タイトル:【改】 勝手に改稿 262さんごめんなさい
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作者:匿名 総投稿数:非公開 総ダウンロード数:1722 レス数:1
初投稿日時:2011/09/10-17:00:04修正日時:2011/09/10-17:00:04
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はじめに
262さんごめんなさい。


 


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 今年も双葉市に冬が訪れようとしていた。


 過ごしやすかった秋の大気も深く身を刺すように冷え込みはじめ
蒼と茜の心和ませた鮮やかな秋の色合いも、
どこか不安を滲ませる薄暗さと寒さに色褪せはじめていた。

 そんな夕暮れ時の暗茜色染まりの町の片隅にある公園に、
もう一年は経過しただろう一匹の成体実装石と、その横に寄り添い連れ立っている
そろそろ中実装へと成長しようとしている生後7ヶ月くらいの仔実装が二匹。

 よれよれと疲労困憊してボロボロになっった身体を動かし、
食料である残飯がたくさん詰まったコンビニ袋を引きずりながら、
住みなれた公園に戻ってきた。

 ──実装種

 かつては小人、妖精と謳われ、非現実的な存在にも関わらず、
この世界に当たり前のように存在し、常に人の世の歴史の傍に居続けた。

 人の形を模し、人と変わらぬ知性を持ち、常に人の傍に居続ける人間の隣人。

 その存在と生態は古から高位たる学人の多くを悩ませ、全てを解明されることなく。
 
 理不尽な多くの謎を幾つもと残し今現在と至り、
いつしかその存在はあいまいなものとして位置づけられてしまった世の変わり種。
 
 だが、その中でも実装石と呼ばれる種だけは
〝害虫〟として、ネズミ・ゴキブリよりも劣ると嫌われ呆れられ。

 その地位を救えぬほどに堕していた。
 
 そんな哀れたる種の地位に産まれ落ちたる実装石の親子は、

 「……デー、なんとか帰ってこれたデス……」

 ぜいぜいと両肩で青い息を乱し、夕闇にふく冷たい風に流しながら、
親実装石は住みなれた公園に戻れた事に、ただ安堵していた。

 「……テー、やっと帰れたテチ」

 「……テー、疲れたテチ」

 仔達も親のそんな安堵につられるように、背負っていたコンビニ袋や、
疲労で重くなった腰を下ろしてしまうなど、あまりにも無警戒に気を緩ませてしまう。

 思わず親実装は、いざという時に対応しづらい腰を下ろすなど危うい行為をする仔達を叱ろうとしたが、
疲れはてた我が仔の姿を見て、気が咎め萎えてしまう。

 朝早くに出かけ、たいした食事もさせずに連日ずっと働きづめにさせていた罪悪感も
募っていたせいか、疲れ休む仔達を叱る事が出来なかった。

 それに、今日も無事に公園に戻れたのだから、今くらいは、少し休ませても大丈夫な筈と、
湧く親心に気を動かし仔達をそのまま休ませておくことにした。

 もしもの時は、餌を捨て自分が仔を抱えて逃げれば大丈夫だと普段より少し軽い気持ちを持つが
せめて自分だけはと、仔達の為に周囲を見やる。

 命がけで町の路地裏に餌を取りに行き、また公園へと戻らなくてはいけない危険な一日を終え、
無事であった事に安堵している今が一番危ういのだ。

 この親実装は緩慢、高慢と捨て置かれ見下される実装石としては珍しい、己を知る謙虚な賢い個体だった。

 公園に戻ったからといって、すんなりと気を抜いたりはしない慎重さを持ち合わせていた。

  ──気を緩ませしきった時にこそ、危険は間近に近寄ってくるもの。

 それを理解していたからこそ

  気まぐれな最後が常に身近に纏う実装石にも関わらず今日まで生き残れた。

 そんな証明された確かな経験が、注意を張り巡らせ気を張らせていく。

 住みかに戻れたと安心してはいけない。

 最後まで鋭敏に気を張らせ注意しなくてはいけない。

 ほんの少しの油断が、全ての破滅になりかねないのだから。

 今日みたく、何事もなく公園に戻ったからと言って、簡単に気を抜いてしまう事が癖になってしまえば、

 いざという時に何もできなくなってしまう。

 そうなれば、呆気なく死んでしまう。

 まして成体となり巣立ち、一人立ちをすれば、
否が応でも自分の力だけで生きていかなくてはいけないのだから。

 その事をいつか、仔達にも教えなくてはいけない。

 でも、せめて今は少し休ませても構わないだろう。 

 明日、いやもっと余裕のあるときに、それを教えてあげればいいのだから。

 その代わり今は、ワタシがこの仔達を守らなければいけない。

 親である自分が、今しっかりと警戒しなければ、全てが終わりかねないのだからと、
何時にも増して慎重に、閑散とした公園を見やった。

 もうこの公園には自分達以外の実装石は住んではいないが、それでも油断は禁物だ。

 留守の間に、どこからか流れた野良実装石が、
知らずに住み着きだしている可能性も捨てきれはしないのだから。

 それに、その流れてきた個体がもし糞蟲ならば、これからの対応を考えていかなければならない。

 だが糞蟲よりも気をつけなければいけないのは、人間である。

 もっとも日が落ちたこの時間帯は、公園で遊ぶ人間の子供はいない。

 代わりに来るとすれば大人の人間だけである。

 そして、こんな時間に訪れる大人の人間は、自分達に危害を及ぼす虐待派の可能性があるのだ。

 奇声を上げて暴れまわる輩なら遠くからでも分かるが、狡猾な虐待派が訪れていたのならば、
自分達を捕まえようと罠を張り、今もどこかに隠れているかも知れないのだ。

 もしそうならば、すぐにでも仔達を抱え公園から逃げ出さなければいけない。

 ママから受け継いだオウチや、生まれてからずっといた
この慣れ住みなれた公園を捨て、あてのない野に下る恐ろしさよりも、人間の方が恐ろしいのだ。

 そして今まで見てきた人間の恐ろしさを不意に思い出してしまい、
身をガタガタと震わせ、余計に気を張らせながら、
親は周囲の茂みを注意深く見やり、あたりを見回していく。

 気をぴりぴりと張らせながら見まわす視線の先には、いつもとなんら変わらぬ、
寂れた公園の景色だけが見えた。

 まず最初にと親実装は、公園の唯一の水源に眼をやった。

 この公園には、公衆トイレはない。

 そのかわり水源は、ここで遊ぶ人間の子供が使えるようにと、

 双葉市の気遣いで設けられた蛇口が低い位置に取付けられた子供専用の手洗い場がある。

 親実装はそこで出産、洗髪、入浴、日々生きて行く為に必要な水汲みなどを行っていた。

 もし同属や虐待派が公園にやってきたのなら、まず最初に手洗い場にやってくる筈だと。

 注意深く見やる手洗い場には使われた様子はなく、
排水口にはカラカラに乾いた落ち葉がぎっしりと埋もれていただけだった。

 人間が使った様子もなく、またごまかした様子もなく、ほっと息をつき親は少し気を緩ませた。

 でもまだ油断は禁物である。

 今度は古びた石造りの滑り台や、遊ぶ潤いに枯れ果てた冷たい砂場に視線をやるが、
そこにも同属や人間が近寄った形跡はない。

 公園に点々と並ぶ、黒ずんだ数台の木製ベンチにも、
中央に備え埋め込まれた〝ふたば児童公園〟と彫り記された大きな大理石の周りにも、
不審な気配は感じない。

 この公園を囲むフェンスの圧迫感を遮るように植えられ
秋には食料となるドングリを実らせてくれる木々や、赤い小さな実をつけてくれる茂った植え込みにも
侵入された形跡はなかった。

 公園には、どこにも変わった様子はなかった。

 これはこれでどこか寂しいと去来するものがあるが、
そんなもの無い方がいいと、湧いた虚しさを散らす。

 辺りには、何ら危うい気配は感じはしないと判断し、

 「……大丈夫デス……」

 ようやく親は、背に担いだママの形見でもある
薄汚れたコンビニ袋を傍らに下ろし腰を下ろした。

 仔達は、先程と変わらず傍でお互いにキャッキャッとはしゃいでいたが、
安穏としたその無邪気さに気がいら立つことはなく、逆に和らいでいった。

 夕闇がさらに茜黒い色合いに深まり、
今日も一日が終わろうとしているわずかな時間の中で、
親実装はただ溜め息交じりに深く安息のため息をつき、
心の底から今日も無事に公園に戻れた事に、ほっと胸をなでおろした。

 それだけ餌が豊富にある町へと繰り出すのも、日々本当に命懸けなのだ。

 たとえ公園に戻っても、おいそれと安心出来ない野良実装の生活。

 卑しい同属や空から気まぐれに襲ってくるカラスやモズ、スズメなどの鳥や、
自分達よりもはるかにすばしっこく、そして途方もなく強い犬や猫などの獣、
数で襲いかかってくる虫などと、この世には天敵があまりにも多すぎる。

 少しでも気を抜いてしまえば、たちまち他の生き物の手軽な糧となってしまう。

 常に緊張が続く毎日。

 野良実装として生まれてしまった以上、それは仕方がない事と受け入れ生きていくしかない。

 無論、救いなどはない。

 受け入れなければ、生きてはいけないのだから。

 特に気をつけなくてはいけないのが、人間という大きな存在だった。
 
 親実装は知っていた。

 ──ニンゲンは危険な生き物。

 人間のどうしようもない絶対的な恐ろしさを学び知り、そして深く理解していた。

 一方で人間の作ったモノに頼り、関わりながら生きていくしかない自分と、
娘達の先暗さも知っていた。

 でも飲食街の裏路地にあるゴミ箱の残飯あさりをしなければ
今日、明日と生きていくだけ食料も手に入らない。

 この寂れた小さな公園の実りと、時たまにしか落ちていない
打ち捨てられたゴミだけでは、到底足りはしない。

 ましてや仔は今が育ち盛りの食べざかり。

 親としては、できうる限りたくさん仔にご飯を食べさせてあげたい。

 そうしなければ仔達は満足に成長すらできはしない。

 また、もうすぐ来る厳しい冬に備えての準備もしなくてはいけない。

 冬を越す上で必要な保存食に、オウチを越冬に適したものに補強する為に必要な
追加の段ボールや古新聞、タオル、ビニール袋等の資材も、まだまだ足りない。
 
 寒くなるこれからに必要となるものは、あまりにも多すぎる。

 しかも、それら全ては、人間の住む町にしかないのだから、
危険を承知で、人間の住む町へと家族総出で毎日通い行かなければならない。

 闇夜が払われぬ朝に起きて、車が時折行き交う車道を超えて町へと繰り出し、

 夕暮れまで、危険な人間の住まう町中をあちらこちらと彷徨い、
僅かな食料や資材を探し求めてひたすら歩く。

 それに住まいへと戻った後も、集めた餌を今日食べるものと、
保存できるものとに仕分けする作業がまだ残っている。

 その作業が終われば、後はタオルや新聞にくるまり、闇夜に意識を落とし眠りについていく。

 そしてまた朝早くに目覚め、再び餌を集めに町へと繰り出していく。

 辛い毎日の繰り返しだけの日常。

 一日たりとも自分や仔にも気を緩ませてやる事の出来ない
淡々と命懸けで、ただ無情に過ぎていくだけの野良生活に、ゆっくりと休む間などはない。

 遊びたい盛りの仔にはつらい日々かもしれないが、
今はそれは仕方がない事だと割り切るしかないのがどうしようもない現実なのだ。

 それにそろそろ仔達に餌取りも教えていかなければいけない頃合いでもある。

 冬を越え春になれば、否が応でもこの仔達を巣立ちさせなくてはいけないのだから。

 それなのに、まだまだこの仔達には教えていかなくてはいけない事があまりにも多い。

 自分が知る生きるすべを教えなくては、この先この仔達は生きてはいけない。

 たとえ自分が死んでしまっても、この仔達が生きていく事のできる実装石にしなければいけない。

 だから今、厳しく教えていかなくては。

 「……大変デス……」

 悩みの多さに、気を重くする親実装。

 せめてもの僅かな安らぎは、今のこの夕暮れ時だけだった。

 仔達の未来にだけは確実な救いはないものかとは、
辛いだけのこんな不変な日々の時折に、そんな事を望む時はあるが、

 ただの野良でしかない自分と、その仔が人間の庇護を受けた飼いとして生きていく事なんて到底不可能だと、
この親は知っていた。

 なぜなら、かつて自分をこの世に産み落としてくれたママが、そう教えてくれたのだ。

 今もママが教えてくれた、あの言葉を覚えていた。

 生まれて最初に突きつけられた現実。

 ──実装石は不幸デス。

 最初に、そんな救いのない現実を言い放ち。

 ──ワタシ達は決して幸福な存在ではないデス。

 甘い妄想は毒だと教えられた。

 その後もママは、日々の生活の中で人間の恐ろしさを語り聞かせてくれた。

 もし野良が飼われるのなら、それは虐待目的でしかないと、揺ぎ様のない現実も教えてくれた。

 ──ニンゲンは恐ろしいデス!

 ──手足を引きちぎられ、髪や服なんて簡単にとられちゃうデス!

 ──大切なオイシもとってしまうデス。

 ──オイシもとられ禿裸にされてしまったら、もう公園では生きてはいけないデス。

 ──野良なら、叶いもしない無駄な夢を持つなデス。
 
 ──それよりも、もっと身のある事を覚えていく事が大事デス。

 生きていくことは厳しいのだからと、ママは実装石として産まれ落ちてしまった事を呪いながら、

 ──ニンゲンと絶対に関わるなデス。

 ──ニンゲンに関わればひどい目にあうデス。

 ──ニンゲンは、全てを気まぐれに奪ってしまうデス。

 ──ニンゲンは、悪魔デス。

  怨嗟みたく苦々しい言葉をこぼした。

 成体となった今でも、その事は間違ってはいないと思う。


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 自分がまだ小さい、よく世界を知らなかった仔供の頃。

 この公園には糞蟲化した同属がたくさんいた。

 他の実装石の仔はもちろん、餓えが過ぎれば自分の仔ですら呵責なくに平然と貪り、
平気で嘘をつき、叶いもしない誇大妄想に取りつかれた糞蟲達。

 毎日公園のあちこちで糞蟲達による奪い奪われる光景が繰り広げられていた。

 その糞蟲の中でも最も最悪な個体がいた。

 他の同属よりも体格が大きく力も強く、公園内でこの個体に勝てる者はいなかった。

 暴力に任せて自らは餌採りなどはせずに、もっぱら他の同属からの略奪だけでまかなっていた。

 勝手にヨソの家族のオウチへ入り込んで、仔を食い殺し食料などを奪う傍若無人さ。

 ママも、アイツは特に危険だと、いつも気を張り自分を守りながら隠れながらに、
糞蟲がどういうものなのかを教えてくれた。

 ──糞蟲は、最低な生き物デス。

 ──関わるとロクな目に逢わないデス。

 ──絶対に近寄っては駄目デス。

 決して近寄るな、関わるなと、いつもあの糞蟲から隠れるようにして毎日を過ごしていた。

 こそこそ隠れて生きていかなければいけない日々に、
一生アイツにおびえて生きていかなきゃいけないのかと、幼心に気を重く日々を過ごしていたが、

 しかし、日柄一日中同属を襲い仔を食らい続けるだけの怠惰な糞蟲が、
いつまでも安穏と暮らせるほど世界は甘くなどはなかった。

 夏の日差しが強いある日のことだ。

 アイツは、公園に訪れていた飼い実装の家族を襲い殺してしまった。

 躾がいき届いた、とても礼儀正しく、そして他の実装石にも優しくて、
内心憧れだった飼い実装一家を、あの糞蟲は皆殺にして貪り喰ってしまった。
 
 そして、あろうことか惨殺した飼い実装が着こんでいた豪華な服を、
不器用にいそいそと着こみ殺した飼い実装の成り替わりを試みたのだ。

 その時アイツは、どれだけ甘い妄想に浸っていたのだろうか。

 成り替わりなど成功するはずもないのに。

 糞蟲の結末は想像通りだった。

 ママの言うとおり、甘い考えは身を滅ぼしてしまう要因でしかないと、
あの糞蟲はまさにそんな妄想の代価たる証明の塊だった。

 いきなり自分のペットに与えた筈の服を身にまとい、あらわれたうすぎたない野良に、
驚愕し目を見開いた飼い主に、事もあろうかあの糞蟲は自分のひり出した糞を飼い主に投げつけ、

 ──デピャピャピャ! 今日からお前はワタシの糞ドレイデス。

 ──おい糞ドレイ! さっさとワタシにステーキ、コンペイトウをもってこいデス!

 アイツは威張り散らしたが、次の瞬間には怒鳴り激昂した飼い主に蹴り飛ばされた。

 腹に収めていた、貪った飼い一家の肉塊をベロベロと空中に吐き散らかし、
地面に転がり、起き上がるまもなくに顔をめり込ませるほど殴られ、
そのまま地面を転がり廻され。

 そして何度も、何度も、ただ躊躇なく力任せに蹴り踏みこまれていった。

 途中で事切れてしまう幸運などは訪れず、息も絶え絶えに半生となったアイツは、
髪や手足を引きちぎられ、ダルマの禿裸にされてしまう。

 そして人間は、最後にアイツを踏みつけてじわりじわりと体重を掛けていく

 ──デシャアアアアア! 嫌デシャアアアアア!

 ──死にたくないデスゥゥゥゥゥ! 許して下さいニンゲンサマァッ!

 醜く、無様に泣き叫び命乞いをするが、
決してそんな手前勝手な願いなどは聞き届けてもらえず
べしゃりと、踏み殺されてしまった。

 そして飼い主は仇を討っただけでは怒りが収まらなかったのか、
周りで、その惨めな最後を見て笑い転げていた野次馬の野良や、
たまたま近くに居合わせただけの無関係な野良ですら躊躇なく殺していった。

 逃げ惑う野良を踏みつけ潰し、逃げ遅れた頭を鷲掴んだ野良の服を剥ぎ取り、
力任せに頭皮ごと髪をむしり、握りつぶす程に鷲掴み、力任せに地面に叩きつけ、
もし死なず半生ならば、死ぬまで蹴り潰していく所業を、ただ繰り返していった。

 そんなあまりに凄惨な一部始終を、そらす事無く、
見て学べと、ママと茂みに隠れながら無理やり見せられた。

 一匹の糞蟲のせいで関係ない筈のものも全てが失われると、
あれが人間の怖さだと学び理解しながらパンツを緑に汚し、
こんもりと失禁したまま恐怖していた。

 ──ニンゲンは恐ろしいもの。

 ──そして糞蟲にかかわるとロクな事がない。

 実装石であるという事だけで無秩序に殺されてしまう事実。

 絶対に人間には勝てない事実。

 その一部始終を目の当たりにした。

 やがで一方的な殺戮が終わった後、
飼い主は遺品となった飼い実装の破れた服を手に持ち、
深く悲しみに染まった顔をしながら公園から去っていった。

 後には死体が幾つも転がり、
遅まきにやってきた腹をすかした同属が打ち捨てられた死体を綺麗に貪り、
まだ着れそうな服などを集め、思わぬ収穫にせっせと片付けていく。

 ママはそれを見て、哀れんだ表情をしていた。

 決してその中に加わることはせずに、ママは踵を返し、吐き捨てるように、

 ──おまえもワタシも油断をすると、あんな糞蟲の仲間になってしまうデス。

 ──そしてお前が仔を産んでママになったとき、もし仔に糞蟲がいたらああなってしまうデス

 生まれついての糞蟲より、途中で糞蟲になってしまう事に気をつけなくてはいけないと、
茂みに続く帰途の中で、訥々と教えてくれた。

 そう、気をつけなければ、あんな愚かな糞蟲になってしまう。

 糞蟲になってしまえば、あんな最後しか待っていない。

 あんな、惨めたらしく殺される最後は絶対嫌だと、
ふるえながらママの手を強く握りしめながら帰路についた夕暮れ時。

 その日の夕日はあまりにも物悲しかったことを今でも覚えている。

 実装石としての現実。

 そんなものを目にしてしまった後、自分が実装石である事が絶望としか思えなかった。

 なぜ実装石に産まれ落ちてしまったのか。
 
 できれば人間として生まれたかった。 

 無論、そんな願いがかなうはずもなく、
ただ実装石として生きていかなくてはいけない、そんな辛い現実を受け入れるしかなかった。

 実装石として生きていくこと。
 
 それは醜い実装石の世界を見ていかなくてはいけないことでもあった。

 決して協調し生き抜いていこうとすることもせず、
自分が完璧で美しいと盲目的に信じ、
あの恐ろしい人間全てが自分の奴隷と思いこんでいる同属達。

 中には善良なのもいるが、そんな稀有な存在は儚く、すぐに命を落としてしまう。

 ただ無意味に人間を怒らせ、その代償に大切な髪や衣服を奪われ、
全て失った禿裸の奴隷にされ、散々同属に痛めつけられて
ボロボロになって死んでいく糞蟲達の最後を、仔供の頃にたくさん見てきた。

 なんで、みんなはママ見たく学べなかったのだろうか。

 人間の庇護を求めなくても、自らで公園の外に行き糧を得ることや、
その糧を蓄えて食べ繋いでいく事、洗濯をし清潔を保つ事、
人間に飼われなくとも生きていく術はあるのに、なんでそれを実践しないのだろうか。

 ──ニンゲンにかかわるとロクなことはない。

 それが実装石として生まれて学ばなければいけない事なのに。

 人間なんかに頼らなくても、餌とりや生活の術も確実に覚えていけば、
何とか生きていけるのに。

 なんで他の実装石はそれができないのだろう。

 人間がこの世で一番危ない生き物であるとの、なぜ気付かないのだろう。

 鳥や犬、猫、虫よりも恐ろしい生き物の上に立つのが人間なのに。

 もし人間を怒らしてしまえば、公園に生きる全ての実装石は、
今日の日が沈む前に、すべて殺されつくしてしまうのに。

 それなのに、なんで、ああも、いとも簡単に糞蟲と堕ちてしまうのだろう。

 それを知り、教え、学ばせてくれたママは立派な実装石だったのに。

 でもそれなのに、
 
 「……ママ……」

 ママの最後は、あまりにも悲惨だった。

 今でも、その死に様には納得できはしない。

 なんで、あんな馬鹿な糞蟲でもない、心優しい立派なママが、
あんなにむごたらしく、散々と痛めつけられ、残酷に殺されなければいけなかったのか。

 今考えても、あまりにも理不尽な最期だと思う。

 自分を守るために、身代わりになってくれたママ…。


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 ──そう、あれは秋の始まりだった。
 
 公園の木の実がようやく味深く茂り、
冬越えをしようと公園中の実装石が我先にと、必死に冬越えの餌を集め出した頃。

 中実装へと成長しつつあった自分は、仔供心にどこか初めての冬越えに胸を楽しく弾ませていた。

 あの時はただ浮かれていた。 

 沢山の木の実を拾って、ママに沢山褒めてもらおうと踊る気持で
木の実の転がる茂みへと歩んでいく中、なぜか広場には大勢の実装石がワラワラと集まっていた。

 普段なら、こんなに集まるわけがないのにと、仔供心に疑問符が浮かび
その光景を遠くから眺めていた。

 集まり群がる実装石の先には、大勢の人間達の姿があった。

 紺色の作業服を着た人間達は、市の派遣した実装石駆除業者だった。

 無論、仔である彼女がその存在を知るはずもなく、
ただ不思議そうに、変な服を着た人間だと見つめていた。

 だが、ママはその存在を知っていたのか、ただ茫然と青い絶望を沸かせていた。

 そんな大勢の人間達に他の実装石は、やれ餌をよこせとワラワラとたかり、
仔を飼え、そして私も飼えと人間に媚を売るなどの高邁な行動をしていた。

 人間達はそんな実装石に眼もくれず
とても手なれた動作で公園の入り口を大きなトタン板で堅く塞ぎ、
他の逃げ道になるだろう出入り口の全てを塞ぎ囲い、公園を堅く閉ざしてしまった。

 ママが傍により、

 ──今は動いちゃダメデス!

 耳打ちする。

 そして一人の作業員が、駆除用の樫の警棒を振り下ろした。

 勢いよく振り下ろされた警棒は実装石の頭部を、
べしゃりとへこませ実装石の頭を簡単に割ってしまう。

 頭を割られた実装石は脳漿をばしゃりと辺りにまき散らして倒れた。

 そして一斉に逃げ出す野良に作業員は襲いかかってきた。

  頭を割られ、血が飛び、踏みつぶされて駆除されていく
同族達の光景を尻目にママに手を引かれてその場を離れた。

 なんでワタシ達がこんな目にあうのと嘆くと。

 ──デシャアアアアア、糞蟲がニンゲンを怒らせてしまったからデス。

 ママは怒鳴りながら言い放った。

 ──糞蟲のせいデス! 糞蟲のせいで恐ろしいクジョが始まってしまったデス!

 糞蟲が人間を怒らせてしまったと嘆き、糞蟲のせいで自分達も巻き込まれてしまったと、
怨嗟をあらんばかりにこぼしていた表情は、あまりにも怖かった。

 そう、あの飼い実装の一家を殺した糞蟲のせいで、
この恐ろしい惨状が始まってしまったのだ。

 〝クジョ〟は、人間が行う、もっとも恐ろしい行為。

 実装石を誰かまわなく皆殺しにする行為。

 公園の中をかけずり回りながら逃げ惑う実装石達を、作業員達は黙々と駆除していく。

 樫の警棒で殴り殺し、鉄板入りの安全靴で蹴り殺し、薬剤を散布する。
 
 薬剤を浴びて痙攣しのたうつ実装石を乱暴に掴み上げ、
大切な髪を力任せにブチリと引きちぎり、
服を乱雑に剥ぎ破り捨て、白く濁った袋へと放り込む。

 いくら大声で威嚇しても、可愛らしく媚をしても、懸命に命乞いをしようとも、
大切な仔を差し出そうとしても、恥じらいなど捨て股をひらき排泄口を晒しても、
決して許してはくれない。

 中には勝てもしないのに、無駄な抵抗をした実装石もいた。

 石や糞を投げ、樹の枝で殴りかかり、噛みついたりするものもいたが、
人間に勝てる筈もなく、またたくまに駆除されてしまう。

 公園中で、一方的な殺戮が展開されていく。

 逃げている途中で、恐怖と疲れから動けなくなってしまった自分を、
ママは優しく抱き抱え、汗だくになり息を切らしながら茂みの奥へと逃げた。

 幸いまだ作業員は広場での駆除に手一杯で、茂みの方は手付かずだった。

 そしてママは茂みの中に、もしもの為と設けた穴倉へと自分を潜り込ませると、
穴を隠そうと木の枝や葉っぱで入り口をいそいそと蔽い始めた。
 
 ママは入らないのと訊ねても、ママはせっせとビニール袋をかぶせ、
上から葉っぱで袋を覆い隠しながら穴を閉じると

 ──この穴はオマエだけの穴デス。

 ──さよならデス。

 ──絶対穴から出てきてはだめデス。

 ──オマエは賢くて優しい仔デス。ママの自慢デス。

 ──立派なママになるデス。さようならデス。

 別れと最後の言いつけを残し茂みを後にした。

 そして広場に踊り出ると

 ──デシャアアアアアアアアア!

 あらんばかりの大声を張り上げ人間を威嚇し、危険を承知で立ち向かっていった。

 そうママは、自分を助ける為に、人間の気を引く為にと、あえて身代わりになってくれたのだ。
 
 出来るだけ多くの注意を引きつけようと、人間の足の間をかいくぐりながら、必死に逃げ回るママの姿。

 ぜいぜいと息を乱し走りながら、恐ろしい人間達を遠ざけてくれた。

 何もできなかった。

 自分に出来ることは穴倉の隙間から遠くの広場の様子を傍観することだけ。

 穴から一歩も動けないまま思いっきり感情のままに泣き叫びたい衝動を必死に噛み殺し、
ボロボロとこぼれる涙を拭う事無く、助ける事も立ち向かう事もできない、
ただ願うだけの自分の心底呆れた無力さに、深い絶望しかなかった。

 やがて作業員達が一人二人へと増えだし、じわじわと逃げ道を囲みママを追い詰めていく。

 だが、ママは作業員の足の間を巧みにすり抜け、自分が隠れている穴倉から注意をそらそうと
派手に威嚇をして回った。

 そうやって作業員達を数分程翻弄したママだったが、次第に疲労の色が出始めて
息を乱しながらも気力で駆けていた速度は徐々に落ち始めていた。

 それを見計らい人間は疲れきったママの腹を、容赦なく蹴り上げてしまう。

 蹴りの衝撃に身体を真上へと振りあげられ、腹部の真ん中を深くめり込ませる重い蹴り。

 肋骨が全て割れ、内臓にぐしゃりと刺さり込み、引き裂かれた血肉が体内に広がり、
口内まで押し上げられ、胃袋に収めていた残飯の吐瀉物と血を吐き散らしながら、
宙をグルグルと舞う。

 その光景は今でもハッキリと覚えており思い出すと、怒りと悲しみで体の震えが止まらなくなる。

 そして地面にべしゃりと激突し、服と皮膚を引き裂きながらゴロゴロと地面に転がった。

 作業員は倒れ込んだママに、何度も蹴りをたたき込み踏み転がし

 もう抵抗出来ないようにママを執拗に小突きまわした。

 それから全身ボロボロで息も絶え絶えになったママの片足を乱暴に掴み上げ、
逆さづりにしながら、人間は携帯電話のリンガルを使い。

 仔供を隠しているだろうと、隠し場所を問い詰めてきた。

 逆さまにされ血反吐をたっぷりと地面に吐き出しながらママは、

 ──……仔供はきのう食べたデス……

 嘘をついた。

 すると作業員は、おもむろに実装石にとって大切な前髪を力任せにぶちりと引き抜き、

 嘘を吐くなら今度は残りの髪も引っこ抜くぞと、
引き抜いた前髪をわざとらしくママの目の前でばらばらと払いながら訊ねるが、

 ──デシャア! それよりあたしを飼えデス! そうしたらいくらでも子供を産んでやるデス!

 吼えながら、ママはじたばたと暴れ必死に人間達の注目を自分に向けようと
大量の糞をだだ漏らし、血反吐交じりの唾を吐き散らしながら、見苦しい糞虫を演じていた。

 その命懸けの真に迫った演技が功を奏したのか、人間はやれやれと冷めたように、
なんだ、タダの糞蟲かと呟きながら服や残った後ろ髪を引きちぎり、禿裸にしてしまう。

 そして禿裸にされながらも、それでも必死に糞虫を演じ続けているママの首の骨を、そのままへし折った。

 更に、折った後、逆さづりのまま垂れた首をネジでも抜くかのようにクルクルと回しながら、
そのまま引きちぎってしまった。

 首無しとなった胴体が、手足を激しく痙攣させ音を立てて糞を垂れ流し、
一度だけビクンッと大きく背筋をしならせて動かなくなった。

 人間は事切れたママを生ゴミを捨てるかのように、袋の中へと無造作に放り込んだ。

 それがママの最後だった。

 ──もう、ワタシ一人だ。

 これから一人で生きていく絶望が、一人で生き残ってしまった罪悪が。

 一気にのしかかっていく。

 その重圧に胸の石が砕けそうになるも、堪えるしかなかった。

 涙を押し殺し、嘔吐しそうなほどの嫌悪を堪え息を押し殺し耐えた。

 ママは殺されてしまった。

 もう耐えられなかった。

 もう死にたいと心の底から懇願し、ママと一緒に死のうと外へと駆け出ようとしたが、

 ──立派なママになるデス。

 ママの最後の言葉が彼女の脳裏に浮かぶと歩みが萎び、駆けだす事が出来なかった。

 ただ我慢するしかなかった。

 生き残る為に。

 生かされた為に。

 生きたい為に。

 夕方になって駆除業者は公園の全ての実装石の死体を広場に集め
用意されていた袋の中に、次々と放り込んでいった。

 次に死体を放り込んだ袋の山をトラックの荷台に載せ汚物や血肉に塗れた公園を掃除し、
 
 主を失ったダンボール箱の全てを撤去し、
公園から実装石の痕跡を跡形もなく消し去ってしまった。

 やがて陽が落ち、辺りがしんと静寂に包まれた頃に、仔はようやく外へと這い出る。

 そして、公園をあてもなく歩んだ。

 どこにいっても誰もいない。

 実装石がいない公園。

 だが、唯一残ったものがあった。

 茂みの奥に隠す様に建ててあったのが幸いしたのか、オウチだけは無傷であった。

 ほとんどの野良達は外との行き来に便利だという理由で、
公園の出入り口に近いフェンスの周囲に沿って巣を構えていた。

 だが、ママだけは公園の奥の茂みに隠すようにしてオウチを建てた。

 ある時その理由を尋ねたら

 ──ミンナで大勢固まっていたら、敵に襲われると全滅するデス

 ──だからワタシは不便を承知で茂みの奥にオウチを建てたのデス

 ママの言っていたことは正しかった。

 現にこのオウチだけは無事に残った。

 冬に備えて蓄えていた保存食糧や生活必需品もある。

 これなら自分一人だけでもなんとか冬を越せるだろう。

 だが、ママはもう居ない…

 公園の外の人間の町には明かりがあり、温かいものが沢山ある。

 でも、この公園にはそれはない。

 孤独となってしまった事の絶望に、自然と涙は出なかった。

 そう、これが全てだと、彼女は、そう悟ってしまった。

 ママも、この気持で今まで生きて、
その中で自分を育ててくれていたんだと、ようやく理解できた。

 不意に死に、不意に殺され、不意に奪われ、無くなり、無くしてしまう。 

 この世界は、そうできている。

 それを理解するために、大切なものを失ってしまった。

 そして、明日から一匹で、生きていかなくてはいけない。

 ごはんも、寝床も、トイレも、洗濯も、すべて自分でやらなきゃいけない。

 それからはママに教えてもらった公園の外の餌場に、車や人目をかいくぐって通い、
公園の木の実を集め一日一日を必死に生きた。

 冬になると仔はオウチに篭り、半ば凍った保存食を齧り、毛布に包まり厳しい寒さに耐えた。

 やがて季節は冬を経ておだやかな春がまた訪れ

 仔は成体へと成長した。


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 「……いまさら思い出しても仕方がないデス。
それに、あれ以来クジョはもうなかったデス。今が幸せならそれでいいデス……」

 そう、もう過ぎてしまった事を、次から次へと思い出しても仕方がない事だ。

 今は何もなく平穏無事に毎日が過ぎているのだから、さして問題はない。

 それよりも目の前にある仔育てに、冬越えの準備など、
自分にはこれからやらなくてはいけない事がたくさんある。

 今は仔がいてくれるのだから、もう寂しくはない。

 そんな親の気持ちを察したのか二匹の仔達が、

 「ママ、だいじょうぶテチ?」

 「あんまり無理したらダメテチ」

 不安そうに気遣ってくれた。

 仔の無邪気なやさしさに涙腺が緩んでしまう。

 「……大丈夫デス、ママは少し疲れただけデス」

 親は気苦労や身体の疲労をごまかしながら仔達の頭を優しくなで、

 「ほら、ママの事は心配しなくてもいいから、少し遊んでくるデス」

 「!……遊んできても良いテチ?」

 不安そうに尋ね返す仔に、親は優しく微笑みながら、

 「いいデス。たくさん遊んでくるデス」

 「やったテチ♪ 久しぶりに遊べるテチ♪」

 「オネエチャンはやく遊ぶテチィ♪」

 疲れも知らずか、元気にかけ出す二匹。

 「あんまり遠くに行っちゃダメデス」

 「わかったテチィ」

 「ニンゲンに気をつけるテチィ」
 
 素直に返事を返しながら遊ぶ二匹。

 思いやりがあって、賢くて、互いに助け合って生きている、二匹の自慢の仔。

 今日まで生き残れた事は、本当に幸運だった。

 望まない不幸がまとわり付きまとうだけの実装石の一生において、この優しい二匹だけには、
幸せが末長く続いて欲しいと願った。

 そんな親の切なる思いも知らず仔達は無邪気に、

 「オネエチャンまってテチ」

 「イモウトチャンがんばるテチ」

 きゃきゃと元気よく鬼ごっこをしながら走り回る。

 そんな二匹の姿に、

 (本当に良い仔達デス。ワタシは幸せ物デス)

 溜まっていた疲れが消え、心身ともに癒されていくような幸福をじわりと暖かく感じていた。

 それに今日は、久しぶりの大収穫で仔達にもたくさん食べさせられる事ができる。

 パンの耳や残飯がたんまりと詰められた母親の形見であるコンビ二袋を撫でながら

 今から夕食が楽しみだった。

 いつも粗食しか食べさせられない不甲斐無さも今日はなく、
はしゃぎながら美味しそうに夕食を食べる八匹の仔供達の満面に喜ぶ顔が脳裏に浮かぶ。

 ──?

 八匹?

 「……デー……」

 身体に溜まり溜まった疲れもあってか、
親実装は遠い昔を思い出すように赤い虚空に今の意識を流し、
不意に、記憶に閉じ込めていた辛い過去を思い出してしまった。

 「……少ないデス……」

 そう、仔供は最初八匹いた。

 春になって成体となった彼女は妊娠し、程なくして八匹の仔供を出産した。
 
 でも自分の力不足で、今はたったの二匹だけしか生き残っていない。

 「……ゴメンナサイデス……」

 ぽつりと、死なせてしまった六匹の仔達に親実装は謝った。

 幸せを感じてしまった事が、取り返しのつかない深い罪悪のように思えてしまう。

 あれだけ苦労して産んだのにもかかわらず、秋までに生き残った仔が
たったの二匹だけなのは自分の力不足だったと、心がぴしぴしと痛み思い出してしまう。

 死んでしまった六匹の娘達を。

 あの夏の焼かれそうな猛暑の中、
最後までかすれしゃがれた声でママと呼び呻き、涙を流す水分すら無く、
熱中症で三日三晩苦しんで死んでしまった四匹の仔達。

 四女、五女、六女、八女の苦悶の表情が脳裏に浮かぶ。

 あの時、あの仔達に水を十分に飲ませてやる事が出来れば、助けられたのに。

 人間が勝手に、公園の水道を止めさえしなければ、あの仔達は生き残れたのに。

 あれだけ町に何度も何度も命懸けで繰り出し、
危険を承知で水をペットボトル一杯に汲みに行ったのに、
あの仔達だけは助けられなかった。

 他の仔にも水を飲ませなければみんなが死んでしまう。

 自分も水を飲まなければ、死んでしまう。

 そんな切迫した中で、あの四匹は死んでしまった。

 水を飲む事無く渇きカラカラに干からびてしまった娘達を思い出した後に、

 今度は初夏の頃に、初めての餌採りに町へと出かけて
車に轢かれ緑のシミと化した三女の事を思い出してしまった。

 黒いアスファルトに染み込んだ肉片をいくら拾い集めても元に戻らない。

 三女はもう死んでしまったと区切りをつけ、その場を去った薄情さが胸を締め付ける。

 でもあそこで娘の死を認めなかったら、他の仔達も死んでいた。

 今まで救えなかった娘たちの死が、うつらうつらと白昼夢のように脳裏に浮かぶと、
また心がピシピシと裂かれるように痛み出す。

 偽石に亀裂が走る様な空虚な痛みに、自然と涙が増す。

 それだけ娘達の死は、今も悲しくて仕方がなかった。

 出来るなら家族全員で、今のこの茜色の夕暮れを見たかった。

 あの糞蟲だった七女も一緒に。


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 「……七女ちゃん……」

 名を呟くと、首をへし折った七女のあの生々しい
音とぐにゃりと曲がる肉の感触が手によみがえる。

 あれはまだ肌寒さが残る春の夜の出来事だった。

 できれば殺したくはなかった。

 でもどうやっても躾け直す事の出来ない
そのあまりな糞蟲気質に、見切りをつけざるを得なかったのも事実だ。

 自分の姉や妹をドレイだのと言い、高笑い醜悪にあざけ笑う、
そのあまりな腐りきった性根に、心底怖気を感じた。

 糞蟲は間引かないと家族が危なくなってしまう。

 でも、本心としては救いたかった。

 もしかしたら、救う術は合ったのかもしれない。

 それを考えられずに、間引く事しか選べれなかった、
結局は自分の力の無さが原因なのかもしれない。

 ……もしかしたら

 ……いや、なかった。

 なかったのだ。

 今更可能性を考えてもどうなるんだろう?

 そう、なかった。

 救える希望など、ありはしなかった。

 なぜなら自分はあれだけ必死に、七女の糞蟲を直そうと努力をしたのだから。

 今更、考えても意味などはない。

 それに七女は、

 家族で力を合わせて生きなきゃ駄目だ。

 妹や姉を大事にしなきゃ駄目だ。

 一日の餌取りやトイレをちゃんと覚えなきゃ駄目だと。
 
 貴重な一日をかけて、いくら教えても、何一つ聴き入れてはくれなかった糞蟲だった。

 決して自分の考えを改めてはくれず。

 しまいには逆上して怒りだし、
なんでそんな事を覚えなきゃいけないんだと、ママが間違っているとなじり。

 ──ニンゲンなんかワタチの魅力でドレイにできる。

 ママは不細工だからこんな惨めな暮らしなんだと、
自分勝手なその根拠もない、あまりな優越な思いこみと、
間違った浅はかな知識を、さも常識のように喚き散らしてきた。

 その見るも無様な糞ぶりに思わず理性が沸騰し、感情に身を任せ、
七女をひっぱ叩いてしまった。

 叩いた後、感情に身を任せた自分の行為に心底青ざめ、
パンツから糞をこんもりと漏らし、痙攣し倒れた仔に駆けよったが。

 そんな心配とは裏腹に、抱き起こすやいなや七女は逆切れをし、
泣き喚きながら自分の手に噛みつき、糞蟲と自分をなじってきた。

 信じられなかった。

 ここまで糞蟲だったなんて。

 ショックで放心していた自分の腕からそそくさと逃れた七女は、

 ──糞ドレイがワタチに手を上げるなテチャ!

 聴くに堪えない暴言を狂ったように喚き散らし、
自身が垂れ流していた糞を拾い上げ、自分に投げてきた。

 心配するだけ無駄だった。

 この仔は、糞蟲だ。

 昔見た、あの糞蟲と同じだ。

 全てを失わせた糞蟲と同じだ。

 ママを奪った原因を招いた、あの糞蟲と一緒だ。

 ワタシから糞蟲が生まれてしまった。

 ワタシは糞虫を産んでしまった。

 ボロボロと涙が溢れてきた。

 頬に涙が止めどう事無く伝い、糞を流し落す程に泣いている自分を、あの仔はよりにもよって

 ──チィププ! 糞ドレイが糞まみれで泣いているテチィ!

 と、自分が強いと致命的な勘違いを起こし、あざけ笑い悪びれる様子もなかった。

 もう、間引くしかない。

 そう決断せざるえなかった。

 間引かないと、あの時と同じ事が起きてしまう。

 間引かないと、全てがなくなってしまう。

 早速、七女を抱き上げ、
すでに一日も終わりかけていた夕闇の外へと連れだす。

 後ろから、

 「ママどこに行くテチィ?」

 「七女ちゃんどこにいくテチィ?」

 次々に訊ねてくる娘達の声音を後にし、住みかにしているダンボール箱から離れ
公園の茂みの奥深くへと向かった。

 七女は未だ自分が間引かれようとしているのに気付いてはいない。

 この期に及んでも都合のよい自己解釈された妄想に酔いしれていた。

 ──やっぱりワタチは特別だったテチィ。これからワタチはこの世の全ての贅沢を独り占めにするテチィ

 などと聞いている方が頭を抱えそうになるくらい、お花畑な妄言を垂れ流していた。

 まったくこの糞蟲はどこまで、おめでたいのだ?

 あんな質素な暮らししか出来ない一介の野良実装ごときに、一体どんな贅沢が出来るというのか?

 もう沢山だっ!

 改めて七女を間引く決意をし、それを悟られまいと無表情のまま進んでいった。

 しばらくの間暗くなった公園を歩き続けて茂みの奥へ着き、そこでようやく様子が変である事に気づいたのか、
七女は不安そうにじっとこちらを見た。

 ──ク、糞ドレイママ…ワタチに用意されたゴチソウはどこにあるテチ…

 普段とは何か違う雰囲気を感じ虚勢を張るが、その声はどこかうわずっていた。

 その時の七女の顔は口元が僅かに引きつっており、これから起きることを
察したのか顔色が見る見る青ざめていった。

 親実装は、無言のまま七女の首を折った。

 べきりと音が闇の中に小さく響き、七女は死んだ。

 その後は、ママの言いつけどおりに、
同族に見つからないように土の中へと、七女の遺体を埋めた。

 埋め終えた後、しばらくその場を離れることができなかった。

 涙が止めどう事無くぼろぼろと流れ、ただむせび泣きながら、
埋めた七女にひたすらに謝っていた。

 さっきまでの冷徹な決心が脆くも崩れ、仔を殺した罪悪感が堰を切って溢れ出す。

 そしてそのまま深い後悔に苛まれてしまう中、ママが言った言葉を思い出した。

 ──仔を沢山持つことは不幸デス。

 ──仔が沢山いたら育てるのは大変デス。

 ──だからワタシはお前以外の仔を全部間引きしたデス。

 自分がママに選ばれた理由。

 産まれたとき、唯一ママに挨拶をしたのはワタシだけだったらしい。

 それ以外の仔は挨拶もできず、きゃっきゃと甘えるだけの仔だったらしい。

 ママはワタシだけを仔供としてオウチへ連れ帰ってくれた。

 他の仔はその場で首を折って間引き、死体は全部茂みに埋めたとも教えてくれた。

 仔を産み、賢い仔だけを選び、糞蟲は間引く。

 多くは持ってはいけない。

 多く持てば全てを失ってしまう。

 そう、失ってしまうのだ。

 そして一通り泣き通し終えた後、力なく無気力のまま、とぼとぼと住みかへと戻った。

 戻ると、七女はどうしたのと仔達に聴かれてしまう。

 作り話をしてごまかそうとも思ったが、
もし、ばれてしまったのなら仔達との関係は簡単に壊れてしまう。

 今ここで、この仔達に糞蟲の事を教えなければ、将来は暗澹たるものになってしまう。

 隠していてもこの仔達の為にはならない。

 この仔達の為にもと、包み隠さず正直に七女は今夜引きしたと告白し、
そして糞蟲がどれだけ危ないのかを娘達に一言一句途絶える事無く諭し、
仔供達に間引きの大切さを教え込んでいった。

 あの仔はどうしようもない糞蟲になってしまったと、
糞蟲は妹や姉を平気で殺して食べる悪い仔だと、
もし生きていればワタシ達は酷い目にあっていたと。

 そして心の中では自分は決して悪くない、悪くないと心の中で
必死に言い聞かせながら、自分のやった行いを当然のように正当化した。

 娘達は一応に解ってはくれたが・・・・・・
内心は自分の事をどう思ってただろうかと、
いまだ胸中に拭えぬ不安があった。

 糞をだだ漏らしながら怖がっていた仔達の、
あの引きつった青ざめた表情は、
間違いなく自分の事を恐れていた証拠。

 七女の間引きから糞蟲はもうでなくなったが、仔達は前とは違い、
自分には素直にあまりなつかなくなってしまった。

 今の気遣いも恐怖からくるものかもしれない。

 自分だけ気に入られようとする、媚売りかもしれない。

 もしかして今も、自分の事を怖いと思っているんだろうか。

 そんなことを考えてしまう。

 「・・・・・・ワタシは最低の親デス」

 仔を満足に助けることもできず、殺してしまうことでしか問題を解決できない
自分の無力さに心が押し潰されそうになる。

 「・・・・・・でも仕方なかったんデス・・・・・・他に方法が無かったんデス」

 心に圧し掛かる重さを和らげるように凛として呟き、耗々とした気持ちを振り払った。

 そう、自分は間違ったことをしてはいない。

 なぜなら、自分を育ててくれたママが教えてくれた、生きる術の全てを実践しているのだから。

 あの立派なママの教えてくれた事に間違いはないのだから。

 「・・・・・・ママが教えてくれた事に何一つ間違いは無いんデス・・・・・守らなきゃ生きていけなかったデス……」

 そう、生きていく為に、仔を間引いた。

 死んだ仔の事など忘れて行った。

 今更死んだ仔を思い出しても、無意味だ。

 生きていく為には、捨てていくしかないのだから。

 実装石として生きていかなければいけないのだから。

 辛い事を忘れていくしかないのだから。

 これは、あの仔達に教えていかなくてはいけないことでもあるのだ。

 でも、それなのにあまりにも辛いことが多すぎる。

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 秋の終わり、冬初めの夕暮れ時の薄暗い茜色の寂しさが、
今まで積み重ねてきた全てを思い出させていく。

 そんな夕闇刻に、ただ涙を流した。
 
 なんで……こんなにも失うのだろう。
 
 ただ、ワタシたちは生きていたいだけなのに。
 
 なんで、こうも簡単に失ってしまうのだろう。
 
 もしかしたら明日、全てを失ってしまうのかもしれない。

 いや、今この時にも、全て失う可能性はある。

 自分は失うだけしかないのかと、悲しさがましていく。

 もし、もしもだ。

 今ある幸せの全てが失われてしまえば、もう生きていく事はできない。

 胸が痛い。

 今までの悲しみが、偽石を痛めていく。

 割れてしまいそうだ。

 いっそ割れてしまえば楽になれそうな気がした。

 「……ママ、本当に大丈夫テチィ?」

 「……ママ、無理しちゃダメテチィ」

 仔達は不安そうに訊ねてくるその声に、 

 「……大丈夫デス……」

 ぼろぼろとこぼれた涙を引かせ、濡れた頬を無精に拭った。

 そう、まだ死ぬわけにはいかないのだ。

 この仔達が一人立ちし、自分と同じように仔を成していけるように
全てを教えていかなくてはいけない。

 だから、生きなくてはいけない。

 「……明日も早いデス。オウチに帰ってゴハンを食べるデス」

 「ワーイ、ゴハンテチィ♪」

 「ウマウマのゴハンテチィ♪」

 トテトテと住みかに歩む仔を見ながら、茜色から暗がりに染まる空を見つめる。

 物悲しく見えた空が、今は胸の痛みを和らげてくれる色に思えた。

 希望はある。

 あの仔達も、いずれ自分と同じように辛い日々を過ごし、決断し生きていく日が来る。

 その日まで、私が育ててあげなくてはいけない。

 だから、生きる。

 死から逃れる為に生きる。

 あの仔達の為にと、親は暗がりの中を歩み、仔を追いかけていく。

 一緒に、今日もご飯を食べる為に。

 そして、明日もご飯を食べる為に。

 親と仔は無明の帰路を歩んでいった。
                                                                了

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1 Re: Name:匿名石 2024/09/17-16:55:26 No:00009340[申告]
賢いが故の親実装の煩悶が沁みるスク
明日をもしれぬ野良実装の悲哀堪能させて頂きました
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