度いっぱい持ってくるデス。だか
 らクサリをくださいデスー」
「そんなのシンヨウできないデース。そんなに欲しいんならその服もよこせデッス」
「デェェ!? ダ、ダメデス!! このお服はゴシュジンサマが買ってくれたばかり
 なんデスゥ!」
「そんなこと知らんデス! いいからさっさとよこせデシャァ!!」

ボス実装の威嚇を合図に取り巻き実装達が一斉にグリンへ襲い掛かる。

「や、やめてデスー! お服とっちゃダメデス! 引っ張ったらダメなんデスー! 
 やぶれちゃうデス! はなしてデスゥ!」

グリンの抵抗と悲鳴も虚しくフードは千切り取られ、新品の服も所々裂かれながら無
理やり脱がされてしまった。

「デェェェェン! ひどいデスゥ! お服返してデスゥゥゥ!!」

裸にされて泣きじゃくるグリンを無視し、ボス実装は自分の服を脱ぐと奪ったばかり
のグリンのサンタ服にさっそく着替え始める。
だがグリンに合わせて作られた実装服は体格の大きいボス実装には明らかにキツイ。
新たにいくつもの裂け目を作りながら強引に着込んだそれはパツンパツンになってし
まい、もはや元の可愛いらしいサンタ服の面影はどこにも見えなくなった。

「デピャピャピャピャ…!! やっぱり私のほうが似合うデスゥ〜ン♪」

だが当のボス実装はそうは思っていないようだ。
クネクネと科(しな)をつけながらポーズを決めて取り巻き実装達に見せ付ける。

「お服ぅ 返してデズゥゥ」
「うるさいデス! もうお前に用なんかないんデッス!」

すがり付くグリンを突き飛ばすボス実装。
倒れこんだグリンの髪がそれでもなお優雅に舞い、ふわりと甘い匂いを漂わせる。
意識せずボス実装は自分の髪に手をやった。
手入れらしい手入れをしてこなかった髪はボサボサし、脂や汚れでギトギトだ。

「ナマイキなやつデス。こんなものこうしてやるデス!」

ボス実装は倒れているグリンの背中を踏みつけ、後ろ髪を片束掴むとゆっくり引っ張
りだす。

「デ…!? デヒィィィッ!! ダメデスー! それだけはやめてデスゥゥゥ!!」

髪が立てるプチプチという音に今まで以上に激しく抵抗するグリン。
だがその四肢を取り巻き実装達に押さえ付けられ、滝の様に涙を流しながら必死に嘆
願することしかできなくされてしまった。
その声を楽しむようにボス実装は緩急をつけてジワジワとグリンの髪を抜いていく。

 ブチブチブチブチ…
「やめてデスゥゥゥゥゥゥ!!!」
 ブチブチブチブチィッ…

やがてグリンのひと際大きい叫びと共に片側の後ろ髪はすべて抜き取られてしまった。

「デ… デ… デ…」

目の前で舞い散る自身の髪に目を点にして放心するグリン。
ボス実装はそんなグリンをニヤニヤした顔で見下ろし、さらにもう片方の後ろ髪に手
を掛ける。
茂みの中に再びグリンの絶叫が木霊した。



——————————————————————————————————————



数分後、服だけでなく全ての髪も失って禿裸となったグリンがそこにいた。
涙も声も枯れ果てたか、僅かに拾い上げた髪を手にして座り込んだまま微動だにしな
い。

「デププ… ミジメなやつデス」

そんなグリンを嘲笑いながらボス実装はできるだけ身なりを整えていた。
二股に分かれた木の枝をクシ代わりに髪を梳き、ペットボトルの水で顔を洗う。
そしてグリンに妙な質問をした。

「おまえ、名前はなんていったデス?」
「デー…」

だがグリンは虚ろな表情のままただ呟くだけだ。
ボス実装は舌打ちをすると今度はグリンの耳元でゆっくりと話しかけた。

「おまえこのクサリが欲しいんデス? シツモンに答えたらくれてやるデス」

その一言で青ざめていた顔に生気が戻ってきた。
グリンの根底に強くあるのは自身の身よりも飼い主の男を想う心である。
服も髪も無くして失意のドン底にいるグリンだが、それでもなお男のために鎖を持ち
帰りたいという気持ちは失っていなかった。

「ホントウデス? ヤクソクするデス?」
「もちろんホントウデスー。今度はしっかりヤクソクするデース。さあ、おまえの名
 前をいうデス!」
「わかったデス。私のお名前はグリンというデスゥ」
「グリンデス? デププ… ちゃんと覚えたデスゥ」
「ヤクソクデス。 クサリをくださいデスー」
「デピャピャピャ…! ミジメなハゲハダカとのヤクソクなんて知らんデース!」
「デェェェ!?」

今度こそ本当に約束を破り、愕然とするグリンの前でボス実装は平然と高笑いした。

「デププププ…! ホントウにバカなやつデスゥ。オマエみたいなバカが飼い実装で
 賢く美しい私が野良暮らしなんて間違ってるんデス!」
「何を言ってるんデス!? ヤクソクやぶったらダメなんデスゥ!!」
「まだわからないデス? だったらハッキリ言ってやるデス! オマエの代わりに今
 日から私がグリンになるんデスー!」
「デェェェェェッ!?」

グリンは目を見開いて驚いた。
ボス実装の狙いは飼い実装グリンへの成りすましだったのだ。
グリンから服を奪い、名前を奪い、何食わぬ顔で入れ替わろうというつもりである。
しかしグリンとボス実装では服がパツパツになるほど明らかに体格が違う上、薄汚れ
た野良が突然グリンの名を語ったところで飼い主の男が騙されるようなことはどう考
えてもあり得ない。
だがこの時、グリンの心に生まれて初めての感情が湧き上がろうとしていた。

「デププ… オマエのカイヌシをドレイにして今日から贅沢し放題デッスン! わか
 ったらオマエはさっさと野垂れ死ん…」
「デシャァァァァッ!!」

ボス実装の言葉を遮りグリンが吼える。
許せなかった。
男から贈られた服を奪い、大切に手入れしてもらった髪を抜き捨て、そして何より大
好きな男を奴隷呼ばわりしたことを。
グリンが抱いたモノ。それは生涯初となる激しい怒りの感情だった。

「デシャァァァァッ!!」

雄叫びと共に立ち上がったグリンは両手をメチャクチャに振り回しながらボス実装へ
突進する。
怒りを覚えたのも初めてなら暴力に訴えたのも初めてのことだ。
だが…

「デ…? 急になんデス? うるさいやつデスー」
 ゴスッ
「デギャッ!!」

ボス実装が無造作に振るったパンチを顔面に受けあっさりと吹き飛ばされるグリン。
それでも再び起き上がると鼻血を噴きながらももう一度ボス実装へ飛び掛る。
しかし今度は腹を蹴り上げられ、反吐を吐きながら転がり倒れた。

「せっかくトクベツに見逃してやろうと思ったデスが…、そんなに死にたいならここ
 で死なせてやるデース!」
「デ…、デズァァァァッ!!」

なおも果敢にボス実装へ挑みかかるグリン。
しかし対格差もさることながら温室育ちのグリンと野良で生きてきたボス実装とでは
あまりに力が違いすぎた。
ほとんど一方的に痛めつけられ、グリンは全身にアザや擦り傷を増やしながらどんど
んボロボロになっていく。
今や立っているのもやっとといった風体だ。
そんなグリンにトドメを刺すべくボス実装がノシノシと近付いてくる。

「デププ… そろそろ飽きてきたデス。これで終わりにしてや…デべッ!?」

グリンの目の前まで迫ったボス実装が突然足を滑らせて転倒した。
その足元でヒラリと細い糸の様なものが舞う。
ボス実装が踏んだのは自身が抜き捨てたグリンの髪の束だった。

「デシャアッ!!」
「デギィッ!?」

それを見たグリンは残る体力を振り絞ってボス実装の首筋目掛けて噛み付いた。
全身全霊でグラグラになった歯を突き立てる。
ボス実装も抵抗するがまるで拘束具の様にギチギチのグリンのサンタ服が仇となって
思うように動けない。
縺れたままゴロゴロと転がる2匹。
そして遂にグリンの歯がボス実装の頚動脈にまで到達した。

 ブシィィィィィッ
「デギャァァァァァッ!!」

首筋から鮮血を噴き上げて絶叫するボス実装。
必死にグリンを引き剥がそうとするがグリンはなおも食らい付いたまま離れず、引き
剥がそうとすればするほど傷口は大きく裂けていく。

「デゲ…ェェェェ…」

噴き出す血の勢いが弱まるにつれボス実装は徐々にその動きが鈍くなり、やがて白目
を剥いて倒れ込んだまま完全に動かなくなった。
出血多量から仮死状態に陥ったのだ。

「デハァ… デハァ… デハァ…」

相手が動かなくなったのを確認し、ようやくグリンもボス実装の体から離れる。
その際ボス実装の首から金の鎖を外すことも忘れなかった。
荒い息を吐きながらようやく手に入れた血まみれの鎖をギュッと握り締める。

「これはもらっていくデス…」

それだけ呟いてグリンはその場を後にした。
止めるものは誰もいない。
取り巻き実装達は皆、仮死したボス実装に襲い掛かっている最中だ。
圧政を強いてきたボスに不満を持つものは多い。
誰であろうと隙を見せたら寝首を掻かれる。これもまた野良の世の生き方だった。



——————————————————————————————————————



公園を出たグリンは金の鎖を片手にトボトボと家への道を歩いていた。
髪と服を無くし全身は傷だらけ。身を切るような冷たい風に吹かれて涙と鼻水が垂れ
る。
どうしてこんなことになってしまったのか。考えると泣き出しそうになってしまう。
それでもグリンは黙々と足を進める。
今はただ一刻も早く帰りたかった。

早く帰って男に会いたい。きっとすごく怒られるだろうがそれでも構わない。
男のそばにいたい。泣くのはそれからだ。
そしたらこの鎖を贈ろう。苦労して手に入れたプレゼントだ。きっと喜んでくれる。
男が喜んでくれたら自分も嬉しい。男のためなら命だって操だって差し出す覚悟で今
まで生きてきた。こんな格好になってしまったが男のためならなんてことは無い。

自然と歩む速度が上がり、気が付けば駆け足になっていた。
やがてその視界に帰るべき男の家が見えてくる。

「デッス! デッス!」

安堵感にさらにペースを上げ、家の敷地へ駆け込むグリン。
家を出た時には開いていたドアが今は閉められている。
無くなっていた男の自転車も今は玄関脇に停められていた。

「(おーいグリーン! どこだー?)」

家の中から微かに男の声が聞こえる。
グリンが家を出てから時間にしたら1時間も経っていないのだが、彼女には男の声が
とても懐かしいものに感じられた。
なにしろ下手をすればもう一生聞くことができなくなるところだったのだ。
嬉しさのあまり両目から大粒の涙を零しながらグリンはドアの前で叫んだ。

「ゴシュジンサマー! グリンはここデスー! ここにいるデスゥ!」

その声に応えるようにドタドタと男の足音が玄関へと近付いてくる。
この時グリンは泣きながらも生涯最高の笑顔を浮かべていた。
そしてドアが開けられた。

「グリン!? お前勝手にどこ行…」

ドアを開けた格好のまま凍りつく男。
彼はつい先程帰宅したばかりだった。
家に帰ると閉めたはずのドアが半開きになっていることに驚き、鍵を掛け忘れたこと
を思い出して泥棒にでも入られたかと訝しんだ。
だが室内が荒らされた様子も無いことから安堵したものの、飼い実装のグリンの姿が
見えないことに気が付いて探していたところである。
グリンの性格上まさか1匹で外に行くとは思いもせず、男が浴室やクローゼットの中
などに声をかけて回っていると不意に玄関から声が聞こえてきた。
慌ててドアを開けてみれば変わり果てた姿のグリンがそこにいたというわけだ。

「お、お、お、おま、おま、おまえ…」
「ごめんなさいデスゥ…」

驚愕のあまりまともに呂律の回らない男にグリンはうな垂れながら頭を下げる。
カチャンと音を立てて男の手から金色のリンガルが滑り落ちた。

「デ…!」

それを見たグリンは急いでリンガルへ駆け寄って拾い上げる。
大切なモノだ。壊れてはいけない。
拾い上げたリンガルと一緒に手にしていた金の鎖を男へ差し出すグリン。

「ゴシュジンサマ、私からのプレゼントデス。受け取ってほしいデスゥ」
「ばかやろう…」

だが男はそれらに見向きもせず、ただボソリとだけ呟いた。

「デ…? ゴシュジンサ…」
「この馬鹿野郎…!!」
「デギャッ…!!」

怒号と共にグリンは男から頭を思い切り殴りつけられた。
それは過去に躾として食らったゲンコツなどとはまるで比べ物にならない一撃。
大の男の本気の拳を受けてグリンはコンクリートの床に顔面を強烈に打ちつけた。

「何を…! 何をやってんだお前はぁぁぁッ!!」
「デゲェッ!!」

倒れ込んだグリンの脇腹にさらに男の蹴りが入った。
グリンは宙を舞い、下駄箱へ叩き付けられて再び地面を転がる。
一緒に飛んだリンガルと鎖が音を立てて床に落ちた。

「俺がどれだけ苦労して育ててきたと思ってんだ!! 大事にしてきたのにちょっと
 目を離したらすぐこれかよこの糞蟲がッ!!」
「デゲッ… ゲハッ…」

内臓を痛めたのか口から大量の血を吐いて蹲るグリン。
その背に向かい男の罵倒は続く。

「クソッ! クソッ! 1年かけて育て上げてきたってのに! これなら絶対に優勝
 できると思ってたのに! よりによって前日に台無しにしてくれるとはよッ!」

男の狙い。それは明日12月25日に開催されるローゼン社主催のイベント、『クリ
スマス実装コンテスト』へグリンを参加させることだった。
クリスマスにちなんでメイクアップさせた実装石の可愛らしさを競うコンテストで、
優勝者には賞状とトロフィー、1年間全国の実装ショップで使えるローゼン社製製品
の割引会員証が発行される。
男は去年、話のネタ程度の気持ちで当時飼っていた実装石をエントリーさせてみたと
ころ、優勝とはいかないが総合8位で入賞を果たしたのだった。
彼が愛用していた金色のリンガルはこの時貰った記念品である。
だが今のグリンへの仕打ちを見てもわかる通り男は別に愛護派というわけではない。
彼にとって割引券はともかく賞状やトロフィーには大して価値が無いのだ。
男の本当の目的はコンテスト後に裏で行われる入賞実装石の売買にあった。
愛護派が多数集まるこのイベント。中には上位に入賞した実装石を買い取りたいと飼
い主に申し出る酔狂な見物人も多くいる。
買っていくのは主に金持ちの奥様や娘などであり、彼女らはこういったコンテストで
入賞した実装石を貴金属などの貴重品と同じような感覚で手に入れたがるのだ。
故に当然ながら上位であるほどその買取価格は上がる。
そんなことを知らなかった男は去年参加した際、8位の実装石を5万で買いたいと言
われてずいぶん驚いた。
もちろん即売したのは言うまでも無い。
そして優勝した実装石にいたっては複数の買い取り希望者に囲まれ、まるでちょっと
したオークションのような状態になっていた。
最終的に数百万という大金で買い取られたのを目撃した男は目を丸くし、来年のコン
テストに向けて上位入賞を狙える実装石を育て上げることを決意したのである。
そして方々の実装ショップに足を運び、最終的に価格も妥当な1匹の中級飼い仔実装
を選び出した。
男の選定眼は正しく、グリンと名付けられたその仔実装は飼い主である男の言うこと
をよく聞く個体だった。
贅沢もワガママも言わないグリンは男の思い通りに育てることができたのである。
コンテストで優勝するには他の実装石より秀でた部分が必要だ。
大抵の参加者は歌や踊りなどの技術的な面で攻めてくるものだが、だからこそ男はあ
えてシンプルに実装石自身の見た目で勝負をするつもりでいた。
なにしろ判で押したように皆そっくりの容姿をしているのが実装石。服飾等二次的な
もの以外で違いを出すのは非常に難しい。
だがそれゆえ逆に少しでも違いを出すことが出来ればそれは目立つ特徴となり大きな
武器となる。
そのために男はこの1年間、連日連夜グリンの髪を手入れし続けたのだ。
自身の生活を切り詰めた甲斐もあり、グリンの髪は日に日に実装石とは思えないほど
瑞々しい艶を放つようになっていった。
予想以上の出来栄えに強い手応えを感じていた男。これなら優勝も夢ではないと思え
るほどだ。
特注で依頼してあった実装服の完成が遅れて締め切りギリギリにはなってしまったが、
今日中に登録用の写真を添付したメールで参加の申し込みをすれば明日のコンテスト
本番に間に合うはずだった。
それがほんの小一時間目を離した隙にグリン自らがすべてを無に帰してくれたのであ
る。
激昂した男の怒りは収まらない。
這い蹲るグリンを足蹴にしながら怨嗟の言葉を浴びせ続けた。

「デ… デェェ… プレゼントなんデスゥ ゴシュジンサ…デギャアッ!!」

それを受けながら僅かに体を動かせるようになったグリンは目の前に落ちている鎖に
向かって手を伸ばす。
その腕を男の履いたサンダルが踏み付けた。
グリンの悲鳴と共に鈍い音が響く。

「なんだこりゃ!? あれだけ綺麗な服をくれてやったのに、まだこんな赤錆だらけ
 の汚ねぇモンが欲しかったのか!? ふざけんなッ!!」

そう叫んで男はグリンの持ってきた鎖を玄関の外へ蹴り飛ばした。
ジャラジャラと音を立てて宙を舞った鎖は門柱の根元の茂みへ落ちて見えなくなった。
それを目で追いながらグリンは泣きじゃくる。

「デェェェン… ちがうんデスゥ! ゴシュジンサマへの贈りモノなんデスゥ…!」
「ああ!? デスデスデスデスうるせーよ、糞蟲!!」

男の声は床に転がったリンガルを介してグリンに届いている。
だが文字の表示される液晶画面を見ていない男にはグリンの言葉はただデスデスと喚
いているだけにしか聞こえない。
言い訳じみた鳴き声が癇に障った男はさらにグリンの顔面をサンダルの先で蹴り上げ
た。

「デブェブッ!!」

歯が飛び散り、鼻血が噴き上がる。
顔面を陥没させたグリンはビクンビクンと痙攣しながら冷たい玄関の床に大の字に横
たわった。
そんな姿を見ながら男は自分の中の熱が急激に冷めていくのを感じていた。
怒りが収まったわけではない。むしろ怒りすぎてどうでもよくなってしまったのだ。

「ハァァァ… なんかもういいわ。やっぱそうそうウマイ話なんてあるわけないんだ
 よなぁ…」

盛大にため息を吐いて男はしゃがみ込み、グリンの足を掴むとそのまま外へ引きずっ
ていき玄関脇のコンクリート土間へ放り出した。
パンパンと手を払いながら男は虚ろな目をしているグリンの顔を覗き込む。

「馬鹿だなお前も。あと1日おとなしくしてれば俺よりずっと贅沢させてくれる金持
 ちに飼われることも出来たかもしれないのに」
「デ…ェ…ェ…」
「まあ自業自得だな。俺ももうお前を飼う理由がないし、もし動けるようになったな
 らどこへでも消えていなくなれ。言っとくが帰ってきたら今度は殺すぞ?」
「ゴシュ…ジン…サ…」
「じゃあな」

涙に鼻水、鼻血、ヨダレ、反吐、脂汗。あらゆる体液でグチャグチャになった顔で見
上げてくるグリンを一瞥し、男は家に入ると戸を閉めて鍵を掛けてしまう。
霞む視界の隅にその様子を捉えていたグリンの両目から新たな涙が頬を伝って流れ落
ちた。

それからしばらく後、ずっと微動だにせず横たわっていたグリンが不意にモゾモゾと
動き出した。
アチコチの骨が砕け、内臓を激しく損傷したグリンは時間をかけて腹這いになると満
足に動かない手足を使って少しずつ少しずつ這い進む。

「ゴシュジ…サマ… プレ…ゼン…ト… ゴシュ…ジ…マ… プレゼ… ゴシュ…」

薄れゆく意識の中、同じ言葉をブツブツと呟きながらグリンは進む。
すっかり日も沈み凍えるような寒さに微かな吐息が白い霧となって消える。
その時、グリンの背中に小さな白い粉の様なものが舞い降りてきた。
背に触れたそれは一瞬で消えてなくなったが、やがて辺り一面にいくつもの粉が次々
に降り注ぎ始める。
ゆっくりと風に舞い、地面に落ちては儚く消えていく白い粉。
街灯の光を反射してキラキラと輝くそれに囲まれながらグリンはただひたすらに前進
を続けるのだった。



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「うおお… 寒いワケだわ…」

翌朝、ダンボール箱を抱いて玄関を開けた男はあたりの景色に目を丸くした。
一面に降り積もった雪は町の景色を白一色に染め上げていた。
車が走っていないせいか普段よりずいぶん静かに感じられる。
遠くから商店街に流れるクリスマスソングが微かに聞こえてきた。
男はサンダルをつっかけ、素足に凍みる冷たさに耐えながら外に出る。
手にしたダンボール箱の中身はグリンの飼育に使っていた実装用具の数々だ。
今回の件で懲りた男はもう実装石を飼うことはないだろうと年末前にすべて粗大ゴミ
に出してしまおうと考えていた。

「冷てっ 冷てっ 冷…うおっと!」

新雪を踏みしめながら歩いていくと門柱の前で何かに躓いて危うく転びかけた。

「なんだぁ?」

雪に埋もれていた何かを爪先で転がしてみる。

「ああ…、お前か」

そこにあったのは横たわったまま凍りついたグリンの姿だった。
両目が完全に白濁しており既に事切れているのは明らかだ。
ふとその手に光るものを見つけた男はしゃがみ込んで雪を払い除けてみた。
死してなおグリンが大事そうに掴んでいたのは昨夜どこからか持ち帰ってきた金色の
鎖だった。
男は少し不思議そうに頭を掻く。
倒れていた場所から察するにグリンは一度門柱の脇まで来てこの鎖を拾った後、再び
玄関に向けて移動しようとしたことになる。
まっすぐに玄関に向かってきたならわかるが、わざわざ体力を消耗させてまでこの鎖
に固執する理由はなんだったのか…。
しばらく考えていた男だったが足を襲う冷たさから身震いし、考えるのを止めて立ち
上がった。
グリンの手からもぎ取った鎖を一緒にダンボールの中へ放り込み、凍り付いた亡骸を
足で押して脇へ寄せる。

「あとで実装回収袋に入れて捨てておくか…」

そう呟きながら箱を持ち直してゴミ収集場所へ向かう男。
揺れるダンボール箱の中、隣り合った金のリンガルと鎖が朝日を浴びて輝いていた。



END

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     <あとがき>   という名の言い訳

ベリークルシマース
遅くなりましたがクリスマススクを上げさせて頂きます。
24日の投下を目指して書いていたのデスがまるで間に合いませんでした…。
しかも24、25とまたしても寝込む級の風邪を引いてダウンする有り様で…。
まあ予定もなんもなかったんでいいんデスけどねぇ。
そんなわけでようやく完成させてみれば世間はすっかり正月ムードデス。
正月に関係した作品も作りたいところデスが無理かなー。
それでは例によってここまで読んで頂きありがとうございます。
皆さんも体調にはくれぐれもご注意下さい。
ではまた。

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1 Re: Name:匿名石 2022/09/24-11:01:36 No:00006544[申告]
酷い話だった…(褒めてる 主人との愛のギャップが好き。
2 Re: Name:匿名石 2023/07/09-22:00:07 No:00007485[申告]
飼い主は今後も何やってもこんな感じでイライラする人生送ってそう
3 Re: Name:匿名石 2023/07/11-00:59:19 No:00007494[申告]
意識の差が美しかった
4 Re: Name:匿名石 2023/07/11-17:04:26 No:00007497[申告]
素晴らしい…名作ですな
5 Re: Name:匿名石 2024/04/06-15:25:35 No:00008985[申告]
個人的にクリスマス系スク最高傑作
無事にクリスマスを迎えられても実装視点じゃバッドエンドだっただろう事とか悲哀の煮凝りって感じで素晴らしい
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