タイトル:【哀】 実生ブランコ
ファイル:実生ブランコ.txt
作者:匿名 総投稿数:非公開 総ダウンロード数:19337 レス数:5
初投稿日時:2011/10/18-22:15:07修正日時:2011/10/18-22:15:07
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それはまさしく生ゴミと見紛う程だった。

      ●

深夜。曇った空は星明りを落とさず、切なげに街灯が明滅を繰り返している。
男が終電からくたびれた足を引き摺りながら歩いていると、異臭がした。
最初は翌日が(もう日付が変わっていたので当日か)生ゴミの日だったので、面倒くさがりの住人が早めにゴミを出したのだと。
最近は実装石のゴミ捨て場被害が酷くなっており、朝六時以降に出すことと回覧板まで回っていたのだが。
顔をしかめて鼻を押さえ、男が通り過ぎようとした時だった。
「デ…ズゥ……」
薄汚い塊が、鳴き、動いた。
それは実装石であった。
ボロボロの衣服にちぎれて短くなった髪、そして全身は糞とも血とも泥ともつかないもので地肌が見えないほどに汚れている。
耐え難い臭気を放つそれに何があったのか男は知る由もない。
ただ、もう長くは無いだろうということは分かった。
実装石の野垂れ死になど珍しいものでもない。男はこれ以上留まってスーツに臭いがついたら困ると、足早に立ち去ろうとして、
「テッチィ? テチ。テッチャァ!」
「…ッチュワ! テチィ?」
仔実装の鳴き声に振り向いた。
見ればうつ伏せに倒れ付した実装石の下からもがくようにして二匹の仔実装が這い出てくるところだった。
その身なりは親同様に汚れきっているものの、髪や服は比較的無事のように見えた。
仔実装達は親実装に向けてしきりにテチテチと訴え、身体を揺すって起こそうとしている。
どうやら空腹を訴えているようだった。
だが、親実装は応えることは出来ずにされるがまま。
やがて反応がないと知ると、仔実装の一匹が親実装を蹴りつけた。
「テヂィィィ!! シャァッァァアァァ!」
そして威嚇。挙句には癇癪を起こして地面に寝転がって四肢を振り乱して喚きたてる。
もう一匹は騒ぐことも無く、なんとか親実装の顔を見ようとでも言うのか、うつ伏せた顔を懸命に持ち上げようとする。
もちろん無意味な行為ではある。何度挑戦してもピクリともしない。
「…テヂュゥゥゥゥゥ……」
悔しいのだろうか、涙を浮かべてけれど歯を食いしばって挑む姿は健気とも取れた。
「煩いな」
だが、男にはそんなことは関係ない。
疲れて帰ってきた身体に、神経を逆撫でするような甲高い声が気に障った。
地面で暴れる仔実装のすぐ傍に立つ。
「ヂッ!?」
一息で踏み潰した。
その様子を見ていた仔実装は、ポカンとした表情で男の靴を注視する。
持ち上げられた靴の裏にべっとりと付着した肉片や血。
それらと地面の染みを交互に見て、
「テッチャァッァァァァァアァァ!!?」
裂けんばかりに口を開き、これまで以上に必死に親に助けを求める。
が、それが叶わないと知ると、糞に盛り上がった下着をむき出しに、頭から親実装の下へと潜り込んでいった。
男はこれ以上はスーツが汚れると思い、その場を後にした。
折りしも雨が降り始めた。
秋の到来を告げるやや冷たい雨であった。

      ●

しばらく親の身体の下で蹲っていた仔実装だったが、何も起こらないことからこっそり顔だけ出して様子を伺う。
「テチィ…」
もう既に怖いニンゲンの姿がなくなっていることに安堵し、のそのそと這い出した。
「テックチッ!」
くしゃみ。雨により気温が下がった空気に直に触れ、思わず身震いをした。
雨自体はそれ程強くは無い。とはいえ仔実装には十分脅威だ。
仔実装は洗い流されていく姉妹の残滓を名残惜しそうに見つめ、もう一度寒さに身体を震わせると、
「テチャァ…」
なかば諦めたように力なく親の身体に触れる。
まだ僅かに温かさはあるものの、生前に感じていたような熱ではない。
「テェ……」
物言わぬ親と雨が叩く道路を交互に見て、仔実装は結局親実装の懐へ戻ることに決めた。
立っているだけで飛沫が仔実装の身体を冷やしていく。今は少しでも雨を避け、暖を取ることにしたようだ。
親実装の服の中、胸元までイゴイゴと進み、僅かな希望をもって乳房を口に含み、吸う。
「チュゥー…チュアー……」
当然乳など出るわけは無いが、自分の唾液と親の身体についた泥や垢が口の中に入ってきてなんとなく味を感じ、少し満足した。
そしてそのまま乳房を口に含んだまま、ゆっくりと仔実装は目を閉じる。
雨の音を子守唄に夢の中へと落ちていった。

      ●

男は肌寒さに目が覚めた。時刻はまもなく六時になろうとしていた。
ついつい夏の名残もあってか、窓を開けたままにしておいたのだが控えるべきだと思わされる。
外を見る。昨日夜半に降り出した雨は霧雨程度になっているものの、街全体を包みこんでいるようだ。
「…ゴミ」
男は大きなゴミ袋を抱えて、寝巻きにジャージの上を羽織って外に出る。前回サボった分溜まっていた。今日は捨てねばならない。
濡れたアスファルトから冷気が這い上がって来るかのようで、サンダルを突っかけてきたことを後悔。
しかしゴミ捨て場はすぐそこである。
既にゴミを置いてきたであろう近所の主婦から、
「気をつけてね。実装石がいるの」
忠告され、男は「ああ、あれか」と昨晩の汚れきった実装石を思い出す。
既に死んでいるとは思うが、何を気をつけるのか。もしかして、あの仔実装が何かしでかすのだろうか。
いくつかの可能性を考えている間に、ゴミ捨て場に到着。
その光景に目を剥いた。
いつもは実装石たちは人間たちのごみ捨てが終わるまではじっと路地や電信柱の影に隠れて様子を見ているのが常だ。
それが今、三匹の実装石がゴミ捨て場の一角に覆いかぶさるようにして、デスデスと騒いでいた。
「デッス〜ン!」
顔を上げた一匹が嬉しそうに何かを咀嚼している。
くっちゃくっちゃと汚らしい音を立て、男が、ニンゲンがそばにいるのにも気付いていないようだ。
触らぬ神に祟りなし。
朝から面倒ごとを背負いたくない男はそそくさとゴミを置いて立ち去ろうとして、
「テチャァァァァァッァァァッァァアァァ!!!!」
仔実装の悲鳴を聞いた。

      ●

見れば、三匹のうち一匹が摘み上げた仔実装の足先をちびりちびりと齧っている。
「テヂィィ! ヂャァァァ!! テチィィィィィィィッ!!」
涙と糞を撒き散らしながら何とか逃げ出そうともがく仔実装だったが、成体に捕まってはどうにもならない。
「デププ。デェッス! デスデース!」
それを見ていたもう一匹が何事かを言うと、食っていた一匹は頷き、仔実装の髪を毟り始めた。
「テピィィィァァァッ!! テヂィ! ヂュァァァァァァァッ!!」
いやいやと首を振ったところで焼け石に水。
すっかり禿になったところで今度は服だ。
これもあっさりと剥かれると、あっという間に禿裸が出来上がった。
「デーップップップ!」
「デェッス! デスゥン!」
「デ…デシャシャシャシャ! デスー!」
別のものを食っていたもう一匹もみすぼらしい姿になった仔実装を嘲り、笑う。
そこで男は実装石が何を食っていたかを知る。
緑色の布のようなものを纏わせたそれは、おそらく昨晩力尽きた実装石だ。
とすれば、男は思う。あの仔実装はこれの仔だろうと。
実装石にとって同属の肉も貴重な食料だ。
こんな目のつく場所で死んでしまった実装石は食われて当然とも言えた。
「運がなかったな…」
男が見つめる仔実装は、すでに食べることに飽きたのだろう三匹の玩具になっていた。
手を折り、地面に叩きつけ、ひりだした糞を顔に塗りたくる。
と、一匹がようやく男に気付き、
「デシャァァッァァアァッァアッァア!!」
四肢を地面に付けて、高く尻を持ち上げ、吼えた。威嚇。
どうやら玩具を取られると思ったらしい。残る二匹もそれに習って一斉に鳴き出す。
普通実装石は人間に相対したときは逃げることが多いのだが、仔実装を嬲って気が昂ぶっているようだ。
男は溜息。そして、まるでサッカーボールを蹴るように右足を振りぬいた。
「ヴェポラップ!!?」
顔面に蹴りを喰らった実装石はそのまま壁に叩きつけられ緑と赤の花を咲かせた。
「デ…?」
「スゥ…?」
何が起こったか理解できない二匹がお互いを見やり、後ろをみて、男を見る。
「デェェェェエェェッ!!?」
「デヂャァァァァァァッ!!」
四足の姿勢のまま逃げ出そうとするが、男の足が素早く振り下ろされ、二匹の両足を潰す。
「おいおい、ニンゲン相手に逆らっちゃダメでしょうが」
そういいながら、手持ちのゴミ袋の封を解くと、満足に歩けない二匹を放り込んできつく結んだ。
中身は結構入っていたためパンパンになる。
ぎっちりと押し込められた実装石たちは動けない。
圧迫され歪んだ表情から何も読み取れず、目だけが何かを訴えているようにも思われた。
「ったく…朝からめんどくさいことさせやがって…」
「……チィー」
帰ろうとした男の足に冷たい感覚があり、下を向くと仔実装が男にすがり付いていた。
足の甲に何とか顎を乗せ、腫れた瞼の奥から涙を溢れさせている。
「…テチィ」
足は食われ、手も使えないのにどうやってと男は疑問を抱くが、それも大したことではないと思い直す。
とりあえず手荒にするのはなんとなく気が引けたので、背中の肉を軽く摘んで持ち上げる。
「テッチィ…」
手に取られたことで受け入れられたと思ったのか仔実装が少しだけ明るい声を出し、口元で笑みを表現する。
しかし、男は仔実装を親実装だった肉の塊の傍に置き、ネットを被せて立ち去っていく。
何も言葉はなかった。
口を開けたまま仔実装は男の背を見送り、姿が見えなくなって、
「テチィィィ!!? テェェェェェェェェェン! テェェェェェェェン!!」
鳴いた。

      ●

やがて鳴いても男が戻ってこないことを悟った仔実装は蛆のように身体をくねらせて、親だったものから離れていく。
その際に口いっぱいに肉を頬張ることは忘れない。
今朝、目覚めると成体の実装石が親の身体にかぶりつき、また引きちぎるようにして貪っていた。
それを止めようと必死に声を張り上げ、立ち向かったが結果はごらんの有様だ。
先ほどの男の気まぐれが無ければ今頃はあれらの腹の中、良くて持ち帰られ、短い命を弄ばれて終えただろう。
「テッチ…テッチ……」
仔実装は身体が擦りむくのも厭わずに、何とか傍にあった電柱の影に隠れた。
それにあわせたように、
「デッスデッ…デデッ!? デッスーン!!」
食料を確保しに来た実装石がまだ新鮮な肉を見つけたようだった。
仔実装は声を出さないように、出来るだけ身体を小さくして怖いことが去るのを祈った。
そして口の中の親肉を味わいながら、今一度男が来るのを待った。
昨晩姉妹を潰した男なれど、自分は見逃してもらえたし、さっきだって助けてくれた。
親も手足も失った仔実装は男から差し伸べられる手に期待することしかできなかったのである。

      ●

「テッチィ!! チュワアァァァァ!!」
コンビニ袋を提げた男は、ゴミ捨て場を通り過ぎようとして響いた鳴き声に、思わず「ひっ」と声を漏らした。
暗がりの中、突然音がすれば誰だって驚く。そんな言い訳を誰にとも無く心で呟き、男は音の発生源を探る。
いた。
電信柱の影からもぞもぞと手足を中途半端に再生させた禿裸の仔実装。
「…生きてたのかよ」
今朝方男が出勤途中に見た限りでは、二匹ほど餌を漁っていた実装石がいたのでとっくに食われているとばかり思っていた。
それが朝よりは多少マシになって再び姿を現している。
「テチィ! テチュアァァ!!」
腕は繋がっているらしく、片手で身体を支え、もう一方の手を振って男へアピールしている。
再生途中の足をアスファルトにこすり付けるようにして擦り寄ってくるため、皮膚が破け、血の跡を引いていた。
痛くないはずが無い。けれど、仔実装はそれ以上にこの機を逃してはならないと躍起だった。
「チィィィ…チィィィァァ…」
男の足元まで辿り着くと、仔実装はその靴を舐めだした。
靴を綺麗にしようというのか、それとも靴が食べ物にでも見えたか、はたまた服従の意思か。
そのどれだとしても男の知ったことではない。
足をそっと持ち上げて仔実装から引き離すとそのまま歩き出した。
下を、仔実装を省みることなく、やはり声もかけず。
「テヂィィィィィィッ!! ヂュアアァァァァァッァッ!!」
叫び、追いすがろうとしても不完全な足では満足に歩くことすらできない。
もっとも、五体満足だったとしてニンゲンの速度に追いつけるわけも無いのだが。
月の無い夜空を切り裂かんばかりに仔実装の鳴き声は響いていた。

      ●

目覚ましよりも先、携帯のアラームよりも早く男を眠りから呼び戻したのは、
「ちょっと、起きてますー?」
ドアを叩く音と、女性の声。聞き覚えがある。
「大家さん? …なんだよ、今日は土曜だろう…」
ぶつぶつと呟きながらジャージの上下を身に付け、手櫛で髪を撫でながら鍵を開ける。チェーンは付けたまま。
「…はい?」
「ああ、よかった。これ、お宅の仔?」
そういって中年の大家が示したのは禿裸の仔実装。
大家に首根っこをつかまれて、抵抗していたようだが男を認めると、
「チュアァァァアッァ!! テッチュテッチィァ!!」
両手を伸ばして今にも抱きつきたいといった感じだ。
足の皮膚が完全に擦り切れて、肉が剥き出しになっている。まだ傷は新しいらしく、血と、痛みか恐怖に寄るものか糞をたらし続けていた。
「…いえ、捨ててもらっていいですか?」
どうやって男の下まで辿り着いたか知らないが、このアパートはペット不可である。
それは当の大家本人が知らないわけは無い。
「そうなの…でもこの仔、結構前からここのドアをぺしぺし叩いてたのよ? ホントに知らない?」
男の中で色々な状態がシミュレートされていく。
だが目下の問題は、「正直に話す」か「白を切る」か、だ。
どちらも男に非は無く、ばれても特に痛手はないように思えた。
ならば疑問を払っておくほうが得策か。
「えっと…多分なんですけど」
男はチェーンを外し、話をするために大家を招きいれた。

      ●

「ってことなんです」
玄関先で構わないというので、お茶だけ持って男は冷たいフローリングに腰掛けていた。
話の間仔実装は男の靴によじ登ったり、大家が戯れに差し出したお茶請けを大喜びで口にしたり、そして嬉しさのあまり脱糞していた。
「なるほどねぇ…とりあえずは分かったわ」
「はぁ…」
一通りの説明を受けて大家は頷く。その間も仔実装の頭を撫でようと手を伸ばしたりもするが、当の仔実装は、
「チュアアッァア!! テチュアァア!!」
逃げ惑い、男へ助けを求めるかのように、靴脱ぎの段差でぴょんぴょん跳ねる。
その様子に、大家は薄く眉尻を下げて笑みの色を作る。
「どうするの?」
「どうする…といいますと?」
「この仔、飼う?」
仔実装の耳がピクリと動いた。「飼う」という単語に反応したらしい。
鼻息荒く、期待するような眼差しを男に向けている。
一瞬、男が仔実装を見た気がして、
「テッチュ〜ン!」
小首を傾げて見せた。仔実装にとっては取って置きの仕草であった。
が、男の目には糞と血で汚れた禿裸の仔実装が気色悪い動きをしたようにしか見えない。
「いえ、とてもじゃないけど無理です。捨ててもらってもいいですか?」
最初と同じ台詞を口にする。ペット不可だったじゃないですかとも付け加えた。
あらそうね。大家はさして感情の篭らない口調で答え、立ち上がった。
いきなりの動作に仔実装が玄関の隅に逃げ込み、背を丸めて震えだす。
膝をつき、尻を突き出すようなその姿勢からもりもりと糞をひりだし、あっという間に玄関内は異臭が充満した。
「それじゃあ、お任せするわ。生ゴミは次は火曜だから、捨てるならその時にお願いね」
「え? いや、適当に捨ててくれれば…」
「何言ってるの。元はといえば自分で撒いた種なんだら後始末くらいはしてくださいな」
「…はぁ」
言い返すこともできず、男は大家が立ち去るのをぼんやり見送った。
そしていまだに糞を漏らし続けて覚えている仔実装をみて、あの時一思いに処分していればと後悔した。
「…テェ? テッチィ!」
大家が去ったことを認識したのか、涙目で仔実装は男ににじり寄る。
傷ついた足で何度も転び、糞の跡を点々とつけ、それでも声だけは嬉しそうに、
「テチュー!」
見下ろす男はこれからの玄関の掃除に既に憂鬱な気分になっていた。

      ●

仔実装を飼う気など毛頭ない。
そもそも実装石のことを快くなど思っていないのだ。愛でるなどもってのほかである。
しかし何の因果か、一匹の仔実装に懐かれてしまった男はせっかくの休みの午前を掃除に費やさなければならないことに深く溜息をついた。
「テチ。テチテチャ。チュァー」
ピコピコと両手を振って仔実装は鳴く。とりあえず、煩いと感じた男は仔実装を摘んでトイレへ。
「テッチチィ〜、チュッチャー」
ようやく男に構ってもらえたと思ったのか、仔実装は男の手に揺られながら暢気に鼻歌を歌いだす。
トイレに入ると芳香剤の香りに、鼻をひくつかせた仔実装は何か美味いものでもあるのではと周囲をキョロキョロと落ち着かない。
そんな仔実装を便器の中において、便座を閉める。
唐突に訪れた暗闇に慌てふためき泣き叫ぶが、陶器越しではくぐもったようにしか聞こえない。
これでいくら糞をされても大丈夫だろうと男はトイレを後にする。
トイレのドアを閉めてしまえば仔実装の声は全く聞こえないほどになった。
そのことに安堵し、けれど玄関の惨状をみて溜息をつき、
「やるか…」
男は腕まくりをして、大きく息を吐いた。

      ●

どうしたものかと男は考え込んでいた。
目の前には洗面器の湯船に浸かって、弛緩した表情で男の指をしゃぶる仔実装がいる。
掃除を終えて様子を見に行ったところ、便器の水溜めに落ちて声も出せないほど震えていたので、暖めていたところだ。
何をしているんだろう。
ふと、思う。
この禿裸の仔実装は異な縁があって男の下にいるが、そもそも飼う訳ではない。
大家に釘を刺されたとおり、火曜日、つまり明々後日の朝に燃えるゴミと一緒に捨てるのだ。
ならばさっさと息の根を止めてゴミ袋にでも突っ込んでおけばそれで終わり。
けれど男はなぜかそれができなかった。
実装石を殺すのに特別躊躇うことは無いが、何となく慕ってくるこの仔実装のような場合はあまり気がすまない。
火曜日には捨てる。これは決定事項である。
今、仔実装は始めてのお湯を体験し、自らが浸かるそれを飲んだり、男の手に懸命に甘えたり。
あと三日の命とも知らず、幸せそうに目を細めている。
「テチィ…」
仔実装の両手は男の人差し指を抱きかかえるようにしてしっかりと捉えていた。

      ●

散々迷った挙句、男はこの仔実装の残った時間を普通の飼い実装のように接してやろうと決めた。
それを偽善的なものだと分かっている。
時に上げ落としと呼ばれるものに繋がるであろう事も分かっていた。
それでも、少しでも楽しいこと、嬉しいことがあってもいいだろうと。
思えばあの時、一思いに姉妹と一緒に送ってやらなかった男が招いた結果でもあるから。
「チュワアアァー!?」
「どうした、プリンは初めてか?」
風呂から上がってハンドタオルをバスローブのように巻かれた仔実装はそれでも男の指に舌をはわせていた。
そこで腹が空いているだろうと判断し、冷蔵庫に眠っていたプリンを与えてみたのだ。
賞味期限を一日過ぎているが問題ないだろうか。
そんな心配は残飯を漁る実装石には無縁なのだが。
男の手が身体から離れるのを嫌ったので、手の平の上に乗せたまま台所へ。
取り出されたプリンのカップに鼻をヒクつかせながら仔実装は片方の手を伸ばした。
「テチィ! テチュァッ!!」
「はいはい、大人しくな」
そそくさと男の手を離れてプリンの容器にしがみ付く仔実装をいなしつつ、蓋を開けプラスチックのスプーンで一口分を掬ってやる。
仔実装はそれに顔を埋めるようにして喰らいつき、これまで味わったことの無い美味に歓喜の声をあげたのだった。
「テァ! チュアァ!!」
もっともっとと強請る仔実装に、男はどんどんプリンを与える。
底に残ったカラメルソースまで流し込むようにして腑に収めると、名残惜しそうに仔実装はスプーンを舐めだした。
「美味かったか?」
「テチュ! テチチュワ、テッチィ!」
男の問いに答えているのか、単に声をかけられたことに反応しているのか。
つるりと禿げた頭部を軽く撫でる。
「テェ〜」
その指先に身体を預けるように身を寄せる仔実装に男は複雑な思いを抱いていた。

      ●

選択肢は二つ。
言うべきか言わざるべきか。
仔実装はすっかり男に飼われたものと思っているだろう。
しかし、仮初の飼い実装としての立場は僅か三日間のみ。
それを告げるかどうか、男は迷った。
告げれば、必死に男の気にいられようとしたり、役に立とうとするなど何とか捨てられない努力をするだろう。
そしてその間は与えられる幸せを存分に味わうことができず、努力すら否定された上で捨てられる。
一方でこのまま何も知らないままなら存分に甘え、これからのことに思いを馳せ、穏やかな時を過ごすはずだ。
その先に待つのが圧倒的な絶望だったとしてもその瞬間までは幸せでいられる。
久しぶりの食事と、男の家までの行軍による疲れ、それに安心感もあってか仔実装はすぐにウトウトと舟を漕ぎ出す。
「眠いか?」
「テァアア…チィ」
大きなあくび。それじゃ寝るかと、ティッシュボックスの空き箱にキッチンペーパーをたっぷり敷いて寝かせてやる。
掛け布団としてハンドタオルをもう一枚。
「チュアァ…」
仔実装はそれらに埋まるようにして丸くなるとテスーテスーと寝息を立て始めた。
腕の中には先ほどプリンを食べていたスプーンがいる。
よほど気に入ったらしく離さなかったのでそのまま玩具代わりになってしまった。
男はひとまずの疑問を棚上げにして、自身の空腹をどうやって満たそうかと考え始めた。
時刻は間もなく午後二時にさしかかろうという頃合である。

      ●

仔実装は翌朝になるまで目を覚ますことは無かった。
よほど疲弊していたのだろう。夕飯の際に声をかけても反応が無かったほどだ。
男が朝食支度をしていると、
「テッチィィァァァア!!」
叫び、仔実装が跳ね起きた。男の姿が見えないことに軽いパニックを起こしている。
布団代わりのタオルを跳ね除け、いるはずも無いのにティッシュボックスの底まで掻き分けて、「テェェェェン!」と鳴く。
「おいおい、静かになー」
「ッテチ!?」
声に反応して顔を上げればフライパンを片手に男が振り向いていた。
仔実装は不恰好にベッドを抜けだすと涙も漏れた糞もなりふり構わず駆け出す。
「…治ったのか」
「チュアァァァアン!!」
そう、仔実装の両足はすっかり完治していた。
それが当たり前であるかのように全力で走った仔実装は男のパジャマ代わりのジャージにしがみ付き、昇りだす。
だが十センチも行かぬうちに力尽きてフローリングに横臥する。
「テヒッ…テェェェェェエン! テェェェェエェン!!!」
「あー騒ぐ仔はご飯抜きだぞ」
「…テック…テック…テスン」
現金なもので泣くこと自体は止めないもののすぐに静かになった。
そしてのそりと起き上がると男の足元でテチュテチュと鳴く。両手を振り上げて。
抱っこしろといっているらしいが、生憎今は料理が先と男は仔実装に構わない。
激しく動いたせいで仔実装は巻いていたタオルが肌蹴ていた。
片手でタオルを押さえ、片手では男の裾を引いたりアピールに余念が無い。
「はいはい、飯なー」
大雑把にフライパンの中身を皿に盛ると、右手に朝食、左手に仔実装を提げて居間に戻る。
スクランブルエッグとソーセージ、それと焼いてない食パン。
これまた始めて見る食事に、仔実装は大興奮して飛びつこうとするが、
「お前はこっち」
男によって与えられたのは昨晩買い求めた食い切りパックの実装フード。
小さなお菓子パックのように縦に五袋連なったうちの一袋を切り離し、封を開けて仔実装の前においてやる。
「テェ? テッチュー!」
それにはかまけずに男の皿に向かおうとして、
「ダメだって」
デコピンを受けた。
おでこの鈍い痛み。いつの間にか尻餅をついていることに、「テェ…?」と涙を滲ませて首を傾げる仔実装。
男は袋から一粒実装フードを取り出して仔実装の鼻面に突きつけてやった。
差し出されたものにスンスンと鼻を寄せ、食べられるものと判断したのだろうか、仔実装は男の手ずからにそれを一口。
「チュッフ〜ン! テチャァ!!」
後は男の手から奪うようにして実装フードを喰らい、袋に頭から突っ込むようにして食い漁った。
「テチィ! テッチャァァァッ!!」
美味しい。これは美味しい。
奇声を上げて一心不乱に食事をする仔実装を視界の隅に収めて男もようやく箸を取る。
一人暮らしの男にとって騒がしい朝となった。

      ●

美味しいご飯。あったかい部屋。やさしいニンゲン。
仔実装は満ち足りた生活を堪能するのに忙しかった。
酸っぱくも苦くもない食べ物も、おなか一杯になるのも、身体を綺麗にするのも、ゆっくり眠れるのも全てが初めて。
「テッチュチュ〜」
今は鼻歌のようなものを口ずさみながらティッシュペーパーを千切っては丸めてを繰り返している。
安上がりな奴。男はそんな感想を抱くが、実際は飼われ始めて全てが珍しいだけだ。
食事や目に入るものの目新しさがなくなると、次々と色々なものを要求するのが実装石。
それも野良の仔実装は普段から耐える生活を強いられることが多いだけに一度箍が外れれば際限は無くなる。
故にこの短期間であれば、糞蟲と呼ばれる本性を曝け出すことなく平穏に暮らすことができるだろう。
この段階で仔実装はとりあえず男の姿が視界の端にあれば泣き出すようなことは無くなった。
部屋のあちこちを歩き回り、ゴミ箱や出しっぱなしの扇風機などを撫で回し、
「テチィ?」
時折男を捜して首を巡らせる。
「チュア!」
そして、男が、例え仔実装に向いていなくてもそこにいることさえ分かればまた嬉々として散策を開始する。
床に転がっているゲーム機のコントローラーに跨り、テレビに映った美味しそうなものを探しに裏に回ったり。
それをぼんやりと男は眺めていた。
ちらちらと仔実装が視線を投げかかけてくるのには気付いていたがそれにいちいち応えることもない。
一度、玄関先まで探索に行った仔実装が男の姿を見失い、盛大に泣き叫んで脱糞する事態はあったものの、概ね平穏と呼べる一日だった。
夕飯に出された実装フードも綺麗に平らげ、食後に供されたコンペイトウに対してはまるで絶食していたかのような猛然とした執着を見せた。
コンペイトウを手に取るのももどかしいのか、地面に這いつくばってコンペイトウを押さえ込み、舌をはわせる。
高々と持ち上げられた臀部をまるで犬の尻尾のように左右に振って、糞を垂れ流しながらテチテチュ呟きつつ、ひたすらにむしゃぶりついた。
「テッチュゥ〜! テチィァ!! テヂャッ!」
直ぐに食べ終え、次をねだる。両手を前に出して、涎を垂らしながら。
「ダメ。今日はそれだけだ」
「テヂュゥゥ……」
仔実装は恨めしそうに男を見上げるがそれ以上は欲しがることをしなかった。
男が今朝方仔実装に痛いことをした指の形を見せたからだ。
仕方無しに先ほどまでコンペイトウが置いてあった床を舐め、自身の手をしゃぶり僅かな残渣を味わう。
しばし不満を露に男を睨みつけていた仔実装だったが、風呂の時間にはすっかり機嫌を直し、心安らかに一日を終えた。

      ●

「テェェェエェェン! テッチャァァァァァァァァァァッァアッァア!!」
仔実装が泣きながら室内を徘徊していた。
誰もいない静かな空間。仔実装の声だけがいたずらに響く。
仔実装の手にはプラスチックのスプーンが抱えられている。
朝、空腹を覚えて目を覚ました時、仔実装は一匹だった。
男の姿はどこにも無い。ご飯も無い、お水も無い。
「テチェェェェェェェェエ!!」
男を求めて仔実装は駆けずり回った。
この家に来てからずっと一緒だっただけに、離れることに強い恐怖を覚える。
特にゴミ捨て場で何度か置いてけぼりにされた経験が、より一層仔実装の男に対する執着を高めていた。
一通り見て回って男がいないことを理解すると、あとはただ泣くだけだ。
一人は嫌だ。ニンゲンさんはどこ。
呼べど叫べどいっこうに現れない相手に、ますます仔実装は寂しさがつのる。
腕の中のスプーンを口に咥える。
これは男がくれたものであり、至福の甘味を味わわせてくれたもの。仔実装の唯一の持ち物であり、宝物だ。
もうプリンの風味や味など欠片も感じないが、嬉しかった時の気持ちが思い起こされ少しだけ落ち着く。
「テチィィ…」
寒い。外を見れば雨が降っている。
いくら屋内とはいえ禿裸の仔実装にはこたえるほどに冷え込んでいた。
仔実装はすごすごとベッドに引き返し、タオルにすっぽり頭から包まる。
タオルの端を口に含んでチューチューと吸い付きながら仔実装は何か音が聞こえるたびに、顔だけ出して様子を伺う。
「テック…テェック…」
次第に暗くなる外に仔実装は不安が澱のように溜まっていくのが分かった。
暗いもいや、寒いのいや。お腹空いた。
だだっ広い部屋で小さく丸まって震えることしか仔実装に出来ることは無かった。

      ●

何のことは無い。
仔実装を男が引き取ったのが土曜日。その翌日が日曜日。
そして今日は月曜日であり、男は仕事に出かけただけのこと。
しかも、ちょっと寝坊して遅刻しかねなかったため、仔実装の餌の準備もせずにバタバタと出て行った。
それに仔実装は気付かなかったのだ。
男が帰宅したのは夜九時を回ったところ。
玄関のドアが開く音に、仔実装は眠気が吹っ飛び、駆け出した。
今まで以上に明確な「誰かの立てた音」だった。
男が見たのは暗闇からにじり寄ってくる赤と緑の二つの光。
「ひぃ!?」
「テチャァァァッァァッァァアン!!」
びっくりして仰け反る男の足に、仔実装は体当たりの如く抱きつき、力一杯しがみ付いた。
「テェェェェェェェン! テェェェェッェェェェェェン!!」
「ああ、悪かったなぁ。飯にしような」
仔実装をその手に抱き上げた男はコンビ二袋を持ち上げてみせる。
中から漂う濃密な匂いに仔実装は堪らず鼻をヒクヒクと。
「テェェエ…」
口の端から涎を垂れ流して袋に、その中身に視線を注ぐ。
「はいはい、直ぐに用意するから」
居間のテーブルの上に仔実装とコンビニ袋を置き、男は手早く着替える。
仔実装は袋の中に何とかもぐりこもうと画策するが、
「テヒィィィ!?」
熱さを感じて一歩退いた。
中身はホカホカの弁当だったのだ。
男は仔実装の慌てっぷりに笑みを浮かべながら、弁当を取り出し、蓋を外すと仔実装の前へと置いた。
蓋についたソースの芳醇な誘惑に仔実装は跪くようにして顔を近づけ、舐める。
空きっ腹にしょうゆとにんにくの利いたソースが染みるように美味い。
「テチィィ! テチィィィィ!!」
綺麗に蓋を掃除した仔実装はペシンペシンと蓋越しにテーブルを叩いてもっともっとと訴える。
「ははは、よーし今日は特別だからな」
男が仔実装に差し出したのは、奮発した弁当のメイン。ステーキである。
普段実装石が訴える三種の御馳走の一つ。
それが実際に目の前にある。
しかし、野良ゆえに本能からステーキや寿司の名を知ってはいても見たことも食べたこともないわけで。
仔実装は最初それに小首を傾げて近づいた。
臭いを嗅ぎ、先ほどのソースと似ていると判断したら後は速い。
ぺたんと腰を降ろして、両手で肉を掴み口へ運ぶ。
「……………ッ!!?」
一口。一度仔実装の動きが止まる。
そして、頭を前後に激しくゆすり、両足もバタつかせながら、
「ッチャァァァァッァァァァッァァァッァッァッァァッァァァッァッァァ!!!!!!」
叫んだ。糞ももれた。
続けてその肉をどんどん押し込んでいく。
食べ尽くしても、手についた脂を必死に舐め取り、自分の糞と混じった肉汁とソースも啜る。
テーブルに伏せるようにして肉の余韻を味わっていた仔実装に、
「そんなことしなくてもまだあるぞ」
もう一切れ。
「チュアァァァァァァァアッァァアッァア!!」
両手を振り回し歓喜の踊り。至福のご飯が再びやってきたのだ。
「テシャァァァッァァァ!! ヂュァァァァ!!」
「こらこらなんで威嚇してんだ」
四つん這いになった仔実装の頭を撫でる。
すると仔実装は、両手を振ってテチテチと語りかけてきた。もちろん男に意味は分からない。
「いいから食えよ」
箸で促すと文字通り飛び上がって肉に抱きつき、興奮に糞を漏らしながらも完食。
それが面白くて男はまた一切れを与えてみる。
今度は味わうようにゆっくりと、目を閉じて食べていく。
「テチィィッ!!」
途中、仔実装は男に向かって笑顔を向ける。
けれど男はそれに応じない。
一瞬不思議そうな表情を仔実装は見せるが、デザートのコンペイトウを渡されるとそちらに夢中になった。
仔実装最後の晩餐は静かに幕を閉じていく。

      ●

コンビニ袋の中に敷き詰められたコンペイトウがあり、実装フードも混じっている。
「テェェェ!!」
そして中央には仔実装。
「おはよう」
「テッチュン! テッチュ〜ン!!」
上から覗き込む男の声に応えずに、一心不乱に仔実装は足元の御馳走を貪る。
腹ばいになって口を開け、両手で掻き込んでいく。それはまるで何かの機械のような動き。
昨夜、おなかが一杯になってそのまま眠ってしまった仔実装が、男に起こされたときには既にこのような状況だった。
何故こんなことになっているのか、普通なら訝しがるところだが、食欲が勝る仔実装はただ甘露を味わうのに精一杯だった。
だから男がそっと袋の口を閉めたことにも、なにやら袋が揺れていることにも気がつかない。
「テッチィ、テッチチィ!」
色とりどりの甘い宝石を次から次に頬張って仔実装は御満悦。
そしてくちくなった腹を押さえ、仰向けになったところで、
「テェ?」
周りが真っ白であることに首を傾げる。
僅かに外が騒がしい。時折緑色の影が横切っていく。
ぶるり。仔実装は身体を震わせた。
寒い。
地面からじんわりと冷気が這い上がってくるようで、裸の仔実装にとっては少々辛い。
「テチャァァァ! チュワァァァ!!」
男を呼んだ。白くてふわふわのおべべが欲しい、と。あったかお風呂に入りたい、と。
なかなか反応がないため仔実装は白い壁を蹴りつけると、手応えなく、かさりと音がするだけ。
「テチュゥ!」
しかしその反応が面白かったのか何度か蹴って遊んでいると、唐突に現れた緑色がその動きを止めた。
「ッチィ!! テヂュゥゥ!!」
やっと気付いてもらえたと喜んだ仔実装だったが、避けていく白の天井の隙間から除いたのは赤と緑の双眸。
「テ?」
「デッスゥーン!」
野良と思しき実装石は歓喜の声をあげた。

      ●

男が仔実装を捨てることになんら変更はなかった。
僅かばかり情が移ったりもしてしまった気がしないでもなかったりするが、それとこれとは別。
もう必要ないコンペイトウとフードの残り、それとプラスチックのスプーンをコンビニ袋にいれ、最後に仔実装。
目覚めた仔実装に最後の挨拶をしたが、食べることに夢中で気付かなかったかもしれない。
「暇つぶしにはなったよ」
きつく袋を結んでゴミ捨て場の端に置いた。
餌を漁る野良実装達は手前の大きな袋から手をつけていく。
野良がこの袋に手を伸ばす前に回収業者が来るだろうと、ふんでいた。
実際、男が去ったあとで訪れた実装石たちは半透明のゴミ袋に垣間見える生ゴミやお菓子の袋(残っているカスが目当てだ)を競って奪い合った。
仔実装に運がなかったのは、その袋が大分軽くなってしまっていた事だろうか。
中から仔実装が蹴るたびに、少しずつ少しずつそれは動き、さらには声を出すことで注意を引いてしまった。
「デー?」
一匹の野良がその動くコンビニ袋に手をかける。
首にボロボロではあるがピンクのリボンを付けていることから元は飼い実装だったと想像がつく。
二種類のコンビニ袋にそれぞれ生ゴミと冬の暖を取るのに使えそうな紙類を分けて入れていることから若干の知恵もあるらしい。
そんな野良の前でコンビニ袋が、
「ッチィ! テヂュゥゥ!!」
と鳴いたので、もしやと思ってあけようとするが、固く結ばれていたため歯で引き裂くように封を切った。
そして中には、
「テ?」
禿裸の美味そうな仔実装とコンペイトウが入っているではないか。
「デッスゥーン!」
これは思わぬ収穫とキョロキョロと周囲をうかがった野良は、袋の口を手で押さえて足早にゴミ捨て場から立ち去った。
激しく揺られる袋の中で、何が起こっているか分からない仔実装はただひたすらに男に助けを求めた。
「テェェェェェン!! テェェェェヂィィィィィ!!」
それが届くことは決してない。

      ●

「ヂィギィィィィ!」
野良は、ダンボールハウスに着くなり、仔実装を取り出すと地面にたたきつけた。
衝撃に禿裸の仔実装は右半身を潰してしまう。
そこに群がるのは、一匹の仔実装。野良の仔であった。
「デッス。デデスゥ」
「テチ」
殺してはダメこれは大事な食料だからと親に言われた仔実装は、元気良く返事をして、禿裸の折れた腕に齧りついた。
「テヂャァァァァァッ!」
バタバタと暴れるので、野良が一発顔面に蹴りを見舞う。
首があらぬ方向に曲がり、口から血の泡を吹きながらも痙攣する禿裸に構わず、野良の仔は久しぶりの肉に舌鼓を打つ。
「テエェェ!? テチィ! テッチャァ!」
「デス!? …デェ! デッス〜ン!」
仔実装がこれは美味しいと親に告げると、野良も足を一本千切って口に入れ、驚いた。
何度か仔実装を食ったことはあるがこれほど味があるのは初めてだった。
禿裸の肉は僅かな期間とはいえ野良に比べればはるかに贅沢な日々を送ってきたため、旨味(うまみ)が増しているのだ。
嬉々として四肢を喰らった野良の親仔は今度は袋に入っていたコンペイトウに手をつけ、宴会を始める。
それを禿裸は薄れ行く意識の中で見ていた。
ごく短い間に自身の身に起こった様々なこと。親が死に、男に見捨てられ、また救われ。
飼い実装になったとばかり思っていたが気がつけば知らない同属に手足を食われた。
さらには男が自分のために用意してくれたご飯にまで手をつけられている。
「テ…シャァァ……」
声を限りに叫んだつもりが蚊の鳴くようなささやかな響きにしかならなかった。
が、それは仔実装に聞こえてしまった。
「テッチャァ!!」
生意気だ。
短い足で禿裸を蹴る。馬乗りになって殴る。
両の手足を失っている禿裸に抵抗する術はない。
「テベッ! ビィ! ヂッ!! ヂュウゥゥゥ! テヒェェェェェェブゥッ!!」
「テッチュ〜ン!」
殴るたびに反応を返す玩具に気を良くしたのか、仔実装の振るう手は止まらない。
やがてパンパンに腫れ上がった顔が何も言わなくなると仔実装は殴るのをやめ、下着を下ろして禿裸の顔に跨った。
「テフゥ…」
これでもかとひり出された便が禿裸の顔を埋めていく。
「デー…デス、デッス!」
「テェェ…」
部屋の中で糞をしてはダメだと起こられた仔実装は、腹いせに禿裸の横っ腹を蹴りつけた。
糞の山が少しだけ動いたが、それっきり。
ダンボールの隙間からは凍えそうな風が吹き込んでくる。
それはあの日、ゴミ捨て場で浴びた雨のように禿裸の身体を冷やしていく。

      ●

身を切るような風に、男はコートの襟を立てて背を丸める。
「うー寒い」
すっかり冬の様相を呈した街は、空の色だけでなく道行く人々まで灰色がかって見えた。
仔実装を手放してはや二週間。
思ったほど寂しいとか物足りないといった感情は湧いてこなかった。
彼にとって実装石は相変わらず、鬱陶しく、そしてどうでもいい存在でしかなかった。
「チッ…」
今朝も誰かがゴミを捨てるのを今か今かと待ち構えている。
電柱の影や路地裏に、隠れているつもりなのだろう実装石たちが顔を覗かせていた。
冬が近い。
できるだけ食料を確保し、貯めなければならないのだ。
と、一匹の薄汚れた実装石がいやらしい笑みを貼り付けて男に近寄ってきた。
首にピンクのリボンを巻いており、仔が一匹親のスカートをしっかりと握ってついてきている。
男は眉をしかめて嫌悪感を露にした。
「デッスー」
そんな男の様子に気付かないのか、野良実装は両手を掲げた。
その手には禿裸の仔実装がいた。
手足が異常に短く、頭部が歪にへこんでいて生きてるかどうかも怪しい。全体的に緑掛かった肌は糞に塗れていた証拠か。
それはまさしく生ゴミと見紛う程だった。
けれど、お岩さんのように腫れた瞼の奥にある二色の瞳は強い意志の光が燈っていた。
「ヂュァァッァァァァッァア!! テヂッ! テヂィィィィィ!!」
しわがれた声は仔実装のものとは思えない。
「デププ。デスゥ? デスデェッス!!」
野良は叫ぶ仔実装を男に突きつけてくる。
その仔実装は野良の手から逃れたいかのように身を捩り、短い手を必死に伸ばしているようだ。
男は無視して立ち去ろうとするが、野良は回りこんでやはり仔実装を突き出す。
「ふぅ」一息。そして仔実装に手を伸ばす。「くれるってか?」
野良は男に仔実装を手渡すと、デッスデッスと男のズボンの裾を引き、何事かを訴える。
どうせ自分たちを飼えとか、餌を寄越せとかそういったことなのだろう。男は思う。
手の内にある仔実装は男の指に頬を寄せ、「テッチュゥ〜チュゥゥン」と甘えた声を出している。
間近で見て分かったことは、その総排泄口から透明な何かが除いていることだった。
それはコンビニ等で甘味類に付けるプラスチックのスプーンで、柄の部分が捻じ込まれていた。
「まったく…」
足元で声を大きくしていく二匹の目はどこか血走っている。
どうやら男が反応を示さないことがお気に召さないようだ。
「チィ…チィィィ……」
殆ど塞がった瞳から涙を零し禿裸は鳴く。
身体が震えている。寒いのだろう。なるべく暖を取ろうとでもいうのか男の手にできるだけ密着しようとイゴイゴと身をまわす。
「まったく…」
同じ台詞を男は繰り返し、そっと禿裸を握る手に力を込めた。
「チュゥ…」
その力強さと温もりに禿裸は喜びの声をあげた。

      ●

野良は禿裸を拾ってから食料としてのみ生かしてきた。
毎日糞を食わせ、仔実装の暇つぶしの玩具とし、手足を食らった。
どんなに泣き叫んでも、許しを請うても、逃げようとしても無駄。
徐々に身体の再生が鈍くなり、意識が朦朧となっていた禿裸だったが、すっかり空になったコンビニ袋の中にあるものを見て這い寄った。
それは男が戯れに入れた透明なスプーン。
野良たちにとっては何の意味もないもので特に何をするわけでもなく捨て置かれていたのだ。
腹に擦り傷を作りながらようやくそれに辿り着いた禿裸は思い出を味わうように舌を出し、舐めた。
最早とっくに味などしないが、楽しかったこと、嬉しかったことを思い出し、思わず頬が緩む。
それを野良が見咎めた。
「デッス!? デスデスー!」
「…テェェッ! テチィ!! チィィィィッ!」
何か美味いものを食べていると思ったのだが、実際は透明な何かをしゃぶっているだけ。
試しに口にしてみても何も感じない。
しかも取り上げると禿裸は返せ返せと騒ぎ立てた。
不思議に思い、これに何の意味があるのかと問いかけると、禿裸は目を閉じて恍惚とした表情で語った。
ニンゲンがそれで甘いものをいっぱいくれたこと。そのニンゲンはもっと美味しいものもくれたし、温かくもしてくれたこと。
すると野良の表情が険しくなる。
このみすぼらしい禿裸はどうやらニンゲンに飼われていたらしい。
思えば一緒に大量のコンペイトウやフードが入っていたのだ。それなりに可愛がられていたのかもしれない。
ニンゲンは一度禿裸を捨てたとはいえ、その捨て仔を保護し連れて行ったとなれば慈悲深い実装石として飼われるのではないか。
そこまで考えると野良はその日一日を洗濯や身体を綺麗にすることに費やした。
翌朝から、禿裸をつれて「自分を飼ってくれる人間」を探させるためにゴミ捨て場を見張った。
仔実装にはニンゲンが分かりやすいようにスプーンを刺しておく。禿裸に持たせてもよかったが持つための手が短すぎてままならなかった。
そして四日目にして腕の中の禿裸が反応する。
にんげんさん! にんげんさんにんげんさんにんげんさん!!
騒ぎ過ぎないように口を押さえて、男の前に歩み出る。
最初は素っ気無い態度だったが、男はちゃんと禿裸を受け取った。
それをしみじみと眺めている。
やったこれでワタシも飼い実装だ。さぁさっさと家に連れて行け、コンペイトウを食わせろ、ステーキを寄越せ、綺麗な服を準備しろ。
可愛い実の仔も可愛らしく訴えているのに、男はさっぱりと反応がない。
野良がそんな男の態度に痺れを切らして、糞をなすりつけようとした刹那だった。
「ヂィッ!?」
男が一歩を踏み出していた。その場所には仔がいたはずだったが姿が見えない。
「デー?」
見る。男の靴とアスファルトの間に赤緑の染みが広がっていく。
それが何かを理解する前に、野良の意識も途切れた。

      ●

不幸から、僅かな兆しが見え、再び光は遠ざかっていた。
かと思えばこれ以上ない幸せに浸ることができ、それもいつの間にか霧散した。
奴隷以下の扱いで無理矢理生かされ、死にたいとすら思うほどの状況で仔実装は改めて温もりに触れる。
その目はもうあまりはっきりと像を結ぶことはないが、ぼんやりと浮かぶそれはまさしく短い間だったが慣れ親しんだもの。
「…テチィ」
笑いたかったけれど顔が強張ってしまい上手く表情が作れない。
仔実装は何となくこうなるのではないかと期待していた。
これまでも悪いこと、辛いことがあったあとで嬉しいこと、いい事があったのだ。
だから物以下の扱いを受けていても、いつかきっとこれまでよりもずっと幸せなことに出会えるとそう信じてきたからこそ偽石が自壊せずに済んでいた。
そして、やはりそれは来た。
懐かしい臭い、体温、ごつごつした手の感触。
今度はもっといい仔になろう。ずっと傍においてもらえるようになろう。
「テッチュー」
男の体温をもっと感じたいと、甘えるつもりで仔実装は身体をこすり付ける。
と、それに応じてくれたのか仔実装の身体を包む力が強くなり、
「テベッ!?」
一瞬の浮遊感の後、全身に強い衝撃を受けた。

      ●

仔実装の中では「辛いことのあとにいい事がある」という図式が出来上がっていた。
それは実装石として極自然な、自分に都合のいい考え方。
「いい事のあとに悪いことがある」とは考えることはない。
あまつさえ、悪いことといい事の間をさながらブランコのように往復しているという考えは湧かない。
もちろん、幸せの側にしっかりと着地できる実装石もいるかもしれない。
けれどそれは本当に運が良くて、人間も含めた周囲が手助けをしてくれた上でようやく手が届くかどうか。
大抵の実装石は振り子に揺られるあいだに力尽きて手を離す。
もしくは間違って反対の岸に手を伸ばすのだ。
この禿裸の仔実装もそんな一匹。
幸せを掴みきれず、もがき、あがいて、滑り落ちてしまった。
実装石だけではない。
人間もその他多くの生き物もこのブランコに身を委ねている。
ただ、実装石だけは滅多に幸福には辿り着けない、絶望のブランコであるということ。
そして実装石はそれを理解することも納得することもなく、遠くに見えるだけの理想の自分に手を伸ばすのだ。
もちろん実装石の不恰好な身体でブランコから片手を離そうものならば、どうなるかは決まりきっている。
そこに、幸せの岸に、実装石の居場所はない。

      ●

「実装石に絡まれる臭いでも出してるのか俺は…」
男は一度置いたゴミ袋の縛りを解いて、痙攣している野良実装を放り込んだ。
仔実装は踏み潰して拾えないし、野良の頭部にたたきつけた禿裸も細かな肉片として爆ぜた。
本来ならば丁寧に掃除をすべきだろうが、これから来る実装石たちが禿裸たちの残骸は片付けてくれるだろう。
目が覚めたあと、下手に暴れられて開封してはたまらないので中身を圧縮する勢いできつく袋に口を結ぶ。
圧迫された野良の表情が見えないように壁に向けて袋を置きなおし、溜息。
「着替えてこないと…」
シャツにもスーツにも実装石の血と糞が飛び散っている。
とぼとぼと家路への道を引き返す男。
遅刻は確実だ。
「何で俺ばっかり…いいことないなぁ」
一人呟いた男の耳に、
「テチィ」
と、仔実装の声が聞こえたような気がした。
首を傾げる男。
そのまま立ち去っていく。
先ほどまで男がいた場所には、踏まれて割れたのであろうプラスチックのスプーンがぽつりと残された。

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1 Re: Name:匿名石 2021/12/07-15:00:34 No:00006442[申告]
悪意無き上げ落としの光景は実に心を揺さ振られる
主人公は妙な縁で仔実装石を3日間だけ飼うこととなっただけで、虐待しよう悲鳴を聞こう…という悪意は一切無い
主石公の禿裸仔は庇護を求めて辿り着き、増長したり贅沢を強請ろう…という悪意は一切無い
両者ともなりゆきあるいは縁によって巡り会ったに過ぎない、だが両者の相手に対する立場には交わることのない隔絶がある
禿裸仔が最期まで縋ったプリンのスプーンは、かりそめの縁と自分を繋ぐ心のよりどころだったのかも知れない。結果として再び巡り会うことが出来たが、人間の側では禿裸仔との事は既に過去の忘れ去った些末な出来事、人間が手を差し延べる事などある訳もない
上げ落としの過程に悪意が絡まないこそ、禿裸仔実装の不憫さ哀れさ無様子さがより強調される。
だからこそ、何度読み返しても色褪せない印象深い物語なのだと思う
2 Re: Name:匿名石 2021/12/07-23:32:02 No:00006443[申告]
良く言えば「蜘蛛の糸」みたいなもんだしなぁ
3 Re: Name:匿名石 2023/03/25-10:09:55 No:00006974[申告]
糞漏らしの時点で悪意でしか無いんだよなぁ…
4 Re: Name:匿名石 2023/03/25-22:12:53 No:00006975[申告]
汚物のよう野垂れ死ぬ親実装、庇護者に逆ギレする姉妹、死骸漁る同族…
仔実装にはこの実装地獄から引き上げてくれる救いの糸に感じてたんだろうけど実際迷惑至極だよな一般人からしたら、まあ関わりたく無い
両者の絶対に交わらない想いが書かれているスクでなんか実に味わい深い
5 Re: Name:匿名石 2023/11/09-01:11:57 No:00008432[申告]
この作者さんの作品全部好き
実装石ってこんなんだよなっていうイメージが一致する
あえて言うならうまみ派なのだけが残念
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